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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2005年の日記  (最終更新日 : 2006/01/01)
5月の日記・総集編 永劫未来

5月の日記・総集編 永劫未来 (2005/06/01) 5/1記 ホメオパチる

サンパウロにて
締切りの迫った妻の日本語原稿に形をつけることに。
構成、読める日本語にすること、字数に近づけることあたりが夫の作業。
今回はホメオパシーについて。
日本の一部でこれが知られるようになったのは近年のこと。
同種療法、類似療法などと訳されている。
ある程度まともに理解している人はさらに少ないだろう。
あらかじめ日本語とポル語のサイトで下調べをしておくが、なかなか奥が深し。
そして改めてこの国はヨーロッパに近いことを学ぶ。
さあ、後はどうオチをつけるか、それと写真。


5/2記 GW余話

サンパウロにて
例年、ゴールデンウイークを利用して日本からブラジルにやってくる知人と飲み、食べ、語る。
ブラジルに移住してから、イマイチ祖国のゴールデンウイークが実感できなくなった。
思い起こせば、その前のテレビ番組制作会社時代も然り。
当時の会社は土曜日も休みではなかった。
番組編集作業中は土日祭日関係なし。
それ以外の時でも、日曜祭日に休もうもんなら上司に怒られたものだ。
休みの日のがらんとした会社に出社。
休みでもかかってくる電話のアテンド。
諸先輩スタッフとオツな関係にあるとみられるご婦人方からの電話が多かった。
夕方頃、自宅の牛山純一御大から電話。
「今、誰が来てる?」
出社中の上司を見逃して報告漏れなどしようもんなら、後で当人から激しくどやされることになる。
「オカムラ、今から家に来い。」
なんて御大の指示が下ることもしばしば。
ゴールデンウイークどこじゃない…


5/3記 衣替え

サンパウロにて
衣替え
サンパウロの皆さん、お寒うございます。
当地は連日、今年の最低気温を更新中。
昨日は朝、子供たちの送りの時に今年初めてベストを着用。
今日は日中の家内作業の時に、腰にタオルケットを用意。
アマゾンにひと汗かきにでも行きたいところ。


5/4記 スプーン一杯の幸せ

サンパウロにて
ビロウな話になります。
食事中の方はご遠慮ください。
メシ食いながらオカムラのサイト見てる人もあまりいないかもね。
朝、トイレに入っていて「あ!」と驚く。
月のものが始まったわけではない。
(ちょうど、生理についての原稿書いてたもんで)
昨日は断食をした。
もう30時間余り物を食べていないことになる。
それなのにお通じがあるということは、これは宿便。
「つまり」ヒトの腸にはいかにこういうものがつまっているかということ。
それを出すのが、断食の効果のひとつ。
通常の人で、便器山盛り一杯分ぐらいがたまっているらしい。
そんなもん、ためて歩いているより、出しちゃった方がすっきりするだろうね。
少しばかりスッキリ。
ここで、今日の題名とした書名を思い出した。
また断食、しよう。


5/5記 傾向と対策アゴーラ

サンパウロにて
朝、拙サイトのヒット数をチェックして、「!」。
「西暦2004年の日記」のページのヒット数が異常に高い。
同様に、過去の日記のヒット数が異常に高い時があった。
昨年の大晦日。
思えば日本は大型連休の中締め、翌6日は一応勤務という人も多いことだろう。
なにか大晦日と通じるものあり。
人生の中締めにオカムラの過去の日記か。
なんだか照れるじゃないの。
本人も過去をチェックして更新しなくちゃ。


5/6記 ドキュメンタリー屋余話

サンパウロにて
日本の友人からの連絡で、僕のドキュメンタリー作品のテーマに関して、大変な事態が発生していることに知る。
さっそく関係者に国際電話をかけまくり、メールを打ちまくる。
電話の方は時差もあるので、こちらの夜までそんなことに追われる。
とりあえず、できることはしないと。
ドキュメンタリーにとってエンドマークとは何か?
ある日本の先輩が僕にくれた命題だ。
僕がフリーになってから、牛山純一御大にこの疑問をぶつけたことがある。
「俺は作品を作る時に、もうヘロヘロになるまで自分を追い込んで打ち込んでいる。それだけやったんだから、あとはもう知らない、もう勘弁してくれよ、と思う」。
こんなような回答をいただいた。
15年ぐらい前、断りきれない人の頼みで、日本のルポライターのアマゾン取材にお付き合いをしたことがある。
日本のノンフィクション関係の有名な賞をとったことを何度か自慢する人だった。
彼にもこの質問をしてみた。
彼はこういう質問をすること事態をせせら笑った。
「作品が終わったら、頭をすべて切り替えてまったく別のテーマに向かうのがプロというもの」。
それがなんとかノンフィクション賞にとってのプロなら、僕はプロでなくてもいい。
どうせ食えてないし。
この命題に、自分の生活のなかで、そして人生を通して答えを見つけていきたい。


5/7記 シロートビデオ

サンパウロにて
ひたすら体内のアセトアルデヒドの分解を待ちつつ。
今日は息子の学校で母の日の集い。
オヤジは特に出る幕でもないが、運転手兼撮影技師として同行。
モンテソーリ教育を行なう少人数制の学校。
うちを除いて親の知的・経済的レベルは中の上といったところ。
親の撮影機材がほとんどデジカメになっているのに驚いた。
一眼レフも二人いた。
ブラジルでデジカメ付きケータイ電話で撮影する人を初めて間近に見た。
ビデオは小生の他、若干3人ぐらい。
このビデオの減り具合も驚きというか、感無量というか。
シロートが撮ったビデオじゃ、我が子が写っていてもかったるいしめんどくさいから、あまり再生されることもないんだろうねえ。
デジカメの次は、何が来るんだろう。


5/8記 焼きセボリャ

サンパウロにて
母の日シリーズ2日目。
今日は家内の実家でご指名に預かり、またシュラスコ大会。
先回は近所の庶民の肉屋で購入した。
今回、ちょっとハイソなスーパーで、先回より高い単価で肉を買うが、先回の方がうまかった。
塩加減は今回の方が腕が上がる。
今回はイワシも焼いてみた。
まだまだ奥が深い。
次回の構想を練る。
今日は、妻がサンパウロの田舎出身の患者さんに聞いたという焼きセボリャ(タマネギ)を試みた。
皮をむいたタマネギを、丸ごとアルミホイルに包んで焼くというもの。
最初は網の上で焼いていたが、時間がかかるというし、場所も食う。
妻が炭火の中に突っ込んでみた。
シュラスコ用の「剣」がニョロリと入るまで焼く。
これがなかなかよろしかった。
醤油をかけていただく。
サンパウロ奥地の知恵に、東アジアの英知が注がれる。
日伯友好、日伯融合、うましうまし。


5/9記 紙なくてかかる

サンパウロにて
ちょっと責任のある原稿の締切り迫る。
昨晩までに資料をチェック。
午前中、一気にパソコンで叩き上げる。
ちょっぴり神がかったかな?
思えば、撮影現場や編集中に神がかりっぽくなることは、なくもないが、そうはない。
どうも原稿作成の時の方が来ちゃうみたい。
ほんの数年前まで、ひたすら手書きの原稿だった。
僕の場合は手書きよりキーボードをてれてれと叩く方が、かかりやすいみたい。
そろそろサイト上で制作発表しようと思ってる作品の、撮影済みのあるシーンを思い出す。
僕の考古学時代の先輩が、マニラのホテルに缶詰となり、紫煙に埋もれながらノートパソコンで論文を作成するシーン。
あれは相当、来てたゾ。
それはともかく、今回、写真を手配してくれたあなたに、この場も借りて感謝!!


5/10記 開かずのファイル

サンパウロにて
未明に覚醒してしまい、PCを立ち上げる。
昨日、原稿と写真を送った日本の編集事務所からのメール。
何便かに分けて送った写真の一部、添付ファイルが開かないという。
こりゃあきまへん。
ホットメールに添付すると送れないことが多いので、ポル語OSのアウトルックから送ってみたのだが。
もとのファイルをチェックしてみると、先方で開かなかったファイルは、こちらでダウンロードの際、日本語ファイル名にしていたことに気付く。
そもそもポル語OSでは日本語名のファイルが送られてきても開けられないのだ。
いったんダウンロードして、ファイル名をアルファベットに変えると、ようやく「あけましておめでとうございます」などという日本のお年賀の画像入り挨拶が開くという次第。
問題の画像ファイルの名前をアルファベットに書き換え、再び送信。
数時間後に開きましたの返信あり。
このあたりはマニュアルにもないし、適当な師匠もいないので、細々と実践で学んでます。


5/11記 個人と故人

サンパウロにて
実はこのサイト上でまだ正式発表していないが、僕にとってはかなり大きなプロジェクトを進めている。
連立方程式のようなややこしいスケジュールを組まなければならない。
主人公の命日が近づき、関係者に連絡を取る。
岡村の究極のプライベート・ビデオってとこか。
個人と個人の結ぼれの可能性と限界を問うてみたい。
それは個人と故人でもある。
生者の側からの落とし前だ。
ブラジルのソウルメイト、中隅哲郎さんについては未亡人の聞き書きという形でまとめさせていただいた。
生前、まみえることの無かった藤川辰雄さんは拙作「アマゾンの読経」で。
さあ、もうひとりだ。


5/12記 メトロ10PM

サンパウロ→
さあ5月の決戦だ。
夜行バスに乗るため、バスターミナルまで地下鉄で。
まずは物売りが乗ってくる。
昨今の路上や地下鉄の物売りは、いちいち口上を述べず、パソコン印字したもののコピーをばらまくことが多い。
相手は「ろうあ」かな、と思ってみていると、女性客にたっぷり油を売っている。
今度は物乞いが乗ってくる。
年金がどうのこうのと言っているようだが聞き取れず。
当方よりいいワイシャツを着ている。
思えばこれから行く奥地の貧しい子供たちの託児所取材、まるで持ち出しである。
今回だけでも往復の長距離バス代、撮影用ビデオテープ、それにささやかなお土産代、写真の紙焼きに地下鉄だってタダじゃない。
これ以上、オレになにを出せというのか!
こっちに恵んでくれ!


5/13記 いてくれて

→北パラナ→
託児所の撮影継続。
朝からとんでもない事態に撮影しつつ関わる。
どんなふうに撮れているか、撮れていないか。
今回のメインは夜、行なわれる「母の日」にちなんでの母親たちと子供たちの集い。
託児所の職員たちが会場の正面に飾った言葉のオカムラ訳。
「おかあさん いてくれて ありがとう」
いてくれて、が重い。
今晩の集い、孤児の彼が来ることはなかった。


5/14記 首都高原

→サンパウロ→ブラジリア
こういうのが押っ取り刀か。
早朝、夜行バスでサンパウロに戻り、旅装を変えて飛行機でブラジリアへ。
トランジットを除くと17年ぶりの入都。
ブラジル中西部日伯協会連合会の主催による「アマゾンの読経」の上映会。
今日・明日と2日間に分けての上映とする。
関係者の尽力により、日本大使館の講堂の使用が可能となった。
サンパウロあたりでは考えられないことばかり。
サンパウロの日系社会のお偉いさんどもは、オカムラゴトキとその作品の存在など虫けら同様でまるで眼中にないか、自分の利権とかんがみて体よく奉仕させて使い捨てを図るのが常。
イエスいわく「預言者は故郷には受け入れられない」。
さて80人ほど集まっていただいた初日の上映会、実にいいリアクションがあった。
見るべき人たちと出会ってご覧いただいていることを体感。
出会いと上映会の余韻、ブラジリアそのものの迫力等々で、披露を超えてなかなか寝付かれず。
この上映会を実現してくださった方々に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。


5/15記 都の歩けオロジスト

ブラジリアにて
昨日の上映会にも来てくれた日本ブラジル交流協会の、ブラジリアで研修中の留学研修生と午前中、ふたりで首都のデートスポットを散策。
ちなみにその留学研修生の性別は男子。
別枠の連載のネタにとも思い、ちょっと変わった健脚向きのコースを選んだ。
車もなしで、どうやって帰還できるかと思案するような場所。
ナミのねーちゃんでも誘っていたら、たいそう嫌われたことだろう。
「キミ、歩くの、大丈夫?」
「100キロ歩いてますから」。
お見それしやした。
日本ブラジル交流協会の研修候補生は、事前の日本での研修で100キロ歩くというのがあったのだ。
この彼氏、見かけはファインだが、日本で鉄道の駅寝やらチャリンコやらで沖縄以外の全国を行脚していることを知る。
未知の場所の「歩けオロジー」の同伴者として最適。
ブラジリアでは数年前、野宿していたさるインディオの部族のリーダーが、悪ガキどもにガソリンをかけられて焼き殺されるという「日本的な」事件があった。
シュラスコと先住民殺戮の歴史からすれば、ブラジル的か。
ブラジリアで野宿をする時は防火服着用のこと、と好青年にアドバイスしておく。


5/16記 永劫未来

ブラジリア→サンパウロ
今年はブラジリアへの遷都45周年。
遷都などというとすぐに思い出すのが、日本の古代の天皇が陰陽道などの影響で行なった何度かの都移し。
未来都市のイメージで知られるブラジリア造営にも、神秘主義の影響があったといわれている。
久々に訪れたブラジリアで思い起こしたのが、ウルトラマンシリーズに登場する科学特捜隊やウルトラ警備隊の本部。
ウルトラマンは来年、生誕40周年を迎える。
21世紀という言葉がだいぶ手垢にまみれた今日でもウルトラマンは「空想科学シリーズ」だし、登場する世界はちょっと陳腐でこっけいな「近未来」である。
そんな近未来都市ブラジリアをユネスコは世界遺産に指定して、「近未来」のままの封印を計る。
僕には建築家のイメージより、映像作家たちのイメージの方が鮮明だ。
タルコフスキー、テリー・ギリアム、リドリー・スコットらの描いたあの近未来。
そして現実は映像作家たちの方に近づいている。
ブラジル北東部からの生活困窮者たちの流入が続き、そしてスラムが衛星都市として膨張していく。
永劫に未来し続けなければならない宿命、そんな哀しさをおキラクな旅人は見る思いがした。
嗚呼ブラジリア。


5/17記 新課題

サンパウロにて
日本の知人が送ってきた新聞記事に目を見張る。
ブラジルの弱き存在への、無知と偏見、傲慢さに満ちている。
いくつかの身辺の偶然が、これを看過するな、と僕に警告する。
それどこじゃないんだけど。
やりますかな、皆さん。


5/18記 上映時間を越えて

サンパウロにて
ここのところ、寄り合いでは顔を合わせているが、サシで話す機会のしばらくなかった日本人一世の友人と昼食を共にすることに。
12時集合、メシ屋で3時ぐらいまで話し込む。
河岸を変えて、近くのバールへ。
お互いの次の予定のギリまで、ビールのサイデーラ(最後の一本)を重ねてさらに話し込む。
およそ6時間近く。
それでもまだ話し足りない感あり。
拙作「アマゾンの読経」は5時間15分。
意外とそんなに長くないのかも。


5/19記 食の十戒

サンパウロにて
息子のアレルギーがよくならない。
フマニタス産プロポリスクリーム、アロエクリームなどを用いてもひどくなるばかり。
虫刺されが元、というのだが。
母親が友人の皮膚科のところに連れて行く。
食べ物のせいだろう、ということに。
改善のための食の掟を告げられる。
まず基本の3条。
工場で生産されたものはすべてダメ。
人工着色料使用のものはダメ。
何とか剤の入っているものはすべてダメ。
以下、具体的な禁止食物があげられているのだが、いったい何を食えばいいんだ、と思うほど。
生乳以外の乳製品ダメ、お酢ダメ、醤油ダメ(ケチャップやウスターソースなどもちろん)、大豆タンパクダメ、豚ダメ、海産物ダメ、ブドウ・桃・イチゴにトマトもダメ、ダメダメダメ…
そもそも息子は野菜を少し口にしても戻してしまうほどの、昔のオヤジより格段グレードの高い偏食。
台所担当者として頭が痛い。
トーちゃんと一緒に断食でもすっか。
育ち盛りの子にそういうわけにも…
まあ日本の食糧難の時代でも思い出して。
ホントは知らないけど。


5/20記 友情執筆

サンパウロにて
日本の知人から原稿を頼まれた。
予定していた人の都合がつかなくなったので、ピンチヒッターとのこと。
一発逆転でもかましたりますかな。
原稿料なし、出来上がった現物支給という条件。
ブラジルのあまり知られていない観光の穴場、というお題。
写真も、とのこと。
もちろん新たに取材はできない。
別枠で書いたアリモノのなかから…
ネタ、切り口、トーンを変えて書いてみる。
これで食えりゃ御の字だが、友情執筆である。
友情はメシより尊し。
まだ1回会っただけの人だけど。


5/21記 にっちもさっちも

サンパウロにて
「住めばブラジル」の今月分がアップされていた。
http://www.univer.net/1_nanbei/0505.html )。
まあ見て、読んでみて下さいませ。
誰かひっかかるかな?
この日記でも時々触れている日本ブラジル交流協会について書いたもの。
ちなみにグーグルで検索してみると、「日本ブラジル交流協会」でひっかかるのは531件。
いっぽう「岡村淳」では1290件!
なかには糖尿病の岡村淳先生とか、アダルトライターの岡村淳さんなどが混じっているが、これは私とは別人、それにしても大半はワタクシメに関するものである。
交流協会研修生のOB/OGにはマスコミ関係等、文字表現のプロも多いのだが、もうちょっと…
まあだからこそ、部外者のオレあたりが書けるニッチが存在するってことか。
おいそこの交流協会関係者!
ニッチってなんですか、なんて俺にメールで尋ねないで、ご自分でお調べ遊ばせ!
部外者は、キミたちの調べる喜びまで奪いたくございませんので。


5/22記 ただいま入力中

サンパウロにて
関連サイト筆頭、星野智幸さんに管理・運営をお願いしている「岡村淳 ブラジルの落書き」の新稿アップが3ヶ月近く滞っているのは、ひとえに私の責任。
本業の方、それに新たな書き物等々に追われまして…
タマの数はまだ一戦交えるぐらいあるのです。
とりあえず本日、別の書き物も一段落ついているので、1本改稿・入力を図る。
9年前に発表したものだが、これはまだ使える。
あと一両日ぐらい寝かして推敲しよう。
お楽しみに!


5/23記 見せたくない

サンパウロにて
月曜の朝から、ラッシュ時の道路で曲芸的な運転をするバカが複数いた。
もしや、と思って昨日曜の新聞を見てみる。
やっぱりあった、モンテカルロのF1中継番組。
こんなの見てると、ついその気になっちゃうのがいるんだろうね。
F1開催日と翌日の交通事故の統計をとってみたら面白いかも。
先週、日本のメディアで「子供に見せたくない番組」が発表されていた。
ブラジルのドライバーに見せたくない番組。
日本の運転免許更新の時に見せられるホラービデオでも、こっちでジャンジャン見せたらいい。
危ねえんだよ、バカ野郎!


5/24記 1回休み

サンパウロにて
朝、拙作の在日本の関係者から、穏やかではない事態の連絡あり。
さっそくとりあえずできる対応をしておく。
別の拙作の、ブラジルの関係者からのお願い事があり、その件で郵便局に2度通う。
その他、家庭の用事。
結局、メインの作品チェック作業には手が付けられなかった。
昨日はこの作品の現場での思わぬチョンボを発見して、のたうちまわった。
まあおかげさまでその日のうちに、なんとかかなりごまかす方法も編み出すが。
一人仕事、いろいろありです。


5/25記 大雨カオス

サンパウロにて
息子が一昨日から今日の遠足を楽しみにしていた。
その一昨日から雨続き。
まるで日本の梅雨。
本来、当地は乾季に入っているのだが。
遠足先は「本の町」という屋内施設なので、雨天、問題なしだろう。
ところが学校に到着すると、遠足中止とのこと。
大雨で幹線道路が水没しているためという。
我が家はこの程度の影響で済んだ。
17年ぶりの大雨との報道。
子供も含む複数の死者も出た。
浸水、停電、交通パニックで南米最大の都市は大混乱。
嗚呼異常気象。


5/26記 透かし彫りのように

サンパウロにて
「透かし彫りのように街がきれいだ」
藤田敏八監督「赤い鳥逃げた?」のテーマ曲の歌詞だ。
中古マンションの10階から見渡す今朝の聖市はまさにこれ。
3日間にわたる長雨・大雨で、汚染物質がひととおり洗い流されたためだろう。
考えてみれば我がサンパウロは標高700メートルを越える高原都市だ。
日本の被爆者の方のなかには、日本で原爆症に苦しみ、高原都市サンパウロに転地保養も兼ねて移住した人もいるのを思い出した。
今日から連休。
透かし彫り状態も、いつもより続くかも。


5/27記 忘れられた日本人

サンパウロにて
日本の大手新聞のサイトで、フィリピン・ミンダナオ島山中で旧日本兵発見の報に接する。
心そぞろ。
子供の頃からこの手の話にひかれていた。
その後、1972年の横井庄一さん、1974年の小野田寛郎さんの救出が現実となった。
そして僕のメインの関心は第2次大戦ジオラマ作成から縄文文化を経て、移民の心象のドキュメンタリー制作となった。
僕は忘れられた日本人たちとの再会を求め続けているのかもしれない。
いくつかのサイトに、何度となくアクセスするが、さした進展はない。
大量消費・大量廃棄型の日本のメディアが現地に群がっているという。
消費されて捨てられてたまるか。


5/28記 食の邂逅

サンパウロ→アルジャー→サンパウロ
4連休の3日目。
子供たちをずっとサンパウロにいさせたのでは、忸怩たるものがある。
思い切って大西洋森林(マッタ・アトランチカ)のなかにあるというのがウリの、近郊のレストランに一家で出向く。
我が家から走行50余キロ。
シチュエーションはいい。
ブラジル・コロニアル風料理のバイキング形式。
なんとカニカマのサラダに巻き寿司、ワサビに割り箸まであるではないか。
その横にアラブ料理数種、キビ・クルーという生挽き肉の料理まである。
キビ・クルーはふつう、刻みタマネギに長ネギ、ミントの葉を混ぜ込んでライム果汁等をかけていただく。
試みに醤油とワサビでいってみると、これまたよろしい。
今年は当国、レバノン移民125年周年記念の年。
イスラム文化、アラブ文化に食からアプローチ。
醤油キビを味わいながら、ミンダナオ島山中のイスラム勢力のもとに暮らすという老日本兵たちを思う。


5/29記 野火を見た

サンパウロにて
映像記録に入社して、つまりプロとなって初めての取材がフィリピンだった。
マニラから南西に向かう船に乗った。
左舷にミンドロ島の島影が広がる。
深夜、その山中が赤々と輝くのを見た。
タグバヌア族の山焼きの炎だという。
あたりはタグバヌア族と呼ばれる少数民族のテリトリーで、文明と未接触の人たちもいるという。
マルコス政権の時代だった。
まだタサデイというマルコス政権のでっち上げた穴居民族の存在が信じられていた頃だ。
フィリピンの闇は、未接触部族の野火を浮かび上がらせるほど深い。
今日も山中の元日本兵たちを思う。
(この日記アップに当たって調べてみると、ミンドロ島に住む少数民族はマンギャンで、タグバヌアはパラワン諸島になるようだ。どこで混乱したのか…まあよく23年前に小耳に挟んだタグバヌアという言葉を覚えていたもの。印象深かったことは間違いない。)


5/30記 Der Untergang

サンパウロにて
ミンダナオ島の日本兵については、不可解なまま、メディアも引いていっている感じ。
各新聞のサイトや、この件を取り上げたブログなどものぞいてみるが、ナゾがナゾを呼ぶ。
日本の週刊誌の記事でも読みたいところ。
本業の方も予断を許さないのだが、見逃したくない映画を見に行く。
ヒトラー最後の数日間を描くドイツ映画。
もう軽口もダジャレも出ない壮大な叙事詩。
メッサーシュミットも飛ばなければ、ヤクトパンツァー戦車も出てこないが、懐かしい名前がたくさん…
日本のテレビ屋的に安っぽくいくと「女たちのヒトラー」か。
ゲッペルズ婦人が強烈だった。
終映後、ショッピングモールの階下にドイツ生ビール屋があるのに気付く。
余韻に浸りながらイッパイやりたいところ。
夕食の支度に間に合うので、帰る。
まるで映画「張り込み」だぜ。


5/31記 コハダの味

サンパウロにて
まだ日本全体が当たり前に貧しかった。
寿司屋の出前なんてご馳走中のご馳走。
上の部類の来客があると、出前を頼んだ。
客がどれだけ残してくれるかが子供の楽しみだった。
僕の好物はコハダの酢〆の握り。
ブラジル移民となってから帰省してコハダに出会うと、あの模様、大蛇アナコンダのハダを思い出して食欲にセーブが効いた。
サンパウロではここのところ、刺身でいけるイワシが手に入る。
ある程度、刺身でいただいた残りは酢〆にしてみた。
適当にやってみてうまくいかず、義母の手法を参考にアレンジしてやってみる。
多少の試行錯誤を経て、なかなかいけるようになった。
かつてのコハダを思い出した次第。
ネット検索してみると、「コハダの握り塩、酢締めの加減で寿司屋の評価が決まる」とまであるではないか。
シメシメである。


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