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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2010年の日記  (最終更新日 : 2011/01/02)
11月の日記・総集編 人っていいなあ

11月の日記・総集編 人っていいなあ (2010/12/03) 11/1(月)記 「熱帯林の闇の奥から」

ブラジルにて
この映画を観たのは、4月。
執筆の順番までだいぶあったので、延び延びとなった。
かなり悶々として書きあげた。
http://archive.mag2.com/0000116642/20101101120000000.html
書かざるをえない、責任がある。
折りしも、彼らのところでマラリアによる死者が続出しているとの日本語の報道が。


11/2(水)記 黒澤VSキューブリック

ブラジルにて
久しぶりにすごい写真を見た。

今日のブラジルはカトリック由来の「死者の日」でお休み。
家族の用事のほか、たまった新聞雑誌を少し整理。

先月のこちらの新聞の特集「キューブリックのもうひとつのアート」を読む。
巨匠スタンリー・キューブリックが多くの写真を残していたとは寡聞にして知らなかった。
17歳の時からアメリカの雑誌に写真を発表していたという。
新聞の印刷でも強烈さの伝わってくる写真ばかりだ。

記事はアンリ・カルティエ=ブレッソンの「人間の尊厳を訴えることが写真報道の最大の義務だ」という言葉で結ばれている。
わがドキュメンタリーもそれにならいたい。

てっきりサンパウロ国際映画祭の一環で写真展が開かれているのかと思ったが、写真展の場所はヴェネツィアだった。
きっちりとした紙焼きで拝みたいものだ。

現在、サンパウロ国際映画祭関連で、黒澤明のストーリーボード展を開催中。
訪日前に見ておかないと。
ヴィム・ヴェンダースの写真展もあるぞ。


11/3(水)記 ブラジルの不毛

ブラジルにて
本日付の朝日新聞説に「ブラジル―南の大国、ともに進もう」という社説が掲載された。
http://www.asahi.com/paper/editorial20101103.html #Edit2
MLなどで、ブラジルのことならあばたもえくぼ、ブタ汁もフェイジョアーダ、なんでも大好きという「ブラジル日和」派から、極左のはずのブラジル関係者までこの記事を絶賛している。
ブラジル大政翼賛である。

ブラジル初の女性大統領誕生、といったワイドショー的なノリもけっこうだが、その人の推進している政策をみつめたい。
当選したジルマ女史は、現政権の大臣の時からアマゾンでの巨大ダム、ベロ・モンテダムの建設を強行しようとしている。
アマゾンの大支流シングー河の川筋まで変えてしまう計画だ。
完成すると中国の三峡ダム、南米のイタイプーダムに次ぐ世界第3位の規模になるという。
居住地を侵される先住民インディオたち、環境団体、はては映画「アバター」のキャメロン監督らも抗議運動を続けているが、政府側はでたらめとしかいいようのない事前調査をわずかにしただけで大土建事業が着々と推進されている。

さて朝日の記事で見逃せないのは「不毛の地だった内陸のセラード地帯」という、1970年代の大開発促進側のコピーをそのまま流布していることだ。
セラードはブラジル内陸部に広がる熱帯サバンナ地帯である。
世界のサバンナのなかでは、もっとも生物多様性に満ちていることで知られている。
そもそもこのセラード地帯はアマゾン河やラプラタ河など、いくつもの南米大陸の巨大河川の源流がある貴重な水源地帯なのである。

セラードに暮らす人たちに聞けば、新参の日系人であろうとペキと呼ばれる果実を始め、セラードの野生植物のもたらしてくれる幸の魅力を語ってくれるだろう。
一昨年前に亡くなった植物学者の橋本梧郎先生も、ブラジルでもっとも心惹かれるのはセラードの花、と語っていらした。
私自身、セラードを少しは歩き、その豊かさを体感させてもらっている。

セラードの本来の生物相の貴重さ、そしてそれがいかに開発によって危機にさらされているかは、ブラジルの新聞を少し開けば明らかだ。
そのセラードを不毛にしようとしているのは、日本などによる収奪型の開発、ということはいえるかもしれない。

それにしても生物多様性条約会議の開催国の大新聞の、「南」の植生に対する「不毛」という認識。
ある環境を不毛とするかどうかは、知性と感性の問題だ。
とても、ともには進めない。


11/4(木)記 蝉

ブラジルにて
車で300キロほど、内陸へ。
高速道路の「関所」の多さに泣かされる。
別件で何度となく通った街道。
改めてブラジル楯状地のダイナミズムを目にすると、感無量。
私は、大陸にいる。

目的地で旅装を解き、近くの林を少し歩いてみる。
お、セミの抜け殻。
ひとつやふたつではない。
一本の樹に、ざっと数えただけで20以上あるものも。
渋滞する高速道路の料金所のように列をつくっていたり、横並びの2ショットだったり。
こんなにセミの抜け殻を一度に見るのは初めてだ。
北米では17年ゼミ、19年ゼミなどが知られるが、そもそも当地ではセミに対するヒトの認識が乏しいといえる。

セミの幼虫に冬虫夏草が生える例を資料で見た覚えがあるが、抜け殻はどうだろう。
アリたちも見向きもしていない。
キチン質がたっぷりと見られるが、薬用効果はどうだろう。
キチンと調べたら、面白いかも。


11/5(金)記 鳥

ブラジルにて
日本でオウムに襲われた、となれば正義の殉難者といったところか。
ブラジルでインコに襲われた、というとホラーというより、一部で笑われそう。

大きいのがオウム、小さいのがインコぐらいの違いかと思っていた。
ググってみると、そう単純なものではないようで、深入りはやめておこう。
日本でいえば中型クラスのインコに襲われた。

宿泊先の敷地内に、野生動物を飼育するゲージがいくつかあった。
ブラジルの国鳥・トゥカーノ(和名:オオハシ)の美しさと生態に見とれる。
隣に中型インコたちのやかましいゲージが。
同じ種類のインコが一羽、外にいる。
どこからか抜け出したようだ。

こちらの頭に向かってきて、帽子を落とされた。
肩にでも停まりたいのかと思いきや、腕を強くかまれた。
血がにじむ。

遊んでいるつもりなのか。
傷口を水で洗いに戻り、ふたたび真意を確かめに現場に戻る。
またしても激しく飛びかかってこられ、転倒。
また腕を強くかまれる。
狂鳥病のインコか。

忘れていた、中学時代の記憶。
手乗りのセキセイインコを飼った。
よくなついてくれて、教えてもない言葉もいくつもしゃべっていた。
こちらの関心がプラモデルにどっぷりとなり、シンナー臭い部屋によく耐えてくれた。
その後、映画好きになると、夜遅くまで家を空けるようになった。
「トリさん」と呼んでいたインコへの気配りが乏しくなり、けっきょく逝かせてしまった。
インコの故郷で、腕の痛みと共にトリさんをいたむ。


11/6(土)記 節

ブラジルにて
子供たちそれぞれの節目の行事が重なる。
こっちも節目を感じつつ。
この時期、ブラジルに、サンパウロにいられてよかった。

自分の家族のことも何もできないで、他人様の家族のところに土足で、しかもカメラという凶器をかまえて上がりこむことなどできない。


11/7(日)記 市

ブラジルにて
アマゾン遠征と総選挙で2週間、欠かせていた日曜の路上市に。
夜の手巻き寿司用にカツオとマグロを買う。

4軒、並ぶ魚屋のうち、3軒で買っている。
1軒の店のなじみの日本人のおじさんが見当たらない。
非日系のあんちゃんに、「わが同胞は?」と聞いてみる。
20日ほど前に脳溢血で倒れ、復帰は難しいとのこと。

かつてその人に出身を聞いて驚いた。
フィリピンのミンダナオ島だという。
先方は動き回る仕事で、来客もひっきりなしなので、あまり詳しい話は聞けていなかった。
昨年、ブラジルの他州でやはりミンダナオ島で生まれ育った日本人に会った。
もしやと思っておじさんにふたたび聞いてみたが、さすがにお互い知り合いではないようだった。
ミンダナオと日本人だけでも相当、壮大な話である。

15年、20年前の僕だったら、おじさんからもっと話を聞いておかなかったこと、記録しておかなかったことをさぞ後悔したかもしれない。
今ではおじさんの快癒を祈るばかり。
個人の趣味でもない限り、記録させていただいた以上、発表やアクセス可能な保管をする責任があるように思うようになった。
記録された側の期待に、どう応えうるのか。
自分の力量と残り時間をよく見極めること。

大きなところでは橋本梧郎シリーズや、「あもれいら」の続きなど、僕しかやるはずのない、やる責任のある仕事がたまっている。
ちなみにこちらの日本語新聞の記事になった岡村への壮大な記録依頼計画だが、僕は記事を読んで初めて知った次第。
こういうのはここでいう責任の範疇からはずさせていただく。

さあ目先の締め切り迫るプロジェクトを、まず。


11/8(月)記 渡邊勘治の生涯

ブラジルにて
唖然とするニュースに接する。

しかし床屋の談義的な言い捨て・聞き捨てをしていても事態は改善されない。
男の子は、不言実行だ。

自分のするべきことから逃げてはいけない。
「わしには、人を憎んでいる時間なんかない」。

これは黒澤明「生きる」の主人公・渡邊勘治のセリフ。
橋本梧郎先生の晩年にオーバーラップする。
ちなみに今日のタイトルは「生きる」の脚本執筆時の最初のタイトルから。


11/9(火)記 夢

ブラジルにて
90年代、「映像記者」時代の作品では、けっこう相手の夢を聞いたシーンを使っていた。

ブラジルの中学を今年、卒業する生徒たちの将来の夢を聞く。
若者たちの夢を聞くのは、いいものだ。
ミュージシャン、サッカー選手といったほほえましいものから、医者、外交官など。
億万長者になりたい、といいながら、でもこの学校で得た友情はカネでは買えない、などとニクいオチをつける少年も。

牛山純一プロデューサーが指揮を執っていたサルベ(外国のテレビ番組などを購入して再編集すること)でアマゾンをテーマにした番組を思い出す。
牛山さんの作品や言動が、どこかで自分の血肉となり、創作に影響しているのを改めて感じる。

さあ、編集だ。
被写体の期待にどこまで応えられるか。
そんなに時間はないぞ。


11/10(水)記 ヴィム・クロサワ

ブラジルにて
押し迫る訪日を前にまとめておかなければならないビデオ編集。
家族の諸々の大事。
まことに取り込んでいるが、いま見ておかなければならなそうなイベントが重なる。
昨日はMASPでヴィム・ヴェンダースの写真展を観ておく。
被写体の人物との控えめな距離感、画面の縦横の比率が心地よい。
写真の点数はべらぼうではないので、3周りほどする。

今日はV編集と主夫業の合い間に、オータケ・インスチチュートで黒澤監督のストーリーボード展。
黒澤をこれほど生身で感じたことはない。
ナマの作品ゆえの迫力だろう。
この画に黒澤の鉛筆と筆が直接、刻まれ、数10センチの距離に黒澤の巨体があった。

アートは一点モノであるべき、という考え方がある。
映像という複製表現を生業とする者として、熟考しなければならない。
ヴィムヴェンの複製写真と黒澤の肉筆画を比べてみればよくわかる。
僕のライブ上映も一点モノにこだわるゆえ、ととりあえずオチをつけておく。

クロサワの画は凄すぎて、ハマってしまうと帰ってすぐに継続しなければならない編集作業にサワりそう。
こっちも三周りで失礼するが、黒澤の肉筆画をこんなにゆったりとした人気のない時空で享受することは、もうないかも。


11/11(木)記 構成モノ

ブラジルにて
ドキュメンタリー業界用語で構成モノと呼ばれるようなジャンルがある。
本来、まとまっているシーンをばらして、時系列とは別のつなぎかたをして新たな意味を持たせたシーンを作り、それを組み合わせていく作品、といったところか。

拙作ではテレビディレクター時代のものにいくつかある。
「新世界紀行」の『南米ナゾの岩画地帯を行く』や「すばらしい世界旅行」『旅芝居こそわが人生 ビバ!ブラジル移民』あたりが該当しよう。

ひとり取材になってからは、基本的に取材をした時系列でオーソドックスに編集しているのがほとんど。
さて、現在編集中のこっちの中学の卒業記念ビデオ。
授業中の映像がなかなか面白い。
思い切った構成をしちゃおうかとひらめく。
自作のなかでは意外にファンの多い「ササキ農学校の一日」を越えてみようかと。
投入時間も生徒たちのキャラの認識も今度の作品の方がはるかに上だから、当然、あれ以上のものでないと。

他人様の作品とでは…ま、言わんでおくか。


11/12(金)記 編集で

ブラジルにて
子供の中学の卒業記念ビデオの編集で、のたうちまわる。
編集中にちょっとおもしろそうな構成を思いついた。
しかしそれを想定して撮影していない。
日にちがあれば再撮影に挑むのだが、来週の訪日をキャンセルでもしなければムリ。
アリモノでなんとかなるだろうか?

先月、日本での佐藤真さんの追悼記念上映に、スカイプでライブトーク出演させてもらうことになった。
相手は故人、しかも天下の佐藤真、慎重にあたらなければならない。
事前に日本で直接、そしてブラジルからスカイプで長時間にわたる打ち合わせを行なった。
佐藤さんの映画美学校での教え子らによる企画。

佐藤さんについて、こちらからいろいろ聞いた。
彼は、作品は撮影終了後の編集でなんとかなる、なんとかするという発言をしていたそうだ。
僕に言わせれば、編集というのはあくまでも仕上げの味付けの作業であって、ろくに撮れていなければ編集でもどうにもならない。
いくら極上の醤油があっても、食えないものは食えない。

その言葉がそのまま自分に跳ね返ってきたゾ。


11/13(土)記 感謝する中学生

ブラジルにて
未明から子供の中学のビデオ編集。
♪卒業ビデオのあの人は、といったところ。

佳境に入ったところだが、朝7時半からブラジルと日本の女子バレーの試合があるという。
インターネットでは見れないようで、テレビモニターを禅譲。

その間、フェイジョアーダの準備を進めようとして、親指の先を切断、いやはや。
止血の間、試合を見る。
今どきの日本の女子バレー選手は、男子サッカーの野武士系とだいぶ違う感じ。
JALの国際線のスッチーの清楚系を集めたような。
髪も黒髪以外は見当たらず。

さて、卒業ビデオ、メインとなるブロックの編集をとりあえず終了。
日本の中学2年相当の子供たちだが、個別のインタビューで少なからぬ人数が「この学校を選んでくれた親に感謝している」と自然体で発言している。
いたく感動。
いったい自分の日本での中学はなんだったのか。

まあ僕自身はこのビデオ制作以外、学校の選択も妻に任せきりでほとんど何もしていないのだが。


11/14(日)記 前倒し

ブラジルにて
今日は昨日より早く起床、「中学生日記」のV編集。
ヤマ場は過ぎ、サクサクとつながる。

午後は妻の実家での集い、不義理をせずに参加。
明日は共和国記念日の休日。
ばたばたせずに明日中に、ひとまず完成できそうだ。

ばたばたと作業をすると、ろくなことがない。
前倒しで進めるに限る。
その他の残務のリストアップを始める。


11/15(月)記 ポル語記号

ブラジルにて
先月、アマゾンに遠征した時。
戦後移民の方々と話していて、なかには日本語新聞の通信員を務める人もいたのだが「ポル語」という言葉など聞いたこともない、許せない、略すなら「ポ語」というべきだ、と皆さん、おっしゃっていた。
僕の方は「言葉は生き物ですから」ぐらいにとどめておく。
ポルトガル語の略称で「ポル語」という言葉に接したのは僕あたりの「新移民」でも数年前のことかと思う。

さて、今日は中学卒業ビデオの生徒たちのフルネームの字幕入れ作業。
使用している編集機は日本から担いできたもので、ポルトガル語の特殊記号に対応していない。
それをどうするか、以前から苦心していた。
新たなウラ技をいくつか試み、思ったよりスムースに入力。

とりあえずの完成版を家族みんなで試写。
全員に拍手をいただき、やれやれ。

さて、日本に持参すべき素材のダビング、計算してみるとかなりの時間がかかる。
さっそく家内制ダビング作業だ。


11/16(火)記 奇跡と日常

ブラジルにて
明日の出ブラジルを前に、思わぬ用事が増える。
サンパウロのまだ行ったことのないところに、重い地図を片手に地下鉄とバスを乗り継いで、雨に濡れながら向かう。

もしやと思って聞いてみたことが、BINGO!
日常のなかに、こんな奇跡が埋め込まれている。
奇跡に背中を軽く押してもらいながら、道を進むだろう。

さまざまな奇跡の集積が日常であり、生命であり、いまあることなのだな。
これは、ただ感謝。


11/17(水)記 祖国は撤退したけれど

ブラジル→
ブラジル出発の日も、主夫業。
こちらの日常をばっさり断ち切るのは、何度繰り返しても慣れない。

日本航空が32年間継続したブラジル便を9月で廃止、撤退。
その後、初めての訪日だ。
国運には当然、波がある。
これからこのように、あちこちで日本沈没の余波を目の当たりにしていくのだろう。
祖国のぬるま湯を離れた以上、身をもって飛沫をかぶるしかない。

英語とスペイン語のやかましいアメリカン航空のラウンジで、居場所を見つけるのにひと苦労。


11/18(木)記 無声映画

→アメリカ合衆国→
アメリカン航空機中。
年配の女性客室乗務員が、女子刑務所のオニ看守のようにおっかない。
隣席の女性はニューヨークで働くというブラジル人。
彼女がアメリカの税関書類を看守に頼むと、懲罰房に入れるぞといった勢いでたしなめられるではないか。
ブラジル人風の男性乗務員が通った際に彼女が書類がなかったらどうなるのかと聞くと、首を切る仕草をして去っていった。

食事は、かたい牛肉。
おままごと用のようなへニョへニョのプラスチックのフォークとナイフなので、豆腐やプリンぐらいしか切れそうにない。
獣肉などは、かたまりごと飲み込むか、残すしかなさそうだ。

さて、機内映画。
「テンプル・グランディン」をやっているではないか!
テンプルはアメリカ人女性のアウチスト(自閉症の人)で、動物学者として知られ、日本で訳本も出されている。
彼女の伝記映画で、監督はミック・ジャクソン、演じるのはクレア・デインズ。

イヤホンが欲しいが、備え付けのものがない。
機内映画を見るつもりの人は、それぞれマイホンを持参しているようだ。
JALではヘッドホンが全員に配られたし、ブラジルの長距離バスでも持ち帰り自由のイヤホンが備えられている。
機内ショッピングのパンフレットをめくると、ヘッドフォンは300ドル以上するではないか。
タダのイヤホンはないのかと聞いてこれの購入を断ったら、そのままコードで首を絞められそうだ。
どうせ日本語字幕がないし、英語のヒアリングに自信もない。
やむなく、サイレントで鑑賞。

この便はJALとのコードシェア便のはずなのだが、その旨のアナウンスもなければ日本人客室乗務員なども見当たらない。
 JALなくて
   我はJAPと
     知らされて

ひところ続いた日本の自閉症モノのテレビドラマの役者の演技は見れたものではなかったが、これはなかなか。
しかもアウチストの視覚イメージまで表現している。

23日の上映とトークのいいネタになりそうだ。


11/19(金)記 あめつうしん

→日本
サンパウロを出家後、38時間にして目黒の実家に到着。
楽しみにしていた「あめつうしん」No.261が届いている。
はしるはしる開封。

女傑の異名をとる伊豆大島の佐々木美智子さんではない、鶴見の佐々木美智子さん。
この方が八月の港区拙作上映会に来てくださり、その感想を書いてくださった。
おお、トップに2ページ。
この佐々木さんからは当日もお言葉をいただき、メールでもコメントをいただいておいた。
端的に、まことに「するど・うれし」く、ドキュメンタリー屋冥利に尽きる言葉で拙作の本質を表現していただいた。
今回はまた味付けを変えて書いてくださっている。
何度も読ませていただく。
ありがたい。

「あめつうしん」については代表の田上正子さん masa.tanoue@nifty.com にお問い合わせを。
点字版もある由。


11/20(土)記 「まあだだよ」と先生

日本にて
訪日翌日から、盛りだくさん。
フィルムセンターの黒澤明特集上映。
今日は野上照代さん司会で、黒澤組スタッフのトークショーあり。
野上さんのトークを、ブラジルではこっちのアマゾン遠征のため聞き漏らしている。
天下の黒澤組のトーク、空席があるか心配。
サンパウロの「羅生門」満員札止めの傷がうずく。

トークショー前の午前11時からの「まあだだよ」から入場。
入場できて、ヤレヤレ。
「まあだだよ」は1993年公開時に日本で観て以来。
ずばり橋本梧郎先生にオーバーラップ。
最後の百閒先生のメッセージは、橋本先生が地元静岡の小学生たちに贈ったものと見事に重なる。

これまで橋本先生とお付き合いしてきて、「まあだだよ」を思い出した覚えがない。
考えてみると、この映画を観た頃はまだ先生とお付き合いを始めていなかった。
ずばり、まあだだよ。
あれから17年。
橋本先生は、逝った。
岡村に、映像を遺して。

黒澤の諸作品は折に触れて繰り返し、みなおしておかないと。
さまざまな智恵の結集した作品群は、こちらの変化・成長によって観る者に新たな光をあててくれる。


11/21(日)記 マウスと山頭火

日本にて
夜行バスにて未明の福島駅に到着。
24hの店で時間をつぶすつもりだったが、心滋館主・和田さんが下山して迎えに来てくれた。
車中から話が尽きない。

ちょうど心滋館に到着した頃に、御来光。
弘法大師ゆかりの霊峰・霊山が陽光を浴び、あなたふと。

初冬の朝のひかりを全面ガラス越しにいただきながら、和田さんのマウス画・山頭火シリーズのポストカードサイズ焼き約400枚を拝見。
オンラインのモニター上でいくつか見せてもらっていたが、紙だとはるかに強いインパクトが。

これはすごい作品群だ。
面白く、味わいが深い。
パソコンのマウス画なんて、と正直、偏見があったのだが、実物を見せてもらって回心。
ベテランアーチストの円熟芸。
いつまでも見ていたい。
多くの人たちに伝えたい。

おっと、今日は上映と映写技師だ。


11/22(月)記 サビ抜きとはいかず

日本にて
ふたたび夜行バスで、未明の東京駅に戻る。
用足しをしてから、横浜へ。
明日の上映+トークに備えて、ジャック&ベティで「彼女の名はサビーヌ」を観させていただく。
この映画、日本での公開当時に観ていた。
しかし、まさか自分が自閉症をテーマにこの映画を語ることになるとは思っていなかったので、改めてきちんと鑑賞することにした。
精神病院に入れられる前のサビーヌの映像の美しさ。
肉親の「さらぬ別れ」のいたみ。
自閉症を抜きに、そのあたりが新たに印象強く残る。

パラダイス会館でヅルさんと打ち合わせ。
思わぬ来客と、アマゾンの珍獣奇獣談義で盛り上がる。


11/23(火)記 リコリコな夜

日本にて
いよいよ、今回訪日最大の懸念の上映とトーク。
通常のように自作についてのみ語るならオキラクでいい。
今日は、自閉症の妹を記録したフランスのドキュメンタリー映画「彼女の名はサビーヌ」にちなんで、自閉症、ドキュメンタリー、ブラジルについて語るというもの。
僕はブラジルの自閉症研究者ではないし、いらしてくれる方々の関心も様々だろう。
どのことを、どこまでしゃべるか。
ふだんの何倍もの準備をしておく。

岡村ライブ追っかけのキトクな人から、お子さんが自閉症でブラジル行きを心配している人、裸族フリーク!でネットからこの集いにたどり着いた人まで、まさしく多様そのもの。
おっと、極めつけは縄文風の手焼き土器を差し入れてくれた人。
さすがに縄文土器の差し入れというのは、そうしょっちゅうはないだろう。
皆さんの寛容さのおかげで、ユニークな寄り合いができたことは確か。

打ち上げのペルー料理屋の満足度も高かった。
ピスコサワーは泡ばかりで液体の部分が少なかったのが難点かも。


11/24(水)記 和食様々

日本にて
他人様の仕事も観ておかないと。
渋谷で想田和弘監督のドキュメンタリー「精神」を観る。
想田監督のティーチイン付き。
日本の精神科医に通う何人かの患者さんの記録と対話。
たいへん刺激的で、いろいろ考える。

ドキュネンタリーつくりのかたちは、例えば故・佐藤真監督あたりに比べれば僕にかなり似ている。
それでいての、大きな違い。
僕ならやれない・やらないところ。
あまりいい例えではないが、同じ日本料理でも寿司屋と天ぷら屋ぐらいの違いはあるかな。


11/25(木)記 人っていいなあ

日本にて
今日も面白い寄り合いとなった。
4月、アイスランド火山噴火で中止となった西荻窪APARECIDAさんでの「移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編」上映。
プロジェクター不調により、急きょ新規に購入されたとのこと。
処女公開。
アンケートで珠玉の言葉をいくつかいただいた。

「人っていいなあと思います」。
ヒューマンドキュメンタリストとして、感極まる思い。
この仕事をしたわけに、気づかせていただいた。
このお言葉、心していただきます。


11/26(金)記 渋谷発見

日本にて
訪日後、毎日盛りだくさんでヤボ用も疲れもだんだんたまってくる。
さる先達から、東京フィルメックスで上映中の渋谷実監督作品を強く勧められる。
スケジュールをみてみるが、なかなか合わせるのがむずかしい。
思い切って今日午前10時からの上映に。
寝てしまうのが心配…

「正義派」。
とんでもない収穫だった。
邦画フリークOBみたいなつもりで、恥ずかしながら渋谷監督作品をこれまでひとつも観ていなかった。
三好栄子、絶妙。
感動と共に、わが日本の家族のことも省みる機会。
午後イチで黒澤脚本作品を観るつもりだったが、転向。
引き続き渋谷監督作品「悪女の季節」を観ることに。
役者たちといい、演出といい、まさしく名人芸。

クロサワ、オズだけじゃ、もったいない日本の映画遺産。


11/27(土)記 名古屋の地の底の滝

日本にて
夜行バスで、未明の名古屋駅到着。
まだ地下鉄も動いていない。
目指す栄まで、歩きだとちょっとある。
始発まで待つか。

今回の名古屋上映が決まった後、ブラジルからネットで名古屋の終夜営業のサウナ事情を調べておいた。
栄に浴槽に滝があるとみられるサウナあり。
ひょっとすると、写真だけか、あるいは千住博画伯の作品か。

行ってみてびっくり。
けっこうな広さの温水プールに、水面から2メートル近い高さの人工滝が轟音をたてる。
映画「アナコンダ」のラストシーンのセット(あれ、セットだと)を思い出す。
地の底の滝に打たれて、禊。
男性専用サウナの前で、上映を主催してくれた淑女と待ち合わせ。

3年ぶりの名古屋上映、いい感じで終了。
台湾料理屋、ブラジル料理屋と反省会のハシゴ。
紹興酒、カイピリーニャと続き、払い戻しなしの帰りのバスを逃す。
さらに反省。


11/28(日)記 水戸的快楽

日本にて
今回はバスで、昼前に水戸入り。
往復切符がおトク。
夕方の上映開始前に、徳川美術館を見ておこうと思っていた。
「にのまえ」店主より県立美術館常設展の小川芋銭をすすめられ、ハシゴを計画。
美術館で、きりえで知られる滝平二郎さんの回顧展が。
これが面白く、時間をかけることにして水戸徳川は今後の課題に。
「モチモチの木」って恥ずかしながらどういう話か知らなかった。
成立のエピソードもなかなか。

4度目のにのまえさんカントク出前上映、なにかの間違いかと思うほど人が集まっている。
錬金術師の異名をとる店主によると、希望者をお断りするのがたいへんだった由。
観客が、場が、育っていくのを体感する。
店主夫妻の人柄と尽力の賜物。
「明瑞発掘」三部作ワールドプレミア、おかげさまで水戸学派の後裔たちに大好評。


11/29(月)記 「桜田門外」の変

日本にて
今回の水戸のビジネスホテルは、なかなか環境があずましい。
桜川畔。
ビジネスホテルで、付近を逍遥したくなるシチュエーションのところというのは、初めてかも。
昨日も歩き、今朝も歩く。

水戸駅前のシネコンで映画「桜田門外ノ変」を観ることに。
ご当地映画をご当地で観るという贅沢。
朝イチ上映割引ありというのがうれしい。

映画については、にのまえ店主から聞いていた評に尽きる。
水戸原人の店主がいう茨城の原風景、里山のロケ地が美しい。
日本語教師として南米各国で活躍した店主の指摘どおり、薩摩藩士や鳥取藩士はそれぞれ方言でしゃべるのだが、登場人物の大半である水戸人たちは標準時代劇語でしゃべるのだ。
そもそも茨城の地域起こしとして巨費を投じ、県民を挙げての協力体制で作られた映画とのこと。
それでいてお国言葉を排他してしまうとは。
茨城人の限界とコンプレックスを察せざるを得ない。
ことばぞ、文化。

対外的に茨城弁を恥じるなら、せめて茨城弁吹替えバージョンでも作ってご当地で上映というのはどうだろう。
一度みれば、シェーガ(ブラジルコロニア語で「もうたくさん」の意)だけど。


11/30(火)記 中中上野

日本にて
今日からジャパンレイルパス使用開始。
午後よりふたたび茨城、友の活動を訪ねる。

午前中、上野へ。
日本語より中国語の方が耳につく。
それと、中学の修学旅行。
中国人と中学生ばっかし。

国立博物館しかり。
解説員もつかず、こんなところで中学生を放し飼いにしても…
少しは展示品を見ているグループは「世界遺産」「国宝」を探し注目する系。
自分の眼と感性でアートに対峙せず、無難なブランド・権威で判断しちゃうのが、ちと哀しい。


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