移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2006年の日記  (最終更新日 : 2007/01/01)
3月の日記・総集編 25期の皆さんへ

3月の日記・総集編 25期の皆さんへ (2006/04/01) 3/1記 愛は家庭から

ブラジルにて
カーニバル休暇中に、アホな原稿を1本、したためる。
そのなかにインドのマザー・テレサの言葉を引用。
といっても文献にあたらず、自分の覚えている範囲で。
偶然にも知人がMLに発表した文章に、彼女の言葉がいくつか引用されている。
ちょっと気になって、我が家にあるマザー・テレサ関係の2冊の本をくまなく繰ってみる。
やはり…
僕の引用していたのは、彼女の言葉をいくつか咀嚼して、僕なりに紡いでみたものだった。
新たに目をひいた、彼女の真髄ともいえる言葉を写経しよう。
愛は家庭から始まります。もしも、こんにちの世界にあって、神の愛となりたいと望まれるならば、まずあなた自身のご家庭のなかで、神の愛となってください。そうすれば、みなさまは、出会う人びとの誰にでも、神の愛の輝きとなることができるでしょう。
「生命(いのち)あるすべてのものに」マザー・テレサ 講談社現代新書



3/2記 チョンボ交う

ブラジルにて
「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」の日本語・ポルトガル語バイリンガル版の最終チェック用のVHSテープと、DVD版をピックアップ。
あれ、これは?という箇所をチェック。
明らかなテロップ落としがある。
それ以外は、これまで見過ごしてきた日本語版の問題だった。
こういうのも気にしだすと、気になる。
ポ語版・バイリンガル版担当者にもひとりで、スケジュールの立て込んでいるなか、ベストとはいえない環境で作業してもらっているので、きついことは言えない。
一人仕事は思わぬチョンボがつきもの、である。
もっとも忌むべきは、NHKのような会長以下、組織ぐるみの確信犯的隠蔽工作だ。


3/3記 水陸両用

ブラジルにて
友人が拙宅を訪ねてくる。
サンパウロの諸々が物珍しいようだ。
夕方、息子を迎えに彼も乗っけて行く。
雲行きが怪しくなり、フロントガラスにポツリポツリと。
時間をずらすことができれば、避けたいシチュエイション。
よりによって目的の場所は、低地。
しかも交通状況はカオス的な地域。
さあ大豪雨が始まった。
マンホールから水が柱となって吹き上がっている。
交差点は車の床上浸水まで行きそうだ。
角のガソリンポストを突っ切ろうとすると、前の車が停まり、図らずもポストの下で雨宿り。
ナチスドイツのシュビムワーゲンでもあればね。
ブラジルの湿地帯で、あれを乗り回しているのがいるようだぞ。
とりあえず被害は運動靴がなかまで濡れたぐらいで済んだようだが。


3/4記 妹

ブラジルにて
友人を今日、どこに案内するか。
数案、提案する。
案の定、スザノ金剛寺案に乗ってきた。
スザノ金剛寺。
伊豆大島の富士見観音の妹分にあたるブラジル富士見観音像がおまつりされている。
この友人は姉の方のお掃除に参加している。
「少し、お痩せになったように思えますが」と案内してくれた谷口住職にお話しする。
急に変色してきた感。
こちらにもお掃除隊が欲しいところ。
今年は藤川師入定20周年。
ブラジル富士見観音も建立20年目だ。
これを機に、僕の方は「アマゾンの読経」改訂版を制作して奉納するつもり。
まずは「KOJO」。


3/5記 プテロ

ブラジルにて
訳あってブラジルの恐竜事情を少し調べる。
ブラジルはPTEROSSAUROSのかなりの産地と知る。
日本語読みにするとプテロザウルスといったところか。
プテラノドンなら、シロートにも知名度の高い恐竜だ。
空の大怪獣ラドンやガメラの宿敵ギャオスの「オリジナル」の翼竜である。
コナン・ドイルの「失われた世界」邦訳本が手元からなくなってしまったのだが、確か作中でギアナ高地でも飛翔していたのではないか。
さてプテロザウルスとプテラノドンの相違は?
僕も恐竜は幼少期から今日まで嫌いではないが、前者の単語を目にするようになったのは、近年になってからという気がする。
ひょっとすると学名や呼称が変わったのだろうか。
そうすると我が家にある古い恐竜本を開いても仕様がない。
コンピューター検索。
後者が圧倒的に、数桁多い。
しかも両方の単語を含むサイトは、なし!
前者は何かの間違いか?
たかが駄文とはいえ、キノコの時もそうだったが、自分なりに納得できないと書けない。
恐竜の詳しいサイトを探りつつ、大体の見当はつく。
さあ、ボツボツまとめるか。


3/6記 弟

ブラジルにて
山口の、藤川真弘師のご遺族からメール。
件名「悲しいお知らせ」。
藤川師の弟さんの訃報だった。
拙作「アマゾンの読経」の登場人物で、最も言及されることの多い人だった。
あの、おととい見た、ブラジル富士見観音の両頬の煤は、兄貴の涙か。
もう1度、焼酎をご一緒したかった。
頭を垂れる。


3/7記 ROMARIA

ブラジルにて
日本のさる方の依頼に応じて、かつてテレビで放送した旧作群をダビング。
めったにリクエストのない凡作も含まれている。
この作品には、ひとつ思い出がある。
岡村作品のなかの音楽で、もっとも流れてくる頻度の高いELIS REGINAのROMARIAが、初めて登場する。
しかも番組のBGMとしてではなく、アマゾンの現地音として!
不肖オカムラ、自慢にもならないが、ブラジル音楽には疎い。
そんな心なき身にも、この曲には戦慄してしまう。
「60年目の東京物語」では、ここ一番のBGMとして使わせてもらった。
そしてあの作品では再び現場で、しかもクライマックスでROMARIAが響いた。
法悦。


3/8記 空心

ブラジルにて
友人と、リベルダージで昼食を。
日本メシ屋、安いブラジル飯屋といった提案があるが、ふだん自分でこさえている以下のものには食指が動かず。
じゃあ二人で中華、行っちゃいますかということに。
一品、野菜でいってみる。
agrião chinês、中国クレソンと呼ばれるやつの炒め物を。
息を飲む量。
洗面器いっぱいとはいかないが、カランいっぱいはあった。
この中国クレソン、いかにも湿地に生えていそうな植物である。
別の中華料理屋の菜単に「空心菜」とあったように記憶している。
素性が知りたくなる。
検索してみると、やめられないぐらい面白い。
学名 Ipomoea aquatica。
ヒルガオ科サツマイモ属。
ずばりアサガオがこの属に入る。
日本でも栽培され、空芯菜、朝顔菜、エンサイなどと呼ばれている。
熱帯アジア原産らしい。
タイやミャンマーの河川敷に自生しているとのこと。
タイ、ベトナム、台湾あたりの料理の定番の位置を占める。
そういえばカンボジアで食べたのは、これだったな。
英語名は chinese spinach、中国ホウレンソウ。
カルシウムはホウレンソウの2倍。
ビタミンCはレモンに匹敵。
食物繊維はキャベツの5倍近く。
その他、カリウムやβーカロチンを含むという、なかなかの優れモノ。
日本には古来から南方経由で沖縄を経て九州島に入り、和え物や炒め物にされているという。
耐暑製に優れ、水耕栽培が行なわれているとのこと。
嗚呼、熱帯アジアの空ろな心。
アマゾンあたりでの栽培もいいかもね。
社長、リバーサイドでいかがですか?


3/9記 青焼きの心

ブラジルにて
最新作「KOJO」のオリジナル撮影素材をひととおりチェック。
撮影シーンと被写体の人物の発言内容等を書き出したシーン表は、A4でおそらく150枚近くになる。
まずはこれのコピー。
我が家の下にコピー専門店がある。
機械のクオリティもいい方で、仕事も丁寧。
しかし1枚あたり邦貨にして10円以上になる。
20分ぐらい歩いた所にあるコピー屋なら、その半額。
他の用事も抱き合わせて、歩く。
コピー濃度の確認のため、1枚複写してもらうと、恐ろしくムラがあり、コ汚い。
でも、読める。
かつての大先輩のことを思い出して、ここでコピーを頼む。
そうそう、そもそもブラジルではセルフサービスのコピー機というのを見たことがない。
大丈夫かいな、というような店員に頼むのが原則。
原稿を飛ばしていたり、トナーが薄くなったり濃くなったり、等のトラブルはしばしば。
夜中でも10円で好きなようにコピーのできる祖国は、なかなかである。
20年以上前、日本でのサラリーマン番組ディレクター時代のこと。
オフィスには普通のコピー機の他に、というよりその前から「青焼き」と呼ばれる複写機があった。
ざっと調べると「青焼き」とは「原稿を密着透過露光させて感光紙に焼き付け、アンモニアで現像したもの」で「ジアゾコピー」とも呼ばれ、感光した箇所が青くなるため青焼きと呼ばれるとのこと。
今、当たり前となったコピー機は「白焼き」と呼ぶそうだ。
さてこの青焼き、確か単価あたり「白」の半額程度と事務のおばちゃんに聞いたような覚えがある。
「白焼きコピー機」にも不急のものは青焼きを使用すること、とお達しが張ってあった。
しかし青焼きだとオリジナルをいちいち必要枚数分だけ「密着透過露光」させなければならない。
しかもかなり濡れた状態で上がるので、乾燥させる手間も。
そんな次第で我々、当時の「青二才」も上司にイヤミでも言われない限り、不急のものでも「白」を使っていた。
さて番組ディレクターたちにとって、コピーで大変なのはスタジオ収録前にナレーション原稿をコピーすることだった。
時間は押しているし、基本的にアシスタントはいない。
そんななか、大ベテランの女性ディレクターが何10枚というナレーション原稿を数枚ずつ、青焼きコピーをしていた。
若僧は、ただ姿勢を正したのを覚えている。
今日もアート・デザイン業界では青焼きは活躍しているようだ。
あの濡れ具合、いかにもといった臭いが懐かしい。


3/10記 微笑の値段

ブラジルにて
朝、子供たちを送った後の、長い信号待ち。
10代始めの少年が、サイドミラーにガム入りの袋を置いていく。
Tridentの5個入りガムと飴二つで1レアル(約60円)の「協力」を呼びかけている。
めったに大道の「協力」に応じないのだが、ちょうどガムが欲しかった。
安売り店よりかなり割高だが。
信号が青になるのを見越して走ってくる少年に、親指を上げる。
1レアル札を差し出した時の、少年の笑顔。
戦慄。
笑顔で、これほど体が震えたことが最近、あっただろうか。
…あったぞ。
アンコール遺跡群・バイヨン寺院の巨石観世音菩薩像。
笑顔は、人を救う。


3/11記 端境期

ブラジルにて
今日と明日、今年で打止めとなる日本ブラジル交流協会の、研修生帰国報告会。
今日は半数、23人の自由発表。
不肖岡村は、他に誰もコメントや質問をしない研修生に、なにかひと言でもコメントをする役どころに徹する。
一年近くこちらにいた若者集団の帰国というだけで毎年、感無量のものがある。
しかも例年当たり前になっていた新期研修生がもう来ないというのだから、関係者にとっては万感の思いがあるだろう。
生々流転。
この団体についての邦字紙連載があり、メール取材に小生が応じたものがアップされている。
http://www.nikkeyshimbun.com.br/
このなかの連載「25年=交流協会生コロニアと共に」3/9付。
本紙の方にある写真を提供してくれた友人のカメラマンの名前の誤植があった。
今もう1度、本文に目を通すと、こっちにも人名の誤字あり。
イヤハヤ感無量。


3/12記 25期の皆さんへ・1

ブラジルにて
日本ブラジル交流協会第25期研修留学生の皆さん、失敗移民のオカムラです。
いよいよ明日13日、出ブラジルですね。
思えば皆さんの中間研修の時の発表と、昨日と今日の帰国前研修の発表を全員の分、すべて、しかも居眠りしないで!聞かせてもらったのはブラジル側の藤本事務局長と無冠の僕だけかと思います。
最後に閉めのコメントをと考えていましたが、今回の流れがイマイチつかめず、機を逸してしまいました。
何人かの気になる人に、直接、声をかけることもできず、申し訳なく思っています。
そのあたりが僕の後悔と反省ですが、僕にはこの日記サイトという伝達手段があることに気づきました。
この場を借りて、最後に言い残した、アホな総括コメントです。
6年前の20期の皆さんの時に声をかけてもらって以来、訪日等に重ならない限り、皆さんの研修発表に参加させていただいてきました。
面白いことに、その期によって傾向があるんですね。
去年の24期の帰国前研修発表で多かったのは「ブラジルに来て日本人であることを強く意識するようになった」「日本人でよかった」「お父さんお母さんに感謝しています」。
いやー、多かったですね、こんな感じが。
いわば「日本人・両親感謝の期」。
今年もソコソコこの手があるかと予測していましたが、見事にまれでしたな。
替わって今回、多かったのは「恩返し」。
皆さんの期は、ここで伊藤さんのをパクらせていただいて「ザ・恩返しの期」。
つくづくも「恩を仇で」はご勘弁を。
よい子の皆さんには「恩を仇で返す」などということがありえるのか、と思われるかもしれません。
下品な例ですが、日本のNHKなんか、他人様の作品を無償で提供してもらって参考にさせていただきながら、それがばれると、口裏を合わせて「全く関係ない」と公式発表をして無名の移民ごときの抗議は黙殺し続けています。
「マッショ(マッショ)」というキーワードで、いかにカッコよく生きるかを湯本さんが模索していたけど、こんな連中はマッショウしたいもの。
誰とはいいませんが、日本に戻った後に、ブラジルの人たちにヒンシュクを買うようなことをしている皆さんのOB・OGを僕あたりでもすぐ何人か数えることができますよ。
さて今回は発表中、泣きがだいぶ入りましたねえ。
交流協会の研修発表に泣きは付き物、この泣きが見たくて参加しているOBもいるとか。
泣きは発表の花。
でも今回は、僕あたりの中年には意味不明の泣きも少なからず。
笑いの分析についてコメントで少しかましたけど、泣きの分析も面白いかも。
長い挨拶とコメントは巨匠の皆さんにお任せするとして、こちらはここで休息です。



3/13記 25期の皆さんへ・2

ブラジルにて
日本ブラジル交流協会25期研修留学生の皆さん、日本ブラジル直流協会のオカムラです。
今日、いよいよ出国ですね。
皆さんのことを思うと、もうサウダージがバスタンチです。
僕のような「外様」でもこんな調子ですから、あなたたちを受け入れてくれてくれた研修先の人たちや、在伯の理事、OB、OGなどの方々の心中は如何ばかりか。
以下、昨日の続きです。
帰国前研修発表のコメントを始めさせてもらう時、岡村の「日替わり肩書き」を「失敗移民」とさせていただきました。
失敗移民。
強烈な言葉です。
今、「失敗移民」で検索してみると40万件以上ありますが、頭の方を見ると「移民計画」が「失敗」したといった文脈での使用が主で、ズバリ「失敗移民」という4文字熟語はなかなか見当たりません。
既に抹殺されている言葉なのかもしれません。
これはさる有名な学者が使った言葉なんです。
ブラジル移民で、社会的・経済的に失敗しているとその学者がみた人たちへの呼称です。
彼の編著の中では「失敗移民」の日本人たちが写真入りで紹介されています。
「棄民」よりはるかに重い言葉だと思います。
「棄民」は所属していた国家・体制から捨てられた人たちですから、捨てられた先で新たな未来が開ける可能性もあります。
しかし「失敗移民」は移住した人たちのその後を経済的にランク付けして、こいつは「失敗」と烙印を押すのですから救いがない。
それぞれの尊厳ある人生に、学者ごときが写真入で「失敗」と決め付けて祖国にさらしていたのです。
僕のこの肩書きは、自分がどの立場にあって記録や表現をしているかの決意表明でもあるのです。
…今日はこの辺で。



3/14記 25期の皆さんへ・3

ブラジルにて
日本ブラジル漂流協会のオカムラです。
皆さんは今頃、ロサンザルスでトランジット中かな?
今回はロサンゼルスで乗り換え・トランジットのためのガイドが付くんだったね。
まーなんともVIP待遇、君たちも偉くなったもんだねー。
トロく、と言い換えたら失礼かな?。
日本へ出稼ぎに行く人たち、多くは日本語も英語もチンプンカンプンな人たちがロスで違う航空会社、異なるターミナルの乗換えを行なっていることに思いを馳せて欲しい。
難民としてアメリカに渡った人の呼び寄せ家族とか、中南米からの出稼ぎの人たちとか。
皆さんはそういう人たちと何が違って何を共有しうるのか?
まあとりあえずはトランジットで困っていそうな人、路頭に迷っている人がいたら、できる範囲で声をかけてみてください。
一部のブラジル人みたいに、知ったかぶりでデタラメ教えちゃだめだよ。
さて、続きです。
この2月に、皆さんの有志の主催で僕の「郷愁は夢のなかで」という作品の上映会がサンパウロで開かれました。
マットグロッソの奥地で世間との付き合いを絶ち、掘っ立て小屋に住んでひたすら自分バージョンの「浦島太郎」の話をリメイクし続ける日本移民の老人の話です。
昨日、お話しした有名な学者の本には、家族であばら家に暮らす「失敗移民」の写真が出てきます。
家族を持つこともなかったこの老人は、この学者の区分けから言ったら「究極の失敗移民」でしょうね。
もちろん僕はこの人を失敗者だと思って取材をしたわけではなく、この人、西さんの作品は宮沢賢治に勝るとも劣らないものがあると考えています。
また、西さんを僕あたりには届き得ない境地に達した師とも思っています。
この作品をご覧になってこの人をただの惨めな失敗者としか受け止めていただけないとしたら、それは岡村の表現か、あなたの知性・人格に基づく鑑賞態度のどちらかの失敗かも知れず、もう二度と岡村の作品などご覧にならないで結構です。
もう15年ぐらい前になるでしょうか。
今やブラジル日系社会を牛耳ろうというぐらいのおつもりらしい日本人のグループから、撮影を頼まれたことがあります。
最初に向こうが提示してきた条件は反故にされるわ、オリジナルテープは持っていかれるわ、そのうえテープ代の実費も踏み倒されましたよ。
こういう連中の語る経営理念やら企業道徳だか知らないが、ちゃんちゃらおかしい。
宴会でガルソン(給仕)や連日、早朝から深夜まで飲まず食わずで撮影する僕のことを家畜のように扱ってくれたよ。
奴隷や家畜だってフェジョアーダやエサぐらい与えられるだろうから、こちとらそれ以下。
自分がつくづく「河原乞食」だと思ったね。
さてこの際、今でもこのグループを仕切っているらしい男との車中での会話。
「オカムラサン、最近、どんな取材をしているんですか?」
僕は「郷愁は夢のなかで」の取材をしている話をした。
男は言った。
「オカムラサン、どうして僕たちみたいな成功者の取材をしないんですか?」
息を飲む僕に、男は続けて言った。
「で、オカムラサンに取材させると、こっちはいくらぐらいもらえるんですか?」
僕はこんな輩に少しでも自分の仕事について語ったことを後悔したよ。
そして仕事を選ぶこと、見せる人も選ぼうと決意した。
僕に心を開いて取材に応じてくれた人たちの尊厳にかけて。
…この「郷愁は夢のなかで」、4月22日に東京で上映されます。
興味のある人は、トップページからアクセスしてみてください。
今日はこのあたりで。



3/15記 25期の皆さんへ・4

ブラジルにて
ハイ、皆さん、日本ブラジル傍流協会オカムラです。
日本時間15日が日本到着予定日だったね。
無事、迷子にならずに成田にたどり着きましたか?
「また」パスポートのチョンボなんかなかった?
ハンカチ・ハナガミ持ってる?
で、いかがですかな、1年ぶりの日出る処の印象は?
とはいえ、おそらくまだ皆さんの誰もオカムラゴトキの日記サイトなんて見てないだろうねえ。
しかしこのシリーズ、「無交流」の人たちからの反響が少なくないので続けます。
去年の24期の報告書にこんなフレーズがあったよ。
ええと…
ゴメン、オリジが見つからないので、覚えてる範囲で。
「1年経って日本のテレビを見たら、知らない人ばかりが出ていた」。
こんな感じでした。
いいっすねー。
日本ブラジル交流協会25年の意義は、このひと言に尽きる。
それはさすがに大げさか。
今日、言いたいのは、ブラジル滞在中、特に帰国前、そして帰国直後にあなたが何を感じ何を思ったかが、かけがえもなく貴重だということ。
まもなくポロロッカ(スーパーじゃねえぞ)のように、日本の日常が押し寄せてあなたを足元から頭のてっぺんまで飲み込んでいく。
人間の記憶、交流協会生の「ゼッタイ」ほどいい加減なものはない。
すぐに忘れたり、どうでもよくなってしまう。
個々の経験と知見は語り継がれることはなく、後進は、そして本人も同じワナに落ちて、同じ過ちを犯す。
記憶すること、記録すること。
これが人智というもの。
今日は前置きが長くなったので、この辺にしておきますかな。
順番が変わったけど、少しホンバンのコメントでも触れたこのことも改めて伝えておきたいことのひとつでした。


3/16記 25期の皆さんへ・5

ブラジルにて
やーやーみなさん、一年振りの代々木収容所生活はいかがですか。
けっこう、ハイなテンションでやってんだろうねー。
今日、こちらの事務局に顔を出してきたよ。
僕なんかいまだガキの延長みたいなもんで、「大人は汚ねえゾ」といった体制不信があるんで、けっこう君らの側の味方をしたつもり。
でも少し裏を取っていくと、皆さんもなかなかアザトいみたいじゃないの。
イヤハヤでんなー。
この連載への力もガクンと抜けたけど、いちおうオチがつくまで、もう少し書きますかね。
さて、どうして僕が数ある肩書きのなかから今回「失敗移民」を選んだか。
君たちからこんな連絡をいただいていたからです。
「私の研修は失敗でした」。
「僕の旅は失敗でした」。
ナカナカ君たち、自己採点が厳しいじゃないの。
僕だって自分から失敗移民と言っていても、先に書いたコロニアの自称成功者どもからアイツは失敗移民で、などと言われるとコノヤローと思う。
失敗か成功かは本人の解釈の問題、あるいは神の領域であって、うつろな権威にあぐらをかいている連中ごときにとやかく言われる筋合いはない。
僕は今、君たちがいること、いてくれることで十分、成功だと思うよ。
ポル語でも似た言葉だけど、英語だとズバリ「成功」と「継続」は同じ言葉。
「継続は力なり」とはよく言ったもの。
そこでまた、思いを馳せてもらいたい。
今、君たちと一緒にいない、いることのできなかった人たちのことを。
家庭や体調などの都合で、そして君たちはテキトーにごまかして妥協してごまかした日本ブラジル交流協会の方針に従うことを潔しとしないで去っていった仲間のことを。
自分は、誰の側にいて、何をするべきか。
自分の弱さをいやというほど思い知らされた今こそ、君たちの成長のチャンスだと思うよ。



3/17記 25期の皆さんへ・6

ブラジルにて
今日は皆さん方の協会の大宴会でしたね。
宴の後には現実が待っているよ、へへへ。
もう逃げられないぞ。
1週間前の自己紹介で、この1週間のうちにブラジルの恐竜事情についてアップすると公言しましたけど、実現しました。
公言したことは実現しましょうね。
日本ブラジル恐竜協会のオカムラです。
現在、僕は皆さんと同じ年の頃、大学時代に出会い、僕の人生の進路に最も影響を与えてくれた先輩の、追悼ドキュメンタリーをまとめています。
その先輩、今年の5月で七回忌を迎えます。
3年ほど前にこの仕事を思い立ち、この2年ぐらい、他の仕事の合間を縫って訪日してさらにフィリピンに2回、そしてカンボジアにも出向いて取材を進めていました。
経済的には、もうヤケクソですね。
僕を含めた関係者が故人の記憶を発酵させ、かつ風化する前の、いい頃合いに取材を敢行できたと思っています。
この先輩のおかげで今日の僕があるわけですが、考古学時代の先輩ですので、ブラジルは関係ありません。
なのに、なんでブラジルの失敗移民が東南アジアくんだりまで通ってこんな経済的には非常識なことをしたのか?
「ザ・恩返しジェネレーション」のボキャブラリーからだと、「恩返し」みたいな言葉が出てくるかもしれない。
でも僕は、死んだ人への恩返しなどは偽善か自己満足だと思う。
そういう言葉でいうことができないので、僕は作品を作る。
自分ならではの特性を活かして、楽しく。
皆さんにも一人一人、それぞれ自分の特性を鍛えて、活かしてもらえたらな、と願っています。
自分の特性や天職などそうたやすく、ブラジルに90万円使って11ヶ月滞在したぐらいじゃあ見つかるものじゃないかもしれない。
事情が許すなら、あせらず、自分を安売りせずに、今後も機が熟するのに備えたらいいよ。
知性と感性を鍛えつつ、ね。
僕はその仕事の仕上げのため、5月中には訪日して、ひと月ぐらい滞日するつもりです。
東京と地方で少し、上映会を開くと思います。
関心のある人はこのサイトを時々チェックしてください。
今回からは、いろいろな事情でご自宅等を出ることができない方の、訪問上映も始めてみることにしました。
君たちのなかで、じゃあ岡村作品の上映でもやってみっか、という人がいたら大歓迎、日本中どこでも行くよ。
カネのない君たちからカネをせしめようという気はないから、その点はご安心を。
ある人からはもらうけどね。
でもブラジルと一緒で、ある人は出さないねえ。
ま、楽しくやりましょ!
あなたがブラジルチックと思ったことよりブラジルチックなもの・人・場所が日本にもあるかもしれない。
それに安いのなら11万円ぐらいで日本―ブラジル往復のチケットが買えるんだから、この世の終わりみたいに大泣きすることもないよ。
それじゃあ Se Deus quiser といったところで!



3/18記 ルシアシスター

ブラジルにて
フマニタス時代にお世話になった長崎純心聖母会のルシア徳見シスター。
ルシアシスターが亡くなっていたことを、昨晩、知る。
いつも僕あたりにも細かい気配りをしてくれる人だった。
修道女とは、なにをする人なのかを日常のなかで垣間見させてくれた。
訃報を伝えるカードを見ると、僕と生まれの年も月も一緒だった。
ただ、祈る。


3/19記 世界に広まるNHK疑惑

ブラジルにて
パクリ疑惑のNHK放送八十年記念ドラマ「ハルとナツ」。
私は昨年10月6日の放送終了と同時にNHK会長宛に質問状を送っているが、NHK側からは何の返答もなく、いまだに黙殺されている。
いっぽう今年になってNHKはこの疑惑のドラマのDVD発売を行ない、今月末には再放送もするという。
このNHKの言語道断のえげつなさは、日本国内では「またか」とすぐに飽きられても、その後、海外各地で波紋が広がっている。
詳細は今後のお楽しみ。
せっかくだから最近、この問題を知ったというアメリカの大学の研究者の英文のサワリだけご紹介しておこう。
I have never heard anything like that with any major networks here in the United States. NHK does not have any ethics or shame at all!
NHKはその場のごまかしばかりで、世界的に通用するモラルなど関心はないようだ。
いまだに受信料を払っている人間を適当に騙し続けてればいいというわけである。
モラルも誠意もなく、有名無名のメディアや個人の善意を踏みにじって制作された番組が、海外でも垂れ流されていることを忘れてはならない。
ごまかしをごまかしでつくろっていけば問題は大きくなるばかりである。


3/20記 世界のニュースから

ブラジルにて
最近、心に焼きつくニュースは非・日系メディアの日本語版ニュースからが多い。
ブラジルボケのあなた、交流協会ボケの私を覚醒させるニュースをひとつ。
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/03/html/d89815.html
すぐに言葉も出ない。
さらにショッキングな続報もある。
僕にはコメントする能力もない。
これは過去の事件ではない。
まさしく、現在進行中の事態なのだ。
いったい、自分に何ができるのか。
激しい無力感を覚える。
そして、まず知ること、関心を持つことかと思う。
「目を覚ましていなさい」という言葉が聞こえてくる。


3/21記 恐竜協会のこころ

ブラジルにて
アップの正式発表が遅れました。
「ブラジルの恐竜事情について」です。
http://www.univer.net/1_nanbei/0603.html
ジョーダン・ダジャレも真剣に言っております、ハイ。
これなんか日本のテレビ屋にクリックひとつでパクラれそうだねえ。
なので、テレビ屋的においしいところは抜いてある。
ご自分で調べる喜びを奪うのは、失礼というもの。
恐竜といえば、こんなことを思い出した。
在日本の、化石・恐竜大好き青年と知り合った。
彼が日本でブラジル日系女性と出会い、結婚。
夫の仕事の都合で日本に居を構えたが、妻の方はブラジルに帰りたくて仕方がなかった。
彼は日本での僕の上映会に来てくれて、「反省会」にも出席して明け方、最後までいることもあった。
そんな彼にブラジルの化石・恐竜事情を面白おかしく話したりもした。
ある時、妻の方からこんなことが伝わってきた。
「自分たちはブラジルに住もうとしているのに、オカムラサンが反対だと夫に言った」。
オレがそんなこと言うかねえ。
もちろん、ブラジルに住んだら?と言った覚えもないけど。
こちらの事情について、問われればお伝えするけど、住む・住まないは自分たちの決断する問題。
自分たちのビビリをよりによってオカムラのせいにするとは、恐竜協会の精神に反します。


3/22記 NHKの良心

ブラジルにて
NHKの「女性国際戦犯法廷」番組改編問題について。
この問題について東京高裁の口頭弁論で、NHKのチーフプロデューサーがNHK内部で政治家とのやり取りについて事実を口裏を合わせて「改変」していたと証言した。
http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY200603220336.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060323ddm041040012000c.html
僕もNHK内部で何度も仕事をしている。
民放や制作プロダクションでは考えられないぐらい、優秀で良心的な仕事をする職員を何人も見ている。
上記の問題を、NHK内部から勇気ある告発をした人とも仕事をしている。
それだけに「ハルとナツ」パクリ疑惑事件で、一人のプロデューサーのデタラメ・怠慢・傲慢を会長の名の下に「口裏あわせ」をして隠蔽を図るNHKそのものと闘争することになったのは、遺憾でもある。
「ハルとナツ」の問題のプロデューサーはブラジルでもヒンシュクを買っていることがわかっている。
僕は今でもNHK内部の、こうした腐敗・不正に「否」と公言する良心と勇気に期待している。
朝日新聞オンライン版にある口頭弁論でのチーフプロデューサーの言葉。
「(NHKは)真実は何か、世間に説明するべきだ」


3/23記 移民の都

ブラジルにて
さる会合があって、リベルダージへ。
開始時間の聞き間違いか言い間違いがあり、2時間早く着いてしまう。
適当に時間をつぶす。
会合の後は色気抜きの飲み会。
まあ今日はあちこちでいろいろと面白い話もあり、こちらも披露させていただいた。
ケッサクなのは日本国外務省官僚がらみの話だが、これは他のメディアに譲りましょう。
下品な話はNHKだけで食傷気味で。
地下鉄1本でチョロッと行く身にもこんなに刺激的。
地方から、たまーに「上聖」する日本人移住者にとっては、さぞ刺激的な場所であり続けたんだろうね。
落ち目の東洋人街は。


3/24記 ヘルツォーク!

ブラジルにて
昨晩からブラジル国際ドキュメンタリー祭が始まる。
オープニングは、次があるかわからない日本人一世たちとの飲み会を抜けがたく、断念。
今回の目玉は、ヴェルナー・ヘルツォークのドキュメンタリー特集。
あのヘルツォークが、こんなにドキュメンタリーを手がけているとは恥ずかしながら知らなかった。
最も観たかったのは今晩上映の、邦題「白いダイヤモンド」。
昨年、アメリカから当地を訪ねてきたドキュメンタリーメーカーに当時、編集中だった「ギアナ高地の伝言」の話をした。
すると、ヘルツォークがギアナ高地を舞台にした映画があり、それを見たというではないか。
あの「アギーレ」と「フィッツカラルド」のヘルツォークが!
ずっと気になっていた。
今日、映画館に駆けつけたオカムラの心境は、「フィッツカラルド」のイントロシーン、ヨーロッパからのオペラが見たくてマナウスのアマゾナス劇場に奥地からカヌーで乗りつけた主人公の心境。
で?
安心しました。
「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」、5月に東京での上映会が内定、これからバックアップ記事を書きます。
ヘルツォークよりはるかに上を行った。
少なくとも、取材地の高度はね。


3/25記 三人

ブラジルにて
今日は家庭の事情もあるので、1本だけドキュメンタリーを見に行く。
サンドラ・ヴェルネックの「Meninas(Teen Mothers)」。
リオの、13-15歳の三人の少女の妊娠から出産までにお付き合いした作品。
重い。
ブラジルのティーンたちへの教材にしてもらいたいところ。
この作品、主人公の三人の少女の他に、さらに二人の妊婦、計五人の妊婦が登場。
僕のトロい把握力では、主人公三人の名前、そして誰が誰だったか等、固体識別できなくなってしまう。
図らずも現在、編集中の「KOJO」は主人公が三人。
三人とも考古学関係者で、故・古城泰さんと親しくされた人。
ゴチャゴチャにならないだろうか?
まず、大丈夫でしょう。
乞う・ご期待。


3/26記 コンゴ河

ブラジルにて
今日は少し無理をしても見ておきたい1本に駆けつける。
「Congo River」、2005年ベルギー制作のドキュメンタリー。
コンゴ河といえば、あのコンラッドの「闇の奥」。
コッポラの「地獄の黙示録」の原作とされた世界だ。
概要を見ると、秘境の民族の奇習を訪ねるといった、かつての「すばらしい世界旅行」のノリである。
何を見せてくれるかと、ワクワクする。
して、内容は…。
内戦と大量虐殺。
人を30人は殺したというあどけない元少年兵。
5歳の時に民兵にレイプされたという少女。
現実の世界は、日本の民放の海外紀行番組のようにおめでたくないことを痛感。
誰だ、あんな梗概を書いたのは。


3/27記 今日の極言

ブラジルにて
テレビを見続けると着実にバカになるが、ドキュメンタリー映画を見続けると少しは利口になる
と、思った。
こちらが極言だと言っているのに目くじらを立てるバカな人は、あまりいないだろう。
朝の子どもたちの送り、パソコン作業、自作ドキュメンタリーの編集と家事を昼過ぎまで手がけて、今日は4本のドキュメンタリーを鑑賞。
日本でこんなことができるのは2年に1度のヤマガタぐらいだろ、ざまあみろ。
と、よく考えたところで、とんでもない、わが故郷の東京で毎年、ドキュメンタリー三昧ができるのを失念していた。
今年は4月22日から29日までの、下高井戸シネマのドキュメンタリーセレクション。
そして5月の連休に開催されるメイシネマ。
いずれも主催者の熱い思いが1本1本に込められた手作りの企画だ。
手前味噌ながら、今年は両方で拙作をチョイスしていただいた。
詳細は「上映会実施のお知らせ」でお伝えします!


3/28記 25期の皆さんへ・オマケ

ブラジルにて
日本に帰った日本ブラジル交流協会25期研修留学生の一人からいただいたメールに、お、これはいいねえというのがありました。
それにちなんで、もひとつ、遺言のオマケ。
ロスで迷子棄民も出なかったようで、無事帰国と解散、おめでとさんでした。
あなたたちの一人からいただいたメールに、おお、これこれ、と気づかせてくれるのがありました。
遠く離れて暮らすお祖父ちゃんを訪ねて、聞けるうちに話を聞くことにした、というのです。
いやー、いいじゃないの。
これも手前味噌だけど、僕の作品のなかに「ブラジルの土に生きて」というのがあります。
ミナスの奥地でひっそりと暮らす明治生まれの老移民夫妻に、4年余り寄り添った記録です。
日本で上映会を開いてくれる人がいて、見に来てくれた君たちの先輩の一人が、田舎のおじいちゃんを訪ねたいと思った、と言っていたのを思い出しました。
葬式や法事で行っても、面白くもおかしくもないよ、せいぜい後悔ばかりで。
もし祖父母やそれに準ずる人がご存命なら、ぜひこの機会に会いに行ったらいいんじゃないかな。
ひととおり亡くなっていたら、お墓参りもいいだろうね。
お彼岸にちょっと遅れたけど。
君たちがブラジルで、なんなんだよこいつら、と思っただろう移民に近いのが、あるいはそれよりキョーレツなのが身近に、血縁としていることに気づくんじゃないかな。
自分探しのしたい今こそ、生きている自分のDNAと生きる喜びを交わしてください。
そうそう、君たちの制度の義務だか強制だかに、ブラジルに行く前に100冊の本を読め、というのがあったね。
誰がどういう理由で決めた100冊かも知らないし、それがよかったという話も100キロハイクよりもまるで聞かないね。
100年の計、とか100の好きな人が誰かいるんだろうね。
それでいて25で終わっちゃったりして。
まあ無理に読まされて、いや読んだフリをさせられる本なんかどうでもいいんだけど、ちょっと古典な映画でもお勧めしてみたいと思って。
たいがいのレンタル屋にあると思うよ。
少しは岡村に騙された感じの人は、騙されついでにどれかひとつでも。
出自から呪われ、移民も視聴者も愚弄し続けるNHKの大インチキドラマなんかとは、比べ物にならないことは確か。
今、君たちにオススメの理由はあえて省略。
1.生きる(黒澤明監督)
2.七人の侍(黒澤明監督)
3.東京物語(小津安二郎監督)
以上、オマケでした!



3/29記 楽しんで

ブラジルにて
おもしろいことになってきた。
これまで上映の機会に恵まれなかった拙作を、日本の思わぬ人が、願ってもないところで上映してくれるというのが実現に向かっている。
全くこういう世界とは無縁の堅気の方のご厚意である。
ただ、感謝。
その人から、上映会の実現に向けて、これまで地元ながら縁のなかった人との出会いを楽しむことができそう、との報告あり。
我が意を得たり。
パソコンやDVDなどでのパーソナルで閉じた、その場限りの視聴ではなく、上映の場に向かうという行為、そして想定を超える出会いの場と時を楽しんでもらう。
時には誹謗中傷までちょうだいしながらこの方針を貫いてきて、少しはValeu a penaかなと思っています。
さあ、お楽しみはこれからだ。


3/30記 考古したい時に…

ブラジルにて
ドキュメンタリー鑑賞三昧の日々も終盤に。
今日は、家族のローテーションを代えてもらっても観たかった1本あり。
期待以上だった。
「The Giant Buddhas」。
制作国スイス、セールスコンタクトはカナダというマルチナショナルドキュメンタリー。
音楽にフィリップ・グラスといえば、通の方にはその大作ぶりを想像いただけるだろう。
西暦2001年、タリバンによって爆破されたバーミヤンの巨大石仏像について。
こういう方面が好きな向きの知的好奇心を刺激してやまないネタが、いくつも盛り込んである。
考古学をめぐる大作でもある。
現在、僕が編集中の「KOJO」も、究極のテーマは生きること、死ぬこと、そして生きることだが、考古学とは何か、考古学に関わることは何かという問いが込められている。
前述の作品とはあまりにもスケールが違いそうだが、一個人の闘いを観ていただきたい。


3/31記 Dona Helena

ブラジルにて
今日の1本はこれ、「Dona Helena」。
ブラジルでは年に1-2本ぐらいは国産ミュージシャンについてのドキュメンタリーが劇場公開されているんじゃないかな。
あまり関心がないんで、ほとんど見てないけど。
今回のドキュメンタリー祭でも「Herbert de Perto」という、ウルトラライトプレーンの事故で半身不随になり、奇跡的な活動再開をしたミュージシャン・Herbert Viannaのドキュメンタリーを観ているが、恥ずかしながら音楽にも彼にも関心がなかったので、あまりのれなかった。
この、ドナ・エレーナは面白かった。
インディオ、パラグアイ人、ミナス人などの血を引く南マットグロッソのドナ・エレーナ。
9歳からギターを弾き始め、60歳を過ぎてからマスコミの注目を浴びるようになった。
文盲、3回の結婚と10人の子供。
心なき心に染みるギターの旋律。
彼女が触れた南マットグロッソの空気が伝わってくる。
いかにもカボクラ(インディオ系の女性)のばーさんがドハデな装束をまとい、歯に絹を着せないトークをかますのも痛快だ。
軽妙な旋律の奥の、生きることのしんどさ。
かつて、一度だけ故・牛山純一をやり込めて、「ドキュメンタリーは、素材だ」と言わしめたのを思い出す。
今度、CD屋でドナ・エレーナを探してみるか。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2024 岡村淳. All rights reserved.