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マツモトコージ苑
     2003年  (最終更新日 : 2024/05/19)
州境の日系ブドウ生産者たち [全画像を表示]

州境の日系ブドウ生産者たち (2024/05/19)  ブラジル中北東部を南北に流れるサンフランシスコ河。豊富な水資源を利用し、一九四〇年代後半に計画された灌漑(かんがい)プロジェクトは七〇年代に入ってCODEVASF(サンフランシスコ河流域開発公社)により本格的事業として進められ、今やブドウ、マンガ(マンゴー)を中心とした一大果樹生産地へと発展している。ヨーロッパを中心とした生産物の輸出に力を入れる日系農業者の活躍は目覚しく、推進されている様々なプロジェクトの中でも日系農協CAJ(バイア州ジュアゼイロ農業組合、佐々木パウロ組合長)が中心的役割を果たしている。同農協や生産プロジェクトの模様を追った。

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眼下に見えるサンフランシスコ河
 小雨まじりのサンパウロを離れブラジリアへ。同地を経由し、ペルナンブッコ州のペトロリーナまで約二千四百キロの空路を飛ぶこと約三時間。ペトロリーナに近づくと眼下には土色に濁ったサンフランシスコ河が横たわっているのが見える。
 ペトロリーナは雲は多いものの晴れ間がのぞき、温度も三十五度前後と暑いが、湿気が少なく熱帯の気候を感じさせない。空港にはCAJ組合長の佐々木さんが出迎えてくれる。まだ、四十五歳(三世)と若い。
 佐々木さんによると、今年は十二月から三月までの雨季に雨量が少なくブドウ栽培にとっては糖度を上げるためにも適した気候だという。バイア州のジュアゼイロとはサンフランシスコ河を隔てて約五キロとほど近い。ペトロリーナとジュアゼイロ間に架かる橋を車や自転車に乗った人々が行き交う。
 組合長になって三年になるという佐々木さんは現在、ペトロリーナとジュアゼイロの両方にブドウ、マンガなどを中心とした果樹生産地を所有する。
 元々、サンパウロで技術者として働いていた佐々木さんは、八三年にコチア産業組合中央会の肝入りでつくられた「クラサ(CURACA)・プロジェクト」発足により、ジュアゼイロに移住。(社)日本ブラジル中央協会が九八年に発刊した「半乾燥熱帯地域における日系農家の持続的土地利用に関する調査報告書」によると、クラサはコチア産業組合の入植者募集により、主に次男、三男など本来、自分の土地を所持しない人やノルデステ(東北伯)の新天地に夢を託した人などが自ら進んで入植したという。
 佐々木さんの父親はサンパウロ(聖)州リンスで農業生産を行い、現在も同地に在住しているが、今年には佐々木さんのもとに移る話もあるようだ。ジュアゼイロに移住し、「畑違い」の職業を選んだことについて佐々木さんは、「親と話が合わない訳ではないが、とにかく独立したかった。将来行くならノルデステだと思っていた」と強い意志を見せる。その思いが、二つの州境の町を一大果樹生産地に至らしめることになろうとは。

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ブドウの様子を見る
松本さん(左)と佐々木さん
 佐々木さんがペトロリーナに持っているブドウ生産地は、八六、八七年頃から始まった「ニーロ・コエーリョ・プロジェクト」の中にある。当時の上院議員の名前が付いた同プロジェクトは現在、二万五千ヘクタールの土地面積に約千五百家族が入植。五、六ヘクタールから、大きい入植者で五十ヘクタールの土地を所有するなど様々だ。ブドウをはじめ、マンガ、ココヤシ、バナナなどが植えられている。
 CAJの農業技師でブドウ生産者でもある松本ニルトンさん(四一、三世)と途中で合流し、ニーロ・コエーリョの佐々木さんたちの生産地へと向う。パラナ州のクルゼイロ・デ・オエステ市で生まれたという松本さんは、ピラシカーバ農業大学を卒業後、コチア産業組合などを経て、八七年にペトロリーナに入植した。
 松本さんによると、ブドウの世界的な生産地図はチリ、アルゼンチン、南アフリカ、オーストラリアなど南半球が十二月から三月頃に収穫期を迎え、また、スペイン、フランス、ドイツなどヨーロッパでは七月から九月頃に収穫が行われるという。そのため、剪定(せんてい)や貯蔵によるコントロールで世界的な収穫時期をずらすことで、輸出生産物の値段も高くすることができる。
 「私たちは世界的にブドウ生産が少ない四月から六月に南半球、十月、十一月のナタール(クリスマス)の少し前にはヨーロッパ向けに出荷しています」(松本さん)と輸出の効率化をはかっている。
 また、ここ数年のブドウ生産は種無し(セン・セメンテ)が主流となってきており、松本さんたちの生産地でも「フェスティバル」と呼ばれる種無しブドウが栽培されつつある。イタリア種の台木に「フェスティバル」を接(つ)ぎ、伯国内での販売値段は一キロにつき、二・五ドルと高い。輸出ともなれば運送費用などもあり、値段はその三倍にも跳ね上がる。
 そのほか、松本さんは「ブラジルではここにしかない」という「クリミソン」と呼ばれる北米カリフォルニア産のブドウを一昨年から試験的に栽培し始めた。病気がどれくらい出るのか。どれくらいの割合で成長するのか、研究の毎日が続く。
 「輸出生産物をつくるには、世界を相手に常に新しいものをつくらなければやっていけない」と松本さん。輸出ブドウ市場の品質制限は厳しく、糖度も十六度以上ないとヨーロッパでは売れないという。
 「種無しブドウは特に子供が好むので、今後は種無し市場が増えるのは確実」(松本さん)と、佐々木さんと同様、農業生産者というよりも事業家として、世界の動きを常に見つめている。


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サンフランシスコ河をはさんで
ペトロリーナ側からジュアゼイロを臨む
 佐々木さんたちのブドウ栽培地を一通り見せてもらったあと、組合所有のワゴン車はペトロリーナのセントロから五キロほど離れた工業団地へと向う。
 その一角の整地された土地の中に一つの建物が現われた。建造物は、CAJ組合員たち(五十三組合員)が出資して建設中の集荷場兼、貯蔵・冷蔵庫だという。敷地内面積六ヘクタールに対して千七百平米(五〇㍍×三四㍍)の建物面積を誇る集荷場は、五千箱分のブドウ貯蔵が可能だ。昨年(2002年)の十一月に着工し、今年五月には完成の見込みだという。組合員たちが捻出した出資額は百五十万ドルと大きい。生産物の輸出を見込んだ作業が、着々と続けられている。
 佐々木さんの説明では、集荷され貯蔵庫に入れられたブドウは〇度から二度で冷やされ、約六十日間、品質を変えることなく保存が利くという。
 「今まで、どこの生産者もそうですが、栽培そのものには力を入れてきたけれども、それを保管する場所や技術がなかった。組合では、生産物の輸出とともに、組合員以外の生産物なども有料で貯蔵させることで、組合の資金にしていきたい」と佐々木さんは、従来の農業者とは違った経営感覚を持ち合わせている。
 この日一日の見学を終え、ペトロリーナ市内にある佐々木さんのマンションへと連れて行ってもらう。今年購入したというマンションは、サンフランシスコ河の沿岸部にあり、その豊かな水資源を高層から臨むことができる。
 橋を隔てた向こう側はジュアゼイロの街が広がる。元々、ジュアゼイロは鉱物資源で発展したとされ、現在の人口は二十万人におよぶ。一方のペトロリーナは、七〇年代から本格的に開始されたサンフランシスコ河の灌漑(かんがい)事業により、急速に発展。現在ではジュアゼイロをしのぐ勢いで二十五万都市にまで成長し、今後もさらに大きくなることが予想されている。
 「二十年前からあの橋はありましたが、その頃はほとんど車も走っていなかった。土地の人間にとっては日本人も珍しかったらしく、ここに来た当初はジロジロと見られたね。この二十年でペトロリーナはものすごく変わったよ」と佐々木さんは眼下に広がる雄大な景色を見ながら、当時を振り返る。
 マンションの自宅で州境の街のことを話する佐々木さんの背景には、人には言うことのなかった努力がある。自慢するでもなく、謙(へりくだ)るでもない佐々木さんの淡々とした口ぶりからは将来を見越した自信が溢れていた。

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高田さん(右)たちと
ブドウ農園を歩く
 ペトロリーナに着いて二日目。初めて、バイア州側のジュアゼイロへと足を踏み入れる。約一キロほどの州境の橋を渡り、佐々木さんの案内で「クラサ・プロジェクト」へと向う。
 クラサまでは、ジュアゼイロから北東方面に約七十キロ。ところどころ穴のあいた道が東北伯の事情を感じさせる。道の両側には、カチンガ(半砂漠)の平原が広がる。ペトロリーナとクラサにブドウ生産地を所有する佐々木さんは、この道を週に二、三回は通っているという。車で走ること約一時間、CAJ(組合)の施設が道路沿いに現れた。
 副組合長の宇津巻(うづまき)義夫さん(五四、二世)と理事の高田孝さん(五九、二世)がすでに待っていてくれた。
 聖州ノロエステ地域のバル・パライゾで生まれたという高田さんは、イグアッペやミラカツなどでの果樹・野菜栽培を経て、八三年、四十歳にして、この地を踏んだ。兄がコチアの組合員だったこともあり、灌漑施設を利用した同プロジェクトの話を事前に聞きつけ、満を持していたという。現在同地に六ヘクタールの土地を持ち、ブドウ栽培のみを行なっている。品種はイタリア種が大半を占め、同じロッテで六ヘクタールを所有するクニャード(義兄弟)とともにクラサではブドウ生産一筋に過ごしてきた。
 ヨーロッパへのブドウ輸出は「一つの組合では競争力に打ち勝てない」(佐々木さん)として、クラサ周辺地域の二十三の組合や会社が集まり、「BGMB(ブラジリアン・グレープス・マーケティング・ボード)」という組織を結成。四キロ半入りのブドウの箱も「テーブル・グレープス(食卓のブドウ)」という名称で規格が統一されている。糖度や生産物に傷が無いかを点検するなど「BGMB」のリーダー的な役割をCAJが担っている。
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クラサ貯蔵庫内にCAJ産の
ブドウが保管されている
 「以前はブドウを栽培することしか余裕がなく、ヨーロッパの市場に輸出するために組織化するなど考えもしなかった。今では我々日系人を信用して組織に入るブラジル人も増えています」と高田さんは、輸出に向けた組織化の必要性を実感している。
 また、クラサ内にある旧コチア時代からの貯蔵庫は現在、ペトロリーナにある貯蔵庫と並行して拡張工事が進められ、従来の五万箱までの最大貯蔵量が五月以降は七万箱まで可能になるという。
 三月初旬に同地を訪問した際、貯蔵庫はわずかに一部が機能しているだけだったが、これからの収穫時期となる四月、五月、六月のフル稼働を前にした貯蔵庫は、「嵐の前の静けさ」の様相を呈していた。
 今後、交通の便などの問題からクラサからペトロリーナに移動する組合員も増えることが予想される中、「自分はこの地から移る気はない」と主張する高田さん。九四年のコチア組合中央会解散以来、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながらも現在までクラサを支えてきたという気概が、そう語らせる。

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プロジェクト内を流れる灌漑用水路
 クラサ・プロジェクトの敷地内には日本語学校もあり、現在四十人の生徒が通っているという。
 この日は日曜日。学校は閉まっているが、近所の子供たちが校内で遊んでいるらしく顔をのぞかせる。
 時間の都合で日本語学校は素通りし、佐々木さんのブドウ農園へと車を走らせる。途中、灌漑施設の水路があちこちに見られるが、水は流れていない。CODEVASF(サンフランシスコ河流域開発公社)の代替業者が日曜日は休むため、一週間に一回だけ水は止められる。そのため生産者は自分たちで必要な保水タンクをつくり、その日の乾燥度などに応じて潅水作業を行なっているのだという。
 佐々木さんがクラサに所有する土地面積は二十二ヘクタール。ここでもブドウを中心にマンガなどの果樹生産を行なっている。組合ではなく個人で常時雇っている農業労働者は百二十人。その九割は正式雇用されているというから驚く。農地の周辺には労働者たちの簡素な家屋がズラリと建ち並ぶ。
 進学する子供たちの学校の問題などで今年からペトロリーナに住居を移した佐々木さんだが、八三年の入植以降ずっとクラサに住んでいた。クラサの佐々木さんの住居で、高田さんたちとともにしばしの休憩。自然と旧コチア時代の話となる。
 「コチア組合があったから今の我々がある」と口を揃える佐々木さんたちだが、一方で「中央会時代は、自分たち組合員のためというよりは中央会のために働いていた感が強く、こちらの見返り(利益)は少なかった」とも。「コチアがもし今も続いていたら」との質問に、「今のCAJの発展はなかったでしょう」と佐々木さんたちは言い切る。
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クラサ入植初期の潅水設備
(佐々木さんの農園)
 ここ十年間で味わってきた苦労を考えると、佐々木さんたちにとって営農資金などの費用は足らないことはあっても有り余るということはない。しかし、あえて佐々木さんは言う。「ニルトン(CAJ農業技師の松本さん)たちに日本に行ってもらって最新の農業技術を見てきてほしい。我々が今一番求めているのは金ではなく、大切な情報だ」と。
 コチア中央会時代に不明瞭だった会計資料が「CAJになってから自分の使った費用がどうなっているか、一から百まで全部分かるようになった」と高田さんは鋭い目を向ける。
 「自分たちの目で見、中央会時代には無かった販売・購買などの苦労を肌で経験したからこそ、今の我々がある」――。この一言が組合員たちの思いを代弁している。
 さらに佐々木さんは付け加える。「今は一世や二世、三世といった世代の違いはまったく関係ない。自分たちは日本人でもブラジル人でもない。『日系人メズモ(そのもの)』だ」と。
 組合員たちの自信に満ちた顔つきが、州境の街の将来をうかがわせた。

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人造湖では世界最大規模の
ソブラジーニョ・ダム
 クラサの佐々木さん宅で休憩したあと、副組合長の宇津巻さんのブドウ畑へ。たわわに実ったイタリア種のブドウは直径約二センチほど。四月の収穫まで、まだ一センチほどは粒が大きくなるという。ブドウ畑の遠景にはテーブルマウンテンがそびえ立ち、ブドウの蔓(つる)の緑と空の青さが映えている。
 宇津巻さんは聖州カフェランジアのタンガラ区で生まれ、リンスからほど近いグァイサラでのマンガづくりを経て、八五年にクラサに入植した。「入植当初は、河(サンフランシスコ)べりに四年ほど住んでいました。弟たちが私より早くこの地に来ていて、ブドウづくりの話を聞いて、自分もやってみようと思いました」
 現在、二十四ヘクタールの土地を所有し、ブドウの種無し種生産は十ヘクタールほど行なっているという。
 CAJの昨年度(二〇〇二年度)の生産量はブドウが二百三十一万三千九百七十箱で、うち輸出が七十九万七千七百四十六箱と三四・四%を占める。また、マンガは七十一万四千百二十箱のうち輸出は五万七千三百五十三箱(八%)となっている。その他にも組合員たちはピーニャ、マラクジャ、メロン、スイカ、ゴヤバ、アテモヤ、ココヤシなどを生産しており、ブドウ、マンガを中心とした総額は、生産量(三千二百万レアル)と購買(一千百万レアル)を合わせて約四千三百万レアルにも上る。
 佐々木さんの話では、ブドウ生産に関して、来年には国内販売と輸出販売の割合は半々となり、市場の動きは現在の三倍から四倍になることが見込まれている。
 ヨーロッパ向けの輸出港としては、サルバドール、レシフェ、フォルタレーザの三港がある。三港に分けているのは、例えばサルバドールで予定されていた船便が何らかのアクシンデントで出航しない場合に備えた措置だという。ヨーロッパへの輸出は平均十二日前後で到着し、「輸出向けとして毎週出せるように配慮しています」(佐々木さん)という。
 また、ドイツには輸出統一組織の「BGMB」を通じた販売責任者を配置し、そこを拠点にイギリス、オランダ、ノルウェー、ベルギーなどにも販売網を拡大している。
 クラサを出たあと、佐々木さんは二日間の案内で疲れているにもかかわらず、「せっかくここまで来たのだから」と、クラサと反対方向でジュアゼイロから約四十キロ離れた「ソブラジーニョ・ダム」へと案内してくれる。
 このダムは、人造湖としては世界最大規模らしい。西日が傾きだし、陽光が反射した湖面を眺めながら佐々木さんの言葉を思い出した。
 「今後、種無しブドウの輸出拡大により、我々にとっては良い未来が開けることになるだろう」――。
 悠然と横たわるサンフランシスコ河の恵みが、州境の日系人の明るい未来へとつながっていくことを実感した。(おわり)


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