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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2013/12/06)
10月の日記 総集編 死者のささやき

10月の日記 総集編 死者のささやき (2013/10/02) 10月1日(火)の記 Sufocamento
ブラジルにて


次回の訪日の件で、パウリスタ地区に出る。
火曜はサンパウロ現代美術館:MASPが無料で鑑賞できる。

ルシアン・フロイト展を見る。
ひとりで深夜でもみたら、相当こわいかも。
FOTOBIENALMASP展というのもやっている。
上の階の展示から、ざっと見る。
写真をいろいろ細工した作品が続く。
これじゃ写「真」じゃないななどと思う。
我々の動画の世界でいえば、編集時のエフェクトで勝負するような。

地下にも、これの続きがあった。
こちらはずばりの素材で勝負しているもの中心。
Pedro Davidというブラジルはミナスジェライス州の連作にくぎ付けになる。
タイトルはSufocamento、「窒息」といった意味。
まさしく息苦しく密集したユーカリ植林地。
貪欲に経済的価値のみを追求した結果だ。
そのなかに、奇跡的にそびえる、ほんらいのネイティヴな樹木!
福島原発事故による放射能汚染の、絶望とかすかな希望に見事に重なる。
すばらしい仕事だ。

二駅ほど歩いて、来週からサンパウロで行なわれる展示会に備える森一浩さんを訪ねる。
ルシアン・フロイトから香月泰男に至るまで、諸々のアート談義。


10月2日(水)の記 ばら ばら でへろへろ
ブラジルにて


すでに『消えた炭鉱離職者を追って』編集作業に入っていたいところ。
ほぼ完成状態の『ばらばら の ゆめ』の仕上げの微調整。
これに手間取り、終日かかってしまう。
いやはや。


10月3日(木)の記 お蔵出し素材と向き合う
ブラジルにて


感ずるところあって引っ張り出した14年前、前世紀の撮影素材。
最初は『後・出ニッポン記/序章』と名付けてみて、イントロの部分をまとめて日本の関係者にご覧いただいた。
関係者以外はともかく、関係者には本編を切望されることとなった。

さらに考えること・反省することあってタイトルは『消えた炭鉱離職者を追って』と変更することにした。
すでにその『サンパウロ編』は11月に福岡での上映も予定してもらっている。
『サンパウロ編』に次ぐ『リオ・アマゾン編』の撮影素材を全体の見通しをつけるためにチェック中。

お蔵入りにしていた大きな理由のひとつが思い出せてきて、がっくりしていた。
しかし新たに素材を再生しつつ、忘れかけていた声を拾い、この声は、言葉は伝えるべきではないかと再考するに至る。
素材の劣化か、ノイズ・ドロップアウトなども少なくないが、やむをえんだろう。

このブランクの意味、そしてこの作業の義。
僕の作品のなかでは、『40年目のビデオレター』に近いものとなりそうだ。
それなりに欠点もあるが、こだわり愛してくれる人も少なくない作品だ。

さあ、進もう。


10月4日(金)の記 はるかなるアマゾンの記録
ブラジルにて


14年前の撮影素材、アマゾン編をチェック。
思いは、複雑。
昨日より、作業のペースが落ちる。

午後から、友人のすすめる美術館に行こうかと思っていたが、やめる。
まずは目先の作業をすすめないと。
買い物とネットが、外界との接点か。
次回の訪日をめぐっての各方面との調整、そしてその前のブラジルでの諸手続き。


10月5日(土)の記 高校時代
ブラジルにて


サンパウロの小さな私立学校の文化祭へ。
他の例がわからないが、僕の覚えている日本の高校の文化祭とはだいぶ違っている。
ブラジルの方は、教育活動の枠から、さほど逸脱していないといったところか。
意欲的な教師が一緒にやっている。
若者たちにとって、身近なモデルとしての大人がいるのがうらやましい。
僕の高校など、すぐに思い出すのは、あってはならない、軽蔑・否定すべき大人、教育者の名に値しない輩ばかりだったかと。
受験と内申書、怒鳴り声でしか生徒たちを従わせることができない。
あってはならないあり方、生き方をだいぶ学ばせていただいた。

高校生を、ナメてはいけない。
宮崎駿『風立ちぬ』を締めくくった荒井由美の「ひこうき雲」は彼女が高校生の時のバージョンだというではないか。
無限のひこうき雲群をひめた若者たちと、共に生きることのできる教師という職業がうらやましい。


10月6日(日)の記 アメリカの朝と昼
ブラジルにて


昨日、こっちの高校の文化祭を見に行ったことが少しは影響したかどうか。
数日前に我が家で目についたDVD『アメリカの夜』を未明から観賞。
この映画は、映画狂だった日本の高校時代に観て、いたく心を奪われた。
僕にとってあこがれの映画監督像は、この映画でトリュフォー監督自身が演じる監督だった。
ふたたび見返すことが怖いほどの感動体験だった。
数年前に日本でDVDを見つけて購入したものの、封印し続けていた。

ジャクリーン・ビセットがまことに美しい。
ジョルジュ・ドルリューのこの音楽は、僕が高校時代に製作した8ミリ映画『ザッツ・エイケンテインメント』のエンディングに使わせていただいた。
それにしても、今ではこうした映画監督へのあこがれはなくなり、ひとり仕事のドキュメンタリー製作にたどり着けたことへのため息が出る。
トリュフォー、50代はじめで逝ってしまったのか。
1973年製作。
特典映像も見応えたっぷり。

この余韻を抱えつつ、無謀にももう一本の封印作品『アメリカン・グラフィティ』のDVDも観てしまう。
高校時代、これにもそうとう心を奪われた。
リチャード・ドレイファス演じるカートの姿に共感して。
これも1973年製作ではないか。

こうした傑作群が、思春期の僕のこころを養ってくれた。
映画を観ていた、ぐらいの思い出しかない思春期というのも情けない、こともないか。


10月7日(月)の記 フェンネル知ってる?
ブラジルにて


試写を続けている素材。
撮影テープの通し番号に欠番あり。
こっちの記載まちがいかと思っていたが、やはり一本足りない。
どうしよう。
この素材、他の作品に用いようとしたかもしれない。
半ばあきらめながら家探し。
あった!
やれやれ。

有機農場から分けてもらった野菜に、あれがあった。
路上市で見た時、その異形さから宇宙野菜、ET野菜などと称していた。
人参のような葉っぱを付け、セロリが丸い株になったような形態。

ポルトガル語の類似野菜からネットで調べていき、ポルトガル語ではFuncho、日本ではフェンネルと呼ばれ、ウイキョウという和名があることを知る。
地中海沿岸原産で、古代エジプトやローマでも栽培されていた由。

日本語のレシピもたっぷり。
ミネストローネ風にしてみる。
切ってみるとアニス臭の強いセロリといった感じ。
カネを出してまで買いたいとは思わないが、世界が少し広がった感じ。


10月8日(火)の記 煙草4本の代償
ブラジルにて


車廻りのいろいろが続く。
今日は朝イチで、サンパウロ市の排ガス規制検査に。
受付でチラシをくれる。
いわく、サンパウロは世界最悪レベルの大気汚染都市。
それに由来する病気での死者は、大サンパウロ圏で一日200人以上。
サンパウロで呼吸することは、一日4本の煙草を吸うのに匹敵。
わかりやすい。
して、わが車の検査はOK、今年分のステッカーが貼られる。

『消えた炭鉱離職者を追って』素材チェック作業、一段落。
昼から、今晩出国する日本人の友と再会。
東洋人街でお互いの所用を済ませ、さあ夜までどうするか。
いろいろオプションあり。

まずはセー広場のCAIXA銀行の文化センターへ。
なにか世界的な巨匠の展示をやっているのを覚えていたが、ダリだった。
小品100点ほどだが、多技多才の天才ぶりに圧倒される。
作品のサイズが浮世絵の版画と同じぐらいのせいもあるのか、北斎の多技多才ぶりを思い出した。
ついで歴史建築物を利用した近くの小ミュージアムをハシゴ。
あえて漢字で訳すと「映像館」の今度の写真家はすごい。
Juca Martinsというブラジル人だが、まとめてみるとこの人の狙いと願い、才能と努力と志の高さ、人間性がよくうかがえる。
警察に逮捕される男娼。
スラム街の住民たち。
アマゾンの露天掘りの金鉱。
サルガドとはまた違った、人々の笑顔もある。

不本意に、日に煙草4本に匹敵する毒物を吸引させられている文化的代償はなかなかのもの。
その存在を意識して享受する民の数のささやかさ。


10月9日(水)の記 ツナゲ、ツナゲ
ブラジルにて


午前中はネット系と買い物系。
被爆者平和協会の森田隆さんにご挨拶。
日本がらみのことで、また意外なことをお聞きする。

『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』の編集にいそしむ。
いやはや、つないでみないとわからない。
新たな意味合いもつなぎ出せるではないか。
2時間を超えるかと思いきや、もっとさっくりと短くなるかも。
すすめ、すすめ。


10月10日(木)の記 神聖な喜劇
ブラジルにて


ブラジルでの免許更新。
まずは医者の診察。
先回は近くの民間の代理業者を通して行なった。
今回は、直接パソコンで交通局に申し込んでみる。
難航。
して本日17:10を予約することができた。
案ずるより産むがやすし、ではあったが段取り等でけっこう消耗した。

重要書類を持参していて、盗難犯罪の多い地区での手続きなので、さっさと帰ろうと思っていたが。
なんとかうまくいった余韻で、一昨日訪ねた銀行系カルチャーセンターのダリ展を再訪。
先回はダリが『神聖な喜劇』を題材としているというのがよくわからなかった。
調べてみて、これはダンテの『神曲』とわかる。
ダンテは喜劇と題したものの、日本では森鴎外が『神曲』と訳したようだ。
恥ずかしながら、未読。
日本で次回、購入するか。
ダリのこの作品のすごさが今日はさらに味わえる。
『神曲』を読んでいたらもっと味わえるかと。


10月11日(金)の記日伯「三人展」
ブラジルにて


夕方まで、ビデオ編集三昧。
今夕、日伯「三人展」というののオープニングセレモニーがある。
ブラジル鹿児島県人会創立100周年を記念して、鹿児島にルーツを持つブラジル生まれの画家森一浩さん、そしてブラジルで活躍する二人の日本人アーチストの重鎮である彫刻家の豊田豊さん、画家の若林和男さんの三人の作品展をブラジル日本文化福祉協会で行なうというもの。
森さんへの友情撮影。
そもそもビデオカメラのバッテリーの問題があり、ばたばたしてしまった。
現場で新たな機材トラブル、さらにこちらの恥ずかしい間違いが重なり、うろたえる。
とにかく、なんとかするが。
ちなみにこの「三人展」は13日まで公開。

豊田さん若林さんの挨拶にもあったが、絶え間なく行われているこうした県人会などのイベントでのアート展というのがブラジル日系社会でおそらく前例がないとのこと。
アート展のひとつもしないで今までブラジルの県人会たちはなんのお祝いをしてきたのだろう。

会場内に控えめに展示作品の販売価格が掲示されていて、目をむく。
かたや孤独な記録映像作家は身銭を切って製作した映像作品を、本来はこちらを支援すべき日本の行政に無断公開上映をされて、謝辞も謝金も拒否されてなおかつ市長のPRに用いられている始末。
複製表現は、いつまで呪われ続けるのだろう。


10月12日(土)の記 ピナコテーカのいたみ
ブラジルにて


情けないほど、申し訳ないほど、あえて自作の宣伝はしない。
それでも現在編集中の、とても地味な『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』を次回訪日時に3か所のところで上映していただけることになった。
いまだに作品の長さが未定では先方に申し訳なく、編集作業にいそしむ。
2時間未満で終わりそうかと思いきや、2時間をさらりと超えてしまうかもしれない。
なんとか明日中には見通しがつきそう。

夕方、訳あってピナコテーカと呼ばれるサンパウロ州立美術館へ。
ここの常設展は僕のお気に入り。
先日までブラジルにいた友人が新たに強く勧めていったのだが、特別展は僕には特に興味をひくものではなかった。
いっぽう常設展がいくつか模様替えがあり、これが新たに面白かった。
なぜか眼が痛くなり、折しも5面のスクリーンに動画を投影するイベントを開催していたので、椅子に座って眼を休める。
失明したら、作品の残りの編集、どうしよう。
視力を失う場として、このブラジルの美の殿堂はもってこいだけど。
今日はアパレシーダの祭日で街の空気は通常よりはきれいなはずだが、光化学スモッグの類?
痛みが落ち着いてから、帰宅。


10月13日(日)の記 死者のささやき
ブラジルにて


『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督が「死者たちが、出たがっている。」と書いていたことを思い出す。
ニューギニア戦の死者のこと。

『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』第一回編集の大詰め。
ここにきて、こちらもうる覚えだった死者のことが、ぐんぐんと浮かび上がってきた。
息を呑む。
サンパウロ州奥地で愛されながら、交通事故で亡くなった日系の少年。
『リオ・アマゾン編』でも出たがっている少女がいる。
彼女は、2度目である。

リオの少年たちよ、君たちのことも忘れてはいないよ。
あえてワールドカップの年に浮かび上がってもらうというのは、どう?

橋本梧郎先生、七回忌に間に合わせたいとは思っています。

死者の皆さん。
願わくば、われとわが周囲、そしてこれらの仕事を守りたまえ。


10月14日(月)の記 断食ずらし
ブラジルにて


迫りくる次回の訪日に備えて、今日は断食をするつもりだった。
家族の特別シフトに合わせて、明日に順延。
昼は徒歩圏の大衆食堂に行くが、いつになく空いている。

『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』、昨日、2時間以内で収まる見通しがついて、取り急ぎ11月始めに上映してくれる予定のお二方にその旨、連絡。
ひとり仕事なだけに、また最近ケアレスミスが増えているので、ひやひやしながらもう一度、確認。
1時間55分弱。
自主制作作品では、何ものにも作品の長さをとらわれないようにする所存。
とはいえ、2時間以上になると予算的な問題、技術的な問題が出てくる。
なににしろ、やれやれ。


10月15日(火)の記 ナレ書き
ブラジルにて


さあ今日は断食。
『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』のナレーション原稿を固めていく。
馴染みの録音スタジオに電話、予約。

ふたたび文庫版の『出ニッポン記』をひらき、姿勢を正す。
こんな時に断食はもってこいだ。


10月16日(水)の記 地下鉄の落差
ブラジルにて


ナレーションの録音に行くため、まだ朝のラッシュアワーの時間帯にメトロに乗る。
乗り換えて、アルト・ダ・イピランガ駅。
構内は形態といい、照明といい、アート装飾といい、未来的でお洒落で落ち着いている。
それに比べて、例えば東京の新渋谷駅などはどうだろう。
屠殺場への迷路をあおられて歩かされる家畜、といった気分になる。
アートもへったくれもあったものではない。
瀬戸内直島の安藤忠雄美術館で買った『TADAO ANDO and His Recollection』という本を見ていて、あの東急渋谷駅が安藤忠雄さんの設計と知り、驚く。
どこか、なにか、根本的におかしい気がする。

録音を済ませての帰路。
地下鉄駅構内で、ちょっとストレンジな日系人風のおじさんと目が合ってしまった。
小林桂樹扮する山下清をほうふつさせる風体。
60代ぐらいだろうか。
わずかな日本語を交え、周囲にも聞こえるように話しかけてくる。
もはや逃れられない。

なんと、パラナ州の僕も行ったことのある町の出身だという。
ササキ神父を知っているかと聞くと、知っているというが、これは怪しい。
こっちの仕事を聞くので、バガボンドだと答えると、ちょっとあきれられた感じ。
子どもがいるか、背丈はどれぐらいだと聞いてくる。
おじさんは?と聞くと、未婚だと赤茶けた顔を赤らめてはにかむではないか。
パラナにはいいねえちゃん、いっぱいいるじゃないの、とこっちが冷かしたあたりでおじさんの降りる駅。
こっちもそうとう大きな声で応酬していたので、さぞ周囲の乗客たちは…


10月17日(木)の記 敗北への旅
ブラジルにて


改めて上野英信の『出ニッポン記』を読み直した。
新たに、感無量。
新たな気づきも少なくない。

この部分が、大きな再発見。


  会うことが苦になるのではない。会うことの喜びが苦しいのである。これほど絶望的な喜びを私はかつて経験したことはない。その喜びは私にとっては残酷すぎる喜びだ。いっそ訪ねてこなければよかった、と私は会う前から後悔する。その熱い悔いは、めぐり会う離職者が増えるに従っていよいよ急速に強まるいっぽうだ。彼らとおなじように、私もまたひき返すことのできない敗北への旅をみずからに強制しているのではないか。


サンパウロにお住まいで、故・英信と親交のあった方に電話をして、いくつか教えてもらう。
僕はとんだ勘違いをしていたのかもしれない。


10月18日(金)の記 コパンの宿
ブラジルにて


昨晩、ブラジル滞在中の画家・森一浩さんから電話あり。
通話状況が悪かったが、とりあえず今朝から森さんの追っかけらしい日本から来た女性二人をサンパウロ市内で案内することになった。
先方の名前、所用経費の払いはどうするかを確認のため、折り返し電話をするが、通話不能状態。

出頭を指定されたのは、ダウンタウンにあるCOPANという建築開始から60年以上経つ老朽高層ビル。
サンパウロの地下鉄は、65歳以上だと日本からの観光客でもパスポートの生年月日欄を職員に提示すれば、無料で乗車できることを、恥ずかしながら今回、初めて知る。
女性二人に街歩きを始める前にパスポート等は持参しないように説いたのだが、タダで地下鉄に乗れるから、と却下される。

この付近は畏友のフォトグラファー楮佐古晶章さんがウエブ日記で日常的に危険をつづっている地域。
さっそく女性のひとりが路上で寝ている人の写真を撮りたいなどと言い出すが、こちらが却下。

お二人は「地球の歩き方」をかざして美術館廻りがしたいとのことなので、「地球の歩き方」によらない歩き方をさせていただく。

ピナコテーカの別館、入り口のおねえさんの館内説明ではなかった2階にブラジルの近代アートのマスターピースがそろっている。
新聞等のアート欄で取り上げられていた新たな特別展だ。
ほぼ回ったところでガードマンが現われ、ここは立ち入り禁止、明日からの開催と言われる。

それにしても気迫あふれる展示だった。
絵画のオリジナルの持つ力、気、オーラといったものが漂うせいか。
デジタルの複製表現でしかないビデオ上映では、これに近づけるにはライブ上映、ということになるのかも。


10月19日(土)の記 ビデとロザンナ
ブラジルにて


今日も午後までメトロ無料組の日本人淑女二人の案内をすることになった。
朝イチで彼女たちの滞在しているビルを訪ねる。
お手洗いをお借りすると、ビデもある。

「ビデがあるんですね」と話題にしてみる。
お二人とも意味が通じないようだ。
「あれは男性が使うものかと」
「てっきり足を洗う場所と思って、外から戻るとあそこで足を洗ってましたよ」
さすがに顔を洗うまでには至っていなかったようだ。
さまよう海外日本人のバイブルとなってしまった「地球の歩き方」にも、現地のトイレ事情は書いていないのかな。

さあ明日は数年前からの懸念だった大イベントの友情撮影だ。
マラソン数回分の時間の持久撮影となる見込み。
夕方からは安静を保つ。
安政の改革。


10月20日(日)の記 祖国崩壊7年前
ブラジルにて


荒井由美の「ひこうき雲」は彼女の2枚目のシングルアルバム「きっと言える」のB面曲として1973年にリリースされた。
映画『風立ちぬ』で描かれた祖国崩壊から28年後のことだ。

さあ今日はブラジルの老舗の県人会の100周年記念式典の友情撮影。
現会長には、氏が民間人の頃からたいへんなお世話になってきた。
画家の森一浩さんはこの人に紹介していただいた。

日本の母県(ブラジル日系社会では普通に使う言葉だが、ワードで変換されないのが泣かせる)からの慶祝団の古老が挨拶に立つ。
最後に読み上げた日付が「昭和13年10月20日」。
そのあとでブラジルの元県人会長が祖国の「修身」と「教育勅語」を讃える挨拶。

昭和13年。
宮崎駿が描いた祖国崩壊の7年前だ。
西暦2013年から7年後には東京オリンピックが予定されている。
遺憾ながら西暦1940年・昭和15年・紀元2600年の幻の東京オリンピックの悪夢ふたたびの感あり。

古老の預言か。
次の祖国崩壊後の「ひこうき雲」は、ひとの立ち入ることのできなくなった祖国から遠い外地に湧き上がりそうだ。


10月21日(月)の記 DD
ブラジルにて


断食に読書で、DD。
DDデイ。

いやはやこの三日間、本業返上でご奉仕活動、疲れた。
このブランクを取り戻さなければならないが、精密真剣作業になかなか入れない。
3冊目の小野正嗣さんの著書を読むことにする。
だいぶ「浦」と「マグノリア」の感じが掴めてきた。

午後より編集作業再開。


10月22日(火)の記 アリ地獄ふたたび
ブラジルにて


昨日いったんOKと判断した『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』。
マスターテープを作ってみてチェックをすると、気に入らない個所がある。
またやり直し。
それを何度も繰り返す。

午後から、サンパウロ国際映画祭でかかる映画を観に行くつもりだった。
中国の映画で、1942年、日本との戦争中に内陸で干ばつに襲われた地域の話の由。
しかしそれどころではなくなってしまった。

終日この作業。


10月23日(水)の記 戦争と洞窟
ブラジルにて


売れない不器用な手焼き煎餅屋。
一枚一枚、DVDを焼いていくのだが、接続不良で何枚もオシャカを出したり。

夕方。
さあサンパウロ国際映画祭、待望の一本目を観に出る。
英題『No Place on Earth』という独米英合作のドキュメンタリー。
在ニューヨークの洞窟探検家が、ウクライナの洞窟に挑む。
すると、地底奥深くにヒトの生活跡を発見。
遺物からはかるに、どうやら現代人らしい。

第2次大戦中、ナチスの迫害を逃れて洞窟に潜み続けたユダヤ人集団がいたらしいという情報を彼はつかむ。
生存者、関係者はいないかと調査を続けると…
強烈な事実に圧倒される。
作品のつくりはNHKの歴史教養ものみたいに再現シーンがふんだんで、「板付き」のインタビューも役者を使っているのかと思ったほど。

沖縄戦のガマ。
硫黄島の地下壕。
松代の大本営跡。
第2次大戦中に地底に潜ったのは、日本人だけではなかった。

洞窟壁画を描いた旧石器時代人と重なるものは、あるか。

今年のサンパウロ映画祭。
カバー画像は、雷雨のなか『バリーリンドン』を演出するキューブリックのイラスト。
シネフィルには、たまらない。


10月24日(木)の記 はるかなるリベルダージ
ブラジルにて


今回は来週の訪日までに新作を2本仕上げなければならず。
関係者あてのDVD焼き作業もばかにならない。
1本でも仕上げるのはひと苦労なのに、まさしく「藤原の効果」状態。
こういう時に限って、とんでもなヤボ用までが引き寄せられてくる。

家族の夕食もこさえて、こっちも早飯食べて、今宵もサンパウロ国際映画祭の作品を見に出る。

『エスタソン・リベルダージ』、ずばり「リベルダージ駅」というタイトルの、ブラジルの日系人が絡むらしい映画が狙い。
しかし開映30分以上前で、すでに満員売り切れ。
いやーん、こんな危険地帯まで夜更けに出向いたのに。
そこはシネコン。
プログラムを繰って、『リオ・シガノ』というブラジル国産の各地のジプシーを訪ねるという映画に転向を図るが、これも売り切れ。
そもそも映画祭のプログラムも売り切れである。

地下鉄代だってもったいない。
映画祭ではない通常公開中のブラジル映画の大作『セラ・ペラーダ』を観るか。
終映後、メトロの終電に間に合うかが心配。
1980年代に露天掘りで世界最大の規模となったアマゾンの金鉱、セラ・ペラーダのお話。
同時代の、すごい国内史を再現してくれた。
いまや世界的に知られるヴァルテル・モウラ演ずるキャラクターが凄い。
深作欣二の『仁義なき戦い・広島死闘編』のカツトシや、『仁義の墓場』の石川リキオを思い出した。
この映画、きちんと見れてよかった。
メトロにも間に合ったぞ。


10月25日(金)の記 時間倹約
ブラジルにて


午前中に作業いったん中断。
隣州から「上聖(サンパウロ市にやってくること)」した邦人と会う。
会食後、中心街の美術展に案内。

入り口までお連れして、先方の観賞中に用足しを図る。
なにせ来週初めの出ブラジルである。
徒歩圏の「ポウパ・テンポ」と呼ばれる諸手続きを敏速に行なう機関で、更新した自動車免許の受取りなどにかかる。
ポウパ・テンポは時間倹約の意味。

思った以上に時間がかかってしまい、あせりあせり客人を置いてきたカルチャーセンターへ。
ひょっとして痺れを切らして先立たれたかと思いきや、二人のうちまず一人がゆっくりとやってきた。
もうひとりはさらに観賞中の由。

観賞も一緒に付き合わなくてよかった。

夜は家庭でカツ丼作成。
まずはトンカツを揚げる。


10月26日(土)の記 炭鉱婦は空を跳ぶ
ブラジルにて


昼はブラジル訪問中の画家・森一浩さんと会食・打ち合わせ。
夕方はサンパウロ国際映画祭で最も気になっていた作品に挑む。
北朝鮮とヨーロッパの合作映画。
英題は『Comrade Kim goes flying』。
北朝鮮の炭鉱夫キム同志がサーカスの曲芸師を夢見る、という話らしい。

『消えた炭鉱離職者を追って』をこれから祖国に問う私としては、必見かと。
北朝鮮では今も石炭採掘が行なわれているのか。

いやはや映画は見てみないとわからない。
キム同志は見目麗しい若き女性炭鉱労働者だった。

まさしく国家のエネルギーを支える石炭採掘労働にいそしむ若き女性。
黒澤の『いちばん美しく』を思い出す。
コメディータッチで、なおかつダイナミックな見せ場あり、泣かせる場面あり。
20数年前に見た北朝鮮映画とは、隔世の感あり。
恥ずかしながら、「たかが」映画一本で北朝鮮に対する印象がだいぶ変わってしまった。
今さらながら、文化力というのはすごいものだ。

『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』では主人公の犬養光博牧師が故・上野英信の著したある老炭鉱婦のエピソードを披露するところが一つのクライマックス。
海峡と時代を隔てた二人の炭鉱女性の相違について想いを馳せたい。


10月27日(日)の記 キュービリッくれずに、サルガドる
ブラジルにて


出ブラジル前の、雑務残務たけなわ。
午後よりわがブラジルに悔いなきよう、外出。
MISことオーディオヴィジュアルミュージアムで始まったスタンリー・キューブリック展へ。
キューブリックを3本あげるなら今の僕には『シャイニング』『アイズ・ワイド・シャット』『2001年宇宙の旅』か。
『アイズ…』を落ち着いたら見直したい。
拙作『郷愁は夢のなかで』とオーバーラップするのだ。

さてこのMIS、どちらかというとアクセスが不便である。
今日は使用カードを間違えてしまい、乗継割引がないので、メトロの駅からバスに乗らずにテクシー(古い!)とした。
歩くこと30分。
するとなんとアヴェニーダまで至る長蛇の列!
キューブリックの展示を見に、これだけの人びとがひしめくとは、すげえぞブラジル。
黒澤明の絵コンテ展の時は、平日とはいえ、わたくし以外には誰もいない展示室もあったけど。


日本への土産話としても見ておきたかったが1月はじめまでやっている。
もう一つのミッションは、ブラジル人写真家サルガドのドキュメンタリー『セバスチャン・サルガドを現像する』。
このMISのホールでのサンパウロ国際映画祭関連上映だ。
これも満員NGかと思いきや、こっちは入場券が購入できた。

サルガドはかっこいい、魅力的だ。
本人が明かす失敗談の数々にもしびれる。
レンブラントやフェルメールなどのオランダ絵画に心酔して、ひかりの使用などに影響を受けていること。
ダウン症の息子さんがいて、彼もサルガド組の一員として自分たちを助けてくれているとのこと。
このドキュメンタリー、撮影は三日間とか。
時間かけりゃあいいってもんじゃないのだ。
それにしても、活字でじっくり味読したい発言の数々だった。

さあこれで当面、映画もアートもブラジルでさほど思い残すことなく、訪日させてもらおう。


10月28日(月)の記 生きてゐる聖書の世界
ブラジルにて


出ブラジル前日。
買い物が続く。
ひと駅先にある、大きなカトリック教会まで歩く。
ちょっとした土産物を買うため。
なんだか人出が多いぞ。

そうか、今日は28日、この教会の縁日だった!
地下鉄の駅前から一車線を歩行者に開放している。
教会の前の大通りは、車両通行止めだ。
昨日のキューブリック展をはるかにしのぐ人出。
教会グッズの店は長蛇の列。
むむ、明日にするか。

ひき返すにも、すごい人。
物乞いの数も大したもの。
自分の体の欠損した部分、変形した部分をさらして金銭を乞う人も少なくない。
まるで、聖書の世界ではないか。
この人たちは小銭以外に、癒しと奇跡はありや。
神のみ技は、いかに。

かつて拙作を『生きている聖書の世界』と題したが、この光景はまさしく。


10月29日(火)の記 うにゆかば
ブラジル→


まったくブラジルのテレビニュースを見ていると、この国にいること、サンパウロに住んでいることが恐ろしくなってくる。
空港にほど近いサンパウロの幹線道路が、主張不明の暴徒集団によって封鎖された由。

空港になるべく早くいくことにする。
今日もまだ買い物いくつか。
もっと、時間を。
出た際に「スキヤキ」の森田隆さんに挨拶。
ウニが届きました、とおっしゃる。
エスピリット・サント州の共通の知人からだ。
幸か不幸か、我が家では僕以外はウニを食べない。
まもなく訪日のため、いったん辞退するが、強くすすめられる。
冷凍しておくか。

おう、昼にいただく手もあるぞ。
うーん、青シソの葉が欲しい。
しかし残り物を少しでも食べる要もあり、ウニはお預け、そのまま冷凍庫へ。
日本に行ってもウニはなかなか口に入らないだろうな。

空港には比較的スムースに到着。
出国手続きを済ませる。


10月30日(水)の記 ファッチマ王女のカメラ
→アラブ首長国連邦→


相変わらずエティハド航空の機内エンタメサービスは日本映画が一本もなく、かえって清々しい。
英語字幕のあるアラブ映画を探す。

この映画を2度見てしまった。
『Mosawer Qateel』、エジプト映画のようだ。
サイコ写真を撮るようになってしまったフォトジャーナリストの話。

彼が入手したばかりのデジタルカメラが捜査不能になってしまった。
地下鉄のなかでそれをいじっていると、路上生活者風の老人が寄ってきて、手品のように直してしまった。
老人は、とっておきのカメラを譲ってやろうという。
アラブのファッチマ王女がヨーロッパ中に人を派遣して入手した愛用のカメラだという。
この老人の語りの英語字幕から、試訳。

「カメラは君の服といっしょだ」
「年とともに経験を積んでいく」
「ますますすばらしい画が撮れるようになる」
「ボタンばかりのおニューのカメラより、はるかな優れものさ」

ルバイヤートを読み返したくなってきた。


10月31日(木)の記 岡村淳のカメラ
→日本


午後の成田に到着。
ちなみに最後のエティハド航空の「朝食」のチョイス、和食はヤキソバだった。
わたくしは、アラビアンにしたけど。
日本で朝からヤキソバ、食べる人は?

成田から渋谷まで、リムジンバスで約70分。
タクシーで目黒の実家へ。
まだ時間はある。
よし、無理して今日中に品川のSONYサービスステーションに行こうか。
ブラジルから持参した愛機のビデオカメラVX2000の修理依頼。

久しぶり、しかもすでに暗くて品川駅でちょっぴり迷うが、セーフ。
この機種は製造終了後久しく、すでに部品保管期間も終わっているので、修理不能の可能性ありとのこと。
機内映画で観たファッチマ王女のカメラのこころと、真逆のベクトルを感ず。


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