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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳アーカイヴス  (最終更新日 : 2024/02/18)
尾口桜里さん『現代史のトラウマ』から

尾口桜里さん『現代史のトラウマ』から (2021/04/25) 昨年4月に亡くなられた尾口桜里さん。
尾口さんは毎年5月に東京の下町で開催されるドキュメンタリー映画祭「メイシネマ祭」の常連で、僕もここで尾口さんと知己を得ました。
その後、尾口さんのお連れ合いの内山美根子さんが拙作『リオ フクシマ』をひいきにしてくださり、小平のご自宅でも友人知人を招いて上映会を開催してくれました。
尾口さんは日本酒の利き酒会も開いていて、何度かお招きをいただいていましたが、僕はブラジル在住であり、訪日中はひと通りスケジュールが埋まっているのが常で参加できないまま、なんとか一度は利き酒にうかがいたいものと願っていました。
尾口さんは遺されたブログ『現代史のトラウマ』のなかで2度、拙作のレビューを記してくれていました。
内山さんのご厚意により、ここに転載させていただきます。

2013年6月25日 (火)
『リオ フクシマ』を(やっと)観る


 先日というか先月というか、「メイシネマ祭’13」の二日目に上映されたものの見逃した岡村淳監督の『リオ フクシマ』を(やっと)観た。

 パートナーは「メイシネマ祭」の時に観ていて、帰って来るなり誉めちぎるのを聞かされたのであった。パートナーは上映後の観客と監督、映画祭主催者が一緒になった飲み会にも参加していて(当日上映された『タケヤネの里』の青原監督は以前からの友人で、前日の『相馬看花』の松林監督も娘を通しての顔見知り)、あらためて岡村監督とも意気投合してしまったらしい。

 で、そんなわけで、今回(6月23日)の上映には私と娘も参加。岡村監督の待つ、西荻窪のブラジル料理店に向かったのであった。 
 
 「メイシネマ祭」のチラシでは、
  ’12年6月リオデジャネイロで行われた国連の環境会議 日本政府が隠ぺいと矮小化を図る福島原発事故の問題を訴える市民グループを追う。岡村監督注目の新作。
…という紹介の仕方をされていたのだが、この紹介文を読んで多くの人が期待するであろう内容の作品ではない。

 主題を福島原発事故における日本政府の対応の告発と想定すると、その期待は見事に裏切られる。その裏切られ方を絶賛(?)していた一人がわがパートナー、ということになるし、私もその一員に加わることに躊躇しない。

 とは言うものの、紹介文に書かれたことが誤りを伝えているわけでもない。しかし、より正確に表現するならば、
  ’12年6月リオデジャネイロで行われた国連の環境会議 日本政府が隠ぺいと矮小化を図る福島原発事故の問題を訴える様々な日本の市民グループが会場で自ら作り出した混乱と、それでもその向こうに見える希望を追う。岡村監督の最新作。
…とでも書くべきであろうか? 
 
 環境会議のためにリオデジャネイロを訪れた福島で有機農法を実践してきた農家(現在は除染の可能性に取り組んでいる)と、ブラジルの放射線被ばく被害者(ゴイアニアでの医療用放射性廃棄物被曝の当事者)を引き合わせての記者会見の席として設定されていたらしい場に、次々と日本からの環境会議参加者が自身の発言を求めて押しかける。本来その場で語られるべき福島の農家の原発事故体験と除染の実践の具体的報告のための貴重な時間は、後からやって来た人々の自己アピールの時間のために削られてしまう。

 どこにも悪意など存在しないのだが、しかし、善意と善行は全くの別物なのである。あふれる善意の中に、しかし、あふれるのは善意だけであって、自己満足以外の具体的成果を生み出すことはない。

 そのような実に困った話が、その場に立ち会う破目に陥った岡村監督によって丁寧に記録されているのであった(註:1)。
 
…などと書くと、何やら21世紀の現実の絶望的な話という印象を受けてしまうかも知れないが、しかしそこには様々な出会いもあり、その出会いの中からはどーしよーもない現実の中にある希望も垣間見えたりもするのである(それには、映像の中に登場する人々との出会いだけでなく、上映会場での岡村監督との出会い、わざわざ会場へやって来た他の観客との出会いも含まれる、と考えてよい―今回の会場では、ブラジルの酒との美味しい出会いというおまけもあったし)。

【註:1】
 話が話なので、このドキュメンタリー作品に関しては、被写体となった人たちへの無用な誤解のないように必ず岡村監督自身が上映に立ち会い、観客の質疑応答に応じるというスタイルをとっているのだが、岡村監督はブラジル在住であって、つまり観客として上映に接する機会は貴重である。

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/06/23 21:29 →
https://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-9d19.html?fbclid=IwAR1mqm44kksL1yiGo3pNQbGJ3bjUXeDauwxTU56y0mf4aFapHG5iQaZ9wpY )


2015年5月 7日 (木)
岡村淳監督の『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』(2014)を観た


 「メイシネマ祭 ’15」の三日目(最終日)には、岡村淳監督の『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』を観た。

 岡村淳監督作品としては、一昨年に『リオフクシマ』を観ているのだが(「『リオフクシマ』を(やっと)観る」参照)、推測するに(作品の成り立ちからすると)『リオフクシマ』は岡村監督作品としてはイレギュラーなんじゃなかろうかという気もするもので、今回が岡村監督作品世界への正面入り口からの遭遇ということになる…のか?

 そんな期待を抱きつつ、会場の小松川区民会館ホールのイスに座り、スクリーンに向き合うのであった。

 しかし、今回の上映作品は『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』とタイトルにあるように、「第一部」の「続き」なのである。で、残念なことに「第一部」は未見なのであって、つまり『旅の途中』という長編作品の「途中」から観ることになるわけで、フルコース料理の前菜から数品を食べ損なったままメインディッシュ…的気分もしないでもないのであったが、作品として完結していないわけでもないので、岡村監督ワールドの味わいを堪能することは出来たようにも思える。

 主人公は橋本梧郎先生である。「メイシネマ祭」のチラシの作品紹介から引用すれば、「ブラジル移民植物学者、橋本梧郎94才。彼の人生総決算の旅は幻の滝を捜し求めること。目的地はまだまだ途中下車。珍道中記はつづく」というような話で、主人公である橋本梧郎先生は94才の植物学者なのであった。

 当日の配布資料を読むと、岡村監督と橋本梧郎先生の交流の長さが伝わると同時に、橋本先生がいかに並はずれた人物かもわかるはずだ。

 1996年製作のテレビ番組が最初(の両者の出会い)だったらしいが、「83歳、現役バリバリだった橋本梧郎先生の日常とライフヒストリーを紹介」に加えて、岡村監督も実際の調査行(橋本先生は文字通り「現役バリバリ」の「植物学者」なのである)に同行し撮影している。

 次の作品が2001年の『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』で、「88歳の誕生日を迎えた橋本先生は、弟子の調達した日本の財団の資金で、青年時代からの夢であったパタゴニアの踏査に向かうことになった。南米大陸の南に位置するパタゴニアをチリからアルゼンチンへと横断しながら、ヨーロッパ人が地上最悪の土地と称した過酷な大地を、植物学者のミクロとマクロの視点でとらえていく」という展開となるらしい。88歳という年齢とパタゴニアでのフィールド調査(しかも踏査!である)の組み合わせなのだ。

 その次が2005年の『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』で、「90代に突入した橋本先生の最後の願いは、ブラジルとベネズエラにまたがるテーブルマウンテンを訪ねることだった」という展開である。

 で、前作の『南回帰行 橋本梧郎と水底の滝・第一部』(2011)となる。「ギアナ高地の旅から戻った橋本先生は、古木が枯れていくように心身が衰えていった。そんななか、橋本先生は岡本に折り入っての頼みを切り出した。先生は、巨大ダム建設により水底となった滝へ岡村の運転で連れて行ってもらいたい、と言う」と話は続き、今回の「第二部」なのである。

 これが、主人公の橋本先生なのだ。

 で、「第二部」は94歳になった橋本先生と、運転手にして撮影者(実際に左手でハンドル握りながら右手にカメラ、だったりするのだ)である岡村監督、橋本先生の奥さん、先生の助手役を務める女性といったメンバーによるロングドライブ(と自宅での日常)の記録となっている。

 「植物学者」に限らず、およそ「研究者」として生きようとする人間の終わりなき知的情熱は、「世間の常識」(「常識」の名の下に、人々の多くは「世間」なるものに拘束されて生きようとするのである―しかも、それを自ら求めて)とは別の世界を形成してしまうものだが、橋本先生もまさにそのお一人である。しかも(誰からも文句を言われようのないくらいに)高齢かつ現役なのだ!

 岡村淳監督の手持ちカメラにより撮影されているのは、そのような人物の知的情熱の実際と、日常の姿、なのである(それが実に魅力的なのだ)。

 一方、カメラの手前にいるのは、運転手として橋本先生に引きずり回される岡村監督であると同時に、ドキュメンタリー映画監督として橋本先生にいろいろとけしかけている(ようにさえ見える)岡村淳氏の姿である。

 ドキュメンタリー映画監督もまた「世間の常識」の外部に生きる種類の人間(「常識」は、決して人にドキュメンタリー作品を撮れとは命令しない)だと思われるが、この作品では、「研究者」と「監督」という組み合わせがどこか浮世離れした現実を形成し、しかしその日々があくまでもドキュメンタリー作品として、つまり視覚的現実として記録されているのであった。

 今回の「メイシネマ祭」の会場には、実際に手持ちカメラで周囲を撮影し続ける岡村監督がいた。来場者を含む会場内の光景を撮影していたのだ。

 上映後のトークの中で、撮影のいきさつが語られた。「メイシネマ祭」は(そのように銘打つ前の上映会開催を含めれば)今年で25年目なのである。その記念すべき年に、岡村監督は、「メイシネマ祭」とその背後に控える主催者である藤崎和喜氏をターゲットに撮影を開始した、ということらしい。「世間の常識の外部」で撮影を続けるドキュメンタリー映画監督が作り上げた作品を(誰に頼まれたわけでもないのに)集めて上映するという藤崎氏の行為もまた、「世間の常識の外部」のもの以外の何物でもない(と誰しも思うだろう―そもそも藤崎氏の生業は、映画界とはまったく関係ないのだ)。

 この「新作」では、「ドキュメンタリー映画上映会主催者」と「ドキュメンタリー映画監督」という組み合わせが醸し出す「浮世離れした現実」が記録されているに違いない。

 そんな期待を抱かされつつ、今年の「メイシネマ祭」の会場を後にしたのであった(観たい作品を残して)。

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/05/06 20:42 → 
https://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-cc94.html?fbclid=IwAR2USpTHpaqrb1JcVkF8g9QM_kw64Mc-SUjzY8P6lxHUB74UyHGorBdZgrM


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