2・23 Carnaval de Rua(街のカーニバル) (2014/02/24)
重い気持ちと、けだるい身体にムチ打って、やっと家をでる。土・日曜日に出かけるのはもともと好きでない。家で本でも読みながら寝転んでいたい。 しかし、新聞でCarnival de Ruaがあることを見てしまったので、行かないわけにはいかない。あまり行ったことのないピネイロス地区だけに、ちゃんとたどり着けるかどうか少々不安であった。だめなら、付近にある美術館に行って、Junko koshino +Go Yayanagiの作品展をみにいくことにして、気持ちを奮い起こしてやっと家をでる。 案の定、やっているはずのパレードはやっていなかった。正確な住所は解っていなかったが少なくても近くにまで行けば、打楽器の音くらいはしているだろう、と軽く考えていた。しかし、それらしき音はいくら耳を澄ましても聞こえてこない。さらに歩いているうちに、ピンクと黒の横じまの派手異様な高層ビルが出現した。きっとあれが「トミエ・オオタケ文化センター」だろうと予想し行ってみることにした。 やはり、その通りであった。それにしてもハデな文化センターである。普通の平屋が多い付近で一際目立っている。近くにメトロ駅もできたし、これからこの辺もどんどん開発されていくのであろうが、付近の景観にかまわず、こういう建物をたてるのは、日本の政治家風に言えば、「いかがなものか」と言う気がする。浅草の下町に、突然30階建てのピンクと黒の横じまのビルができたようなものである。もっとも数年後にはビルがたくさんできて目立たなくなり、先見の明があったということになるのかもしれないが・・・。 展示会を見終えて、もうひとつのブロッコの出発場所を探してみることにした。新聞の地図を見ながらやっとそれらしき人が集まっている場所についた。しかし、出発は2時だったはずである今はとうに3時を過ぎている。 ちょうど近くにいたバッテリア(打楽器隊)の、人のよさそうな女性に 「何時にパレードは始まるの?」と聞くと、にこにこ笑いながら「もうすぐと思うけど、何時にはじまるのかしらね~」と言ってさらに表情をほころばせた。ここサンパウロでは、ブラジル時間(時間に適当で必ず遅れること)はなくなってしまっていたと思っていたが、仕事以外で自分達の楽しみの世界にはまだ残っていたのだ。バッテリア(打楽器隊)はマリファナを回し飲みしながら、音合わせをしている。のんびりと話をしながら準備をする様子を見ていると、気の合った仲間同士で、自分達の楽しみのためにやっているということが良くわかる。サンボドロモ(カーニバル会場)で行われるパレードは企業化し、エスコーラ・デ・サンバ(サンバグループ)が金を稼ぐために行っているために皆本当に真剣で、会場では少しでも点を獲得するためにピリピリして怖い程である。おそらく優勝すると大きなお金がうごくのだろう。パレードに参加するにも結構なお金がいるし、サンボドロモの入場料も決して安くない。とにかく金かねである。 こうした金本位ではあるが一大企業化したカーニバルは何千にもの人々の働き口を生み出し、海外からの観光客を呼び込むのだから、今や必要なものなのである。サンボドロモのパレードに参加した日本からの人々に感想を聞いても目を輝かせて「良かった。もう一度参加したい」と言う人がほとんどだから、皆にとって良いことなのだ。 4時を過ぎたころやっと出発になった。先ほどの女性によると10時ごろまで休みながらパレードを続けるらしい。 意外にバッテリアも歌う女性もうまいのでびっくりした。ブラジル人はやるときにはやるのである。何の規制もなく自分らのペースで気ままに行進するルアのカーニバルがすっかり気にいってしまった。
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