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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2007年の日記  (最終更新日 : 2008/01/02)
2月の日記・総集編 牛山純一かく語りき

2月の日記・総集編 牛山純一かく語りき (2007/03/01) 2/1(木)記 KOJOの芽

ブラジルにて
同じ日に拙作「KOJO」についてのメールでの問合せや打ち合わせが重なる。
ひとつは、思わぬ筋から、思わぬ件で。
自分のしたことを考える。
「アマゾンの読経」そして「KOJO」。
埋もれた巨石に、レンズを通してささやかな光を当てる。
逆かもしれない。
闇と思っていたところのなかの輝きを、レンズを通して光と錯覚している側に反射させる。
その両義的なポジションにいますのが、映像チャネラーということか。
「KOJO」、作品は出来ている。
その芽吹きを楽しもう。


2/2(金)記 サンパウロ旧交

ブラジルにて
秋葉なつみさん。
ブラジルに絡んだ人のなかには、ご存知の向きもおられるだろう。
1月、急死された。
夜、偲ぶ会が行なわれる。
お連れ合いの楠野裕司さんにひと言、お悔やみを、と出席。
セレモニーやら挨拶やらが2時間以上続く。
ふだんなかなか会えない人たちに何人も会える。
死者を心に留めながら、それを機会に生者同士が出会い、交わり、思いを新たにする。
それに尽きますな。


2/3(土)記 名誉の征服

ブラジルにて
星野智幸さんの最新刊「植物診断室」を一気に読了。
その余韻を咀嚼しながら、最寄のシネコンまで歩く。
昨日、封切りとなった邦題「父親たちの星条旗」。
ポル語では「名誉の征服」。
通常、ハリウッド映画はブラジルでは日本より早く公開されるのだが、これは遅れた。
「硫黄島からの手紙」の予告が上映されるが、これまた待ち遠しい限り。
図らずも「植物診断室」と「父親たちの星条旗」、「あの戦争」をどう伝えていくかという共通テーマが浮かび上がる。

後者については、沢木耕太郎さんが朝日新聞「銀の森へ」(昨年11月6日付)に書いた以下の文をかみ締めたい。

戦争を美しく語る者を信用するな、彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから、と。


2/4(日)記 公開回答

ブラジルにて
こんな泡沫サイトでも、開けておくと、いろいろな問合せが舞い込んでくる。
メールには基本的に返信しているのだが。
よほど失礼なのは除いて。
返信がなければ、メールの未着事故か、よほど失礼なメールだったとお考えいただきたい。

本日はソコソコ失礼なメールの問合せが。
HPを見たとあるが、こちらの宛名もなければ、HPがどうだという具体的な記述がないので、不特定多数にばらまいていることがうかがえる。
こっちの生物についての取材に協力してくれ、とのこと。
「NHKさんも合同で話を進め」「特番」うんぬん。
まともにこっちのサイトを見ていりゃあ、そんな話に小生へ協力を頼むというのは失礼の範疇でしょうね。
「NHKさん」に対して。

昨年後半、著しく失礼な話があったが、これはまた。


2/5(月)記 メイシの条件

ブラジルにて
「スミマセン、名刺を切らしちゃっているもので」
人様に名刺をいただいて、こういう恥ずかしいセリフは極力吐きたくない。
「名刺は持ち合わせませんもので」
こんなかっこいいセリフを吐けるほどのタマではなし。

夜、なんちゃら報告会という名称に偽りミエミエの飲み会に参加する。
出席者は日系人ばかり。
同じ丸テーブルの人と友人を介して話が弾み、お名刺をいただく。
すると近くのテーブルの人たちも名刺を持ってやってくる。
ブラジルに戻ってからしばらくこういう席がなかったので油断していた。
手持ちの名刺は4枚。
あっという間にはける。
さあ弱った。
今、もらったばかりの名刺を渡すわけにもいかないし。
と、この4人でとりあえず打ち止めとなる。
いやはや。

サンパウロは日本語・ポル語併記の名刺制作も可能。
そろそろ追加分を頼んでおくか。


2/6(火)記 牛山純一かく語りき1

ブラジルにて
変色の始まった古い新聞スクラップの束を発見。
区分けしてみると、牛山さんの書かれたものがあった。

朝日新聞1995年8月付。
亡くなられる2年前だ。

現在の日本のテレビをめぐる問題の本質を捉えていると思う。
一部を紹介しよう。

細切れ情報だけ 
志 失ったテレビ


(前略) 現場にじっくり腰をすえ、内側からえぐっていくドキュメンタリーの手法は、調査報道につながる側面があると思います。そこには、つくる側のメッセージがあります。力があります。これが私のテレビについての原点です。
 ところがテレビは報道機関ではなく、興行機関になってしまいました。「娯楽-視聴率-金もうけ」の道具です。ワイドショーは細切れの情報を伝えますが、メッセージはありません。精神が不まじめです。
 日本のテレビは、世界の中でとても特殊ではないか、と思っています。「志がない」という点です。戦後、日本という国が志を失い、その鏡としてテレビにいちばん鮮明に映し出されているのでしょうか。それともテレビが、この国の志を失わせてしまったのでしょうか。(後略)



2/7記 棚からハリポタ

ブラジルにて
現在、ポスト作業中の「あもーる あもれいら」。
それを除いて、実現するかもしれない企画が4本ある。
1本ぐらい陽の目を見ればいいかとぐらいに思っていた。
そのうち1本は昨年末より撮影を開始してみたが、イマイチあずましくない。
さて、うち最も古くから暖めていた企画が、昨晩から急に実現の見通しとなった。
先方の健康次第だった。
ちょうど今朝から先方にうかがう予定で、これも奇遇。
昨日から断食のまま、今日は4時間運転、カメラも回す。
心地よい疲労感。
この企画の仮題をミクシィの方にアップ。
こちらは岡村潰しを図る向きにもご覧いただいているようなので、ちょっと控えめにさせていただく。
ミクシィも足跡を残さずに覗くテクがあるというが。
なんだかハリポタシリーズのような仮題。
いざ。


2/8(木)記 「あ・あ」通信1

ブラジルにて
現在、「あもーる あもれいら」のポストプロ作業中。
それに併行して二つの作品の撮影、ふた月足らずとなった訪日、そして「本業」たる家事等々とせわしなくなってきた。
「あもーる あもれいら」、略して「A・A」も凡庸だから「あ・あ」でいくか。
ブラジルのドいなかの、貧しい託児所の話。
それがなかなか僕にとっては大作だというのがいかにもオカムラチック。
けっこう長尺になりそうなので、時間軸でバッサリ適当なところで前・後編に割っちゃうつもり。
となると、タイトルバック用の絵が同じというのも芸がなし。
こういうのはそれだけ撮りに行ってホイホイと撮れるものでもない。
手持ちのものも、けっこう苦労して撮った。
今日のプレビューで、ちょいとしたのをキープ。
ホクホク。
いずれにせよ、まだまだ先は長い。


2/9(金)記 桜なくても

ブラジルにて
ブラジルは、1月の末から新学年が始まる。
サンパウロの公立学校はまだ始まらないようだが。
日本だと新学年といえば桜の花だの、新しいランドセルだのといった風物がある。
こちらでは大学の新入生が丸坊主にされていたずら書きをされ、一般市民に小遣いをねだるぐらいか。

我が家も先週半ばからスタート。
新しいまる1週間がようやく終わった。
娘の新しいクラスにちょっとした問題が。
「イヤなことから逃げていると、ずっと逃げ続けていなければならなくなる。
思い切って正面からぶつかってみれば、きっといい道が開けるよ」。
こんなことを娘に言う。
自分自身への言葉でもあった。


2/10(土)記 牛山純一かく語りき2

ブラジルにて
日本のテレビに希望はあるのか。
先日、ご紹介した牛山さんの記事の続きをご紹介しよう。
同じく、1995年8月の朝日新聞に発表されたもの。

 この状況をどう変えるのか。視聴率至上主義など容易ではない問題は数多くあります。ここに取り上げたら際限がなくなりそうです。ただテレビに携わる「人間が充実していないといけない」とは言えます。「野茂」や「イチロー」を見て下さい。たった一人でも状況を変えられる可能性はあります。小さなローカル局でも可能です。
 そこから全国一律ではない、まじめなメッセージが発信されてくることを、私は期待しています。


牛山さんは、最後までテレビにこだわった。
この記事から11年半。
すでに、テレビ以外のオプションが見えてきた。
充実した人間、たった一人でも状況を変えうる人間はテレビに拘泥する必要がない時代だ。

僕は、「テレビ以前」のあり方に今後も挑み続けるだろう。


2/11(日)記 観音の夢

ブラジルにて
明け方、観音の夢を見た。
けっこう気にしているのだろう。
現在、日本では3連休。
この連休を利用して、伊豆大島富士見観音お掃除隊が活躍中のはずだ。
ブラジルに研修に行った若者たちのOB・OGが中心。
一年に一度程度の活動だが、すでに5年を経過。
交通費等自分持ちの、まさしくボランティア活動だ。
この観音の由来を伝える拙作「アマゾンの読経」は撮影開始から改訂版制作まで、11年かけた。
ややこしいこと抜きに今年もお掃除が実行されたこと、感無量。
新たないろいろな出会いが炸裂していることだろう。
観音で結ばれたカップルあり、観音に散ったカップルあり。
観音ベビーの誕生も近いと聞く。
ビデオなんざ、きっかけになればそれでけっこう。


2/12(月)記 メン食い

ブラジルにて
まー今日はいろいろあった。
本業の方、転換を余儀なくされる。
何年ぶりだろう。

シャレにならない話はここでは止めましょう。

先週から、今日は体調調整のため、断食をすることにしていた。
午前中、知人から電話。
昼に友だちと中華手打麺を食べに行くので、一緒にどうかという誘い。
「せっかくですけど、今日は断食をしていますんで…」
「麺類ならいいでしょう?」
断食を何とお考えか。

昼になり、今度は異国から訪問中の友人から電話。
今晩、もうまた異国に発つと言う。
「ご都合がつけば夕食でも」と先方。
無粋ながらこちらはアルコール抜きの液体で、という条件で午後、先約済みの用件の後で会う。
彼にはショッピ(生ビール)、カイピリーニャ、アラキ酒とガンガン飲んでいただく。
こちらはハッカ入りパイナップルジュール。
話せば盛り上がる。
我が家の近くの怪スポットにぜひ、ということになった。
聞くと、フライトは午後9時。
すでにラッシュアワーに入っている。

そのフライトを逃すとスケジュールが総崩れとのことで、最も確実な方法で送り出し。
国際線で午後9時なら、空港のファーストフードぐらいしか夕飯に食えないぜ。
まあ気が紛れてよかった。
帰宅後、家族に遅い夕食を作る。


2/13(火)記 「たかがブラジル、されどブラジル」

ブラジルにて
こんなタイトルで駄文を書いた。
http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/108197775.html
昨年12月が締切りだと勘違いしてあわてて書いたもの。
さあ訪日前に次のを書かなくちゃ。
それには書けるようなこっちのドキュメンタリーを探して観ないと。
いやはや。


2/14(水)記 見させていただいて

ブラジルにて
「こんな○○な作品を見させていただいて…」
拙作上映会で、こういったご感想をいただき、恐縮することがある。
いえいえ、それほどでも。
今日、観た映画は「見させていただいた」感たっぷりだった。
メル・ギブソン監督の新作「Apocalypto」。
アメリカでは昨12月に封切り。
ググってみるが、日本ではまだ公開予定も定かでないみたい。
中米の熱帯林に生きる先住民が主人公。
熱帯林モノは大好きだが、これは相当にいけてるぞ。
まずは豊臣靖ディレクターの「すばらしい世界旅行」『大アマゾン裸族』シリーズを思い出したぐらい。
イヤハヤ無理をしても見ておく、いや見させていただく映画はあるわな。


2/15(木)記 宿年の

ブラジルにて
何年も前から想定していたシーン。
今日、撮影決行。
午前5時台、深夜の延長のサンパウロで車を走らす。
日の出前から撮影、メインのシーンは午後に。

このシーンだけでは作品が成立しない。
全体があった上での強烈な添え物である。
寿司のガリ、牛丼の紅しょうがみたいなものか。

こちらの予想を超える、怖いぐらいのシーンが撮れたかも。
ドキュメンタリー屋の至福。

夜更け、ヘロヘロながらも充足感のうちに再び車で帰路につく。


2/16(金)記 あ・あ通信:遺影

ブラジルにて
「あもーる あもれいら」は0歳児から6歳児までの託児所の記録。
子供たちの異動もあり、シスターたち、職員たち、子供の家族も絡むから取材対象人物は100人以上にのぼる。
全員を均等に撮るなど不可能だ。
ある程度、記録の軸になるキャラクターを絞り込んで撮影をすることになる。
撮影期間は1年間。
終了間近、とんでもない事件が発生。
その主は、失礼ながら影の薄い子供だった。
しかも取材のメインからはずしたクラスの子。
その子を紹介できるだけの映像があっただろうか。
大勢の人間を長期取材する場合、結果から過去の映像を探し出す作業もあるのだ。
半ば以上、諦めていたが…
あった。
映像を見つけて、震えた。
記録の場における、エネルギーや磁力といった何かを、感じざるを得ない。


2/17(土)記 日本の収容所

ブラジルにて
先日、日本から電話取材を受けた件の記事がオンライン版にアップされている。
神戸新聞2月16日付。
「旧神戸移住センター改修、市が予算化」という記事。
コピペをかまそうと試みるが、コピーできない仕組みになっているようだ。

かつて移民収容所と称されていた神戸の建物の改修を神戸市が予算化した、というもの。
関係者は国による保存を訴え、国立移民記念館とする計画を掲げていたが、本来この件で動くべき外務省に相手にされなかった。
そのため国土交通省の交付金を受けるという。

この建物は今日、日本に残る移民の関わった唯一の文化遺産だといえる。
横浜にも1960年代まであった移住センターの跡地の現状を知りたいと思い、JICA、神奈川県、横浜市等に問い合わせたことがあるが、たらい回しにされるばかりで誰も把握していなかったというお粗末な状況が一方にはある。
神戸はズバリ建物が空襲も大震災も逃れて現存しているのである。

広島に例えてみれば、大枚をかけたり、有名アーチストを起用したモニュメントより、原爆ドームの存在の方がはるかに胸を打つことだろう。

横浜の埋立地にビジネスホテルみたいな建物を作り、そのなかに海外移住資料館なるものをこさえて、移民を愚弄する「ハルとナツ」展みたいなことを平気でやれちゃうのが移住事業に携わったお役人たちである。
ありがた過ぎる。

本物の移民は、本物にこだわり続けたい。

追伸
人様のサイトで、この記事にリンクが貼ってあるのを発見。
これからなら跳べる。
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/ko/0000243407.shtml



2/18(日)記 猛暑襲来

ブラジルにて
去る1月の世界の気温は例年より一度アップという記事があったような。
わがサンパウロは年末以来の冷夏で、地球温暖化対抗に少しは貢献していると思いきや。
ここに来て猛暑到来。
しかも無風。
ご破算ですな。


2/19(月)記 外道の道

ブラジルにて
今日も未明から活動。
午後、待望の映画にチャレンジ。
老師依頼の用事であちこち回り、切符売り場到着が開映5分前。
列に並ぶこと20分以上。
ファーストシーンを見逃すのも不本意、とりあえず気になっていた別の映画を見ることに。
これがなかなかのイカモノ、外道映画。
そろそろ有料の原稿料フリーマガジンに連載を書くつもりだったので、これを肴にしてみよう。
外道は外道らしく。

さて本命の映画は当地で16日に封切りになった「硫黄島からの手紙」。
この映画、当地ではサンパウロ日本国総領事館と日本語新聞社が共催で特別試写会を行なった。
俳優と台詞の大半は日本人と日本語だが、ハリウッド資本のアメリカ映画であり、主権がアメリカにある映画であることは間違いがない。
不肖私もサンパウロ総領事館に住民票を移して20年近くになる。
しかし今までサンパウロ日本国総領事館の催した映画試写会というのは、他に寡聞にして知らない。
その間、黒澤、宮崎から北野、是枝までさまざまな誇るべき純日本国産の映画が当地では上映されてきているのだが。
ブラジルくんだりに送られてくる日本の官僚は、日本のアメリカ属国化を文化面でも促進しようということか。
NHKのインチキ移民ドラマごときをありがたがる類には、ふさわしいイベントかもしれない。


2/20(火)記 「ブラジルなめると」

ブラジルにて
今日はカーニバルの祝日。
明日も休みといえば休みだが、老師から大役を仰せつかっている。
訪日までちょっとあわただしくなりそう。
で、原稿料フリーマガジンの連載の形をつけておく。
タイトルは「ブラジルなめると」。
ちょっと変わったものを書いてしまった。
先回は昨年7月が締め切りだといわれて真に受けて、校正のゲラも送ってこなければ担当も不明のまま、刊行は堂々今年1月。
エンターティナーとしては、いつ頃出るものかを想定してそれに合わせたいところだが、それができない。
いちおう賞味期限ってモノもあるだろうし。
原稿料はフリーでも、売り物ですからね。


2/21(水)記 女の記録

ブラジルにて
今日でカーニバル休暇はおしまい。
午前中よりサンパウロ郊外に住まれる老師の元へ。
運転手として東洋人街等にお連れする。
道順や駐車スペースでヒーコラ。
も言っていられず、撮影もかます。

今回の撮影で際立ってきているのが、老師のお連れ合い。
主役を喰うかも。
今まで、拙作でよく語られる女といえば。
「60年目の東京物語」の森下妙子さん。
「ブラジルの土に生きて」の石井敏子さん。
「ビデオレター」シリーズ2作のバイプレイヤー女性たちも、なかなかの。
やっぱり、僕はこういう取材しないと。


2/22(木)記 聖母よ日本を勝たしたまえ

ブラジルにて
ブラジルのさまざまな社会問題の現場で、命がけで取り組むキリスト者たちと出会ってきた。
そうした人たちとのお付き合いや記録を通じて、日本のクリスチャン、特にカトリックの人たちとのお付き合いも増えた。

4月の訪日時にも、キリスト教関係の施設数箇所で拙作の上映が予定されている。

さて。
今日は、ブラジル奥地で奉仕される日本人のシスターのインタビュー映像をチェック。
彼女は女学生時代、長崎で被爆した。
学校はミッションスクール、校長はシスター。
当時、校長からこう繰り返しお祈りするよう命じられていたそうだ。
「聖母よ日本を勝たしたまえ」。

ついこないだの歴史を学んで猛省することを怠って、知りもしない伝統ばかりを強調すると…


2/23(金)記 アラブの粘り

ブラジルにて
語感からして、ポリネシアあたりが原産かと思っていた。
モロヘイア。
検索してみると、アラビア語だという。
インドからエジプトあたりが原産らしい。
一昨日、運転手勤めのお礼といったところか、庭地に生えているのを一袋いただいた。
「ねばねばしますから」とは聞いていた。
さすがにモロヘイアを調理したことはない。
もののサイトによる。
モロヘイアのツナ缶サラダという楽勝路線のレシピを発見。
軽く湯がいて刻んでみる。
なるほどキョーレツな粘り。
ツナと和える。
色合い、質感は悪くない。
お味。
粘る割に意外にさっぱり、しつこくない。
家族の判定もパス。
カロチン、ビタミン、ミネラルと「あるある」級に栄養が豊富らしい。
モロヘイアのような人柄を目指したい。


2/24(土)記 嗚呼硫黄島

ブラジルにて
昨日ぐらいから、思考停止クラスの暑さ。
これが深夜まで続く。
一息つくのは明け方の数時間ぐらい。
今年はまだ水があるからいい。
これで水を絶たれたら。

灼熱、渇水。
つい硫黄島の兵隊さんに思いを馳せる。
映画には描かれていなかったが、臭いも相当だったろうな。

イーストウッドの2作品を見つつ、橋本梧郎先生と島を踏査することを夢想した。
アイスランド、涼しいかな。


2/25(日)記 「かけ橋」を読む

ブラジルにて
「オカムラさんが『かけ橋』に書いたの、読みましたよ」
「そうですか。執筆者には送っても来ないんですよ」
巷でそんな会話が何回か交わされた。
編集長にお願いして、ようやく届いた。
これもフリー執筆。
こちらの日本語教師たちの機関誌。
ちょっとその話でも。

昨年10月末が締切りと担当に言われていた。
小心者の岡村は締切り数日前にメールの添付ファイルで担当の先生にお送りした。
しかし先方から何も言ってこない。
先方からはメールアドレスしか知らされていない。
心配になり、別の先生に電話をしてみる。

「あの先生、日本に行ってますよ」
身内の危篤といった火急な訪日ではないはずですよ、とのこと。

今日はこの辺で。
読ませていただくまでがタイヘン。
ちなみにこちらの持込みではなく、先方のご依頼で書かせていただいたもの。


2/26(月)記 「かけ橋」執筆者の弁明

ブラジルにて
昨日の記は「読む」まで至らなかった。
そもそも拙稿の方、期日までに書けと言われたはいいが、量の指定がない。
こちらから聞くと、A4何枚程度、といった返答。
文字数で言ってくれないと。
写真も欲しいというので2度お送りした。
キャプションがないとわかりにくいものもあるので、データを添えたが、そもそもそのあたりの確認も含めて校正用のゲラが送られてくるものと思っていた。
ところが。
担当の先生から連絡が途絶え、数ヵ月後に「オカムラさんの、読みましたよ」という声を聞くことに。

今回ようやく頼んで入手して、拙稿の間違いを発見したので、これはその弁明。
モニターでは見逃していたが、紙でゲラを見ていれば。
お恥ずかしい。
「小野田山陽市」とあるのは、「山陽小野田市」のまちがいでした。

それにしても誤字・誤植の多い機関紙である。
それでいて内容に「試験問題作成」に関して「誤字、脱字はないか」をチェックすること、などと偉いらしい先生が書かれているのが泣かせる。
校正という行為がされていないから、こういう後世に残るもので恥を「書く」。

丁寧に全文に目を通し、これは笑えることも発見。
拙稿は全5時間16分、改訂版完成までに11年かかった拙作「アマゾンの読経」について書いてくれ、というのでブラジルの日本語教師という読者を前提として書き下ろしたもの。
拙作を「スロードキュメンタリー」と称して「スローフード」「スローライフ」を移住者として、日系人として見つめなおしてみよう、といった趣旨。

ところが先の偉いらしい先生は「私は教師養成も『ファーストフード時代』が来たと思っています」と書かれている。
「その真髄はスピード」「昔のように5年務めて一人前などとのんきなことを言っていられません」とのこと。

これからは「のんきドキュメンタリー」と称することにするか。


2/27(火)記 不言実行

ブラジルにて
自分のキャパ、金、時間、スタッフ、実績。
それを考慮すればできることとできないことはある程度、予測がつくというものだ。
個人がどんな夢や企画を持とうと自由だ。
しかしそれを公の場で発表して花火を打ち上げた以上は。
せめて火の後始末ぐらいはしていただきたい。
他人の排泄物の処理に関わるのは、もう遠慮させていただく。
ブラジルくんだりまで、そんなことをしに来たのではない。


2/28(水)記 SOGI

ブラジルにて
先週末、ずっしりとした書籍小包が日本から届いた。
差出人は「表現文化社」とある。

開けてみると「SOGI」という雑誌だった。
畏友のライター、太田宏人さんが富士見観音と拙作「アマゾンの読経」について鋭く書いてくれている。
おぬし、できるな。

さてこの雑誌、ズバリ葬儀についての専門誌である。
昨年、日本の地方都市で上映会の後、あるお寺さんに招かれてお邪魔したことがある。
その時、住職に「こんな雑誌があるんですよ」と見せていただいた覚えが。
それから1年足らずで、まさかこの雑誌の記事中の人になろうとは。

当時から変わらぬ雑誌の裏の広告は霊柩車と搬送車のカタログ。
今どきの日本の霊柩車は洋風なんですね。
あまり正視したこともなかった「和風」がかえってなつかしくも。

そこいらの図書館には置いてないだろうが、特化を極めた雑誌として一見の価値あり。


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