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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2005年の日記  (最終更新日 : 2006/01/01)
3月の日記・総集編  It’s All True

3月の日記・総集編  It's All True (2005/04/01) 3/1記 残暑対策

サンパウロにて
在サンパウロの日本人の友人に、所用で電話をすると「暑いっすねー」の挨拶。
確かに蒸し暑い。
サマータイムが終わってから、ようやく蒸し暑くなってきた感じ。
先週末の豪雨なども、盛夏の現象。
朝、子どもたちを送りに行く時の空の雲も祖国の、思い出の夏。
困ったことは、ゴハンの傷み足が早いこと。
我が家が、特殊なご飯を炊いているせいかもしれない。
要・研究と対策。


3/2記 大島経由新宿戻り

サンパウロにて
あの「アマゾンの読経」の佐々木美智子さんが、新たに古巣のゴールデン街で自分のお店を開けているとのこと。
お店の名前は「チキート」。
佐々木さん特製のアマゾンの秘薬入りグアラナ酒、コーヒー酒の他、15種類もの薬草酒がウリ。
新宿ゴールデン街の「招き通り」にあり。
お店の電話は佐々木さんの携帯宛で、090-8171-9572。
オカムラのサイトを見てきた、というとドリンク1杯サービス、という話になっております。
次回訪日が待ち遠しい。
ちきーとのぞいてみてくださいませ。


3/3記 ブラジルの買い物

サンパウロにて
夕方、子どもたちを迎えに行く際に、革靴を履いていく。
昨年の訪日の際、これまでの靴のくたびれが、かなりのものだったので思い切って買ったもの。
カーキ色の靴。
購入にあたって、この色の靴クリームはあるのかと店員に聞いたところ、今、ちょうど切らしているが、どの靴屋にもあるとのことだった。
さて、我が家の近くの商店街、買った店も含めて10軒ばかりの靴屋を回る。
そもそも靴クリームを置いているのは3軒に1軒くらい。
しかも黒ばかり、茶色を置いているのは1軒のみ、しかも僕の靴の色とはだいぶ遠い色。
今後は靴クリームを買ってから靴を買おう。


3/4記 イルカとオルカ

サンパウロにて
星野智幸さんに運営していただいているサイト「ブラジルの落書き」で新たに『あの人は、イルカ』( http://www.hoshinot.jp/okamura/iruka2.html )をアップしてもらった。
拙稿への星野さんご自身のコメントもあるぞ( http://www.hoshinot.jp/diary.html  2005年2月26日の日記)。
この文章、拙作「アマゾンの読経」の出現をあたかも予見したような星野さんの「ブラジルの毒身」(講談社刊「毒身温泉」収録)にクレジットまで入れていただいている。
ちょうどメインの仕事の合間に雑誌BUMBA連載中の「ドキュメンタリー屋さんのブラジル曼荼羅」の新稿を何とか書き上げ、編集部に送ったところ。
何かと評判のよろしい、ブラジルに押し寄せるヘンな人シリーズで、題して
「センセーたちとのセンセーショナルな日々」。
オンラインアップは未定。
どうぞBUMBAの購読を。
購読のお問い合わせはブンバ編集部( bumba@nethall.com.br )へ!


3/5記 おめでたいブラジル像

サンパウロにて
本日・明日と日本ブラジル交流協会の研修留学生帰国前合宿の研修発表会のコメンテーターをおおせつかる。
生身の若者と一期一会の関わりをするわけで、手は抜けない。
今年で5年目になるが、緊張と武者震いは変わらず。
さて夜の謝恩界にて。
ブラジル日系人界の代表とされる人物が、彼らの歓迎会同様、挨拶。
歓迎会同様、ブラジルは人種や宗教による戦争のない平和を誇る国、と繰り返す。
歓迎会の頃。
僕が直前に「観光」に行ったリオのスラムでは警察と地元組織の抗争で30人近い死者が出ていた。
同時期、アマゾン地方の刑務所で暴動があり、服役者が同じ服役者を数十名虐殺するという事件もあった。
やはりアマゾンの先住民が、保護区内に侵入してくるガリンペイロ(山師)20人近くを殺害するという事件もあった。
世事に疎い僕でもこれぐらい覚えている。
昨今といえば、ご紹介したアマゾンのアメリカ人修道女暗殺。
これについては大統領の厳命により(ちなみにブラジルの大統領)、軍隊まで導入して容疑者探しが行なわれた。
一方彼女に前後して殺害された農村指導者殺害の数々は、捜査も進展していない模様。
この地方ではいまだに奴隷制が行なわれていることに心を痛めているが、そのことは今回の事件がらみでもさして取り上げられた様子は管見には触れず。
ブラジル中西部の先住民の間では、乳幼児の餓死が相次ぐ。
テレビをほとんど見ない僕でもこれぐらいのニュースは知っている。
それにこちらで生活をしていれば、いやでも身近の社会不正、不条理な犯罪被害を直接・間接に知るはずである。
先述の日系社会の代表に百歩譲ってブラジルに人種・宗教の問題がないとすると、人類は人種と宗教の問題を解消してもなお殺し合い、強者が弱者を抑圧して搾取し続ける存在だということを僕ならブラジルから学ぶだろう。
痛みに無自覚なおめでたい発言は慎もう。


3/6記 若者の言葉

サンパウロにて
昨日に引き続き、日本ブラジル交流協会の若者たちの研修発表を聞いて、一人一人にコメント。
まだ3分の2が残っている。
一人一人にこちらも全力を尽くす。
日本の若者たちが1年間、ブラジルにぶつかったうえで紡ぎ出す言葉は尊い。
今回、最も印象に残った言葉。
ブラジル南部の日系人の珍しい町で研修した女子研修生の言。
「自分のなかに、いろいろなチャンスがあると実感した」
彼女が現地から持ってきてくれたリンゴ、おろそかにはかじれない。


3/7記 一面の顔

サンパウロにて
朝、ピックアップしたポルトガル語のサンパウロ発行の大手新聞の2紙ともに、一面にローマ法王のカラー写真。
ここのところ、彼の容態をめぐって当地のメディアでの彼の登場度が高い。
さすが世界最大のカトリック信徒数を抱える国。
やれまた入院した、顔を出したといった内容。
祖国のあの頃を思い出す。
昭和天皇の本日の下血何ccなどと連日、メディアのトップで報道されていた頃。
そして歌舞音曲の自粛。
当地でカトリックの修道者との付き合いが多いが、いずれも視点が小さい方に向いているので、上の方はあまり関係なし。


3/8記 敵を欺くには

サンパウロにて
別にお金をいただいているわけでもないにしても、オカムラゴトキのサイトにアクセスして手間隙を割いていただき、感謝、感謝。
そんな皆さんのご好意に応えるべく、もっとサービスして書きたいところ。
ところが、オカムラつぶしを謀る敵がいる。
日本国家権力と癒着する大資本の走狗など。
名誉なことである。
敵を欺くには、まず味方から…
連中にこちらの動向を悟られないように、かつシンパの皆さんに動向をお伝えする。
IT時代のサイトの処方。
よろしく!


3/9記 キンキンに

サンパウロ→
昨日、午後から所用で外に出てみると、大通りの温度計は34度。
アパート内では暑気を感じなかったが。
今日の外は昨日より暑く、屋内でも暑い。
デスクワークの間違いもいつも以上に。
夜、再び夜行バスに身をゆだねる。
車中の冷え冷えのこと!
ビールで言えばちょっと冷やしすぎ、少し凍りかかったようなヤツ。
長袖シャツの袖を伸ばしても、なお震える。
体調を壊してミッションに差し障っては、元も子もない。
カメラバッグに常時入れてある防水・防寒具を引っ張り出して羽織る。
「すばらしい世界旅行」時代の最初の取材、フィリピン詣での頃を思い出す。
夜行長距離バスの乗客は強烈冷房の防寒用の毛布やカーディガンを持参していた。
熱帯・亜熱帯の文明の狂気。
涼しき熱帯。


3/10記 現場の教え

→パラナ
この作品、どんな作品にしたいのか、どんな作品になるのか、なかなか計算できないでいた。
しかしこうして現場を繰り返して這いずり回っていると、それが少しずつ自ずと浮かび上がってくるのがよくわかる。
ある意味では、リスクの大きい内容である。
これまで以上に作品の見せ方に気をつけよう。
さあ、別件とのスケジュール調整もあるぞ。
カネは勝手についてくるだろう…といいね。


3/11記 サウナ効果

パラナ→
イヤハヤ暑い。
昨晩は酷暑と蚊の襲撃で眠れず。
今朝は午前4時40分修道院発、星空のもと、十字架の道行き。
6時頃、いったん修道院に戻ると、昨日の余熱がまだ建物の中にたまっているのがわかる。
日中はずっと撮影スタンバイで暑さもさして感じず。
そして夜。
無風。
じっとしているだけで発汗。
読書、書き物などの知的作業をする気になれず。
ほんと、サウナ並み。
日本のサウナ内、時々ご法度の読み物を入ってくるやつがいる。
とはいってもせいぜいスポーツ新聞どまり、岩波文庫を持ってくるのはあまりいないだろう。
何度となくシャワーを浴びたくなるが、地域では水不足から断水・節水が始まるとのこと。
皆さん、ご苦労さまです。


3/12記 ブラジルの水墨画

→サンパウロ
まあ週末の長距離バス内の騒がしかったこと。
未明は妙にすがすがしい濁都サンパウロに戻る。
地下鉄セー駅でメトロの乗り換えの時。
日系風の中年が話しかけてくる。
以下、全部、彼氏の発言。
「あんた、ニホンジンね?」
「ボク、メジコ(医者)ね。」
「ボクのオトーちゃん、モヘウ(死んだ)ね。」
「だから、5コントちょうだい。」
ちょっとついていけないロジック。
こちとら寝不足続きで気の利いたせりふも出ない。
ポル語で「むずかしいね。」とだけ言ってお引取り願う。
今の仕事の出銭だけで精一杯。
これ以上、俺にたからないでくれ。


3/13記 家族の足並み

サンパウロにて
こちらでも日本人との付き合いが多い。
3月は行く人、来る人、いろいろあり。
今日は知人の大送別会というのに誘われていた。
サンパウロ郊外の農家で、と言うことで、地図までファックスで送ってもらっていた。
家族で参加するつもりだったが…
娘が済ませてあるはずだった宿題をいくつもやっていないことが発覚。
妻は夫のドサ廻り中の子どもの送り迎え、家事と仕事をひとりできりもりして、グロッキー気味なのがよくわかる。
そうこうしているうちに時間は経つ。
当方、先週末も不在、来週末も所用あり。
ブラジルを去る知人には申し訳ないが、今日は家族と一緒にいることにする。
知人に事情説明とお詫びのメールを送る。
すると夜になって、同じ人間の送別会を明晩も開くので、ぜひ、というお招き。
イヤハヤ送られる側の肝臓も大変である。


3/14記 ユングと観音

サンパウロにて
ビデオ「アマゾンの読経」によって封印を解いた故・藤川辰雄さんの歩み。
藤川さんの業績をいかにブラジル日系社会の権威・名誉志向者どもがゆがめてきていることか。
そのお粗末さについては拙作上映の折にでも披露するつもり。
さて妙な縁で、こうしたデタラメな「公史」の修正のため、ガラにもなくささやかなお手伝いをするかもしれない。
カール・グスタフ・ユングの唱えた共時性というやつだろうか。
そういえば彼の「人間と象徴」に初代ゴジラの写真があったのを記憶する。
ユングを介して再びゴジラと富士見観音がリンクする。


3/15記 ブラジルのBURAKUMINS

サンパウロにて
昨年からの課題だった上記タイトルの原稿、もう一度資料に目を通していったん書き上げてみる。
テーマがテーマナだけに、慎重に。
さあ、どうなるか。
先回、日本で買ってきた「被差別部落の青春」(角岡伸彦著・講談社文庫)も参考にさせていただくが、心に深く残る意欲的ないいルポだった。
日本からブラジルに来る若者たちにも紹介させていただこう。


3/16記 障害物上映会

サンパウロにて
本サイトの「トップページ」ならびに「上映会のお知らせ」のページでお知らせ中の今度の日曜日の拙作上映会に、思わぬ横槍が入る。
僕が主催しているわけではないのだが、最悪のケースに備えた対処策を検討しよう。
先週の日記にオカムラの敵について軽く書いたが、テキも軽く動き出したか?
成行きによっては今回の経緯をこのサイトで公表して差し上げませう。
ワクワクするじゃん。


3/17記 古雑誌の教え

サンパウロにて
日系社会の顔役からさる件で依頼を要請されたが、どうも何重にも腑に落ちない。
だが、忠ならんとすれば考ならず。
思案しながら、子どもの件で外出。
今日は待機時間があるので、日本から以前もって来た雑誌をかばんに放り込んだ。
「ダカーポ」2001年10/17号。
メトロで巻頭の魚住昭氏「メディア時評」17をひもとく。
「どこの国にもごくわずかだが本当の知性と勇気を持った人がいるものだ。」
まずこの序文にしびれる。
そしてアメリカで起きた同時多発テロ事件でブッシュ大統領の武力行使を認める決議にただひとり反対したバーバラ・リー議員について。
さらに1940年、日中戦争のさなか、日米開戦の前年に議会で反軍演説をして議員を除名された斎藤隆夫について。
よし、不器用と反骨を貫こう。
無告の民の側に立ち、返り血を浴びる覚悟をする。
こちとら極めて些細なことだが、あこがれる人々の真似事ぐらいならできそうな気がする。


3/18記 イースターと観音

サンパウロにて
伊豆大島とイースター島、そして富士見観音像がモアイ像と姉妹関係を結んだというのは、2週間早いエイプリル・フール。
イースター(パスコア)の1週間前に「アマゾンの読経」第3部を見て、イエスの受難と復活との共通点を思う。
今日はパウリスタ地区にお住まいの知人がご自宅で「アマゾンの読経」全巻の上映会を開いてくださった。
30人以上の出席!
食事からお茶菓子までご準備いただき、恐縮・感謝。
また岡村の製作資金にとカンパを寄せてくださった方々に、まずはこの場で御礼申し上げます。
そして不思議な出会いの数々。
今後、どのように拙作を上映していくかのすばらしいモデルケースとなった。

3/19記 鍋奉行

サンパウロにて
娘がすき焼きを食べたい、といい、じゃあ土曜の夜にしよう、ということになっていた。
昨日の上映会の心地よい余韻に浸ってデレデレしているうちに、妻が材料を用意してくれた。
さあ行くか、という段になって気づいたのは、電気鍋の温度調節部品が壊れていること。
コンセントの抜き差しで対応するが、イマイチであった。
家人はおいしい、おいしい、食べ過ぎた、と食べてくれたが、さあ今後はどうしよう。
すき焼きですぐに思い出すのが、我が壮大なるトラウマ・牛山純一大師匠。
番組制作の激務の合間、牛山邸ですき焼きとなると、小間使いとして泊り込みで準備からご相伴にまで預かったものだ。
早稲田の雄弁会から日本テレビ草創期の政治記者を勤めたという牛山さんには政界の知人・友人が多かった。
「田中角栄んとこのすき焼きは佃煮みたいな味だぞ」。
牛山奉行のすき焼きもそれに近かった。
そして翌日は早朝から「おい、オカムラ、朝からすき焼き食わしてやるぞ!」。
誰か牛山のことをきちんと書いてくれないかねえ。
そういえば日本のドキュメンタリー映画の有名な監督が牛山さんについてのドキュメンタリーを作る、ということでちょうど3年ほど前に日本で取材に応じてインタビューを撮影されたが、その後、音信がない。
人のご紹介などもさせていただいたがその後、どうなったんだろうねえ。


3/20記 見るべき人々

サンパウロにて
ブラジル日本語センターにて、JICA-OB会という日本に研修に行った日本語教師の方々の会の主催により、拙作「アマゾンの読経」第一部の上映会。
約70人の参加、成功の部類といえよう。
ずばり当事者である移民のお年寄りの方々が多く足を運んでくださる。
僕はプロジェクターの前で映像と音声の調整を行なうが、機械も落ち着き、会場の後ろに控えることにした。
遅れてくる方々の応対と門の開け閉め。
お手洗いのご案内。
ひとりのご老人をお手洗いにご案内した時のこと。
「こんなに貴重なものを見せていただいているのに、年寄りなもので手洗いが近くて申し訳ありません」。
その方は何度もわびられ、こちらの方が恐縮する。
なかには場をわきまえない「おれがおれが」の行動に出る人も。
移民もいろいろいる。
岡村作品に登場する方々は、理想的な人間のあり方の追求から僕がフィルターにかけている。
ゆえに上記の前者のような移民は登場しても、後者のようなのは極力、排除している。
自分のあるべき位置を再確認するいい上映会だった。


3/21記 喫茶養生記

サンパウロにて
さあ日常の再開。
今日は何茶で行くか。
冷蔵庫の冷や飯を食べる都合から、しょうがなく緑茶に。
緑茶は気が進まない。
日本からいただいてくる緑茶だが、近年はアジノモトくさいのが多いのだ。
実際に日本でお茶の葉に化学調味料を加えるものもあると聞いている。
何のメリットがあってこんなことをするのだろう。
ナニの方の味ばかり引き立って不味くてたまらない。
かといってわざわざ日本でいただき、担いできたお茶。
これ、お味がちょっと変だから、あのブラジルの人にでもあげちゃおうか、向こうならこんなのでもありがたがるだろう、なんてこと?
おいおい、ブラジルは結構な茶どころ、もちろんアジノモトなんか入ってないし、紅茶にいたっては日本のファンもうならせる秘品もある。
さて捨てるのももったいない緑茶、抹茶にしたりほうじ茶にしたりしてみたが、化学調味料くささは抜けず。
何か他に手はないかねえ。
学生時代、山口の山村でご厄介になったお宅の庭から摘んだというお茶の濃厚な味が忘れられない。
照葉樹林文化が味覚から広がる思いがした。


3/22記 局員指導

サンパウロにて
3ヶ月以上前にアマゾンの方にお送りした拙作ビデオがまだ届いていないとのこと。
想定できる事態なので、書留小包で送っていた。
その便を送った局が最寄の局ではなかったので、その方面の用事と抱き合わせて件の局に出頭。
結局、局では埒が明かず、家に帰ってからインターネットでクレーム。
さて局の窓口で、すでに切手の貼ってある国内郵便を局員に渡す。
クリアンサス・エスペランサス(希望の子供たち)というプロジェクトに1枚ごとに10センタボの寄付金付きの、国内便基本料金込みの記念切手。
ところが窓口の女はこれは10センタボの切手だから差額を払えと言う。
この切手で何回もポストで投函しているので一瞬ギョッとするが、おいおい、切手をよく見てくれよ、と説得。
ようやく納得したねーちゃんに、ひとつ勉強したね?とかましておく。
こちらの郵便局、何が起こるかわからず、いつもワクワクである。


3/23記 デマカセのタネ

サンパウロにて
世にデマカセのタネは尽きまじ。
学生時代に縄文文化だ人類学だと言ってた頃、友人とこんなことをうそぶいていたもので、実際に怪しげなものもいくつか書いてしまったものだ。
さて拙日記、1日1テーマにしているため、日々相当数のデマカセは浮かぶのだが、ひとつに絞り込んでいる。
昨日もオカムラサンの日記に…とお持込みのネタまであったが、前後とのバランスも考え、遺憾ながら割愛させていただいた。
ところが珍しく、今日はこれといった人目を引くべきことがない。
同じようなことじゃ芸もないし。
苦しまぎれに関連サイトをあちこち開けてみると、編集部からは連絡がなかったが、ちょいとした拙文がアップしていた。
タイトルは時節柄もよろしく「オカムラ作品は洋上で!」。
(  http://www.univer.net/1_nanbei/0503.html  )。
アクセスあれ。


3/24記 町中行軍

サンパウロにて
パスコア(イースター)に伴い、今日から子供たちの学校は休み。
妻は今日もお勤め。
小生が、子供たちが見たがっているアメリカのアニメ映画「ROBOTS」に子供たちを連れて行くことになった。
さて妻から地下鉄の特別パスを渡してもらうのを忘れてしまった。
シネコンのあるショッピングモールまでメトロで二駅。
子供たちもすでに、うちにお金の余裕がないことはわかっている。
片道だけでも歩いていくなら連れて行く、と言うと、二人ともそれでも行きたいと言う。
歩けオロジストの父の気合いが入る。
なにせこの町の歩行者には危険が多い。
いつまた地下鉄等のストがあるかもわからないので、こうした日常時に子供たちを歩かせておく要あり。
気合いが入りすぎたせいか、大日本帝国陸軍の八甲田山雪中行軍を思い出す。
森谷司郎監督の映画バージョン、なぜかソフトを見たことがない。
高倉健扮する隊長が、秋吉久美子扮する雪ん子怪獣ウーの世界のような山の娘に、「案内人殿に敬礼!」とするシーン、新田次郎の原作にはなかったと思うが、秀逸だった。
皇軍もあの路線で行ったら、アジアの人々にそれほどうらまれなくても済んだろうにねえ。
…子供らのフットワークもよく、思ったより早く着く。
エスカレーターで息子の足元を見ると、なんとサンダルだったぞ。
次回はカンジキでいくか。


3/25記 パッションフルーツ

サンパウロにて
今日は聖金曜日の休日、イエス受難の日。
月イチのエッセイのネタにパスコア(イースター)を、ということになるが、写真がいる。
大卵形のチョコレートに子供、といった絵面ばかりでは芸がない。
妻が近くのカトリック教会いくつかの行事表をゲットしてくる。
夕方より教会の祭壇での劇、その後、死したイエス像の行列。
これに参加。
これは感動ものだった。
この国の9割を占める人々の信仰のコアがここにあることを体感。
さあエッセイにどう料理するか。


3/26記 養生斎

サンパウロにて
今日は聖土曜日。
ブラジル人の大半は、少なくとも昨日の聖金曜日は四つ足の肉を食べない。
明日の復活祭までの四旬節の間は、好きなビールやチョコレートなどを絶つという人も少なくない。
まあせっかくだから今日も肉を止めて、昼は近くの台湾人経営のヴェジタリアン・レストランに一家で行くことに。
我が息子は野菜をまるで食べないが、大騒ぎはされずに済んだ。
この店、なかなかよろしい。
太巻き寿司(ココナッツミルクまぶしの裏巻きもあり!)、「生」春巻きに始まって20種近い料理にドリンク、各種デザートつきで、食べ放題、土曜料金で10コント(約400円)。
営業は月~土の昼間のみ。
場所はメトロのサウデとプラサ・ダ・アルヴォレ駅のちょうど中間ぐらい、AV.JABAQUARA 1126、電話は 5587-3785。
外国からの友人にもいたく喜ばれた。
問題は、肉無しとはいえ、つい食べ過ぎること。
今日のタイトルがお店の漢字名、ポル語でCAMPO VERDE。
謝謝再見!


3/27記 復活の朝

サンパウロにて
今日は復活祭。
一昨日に参加したイエス受難の行列をした教会で、イエス復活の行列があるという。
どんなのか、行きがかり上、気になる。
教会を朝6時発とのこと。
まだ暗い時間。
おとといは付近にちょっとヤバい連中もいた。
貴重品は置いて、強盗に遭った時に「失礼に」ならない程度の金額を持って暗い家を出る。
さて行列そのものの人の出は受難の時の数分の一。
正直なところ予定調和的とでもいうのか、あの受難の行列の感動からは遠い感じ。
この宗教のクライマックスは、教祖受難にあるのかと思う。


3/28記 伯国郵便事情

サンパウロにて
先週22日にブラジルの郵便局にパソコンでクレームしたアマゾンへの小包未着の件について。
クレームの受付は投函から90日以内、そして郵便局の調査報告は15日間程度所要とのことだった。
すでに投函から3ヶ月以上経過しており、それでチョン、だろうと想定していた。
すると本日、メールで報告があり、件の小包はマナウス某局にて保管中とのこと。
ブラジル郵便局、なかなかやってくれる。
数年前のことを思い出す。
ひょんなことから日本で深刻な公害病問題に取り組む大学の先生と知り合った。
彼が在ブラジルの知人に送った書籍が未着なのだが、ブラジルの郵便事情によるものだろうか?という問い合わせがあった。
日本側を疑わずに、まず他所様の国を疑うとは。
すぐにキレて、「センセイの第三世界に対する差別意識がよくうかがえます」と返信して、そのままその人とは疎遠になった。
後にその先生から日本の出版社の手違いで送っていなかった、との連絡あり。
経験からすると、クレームへの対応は日本の郵便局の方が不誠実。
民営化とかになると、どうなるんだろうね。


3/29記 トップ降板

サンパウロにて
これまでの拙サイトのトップページの写真がイマイチ辛気臭い。
知人のサイトがこの写真を転用して「岡村さんご自慢の写真」などと解説まで入れており、イヤミがきついなと傷ついていた。
実は今年になって諸般の事情でスキャナー兼プリンターを購入した。
しかし写真送りは1度だけOKで、その後、不能となってしまった。
どうやらアンチウイルスソフトのせいと見たが、いろいろいじってみてもNG続き。
かといってエンジニアを呼ぶと、当地では我が家以外でもパソコンを破壊された例がひんぱんにあり。
というわけでなかなか「ご自慢の写真」を差し替えできなかった。
アンチウイルスソフトのアップデートの度に写真送りを試みていたが、今日、ついにオッケーとなる。
さっそく世話人の櫻田さんに写真を2葉ほど伝送。
これも特に自慢の写真というわけではないが、バカバカしさ優先ということで。
というわけでトップページ他の写真が時々変わります。
いきなり日記ページのアナタ、時々トップも冷やかしてね!


3/30記 選択の夜

サンパウロにて
ここに来て、ちとバタバタ。
2ヶ月かかったデスクワークの仕上げ作業。
午後から「移民の殿堂」リベルダージの文協ビルで、二つの団体と打ち合わせ、会議。
今日からサンパウロ国際ドキュメンタリー祭が始まる。
夜の部一本は見るつもりだったが、会議の後の席が抜けがたく、断念。
家族の件、そして来週はドサ周りもあるので、今年もあまり他人様のドキュメンタリーは見れそうもない。
イヤハヤ。


3/31記 It's All True

サンパウロにて
ポ語タイトルは「É Tudo Verdade」。
ブラジル国際ドキュメンタリー映画祭のこと。
午前中はパソコンとプリンターとの格闘、午後は子供の件。
夕方より、娘も使わなくなって久しいキティちゃんのミニ水筒に麦茶を入れて凍らせ、出陣!
3本見れたぞ。
まあ世界が開かれたというか、ドキュメンタリーというのはホントに多様というか。
俺は俺のドキュメンタリーを作ればいい、と再確認。
カナダの「Maron」という作品は実に衝撃的だった。
難病に苦しむカナダの女性が、医師立会いの安楽自殺を認めるスイスに向かう。
彼女は自分の最後をドキュメンタリー作家に記録してくれるよう頼むのだ。
「何かの役に立つかもしれないから。」
僕だったらどうするか。
そしてもし「アマゾンの読経」の主人公、アマゾンで失踪した藤川真弘師に彼の最後の巡礼の旅を記録してくれと頼まれていたら、どうしただろうか。
さてこの「Maron」、4月2日13:00よりアウグスタ通り2075番地のCINESESCで再上映される。
タダだよタダ!


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