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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2014年の日記  (最終更新日 : 2014/12/06)
6月の日記 総集編 旧石器の隘路に生きて

6月の日記 総集編 旧石器の隘路に生きて (2014/06/02) 6月1日(月)の記 わが家のうまいもの
ブラジルにて


日中は、ワールドカップがらみで日本から来ている知人のおもてなし。
中華料理のあと、セントロの文化施設をいくつかご案内。

帰宅後、夜は手巻き寿司とする。
午前中、路上市でサワラとマグロのトロ身を買っておいた。
このトロだが、そのままだと臭みがある。
これまでは、軽くあぶってみたが。
今日は、鹿児島産の醤油のヅケとしてみる。
この醤油、ビーツの砂糖ではない甘味が強く、刺身にはなかなかよろしい。

絶妙なお味となりました。

ドイツのシミュレーションによると、福島原発事故により、太平洋はあまねく放射能汚染を被り、まもなく死の海となってしまうようだ。
内部被曝の恐れのない刺身を食べるには、ブラジルあたりまで足を延ばさなければならない事態も想定されたし。


6月2日(月)の記 断食と編集 六月の部
ブラジルにて


急な国内遠征が入り、一週間延期した一日断食を実施。
効いている感じ。
訪日中のけっこうハードなスケジュールで、病らしい病もしていないのは、これのおかげが大きいかと。

して、先週撮影してきたフマニタスの映像の編集作業に取り掛かる。
録画テープ頭のキズにびびるが、大事に至らずに済んだ。
自分のなかの映像編集の回路が、少しずつつながっていく感じ。

家族には、おいしい!とうならせる食事を提供。
こんな時に、あえて鈴木隆祐さんの『東京B級グルメ放浪記』(光文社知恵の森文庫)を読むという自虐。


6月3日(火)の記 アーニー・パイル『最後の章』ほか
ブラジルにて


断食をした後、二日間はアルコールを控える。
晩酌の代わりに、読書がはかどる。
詠むべき本がたまり過ぎていて、焼け石に水をそそぐ。

先回の訪日での最大の掘り出し物は、東松原の古書『瀧堂』さんで見つけたアーニー・パイル著『最後の章』(瀧口修造訳!)だろう。
アメリカの従軍記者で、沖縄の伊江島で戦死したアーニー・パイルの太平洋戦線のドキュメント。
実に面白い。
彼は沖縄で、洞窟の亀甲墓に収まる沖縄島民の祖先に対しても敬意を払っている。
こうした庶民の良心が綴った従軍記事が、第2次大戦中のアメリカで大人気を博していたのだ。
誤解を招かないように、少しだけ引用したい。

「アメリカのさまざまな地方から来た人々が、沖縄の風景に、思い思いの故郷を見出していたのだ。」
「今度の戦争で、私はいろいろな土地を歩いてきたが、沖縄は兵隊から苦情の出ない稀れな土地の一つであった。事実、大抵の兵隊は沖縄を好いていた。(中略) 田舎は綺麗だし、小さな畑はよく耕されていた。折しも気候は絶好であり、景色は申し分なかった。ただやり切れないのは、蚊と蚤と悲しげな住民の姿とであった。」

その前の訪日の際、つちうら古書倶楽部で見つけた『ダライ・ラマ、イエスを語る』(角川書店)の読み残しの部分も読了。
かつてチベットに3か月以上、滞在して、いまやキリスト者の映像記録の編集を手掛ける身に、格好の著。
もはや在庫を減らさなければならない分際だが、こうした掘り出しものがあるので、古書散策はやめられない。


6月4日(水)の記 きょうの特記本
ブラジルにて


ワールドカップ開催8日前となるが、サンパウロでは市民の足・地下鉄が無期限ストに入るかどうか、いっぽうで凶悪猟奇事件など、ニュースが賑わしい。

フマニタスのプライベートビデオの編集の合間に、本を読む。

日本の畏友・橋口博幸の「編んだ」『竹―かたちの現像としての民具 武蔵野美術大学民俗資料およびインドネシアの民具をもとに』の、まずは橋口さんが書かれた章を拝読。
ずばり「箕」についてなのだが、まことに面白いではないか。
いわゆる竹箕だが、日本国では「片口箕」と「丸箕」に南九州で分かれるというのだ。
その意味の読み解きがまた面白い。
ミツクリとも呼ばれた日本の漂泊民・サンカはこの分布に「参加」しているのだろうか?

ガリ版刷りのミニコミ誌『あめつうしん』に紹介されていて、ぜひとも読みたくなった『ふるさとにかえりたい リミヨおばあちゃんとヒバクの島』(写真:島田興生 文:羽生田有紀、子どもの未来社)。
まことに、頭がさがるお仕事だ。
「ビキニを見ればふくしまが見える」、これにつきる。
ビキニの核実験の実写映像で始まるハリウッドの新作ゴジラ映画より、100倍以上はこの本で訴えられていることの方が怖い。


6月5日(木)の記 サンパ日和
ブラジルにて


機内映画で見たのだが、三浦友和主演の『東京日和』だっただろうか。
主人公が東京の町の時計屋を見て、よく商売が成り立つな、といった発言をして、その店のおやじに追いかけられるというシーンがあった。
日本には、まことにそう思わせる町の時計屋さんが少なくないかと。

さて、サンパウロ。
使っていた腕時計が電池切れのようだ。
その前に使っていた方の腕時計の電池を代えてもらおうと思う。

一昨日、買い物のついでに、近所で日系人が経営を引き継いだ時計屋に行った。
すると、先客が3人ほどたむろしている。
これは、パスするか。
路上で時計を商うスタンドがあるが、「フィックス」の店からこういうスタンドの電池は海賊品だからやめた方がいい、と言われていた。
あえて我が家の前の大通りのスタンドに寄ってみると、ここも先客がいた。

今日、ふたたびこのスタンドに寄る。
きちんとした身なりのモレーノ(褐色)のおじさんで、蓋を外した内部の掃除までしてくれた。
さて、電池を代えてもらったものの、秒針がわずかに動いて止まってしまう。
正直、安物の時計でもう寿命かな、と思う。

おじさんがふたたび内部を何箇所かいじると、ふつうに動くようになった。
こういう修理は20レアイスとるけど、電池代の5レアイスだけでいい、という(1レアルは約45円)。
2レアイスのお札があったので、コーヒー代だけだけど、と7レアイス出すと、けっこう喜んでもらえる。
修理中も、通行人の女性や路上停車の運ちゃんが親しくこのおじさんに声をかけていった。
路上でスタンドを出しながら、こんないい仕事をしてくれる人がいる。

セレビーな日本人アーチストが、腕時計は自分を見られるステータス、恥ずかしいものはできない、と数100万円のものを使っているという記事を見たことがある。
僕のこの時計は、まさしく数ケタ、ゼロの少ないものだが、この世ですでに僕だけが記憶する家族の思い出がある。

セレビー時計、わがブラジルではさぞ強盗生活者の歓心を買うことだろう。


6月6日(金)の記 地下鉄ストの余波の余話
ブラジルにて


サンパウロの地下鉄のストは2日目に突入。
こちらの家族への影響もだいぶ出てきた。
今朝は、未明の5時過ぎに車で妻子を地下鉄の3駅先にあるバスターミナルまで連れて行く。
当地は当時を半月後に向える冬期であり、午前6時でもまだ真っ暗である。
闇にうごめく犯罪者たちに留意しながら運転。
無燈運転の車もコワいぞ。

帰って一休みしてから、フマニタス/映像の捧げものの編集を再開。
友人知人との昼食のアポがあったが、メトロ不全のためキャンセルに。

地下鉄労使の交渉は、ワールドカップの始まる来週に持ち越される模様。
家族の都合により、明日も未明に出動となる。


6月7日(土)の記 ドロップアウト
ブラジルにて


土曜だが、昨日に続いて家族を未明に車で護送。
フマニタス:映像の捧げものの作業を続ける。
最終的なチェックとマスターテープづくりの段階に。
微妙な部分を気にし出すともう逃れられず、作り直し。

これは制御不能なのだが、平均すると1時間半ぐらいのダビングで一か所ぐらい、「ドロップアウト」が生じてしまう。
日本の「マチバ」でドロップアウトと呼んでいたのだが、検索してみると…
どうやら、けっこう特殊な業界用語のようだ。
ようやく「録音テープの音飛び箇所」というのを見つける。
なるほど、これが録画テープにも応用されたということだな。

こうした箇所を「ノイズ」とも呼んでいた。
ノイズを調べると、「処理対象となる情報以外の不要な情報」とある。
なるほど。
しかしこちらの問題は、不要どころか有害である。

「アナログ」「旧石器時代」とばかにされそうだが、宗教的修行のつもりでダビングとチェックを繰り返す。


6月8日(日)の記 日曜の足止め
ブラジルにて


できれば昨日あたりで片を付けたかった映像の作業、新たにドロップアウト:ノイズを発見…
また、ダビングからやり直し。

今日は路上市の買い出し、家族を連れての運転などを予定していた。
立ち上がると、右足に痛みが。
これまで経験したことのない痛み。

買い物も運転も取り止めとさせてもらう。
安静にしながら、ビデオのチェック作業を続け、目鼻を付ける。

体に別の不調も発生。
症状をネットでチェックして、対策を練る。


6月9日(月)の記 再断食と再編集
ブラジルにて


サンパウロのメトロのストは、今日も続く。
未明からテレビをつけると、空撮のものものしい映像。
地下鉄アナ・ローザ駅地上部の車道にスト団が火を放ってブロックを行なっていて、軍事警察の突撃隊が近くに結集しているではないか。
アナ・ローザは我が家から市の中心部に移動する際、いつも通過するお馴染みの場所。
突撃隊が催涙ガスなどでの攻撃を開始、アリの子のように蹴散らされたスト団はすでに渋滞している車道のなかに紛れ込んでいく―

先週、地下鉄ストのため見合わせた友人知人との会食は今日にリセットされたが、今日は断食を理由に失礼させていただくことにしていた。
まさか地下鉄のストが五日も続くとは思わなかったが、正解だった。

さて「フマニタス慈善協会譲渡記念ミサ」の編集済み映像のDVD焼きに入らんとする。
ぎょぎょ、思わぬミスを発見。
また、やり直し…
苦行は続く。

夕方までかかり、佐々木神父にお送りするのは明日に持ち越し。
さっそく次の編集素材の発掘、そして取込みに取りかかる。


6月10日(火)の記 Cyとクストー
ブラジルにて


五日間、続いたサンパウロの地下鉄ストは「いったん」中止。
スト屋(これがホントのストーカー)はワールドカップの開催される明後日に再開すると脅している。
市民たちがそろそろホンキで怒るかも。

祖国のマスコミでもこうしたブラジルの下世話ネタがそうとう流布しているようで、しばらく音信のなかった友人知人らからもそんなメールも届くようになった。

さあ足のあるうちに、動いておかないと。
昼から外回り。
東洋人街の所用のあと、アート関係を3か所ハシゴしようかなと考えていた。
しかし日曜の足の痛み、夕食の支度などをかんがみて、火曜日は無料のMASP:サンパウロ近代美術館のみにしておく。

ワールドカップの余波か、ガイジンが通常よりやや多い感じ。
少年期をブラジルで過ごしたというSylvio Perlsteinというコレクターの現代アートの所蔵品展がメイン。
アメリカ人のCy Twomblyの作品が2点ある。
そのままスルーしてしまいそうな、文房具店の筆記用具の試し書きの紙を大きくしたような作品。
だが画家の森一浩さんがCyのことを教えてくれていた。
気にとめてみると、言語化がむずかしいのだが面白いのだ。

地上の広場でクストーJrのアマゾン写真パネル展が開かれている。
1982年にジャック・クストーは息子らを連れて大がかりなアマゾン旅行を行なっているが、その25年後にその息子が新たに自分の子らを連れてふたたびアマゾンをまわったというもので、ブラジル初公開をうたっている。
アマゾンの大逆流・ポロロッカの写真がある。
キャプションを見ると、「年に一度だけ起こる現象」とあるではないか。
1978年のNHK特集の取材の頃ならまだしも。
僕は1984年の牛山純一プロデューサー指揮の「すばらしい世界旅行」いらい、ポロロッカの取材を3回、行なっている。
ポロロッカは毎月の新月と満月のあとの大潮の前後数日にわたって生じる現象なのだ。

ほかのすべての写真のキャプションもうそ臭く思えてくるではないか。
いまさら、どうしてこんなまさしく前世紀、前前世紀の見世物小屋的なウソはったりをかまさなければならないのか。
国を代表する首相が放射能は完全にブロックされている、などとウソをつくのに比べれば罪はない?

なにごとも、ほどほどに疑ってかかった方がいいかも。


6月11日(水)の記 開戦前夜
ブラジルにて


フマニタスの譲渡記念のビデオをまとめたノリで。
土地なし農民運動の闘士であったブラジル人の友の、現地での結婚式のビデオを新たに編集してしんぜようと発念した。
して、素材の発掘と編集機へのデータ取り込みは終えた。
おっと、26年前にさかのぼる、サンパウロ州奥地の町での友人の結婚式の映像をデータを取り込んだまま未編集なのに気づく。
これはさほど編集の必要もないのだが、先方にいずれ編集しましょうと約束した覚えがあるし、データの整理もしなければならない。
という訳で、その作業に入る。

大学のスト、地下鉄のスト、さらにワールドカップに合わせて学校が休暇体制に入り、自宅にいることの多くなった子らに昼、夜と食事もつくる。

明日、ワールドカップ開催の日に再開と予告されていたメトロのストがどうなったのか。
夜のニュースをあちこちのチャンネルでフォローするが、見事なまでにおめでたいワールドカップねたばかりが垂れ流されている。
こちらの新聞のウエブサイトで、ようやくストの中止を知る。


6月12日(木)の記 開戦ドン
ブラジルにて


海鮮丼ではない。
開戦ドン、という遊びがあったな。
「かいせーん、ドン!」という掛け声で始まることだけを覚えている。
この「ドン」は「ドンパチ」、そして「ピカドン」に通じるドンなのだろう。
大日本帝国の戦争は、子供の遊びのなかにぞ残り続けているようだ。

朝9時前、買い物に出る。
町は休日モードではないか。
空いているのは…
チェーンの薬屋、バール(大衆軽食店)、日本食材店、スーパーぐらい。
役所系、銀行系は固くシャッターを閉ざしている。

スーパーをハシゴ。
帰りには、一般商店もいくらか開き始めた。
今日はワールドカップ開催日であり、サンパウロ市でブラジルの初戦が午後5時に始まる。
サンパウロ市は祝日扱いにしたとのことで、多くの一般商店は遅めの開店、早めの閉店としているようだ。

テレビではオープニングセレモニーの中継が始まったが、こちらは友人に謹呈するビデオの作業を続ける。
さすがにブラジル戦は鑑賞。
僕がスポーツの試合をテレビできちんと観戦するのは、ワールドカップとオリンピックのブラジルのサッカーぐらいだけど。

思いは、複雑。
いずれにせよ、僕の生涯でのブラジルでのワールドカップはこれが最初で最後だろう。
ワールドカップから、遠いところにある人らに想いを馳せる。
これからひと月、その回路を常にオンにしておこう。


6月13日(金)の記 おばけ対策
ブラジルにて


26年前の撮影の、友人の結婚式の映像の編集、思わぬトラブルが発生。
オリジナルの撮影テープはVHSなのだが、そのデータを編集機に取り込んで編集した。
そして編集機上では確認できない、いわばゴーストがダビングしたものに現れるのだ。
いわゆるコマ残りなのだろうが、やり直し…

取り込み作業の時には気に止めなかったのだが、思わぬ発見もあり。
この挙式はサンパウロ州奥地の町の、日系のプロテスタント系の教会で行なわれた。
その教会の敷地にある記念碑が写っている。
よく見ると、これはキリスト者にして社会運動家であった賀川豊彦がこの町を訪問した記念の碑とあるではないか。
先回の訪日の際、東京の賀川記念館で、賀川のブラジル訪問についてざっと調べてきていた。
碑に刻まれた日にちは、それに合致する。
61年前のことである。

ありかのわからなくなっていた『賀川豊彦』岩波現代文庫版を数日前に発見して、はじめから再読を開始したところだった。
僕が昨年以来、3回、瀬戸内海の豊島を訪ねていることも、もとをたどると賀川豊彦がブラジルで撒いた種に由来するというもの。

正直、興味もないワールドカップにうつつを抜かしてはいられない、というメッセージを読む思い。


6月14日(土)の記 六月祭り
ブラジルにて


ブラジルは「六月祭り」たけなわとなった。
この祭りについては、何度か書いてきた。
僕にとってもブラジルの多くの人たちにとっても、カーニヴァルよりずっと身近なお祭りである。
家族もそのお手伝いや、旧交を温めにで総外出。
面白いことに、ワールドカップの時期はいつも六月祭りと重なる。

無能の人オヤジは、運転手をしてから自宅に戻る。
オンラインの動画をこの機会にいくつか見ようと思う。
が、日本の友人が送ってくれた映画はパスワードがNG。
短編の動画をいくつか見てから、DVD焼きや、身辺の素材類の整理を行なうことに。


6月15日(日)の記 あかとみどり
ブラジルにて


路上市に買い出し。
アジ、イワシ、アサリを購入。
一軒、真っ赤で大粒のイチゴを安く売っている果物屋がある。
いったんは通り過ごすが、そこをしのぐ安売りはない。
Uターンして、ゲット。
ううむ、イチゴときたらキウイが欲しい。
安くはないが…
少し歩くと、他より安く柔らかいキウイを売るスタンドあり、「ありがとう」のひと言もないオヤジから買う。

イチゴとキウイ、そのこころはカイピリーニャである。
ブラジルのスピリッツ・カシャッサのちょっぴりいいのを買ってある。
カイピリーニャはライムが主であるが、このカシャッサとフルーツを合わせるカクテル。
数年前にサンパウロ州内陸部の大農場宿で、支配人のおっちゃんお手製のこの組み合わせがとてもよろしかった。
色もよろしく、イチゴとキウイの甘みがサトウキビ産のカシャッサのほのかな甘みを呼び起こすのだ。

家族の所用の外出から戻り、夕方からいただく。
夜は手巻きずし、アサリの味噌汁。
生きのいいアサリだったが、ブラジル産のアサリと呼ばれる二枚貝は調理がむずかしく、苦みが出てしまった。

ブラジル、アサリでまず日本語で検索したら「ブラジルで男あさり」などというのがヒットしてしまったぞ。


6月16日(月)の記 「ポルト・リガドの館」と「ブラジルの毒身」
ブラジルにて


さあ今日も一日断食、そして編集。
在ポルトガルの友に、焼きたてのDVDを郵送。
知らないうちに郵便料金が上がっているぞ。

新たに編集に入ったのは西暦1999年に「ETV特集」で放送した拙作「農地をわが手に ブラジル・土地なし農民たちの闘い」で石丸春治さんとともに主役をはった我が友・ミゲールさんの結婚式。
西暦2000年5月に撮影し、撮影した素材をVHSにダビングして送ってあった。
今回、きちんと編集してDVDに焼いてしんぜようと発念。
新郎が、大農場主から勝ち取った土地のなかにある滝で、いきなりメッセージをぶつというイントロ。
西陽さす赤土の大地から純白のウエディングドレスで現われる新婦は、グラウベル・ローシャの映画のなかのミューザのように美しい。

子どもたちの好物の鶏の唐揚げをこさえて、油まみれの体をシャワーでゆすぐ。
読み残しの『ぶるうらんど 横尾忠則幻想小説集』(中公文庫)を読了。
いずれも死生のあわいを描いた作品だが、その死生観がブラジルで信奉者の多い心霊主義と近いことが面白く、なじみやすい。
「パンタナールへの道」という一編もあり、横尾さんは本文に書いていないが、解説やカバー文でパンタナールがアマゾン扱いされているのは、「年に一度だけ起こるポロロッカ」同様、ブラジルに対する基本的な誤解だけど。

「ポルト・リガトの館」という、「唯則」という日本人画家があこがれのダリを訪ねるという一編。
ネタバレになるが、エンディングで主人公の乗ったバスに、主人公が敬愛していた三島由紀夫らの故人が乗り合わせているという設定。
あ、これは。
畏友・星野智幸さんの「ブラジルの毒身」(『毒身温泉』講談社に収録)の奇想天外な設定と重なる。
ちなみに「ブラジルの毒身」は2002年発表、「ポルト・リガトの館」の初出は2009年。

横尾さんの絵画や小説に接することができたのは、瀬戸内海の豊島横尾館のおかげ。
今回、久しぶりに星野さんの「ブラジルの毒身」を開いてみると、アマゾンの河イルカに日本人女性が恋心を抱くというエピソードがある。
これがあの『夜は終わらない』の「タマゾン」のカワイルカへと膨張していったのか!
「ブラジルの読身」ができる喜び。


6月17日(火)の記 お茶の間ブラジル地誌
ブラジルにて


今日も、パラナ州奥地のパウロ・フレイレ農地解放区でのわが友ミゲールの結婚式の映像編集。
土地なし農民たちに尽したロベルチンニョ神父の司式がすばらしい。
このロベルチンニョ神父はその後、社会的弱者により奉仕するには弁護士になる方が有効と悟り、猛勉強をする。
神父では弁護士になれないと知り、いさぎよく神父を辞して弁護士になった。

先月、ロベルチンニョ弁護士に、フマニタス譲渡のミサで久しぶりに再会した。
「オカムラ、弁護士が必要だったら言ってくれよ」。
この国には、こんなすばらしい人物がいる。
友よ、どうか殺されないでくれ。

16時からブラジルの試合があるため、街は午後からそのモードに入る。
我が家も家族四人がそろう。

ブラジルの対メキシコ戦は、セアラ州フォルタレーザのスタジアム。
かつてジャンガーダ:イカダ漁の取材でセアラを訪れた際、深夜のこの空港でロケ費、パスポートなどを盗まれた痛い体験あり。
ブラジル代表はキレのわるい動きで、メキシコと引き分け。

ついで行われた韓国対ロシア戦はマットグロッソ州都のクイアバのスタジアム。
大先輩の豊臣靖ディレクターが大アマゾン裸族ものを取材していた頃の、アマゾン開発の最前線の都市。
僕が30年前に初めてアマゾンを訪れた時、最前線はロンドニア州ポルト・ヴェーリョに移っていた。
僕はブラジル移住後、拙著にも登場するロンドノポリスの溝部さんを訪ねる時、そしてシャパーダ・ドス・ギマラエス国立公園の取材や北パンタナール訪問の時に、このクイアバを基地とした。
僕の知る限り、ブラジルで最も暑さの厳しい州都。

日本の日付は18日、ブラジル移民の日の始まり。
昨年のこの記念日を日本で共に過ごした畏友はドイツにあり、ツイッターで交信。


6月18日(水)の記 この日の過ごし方
ブラジルにて


6月18日は、沖縄のひめゆり部隊に解散命令の出された日だと、2年前に沖縄を訪ねて知った。
ブラジル日系社会では、移民の日。
1908年の第一回移民団「笠戸丸」のサントス港到着に由来する。

僕は移民植物学者・橋本梧郎先生が亡くなる前年のこの日に、あえて先生を訪ねた。
ちなみに当時の橋本先生のお住まいは、ワールドカップの開幕戦で有名になったサンパウロのイタケーラ地区だった。
橋本先生に「この日」についての思いを聞くと、さすが、のお答えが。
そのくだりは、間もなく編集を開始する予定の拙作『橋本梧郎と水底の滝・旅の途中』でご紹介するつもり。

この日をどう過ごすか、僕なりのこだわりがある。
今日はしばらく音信の途絶えていた、90代のアミーゴのお宅に思い切って電話をしてみた。
ご本人は電話に出られなかったが、ご存命を確認できた。
共通の知人と、お見舞いに行こう。

午前中に買い物、以降、わが友ミゲールの結婚式の映像の編集を続ける。
パーティ会場となった夜のバラックの黒ビニールばりの壁面に、赤字に白丸のMST(農村土地なし農民運動)の旗がいくつも掲げられている。
ナチスドイツの旗かと、いっしゅん見まがえる。
意志の勝利か、民族の祭典か。


6月19日(木)の記 消えたブラジルのナメクジ
ブラジルにて


日本は瀬戸内の知人が、島のナメクジの写真を送ってくれた。
日本のナメクジの分布とその変遷からは米軍基地問題なども浮かび上がってきて、ワールドカップの中継から新熱帯区の昆虫相を探るよりも面白い。
島の知人に快諾していただき、日本のナメコロジー研究会主宰の足立則夫さんに転送して喜んでもらった。

「殻を徐々に脱ぎ去り、カタツムリ型ではなく、ナメクジ型の人間を目指したい。そう恐れることはない。その昔、殻をぬいだナメクジは、生命体をさらけ出しながら、ゆったり我が道を歩み、地球のあちこちで自在に生きているではないか。」
『ナメクジの言い分』
足立則夫著、岩波書店より。
ブラジルに持ち帰ったはずのこの本、消息を絶っていたのを意外なところから発見、再読。

足立さんにはわが処女作『ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群』も試写していただき、お世話になっているのだが、肝心なブラジルのナメクジの画像を送っていないことに気付いた。
そもそも、意外とブラジルではナメクジと遭遇することがまれなのだ。
今年のはじめに友人とブラジルの海岸山脈に泊まり、だいぶ倒木や落石もひっくり返してお宝探しをした。
しかしツノゼミ類では成果が上がったものの、ナメクジと出会うことはなかった。
どこかでアシヒダナメクジが倒木の裏にへばりついていたのを見つけたな、と記憶にフォーカスを当てていくと、今年訪ねた沖縄の那覇のことだった。

かつてこちらの海岸近くの山林で、雨のなか、アシヒダナメクジが下ばえのうえに出現したのを写真撮影をしていた。
これを日本のナメ研に送ろうと探したものの…
メモリーごとなくなっている。

自分の原点であるナメクジを、恩を忘れておろそかにした報いと思い知り、猛省。


6月20日(金)の記 大河散髪
ブラジルにて


仕上げの段階に入ったが、わが友ミゲールの結婚式映像、すんなりとは終わらせてくれない。
昼、東洋人街で日本から長期滞在中の知人と再会、食事とカフェ。
畏友・楮佐古さんに教えてもらったセントロのノルデスチ料理屋へ。

さてリベルダーデ街まで出たからには、メトロ代ももったいないので他の用事も手がけたい。
知人にも紹介した、理髪の大塚さんのところを訪ねてご都合を聞いてみる。
ふだんは事前に電話で予約をして散髪をお願いしている。
いま手がけているガイジンのおじさんが終わったら、刈ってもらえることに。

最近の怪しからん客の話から始まり、諸々の人間模様のお話を聞かせていただく。
さながら戦後移民・東洋人街の大河絵巻。
途中、少しうつらうつらしてしまったが、この散髪中のうつらうつらの快楽。

そうそう、これからまとめる『橋本梧郎と水底の滝・第二部 旅の途中』では東洋人街の移民床屋をめぐる強烈なシーンがあり。
さあ、頭もさっぱりしたぞ。


6月21日(土)の記 われらからみの大地
ブラジルにて


中南米の国々が、戦乱や災害、社会問題など悲惨系以外で世界の注目を浴びるのは悪い気がしない。
ワールドカップで中南米勢が善戦中。

今日は昼食も夕食もピメンタ類を添える。
ポルトガル語でピメンタ、スペイン語でアヒと呼ばれるトウガラシ類は、われらが中南米の原産。
その栽培開始は、四捨五入すれば1万年近く前までにさかのぼるようだ。

原産地であり、歴史も古いだけにまさしく多種多様だ。
ブラジルでは料理そのものは辛くはないのがふつうだが、薬味、香辛料としてのトウガラシ類の種類はまことに豊富。
他の中南米の国々もそれぞれのアヒ文化を誇っている。

我が家の冷蔵庫にも、僕がチリやアルゼンチンで買ってきたもの、家族がペルーから持ち帰ったものなどが収まっている。
少し整理の必要もあり、まずはアルゼンチン産の一本を使い終わる。
うーむ、ペルー産の赤、そしてマスタード色の黄など、まだまだ手ごわいのが残っているぞ。

中南米の豊かさは、からみの豊かさ。


6月22日(日)の記 未明の恐怖の報酬
ブラジルにて


先月、ブラジルに戻って以来、映像の編集作業が続いている。
映像を凝視できる時間は、僕には限界がある。
そのため、読書はそこそこした感もあるが、他人様の映像作品をほとんど見ていない。

未明に覚醒してしまったため、日本で買ってきてそのままだったDVD『恐怖の報酬』を観ることにする。
冒頭から黒澤明の『酔いどれ天使』をほうふつさせるような、ラテンアメリカの場末の街が登場。
スペイン語、フランス語、英語が飛び交うのもよろしい。
作品からはわからなかったが、あとでネットで調べると、設定はベネズエラ。
アメリカ資本が牛耳る油田が大火災を起こしてしまった。
消化のためには、現地にニトログリセリンを運んで爆発させるしか方法がない。
石油会社の運転手募集に街の流れ者たちが名乗りを上げるが…

この設定、今後は核物質に使われるだろうな。
もう、すでにありそうだ。
新作『ゴジラ』より怖い。
ただのアクション映画に終わらない人物描写に目を見張る。
1953年の製作、その年には…
おう、『東京物語』。

路上市の魚屋で、初めてタイを買ってみる。
今晩も、手巻き寿司づくり。
電気釜が故障、ご飯がごちょごちょに。
ガスと鍋で新たに炊きにかかるが、いやはやでした。


6月23日(月)の記 ブラジル戦の夜
ブラジルにて


焼きたてのDVDをパラナのミゲールに送る。
重さを量って、ネットで書留便の料金を調べ、記念切手を金額ぴったり分、貼りめぐらせて郵便局の列につく。
カウンターのお姉さんは、隣のお姉さんと私語をしながらだが、料金より多い切手が貼ってあるけど?とのたまう。
面妖なり。

今度はこちらの家族がらみの映像を編集すべく、まずは素材の取り込みに入る。
昼食は、昨晩の失敗ご飯をネットで調べて、ライスコロッケにしてみる。
これは、よろしい。
夕方よりワールドカップのブラジル戦。
心地よい戦だったかと。
夕食の支度をしながら。

戦後、ブラジルに昨日、着いた日本からの知人のおもてなしに、ホテルのあるリベルダージへ。
地下鉄で、オレンジ色のオランダ勢を見かける。
さて東洋人街、見事に店類は閉まっている。
リベルダージ大通りはこの時間なら夜間部の学生たちで大賑わいなのだが、身の危険を感じるほど閑散として、暗い。

客人とアラブ系のファーストフードチェーンで歓談。
相変わらず、この店は難点だらけのサービスだけど。
開いてるだけでも感謝、か。


6月24日(火)の記 ワビサビ・トロピカーナ
ブラジルにて


朝からざっと家族のための昼食をこさえて、日本からの客人の市内案内に出る。
客人はメトロの駅の構内で見たこの絵を気に入った、とデジカメの映像を昨晩、見せてくれた。
なんと僕も大好きな19世紀のブラジル人画家、アルメイダ・ジュニアの作品だった。
この画家の出身はサッカー日本代表のベースとして知られるようになったサンパウロ州のイトゥーなのだが、こうしたブラジルアートの至宝と絡めてイトゥーを語った人はいただろうか。

アルメイダの作品がこってり見られるようになったサンパウロ州立美術館:ピナコテカにご案内。
事前に調べ、このピナコテカの分館といえるエスタソン・ピナコテカの方でブラジル人の写真家、ミゲール・リオ・ブランコの展示を開催中と知る。

客人は、この名前ですぐに応じた。
日本のブラジルマニアのなかでも稀有な「通」である。
ミゲール・リオ・ブランコは、自分の写真群をインスタレーションとしてぶつけてきた。
これにはおったまげ、ぶったまげた。
しかも、彼の絵画作品まで!
映像表現とその伝達法について、根底から揺さぶられる思い。

次いでこちらの挙げるオプション群から、客人は市営市場を選んできた。
食堂周りの問屋街を経て、市営市場へ。
さて、昼食をどうするか。
ツーリスト系を避けた穴場で気になるメニューを見つけた。
トマトのカイピリーニャ。
カイピリーニャはライムが原則のブラジルのナショナルカクテル。
これをトマトでとは、イカモノくささもある。

これはびっくり。
見た目も味も、良質のアートの域。
第一印象は、ギアナ高地のテプイと呼ばれるテーブルマウンテンの上の植生。
盆栽に通ずる、ということか。
なんとアルコールのベースは、ブラジル産の日本酒。
サケプリーニャと呼ばれる範疇だが、群を抜いたオリジナリティ。
「ワビサビ・トロピカーナ」と形容しようか。

帰宅後、日本の敗戦を認識してから夕食の支度。


6月25日(水)の記 編集の臨界
ブラジルにて


さあ、今度は昨年末に撮影した我が子の卒業フェスタの映像の編集。
撮影業者が入っていたし、こちらは来賓の保護者席についているので、出来高は推して知るべし。
『きみらのゆめに』のように化けることは、ありえない。
しかし業者の撮影があまりにひどかったので:まだそのDVDを見る気になれないのだが、これも現場を見ているので推して知るべし:子供のクラスメートたちへのささやかな贈り物として作業することにした。

冒頭の編集を始めてみて、どうなることかと思っていたが、さっそく臨界に達しそう。
それにしても、収入にも公開にも無縁な映像編集が続いて、いやはや。

テレビで、ワールドカップのアルゼンチン戦を中継中。
アルゼンチンのメッシ選手はアスペルガー症候群と診断を受けていると知り、にわかに興味と親近感がわく。


6月26日(木)の記 旧石器の隘路に生きて
ブラジルにて


「洞窟芸術の難しさは、ここにある。(中略) すくなくとも、鑑賞を目的として制作された作品ではない。」
『洞窟へ 心とイメージのアルケオロジー』港千尋著、せりか書房


見事にカネにならず、他人に見られるかどうかも危うい映像を病的な細かさで編集し続ける我が身の救いは、旧石器時代の洞窟絵画にあり。

日本の地方都市で長年、ビデオ製作を続けていた友人によると、昨今は同業者たちも廃業・転業して、農業を始めた人が少なくないという。
まさしく、新石器革命である。
ブラジルに移住してガラパゴス化を歩む愚生は、洞窟のさらに隘路に迷い込んでいる感あり。

さて、業者のよこした子供の卒業式映像を、あえて見る。
驚きが、いくつか。
式のなかでの挨拶のシーンで会場の来賓らの映像がインサートされるのだが、同時録画ではないその映像の音声を消していないのだ。
手抜きの不良品である。
動画のカメラは少なくとも3台はまわっていることがわかる。
日本でいえば中等部と高等部の両方を合わせた卒業式なのだが、中等部のABC順で最初の少女は、名前を呼ばれる音声はあるのだが、卒業証書受領の映像がないではないか。
3台以上のカメラとスタッフがいて、全員が落としているのである。
こちらは来賓席に座ったままだが、関係のない中等部もこの冒頭あたりは録画していたし、他にも保護者らがデジカメで録画していた。
プロの売り物でこの致命的なミスをカバーするためには、学校にはたらきかけてそれらの映像で補ってもよさそうだと僕あたりは考えるのだが。

祈りは、金銭に替えることも他人に見られることも無縁だ。


6月27日(金)の記 移民とシェイクスピア
ブラジルにて


畏友の細川周平さんがブラジルを再訪。
在サンパウロの孤高の小説家・松井太郎さんをぜひ訪ねたいという。
松井さんとは電話でのお話がむずかしく、僕はこれまで同じ在サンパウロで文通を続けていた。
ところがこの半年近く、お便りが途絶えていた。
松井さんは今年、満97歳を迎えられる。
細川さんの来訪に備えて、先週、お宅に電話をしてみるとお手伝いさんが応じて、あまり具合がよろしくないという。
昨晩、ふたたび電話をしてお嫁さんと話し、どうぞいらしてくださいとのことで本日の細川さんとのお見舞いとなった。
おおざっぱにいうと、ワールドカップの開幕戦の行なわれたイタケーラの近くで変化が激しく、途中の道を間違えてしまう。

お嬢さんに付き添われて二階から歩いておりていらした松井さんを見て、まずは安心。
片目が失明状態という。
はじめてお目にかかるブラジル生まれのお嬢さんに、いくつか聞いてみた。
「パパイはセニョーラ(婦人への二人称)たちが子供の頃、お話をしたり、本を読んであげたりしましたか?」
なんと松井さんはお嬢さんたちにシェイクスピアなどの話をしていたというではないか。
日本人移民の親子の会話のなかにシェイクスピアが登場していたということの驚き。
日本の家庭でも、極めてまれではないだろうか。

帰路の車中、松井さんと再会できたことの喜びを、細川さんとかみしめあう。
遅い昼食を、我が家から徒歩圏のブラジル北東部(ノルデスチ)料理屋で。
松井文学のなかには、日本人がひとりも出てこないノルデスチものの秀作がいくつかある。
例えば、『堂守ひとり語り』。( http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000182/20091005005618.cfm )
この度のブラジルのワールドカップの日本戦の行なわれたレシーフェやナタールは、いずれもノルデスチ。
その余波で、松井文学のノルデスチものが少しは着目されるだろうかと、松井文学の日本での紹介に尽力した細川さんに聞いてみる。
「ないない」と軽くシュートされてしまった。

さあまた松井さんに手紙を書こう。


6月28日(土)の記 ムケッカの結果
ブラジルにて


今日は午後1時からワールドカップのブラジル戦。
早めに近くのスーパーに買い物に行くが、レジはすごい列。
さらに午前中、家族系の映像の編集を少し進めておく。

カイピリーニャでもなめながら観戦したいが、体調不良につき、アルコールは控える。
さて、夜は…冷凍庫を少し発掘してみる。
ムケッカをつくってみるか。
ブラジルの魚介類の煮込み料理。
市営市場を訪ねた際に、デンデ油とココナッツミルクを買っておいた。

これまではカピシャバ風という、これらを使わないムケッカを我が家ではつくっていたのだが、本場ノルデスチ風に挑んでみよう。
土鍋を使って。

これが、絶妙な美味。
ますます外の値段以外は手抜きばかりのメシは食えなくなってしまうではないか。


6月29日(日)の記 夜のパッション
ブラジルにて


朝に家庭で、日中はこちらの親戚でいろいろあった。
帰宅時は真っ暗、運転にビビる。

家族はほぼ満腹の由。
路上市で刺身用にカツオを買ってあり、タタキでもと思っていたのだが。
新鮮なうちにいただかないと、もったいない。
甘口醤油にタマネギを刻んで、ヅケでいただく。

路上市でマラクジャことパッションフルーツも買っておいた。
連れ合いにまだ熟していない、と言われてしょげるが、いちばんいけそうなのを割ってみる。
ほどよい甘さではないか。
ブラジル産ウオッカに氷とともに投入。
何口かこの味を愛でた後、コンデンスミルクを注いで。
ブラジルでバチーダと呼ぶカクテルなり。
ブラジルのよろこびのひとつ。


6月30日(月)の記 サンパウロ小さな旅
ブラジルにて


サンパウロ市近郊のスザノという町まで、メトロと電車を乗り継いで向かう。
この町にはこれまで車で出向いていたが、はじめて公共交通を使う。

LUZ駅で電車に乗り換えるが、いやはや面白い。
ワールドカップの初戦の行なわれたアリーナ・コリンチャンスの実物をはじめて拝む。
ふと映画の『ベン・ハー』が浮かぶハコモノ。

車窓、車内、客層、いちいち面白い。
気分は旅先の宮本常一。
日本国内の旅と違って、ヤバさが常に付きまとっているけれども。

観察した所見を野帳に記しておく。
こんな気になる旅は、まことに久しぶり。

日本から特殊なミッションでその町に赴任した人と待ち合わせ。
ともに町を巡検しながら、他の追随を許さないだろう会話を楽しむ。


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