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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2005年の日記  (最終更新日 : 2006/01/01)
6月の日記・総集編  移民とたこ焼き

6月の日記・総集編  移民とたこ焼き (2005/07/01) 6/1記 移民とたこ焼き

サンパウロ→
なぜかアクセス数がググっと上がる。
ところが今日からまた地方遠征で、数日間、更新はお休みになってしまう。
さて、友人たちとちょっと変わったことをすることになった。
http://www.100anos.com.br/encontro/
を参照あれ。
参加ご希望の方は事前に主催者にご一報お願いします。


6/2記 覚えていてくれて

→北パラナ
未明に現場到着。
いざ、決戦。
朝、修道院がお世話をする「老人の村」に町の公立学校の8年生たちが訪問するという。
初めての試みとのこと。
「老人の村」は敷地内に個別住宅の寄り集まった貧しいお年寄りたちの老人ホーム。
8年生は日本なら中学2年生にあたる。
正直、僕の目的の「託児所」の記録には関係ない。
体力もビデオテープも温存したいところだが…
先週の予定が雨で今週に流れ、昨日の予定がオカムラサンの訪問に合わせて今日にしたと言われては、義理撮りせざるを得ず。
「私たちのことを覚えていてくれてありがとう」
「あなたたちが私たちのブラジルを作ってくれたのです」
「私たちもいまや子供とおんなじですよ」
「皆さんは私たちの手本です」
「私たちにもし神のご加護があれば、いずれ皆さんの歳に達することになるのです」
生徒たちの持ち寄った食べ物をかなり強引に食べさせる。
そしてダンス大会。
最初は生徒たちが勝手に楽しんでいる感じだった。
どうにもこうにも表情が無機質に固いジーサンがいた。
ブラジル娘がこれまたかなり強引に手をとって踊る。
ジーサンの愉悦の表情。
人は人と関わって変わることもできれば、変えることもできる。
初回の大成功を受けて、今回は8年生全員で押しかけたが、今後はクラス別に来ようという話になった。
この初の試みをワタクシメが記録することになるとは、お互いラッキーでした。
君たちにあげる。


6/3記 ○○の一日

北パラナにて
未明からの撮影を企て、緊張のせいで眠れず。
毎朝5時半、シスターたちは修道院のチャペルで黙想を始める。
6時半、託児所の職員が到着、施設の鍵を開けてさっそく子供たちの朝食の支度が始まる。
日常のディテールにお付き合いさせていただいて、見逃していたこと、思いも寄らなかったことに遅ればせながら気付かせてもらう。
映像記録時代によくやったものだ。
フィリピン離島の漁師の一日。
チベット高原の遊牧民の一日。
アマゾン・ヤノマモ族の少女の一日。
こうした人たちの一日がこの世界を成り立たせている。
没後8年、いまだ牛山ドキュメンタリーの手法を異国の辺境でひとり継承す。
一生の計は一日にあり。


6/4記 侮辱を糧に

北パラナにて
託児所の記録を始めて4ヶ月になる。
いよいよ今日はヤマ場の撮影。
おかげさまで、然るべきセンは行った感じ。
やれやれである。
まだ先は長いが。
ヤマ場通過記念で、今日、出会った強烈な言葉をサービスしませう。
現在、お世話になっている修道院は日本の長崎純心聖母会に属している。
その創設者・江角ヤス女史の追悼文集より。
彼女は「侮辱を甘受することが、謙遜な人になるためにいちばん」と言っていたそうだ。
各地に学校や施設を作るにあたって、それぞれ大変な闘いがあったようだ。
イエスの十字架の辱め。
ヤギは雑草や紙を咀嚼しておいしい栄養価の高い乳をつくってくれる。
侮辱を無視、まではそこいらで聞けそうな話だが、それを甘受して栄養源にするとはとはすごい。
今、僕のいる田舎町は、なにもないところ。
しかし感動だけは、心の持ちようであふれかえっているところだ。


6/5記 九十歳の原点

→サンパウロ
早朝、夜行バスでサンパウロに到着。
昼から誕生パーティに呼ばれている。
テレビ放送作品のなかではかなりお気に入りの「60年目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」に登場される、あの森下妙子さんの九十歳のお祝い。
ビデオ撮影をサービス。
あの作品から10年、森下さんはだいぶ弱られた。
しかし、ゆっくりと搾り出すように語る言葉はいや増して心打つものがある。
さすが岡村作品の主役を張るタマ。
森下さんとの不思議な出会いが「アマゾンの読経」への道でもあった。
それはさておき、なにかと疲れましたな。
心地よい疲れだけど。


6/6記 水谷先生

サンパウロにて
日本の大手新聞のサイトをチェック。
毎日新聞のサイトに現代美術家、水谷勇夫先生の訃報、83歳。
もう20年になるか。
「知られざる世界」『愛と歓喜の神々 インド―ネパール―日本』でリポーター役をお願いした。
別の番組が局やスポンサーからのクレームでお蔵入りになってしまい、牛山プロデューサーのアイデアで新たに国内取材を加えて別の番組をでっち上げようという苦しい出自の企画が僕に回ってきた。
水谷先生は名古屋をベースにされ、独自の感性で縄文文化をとらえていた方だった。
先生は20代のガキだった僕にも気さくに接して下さった。
東京以外にも偉大な文化人がいる、という素朴な現実を初めて体感した覚えがある。
名古屋には意外にレトロなスポットが残っていて、アールなんとか風の銭湯や映画「泥の河」のロケ地の川などをご案内していただいたのを思い出す。
ご家族の経営されていた幼稚園のご協力もいただき、現場監督としてはいくつか意欲的な試みもしてみた。
しかし当時の僕など肩書きこそディレクターだったが、編集マンや牛山プロデューサーの下ではアシスタント程度の役割。
水谷先生らしさを盛り込んだシーンはすべてカットされてしまった。
ブラジル移住を決意した時に挨拶状を出して、そのお返事をいただいたのが最後だったかもしれない。
ご無沙汰を恥じ、黙祷。


6/7記 聖母出現

サンパウロにて
知人である日本人で80代のお年寄りがかなりお悪く、入院していると昨日、聞く。
本業の方の進行ペースが落ちているが…
お見舞いに行くことにした。
こちらの人格が問われるので。
人格が問われるような輩の作るヒューマン・ドキュメンタリーが感動的であろうか?
こうして追い込まれていく。
さて教えられた病室に日系人はいない。
面会に来ていた妙齢のセニョリータが、「その人なら、別の部屋に移ったわ」と案内してくれるという。
「ああ、あの人か。あの悪さで、日本語しかわからないのに誰も面会に来なくて気の毒に。あんた、息子かね?」と他の人たちにしかられる。
件の病人は素人目にも深刻だ。
鼻にチューブ、腕に点滴。
それらを外してしまうので、両腕をベッドにくくられている。
まどろんでいらっしゃるところに声をかける。
かなり心が荒れており、時折、意味の取れない話が出る。
臨機応変にオカムラ節をかますのだが。
その間、アカの他人のセニョリータはずっとご老人の手を握り、時折、よだれを拭いて差し上げていた。
「この人には誰も面会に来ないし、ポルトガル語もわからないし。私はおじいちゃんがいないから、この人を養祖父にしたのよ」。
こうしてしょっちゅうかまってくれているという。
誰が身はやつれ、心は荒れた言葉の通じないアカの他人の老人にこんなことが自然体でできるだろうか。
心身ともに端麗、聡明な女性だった。
愛をみた。
聖母マリア、富士見観音の化身か。


6/8記 激戦区から遠く離れて

サンパウロにて
日本のラーメン激戦区といえば恵比寿が有名。
JRで隣の目黒から中目黒にかけて、わがホームグラウンドも近年はなかなかあなどりがたいラーメン専門店がひしめいている。
サンマとラーメンは、目黒。
さて、遠来の知人と食事をすることになった。
これまでのいきさつから先方がおごると言う。
そこに勤めている人に会いに行きたい店があった。
まずくて高いので有名な日本飯屋なのだが、あまり外食の機会もないのでその知人と乗り込むことにした。
お昼時、久しぶりに閑古鳥の声を聞く。
メニューを見てびっくり。
高いとは覚悟していたが、定食あたりの値段で、そこいらの日本飯屋の二倍はするではないか。
相手が「ラーメンで」、こちらもラーメンにさせていただく。
かつてパラグアイでラーメンを頼んで、登場したのがインスタントラーメンだったことがある。
同じ頃、ブラジルの日本飯屋のメニューに「冷やしラーメン」とあり、頼んでみたら生ぬるいラーメンが出てきたこともあった。
今日はその当時の感激を思い出した。
腰のない茹で過ぎの麺。
はっきりしないスープの味。
具はカマボコとチクワなど、同種のものが並んでいる。
これがかつては名を馳せた日本飯屋とは。
自分で作った方がこれよりいける。
向かいの店から出前を頼めばよかった。


6/9記 たこ焼きとキビ団子

サンパウロにて
在ブラジルの畏友・美代賢志さんのサイト( http://www.brasilforum.com/ )がなかなか健闘している。
岡村の名前がここのところ散見しているのはご愛嬌。
サンパウロの日刊の邦字紙2紙と美代さんのサイトを見ていれば、サンパウロの日系社会の状況は大体わかる。
彼の引っ張ってくる日本のニュースもエグみたっぷりで面白い。
若き友人からジャーナリズムのあり方を教わる。
僕は別にジャーナリストのつもりはないけど。


6/10記 本業無常

サンパウロ→ジャカレイ→サンパウロ
6/1付け日記でお知らせした件の打ち合わせ・ご挨拶でジャカレイへ。
昼間のバス旅も一興。
夕方、いろいろお世話をしてくださる地元の日本人一世の人たちの飲み会にご挨拶。
「岡村さん、本業は何をしてるんですか?」
「……」。
ウエブデザイナーをしている在ジャカレイの櫻田さんも本業をよく聞かれるという。
さて私の本業は何でしょう?


6/11記 相変わらずテレビ屋

サンパウロにて
早朝、知人の紹介とかで日本の知らないテレビ屋さんから電話。
先方のご都合をまくし立てられるが、今日中にこちらのサッカー関係のお偉いさんのインタビューを撮影してくれということらしい。
ただ今、家庭が準非常事態でそもそもそれどころじゃない。
そうでなくてもお断り。
テレビ屋の都合だけで地球が回っていると思っている手合いが相変わらず多くて…
まあ見ず知らずの寿司屋のオヤジのところに、大至急ヤキソバを出前しろと言ってくるようなもの。
最近の日本のテレビ屋さんがらみの話題では、もっと笑うしかない話がある。
そのテレビ屋さんが日本ブラジル交流協会OBというのが泣かせどころ。
これは酒席ででも披露しませう。


6/12記 ヴァリグのバルタン

サンパウロにて
日曜のフェイラ(路上市)に。
狙いはイワシ、また酢〆を作るため。
カニの爪状のものが一山で売っている。
聞くとラゴスチンニャだと言う。
直訳すると小さいイセエビだが、日本のシャコみたいなもんだろうか。
5レアイス200円強、開いたイワシ半キロより高い。
帰ってからまず生でいってみるが、そもそもザリガニよりはるかに小さいハサミ、手間の割りに報われない。
塩ゆでにして酢醤油でいただくがこれも効率が悪く、ゆで汁を味噌汁にしていただく。
それにしてもゆでてみるといい赤色になる。
夕食はリゾットにして身の丈5センチ以上の冷凍にしてあったエビ、イカと共に混ぜてみる。
ダシをとるにはいいようだ。
月曜は断食を予定、断食開けにかに雑炊モドキでも作るか。
おっとタイトルの件。
かつてヴァリグブラジル航空では、エコノミークラスのメシにもバルタン星人クラス(ソフビクラス)の巨大なカニの爪が前菜に出たもんだ。
今やちょいとした国内線以下のメシ。
まあメシは落ちても機体は落ちないでもらいたいもの。


6/13記 ギアナ高地のかたち

サンパウロにて
まあなんだかんだとあって、なかなかメインの作業、「橋本梧郎 ギアナ高地の伝言」の編集作業が進まない。
今日は断食で挑む。
雑事、家事があり、本業に従事できたのは半日強といったところ。
ほんの少しずつながら、作品の形が見えてくる。
今回も僕の浅はかな意図を超えている感じ。
さあ、当初の予定であげられるかどうか。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、
  悪い者から救ってください。」(マタ6:13)


6/14記 牛山手中

サンパウロにて
妻の実家の件で、当方も準非常体制が続く。
昼からの子供のセラピーの付き添いは父親となる。
待ち時間の間にギアナ高地取材のフィールドノートを再チェック。
現場でひらめいて、その後、忘れていたまとめの手法が書かれている。
これで行ってみっか。
牛山純一師匠の取った手法のひとつ。
僕の「すばらしい世界旅行」のポロロッカもこれでまとめてくれた。
思えば大半のスタッフが牛山さんのもとを去っていった。
そんな先輩たちに後に出会うと「オレは牛山とケンカして…」などと勇ましい武勇談を聞かせていただくこと、しばしば。
ホンマカイナ。
牛山さんはほんとに怖い人だった。
僕の現役時代は、多くのスタッフがひっそりといなくなったものだ。
その後もドキュメンタリー作りに関わっている人たちは、あからさまな牛山批判をしながら、発想から物言いまで牛山モドキだったり、使っている文房具までが映像記録を引きずったりしていたものだ。
こちとら確信犯でいってみよう。


6/15記 戒厳令の朝

サンパウロにて
娘の林間学校。
朝5時、学校からバス出発とのこと。
4時半拙宅ガレージを車で出発を予定、浅い眠り。
未明の街はまるで戒厳令下。
装甲車が見当たらない。
ここは犯罪都市、強盗、泥酔者、麻薬中毒者等々の危険があり、予断を許さない。
無事、学校へ。
バスに乗って手を振る娘。
自分の小学校時代、そして取材先の親のない子供たち、さらに日本のイジメ社会のいじめられる子供たちなどを思う。
こんなバカ父親でもいないよりいいのだろうかな。


6/16記 凍結

サンパウロにて
本日付サンパウロ発行の日本語新聞2紙に、このサイトでも何度か紹介している日本ブラジル交流協会が急きょ、来年度の留学研修生の募集を中止したとの記事。
たまたま昨日、このことはさる研修生の引受け先の人から聞いていた。
別ルートからの情報もあわせると、中止凍結の理由は不可解なばかり。
関連サイトの方での連載記事も、ひと月遅れていたらお蔵入り、差し替えが必要だった。
まあ組織や制度なんてあんまし信用するもんじゃない。
残るのは、愛か。


6/17記 男の初夜

サンパウロにて
未明に目が覚める。
見かけになっていたビデオの続きでも見るかとテレビをON。
設定してあったチャンネルで「洋画」を放送している。
赤髪の女が走って石造りの建物に入っていくシーン。
不思議な設定と斬新な映像表現に、つい引き込まれてしまう。
主人公が死んでコマーシャル、やれやれと思っていると、また同じ設定で話が繰り返されるではないか。
同じロールを再放送してしまった放送事故かと思いきや、話は別の方向に展開していく。
映画のポル語タイトルは「Corra,Lola,Corra」。
直訳すると「走れ、ローラ、走れ」。
ブラジルはだいぶ日本より文化レベルが高いと思うことがある。
大手新聞のテレビ欄の映画紹介コーナーに、外国映画の場合、原題が記されている。
この映画は英題「Run,Lola,Run」というドイツ映画だった。
ネット検索にかけると日本のタイトルはズバリ「ラン・ローラ・ラン」。
サントラ音楽のファンも多いそうな。
ブラジリアに訪問した時、「MULHER SORTEIRA PROCULA」、「独身女が探す」というニューヨークを舞台にした映画が放送されていて、これもついつい見てしまった。
これもテレビ欄の原題をもとに調べると、日本では「ルームメイト」。
ブラジルでは外国映画のタイトルに、勝手にバカな翻訳をしないもの。
それでもなかには笑えるものもある。
最近、助演女優の亡くなった有名な作品で「Primeira Noite do Homen」、直訳すると「男の初夜」というのがあった。
これはあの「卒業」でした。
嗚呼ミセス・ロビンソン。


6/18記 なげかわしいこと

サンパウロにて
今日は、移民の日。
今日、行なわれることにぴったりの言葉を聖書にて発見してある。
本田哲郎訳がよりわかりやすい。
あなたがたは、なげかわしいことだ。
 あなたがたは預言者たちの記念碑を建てているが、その預言者たちを殺したのはあなたがたの父祖たちなのだ。こうして、あなたがたは父祖たちのしわざの証人となり、そのしわざに賛同するものとなる。父祖たちが殺し、あなたがたがその記念碑を建てているからだ。
(ルカによる福音書 第11章より)

さあ、明日がある。


6/19記 なにもできない

サンパウロ→ジャカレイ→サンパウロ
トップページなどでお知らせしてきた「移民とたこ焼き」の集いを決行。
実にいい集いで、感無量。
ひとえに地元の櫻田夫妻の過ごしてきた歳月と培ってきた信頼、そして周到な準備、さらにナゾのたこ焼き集団の手際のよさ、および地元の世話役の方の理解度の深さの賜物である。
つくづく感じたのは、僕一人では何もできないということ。
皆さんのおかげで、いい思いをさせていただいた。
ビデオ上映はまだ試行錯誤中。
今回は地元の業者からプロジェクターとスクリーンをレンタルしたため、映像は申し分なかったが、音質の調整を僕が誤った。
ナレーションに合わせたせいか、現場音がやや不明瞭に。
むずかしいっすねえ。


6/20記 喜ばれる写真

サンパウロにて
深夜に覚醒。
かといって本を読んだりビデオを見たりという気になれず。
昨日の「移民とたこ焼き」の興奮と余韻を引きずっている。
そのことを考える。
今回、写真家の松本浩治さんの初写真展「移民Ⅰ」を同時開催。
松本さんは日本語新聞の記者をされている。
平日は連日、取材をして紙面を埋め、土日は果てしない日系社会の催し物の取材で休みなし。
しかもご自宅には来客絶えず。
その間隙をぬっての写真展の準備は尋常ではなかったことだろう。
彼の被写体は日本人1世の日常のなかでのポートレイト。
今回は特にこの地方の人たちを中心にチョイスされたようだ。
ズバリ被写体の人が会場にいらっしゃる。
自分の方の段取りや話しかけてくださる人との時間が中心となり、松本写真展の反響は遠めで見るに留まる。
人に喜ばれる写真、というあり方があるのを再確認。
それを大きく引き伸ばして、被写体の人に差し上げる写真家がいる。
松本さんのサイトあり。
アドレスは、 http://www.100nen.com.br/matsumoto/


6/21記 台所の紋次郎

サンパウロにて
タマネギを刻む時の、あの涙。
強烈な時は翌日まで響いたりする。
アルゼンチンの日系3世である義妹が対処方法を教えてくれた。
マッチをくわえるというものである。
もちろん火薬の方を外にして。
細かい化学の理屈はこりごりだが、なんだかいけそうにシロートにも思える。
今日も実施。
パーフェクトとはいかないが、かなりいいセン行ってる感じ。
いいオヤジが台所で目をしょぼつかせながらマッチをくわえているざま、今度、鏡ででも見てみようか。


6/22記 移民語録

サンパウロにて
かつて岡村ドキュメンタリーの主役を張ったさる人物に会いに、市内の遠出をする。
いくつかの都合でその人には会えず、お楽しみは持ち越し。
その代わり、というのもナニだが、行きも帰りもメトロのなかで意外な人にお会いする。
いずれも日本人1世。
行きにお会いしたこの人も、岡村作品にセリフはないが登場しているはず。
口数の少ない人である。
「最近、車を運転してないんですか?」
「カミニョン(トラック)を42年も運転したから。それでもおかげさんで、大きな事故にあったことはないよ。今まで自分が運転がうまいとは一度も思ったことないけど」。
身に染みるいい言葉だ。
永六輔さんの近年の一連の市井採録集を思い出す。
「移民語録」なんてのを集めたら面白いだろう。
ブラジル移民100周年を3年後に控えて、イベント屋と出たがり屋ばかりがホクホクのイベント、後世に負担を残すばかりのモニュメント作成よりずっとありがたいのでは。
僕に映像という術がなかったらやってみたいところ。
映像だけですでに身に余る仕事量、それに他にまともにやっている人もいないようだし。
こっちがまともかどうかは、さておいて。


6/23記 難産雑誌

サンパウロにて
雑誌BUMBA最新号がようやく今日の午後、印刷所から編集部に届くという。
ちょうどパウリスタ方面に行く用事もあるので、無駄足覚悟で美人の園の編集部へ。
ついにちゃんと発刊されていた。
編集長自身も前号はいつ出たか、なかなか思い出せないほど。
何人かの記憶を総合して、1月下旬だったことを思い出す。
毎度毎度の難産、次号は「帝王出版」でもしてもらうか。
ざっとみさせてもらう。
リニューアルもあり、今回は特にボルテージが高い感じあり。
冒頭特集、編集長自らの「水の荒野ギアナ高地」はなかなか。
現在編集中の岡村作品の副読本。
オカムラチャンの連載の方は、編集部のおねーさん方にも喜んでいただけた。
この日記ひと月分ぐらいは楽しめるゾ。
日本からも定期購読可能。
定期に出ないけど。
詳細は岡村にご一報を。


6/24記 思い出の八月

サンパウロにて
今年の八月は大変なことになる予定。
七月の作戦の日程がまだ決まらないまま、八月の件の手配にここ数日かかりきり。
八月と聞くと、胸にキュンと来るものあり。
思えば「八月」と銘打った映画は多い。
藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」「八月はエロスの香り」を筆頭に、大・黒澤の「八月の狂詩曲」、これは原作モノだが山本薩男「皇帝のいない八月」等々。
八月といえば日本人にはすぐ盛夏、そして夏休み、お盆、広島長崎、敗戦とイメージが沸いてくるんだろうな。
さあ僕の八月を行くぞ。


6/25記 土足文化の盲点

サンパウロにて
今日はアマゾンにいるという話もあったが、先方の都合で延期に。
我が家で午後から娘の誕生会をすることになったので、アマゾン行きのキャンセルにより、買い物ぐらいは手伝うことができる。
一人の少女が家庭の都合でだいぶ早く来た。
拙宅の奥の間はブラジル産の畳の間。
「靴を脱がなきゃいけない?」
「靴を脱いだ方が気持ちいいよ」
後で遊んでいるその少女の白い靴下の裏が真っ黒なのに気付く。
あるニューギニア人のことを思い出す。
映像記録のサラリーマン時代、番組制作の他に、さまざまな外国からの来客のアテンドを仰せつかった。
パプアニューギニアの若い役人で、少数民族担当の人のお世話をしたことがある。
新宿の日本料理屋のお座敷にご案内。
「靴を脱いでいただけますか?」
彼氏は躊躇しているが、仕方がない。
習慣の問題かと思っていたのだが、彼の靴下には穴が開いていた。
日本を訪ねる外国人のためのガイドブックには、日本の歩き方の肝心なことは書いてあるのだろうか。
土足厳禁の空間のあることを。
靴下のことは、後の個々人の想像力だろうけど。
相手の靴下問題に気付いたら、さりげなく裸足になられてもいいですよ、とこっちが裸足になって見せる手もあるかもね。


6/26記 冥土 in BRAZIL

サンパウロにて
畏友・星野智幸さんに運営していただいている「ブラジルの落書き」の新稿をアップしていただいた。
http://www.hoshinot.jp/okamura/meido.html
拙稿についての星野さんの6月26日付コメント( http://www.hoshinot.jp/diary.html )にさらに泣かされる。
あなかしこ。


6/27記 2種の人種

サンパウロにて
世の中には2種の人種がいるようだ。
信用できる人と信用できない人。
一度、どちらか判断してからは、ほとんど入れ替わらないように体験的に思う。
こちとらフリーランスなので、お付き合いする人を選ぶ自由がある。
そのため、たいてい前者の人たちとしか付き合わないのだが。
時折、前者の人に紹介されて、などとウソをついてまでこちらを利用しようとする後者の人がいる。
身近なドキュメンタリー関係者で言えば、こういう人があちこちで賞をとって作品を専門館で上映、著書まであったりして。
イヤハヤでありますな。
愚生は相変わらず不器用で行こう。
他人様にとって、前者であり続けるためにも。


6/28記 現場監督

サンパウロにて
昨日は断食をするつもりが、今晩、急きょ酒席を設けることになり、延期。
この系統の酒席でかつて「幹事」と呼ばれることもあった。
しかし黒幕の人が料理から時間、支払いまで仕切ってくれているし、毎度、幹事たるものが最初に酔っ払っていては示しがつかない。
そのため、自ら現場監督と称することに。
監督なら自分の主観でヒンシュク発言をしようとも、勝手に先に酔っ払っても、優秀なスタッフ陣がフォローしてくれるのでは、という腹。
毎回、降板覚悟の監督業。


6/29記 ブラジルの味

サンパウロにて
大衆シュラスカリアでFUNAIの前線基地を想う。
今日で息子の方は娘より一日早く休みに入る。
送り迎えをしながら、その高揚がよく伝わる。
毎日、よくがんばった。
息子は夜、レストランに行きたいという。
姉の方はまだ明日、試験があるので乗らない。
なんだか父親もぐったりして夕飯を作るのが億劫に。
という訳で、宿命の親子二人で駅前の安いシュラスコ焼肉屋でささやかなお祝い。
ブラジルの庶民はひとつの皿にいくつかの料理をよそって食べる。
そのため、別々の料理が適当に混ざり合う。
砂糖抜きのカイピリーニャをいただきつつ、油炒めメシにマカロン(スパゲティのニンニク炒め)、フェイジョン豆の煮汁の混ぜこぜをフォークとナイフでほおばりながら…
思えば、こういうメシをよくいただいたのはFUNAI(国立インディオ局)のインディオ接触前線基地に寝泊りさせてもらっていた頃。
アマゾンの熱い空気と重い時の流れのなか、誰もがいつ何が起きても不思議ではないという思いでブラジル飯を共にした。
ブラジルの人種・民族構成をミックスサラダなどと上品かつステレオタイプに十年一日のお説をたれる似非インテリは相変わらず多い。
こちとら文化接触の最前線、かつ駅前の大衆食堂のメシから行き続けよう。
…息子がもう眠そうなので、カイピリーニャとピカーニャのお代わりはシェーガ(おしまい)とするか。


6/30記 移民かあさんの…

サンパウロにて
「Bumba」誌で「移民かあさんの知恵袋」を連載されていたまゆみさん。
こちらも台所を半ば預かる身として、興味深く読ませてもらっていた。
残念ながら最新号には記事がなかった。
記事も人も生々流転の編集部ではもうこんな昔話を知る人も編集長ぐらいかもしれないが、まゆみさんはオカムラの紹介で編集部入りした。
そのまゆみさんからお電話をいただいた。
からすみを作ったので、ぜひ食べていただきたい、とのこと。
当方も日中はいろいろあるので、日時を調整して昨日、さるメトロの駅で待ち合わせ。
時間とメトロ代を使ってゲットした移民かあさんの手作りからすみ、正直、あまり期待していなかった。
「すぐに食べてください」と念を押されていた。
今日、晩酌のツマミに、とあぶってみるが…
美味珍味の一言。
色合い、歯ざわり、そして豊潤な味わい、絶品なり。
リベルダージの台湾系の店でべらぼうな値段で売っているものより、ずっとよろしい。
さすがは移民かあさんでした。
幸せな気持ちになれる一品。


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