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     南米日本移民の肖像  (最終更新日 : 2024/09/01)
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山田勇次さん (2024/07/22)
2017年10月号山田勇次さん(バナナ王).jpg
 今年(2017年)からブラジル盛和塾(せいわじゅく)の代表世話人となった山田勇次氏(70)は、ミナス・ジェライス州ジャナウーバ市でバナナ栽培事業を拡大し、「バナナ王」の異名を持つ。2013年から1期4年間、ジャナウーバ市長として活動した経験もあり、今日の成功について「稲盛(いなもり)(和夫)哲学を素直に実践したお陰」と盛和塾に出合えたことに感謝の気持ちを表している。
 寒さの厳しい北海道で生まれ育った山田氏は1960年、13歳で家族と渡伯し、サンパウロ州レジストロに入植。しかし、入植2年目に山田家族は騙されて債務を背負うことに。長兄との確執もあり、日本の小学校しか卒業していない山田氏には学歴コンプレックスがあったという。
 17歳の時に「巨富を築く13か条」という1冊の書籍に出合い、学歴がなくても金持ちになれることを知った。20歳になった時、祖父から聞いていたバナナ栽培に着手。17ヘクタールの借地をもとに各地を見て回った。寸暇を惜しんで働いていたことが信用につながり、日本に行く家族から「日本行きの代金を先に支払ってもらえれば、残りの借金は支払える時でいい」との好条件で110ヘクタールを購入。当時のブラジルは国家的プロジェクトが進行し、新しい道路も増えるなどして地価も値上がるなど、「一番、巨運を感じた頃だった」という。
 しかし、価格変動や環境の問題などからバナナだけの単一作物に不安があった山田氏は、30代半ばからレジストロ近郊のパリケラ・アスーに自然農法に近い栽培法でマラクジャ(パッションフルーツ)を生産。米国フロリダのオレンジ生産が霜の被害を受けたことでブラジルのマラクジャが高値となり、思いがけない大金を手にしたそうだ。
 当時、レジストロ周辺ではバナナなどの農産物の過当競争が激しく、「洪水の無い地平線にバナナを思う存分作ってみたい」という、かねてからの自身の夢を実現させるため、山田氏は各地を視察して回った。そうしたところ、ミナス州ジャナウーバの土地を見つけ出し、「これこそ理想の土地」と転住することを決意した。
 同地は雨量が極端に少なく、高い費用を出して灌漑設備を作った山田氏は、地元民から「バカ扱いされた」そうだ。当初、バナナの「ナニカ種」を栽培したが、害虫が大量に発生するなどしてうまくいかなかった。害虫が付きにくい「プラッタ種」に変えて5年我慢したところ順調に進み、当初は相手にされなかった周辺農家からも「バナナの苗を分けてほしい」と依頼が来るようになった。
 さらに、東北伯銀行(バンコ・ド・ノルデステ)が山田氏のバナナ事業に注目して融資を出すことになり、現在ではブラジリアなど全伯10カ所に卸販売所を開設するまでに成長している。
 従業員も増える一方で山田氏は、不安定なブラジルの政治と価格高騰の中で「自分が立派な経営者にならなければ、いずれは大きな転機が訪れる」と不安視していた。そうしたところ、ブラジル盛和塾の存在を知り、96年にサンパウロ市で開催された盛和塾のイベントに初めて出席するため、片道18時間のバスに揺られて赴いた。しかし、背広を着たビジネスマン風の参加者が多く、当初は場違いな気がして自信を無くし、ジャナウーバへと引き揚げたという。
 ジャナウーバに戻って改めて稲盛氏の書籍とテープを見聞きしたところ、「不安はどの経営者にもある」ことなどが説かれ、山田氏が以前から頭を悩ませていた部門別採算性、利他の心、従業員への接し方などが親しみやすい言葉で書かれていたことに目を見張った。「ありのままをさらけ出して稲盛哲学を学びたい」と従業員のすべての判断を「稲盛哲学」に委ね、「正直な経営」を実践した。その結果、事業はさらに発展。同社への就職希望者が後を絶たず、現在は1万2000ヘクタールの土地で年間バナナ生産6万6000トンを誇り、従業員数も2000人を抱えるまでになった。
 山田氏はまた、2013年から1期4年間、ジャナウーバ市長として活動した。同市での公金横領、市民不在の役所仕事や医療設備の不備など悪政がまかり通る中、「子供や孫がこの街で末永く住んでほしい」との思いから立候補を決意。04年に盛和塾全国大会で訪日し、海外在住塾生として初めて最優秀賞を受賞した際、稲盛氏から「山田さん、ブラジルで日本人の魂を証明してください」と言われたことが、ずっと心に残っていたという。
 問題が山積する中で土、日曜の休みもなく市政に取り組み、市長就任中は同市に全日制の学校を4校建設したほか、市の職員を200人解雇するなど改革。その結果、ブラジル国内に5500ある自治体のうち、優良自治体の上位25%の中にジャナウーバ市が選ばれる成果を出した。
 「人生は1回限り。4年間の市長生活で一生懸命に命を燃やしたことは事実。その間、素晴らしい気付きがあったことは稲盛(和夫)先生はじめ、盛和塾のお陰だと感謝したい」。(2017年10月号掲載)


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松本浩治 :  
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