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マツモトコージ苑
     1998年  (最終更新日 : 2005/06/20)
有機農法に携わる人々(前篇) [全画像を表示]

有機農法に携わる人々(前篇) (2005/04/21)  農薬や有害化学物質などによる環境汚染、自然破壊が侵攻する今日。特に開発途上国などでは、海外からの企業進出がその要因の一つになっているケースも少なくない。そうした中で、身体に害の無い安全な生産物をつくり、消費者に提供するという動きが世界中で目立ってきている。ブラジルでも農薬の使用を減らし、有機農法を実践する人たちがいる。ここでは有機農業などに携わり、身の周りから環境破壊を防ごうとする人々を紹介する。

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農場スタッフと交流する中村さん(右)
 生産者との公正な貿易(フェアトレード)を目指し、ミナス州マッシャード市の「ジャカランダ農場」で栽培されている無農薬有機コーヒーの日本での輸入販売を、九四年から始めた(有)有機コーヒー社長の中村隆市さん(四三、福岡県出身)。
 地元の高校を卒業後、映画監督になることを希望していたが、水俣病との出会いにより、公害、環境問題に興味を持ち、有機農産物の産直活動に取り組んでいく。
 八六年に発生したチェルノブイリ原発事故で被爆した、隣国ベラルーシ共和国の人々への支援を行うための運動を八九年から並行して展開。その支援金を捻出するためにも、有機無農薬コーヒーの日本での販売は欠かせなかった。何より、ジャカランダ農場で働く人々との出会いが、現在の中村さんの活動を支えている。農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(七一)の無農薬の土地づくりを推進する思いが、中村さんの気持ちと一致したためだ。 
 今年五月末に来伯した中村さんは、農場の状況視察とともにコロンビアで初めて開催された国際有機コーヒーセミナーに出席。研究者だけでない生産者との交流を行い、現場の声を目の当たりにした。
 また、十月十二日からは「消費者に実際の生産現場を見てほしい」との考えから、来年から本格的に行われるジャカランダ農場の「スタディー・ツアー」の準備を兼ねて約一週間滞在。再び農場を訪問し、生産者との交流も行なった。
 さらに、同じミナス州のラゴア村も訪問し、フェアトレードの可能性も探った。
 中村さんによると、現在の日本では有機無農薬産品について「一過性の健康ブームという訳ではなく、総合的な環境問題を含めて、当たり前といった意識になってきている」という。
 それだけ環境問題について、人々の意識が高まってきたとも言えるが、「身体に害のない美味しいものを食べたい」との考えが、消費者の中に芽生えてきたのも確かなようだ。
 「ジャカランダ農場とのつながりは、単に売る人と買う人の関係だけではなく、一緒に有機農業を広げていく仲間でもあります。農薬による被害で中毒になったり、亡くなったりしている人の問題を取り上げ、環境に対する一般の意識をさらに高めていきたい」(中村さん)
 中村さんの挑戦はさらに続く。

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小鳥の繁殖を目指す源夫妻
 中村さんがミナス州ラゴア村の小農民の状況を視察した翌日の十月八日、有機農法博士の宮坂四郎さん(七四、北海道出身)の案内でモジダスクルーズへと向かう車に記者も同行させてもらった。
 宮坂さんは、七月のコロンビアでの国際有機コーヒーセミナーにブラジル代表として参加。炭を焼くことによって採取され、害虫の忌避剤にもなる「木酢(もくさく)」の効用について講義した。自然農法生産者協会(APAN)やブラジル有機農業協会(AAO)の創立に携わるなど、「有機農法の伝道師的存在」(中村さん)となっている。
 モジ群のボトジュル地区に在住する源マリオさん宅(六九、二世)を訪ねる。
 源さんも宮坂さんとともにコロンビアに同行した一人だった。日本から来た中村さんとの再会を喜ぶ。
 源さんは、約三十年にわたって建築資材の販売業を行っていたが、現在は定年退職し、五年前から全伯小鳥飼育協会に入会。絶滅の危機に瀕している「クリオ」(俗名)と呼ばれる小鳥の飼育・繁殖を促している。
 現役時代の建築業を生かして、自宅の裏側に十メートル四方の鳥かごを作り、「クリオ」や「オウム」など二十種類におよぶ小鳥を雌雄のつがいごとに入れている。
 「以前は家の周りでよく見かけたクリオは、最近ではほとんど見られなくなりました。私たちの協会は全国組織で、会員は一万人ぐらいいますが、小鳥を通じて自然保護を行っていくことを一つの目的としています」(源さん)
 元々は父親の代から、この地で養鶏や果樹栽培などの農業生産を行っていたという源さんは、昨年から趣味を兼ねて養蜂業も始めた。「遊び半分ですよ」と笑う源さんだが、少しずつ蜂蜜が売れ出している。蜂蜜は市販では、不純物が混ぜられて販売されているケースも多く、五十五年間ボトジュルに住んできて生まれた信用が、源さんにはある。
 「以前から環境問題にも興味はありましたが、定年退職してから、自分の好きなことがやれるようになりました」と源さんは現在、個人の立場でできる自然保護に取り組んでいる。
 「コロンビアにはあくまで宮坂さんに付いて行っただけ」と控えめな源さん。コロンビア・リサラルダ州の印象について「熱帯の割に、気候が良く、土地も肥沃だった」と語る。
 奥さんの園子さん(六五、高知県出身)は、源さんの父親たちと一緒に養鶏や野菜の生産を行い、一時期は地元の組み合いを通して出荷していた。今では夫同様、楽しみで竹の子などを家の周辺で栽培している。
 源さん夫婦は毎日、鳥の鳴き声や自然に囲まれながらの生活を送っているという。
 「若い時は、仕事の関係でブラジル中を歩きましたが、今はこの地にいながら、楽しみながら社会奉仕ができればと思っています。自分の知っていることを次の世代に伝え、それが人のためになればと考えています」と源さんは、環境保護への高い関心を示した。

(3)

 「ここでは、ハウス(栽培)内に鳥が巣を作ってますよ」―。
 こう語るのは、モジ群ビリチバ・ミリンでトマトを生産する鈴木啓三さん(六一、山形県出身)。農薬を使用していない証拠だ。
 鈴木さんは、九年間十一回にわたって、同じ場所でトマトの連作を行なっている。作っているのは「桃太郎」と言われる大玉の種類だ。化学肥料を使った場合、土地が疲弊するために休ませるのが普通だが、籾殻(もみがら)を焼いた煙炭、砂糖きびの絞りかすやボカシなどの有機肥料を使用することで、土地自体に持続力が付いていく。
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有機トマトについて説明する鈴木さん
 自然農法生産者協会(APAN)にも八九年頃から入会している鈴木さんだが、それ以前から有機農法には興味を抱いていたという。
 「大抵の生産者は、トマトを育てることに一生懸命になっていますが、私の場合は、土地を作りあげることに力を入れてきました」
 実際、鈴木さんが栽培しているハウスの中には籾殻を焼いた煙炭が一面に撒かれている。
 しかし、そんな鈴木さんも有機農法に切り替えた当初は、害虫の被害にもやられた。土地自身に害虫をはねつける力が無かったことが原因だ。それ以来、農道にだけ使っていた除草剤もいっさいの使用を止めた。
 「色々な人に会って話を聞いたり、有機関係の本は片っ端から読みましたね」
 少しずつだが、土地に変化が現れ出した。農薬を使用する一般のハウス内には飛ぶことのなかった小鳥が飛び、巣を作るようになった。その積み重ねが、今の鈴木さんの考えを強固なものへと変えた。
 「この周辺では有機栽培をやっている人はほとんどいませんね。ハウスは二、三年やるとほとんどの人は資材などの費用がかさんで続けられなくなります。化学肥料を使っていることが、却って自分を苦しめることになるのです」
 現在では、化学肥料を使っていないのが「売り」となっており、市販のものより多少値段は高くても、自然な甘さが消費者に受けている。記者自身も賞味させてもらったが、まだ表面は青さが残っていたものでも、内部は柔らかく、濃い甘みがあるのが印象的だった。
 ブラジルではまだ有機農法は一部にしか認識されていないが、鈴木さんは「『有機農産物を作るのは当たり前』という方向に必ずなるでしょうね」と自信を見せる。
 「土壌を作るといっても、実際には微生物がやるんです。それをいかに我々が手を加えてやるかなんです。今まで多かれ少なかれ、いじめてきた土地を元に戻す作業を今やっている訳です」
 「桃太郎」種のトマトは最近ブラジルでも値段も安定し、美味しいのが定評となっているが、生産が難しいという。
 「難しければ難しいほど、またそれが面白くなって止められないんですね」と鈴木さんは笑う。心から農業を大切にし、楽しんでいる姿がそこにはあった。
 
(4)

 モジダスクルーゼスで有機農法に携わる人たちを訪ねて同行した記者は最後に、ビリチーバ・ウス郡にある宮坂氏の別荘に案内してもらった。
 そこには現在、宮坂氏の娘のロザーナさん(三四、二世)と夫で大工仕事を行う海老根盛人(えびね・もりと)さん(三二、栃木県出身)が住んでいる。場所は「人里離れた森の中」といった感じで、旧家を建て直して生活しているという。
 海老根さんは元々、家具職人として神奈川県で職業訓練校の教師を養成する「職業訓練大学校」に勤めていたが、本格的に家具作りに取り組むため、栃木に移り住んだ。その合間に「創造の森」という有機農業による畑を自ら作り、野菜など四十種類におよぶ生産物を栽培していた。その時に日本に就労していて知り合ったロザーナさんと結婚。並行して、有機生産物を使用したレストランも経営した。
 その後、九六年にブラジルに移住する決意を固め、現在の場所で大工仕事の注文を受けながら生活している。
 しかし、移住した当初やりたかった有機栽培は仕事が忙しいために中断しており、「暇を見つけて続けたいのですが」と海老根さんは苦笑する。
 自然とともに生きることをモットーとする「シュタイナー教育」に「少なからず影響された」という海老根さんは、少しずつ自分の考えを実践する。
 海老根さんは家具職人としてブラジルで働く中で、一つのポリシーを貫く。それは、「無垢」(むく)と呼ばれる一本木を使うことだ。
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海老根さんの作品
 「ブラジルで販売されている家具はそのほとんどが、合板が使用されています。表面は見栄えがいいですが、良い接着剤を使わなければすぐに剥がれてきます。それに比べて無垢では、五十年、百年たっても壊れません」
 さらに海老根さんは、釘やネジなどを使わない日本建築の手法を重視する。例えば、机などはネジでとめると割れたり、素材そのものが曲ったりするが、木を組み合わせることによって、気候の変化に対応して伸び縮みできるようにできるという。そのためにも、無垢の素材を探し、保管・使用することは海老根さんにとって、最大のテーマでもある。
 また、海老根さんが作業場を山中に選んだのは無垢によって出る木クズを畑の肥料などに再利用することにある。
 「都会で大工仕事をしていると、木クズが大量に出てその処理に困りますが、ここでは畑の肥料としても使えるし、一石二鳥ですよ」と海老根さんは、限りある資源を再生することを重視する。
 海老根さんは、障子の桟(さん)を削る鉋(かんな)など日本でも最近では使用されなくなった大工道具も、ブラジルに持参してきた。
 「昔は手作りの道具もたくさんあったのですが今ではブラジルでも電動工具が主流になり、職人のレベルが低くなっています」
 いかに、自然の理にかなった家具づくりを行うか。仕事だけでなく、日々の生活の中で海老根さんは、常にこのことを考えている。(つづく)
                         (一九九八年十一月サンパウロ新聞掲載)


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