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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2013/12/06)
3月の日記 総集編 縄文・さくら・目黒川

3月の日記 総集編 縄文・さくら・目黒川 (2013/03/04) 3月1日(金) 月たちぬ、いざメールやも
ブラジルにて


午前中、ぼこぼこメールやメッセージが入ってくる。
急を要しそうなのに、即対応。
それにしても、無料のfacebookでのメッセージが増えるばかりの時世に、有料グレードで使用しているhotmailで文字化けの問題があるのは、どうしたことか。
Gメールの方はフォルダー機能が見当たらないので、今ひとつ恒常的な使用としては、使い勝手がよくない。

訪日前の課題とした、こっちのさる県人会の式典の友情撮影映像の編集とともに。
これも機械と人に事故がなければ終えることができそうだ。
週末も少しこの作業を進めないと。
誰か、ちゃんと見てくれる人がいるだろうか。


3月2日(土)の記 一作品削除
ブラジルにて


自分の作品リストが本にも掲載されるとなると、毅然としないと。
オンラインの自主制作作品リストから一作品、削除。

金銭も時間も労力も魂も注いで完成させてから、いやはやまったく。
この悲劇ないし喜劇も福島原発事故に起因するものだが、いずれ書いておきたいもの。

でも、すっきりした。

これはフィルモグラフィに乗せるつもりはないのだが、今まとめているブラジルのさる県人会の記念式典の映像がけっこう面白い。
あんましというか、まるでいないだろうが、岡村の映像制作方法の研究をされるムキには、ぜひご覧いただきたいかも。
本人の覚書として書いておく。


3月3日(日)の記 アミキリ
ブラジルにて


うーん、前にこの魚を調べたら違うファミリーだったような気がするが。

日曜の路上市も、しばしの別れ。
残暑厳しいサンパウロ、刺身用の魚は・・・
ボラをすすめてくる。
ボラはタダでもいらない。
次いでスズキをすすめてくる。
スズキは値段が高い割にそれに見合う満足感なし。
お次は、サンピーターときた。
正体はチラピアだ。
こんなのなら、コンニャクかアボガドの刺身の方がいい。

夜は刺身はあきらめ、焼き魚にするか。
サンパウロの焼き魚の定番といえば、アンショーヴァ。
ジャポネースはなぜかマスと呼んでいるが、海の魚。
改めて調べてみると、学名Pomatomidae。
調べ間違えると、カタクチイワシの方にいってしまう。
どうやらポルトガルでこの科の魚をアンショーヴァと呼んでいて、ブラジルに伝わったようだ。
日本近海に同種の魚はいないが、アミキリという科名がある。
アミキリの名の由来は、歯が獰猛で、と推測。
しかし日本語で検索しても、妖怪のアミキリしか出てこない。

当地の日本食堂では、塩焼きが常。
わが家ではトロピカル風味や味噌漬けなどを供してきた。
今日は、オーソドックスな塩焼きでいってみる。
夏場のへなへなかさかさの大根をおろして添える。

家族団欒、あーおいしい。
そういえば橋本先生のお連れ合いのゆきさんが、元旦にこれの尾頭付きを焼いてくれたな。

さあ、日本でうまい魚、食べられるかな。


3月4日(月)の記 九州づくし
ブラジルにて


在ブラジルの、九州のさる県人会の記念式典映像の編集も大詰めに来たか。

今月、九州に行く。
福岡での上映がメインで、その前後の予定を詰めていたが、いずれも今日、発展があり。
前日の長崎松浦をコンファーム。
福岡上映の翌日は、水俣のさる施設での上映を決める。

水俣訪問は、20数年ぶりになる。
思えば、お世話になった原田正純先生は鹿児島の出身だった。

サンパウロは、残暑たけなわ。
今日は一日断食をして、身心を引き締める。


3月5日(火)の記 作品のあとさき
ブラジルにて


ブラジル鹿児島県人会記念式典の映像編集も大詰め。
もうどれだけこの映像を眺め続けただろう。
出来上がりは今さら、どれだけの人の目に触れるだろう。

僕流の映像撮影のテキストに使いたいぐらい。

不思議と、なにか縁の濃くなる日本の県がある。
かつては、山口。
その後は、鹿児島。
なにか、薩長とか?

「郷愁は夢のなかで」の主人公の西佐市さんは、鹿児島の人。
ストーリーのなかに、小原節の話が出てくる。
今回の式典でも、小原節のシーンはなかなかよろしい。
そしてこの式典映像は、ずばり「下手に描きたい 画家森一浩ブラジルの挑戦」の予告的位置づけでもある。

さあ次はなにを・・・
おっと、その前にまずは本のことを。


3月6日(水)の記 ブラジル日系社会の殿堂で献血
ブラジルにて


先週お会いしたブラジル訪問中の映画監督のすずきじゅんいちさんから、上映会の案内をいただいた。
すずきさん監督のドキュメンタリー「442」、本日午後より、場所はブラジル日本文化協会大講堂。
この通称・文協の正式名称は変わったような気もするが、調べるのもめんどくさい。

この大講堂の著しい老朽化、悲惨さは噂には聞いていた。
噂どおりか、それ以上のひどさ。
この酷暑で、エアコンなし。
椅子はまことに座りにくい。
映写の音声の酷さは、まさしく耳を覆うばかり。
拙宅でDVDででも見た方がいかに快適でわかりやすかったことか。

上映中に蚊の攻撃を受ける。
もしまたここにこなければならない時は、携帯蚊取り線香持参とするか。

先日、日本の篤志家がこの文協に一億円、寄付したとか。
ところで、日本の天皇が皇太子に持たせたカネは、金額も使途も不明のまま。
これぞ生き血を吸うブラジル日系社会の殿堂。

先日、この文協近くの東洋人街の一角で老朽化した建物が崩れ、通行人が巻き込まれて死亡した。
今度は、ここかも。
老人の熱射病も懸念される。


3月7日(木)の記 バタタと老松
ブラジルにて


先週初めからかかりきりだった鹿児島県人会の記念式典の映像。
今夕、東洋人街の沖縄料理店で納品。

事前の打ち合わせまでしていたリポーター役に当日、現場で「きいてない」と放り投げられ。
主催者側から機材番等のサポートもなく。
そもそも、誰にも段取りが掴めていない流れで。
よくぞここまで健闘したというのが正直な思い。

鹿児島のドン・園田さんに、映像を何度も見直していて気付いたことを伝える。
するとまさしく、当日、撮影監督は聞いていなかったこの式典に込められた大きな思いを今にしてうかがう。
それを知らずして、しかしほぼちゃんと撮れていて、編集してみても最初と最後を締めている。

これは尋常ではない。
なにかが、わたくしを通じて映りたかった、出たかったのを感ぜざるを得ない。
この映像は、見られたがっている。
さあどうしよう。


3月8日(金)の記 はや出家前日
ブラジルにて


ブラジル出発の前日、しかも最後の平日となると、なにかやり落としていないか落ち着かない。
あちこちにお土産類の買い出しに。
いやはや、すべてばかにならない。
合わせてDVD焼き、タイトル等を手書きで記入。

さあいよいよ本のファイナル校正だ。


3月9日(土)の記 雨宿りの空港
ブラジル→


相変わらず残暑厳しいサンパウロ。
いよいよ来月刊行予定の拙著の最終段階の校正に集中。
ブラジル出発日にして、ようやく。
出家タイムとなり、続きは空港に持ち越し。
アルコールも控える。

さあ空港で校正再開。
お、国際空港で停電。
外を見やると、すんごい豪雨。
電気も間もなく戻る。
さすがに雨漏りはなくて安心。

基本的な問題で校正に行き詰まり、のた打ち回る。


3月10日(日)の記 混迷の空旅
→アメリカ合衆国→


サンパウロ→ニューヨークの機中では拙著の根本的問題に悩み考えめぐらす。
と、今度の旅で書くのも恥ずかしい失敗を犯していることに気付く。
命まで取られないにしても、これは相当きつい。
すみやかな対策を考える。
出がけ直前まで大仕事をしていると、何かしらおろそかになってしまうな。

機中、アルコールも通らない。
機内映画でスピルバーグの「リンカーン」を日本語版で流している。
ぜんぜん話が入ってこず、面白くない。
寝てしまうが、あのスピルバーグなんだから何かしら…ともう一度見直すが、まるで面白くない。
こっちの精神状態の故か。


3月11日(月)の記 弛緩玄関
→日本


画面の航空ルート図に相馬という地名が浮かぶ。
ちょうど2年前にあの地震が起こり、津波が太平洋岸を襲っていた時刻。
機内中央の座席のため、機窓をのぞくことはできない。

トランジットのニューヨークではネットで日本のニュースも入ってくるし、衛星版の日本の新聞もあり。
3月11日には様々な祈念行事があると知っていた。

成田で税関をパスして出口を過ぎる。
なんとも弛緩した空気に驚き、あきれるばかり。
だらしなく、でれでれと通路にたむろする日本人ども。
自分ら以外に人がいることはどうでもいいといった感じ。
自分が邪魔で迷惑な存在なことに、見事に無自覚。

ここは仮にも日本国の玄関口。
他人様をいえた義理ではないが、玄関が取り乱れているのは訪問者にとても恥ずかしいという感覚はあってもいいかも。

この国にカツを入れるのは、天災と外圧しかないのか。


3月12日(火)の記 祖国でこもる
日本にて


さあ懸念の書名の件もありがたく解決。
目黒の実家にて、最終校正作業に没入。
日本時間カンケーなしで、自分のカラダ時間で。

近くのスーパーマーケットに買い物。
ベースとなる食糧の買い出し。
清貧というより正貧状態のため、質素というレベル以下の買い控え。


3月13日(水)の記 こもりのおじちゃま
日本にて


念校という言葉を今回、はじめて知った。
今日も日本時間関係なしに実家で校正作業。
何箇所か、のた打ち回って書き換えを重ねる。
難箇所。

日本時間に合わせて郵便局と銀行には行っておく。
明日から一気に外回りが始まる。
祭りの準備。


3月14日(木)の記 生麦ナマデビュー
日本にて


ナマでビュー、というのは、なかなかヤバいかも。
生まれて初めて京急生麦駅下車。
これは事前に地図を見込んでおかないと勝手がわかりづらい。

土曜の上映会場の生麦地区センターで、プロジェクターのチェック。
当の会議室はのぞくことができず、機材だけ借りてロビーでこっちが持参したDVDプレイヤーとの接続を確かめておく。
画と音、なんとか出る。

ついで私設ミュージアムである生麦事件参考館(要予約)へ。
私設ミュージアムならではのディープさ。
80代で意気盛んな浅海館長から、まず1時間のビデオを見ること、その後、質問を受け付けると告げられる。
こちらは生麦事件と拙作「ブラジルの土に生きて」の意外な関係が関心の焦点。
日本到着後、拙稿校正の合間に読破した吉村明の「生麦事件」(新潮文庫版)に基づいて質問。
浅海館長はこの本に書かれている僕にとっては重要な記載を、いとも簡単に否定。
この本を読まれた時、そして親交のあった筆者の生前に疑問を持たれなかったのだろうか。

黄金町でジャック&ベティ周りのあいさつ。
ハワイ日系人のドキュメンタリー映画を観るつもりが、時間を間違えてNGに。
いずれにしろ、この映画に間に合うように生麦事件参考館を抜けたら、館長に斬り捨てられたことだろう。

夕方より黄金町まで来ていただいた拙著の出版社社長と重要な打ち合わせ。

もりだくさん、時差ボケと作業と読書が続いていたし、疲れました。


3月15日(金)の記 ふくしまオルガン堂
日本にて


すでに疲労、されどもさっそく手がけるべきことどもが。

拙作「リオ フクシマ」の中心人物である福島は二本松の有機農家・菅野正寿さんが今日、「ふくしまオルガン堂 下北沢」を仮オープンする。
http://www.tif.ne.jp/fuku/information/details.html?id=2904
福島の有機農産物の販売、カフェ、避難者の交流などのスペース。
あえて打って出る、攻めて出るとはさすが菅野さん、岡村ドキュメンタリーの主役を張るだけの人。

菅野さんの希望により、今日この仮オープンの日にこの場所で拙作を一緒に試写することになった。
先方の指定とはいえ、菅野さんを訪ね求めてくる人が後を絶たず、申し訳ない思い。
予定の時間よりだいぶ遅れ、ポーズを何度もかけてだが、おかげさまで一緒に最後まで鑑賞。
菅野さんのナマの反応も確かめ、お互いの質問疑問も交わして解決することができた。

旧東横線渋谷駅最後の日。
駅まわりは異常な人の出。


3月16日(土)の記 生麦黒湯沈降
日本にて


ゲラをにらみつつ、拙著の写真キャプションを修正。
けっこう没入してしまった。
今日は早めに出るつもりだったが、気付くとその時間を過ぎている。
押っ取り刀で、生麦へ。
渋谷駅が世紀の大変身を遂げた日に横浜へ逆行、というのがオカムラらしくてよろしいかも。

生麦事件の現場検証をあきらめた程度で、上映の段取りには支障なし。
わたくしが、会場所有のプロジェクターを設置することに。
一昨日は他に人もたむろするロビーでのチェックだったので、音量を最大限まで上げることは見合わせた。
この音量でこの会場ではかなり厳しく、青ざめる。

と、遠路はるばる、しかも早くから会場に来てくれたAPARECIDA常連・のぼさんが協力してくれて、上映発起人の一人が質疑応答用に引っ張り出してきたポータブルのアンプとの接続を図ってくれる。
岡村が上映中、ずっとマイクをプロジェクターのスピーカーにあてていないで済む。
音質は悪いが、危機一髪であった。

主催のお二人の尽力の成果、補助椅子も必要になる。
一般公開は初の「リオ フクシマ」、とにかくいろいろな見方をされることを再確認。
アンケートへの、わたくしが未熟ゆえのムカツく非難の書き込みも、今後の免疫注射。

近くのキリンビール工場付属のビアホールで打ち上げ。
他のグループの歓声がかしましく、自己紹介等は見合わせ。

帰路、僕はひとり会場手前、国道沿いの朝日湯へ。
黒湯銭湯。
化石の森に沈下していく思い。
さほど客もおらず、いい内省ができた。
銭湯画はどこかヨーロッパあたりの森と山、水場の写真とみる。
番台のおかみにどこの風景か聞いてみるが、わからないとのこと。

近くの生麦事件参考館にある、事件の錦絵でも掲げていただきたいもの。
黒湯は切り傷に効能あり、というのはそうとうお湯並みにブラックかも。
犠牲者は外人墓地に眠る。


3月17日(日)の記 水戸の蕎麦教室
日本にて


水戸に向かう。
目黒駅まで歩いていき、目黒美術館の前を通る。
畏友・細川周平さんにすすめてもらった「記憶写真展」開催中、24日まで!
http://mmat.jp/exhibition/archives/ex130216
今日は上映前に水戸県立美術館をのぞくつもりでいた。
方針変更。
「記憶写真展」、思考停止状態になるインパクト。
ただ感性のみをはたらかせてフォロー。

東京駅から、バス。
宿に荷物を置き、南町の紅茶館へ。
以前、にのまえ上映に来ていただいたオーナーにブラジル産スペシャル紅茶を差し上げる。
さっそく紅茶教室の生徒さんたちも呼んで試飲。
かなりの好評。

さあ、にのまえ。
蕎麦処にのまえさんでの岡村手打ち上映、なんと12回目。
311直後の幻の上映もあったことを店主が披露。
今日もいい上映だった。
「あもーるあもれいら」第一部。
上映後の眞家先生の仕切りが、いい。
林竹二の授業もかくや。

このお店は、教壇生活の長かった眞家夫妻のはぐくんだ教室だったことに気付く。
そばを打ち、ひとを育てる。


3月18日(月)の記 梅花と死者。
日本にて


水戸は千波湖近くの、格安ビジネス宿の朝食。
無料の朝食にはニンジン角切りたっぷりのカレー、豚汁まである。
ガテンな世界。

心配事もあるのだが、せっかくだから梅の名所・偕楽園へ。
一面の梅の花。
桜花に比べると、疎にして、そそとした感あり。
それがいい。
一本一本品種の違う、花盛りの梅林をひとり歩く。
身近な死者どもを感じて、やまず。

いったん目黒の実家へ。
昨日、日本に到着して通関も済んだとパソコンで追跡できたブラジルからのEMS便を待機。
異常に電話のかかりにくい江東区の国際郵便局にようやく電話が通じると、件の郵便はすでに午前中のトラックで出ているので、あとは目黒郵便局に連絡してくれ、と。
教えられた電話番号ではだれも応答せず。
別の番号を調べて、さらにたらいまわしにされて、回線を落とされて。
結局、目黒郵便局では本日の最終のトラックでも未着とのこと。
消えた郵便トラック。

これにかかりきりで、今晩、行なわれるブラジル大使館でのAPARECIDA Willieさんの出版記念パーティに参加できず。
このEMSが届かないと、明日未明に出発予定だった国内遠征が不可能に!

いやはや~!!


3月19日(火)の記 渋谷・松浦
日本にて


スピードが売りのEMS・国際ビジネス郵便。
昨日、午前中に江東区の国際郵便局を日本郵便のトラックで出て、本日午前9時過ぎに!目黒郵便局着。
目黒に問い合わせると、わが実家への配達は午後になるとのこと。
歩いても15分じゃないか、と糾す。
人手不足で、取りにいらっしゃいますか、ときた。
スピード配達のサービスに大枚はたいているのにどういうことか!とクレーム。
では午前中に、ということになった。

あえて今回の旅立ちは、地下に潜った東横線渋谷駅を起点とする。
ただのつまらなく狭い地下のホーム。
方位感覚を奪う表示と迷路。

新幹線を乗り継ぎ、博多から地下鉄とJR。
かつてブラジルでともに故・上野英信の足跡を尋ねた犬養光博先生ご夫妻と再会。
犬養先生は筑豊から長崎松浦に移られた。
郵便トラブルで出発が半日遅れてしまったけど。
話は尽きず。


3月20日(水)の記 ティエンポのとき
日本にて


昨日の新幹線と今朝、拙稿ゲラのファイナルチェック。
午前中、犬養光博先生ご夫妻に「あもーるあもれいら」完結篇をご覧いただく。
ご夫妻を14年前に現地にお連れしている。

さあ福岡天神へ。
長崎松浦からの陸行は魏志倭人伝の世界。
弥生時代の高度の文化も、21世紀の汚染塵芥も、はるかなる大陸から。

福岡大名の宿には、今日の上映にちなんで関西から、瀬戸内からアミーゴが結集。
さあ今回のメインイベント、ラテン文化センターTIEMPOでのライブ上映。
勝手が通常と異なるが、なんとかこなしたかと。

ブラジル経済の今後の展望や、日本とブラジルの移民政策の違いといった大局をオカムラに聞かれても、ちょっと…
どうせなら、人間いかに生きるかぐらいで攻めてほしい。
「人間以下に生きるか」に変換されるのが悲しいけど。

交流会も、二次会も和風ラテン料理。
もう深夜もいいとこだが、関連団体の理事さんがタクシーで長浜の屋台ラーメン屋に連れて行ってくれる。
本場豚骨ラーメンに感激。
薄紅の紅ショウガとすりごまを投入、固ゆでの麺にとろけるチャーシュー。
はじめて博多を実感、おもてなしを受けたのを実感、感謝。


3月21日(木)の記 高島野十郎そして水俣へ
日本にて


朝。
昨日午後に続いて、拙著の編集を引き受けてくれたサウダージ・ブックスさんとゲラの最終チェック。
ついにわが子が親元を離れていくのを感ず。

予定変更。
福岡県立美術館へ。
高島野十郎と出会う。
いい。
会場の資料にいはく、
「ひとりが好き。でも、ひとりじゃない。」

新水俣へ。
福祉作業所の加藤タケ子さんが迎えに来てくれた。
夜、「アマゾン水銀汚染」第2部と「リオ フクシマ」を上映。
故・原田正純先生の現場で奉納上映。
かけ流し状態のたくさんの出会いをいただく。
作業所泊。


3月22日(金)の記 水俣から大阪へ
日本にて


水俣ホットハウスでの昨晩の上映に集ってくれた面々と朝、諸々の話。
新水俣から新大阪へ。

大阪は、慣れないとなかなかややこしい。
阪急電車・桜井駅近くのオルガニックカフェでの上映。
このお店の昼を任されている高崎さんとは、リオで出会った。
地元の濃ゆいメンバーにお集まりいただき、「リオ フクシマ」ほかを上映。
高崎さんに鋭い寸評をいただく。

一つ手前の石橋駅が最寄りのビジネスホテルへ。
場末感が、わが分際にここちよい。


3月23日(土)の記 南相馬のいちばん星
日本にて


大阪石橋のビジネスホテルは朝食付き。
フィリピン人のお兄さんが関西風のうどんとチマキをサーブしてくれる。

東京駅で新幹線を乗り換え、福島駅へ。
福島駅よりバス。
社内でWi-Fiが使えるというので試してみると、スカイプ使用で1分15円とられ、しかもなかなかつながらない。
メールの受信も確認できないので、メーターが気になってやめておく。

わが「リオ フクシマ」に登場する南相馬の方に、拙作を一緒にご覧いただくのが目的。
その前に津波被災地、そして無人となった街並みや集落をご案内いただく。
さんざんメディアを通してみていた光景の、現物を見るという体験。

原町区の農家民宿「いちばん星」に宿を通ってもらった。
試写を予定していた居間では別のグループの女性たちが盛り上がりっぱなし。
外のプレハブのパソコンモニターテレビでみることに。
僕の気づいていなかったいろいろなことを教えてもらった。


3月24日(日)の記 南相馬から寒河江へ
日本にて


南相馬・農家民宿「いちばん星」で朝を迎える。
昨晩から鼻水が止まらない。
花粉だろうか。
僕の体は、なにをデトックスしようとしているのか。

付近を歩く。
地層の観察できる切通しがいくつかあり、地層マニアにはこたえられない。
なかなかの砂層である。
農家民宿オーナーの星さんは、星家八代目の当主とのこと。
高台にある墓所を拝見すると、確かに天保年間からの墓石が並んでいる。
天保の飢饉でこのあたりは人が途絶え、北陸から一向宗門徒が入植した由。

人は、途絶えることがある。
地質学的時間とともに、学習できることあまた。

宿の女性スタッフたちとのバカ話がまた楽しい。
近くの葬祭場の至近にモーテルが4軒もあり、いずれも満室御礼状態とのこと。
性と死の交錯。

こっちの血筋の用事で、山形へ。
寒河江駅に置いてあったフライヤー「渡辺喜雄回顧展」が目につく。
徒歩圏の寒河江市美術館に行ってみる。
無料がうれしい。
故・渡辺喜雄さんは地元の中学で国語と美術を教えながら、陶芸と絵画をたしなんだ。
作品を拝見すると、まことにマルチ。

こんな先生に中学時代に会えていたら…


3月25日(月)の記 帰京さっそく東京画
日本にて


寒河江温泉ホテルサンチェリーの露天風呂はお気に入りマーク。
無心もよし、考え事もよし。
午前中は仕事抜きの打ち合わせ。

JRレールパス使用最終日、山形新幹線で帰京。
荷物を目黒の実家に置いて、ふたたび出陣。

西荻窪APARECIDAさんで「京 サンパウロ/移民画家トミエ・オオタケ八十路の華」のお披露目上映。
「下手に描きたい」「サルヴァドールの水彩画」の森一浩さんが来てくれて、うがったコメントをくれる。
さすが。
さあこれで今回の上映はおしまい。


3月26日(火)の記 平均律はアベレージを凌いだ
日本にて


さすがにへろへろ気味。
あいさつメール類が滞ってしまったので、先ずその辺から。

明日のスケジュールがまだフィックスできない。
あした一日で遠めの外回りをすべて終えることができるだろうか。
危ないとみて、渋谷周りの買い物を今日のうちにしておく。

帰りは学芸大学駅下車。
今回も上映会のオファーをいただきながら、スケジュールが合わず失礼してしまった喫茶・平均律さんへ。
http://www.heikinritsu-cafe.com/
のりのりポンポンと話が弾み、5月にユニークな組み合わせの寄合いをやりましょうということになった。
あなかしこ。
地元目黒での上映デビューがすっかり遅れてしまったが、目を白黒させながらがんばりませう。


3月27日(水)の記 円空の森
日本にて


雨、か。
今日の外回りは上野から。

先日の生麦での上映で奔走された方が、メルアドに掘り込んでいるほどの円空ファン。
この人から再三、国立博物館の円空展を勧められている。
これをスルーすると、ナタでざっくりと、お釈迦にされるかも。

思えば、学生時代に少し円空に凝ったことがある。
あの時も、円空展が契機だったような。
うーむ、いい。
展示点数より観客数の方が多いような展示はもうだめなのだが、そうも言っていられない。

大人の通常料金が900円とは日本では控えめな値段と思ったが、それを上回る控えめなスペースの展示。
ニューヨークのメトロポリタン美術館の、数十ある部屋の展示のひとつ、といった程度。

円空仏を見ていて、ひらめくこと、いくつか。
拙作「リオ フクシマ」への「よくあるクレーム・リクエスト」に対して使ってみよう。

常設展の方に、親指のマリア像あり。

上野から江古田へ。
コスモナイトアルファさんで、キープしておいていただいたソフビを購入。
お店の存在そのものに勇気づけられる。

隣の小竹向原駅まで歩いて、地下迷宮渋谷へ。
本屋を三軒、ハシゴしてから学芸大学・平均律ふたたび。
尋常ではない濃さの出会いを仲介することになる。


3月28日(木)の記 縄文・さくら・目黒川
日本にて


明日は出ニッポン。
今日の用足しは目黒川沿いに集中。

今年のPARC自由学校の「本気で縄文人!」クラスの片棒を担ぐことになった。
http://act.parc-jp.org/s/fs/environment/2013-21.html
僕の出番は9月の予定だが、4月下旬にプレイベントをやろうと担当と盛り上がっている。
足で、ネタを稼ぐ。
わが目黒の実家から至近の縄文遺跡は、油面(あぶらめん)遺跡。
油面から、東山貝塚遺跡まで地形を頼りに歩いてみる。
現在の道路、行政の区割り、交通網を離れて帝都をあるく。
なんだか贅沢。

それにしても、東山貝塚公園のセメント固めの復元住居。
復元住居そのものが遺跡化している。
目黒に生まれ育った考古学徒として、恥ずかしい。

桜満開の目黒川へ。
あっぱれ。
わが縄文時代、までいかないが昭和時代は特に目黒川の桜というのは注目されていた覚えがないのだが。
そもそも目黒川が大ドブ川だったし。

川の流れのベクトルと、桜の花弁の散るベクトルのずれが時空に立体感を持たせている。
日中の所用を終えて、夜桜の目黒川へふたたび。
20代中心の人ごみのなか、桜みずして逝った人を偲ぶ。

売店ではトルコ人の健闘が目立つ。
同じく桜が満開の祐天寺境内は、ひとりふたりの人出で、不気味なほど。
さあ明朝、出家じゃ。


3月29日(金)の記 007は二度九州に来る
日本→アメリカ合衆国→


早朝、祐天寺を出家。
ニューヨークまではJALのエコノミー席で、いよいよ来月刊行予定の拙著「忘れられない日本人移民」の最後のゲラチェック。
ニューヨークのトランジット待ちの間に出版社と編集者にメールで訂正希望箇所を送信。
期待と不安と。

ニューヨークからサンパウロまでは臥薪嘗胆アメリカン航空。
エンターティンメントサービスも格段に落ちる。
そもそもわが液晶モニターにはひどい傷が入っている。

なにせチョイスが限られる。
行きにも見た「007/スカイフォール」をもう一度、見る。
往路は我が身にいくつかトラブルが生じていて、気がかりであまり集中できなかった。
アクションは冒頭からやたら手が込んでいたが、内政的な暗い失敗作ぐらいに思っていた。
ところがゲラもひと通り終えてから見ると、こうまで味わいが違う。
まさしく生誕50年を経た007シリーズの再生・復活の作品。
字がつぶれて見にくい最後のクレジットを見て、びっくり。
日本語で「長崎市・軍艦島」と出るではないか。
マカオ沖という設定だった、あの廃墟の島は軍艦島だったのだ。

すぐに堂々九州ロケをした「007は二度死ぬ」を思い出す。
この日記をアップするに当たって調べると、残念ながら「二度死ぬ」は長崎ではロケをしていないようだ。
鹿児島・坊津が主なロケ地で「下手に描きたい」「サルヴァドールの水彩画」の画家・森一浩さんのご尊父がこの映画の日本側の主演俳優、丹波哲朗や浜美枝を自動車で近くの観光地に案内したという。
森さんのご尊父はブラジル移民だった人で、今年亡くなられた。
鹿児島・枕崎でいっしょに「私のラバさん」を歌ったのを思い出す。
映像に残すことのなかった、忘れられない日本人移民のおひとり。


3月30日(土)の記 体感温度差ゼロ
→ブラジル


朝のサンパウロに到着。
イースター休暇中の土曜、道路がえらく空いている。
シャトルバスのタイムテーブルには約1時間20分所要とあるグアルーリョス空港→コンゴニャス空港が、40分ですんだ。

本来は季節が真逆である東京とサンパウロだが、春分/秋分を過ぎたばかりで、まるで変わらない感じ。

税関もノーチェック、空港到着客狙いの強盗にも遭わず、ぶじ帰宅。
ありがたや。


3月31日(日)の記 こわいような夏の頃
ブラジルにて


見事な時差ぼけに身を任せて。

水俣の上映に来てくれた人に強く勧めてもらった「風の谷のナウシカ」全7巻をひもとく。
こちらの老眼化のせいか、マンガとはいえ決して読みやすくはない。
宗教の経典みたいなものだから、読みやすくてはいけない。

途中でブラジルで買っておいたものの、そのままにしてあったブラジル国産DVD、黒澤明「一番美しく」を思い切ってみる。
カバーには書いていないが、イタリア語バージョンにポルトガル語の字幕が乗っかっている。
この映画の製作年の1944年、北イタリアのナチス傀儡政権にプリントがひそかに伊号潜水艦で送られていた、なんてことはまずないだろうけど。
ところどころ、音声のないシーンもあったり。
数ある黒澤作品のなかで、あまり見返したくない作品。
いわゆる「元寇の歌」を主人公がひっきりなしに歌い続ける。
♪四百余州を挙る十万余騎の敵・・・

そのあとの歌詞は「こわいような夏の頃」と聞こえる。
まさか、百恵ちゃんの歌でもあるまいに、と調べてみる。
「弘安四年夏の頃」でした。


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岡村淳 :  
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