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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2014年の日記  (最終更新日 : 2014/12/06)
7月の日記 総集編 ふめないVHS

7月の日記 総集編 ふめないVHS (2014/07/03) 7月1日(火)の記 嗚呼祖国よ
ブラジルにて


今日は、一日断食。
祖国日本が、存亡にかかわる政治的な危機状況を迎えている。
ブラジルにいてできるのは、インターネットの署名ぐらい。

祖国の政権が平和憲法を踏みにじろうとしている非常時に、在外邦人の発言が寡聞にしてあまり見当たらない。
わがブラジルの日本語新聞では…、
先々月に日本の自衛隊元航空幕僚長、福島出身の原発推進派で今年の東京都知事選で落選した人物がサンパウロで講演した時には、この人物を日本の首相になどという声を報道していたが、今回の事態には祖国の新聞の転載記事ばかりのようだ。
在野精神を誇る僕の卒業した大学のブラジルの校友会は、会長自らが上記の人物の講演会を応援するメールを流し、この人物に投票したい旨を公言しておられる。

さあ、自分のすべきことをしっかりやろう。
「アリのはたらきを」という『リオ フクシマ』のルシオさんの言葉をかみしめよう。


7月2日(水)の記 日本の秋と冬
ブラジルにて


中国で日本語を教える日本人の知人が、メールで近況を教えてくれている。
メールを整理していて、バックナンバーをチェック。
日本の唱歌「里の秋」に南方に出征した父を気遣う歌詞があるとのことで、さっそく調べてみた。

該当の歌詞は3番と知る。
それどころか、日本の軍国主義を鼓舞する4番の歌詞まであったと知り、ネットで探してみる。
あった。

♪大きく大きく なったなら
 兵隊さんだよ うれしいな
 ねえ母さんよ 僕だって
 必ずお国を 護ります


ショック。
これはブラジルに移住してから知ったことだが、唱歌「冬の夜」のオリジナルにも強烈な歌詞が。

♪囲炉裏の端に繩なふ父は
 過ぎしいいくさの手柄を語る
 居並ぶ子供は ねむさを忘れて
 耳を傾け こぶしを握る
 囲炉裏火はとろとろ
 外は吹雪


明治維新以降、第二次世界大戦での敗戦まで、大日本帝国は郷愁の隅まで軍国思想に侵されていたのだ。

祖国の危機のなか、超ベストセラーとなった『永遠のゼロ』の文庫版をブラジルで読み、また日本の敗戦後、封印されていた童謡の歌詞を知る。
安倍総理が昨年12月、東京でのASEAN首脳との夕食会で歌舞音曲を披露させたというAKB48のメンバーが、自衛隊員募集のCMに登場というニュースも知る。

次は、封印されていた唱歌の歌詞の復活か。


7月3日(木)の記 もえともやし
ブラジルにて


今日も、家族系のことにあたる。
買い物に出たついでに、作物の種を買っておく。
ブロッコリに、ビーツ。
スプラウト栽培にまた挑戦してみよう。

先回の訪日の前に、ブロッコリのスプラウトの初収穫をおこなった。
種の値段と収穫量をかんがみると、日本のスーパーで売られているスプラウトを買った方が安い。
しかし手間ひまを含めた学びと喜びがあるというもの。

ざっとネットで調べると、スプラウトのなかでも上に伸びた部分を用いるものを主にスプラウトと称して、根っこの部分までいただくものを「もやし」とざっと分類できるようだ。
そうか、我が家で実施している発芽玄米作りもスプラウト文化に収まるのか。
水に漬けた玄米がぷちぷちと音を立てながら、胚芽の部分を屹立させていくのを観察するのが嫌いではない。
いずれにしても、植物のまさしく「萌え」の命をいただくのであるから、ありがたいことしきり。

ビーツは泥臭い味がして苦手だが、赤いスプラウトとして味わってみたい。
種は土くれのような形なのは意外。
ありものの容器を改造して、さっそく蒔いてみる。
スプラウトというと、ツアラトゥストラを思い出してしまう。
2年間、学んだはずのドイツ語は見事に抜けているけれども、これだけ残った。


7月4日(金)の記 倭寇の祭典
ブラジルにて


今年、17回目を迎えるサンパウロの日本祭りが今日から三日間、行なわれる。
ブラジル都道府県連合会(県連)の主催で、各都道府県人会がそれぞれのブースでお国自慢の料理を販売するというのが本来の趣旨。
これに様々な企業、商店、宗教団体までが合流している。

この時期、サンパウロにいる時は顔を出すことにしている。
土日は激しい人出となるのが常で、もっぱら初日の金曜にささっとまわることに。
今日は17時からワールドカップのブラジル戦があるので、さらに人出が少ないとみられていた。
いやはや、例年の半分以下かも。
そもそも各都道府県人会のブースもようやく準備を始めるどころか、無人のところがいくつもあるではないか。
物売りブースの方では、目を見張った。
日本のテレビ番組・映画・カラオケ映像などの海賊版DVD販売店が林立しているではないか。
旧年も多少は見かけたが、今年は急増。
日本海賊のフェスティバルとは、倭寇の祭典といったところか。

今年のテーマは江戸時代の近江商人の心得「三方良し」とか。
「買い手よし、売り手よし、世間よし」が「三方よし」ということだが、これではまこと「世間体わるし」、恥ずかしい。
著作権無法地帯で商売繁盛か。
これがラテンアメリカ最大の都市で、世界最大規模の日系社会がお届けする日本像とは、情けない。
昨年まで、園田昭憲さんが県連の会長をされていた時は、海賊版の販売はいかなものかといった議論が県連のなかでされていたと邦字紙の記事で読んでいた。
いまや祖国の内閣総理大臣が順守すべき憲法を反故にしようとするご時世、そんな良識は出る幕ではないか。

それにしても、マンガのブースでは版権をきちんとクリアーしたとみられる日本のマンガのポルトガル語版が膨大な品揃えで販売されている。
海賊DVD屋もこの会場だけで2ケタぐらいの店舗があるのだから、海賊同士でしのぎを削りあわずに合同で著作権をクリアして、製作者への当然の利益の還元と幅広い普及に努めたらよさそうなもの。
映像文化はナメられたものである。

祖国の劣化コピーはもうたくさんだ。
ひとりでも、こちらから発信しよう。

老人クラブ連合でグアタパラ移住地産の手作り味噌、長野県人会でブラジル産の野沢菜を買う。
ブラジルのワインの産地で知られるリオグランデドスル州の物産品のブースもあったが、なんとワインは赤の甘口しか置いていない。
ここでもナメられてます、さすが甘口。

帰路は買い物もあり、地下鉄をひと駅手前でおりる。
路上でブラジル応援グッズを売る人が多い。
この人たちにとってはブラジルのサッカーの勝利は、さぞ切実だろうな。


7月5日(土)の記 「砂漠は生きている」をさばく
ブラジルにて


少し続いた作業の端境期でもあり、プチ無気力状態。
しばらくお預けだった他人様の映像作品でも。
たしか日本は東横線の駅の構内で買った、安売りDVDの未見のものでも。
『砂漠は生きている』、1953年製作、ウオルト・ディズニーがプロデュースした名作だが著作権切れとみえて彼の名は見当たらない。
それでいて、日本の発行元の©が入っているのが泣かせる。

20年以上前、日本映像記録センターの一兵卒ディレクターだった頃、世界の砂漠シリーズを企画するよう牛山純一プロデューサーに命じられた。
当時すでに伝説となっていたこの作品をぜひ見たかったのだが、いまだドキュメンタリー系のソフトの普及はまれで、かなわなかった。
諸先輩の砂漠ものの番組を試写してアドバイスを受け、インターネット以前の時代に国内でのわずかな調査をもとに、初めての南米大陸へ。
「すばらしい世界旅行」の一作として「インカの大砂漠5000キロ」と題することのなるペルーとボリビアの取材を行なったが、見事なまでの失敗作に終わった。

いま、その名を削られたディズニー作品と見比べると、まさしくB29と竹槍ほどの差を感ぜざるを得ない。
サソリの求愛ダンス、オオベッコウバチとタランチュラそして猛禽類のアカオノスリとヨコバイガラガラヘビのまさしく死闘、砂漠の鉄砲水など名シーンの数々。
ネットで検索してみると、日本での公開当時、この作品を学校で見に行くというのがけっこうあったようだ。
知らないことの恐ろしさ、恥ずかしさ。


7月6日(日)の記 蜘蛛女のテープ
ブラジルにて


未明に覚醒。
なにか映像を見るか。
昨今の心象から映画版『無能の人』を見直したいが、VHSテープが見当たらない。
先日、冒頭だけ見ていたVHSの『蜘蛛女のキス』を巻き戻して最初から見ることにする。
そもそもVHSデッキで再生することも極めてまれになった。
たまに使用すると、ヘッド汚れなどのトラブルが発生していたが。
あ、再生不能だぞ。

他のテープで試すと、オッケーだ。
『蜘蛛女』のテープをチェックしてみると、テープがちょん切れているではないか。
さて。
カセットをばらしてのテープつなぎに挑む。
かつて、よじれたテープを切り貼りして復活させたこともある。

久しぶりのことで試行錯誤を繰り返すが、成功。
カセットのパーツが2個ほど余っちゃったけど。
画質はDVDよりなにやらソフトでいいではないか。

このVHSパッケージは、西荻窪のブラジル巡礼スポット「APARECIDA」のWillieさんにいただいたもの。
『蜘蛛女のキス』はたしか…ブラジル移住後に訪日した際、日本でレンタルして見たのではないかな。
四半世紀ぶりぐらいに見直すと、自分のなかでかなり実際と異なるイメージを増幅させていたことに驚く。

主人公が刑務所から脱獄してサンパウロの地下鉄セー駅の構内でチェイスシーンが繰り広げられていたように思っていたが、だいぶ違う。
にしても、セー駅構内の他にアンシェッタ広場、カテドラルなどのサンパウロ・セントロ街の登場がうれしい。
プイグの原作ではブエノスアイレスの刑務所という設定だそうだが、映画版はブラジルのサンパウロの設定とみていいだろう。
俳優たちの台詞はすべて英語だが、刑務所のなかでもポルトガル語が記載されて、街で聞こえてくるおそらくラジオなどの音声はポルトガル語である。
製作年は1985年、ブラジルが軍政から民政に移管した年ではないか。
クレジットを見ると、スタッフそして役者のなかに面識のある日系人、日本人の名前もある。

祖国日本がファッショ化に向かうなか、この映画の描く恐怖は重い。


7月7日(月)の記 祖国の存亡と失われた森
ブラジルにて


休暇状態の子供たちと、おうちの用事を少々。

天災と原発事故に加えて、戦乱とテロという祖国滅亡のリスクがますます高くなってきた。
祖国を持たずにサバイバルを続けてきたユダヤ民族、さらにジプシーから学んでおく必要がありそうだ。

2年前にパラナ州に遠征した時の地元紙の記事を発掘。
「ジプシー:マージナライズされ、見えない人びと」の見出し。
在ブラジルのジプシーは出生証明などを持たないため推測になるが、100万人近いともいわれている。
その多くが移動生活を続けていて、偏見と差別をもろに被り続けている。
彼らはcaloと呼ばれるイベリア半島で使われる言語とポルトガル語が混じった言葉を使うという。
ネットで調べていくだけでも、なかなかに奥が深い。

ここのところ食指が動くのは、日本の古書店にて買ってきた本が多い。
『失われた森 レイチェル・カーソン遺稿集』(集英社)をひもとく。

想像もおよばないはるか昔、太古の海に生命のはじまりとなる原形質を誕生させたのと同じような力が、今もなお、膨大なはかりしれない働きをつづけている。この無限の働きが背景にあると思えば、個々の植物や動物の一生は、それ自体で完結するものではなく、はてしなく変化しつづける大パノラマの、ささいな一場面でしかないのだろう。

「海のなか」と題された著作の一説だが、この発表はなんと1937年。
ナチスドイツがゲルニカを空襲し、大日本帝国の皇軍が南京虐殺を繰り広げた年である。
レイチェル・カーソン自体にも驚くことばかり。
この本によると、ペンシルバニア州に生まれた彼女は22歳の時にはじめて本物の海を見たという。
地図帳を繰ってみると、ペンシルバニア州には、スリーマイル島があるではないか。
レイチェル・カーソンの生年にもびっくり。
1907年、第一回ブラジル移民団送出の前年にあたる。
すると、今年は生誕107年か。

我が低迷の期に、重く暗い深海のなかで、発光生物の光明に出会った思い。


7月8日(火)の記 スーパーの行列から
ブラジルにて


今日も午前中、買い物。
スーパーの日替わりの特売品を求めて、ハシゴ。

お、今日もかよ。
日替わりの特売品の売り場にようやくたどり着くと、品ぞろえは少なく、そもそも値段が表示されていないのだ。
今までの経験から、特売告知の広告を手にしてレジに並ぶ。
液晶画面に現れた値段が特売価格でようやくほっとする。

今日は夕方5時からワールドカップのブラジルの準決勝戦がある。
明日はサンパウロ州の祝日でもあり、レジの混み具合は平日の三倍ぐらいに達しそう。

行列のおばさんらの会話。
「ワールドカップでブラジルが優勝したって、ふだんの生活の何が変わるっていうの?」
「政治家連中の思うつぼにされてたら、たまらないわ」
「うちの隣の奥さんが子どもが急病で救急病院に連れて行ったら、担当の医者がいないのよ」
「乳がんの検査を申込みに行ったら、予約もできないほどの順番待ちなのよ」
等々。
路上のブラジル応援グッズ売りも、これまでほどに見かけない。
市民にすでにワールドカップづかれ、しらけが漂ってきたように感じる。

対ドイツ戦は、目を覆うばかりの惨状。
これでようやく街が静かになる。

ブラジル人たちよ、ともに正気に返ろう、現実を見つめて立ち向かおう。


7月9日(水)の記 星吐く羅漢
ブラジルにて


朝、アルゼンチン側で撮影したイグアスーの滝の映像を編集してみる。
夕方よりワールドカップのアルゼンチン対オランダ戦。
夜の延長試合は、台所に立つものを泣かせてくれる。
して、決勝でもメッシを見れるのはなんだかうれしい。

粘菌の、子実体と変形体というあり方は、生物の生と死の意味を逆転させてくれると水木しげるさんがおっしゃっていたと記憶する。
「無能の人」状態の静の日々だが、意外と僕にとって物理的に奔走している時期が死であり、今こそが生なのかもしれない。

拙著を出してくれた出版社「港の人」発行の『星吐く羅漢』江崎満著をひもとく。
タイトルも挿絵も息を呑むが、ぐんぐんと引き込まれていく。
僕も、生きていていいんだという思いをいただいていく。

我々は確かに人間社会を構成する一人なのだが、同時に星たちと同じく宇宙を構成する存在でもあるのだ。

この一文に至るまでのプロセスがすばらしい。
志高い出版社から拙著も出していただけたありがたさを、ふたたびかみしめる。


7月10日(木)の記 六さんの六十代
ブラジルにて


最初にお会いしたのが1980年代のブラジル。
1990年にブラジルで「新世界紀行」ほかの撮影をお願いして以来のブラジルでの再会ではないか。
僕はドキュメンタリー番組の撮影でお世話になってきたのだが、六川則夫さんはサッカーのカメラマンとして知られ、昨今は日本のサッカー専門新聞「EL GOLAZO」や、「日刊ゲンダイ」などに写真や記事を配信しておられる。
ワールドカップの決勝戦までブラジル各地を回って撮影を続ける六川さんと、サンパウロで再会。

思い出したくもないのだが、僕は日本映像記録センターのスタッフ時代、諸々のカメラマン諸兄にいじめられたものだった。
六川さんはまるで逆で、教わることが多く、六川さんの学生時代の土本典生さんとの交流、そしてドキュメンタリー論など忘れられないエピソードをいろいろ教示していただいている。。
のちに僕がブラジルに移住してから、テレビ番組の取材で日本からカメラマンを派遣してもらえる場合は、まず第一に六川さんを指名させていただいてきた。
サッカー音痴どころかスポーツそのものが学校体育以来、トラウマになっている僕を、「宝の山のブラジルにいるのに…」とたびたび憐れまれていた。

オンチにしてウンチ(運動神経音痴)の愚生であるが、ワールドカップのまさしく最前線でカメラを構え続ける六川さんの話は表もウラも興味が尽きない。

六川さんは、僕より7歳年上である。
僕が30代の頃、40代というオヤジ臭ぷんぷんの未知かつ灰色っぽい未来をどう生きたものかという懸念があった。
そんな時、当時40代だった六川さんの飄々さは救いであり希望であり、モデルであった。
いま、僕には60代への大きな不安がある。
それを現役60代の最前線サッカーカメラマンの六川さんは、ネイマールやメッシのプレイのように軽やかに、壮快に光で照らしてくれた。

そのままで、いいのだな。


7月11日(金)の記 マルタな夜
ブラジルにて


家族のひとりは外泊、ひとりは昼間食べ過ぎで夜はいらないという。
外出中の子供と僕だけが食べる夕食をつくる。
冷解凍を繰り返して少し危なげな挽き肉、先週買ってこれも危なげである沖縄豆腐で、麻婆豆腐をこさえることにする。
だいぶ遅く帰宅した子供は、夕食はいらないと言ったという。
昼は食べないと聞いた覚えはあるのだが。
…試食して今のところ吐き気も腹痛も下痢もないが、父親のつくったもので食中毒になるよりはいいか。

新約聖書のマルタのエピソードを思い出す。
イエス・キリストの語ったとされる言葉は、それで飯を食っている人はあまたいるものの、なかなかわかりにくい。
フマニタス慈善協会の佐々木治夫神父は、いっとき、未来の宇宙人の言葉ではないか、とそのわかりにくさをたとえたことがある。

2000年前のパレスチナにて。
イエスの一行は、マルタという女性の家に招かれた。
マルタにはマリアという姉妹がいた。
マルタが一行のおもてなしの準備でおおわらわのなか、マリアはイエスにへばりついて話に聞き入るばかり。
マルタがイエスに、マリアにも手伝うように言ってくれないかと訴える。
イエスはマルタの名前を2回呼び、大切なことは一つだけであり、マリアはそれを選んだと諭す。

わかったようでわからないようでわかるような話である。
拙作上映会の時、このエピソードを思い出しては、臨機応変にあたるようにしているつもりだけれども。


7月12日(土)の記 冬の読書
ブラジルにて


当時を過ぎて20日あまり、冬のサンパウロである。
日本語の本を読む気力ぐらいは残っている。

日本で知人からいただいた『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』(駒村吉重著、山川出版社)を読み耽る。

放浪のダダイストといわれる辻潤、憲兵隊に大杉栄とともに虐殺された伊藤野江の間に生まれた辻まことの評伝である。
緻密な取材と調査がうかがわれ、文章は歯切れがよい。
取材は南米コロンビアにまで及んでいく。

祖国の現在のグロテスクな状況から、大日本帝国時代の「戦前」に戻すなとしきりに叫ばれるご時世となってしまった。
その「戦前」を垣間見るためにも貴重な一書だ。

大新聞と大衆が一緒になって日の丸を振り振り異質なものを排除して、自らの欲望から他国までも蝕もうとしていく。

17時、地元でも盛り上がらないブラジルのワールドカップ準決勝戦がキックオフ。
これといった見せ場もなく、敗戦。
これで、ますます街が静かになる。
夕食は、カツ丼だけども。


7月13日(日)の記 まぼろしのアルゼンチン優勝
ブラジルにて


午前中、路上市へ。
小ぶりのサバはどの店にもなく、2キロ強のブリを買う。
食用部分の重さでいくと、牛肉より高い。

昼は畏友の細川周平さんとミナスジェライス州料理店へ。
細川さんは先月いったんブラジルに来て松井太郎さん詣でをご一緒した。
今日は、まさしくアルゼンチンのミッションからブラジルに戻ったところ。
大著『日系ブラジル移民文学』2巻のあとの、今後を聞く。

サッカー熱がだいぶ覚めたという細川さんだが、帰国を前にサンパウロのワールドカップのパブリックビュー会場に今日もこれから行くという。
日本の満員電車状態で3時間も立って観戦というのは、あまり興味のない人には拷問かも。
レストランの近くの僕のお気に入りのミュージアムで、アルゼンチンのサッカーチーム、ボカ・ジュニアーズをテーマにした写真展をやっている。
細川さんは、これはパスとのこと。

僕は帰路、寄ってみる。
うーん。
ま、タダだし。
もうひとつの展示に見るべきものあり。

拙宅まで半時間以上の歩き。
さあ、ワールドカップの決勝。
アルゼンチンに勝たせたかったけど。
なんだかアルゼンチンづいているし、行け!
…ざんねん。
生中継のメッシは、もうこれでいつまた拝めることか。


7月14日(月)の記 暗号解読作戦
ブラジルにて


さあ、ワールドカップも終わった。
下界に買い物に出ると、大通りにあるバス停はえらい混雑。
その先の郵便局は、これまた見たことがないほどの混雑。
現実は厳しいぞ。

先の訪日の時の御礼メールの続き、再開。
上映会でいただいたアンケートを再チェック。
さっそく達筆で判読しづらいメールアドレス。
これはもうお手上げかと思うが、英語で意味のある言葉のようだ。
それらしいメルアドを書きこんで、送ってみる。
しばらくして、NG通知が。
これを数度繰り返し、主催者にこの名の人をご存じかメールで問合せすることにする。

待つこと半日。
主催者の彼氏がさっそく返信をくれるが、その人は知らない由。
しかし彼の方もメルアドの暗号解読を試みてくれた。
英語表記のようだが、そもそもスペルが違っていると見た。
そのスペル間違いのハンドルネームをネット上で発見!

さらに想定しうる単語の組み合わせをいくつか試みて、ようやくNG返しなし、ゴールに到達したようだ。
本業のビデオ編集は、ひとコマも進まず。


7月15日(火)の記 南米邦人博物大三角形
ブラジルにて


昨晩、連絡のなかった同胞が心配。
宿泊予定先のホテルに電話、サンパウロへの無事到着が確認できた。
お互いの勘違い、手違い等が重なった。
本日出国、きょうの岡村の出動にはおよばないとのことで、一日断食とする。

尾塩尚さんの大著『天界航路 天野芳太郎とその時代』(筑摩書房)をようやく読了。
人名索引・文献目録をのぞいて627ページという部厚である。
何年も前から、読み始めては途中で訪日や追込み仕事で中断、そしてまた始めから読み返す、というのを繰り返していた。
古文書を網羅した歴史書、そして『砂の器』の刑事たちを思わせる綿密な調査による報告書の重厚さでもある。
日本と中南米をまたにかけた稀代の実業家であり、ペルーに私設の考古学博物館を築いた天野芳太郎の伝記。

尾塩さんは「ブラジル学」で知られる故・中隅哲郎さんの高校の同級生だったのだ。
僕は中隅さんの没後に夫人からそれを教えてもらって、知己を得ていた。
その後、日本の別の知人が尾塩さんのかつての職場の部下とわかり、新たに盛り上がってしまった。

さてこの本は天野芳太郎と尾塩尚の真剣勝負、魂のつばぜり合いといった迫力に満ちている。
そして貴重な資料と思わぬ事実のてんこ盛りだ。
尾塩さんは民俗学者の宮本常一に薫陶を受けた人で、この本には僕の師匠の牛山純一が親しくしていた人類学者の泉靖一も登場、実に興味が尽きない。

そもそも僕は来月、七回忌を迎える移民植物学者・橋本梧郎先生の晩年の映像をまとめ始めて、今ひとつ作業が進まないでいた。
中隅さんと橋本先生は生薬と博物をめぐっての好敵手だった。
そして天野芳太郎は、橋本先生より以前に「吉川英治文化賞」を受賞していた!

障害物の多い巷でひとりで作業を続けるには、こうした偶然に押してもらうしかない。


7月16日(水)の記 鹿児島クライシス
ブラジルにて


先回の訪日の際、鹿児島に旅行したという知人から「西郷さんチョコ」というお土産をいただいた。
西郷どんの顔をかたどった棒付きのチョコである。
ブラジルに持ち帰り、西郷どんの頭部にかじりつきながら、製品情報を見る。
なんと、原産国名:韓国とある。
西郷隆盛は征韓論の代表人物ではなかったか。
そして輸入会社は鹿児島ではなく、熊本にあり。
天皇の軍隊に弓を引いた西郷軍が敗北を喫する田原坂の、熊本。
逆賊西郷を喰いつくせという呪術のチョコか。

はからずも祖国からは、原子力規制委員会が鹿児島の川内原発を安全性は担保せずに再稼働の審査に合格させたというニュースが入る。
鹿児島県人よ、立たずに、怒らずに、恐れずにいられるのか。

福島原発事故以前に現地を訪ねたことがある。
川内原発のカネが地元の教育界から宗教界までにおよんで、絶対安全神話への疑問をシャットアウトしていることを身をもって知ることになった。

約6300年前の日本列島。
考古学的には縄文時代早期末と区分されている。
今日の鹿児島にあたる南九州は、日本列島で最も高い文化と人口を擁していた。
ところが海底火山の鬼界カルデラが大噴火をおこし、アカホヤ火山灰が日本列島の西部一帯に厚く降り注いだ。
西南日本の植生は大変化を余儀なくされ、陸上生物の生息環境は脅かされ、西南日本の縄文人は死滅したか、環境難民となったか。

今後、人類が「絶対安全」に保管をつづけなければならない放射性廃棄物の半減期からすれば、6300年という時間の尺は、さして長くもない。
戦火と火山と、どちらが先に火を噴くか。


7月17日(木)の記 街に出たらば
ブラジルにて


本命の映像編集は滞ったまま、家内制の日々が続いていた。
そろそろ終わりの近づくアート展もある。

まずはパウリスタ大通りへ。
イタウ文化センターにて、オスカー・ニーマイヤー展。
ニーマイヤーの一世紀以上にわたる歩みと作品群を概観。

さて、手紙を出そうとしてポストを探す。
我が家の近くではポストを2箇所撤去され、ポストは少し距離のある郵便局の前だけになってしまった。
市民の足である地下鉄の駅付近にもない。
サンパウロの経済と観光の中心であるパウリスタ大通りなら、ポストぐらいあるだろうと…
2キロ半ほど歩いて諦めかけたところ、アウグスタ街との角でようやく黄色いポストを発見。

アウグスタ街を中心街に向かうと、通りを挟んで5館のシネクラブがある。
いまは銀行系の経営となった。
この銀行のカードがあると、半額、のはずだった。
ところが以前はOKだったカードは、今日、提示してみるとNGだという。
通常料金でも木曜は土日と同じ週末料金になっている。
料金は27レアイス、邦貨にして1,200円以上。
日本の下高井戸シネマやジャック&ベティの会員料金より高くなるし、刺身用の魚が1キロ以上買える金額だ。

2本ぐらいはハシゴしようと水筒まで持参したのだが…
メトロ代も投資しているので、このまま帰還も情けなく、奮発して1本は見ることにする。
「Hoje Eu Quero Voltar Sozinho」:今日はひとりで帰りたい、というタイトルのブラジルの劇映画。
サンパウロに暮らす全盲の高校生レオ。ガールフレンドのジュは幼馴染みで同じ学校に通い、なにかとレオの面倒を見ている。
そこにガブリエルという男の転校生が登場。
レオとガブリエルの間に不思議な感情が芽生えていく…

かつてブラジルで視力障碍者の青年のドキュメンタリーをつくったこともあり、ぜひ見ておきたかった。
障碍や未成年の同性愛というきわどいテーマを扱いながら、さわやかなまでの青春映画だ。
いわゆるブラジルの社会的な悲惨な状況はうかがえないが、ブラジルの事情を知らない人には全盲というハンデを持った若者が晴眼者(視力障碍者に対する、障碍を持たない人をこう呼ぶ)とともに学んでいる設定を奇異に思うかもしれない。
これがブラジルである。
日本のような盲学校が存在しないのだ。
僕が20年以上前に取材した時はそうだったのだが、いまだにこうした状態とは。

ワールドカップのために膨大な公金を費やした12の競技場の多くは、放射性物質の半減期なみに絶望的な赤字が末永く続く。
その利子の金額だけで、サンパウロのイタケロン競技場が二つ建築できるという報道があったばかり。
はじめからワールドカップ用の競技場の数を減らして、少しでもあたりまえな、たとえば障碍者への、人として当然、享受すべきインフラを整えてほしいもの、という話になる。
この国は、FIFAの興業とブラジルまで来るカネのあるサッカー好きの観光客のためだけにあるわけではないのだ。


7月18日(金)の記 手紙を書いて
ブラジルにて


相変わらず低迷というかスランプな日々。
手紙を三通、書く。
カード選びなどで家探しがはじまり、ほいほいとはいかない。

読了したばかりの『天界航路』は主人公の天野芳太郎の書簡が相当量、紹介されている。
生前の天野は一日に六十通の手紙を書いていたというから、それだけでも超人と言えそうだ。
以前にも紹介したが、ブラジル移民の父と言われる水野龍もクリチーバ時代、とにかくよく手紙を書いていたと、水野の書生だった石井延兼さんが教えてくれた。

ネット時代とはいえ、いやさネット時代だからこそ、異国でいただく、異国から届く手紙は味わい深いというもの。
自分がしてもらってうれしいことの、おすそ分け。


7月19日(土)の記 やりたい邦題
ブラジルにて


土曜の夜21時半から上映開始、2時間以上の長編。
予告なども入ると終映後、地下鉄の終電に間に合わないリスクあり。
されど、この機会を逃すと…

思い切ってCINESESCのサム・ペキンパー回顧上映の、この一作へ。
このポルトガル語のタイトルの翻訳がむずかしい。
「わが怒りはあなたの遺産」、その心がどうもわからない。
さて、なんでしょうこのペキンパー映画。
「ワイルドバンチ」なのだ。

ひょっとすると40年ぶりぐらいの再会かもしれない。
イントロのサソリのシーンなど、まるで記憶になかった。
ちなみに、このアリに見えるのは形態、色合いから熱帯性の白アリだろう。
おっと、映写事故だ。
しばらくしてまた始めから上映となる。
サソリのシーンを2度見ることができるか、終電が遠のいていく。

以前のNHKの番組批判でも記したが、シロアリはヴェジタリアンである。
このシーンでも兵シロアリがサソリにサッカー選手並みに噛み付きなどはしているが、捕食しようとはしていない。

上映はだいぶくたびれた英語版のフィルムで、ポルトガル語の字幕は別枠でマニュアル合わせ投影。
「ワイルドバンチ」は1969年製作、僕は70年代に日本の名画座で見た。
メキシコ民謡に「疲れた体で…」といった字幕がふられていたように記憶する。
今回の上映ではスペイン語部分の字幕は、なし。

0時過ぎの終映のあと、走って地下鉄に間に合い、帰宅後さっそく調べる。
「疲れた つばさで…」だったと知る。

いま、ペキンパーを見てみると、必ずしもヴァイオレンスではくくれない気がする。
少年の描写がいい。
ペキンパーに「ゴジラ」を撮ってもらったら、どんな感じだったかな。

残りのペキンパー、あれもこれもまた見たくなるが、さあどうしよう。
それにしても邦題との照らし合わせがタイヘン。
「鉄の十字」、これは原題そのものですぐわかる。
これを「戦争のはらわた」とする邦題もキョーレツだな。


7月20日(日)の記 冬のカルパチ
ブラジルにて


午前中、海幸の買い出し。
ファミリア/パレンチのお祝いごとで、車を出す。
いやはや、日曜なのにやたらに道が混んでいる。
片道1時間、往復2時間。
人生の時の多くを車の運転に費やしている人たちに、想いを馳せる。

刺身用に買ってきたヒラメを、まずはカルパチオにしてみる。
これまで塩の代わりに薄口醤油を注いでいた。
今日は、いただきものの釜ゆで塩「坊津の華」をまぶしてみる。
ネットのレシピにはカイワレなどのスプラウト、とあったが、有機農園から届いた水菜を添えてみる。
これもいただいてきたライムを絞り、ポルトガルのオリーブオイルのスプレーを数吹き。
これは、おいしい。
刺身をポン酢でいただき、また塩の代わりにいつもの薄口醤油も試したが、今宵の最初の感激はない。

塩の力。


7月21日(月)の記 自宅菌身
ブラジルにて


今日も、一日断食をたしなむ。
自宅で、細々とした作業。

古新聞・古雑誌を少しチェック。
なにせ手狭な陋アパート、台所の流しの下のスペースにも未チェックの古雑誌が置かれている。
ここは場所柄、水をかぶりやすい。
数日前もヘドロ状になった雑誌を数部、撤去した。
西暦2011年、日本の大津波の年のブラジルの週刊誌類。

今日は、ページがめくれる程度に湿った雑誌をいくつか取り出してみる。
ギョエッ!!これは!
雑誌の縦のページの重なる部分、本の部位名称でいうと「小口」と呼ぶのだろうか、この部分にヤマブキ色の黴状の点々が並んでいる。
粘菌の子実体かも!?
まずは子実体ふうの部位に触れてみるが、かつてアマゾンで体感したような、ホコリ状に菌糸があふれ飛ぶということはない。

大・南方熊楠は和歌山の自宅の庭の柿の木で新種の粘菌を発見したという故事もあり。
まずは『森のふしぎな生きもの 変形菌ずかん』(平凡社)を探す。
ケボコリという種類に似ている観もあるが。
粘菌かな?と思ったら、まずルーペで観察せよとある。
ルーペ、ルーペ。
以前、日本で僕の嗜好を知る人から手ごろな携帯ルーペをいただいていた。
が、肝心な時に見つからない。
ようやく、スライド写真チェック用のルーペを発掘。
うーむ…
子実体の柄にあたる部分が見当たらず、そもそも統一の大きさ・形態をしていないようだ。
「かび」図鑑も取り出すが、この本は特殊な植物に付着するカビの紹介がほとんど。

マクロ撮影に強い我がデジカメを取り出す。
最大で×30倍、綿ぼこり状に見えるまで拡大できる。
どうやら、カビとみた。

故・橋本梧郎先生も、粘菌に関しては教えてくれる人もなく、書物と実物観察の独学だったとおっしゃっていたな。
ああ、森を歩きたい。


7月22日(火)の記 ブラジルの草間と映画の考古学
ブラジルにて


トミエ・オータケ文化センターでの草間彌生展は今月27日まで。
入場に何10分待ちという人気だという。
いつもは、がらがらなのに。
火曜の午前中なら、いくらなんでも…と行ってみると、
これはすごい行列。
センタービルの広大な敷地を超えて、隣の学校の端まで列が続いている。
入館まで、1時間45分。
そしてさらにそれぞれの部屋に入場するのに新たな列につく。

退館までちょうど4時間、そのうち3時間は列待ちであったぞ。
一室で、動画を流していた。
後で調べると、邦題は『草間の自己消滅』という1968年製作の映画で、世界各地の映画祭で受賞している作品だ。
白黒やカラーで、水玉のペインティングや乱交シーンが映し出される。
会場には草間さん本人の手書きとみられる字で「乱交」と書かれた書類が展示されていたから、この言い方でいいのだろう。
この部屋だけは作品の全貌を把握しようとする人はまれで、一瞥してはあまりの映像の見づらさに衆生は去っていく。
来場者の大半は家族連れや若者のグループだ。
鏡の間やキンキラ点々の道行き、水玉シール貼りの間でひたすら写真を撮っていく。
レジャーランドのノリ。
その傍らで乱交の映像がエンドレスで流され、そこかしこに統合失調症に苦しむ人の息吹が淀んでいることがすごい。
同じこの場所で、黒澤明の原画展が開かれた時には、僕以外には誰もいない部屋もあったのを思い出し、『生きる』のラストシーンの、日守新一扮する木村:糸こんにゃくの気分。

さあ次なる目標の映画まで、どうやって時間をつぶそうかと思っていたが、もう少し列が長かったら映画の方を見逃すところだった。
先週、ご紹介したサム・ペキンパー特集の、ここ一番の番組。
『ワイルドバンチ』をめぐるドキュメンタリーの2本。
『Wild Bunch:An Album In Montage』(1996年)と『A Simple Adventure Story:Sam Peckinpah,Mexico and The Wild Bunch』(2005年)だ。
特に後者は、圧巻。
作品のスタッフ、ペキンパー本も出している映画研究者、そしてペキンパーの娘らがロケ地を訪ねるのだ。
撮影から、35年。
あの、マパッチ将軍の、アジト!
そもそもこのロケ地の建物は、ワイン工場の跡地だったらしい。
廃墟マニアにとってもこたえられないが、ペキンパーや『ワイルドバンチ』を慕うムキにとっては、まさしく聖地だろう。
こちらも興奮、登場人物たちの興奮も伝わってくる。

名作映画のロケ地の考古学が、十分に可能なことを体感。
われらがグラウベル・ローシャの『黒い神と白い悪魔』のロケ地再訪など、見てみたいものだ。


7月23日(水)の記 失われた6月を求めて
ブラジルにて


家族の夕食の支度、もう一品、もう一品と張り切るうちに、いい時間になってしまった。
映画の前の展示観賞は後日にしよう。
水筒とバナナを持って、ハシゴをできる体制で。

先週、週末料金を取られてしまった銀行系のシネクラブへ。
その後、その銀行のカードの更新手続きに行き、「必須」として両手ぜんぶの指紋を取られてしまったけど。
海岸にあるATMで、手ぶらでも指紋照合で現金が引き出せるのをウリにしているが、ATMのあるような海岸に行くかよ。

冷や冷やだったが、このカードのおかげで半額料金でオッケー。
もっとも海岸ではないので、暗証番号を入力しなければいけないけど。

まず『Avanti Popolo』という不思議なブラジル映画を観る。
家族のスーパー8の記録をきっかけに、軍政時代の家族の傷を反芻する、といったシノプシスに魅かれて観ることにした。
地味かつ冗長にも見える長いカットが続く。
それが映画的時間として、悪くはない。
小さな話で、大きなぜいたく。

次のお目当ての作品まで、本を読み読み待機。
『Junho-o mes que abalou o Brasil』、
「ブラジルを揺るがした月、六月」といったタイトルのドキュメンタリー。
これがずっと観たかった。
日本でもかなり報道されたらしい昨年6月の、サンパウロ市のバス料金値上げを契機に全国各地のワールドカップ開催反対までに拡がったデモの経緯をたどる。
昨年のこの時期、ちょうどサンパウロでの抗議活動が起きはじめた頃に僕は訪日。
日本では連日の上映に移動、さらに撮影まで始めてしまい、この問題をきちんとフォローできていなかったのだ。
この文脈で見ていかないと、今年のワールドカップ開催戦でのジルマ大統領への大ブーイングもとらえがたいというもの。

この熱い時に、自分が日本にいたという意味を考えてみる。


7月24日(木)の記 ネイマールじゃなくてニーマイヤー
ブラジルにて


草間彌生展と同じく今月27日までのオスカール・ニーマイヤー展。
すでに見ているのだが、その後、こちらの新聞の紹介記事などを読むにつけて、自分はなにも見ていないと同じようなものと反省。
日本の団体観光客とおなじように(記念写真は撮っていないけど)、「行った」ということ以外にはなにも残っていないスタンプラリーみたいなもの。

反省をして、もう一度行く。
建築家ニーマイヤーの、実現したプロジェクトの写真と、実現に至らなかったプロジェクトの完成想像図が時系列で並んでいる。
実現したものの方が、実現不可能ではないかと思わせるような形態である。

映像上映ブースでは、2本のドキュメンタリーを上映していた。
「君が建築のことを聞くからその話をしているだけで、社会問題の方がずっと大切だ」。
ニーマイヤーの建造物がブラジル以外に、北米、ヨーロッパ、アフリカにと数多く築かれているのは、コミュニストである彼がブラジルの軍事政権時代に祖国を後にせざるをえなかったためであることも、改めて認識。
これまでニーマイヤー関係の本を少しは読んだ覚えがあるが、なにもわかっていなかったことを反省。

入場者数は草間彌生展よりふたケタは少ない感じだが、その分、こちらの時間で見れた。
2本のドキュメンタリーだけで2時間半、時間の奴隷状態では制覇できなかった。


7月25日(金)の記 古い店・新しい店
ブラジルにて


子どもの学校が、間もなく始まる。
昼、奮発して未踏のチキン丸焼きのお店に行くことに。
徒歩20分。
入り口にテイクアウト用のカウンター、奥がレストランになっている。
ネット情報でも「シンプル」とあったが、まことにシンプル。
それでいて、金曜の昼だがかなりのにぎわい。

チキン丸焼きがメイン、あとはタマネギのざく切りに酢をまぶしたもの、ファロッファと呼ばれる芋の粉を炒めたもの、それにフランスパンとバターが基本。
メニューにもあとは付け合せのライス、フライドポテト、サラダ類があるぐらい。
お店を紹介した記事などが壁に貼りめぐらされている。
お味は、飽きのこない感じで、時どき来てもよさそうだ。
聞いてみると、今年で45年になるという。

シンプルでいいのだ。
時流に媚びることもない。
賞味期限のごまかしなども無用。

時代遅れ、ガラパゴス、化石といわれようと、僕は僕のドキュメンタリーをつくり続けよう。

途中にこじゃれた店を発見。
最近ブラジルでやたらに増えた各地に地ビールを中心に、ワイン、チーズなども売られている。
いかにも商売用の笑みをいっぱいにした男が、ミナスジェライス産のチーズをすすめてくる。
値段を聞くと安くはないが、お土産に買うか。
僕も少しはミナスをあるいている。
ミナスのどのあたりかと聞いてみる。
すると農場の名前を言う。

で、ミナス州のどのあたりなの?
と聞き直す。
こちらはミナスのチーズをテーマとしたドキュメンタリー映画まで見に行き、谷ごとに味が違うなどのウンチクも承知しているのだ。
ええと、それは…とチーズの包みに書かれている小さな字を、ちょっとめんどくさそうに見ようとする。
書留便にサインを求める郵便配達夫も来たこともあり、
わからないなら、いいよ、
でやめておく。

この店は、開店してまだひと月ちょっととか。
家に帰って、件のチーズを見てみる。
なんと、サンパウロ州産ではないか。
あの男、共同経営者だと言っていたが。
よくも、自分自身の商売と信用をおとしめるようなことを、ぬけぬけと。
こちらがクレームするにも値しない。
いつまで、持つかな。


7月26日(木)の記 ガリ版旅行記
ブラジルにて


先日、ツイッターで「ビキニふくしまプロジェクト」というユーザー名の方が拙ウエブサイトの日記を紹介してくれていた。
その経緯がわかったが、ちょっと面白い。
僕がウエブ日記にアップした粗文を、ガリ版刷りミニコミ誌『あめつうしん』の田上正子さんが2ヶ月に一回発行される同誌に転載された。
その『あめつうしん』が「ビキニふくしまプロジェクト」の方に郵送されて目に留まり、ツイートされたようだ。

ネット上がソースのものが、ガリ切り、コピー、郵送というステップを経て新たにオンラインに乗るというのが面白い。
今日は枝川公一さんの『ぼくらの瀕死のデモクラシー』(芸術新聞社)を読了。
これは枝川さんが西暦1997年から2010年まで『あめつうしん』に断続的に連載されていたものから、32編を選出して単行本としたもの。
ガリ版刷りの記事が書籍になるというのが楽しい。
枝川さんは1940年生まれの「民主主義の子ども」。
アメリカにあこがれ、アメリカに渡った。
実際のアメリカでの生活と旅のなかからデモクラシーを考えていく。

枝川さんよりずっと遅れた僕あたりには、物心ついてから当たり前にアメリカ的なものが周囲にあふれ、幼少からアマノジャック気味だった少年は、かえってそれに白けていた。
「アメリカ」にあこがれたのは、遅まきながらの「アメリカン・ニューシネマ」と「アメリカン・グラフィティ」ぐらいか。

現在の祖国の惨状に触れるにつけ、デモクラシーというものを考え直したいと願っていたが、これは格好の一冊。
枝川さんは近年、健康を害されたようだが、ぜひまたアナログとオフラインを極める『あめつうしん』で、いまの所感を拝読させていただきたいもの。


7月27日(日)の記 Katsuwonus
ブラジルにて


路上市に、海幸を求めて。
一軒で、サワラをすすめてくる。
2キロ以上あり、いい値段になる。
もう一軒も見てみる。
こちらではカツオをすすめてきた。
これも2キロ強、邦貨にして900円以上になるが、これでいってみよう。

午後の外出から戻って。
かつて日本の食通の知人が、カツオはヅケがいいと教えてくれた。
手間も簡単。
タマネギを刻み、刺身におろしたカツオを並べる。
鹿児島・枕崎産の「太陽」という甘味のきいた醤油を注ぐ。
これなら別にみりんを加えなくてもよろし。

カツオにほどよく醤油がしみて、タマネギから甘味もにじみ出たぐらいがよろしい。
これは、絶妙においしい。

そもそも今日のカツオはねっとりと脂がのっている。
刺身の苦手なお子さまには、手づくり塩をふって、たっぷりのニンニクスライスとともにオリーブ油で焼いて。
これも好評。
食美味にして、家庭円満。


7月28日(月)の記 修道院の時空
ブラジルにて


日本で『大いなる沈黙』というドキュメンタリー映画が人気とか。
フランスはアルプス山脈にあるグランド・シャルトル―ズ修道院を記録した2時間49分の作品の由。
この修道院や、函館のトラピスト修道院のような、修道院のなかだけでの祈りと観想、労働の生活を送る「絵になる」「カンコーしたい」修道院を営むキリスト者のグループを、観想修道会という。
かたや、社会のさまざまな必要に応じて、福祉、教育、医療などの活動を行なう修道会は活動修道会と呼ばれ、マザー・テレサの「神の愛の宣教者会」や僕が取材を続けてきたブラジルのフマニタスやアモレイラの長崎純心聖母会は、これにあたる。

さて。
ロードマップで見ると、こんなに遠かったけか、と軽い驚き。
遠い、知らないところへ、しかも平日の朝、車で出かけるのは気が重い。
しかし月曜の朝にも関わらず、さしたるラッシュにも見舞われずに、意外なほどスムースに。
久しぶりに南回帰線を北上。
サンパウロ市から東におよそ150キロメートル。

その町にある、女子修道会を訪ねる。
サンパウロでお世話になっていたシスターが体調を崩し、80代後半という老齢でもあり、ここに移られた。
老シスターたちが、帰天されるまで過ごされる修道院。

その場所でも、修道会は積極的な社会奉仕を行なっているのに驚いた。
地域の、文化的に疎外されてきた貧困層のお年寄りたちへの文化活動だ。
識字教育、手工芸、絵画教室、コンピューター教室など。
休暇時期で活動そのものは拝見できなかったが、教室を案内してくれたスペイン人のシスターの気迫はすごかった。

心地よい疲労とともに、濁都サンパウロに戻る。


7月29日(火)の記 聞くはいっときの
ブラジルにて


今日も、宿題をひとつ。
先方は、四捨五入すると100歳になられる戦前の日本人移民。
サンパウロ近郊の移住地から、我が家から徒歩圏のお子さんのアパートメントに移ってきて久しい。
家族を通しての知人。
岡村さんに会って話が聞きたいと言っていると、何度か伝え聞いていた。
主客転倒と見たが、あと味が悪くないようにしておかないと。

午後、思い切って訪問。
翁は両耳の補聴器を最大の度合いにしていても不自由があるとのこと。
おっしゃることも聞き取りやすくはない。
先方の自分語りがほとんどで、せっかくなので野帳を取り出してメモを取る。
翁は、ますます気合いが入る。

出身地や家族構成をうかがうだけでも容易ではない。
もし発表するものとなれば、どのような漢字を書くのかの確認など、けっこうな手間ひまとなるだろう。
こちらの邦字紙記者さんたちの苦労を想う。


7月30日(水)の記 キャベツ記念日
ブラジルにて


有機農場から野菜が届くのはありがたい。
しかし冷蔵庫のキャパに限りあり。
キャベツ、白菜、ケール、レタス類は特に場所を取る。
なかでもケールは結球していないせいか、すぐ黄色くなってしまう。
レタスは、どろどろに。

さて、すでに冷蔵庫に入りきらないキャベツが新聞紙にくるんで外の籠に。
キャベツの消費の仕方を、ネット検索もしながら探る。
ふむ、ザワークラウトか。
まずはキャベツを茹でて酢を加える、即席系のをトライ。
冷蔵庫でねかすほどおいしいとあるが、そのままでもよろしい。

興に乗ってきて、乳酸菌発酵のザワークラウトにも挑んでみることにした。
容器も見繕わないと。
さらに白菜の塩漬けも。
少なからぬ量のキャベツの千切り等で午後の大半の時間を費やすが、久しぶりに冷蔵庫に少し空間ができた。

あとは乳酸菌のはたらきを待とう。
先週は、納豆菌によくはたらいてもらった。


7月31日(木)の記 ふめないVHS
ブラジルにて


床に散った不要のチラシや古新聞でも、文字の書かれたものを足蹴にはできない。
僕はその口だが、かつては特に僕より上の世代でこんな話をよく聞いたものだ。
さて、わが陋アパートを散らかすもののひとつに、VHSのテープ群がある。
自作群の他に、主に日本のテレビ番組を録画して、未見のものが多い。
なかなか思い切って捨てることができない。

これまでも何度も断絶したが、また新たにちびちびとでも再生してみることにした。
いきなりダライ・ラマの砂曼荼羅づくりの映像。
これは、きちんとみなくては。
『未来からの贈り物―この星を旅する物語』という龍村仁さん演出のスペシャル番組だった。
1995年の放送で、僕は未見だが龍村さんの映画『地球交響曲』シリーズと表裏・姉妹の関係をなす番組とネットの情報で知る。
さらに調べてみたい情報もあり。

20年近く前のテレビ番組録画を見ている人、あんましいないかも。


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岡村淳 :  
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