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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2004年の日記  (最終更新日 : 2005/01/01)
6月の日記・総集編 移民殺しと無縁さん

6月の日記・総集編 移民殺しと無縁さん (2004/07/01) 6/1記 気配り損の・・・

サンパウロにて
ここのところ、日本の若い人からうれしい連絡が続く。
さて筆者の思惑を超えて、拙サイトからブラジル事情、ブラジルの日常を知りたい、よくわかる、という方が多いらしいということをお便りから知る。
それを受けて、今日は日常のディティールを紹介。
近くの自然食品店に、玄米を買いに行く。
今時は、サンパウロの並みの日本食品店でもジャポニカ米の玄米を数種類はそろえている。
自然食専門店はかなり割高になる。
それでもいくつかの理由から、今回は自然食品店を選んでみた。
高い。
まぁ、今回はいいか。
さて、ブラジルの小売店はどこも概して慢性的なコイン不足である。
おつりのある買い物の時、「小銭はありませんか?」は売り子の挨拶言葉になっている。
50レアイス(2000円弱)札で10レアイス以下の買い物をしたら、万引き客以上に嫌がられること、しばしば。
まるでババ抜きのジョーカーである。
そのため、一日本移民としては高額紙幣はなるべくスーパー等で使用して、小売店では、特にレアルの下のセンタボの支払いはコインを多用している。
「助かるわぁ」「まぁ、ピッタリよ!」
と売り子のねーちゃんがたの歓びの声に接することしばしば。
今日は6・20レアイスの買い物に、25センタボスのコインも加え、11・25レアイス出したのだが・・・
いつも暗い表情の女、4・5レアイスしかおつりをよこさない。
ブラジル人はそもそも概して引き算が苦手。
僕が渡した金の種類まで細かくゆっくり説明しても、女はさらに不機嫌な険悪な表情に。
近くでやり取りを見ていたおばさんが僕に味方してくれて、女はしぶしぶ5レアイス札をよこすが・・・
それにしても。
自然食品店で、高いカネ出して、陰気な女を相手に不愉快な思いをするのがいいか。
一般食料品店で、ねーちゃん相手にバカな話を交わしてギャハギャハと買い物をするか。
健康と長生きのコツはどっちにあるだろうねぇ。
もうあの店は避けよう。
こっちが不正をしたと思われるのもしゃくだが。
そこまで敵に考える知恵はないか。


6/2記 カルド・ヴェルデ

サンパウロにて
子供の送りの後、スーパーなどで買い物。
相変わらず薄ら寒い。
よっしゃ、カルド・ヴェルデ(日本語表記の難しいところ)にでも初チャレンジしてみようと思い立つ。
カルド・ヴェルデはポルトガル料理のスープ。
3月に日本に行った時、日本ブラジル交流協会のOGが渋谷のポルトガル料理店で働いているのを知った。
ちょうど日本の姪・甥にお祝い事があり、ポル飯を振る舞うことに。
その店にもカルド・ヴェルデはあったが、日本では主役の野菜・ケール(ブラジル名はコウヴェ・マンテーガ)の入手が難しいのでチンゲン菜を使っているとのこと。
サンパウロではコウヴェぐらいは簡単に安く買える。
家に帰ってポル語のレシピを押さえて、家人の好みや冷蔵庫の残り物を考慮して自分流にアレンジすることに。
午後、仕事の合間に仕込みを始める。
初体験なので今回はマイズ・オウ・メノス(まあまあ)だが、作ってみてコツはわかった。
次回はバッチリだ。
夕方、スープ好き、パパのご飯の大好きな娘の帰りを待つが・・・
歯が痛いと泣きながら帰ってきた。
さっそく家内が近くの歯医者に。
嗚呼、幻の処女作。


6/3記 無縁さん

サンパウロにて
本サイトの特別記事のページで期間限定アップロード中のあのインタビュー記事をものしてくれた神戸新聞の宮沢さんたちが、興味深い連載をしている。
阪神淡路大震災で亡くなった無縁仏を訪ねる、というもの。
6500人近い死者のなかで、無縁仏が9体。
兵庫署の署員は「100%身元を割り出した」というが、大都市を中心にこれだけの死者が出て、辺見庸さん流に言うならすべて「整合」するわけがないのでは?
こんなエピソードもある。
ある家族は一家全員4人が死亡した。
東京で社会人となっていた息子が一人、一人難を逃れた。
息子のもとに届いた遺骨は5人分。
うちに身元不明の死者がいるはずない、と息子は言う・・・
現代社会の闇を垣間見る思いだ。
松本清張の短編や、今村昌平のドキュメンタリー「人間蒸発」をほうふつさせる。
この連載がサイトから読めるぞ。
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200405fumei/index.html
ひとりで夜読むな!


6/4記 移民は絶縁

サンパウロにて
拙宅ではブラジルの一般紙のほかに、2紙の日本語新聞を定期購読している。
そのうち1紙は来ないこともしばしば、新聞社にクレームの電話を入れることになる。
この新聞の配達人だけがクリスマスの時にお小遣いを要求してきたが、シカトさせてもらった。
さて今日もこの新聞が来ていない。
翌日一緒に届くこともまれにあるが、今日中にクレームしておいた方がいいかな、と思っていると、夕方になって届いていることがわかった。
今日はなかなかいい記事がある。
ニッケイ新聞6月4日「記者の眼」’「移民」に畳み込まれた喜怒哀楽’。
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040604-72colonia.html
6月4日付「コロニアニュース」からアクセス可能。
数年前のNHKのブラジルからの生放送番組で、サンパウロ人文科学研究所の宮尾進先生がNHKの担当から「移民」という言葉は差別用語のニュアンスがあるから使わないで下さい、と言われた。
その件をニッケイ新聞の深沢正雪記者がNHKが問い合わせた。
NHK側の回答は同社には放送禁止用語リストはなく、適時、番組制作スタッフが判断する、とのこと。
以前、NHKで「移民」という言葉を使ったら視聴者から抗議を受けたという。
この件については興味を持っていたが、こちらは所属組織もない一フリー、しかもNHKさんにはパクラレなどの被害続きでこちらから連絡する気もなかった。
僕の肩書きの一つは「移民記録映像作家」。
移民が移民と言って何が悪い。
移民をなめんなよ。
というのが僕の立場。
NHKやJICAごときに我々を規定される筋合いはない。
今年、こんなことがあった。
さる酒席でJICAのOBと同席することになった。
彼は理由は説明しなかったが、戦前に渡ったのは「移民」で、戦後のは「移住者」だという。
僕は自分を移民だと思っていますけど、と言うとえらくご立腹である。
あんたが移民という言葉を使うなら、もうあんたとは縁を切る!とまで息巻きはじめた。
もうこの人とは関わりたくもなかったのでこれ幸い、と席を立とうとすると、間にまあまあ、となだめる人がいてうやむやになってしまった。
「移民」に差別用語のニュアンスを持たせたのは誰だ!
ニッケイ新聞の記事を読んで思い当たること。
NHKに抗議をしたのは、移民の当事者じゃなく、JICA関係者じゃないの?
さあみんなで垣根涼介さんの「ワイルド・ソウル」(幻冬社)を読もう!


6/5記 手紙を書いて

サンパウロにて
何件かたまっていた手紙を書くことに。
この人にはどれとどれの記念切手を組み合わせようか、どの絵葉書にしようかと思案するのは今時、贅沢なり。
子供たちがお世話になってきた幼稚園での「六月祭り」にバカボンド親父も行くつもりが、一気に宿題の手紙を書いちゃおうと専心。
ブラジル移民の父というべき水野龍のエピソードを思い出す。
「ブラジル無縁仏シリーズ」第二弾の拙作「ブラジルの土に生きて」で老年期の水野龍がクリチーバの自宅にこもっていた頃の話を故・石井延兼さんのインタビューで紹介した。
水野は自分が導入した第1回ブラジル移民・笠戸丸移民の物故者にひたすらわびて読経三昧の生活だったという。
これは拙作では紹介していないエピソードだが、水野は午前中は読経、後はよく手紙を書いていたという。
手紙を続けて書く度に、今時のブラジル日系社会の「名士」の面々からかえりみられることもないブラジル移民の父・龍翁を思う。


6/6記 ナメクジおばさん

サンパウロにて
夕食後、息子が学校で借りてきた絵本を姉が手伝って読んでいる。
息子が床についてからその絵本の表紙を見てみると、どう見てもナメクジである。
ギョッとしながら読んでみる。
なんと翻訳ものではないブラジルオリジナルではないか。
ナメクジおばさんがトンボ君のフェスタ(パーティ)に呼ばれる。
歩みが遅いため、いつもフェスタに遅れてしまうナメクジおばさんは1週間前に出発するのだが・・・
僕がドキュメンタリーを始めてからもっとも大きな影響を与えてくれた生物は、処女作のナメクジ。
ナメクジで処女を失う。
その次はトンボだろう。
それに葉切りアリ、吸血コウモリ、ナマケモノあたりが続く。
そんなことは子供には話した覚えはない。
誰がナメクジとトンボを組み合わせたストーリーを考えるだろうか。
その二大巨頭が主役のブラジル産の絵本が存在して、それをこの息子が探してくるとは、尋常ではない気がするのだが。
さて、ナメクジおばさんの前途には・・・


6/7記 第四間氷期

サンパウロにて
町に出たついでにシネコンで映画。
「ザ・デイ・アフター・トゥモロウ」。
ロードショー封切りで、一般料金が日本円にして400円足らず。
日本の映画館が高すぎる。
ギュンツ・ミンデル・リス・ヴュルム・・・
温暖化からうって変わって、地球が急激に新たな氷河期に向かうというお話。
「人類はこれまでの氷河期でも生き延びてきたんだ」
というセリフが心に残る。
そう、我々が今、こうして生きているということが祖先たちの計り知れないサバイバルと叡智と勝利の証。
今、生きているという尊さの前に、肩書きも年収も預金額もさして意味がない。
それにしても、今、人類がやっていることは・・・
日本ならコーヒー一杯の金額でだいぶ頭を冷やせた。


6/8記 ストロガノフ

サンパウロにて
今日は娘の誕生日。
日本から担いできたゲームボーイ・アドバンスのポケモンのソフトをプレゼント。
数日後の連休に友達を呼んでお誕生会、週末に親戚でお誕生会があるので、今日はボーロ(ケーキ)はなし、ということに。
その代わり、夕食に父さんが好きなものを作ってあげる、というとストロガノフがいいという。
ストロガノフやカレーは手を抜けばいくらでも抜けるが、手をかければ結構かけられる。
作るからには後者。
カネのかけかたはソコソコにするが。
子供ふたりの護送の後、材料の買い物に。
・・・日本の小六女子殺人事件、被害者の少女の父親の手記を読んだ。
さすがプロの書き手が当事者として書いているだけに、胸がつまる。
なにより、うちの娘も同じ年頃。
ブラジル製のカッターは日本製よりキレが悪いのが救いか。


6/9記 贅肉たっぷり

サンパウロにて
家事・雑事の合間を縫って「アマゾンの読経」ポスト・プロ作業の日々。
拙作のなかでは群を抜いた超大作になるだろう。
少なくとも費やした年月、撮影した素材の量において。
取材を開始したのが1996年。
今日まで足かけ9年になる。
その間、テレビ放送のドキュメンタリー3本、自主制作のドキュメンタリー7本を仕上げている。
細々と取材を続け、これでとりあえずいいだろう、と思う段階に至るまでこれだけ時間がかかってしまった。
昨年1年に撮影した素材だけでも、通常のオカムラの1作品をはるかに越える量。
さあどんな仕上がりになるやら。
マスター作業用のテープの長さが3時間だから、それに収まるといいが。
さる映画学校で「郷愁は夢のなかで」の上映会を開いてもらった時、ドキュメンタリー専攻だという学生が二次会までついてきて、僕のとなりに座った。
彼の方から拙作について何も話さないので、僕から聞いてみると。
「贅肉」が多すぎる。構成に工夫が必要。岡村さんはどういう立場で撮っているのか?
今回の作品はより彼らの言う贅肉が多く、構成に彼らの言う工夫をしないものにするつもりだ。
僕は移民として、移民とその関係者を撮っている。
不器用を貫くつもり。


6/10記 精進フェイジョアーダ

サンパウロにて
今日はカトリック歴の聖体記念日、我がブラジルは国民の祝日。
週末までつないだ4連休となる。
本業の方は停滞するが、割り切って家事・雑事に当たる。
冷蔵庫の残り物・体調等々を考慮して、特製フェイジョアーダを作ってみる。
フェイジョアーダはブラジルを代表する料理で、豆と肉類のごった煮。
10年以上前に行ったヴェジタリアン食堂で食べたものをヒントに。
命名を考え、精進フェイジョアーダとする。
ポピュラーなフェイジョアーダは干し肉や腸詰めの他に、ブタの耳やしっぽ、足などが入る。
こうしたゲテモノは除いても、相当おなかに重い料理。
こちとら、精進。
大根・コンニャク・大豆の肉等を用い、醤油を多用。
妻と娘の評判もよく、成功である。
日本からの豪華客船のブラジル航路に、二度ほど講師として招かれたことがある。
ブラジルやアマゾンの話、拙作上映の他に、二度ともブラジル料理講座も頼まれてしまった。
その時はゲテモノ抜き、味はライトな高級フェイジョアーダとした。
一度目は、見た目はちょっと抵抗があるけど、味はなかなか、と喜ばれた。
二度目は、試食をした最前列の御仁が、こりゃ塩辛すぎる!いっぺんで体を壊してしまう!
と大騒ぎ。
もちろん、日本のお年寄り向きに、かなり味は控えめにしていた。
しかも塩加減は船のレストラン部門のエキスパートに任せてあったのだが。
シェフの部屋に呼ばれたことがある。
何号室の客は塩控えめ、何号室は牛乳抜き、といった具合の注意書きがズラリとあり、苦労の一環がしのばれた。
この時にフェイジョアーダの世界史をちょっと勉強した。
かつて世界に広まったポルトガル文化としてフェイジョアーダをとらえると、実に面白い。
日本に、もっと南蛮文化が浸透していたら・・・
ブラジル移民のオカムラが21世紀に編み出す数百年前に、精進フェイジョアーダは日本の国民的料理になっていただろう。


6/11記 フェスチンニャ

サンパウロにて
今日は娘の誕生会を狭いアパートで決行。
今時のサンパウロの中流どころの家庭の子供の誕生会は、子供専門のパーティ会場を借りて、料理もレクリェーションも業者に任せるケースが多い。
父親にまともな収入のない我が家にそんな余裕はない。
さて、我が家は手狭なスペースにやたら物が多い。
少しでも人類が多く入りこめるように、前々日からおかたづけ、そして買い物。
招待したのは学校の友達の女の子が中心で、非日系人が過半数。
昨年、手巻き寿司が好評だったので、手巻きと、押さえにストロガノフをメインとする。
意外。
昨年はスシなど初めてだという非日系人の子達もほとんどが手巻き寿司を喜び、海苔:海草とは何かといったレクチャーを何度も繰り返したのだが。
今年は多くの子が手巻きはせいぜい1本、あるいは手を出さずにストロガノフを求める。
こちらでビーフ・ストロガノフを作る場合、肉の相方にはパルミット(ヤシの芽)かマッシュルームを加える。
うちの娘がパルミットを喜ばないため、マッシュルームにする。
ご飯はブラジル式ライス。
多くの子がストロガノフの肉だけ食べて、後は残してもったいない、と家内。
確かにもったいなく、こ汚い食べ残しかたの皿が台所に戻ってくる。
学校でエコロジー教育が盛んで、多くの飢餓者を抱える国の中産階級の子女がこれでは、未来は・・・
ちなみに料理方はバガボンド親父が担当。
そもそも我が家には炊飯器がないが、寿司飯もブラジル飯もチョンボなく間に合わせた。
昼から始まり、最後の子供と家族が帰ったのが夜9時。
疲れました。


6/12記 ハサミムシの巣

サンパウロにて
かたづけ作戦の余韻で、台所の流しの下に収納したあった古雑誌をチェックすることに。
床から離れたものは誇りがひどく、ページを繰るごとにむせる。
故・中隅さんは肺の奇病で逝った。
アマゾンでかかったという巷の話もあったが、ひょっとして奇書でも繰っていて・・・と思うぐらい。
床に近いものは台所掃除の際の水を幾度も浴びていて、原形を留めず。
良質の腐葉土のようなふくよかな香りまで放っている。
雑誌ももとは植物であったと再認識。
やや水分を含んでいる雑誌はハサミムシにとって格好の棲家となっている。
あれらは紙を食べるのか。
濡れ雑誌そのものを棲家として繁殖しているとみた。
古新聞の山とはだいぶ生態系が異なっていることを発見。
いくらスペースがないとはいえ、もう流しの下には紙モノ、そしてもちろんビデオテープも置かないようにしよう。


6/13記 落穂拾い

サンパウロにて
家内の実家で本を探していて、お目当ての本は見つからなかったが、別に読みたかった本を発見。
読み耽る。
「パンパスのちぎれ雲 祖国を捨てた日本人」菊池育三著・朝日新聞社・1979年初版。
以下、同書の「あとがきにかえて」より。
「(前略)官製の移民史からは血の通った話は出てこない。あったとしても成功者の自慢話だ。はみ出た者、失敗者の声こそ人の心をひきつけるものだ」
「なぜでしょうか」
「その当時の日本の姿を逆照射するからではないだろうか」
なるほど、私のやっている落穂拾いのようなことでも、つもりつもれば、日本の歴史の一面という’太い線’につながるのか。(後略)

筆者は朝日新聞のラテンアメリカ支局長だった。
在野の、しかも個人でこれを継続するのはナカナカのものだが、やれるところまでやってみよう。


6/14記 マタンゴ・・・

サンパウロにて
サンパウロはめっきり冷え込み、鍋の恋しい季節。
最近、日本でスーパーに行って目を見張るのは、キノコの種類が増えたこと。
マイタケ、ブナシメジ、エノキ、エリンギ・・・
野菜は日系人の皆さんのおかげで、サンパウロでは日本野菜・中国野菜に加えて日本ではお目にかかれない西洋野菜までいただける。
したがってここのところ、日本を離れる前夜は実家でキノコなべを所望していた。
さて、今日、リベルダーデ(東洋人街)の台湾人経営の店に入って驚いた。
エノキダケに本シメジ、エリンギ、そして最近出始めたカンポ・ベロというシイタケを小ぶりにしたようなキノコまでそろっている。
もちろんシイタケ、以前からある「にせ」シメジ、シャンピニオンも。
サンパウロの高級スーパーではサーモン・ピンクのキノコまで売られている。
日本で大学院までキノコ栽培を学び、「ブラジル人の食卓にもっとキノコを提供したい」と夢を語っていた知人は日本に引き上げてしまったが・・・
とりあえずエノキと本シメジを購入。
家に帰ると、サンパウロの知人がゴルフ場で見つけたというベニテングタケの写真をメールで送ってくれていた。
キノコなべの色添えにピッタリしびれそうだ。


6/15記 君の名は

サンパウロにて
クリックひとつの引用ばかりのリポートばかり見せられてたまらない、と日本の大学で教鞭をとる友人がボヤいていたのを思い出す。
さて当方もこんなサイトでも開いていると、いろいろな問い合わせが来る。
先月ご紹介して、読者の皆さんにも知恵を絞っていただいたナメクジの件での問い合わせでは、こちらの返信に対して先方から何の音信もなし。
スペインから英語で「デカセギ」の語の由来を教えろ、といってきたのは事情の説明もなく失礼だしめんどくさいのでパス。
日本語の問い合わせで最近、無視したのが1件ある。
さるギョーカイ人からだが、これは返信すると相当返り血を浴びなければならないとの判断から。
何かの事故で届いていない、とでもしておこうか。
こちとら精進作業中である。
さて今日届いたのは、アマゾンの釣り情報を教えろというものだが、名前がない。
メールだから名前がわからなくても返信はできるが、僕の守備範囲じゃないし、人を紹介するにしろ、名前も名乗らない人を紹介するのもこちらの信用に関わるだろう。
そんなところにサーバー問題で大家さんの櫻田さんから電話をもらう。
この件も意見をうかがってみると、櫻田さんなら返信するという。
オレより上を行くな、と脱帽。
それにしても自分のポリシーを貫いて人様をわずらわせるわけにもいかない。
というわけで無名氏よ、もしほんとにちゃんと僕のサイトを読んで問い合わせているのなら、仮名でもバレないから呼び名を名乗ってちょうだい。
そうしたら何らかの返信はしよう。
もっともちゃんとサイトを調べていれば、もっと然るべきサイトに行き着いているはずだけど。


6/16記 妻のデビュー

サンパウロにて
家内が日本の雑誌に連載を開始した。
「女性情報」という切り抜き雑誌の「いま、世界で、女性たちは」という連載。
現在、発売中の5月号に掲載された。
もう6月やんけ、という声が聞こえるが、この雑誌は今、6月号が印刷にまわったとのこと。
ブラジルの「BUMBA」のように不定期に、常に予定より遅く刊行されているわけではない。
現在の月のものをその月に出す、という本道を行っているのだ。
ちなみに、翌月号の雑誌を前月に出すというアイデアは、拙作「ブラジルの月に生きて」じゃなかった、「ブラジルの土に生きて」の主人公・石井延兼さんの父親が日本で少年相手の雑誌社を経営していた時のアイデアだという。
面白い話だが、話が訳がわからなくなるので拙作からは割愛したエピソード。
ちなみに「女性情報」の発行は「パド・ウイメンズ・オフィス」、
電話が03ー3340ー0350 ファックスが03ー3340ー0352
メールアドレスは joseijouhou@nifty.com
日本のさまざまな新聞の女性関係の記事の切り抜きの他に、上記のような独自の連載も充実。
女性監督の劇映画・ドキュメンタリーなどは克明に紹介されてる。
オレも女だったらもう少し作品も陽の目を浴び、上映の機会に恵まれていたかも。
今の名前でも、考古学徒時代に書いた論文が女性によるものと間違えられたことがあったが。


6/17記 マッタ・アトランチカ

サンパウロにて
娘が学校の授業で、マッタ・アトランチカの資料が欲しいという。
マッタ・アトランチカはあえて訳すと「大西洋海岸森林」といったところ。
世界のエコロジストからはアマゾン以上に貴重で危機に瀕している、と注目されている。
我がサンパウロにもわずかに残っている。
素敵な森である。
日本には不思議なくらい情報が入らず、興味も持たれていない。
日本の連中は相変わらず、アマゾンばかり。
マッタ・アトランチカに関するウンチクは尽きない。
僕はマッタ・アトランチカを紹介するドキュメンタリーをいくつか手がけた。
リオ州に生息する世界最大のトンボを追う、なんてのも。
そのトンボのヤゴは樹上に生息!するのだ。
リオ国立博物館のスタッフがマッタ・アトランチカで「幻の巨大トンボ」を手にする写真を探し出して見せたところ、娘は歓声を上げ、カラー・コピーを取って学校に持って行きたいという。
てなわけで、町のカラー・コピー屋に行くと、店員のあんちゃんが
「これはあのムシじゃないの?でけえなー」と見とれる。
ちなみにポルトガル語でトンボを意味する単語は、あまり庶民には知られていない。
やさしく面白い環境教育の切り口はいろいろあるのだ。


6/18記 蟄居

サンパウロにて
今日は移民の日。
息子が家にいることになり、子守り。
「五月蝿い」非常識なハエがたかってくるようだ。
静かに自宅で「アマゾンの読経」に心を傾ける。
日本に虫除けの国際電話。
バカな虫は手を上げて叩き殺すまでもなく、勝手に果てるだろうが、それまでにバイ菌を撒き散らされるのが困る。
何やら黙示録的になってきた。
肝心な本人にはこの黙示録を読み解く感性と知性はないだろうが、何人かのシンパには思いを共有してもらえるだろう。
ハエさん、下劣な人間のたとえに安易に用いてごめんなさい。
さて、明日から車で久々の遠征だ。


6/19記 香車

サンパウロ→アモレイラ→サンジェロニモ
早朝より友人夫妻を車に乗せて、600キロほど転がす。
2週間ほど前、家内の実家で義母からお手製の大根漬けをいただいた。
家への帰路、この漬物の汁がタップリ後部座席の床にこぼれてしまい・・・
その後、ゾウキンがけやスプレーがけをしたが、まだ匂っている。
映像記録時代の事件を思い出す。
当時、南米通いは直行便を使わせてもらえず、ロスでのトランジット1泊というのが常だった。
現地での段取りのため、カメラマンより先にひとり旅立った時のこと。
当時、大学時代の友人が日本のTV番組制作会社のロス支局に勤めていた。
ロスでの僕の使命は安宿に泊まり、南米行きの翌日の便を待つことのみ。
友人に車で迎えに来てもらい、多忙のため日本で買い損ねていた醤油などの日本食品をリトルトウキョウで少し買った。
ところが、どうしたはずみか醤油のビンが友人の会社の車の助手席で割れてしまった。
友人に激しく嫌がられた。
20年近く前、ロスで郷愁の醤油香る車に乗せられた覚えのあるギョーカイ関係の人、犯人は今も南米に逃亡中です。


6/20記 一陽来復

サンジェロニモ→アモレイラ→アサイ→サンジェロニモ
今日はブラジルの立冬。
パラナ州奥地にて、緩い陽を浴びる。
友情撮影の儀はおかげさまで無事終了。
今後の件で思わぬ展開あり。
ここのところ、「アマゾンの読経」完成までは死ねないと思っていた。
その後まだしばらく死ねなくなりそうだ。
マリア観音。


6/21記 火の用心

パラナ→サンパウロ
午前中、フマニタスの佐々木神父と共に地域の施設を車で回る。
帰路、土道をテクテク歩くおじさんに声をかける。
バスを逃したので、町まであと12キロほど歩くという。
同乗の余地あり。
くわえていた煙草をポイと捨て、後部座席に乗り込むおじさんに、神父は煙草の火を消して来なさい!と運転席から怒鳴る。
おじさんは、言われていることの意味がわからない。
しょうがないから助手席の僕が降りて火を踏み消してくる。
あたりは枯れ草、カトリック司祭の横で思わず、くわばらくわばらと唱える。
拙作「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」をご覧になった方々は、音を立てて農地を焼き尽くす野火の前で呆然とする佐々木神父の姿を覚えていらっしゃるだろう。
「大人の頭を変えることができないから、子供たちの教育に力を入れているんです」。
神父・シスターたちに暇乞いをして午後、サンパウロに向けてひたすら車を飛ばす。
すでに闇となったカステロブランコ街道にキノコ雲と紅蓮の炎。
高速道路の切通しの枯れ草が燃えているのだ。
明らかに人為的な火が広がっているのだが、消防隊が来る気配もない。
数10キロ置きにベラボウな高速料金を取られて、車に火の粉まで浴びせられてはたまらない。
人類の文化の発展は火のコントロールから飛躍したと思っていたが。
火をなめると、火になめられる。
こんな人類に原子力などコントロールできるものか。


6/22記 続・妻のデビュー

サンパウロにて
続・妻のデビュー
先日、紹介した「女性情報」5月号の現物が昨夕、ようやく届いた。
我が妻の連載が始まった。
今回のタイトルは「サンパウロの診療室から」。
担当編集者から、極力オカムラ夫臭くならないように、と釘を刺されていたが、さてどうでしょう。
同誌は書店で注文可能だが、青山のクレヨンハウス3階にはバックナンバーもそろっているとのこと。
直接、発行している「パド・ウイメンズ・オフィス」に注文していただくのを歓迎、とのこと。
連絡先は日本、電話03ー3340ー0350 ファックス03ー3340ー0352
メールアドレス joseijouhou@nifty.com
毎号の巻頭の言葉は実に鋭く時局を切っている。
女だけには、もったいない。
値段はあまり安くないので、図書館や学校、施設・団体などに定期購読させる手がいいかも。


6/23記 幸先よし

サンパウロにて
今後の作品作りの仕込みのための電話。
気心の知れた相手で、スムースに進むと思いきや、思わぬブロックに遭う。
イヤハヤ。
思い返せば、これまでの拙作でスムースに話が進んだというのはまれ。
難産どころか、受胎も難しかったことがしばしば。
そうした難産の作品の方が、より僕としても思い入れが深く、人様の評判もいいものが多いようだ。
ということは、今度も・・・
援護射撃を求める電話をする。
あとは、SE DEUS QUISER(もし神がお望みならば)。
まったく行き詰まった作品もないことはない。
たとえば、あのウラミの・・・
うらんじゃなんかいないけど。
うらんでいる暇なんかない。


6/24記 移民殺し

サンパウロにて
日本で活躍する日系ブラジル人の女性ジャーナリストからいただいたメールに、興味深い指摘があった。
今月20日に起きたサンパウロ市に隣接する町での日本移民殺害事件について。
この事件は日本の大手新聞のウエブ版にも取り上げられているのを僕も見てちょっと意外に思っていたが、彼女ほどの洞察力はなかった。
彼女の分析によるとこの事件は日本の多くのメディアに取り上げられたが、一部を除いて、被害者は現地に長く在住する移住者というより、日本から訪れた観光客と取れるような印象の記事だったという。
この事件より悲惨な日本移民が被害者となる事件はこれまでも現地で頻繁に生じているのに、どうしてこの事件が好んで日本のメディアに取り上げられ、被害者が移住者であることがぼかされているのだろうか、というのが彼女の指摘。
最近の日本のメディアの好みに、ブラジル移民までが引っかかったと僕はみる。
イラクの日本人人質事件に日本人ジャーナリスト殺害事件、それに現在も尾を引く北朝鮮拉致事件と、日本人が「危険な」外地で被害に遭う事件を取り上げるのが流行なのだ。
そしてニュースの送り手と受け手の共犯関係のもと、ああまた日本人が変な国で殺された、我々在日・日本人はまあ多少の問題があっても、平和で安全なこの国にいれてありがたい、といった意識が再生産されていく。
ブラジルの移民殺し事件はこうして消費されていく。
「そんな国に行くのが悪い」。
ああ、美しい日本の私。
日本ブラジル交流協会に応募してくれた○○君、トローいオカムラでもこっちで普通に生きてるから安心を。
「万が一」のことが遭ったら、俺が追悼ビデオでも撮って進ぜよう。


6/25記 枯れの美学

サンパウロにて
数ヶ月ぶりに植物学者の橋本梧郎先生にお会いする。
齢満91歳。
何とも素敵な枯れかたをしておられる。
老いること、枯れることは決してネガティヴなことではないことを教えていただく。
さすがはオカムラ作品で二回も主役をはった方だ。
1996年、日本の新聞の学芸欄に橋本先生のことを短文で紹介させていただいた。
同年、CSテレビ局「朝日ニュースター」の「ビデオ・アイ」という映像記者スタイルの番組で「花を求めて60年 ブラジルに渡った植物学者」という30分のドキュメンタリーを放送させてもらった。
翌年、このオカムラ作品を見たNHKが乗り込んで来た。
オカムラ作品よりフタケタ多いカネをかけて橋本先生の番組を制作した。
この2作品、見比べてもらいたいもの。
どこが、どう違うか。
その後、2001年に「パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌」という自主制作のドキュメンタリーを作らせてもらった。
あまり人目につくこともない赤字仕事・・・
同年、橋本先生の日本での名誉博士号授与の旅に同行させていただいた。
その時の映像は、撮影者の岡村を痛く感動させるものだったが、未発表のまま。
「パタゴニア」の赤字が響いている。
経済的価値を生み出すのは難しいが、橋本先生の存在自体が希望だ。


6/26記 男の悦び

サンパウロにて
午後、娘とショッピングセンターのシネコンに行く。
一度見た「ハリー・ポッター」の新作をもう一度見たいと言うので、今度はトーチャンが同伴。
シネコンの映画館はトイレが楽しみ。
男のトイレの朝顔(小便器)はアイス・キューブで満たされているのだ。
今日は夕方なので、だいぶ溶けているが。
アサイチで映画に行ってまずはトイレに入ると、誰にも用を足されていない氷の山は純白の便器に映えて、パタゴニアの氷河のような清浄さ。
思わず口に含み、はさすがにしないが。
ブラジル・ノルデステの乾燥地帯の灼熱の山中を、脱水状態で歩いたことまで思い出す。
あの時だったら・・・。
日本のバーのトイレにもこんな氷の「サービス」はあったな。
それにしても一回の「所用」でけっこう溶けるものだ。
家内や娘に話しても想像を絶する世界。


6/27記 無名

サンパウロにて
日本で知人からいただいた沢木耕太郎さんの「無名」(幻冬舎)を読了。
読中の静かな感動、そして読後の余韻に浸る。
奇遇ながら今日は我が父の命日。
これから自分のドキュメンタリーをどう構成しようかと思案している今、この本を読めてよかった。
僕は、僕のドキュメンタリーを作ればよい、という自信のようなものをいただく。
数年前、知人を介して、沢木さん御自身から、沢木さんの構成されたNHKのドキュメンタリー「奪還」のビデオテープを送っていただいた。
これまでTVディレクターという職種の人たちは何をしていたのかと思えるほど、衝撃的な作品だった。
僕に「無名」を下さり、「奪還」の手配をして下さった佐々木美智子さんがサンパウロで沢木耕太郎文庫という文化施設を経営されていたことは、記憶されていい。
権威と日の丸の好きなお歴々によるブラジル日系コロニア文化史には出てこないだろうが。
文化というものは、もっとはるかに豊かである。
佐々木さんは貴重な出会いの場を提供していてくれたものだ。
さて、この沢木耕太郎文庫をつぶした人物がまたサンパウロで何かしでかそうと画策しているようだ。
僕はもちろん「敬遠」。


6/28記 PDF

サンパウロにて
街に出る用をいくつか済ますことに。
サンパウロ総領事館での参院選挙に挑戦。
サンパウロでは、今回からようやく在外公館選挙ができるようになった。
それまでの郵便投票は情けないほどややこしく非効率的で、時間的・金銭的に棄権せざることを得ないことがしばしば。
さて、どんな政党と候補者が?
これが在外邦人にはわからない。
邦字新聞の在外公館からのお知らせには、日本の総務省か外務省のホームページか、6月24日付「本邦朝刊各紙」に掲載されているので、これを参照されたし、とある。
ブラジル在住の日本人有権者でインターネットにアクセスできる人は一割もいるだろうか。
ましてや「本邦朝刊」など見ることのできる人は・・・
各公館の投票場所にも政党名・候補者名の一覧もあるというが、事前に知っておきたいもの。
というわけで、外務省のサイトにアクセスすると、在外選挙は別リンクになっている。
これをクリックすると、新たなウインドウが異常点滅、けっきょく強制終了せざるをえず。
HPにアクセスしただけで感染するウイルスとはこれだろうか?
外務省のサイトなど、真っ先に攻撃を受けそうだし。
まだパソコンそのものは生きているようで、再起動して今度は総務省のサイトにアクセスしてみた。
こちらも別リンクになっているが、政党名は確認できた。
さらに候補者名一覧の別リンクにアクセスしようとすると、同じ異常現象が。
タイムアウトで、投票に向かう。
総領事館の投票場所には、たしかに政党・候補者名の一覧表はあるにはある。
しかし「みどり」「女党」「維新」だけじゃ何を考えてどんな公約があるのかもわからない・・・
帰宅してから、なぜ各省のサイトにアクセスできなかったのか考えてみる。
両方ともたしかPDFとブラジルの政党名のようなローマ字が丸ガッコで書かれていた。
インターネットのマニュアル本を引っ張り出してみると、PDF形式のファイルはインターネットエクスプローラー単体では表示できず、アクロバットリーダーのダウンロードが必要とのこと。
パソコン歴の浅いぼくにはよくわからないが、こんなのは有権者にとってごく初歩的な、できてあたりまえの必須の常識なのだろうか?
総領事館には、自分ひとりで投票できない人の介護人とやらがごっそりいて、手持ちぶさたでおしゃべりを楽しんでおられた。
不足と無駄の計算のできないような役所とシステムは、民営化でもしてもらいたいもの。


6/29記 二大悪魔

サンパウロにて
当サイトの「関連メディア」のページでリンクをはっている旅行社のサイトの連載「住めばブラジル」最新記事がアップロードされたとの報あり。
今回のテーマは「ブラジルの二大悪魔」。
といってもブラジル日系社会がらみの××氏と△△氏のことではない。
下品なことはなるべく書かないことにしております。
さて何のことかは、お楽しみ。
故・中隅哲郎さんの「ブラジル学」をまねる力量はない。
こちらは「ブラジル楽」でいくつもり。


6/30記 祖国メーカーの凋落

サンパウロにて
朝、先日の遠征取材の撮影テープを先方に送るため、オリジナルからVHSにダビング。
終了後にチェックすると、画像がヨレヨレ!
実は日本の知人に拙作をダビングして送るため、先日、VHS→VHSのコピー作業をして、やはり画像がヨレヨレ、接続やテープも変えてもダメで、困っていた。
1台のデッキはまだ買って数ヶ月。
LGというあまり聞いたことのないメーカーのデッキだが、値段の都合と店員に勧められて。
大丈夫なの?と家内に言われたものだが、やはり日の丸メーカーにするべきだったか・・・?
いまやブラジルでもDVDデッキがだいぶ普及しているが、まだ再生専用機ばかりである。
そもそも僕にはVHS→VHSのダビング作業がけっこうある。
とはいえ、さすがに時流に逆行するオカムラとはいえ、今時、立て続けにVHSデッキを2台購入するとは、まずフトコロが・・・
デッキ以外の問題はあるか、と新たに接続やテープを変えるなどしてみるが、やはりヨレる。
ここのところ、10本入りの箱で買ってきたメキシコ産のSONYのVHSテープを使っている。
もしやまさかと思いつつ、別のメーカーのテープでトライすると、ヨレてない!
イヤハヤまったく、である。
ブラジルで購入できる日本の「メーカー品」のVHSテープはこれまでにも2~30本に1本ぐらい、初めからテープ傷があったり、長さが足りないなどの欠陥品があった。
しかし一箱全部が欠陥品、というのは初めて。
メキシコ産でパラグアイで安売りされているのがブラジルに渡り、中国人から領収証無しで買っているというややこしいルートのため、クレームのしようもない。
未使用テープがまだ2本あるので、それだけは代えてもらおう、と町に出ることに。
もう墨国S社のテープはやめよう。
まあ祖国M社の車で殺されるよりはまだいいか。


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