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マツモトコージ苑
     1998年  (最終更新日 : 2005/06/20)
有機農法に携わる人々(後篇) [全画像を表示]

有機農法に携わる人々(後篇) (2005/05/06) (5)

 モジを訪問した翌朝、無農薬コーヒーを生産する「ジャカランダ農場」を訪ねるべく、中村さんたちと一緒にミナスジェライス州マッシャード市に向かった。
 この日、同行したのは、ジャカランダ・コーヒー友の会会長で、来年の農場への「スタディー・ツアー」を前に、「ぜひ現場を見てみたい」と自費参加した村田久さん(六三)と和子さん(五二)夫妻と農場には初めて行くという宮坂さん。それに(有)有機コーヒー社のブラジル側スタッフで、ミナス州ラゴア村の小農民に有機農業による自立支援に力を入れているクラウジオ牛渡さん(二九、二世)というメンバー。 
 サンパウロ市内のチエテ・バスターミナルから約三時間半。マッシャードに着いた我々を農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(七一)がスタッフとともに出迎えてくれた。
 農場近くにあるカルロスさんの別荘で休憩したあと、午後から市内の農業大学とジャカランダ農場のコーヒーが選別・保管されている「DINAMO社」に案内される。
 大学内にはコーヒーの苗木も育てられており、カルロスさんの口添えにより、ジゼリー・ブリガンテ学長が校内を案内してくれる。
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DINAMO社を訪問した一行
 続いて見学させてもらった「DINAMO社」には、マッシャード周辺の五十におよぶ生産農家のコーヒーが保管されている。会社側の説明では、有機無農薬のものを扱っている生産者は、わずかに数家族に満たないという。
 その中でもジャカランダ農場から出荷されるコーヒーは、品質もトップクラスで、化学肥料を使用したコーヒーと混ざらないように配慮されている。
 昨年、ジャカランダ農場では、天候不順とコーヒーの木の老朽化で四百俵しか収穫できなかったが、今年は二千俵と元の収穫量を取り戻した。現在、カルロスさんは、DINAMO社に日本への輸出向けに千二百俵を預けているが、それらはすべて、中村さんの有機コーヒー社に直接送られる。
 中村さんとカルロスさんの「環境保護を通じて次世代に希望をつなぎたい」との共通した考えが二人の人間関係を、より強固なものにしている。
 最近では、マッシャード周辺の小農民の間でも有機農業に関心を寄せる動きにあり、そのことをカルロスさんは、自分のことのように喜ぶ。
 夜、カルロスさんの別荘での夕食のあと、改めて各自が自己紹介を行なった。村田夫妻と宮坂さんは、訪問させてもらったことへの感謝をそれぞれ述べる。
 カルロスさんは席上、農場の現状や自分の身の周りからできる環境保護の重要性を切々と語る。
 「有機農業を行なっていくうえで、技術の面だけでなく、考え方も変えていかなければならない」とカルロスさん。地球の汚染が進む中で、一人でも多くの人々の環境に対する理解が必要だと強調した。

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 翌日、朝から待望のジャカランダ農場を見学する。総面積は二百七十三ヘクタールあり、その内の八十ヘクタールが、コーヒーの生産地。残りはバナナなどが植えられている。
 はじめに、カルロスさんが一日のスケジュールを確認するため皆を呼び集め、見学する行程を説明する。
 天日干し場に着くと、農場で働くスタッフがトラクターに繋いだ小型のトレーラーを用意していた。その上にスタッフやカルロスさんの家族を含めた十人ほどが乗り、農場内を見て回る。
 カルロスさんはポルトガル系移民の六代目。(株)ウィンドファーム社発行の「ジャカランダコーヒー物語」によると、この地でのコーヒー栽培の歴史は、一八五六年に入植したカルロスさんの曾祖父にあたるジョン・マノエル・フランコ氏から始まるという。それから数えて四代目となるカルロスさんは、現在でも、祖父の時代からの農場のスタッフとのつながりを大切にする。
 「五年前に初めてカルロスさんに出会った時、農場で働く人々との交流があったことが一番嬉しかった」と中村さんは、生産元にジャカランダ農場を選んだいきさつを目を細めて語る。
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OC地区で農場スタッフと記念撮影する一行
 カルロスさんの指示により、OC(有機コーヒー)地区で下車する。農場には無農薬だが有機肥料を使用していない地域もあるが、ここは百%有機無農薬の土地だという。現在のコーヒーは九六年に植えられたもので、森のように茂っている。
 実際に足を踏み入れて感じるのは、土の柔らかさだ。ブラジルに多い赤土の「テラ・ロッシャ」とは違い、全体に黒い土で覆われている。
 カルロスさんによると、はじめのころは堆肥を撒いていたが、昨年からは撒いていないという。土中に含まれる「みみず」などの益虫や微生物が害虫の発生を防ぎ、土が柔らかいことで根が深くまで入り、水分の吸収を良くしている。また除草剤を使わずに草を刈ることで、天然の肥料となり、全体のバランスが取れるようになるとも。
 この日、カルロスさんを訪ねて同行し、二十年間コーヒー仲買商に携わっているという中島エジソン・サライバさん(四三、三世)は「十五年前のコーヒーは、その匂いを嗅いだだけで、大体の品質が分かりましたが、農薬使用して以来、試飲してみないと判断できなくなりました。しかし、カルロスさんのは、銀行融資を受ける際にも、匂いを嗅いだだけで良いものだとの信用を得ました」と品質の高さを保証する。
 OC地区には、一・八ヘクタールに一万七千株のコーヒーを植えた「ジャカランダコーヒー友の会」の土地がある。
 日本に出荷される高品質の有機コーヒーはすべてこの土地から採れる。
 ブラジル国内では皮肉にも、これらの高品質の製品は実際には飲めないという事実がある。
 カルロスさんはこのことについて、「私たちが努力して作ったコーヒーを日本の理解ある皆様に飲んでもらうことは、最高の喜びです」と意に介さない。
 良いものを良い仲間と作り、理解のある人に飲んでもらいたいとの気持ちが、カルロスさんを支配している。

(7)

 日本から中村さんとともにジャカランダ農場を訪問した村田夫妻。ブラジルに来たのも、初めてだ。
 福岡県に会社がある中村さんの近所に在住し、その意気を感じて、カルロスさんの農場を支援する「ジャカランダコーヒー友の会」会長にもなっている。また、消費者に現場の生産作業を見てもらうことにより、「より生産者のことを知ってもらいたい」とする考えから来年、本格的に始まるジャカランダ農場への「スタディーツアー」の準備や下見も兼ねての来伯だ。
 しかし、それ以上に村田夫妻がこの地を訪れたかった理由は、ほかにある。
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農場スタッフと談笑する村田夫妻(中央と右)
 村田夫妻は、マレーシア・イポー市のブキメラ村に進出していた日本企業が不法で出した産業廃棄物の影響で病に苦しむ子供たちの医療援助を個人ベースで続けており、その支援金確保のためにジャカランダ農場の有機無農薬コーヒーを販売している。かねてから中村さんに、農場の話は聞いていたが、「消費者に品質の良い品物を販売する以上、ぜひ自分の目で生産現場を見てみたかった」というのが、村田夫妻の考えだ。
 村田夫妻は、福岡県北九州市にある三菱化成黒崎工場(現・三菱化学黒崎事務所)に勤務していたが、三年前に久さんが定年退職。和子さんも今年十月三十一日に退職した。
 一九八二年四月、三菱化成は、マレーシアのブキメラ村に合弁会社を設立。現地住民には産業廃棄物の恐ろしさが知らされないまま、働く場所があるというだけで、二百人の労働者が集まった。
 翌八三年、「ゼリーベビー」と呼ばれる骨無し状態の子供が産まれたことことから、住民の会社に対する反対運動が起きた。
 三菱化成は、「モナザイト」と呼ばれる物質から自動車部品やカラーテレビのブラウン管の蛍光塗料などに使用される希土類を抽出していたが、その抽出過程で「トリウム232」という放射性物質が出ることを知っていたにもかかわらず、産業廃棄物のずさんな管理を行なっていた。
 「トリウム232」の半減期は百四十一億年もかかり、これらの事実を八五年に知った村田夫妻は「まさか、自分の働いている会社がそんな危険なことをしているとは信じられなかった」とショックの色を隠せなかった。
 住人は八五年に住民側八人の原告により提訴。九二年七月にイポー市高等裁判所で勝訴したが、翌九三年十二月に逆転敗訴となった。陰でマレーシア政府が圧力をかけたと見られている。
 九一年、村田夫妻は会社への内部告発とともに年に一回、現地を訪れ、ブキメラの子供たちへの支援活動を行うようになった。
 「現地で望んでいるのは、ブキメラの村内に病院を建て、せめて週に三回でもいいから、簡単な診療をしてもらいたいということなのです」(和子さん)
 現在、ブキメラ村には診療所はあっても医者が常駐していない状態で、村田さん夫妻は会社を辞めた今でも支援活動を続けている。

(8)

 農場を隅々まで見学したその日の夜、カルロスさんから一人一人感想を聞かれた。
 村田久さんは、日本で市民団体が活動するために、物販活動を行う経緯について説明。熊本県の「チッソ」工場から排出されて人体に被害を及ぼした「水俣病」の例を話した。
 それによると水俣病の支援活動者は、三十年以上にわたって柑橘類の一種で熊本特産の「甘夏」を販売しているという。しかし、甘夏の味が良くなくても、消費者は支援のために買っていた人が多かった。そのため、初めは支援の気持ちを持った人でも、時が経つにつれて、その気持ちが薄れてくると売れないようになるという。
 「ブキメラの支援運動も今年で七年目ですが、最初はマレーシアからカレー粉やTシャツを買ってきては販売していました。良い品物を売るというよりも、支援のために買ってもらっていた感じでした。しかし、ジャカランダのコーヒーを扱うようになってからは、いつの間にか、美味しいから買うという人が増えました。それが、そのままブキメラ村の資金援助に役立っているのです」(久さん)
 また、和子さんも「中村さんからカルロスさんの話を聞いてコーヒーの販売を始めましたが、累計で百万円以上の収益をブキメラに送りました。直接ここに来てみて、益々ジャカランダのコーヒーを自信を持って売ることができるます。人間関係がうまくいかないと、仕事もうまくいかないのだと実感しました」と率直な気持ちを語る。
 これまで、通訳に徹してきた牛渡さんに意見を求めた。
 牛渡さんは「消費者が、『誰が作っているのか』という生産者の顔を知ることが重要だと思います。私にとっていい仕事とは、いい気持ちでやることです。その意味で中村さんとカルロスさんという二人の人間関係の中で仕事をしていることに喜びを感じます」と述べた。
 しかし、農場経営が苦しいのも事実だ。今年は平年並みの収穫があったものの、ジャカランダ農場は昨年、大きな危機に見舞われた。コーヒーの木の交換時期と不作とが重なり、農場で働くスタッフの生活にも支障をきたした。
 そうした中、彼らを支えたのは、日頃から行なってきたコーヒーの品質に対する自信とカルロスさんへの信頼感だった。
 「スタディーツアー」の目的は、ジャカランダ農場の支援と同時に、中村さんをはじめとする関係者の新しい挑戦でもある。
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カルロスさん宅で感想を述べ合う
 この日遅くまで話し合いは続けられた。今後の農場こと、来年から始まる「スタディーツアー」のこと。果ては、原発問題から環境問題にまで至った。
 同席していたカルロスさんの次女テルマさんが冗談めかして言った。
 「父はマサチューセッツ(工科大学)やハーバード(大学)よりも進んでいる」
 有機農業を実践しているという意味では、確かにそうかもしれない。
 人類がこれから迎える二十一世紀にあって、環境保護は自然なあり方として見られるようになってきた。しかし、それを良い方向に継続して進めていくか否かは、一人一人の考え方による。
 今回、有機農業に携わる人々を取材する中で、そのことを強く感じた。(おわり)                
              (1998年11月サンパウロ新聞掲載)


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