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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳の著作類  (最終更新日 : 2023/06/16)
森田惠子さんと『小さな庭の大きな宇宙』 [全画像を表示]

森田惠子さんと『小さな庭の大きな宇宙』 (2023/04/21) 今年もメイシネマ祭の季節がやってきた。

メイシネマ祭は東京下町で五月の連休時期に開催される、三日間にわたる日本のドキュメンタリー映画の特集上映だ。
行政や企業などからの資金援助を受けずに、いっぽう「メイシネマ映画賞」などを設けて作品を順位付けしたり、自らを権威化したりすることのない市民の手による稀有な映画祭である。

僕はパンデミックの前年までは、このメイシネマ祭に参加できるように、毎年この時期に合わせてブラジルからの訪日予定を組んでいた。
さらに西暦2015年のメイシネマ祭25周年記念の年から、毎年のメイシネマ祭での監督を始めとする全ゲストのトークと質疑応答などを撮影して記録映画にまとめるという作業を5年間にわたって続けてきた。
この作業は年齢的・体力的・気力的、そして機材的に、とくに経済的にも在ブラジルの身で続けていくのはしんどいな、と思い始めた時のパンデミック到来となり、2020年は5月のメイシネマ祭の開催そのものが不可能となってしまった。
そしてブラジルは世界屈指のコロナ死者数を出すコロナ大国となり、僕の方は訪日どころではなくなったまま、今日に至っている。

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メイシネマ祭で自作を語る森田惠子監督(西暦2019年)
パンデミック禍のもと、メイシネマ祭の開催はどうなるのかと僕よりはるかに心を痛めていた女性がいた。
僕がメイシネマ祭を通して知り合った記録映画監督の森田惠子さんだ。
メイシネマ祭は地元でプロパンガス販売業を営む藤崎和喜さんというドキュメンタリー映画好きが発心して続けているもので、特に上映委員会のような組織はない。
ドキュメンタリー映画を好み、かつ藤崎さんの人柄に惹かれた有志数名が毎回の上映会場での諸々をボランティアで支えている。
その筆頭格が森田さんだった。
森田さんはパソコンをたしなまない藤崎さんに代わって事前のSNSでの告知、上映会場の飾りつけ、受付でのモギリなど何役もこなしていた。
ご自身が映画監督でありながら、何本もの他人の映画の上映の裏方仕事を、しかも笑顔を絶やさずに続ける。
これはとても僕あたりにはまねのできないことで、いったいこの人は何者なのかという興味を抱いてきた。

主宰の藤崎さんに森田さんに付いて尋ねたことがあるが「僕もよく知らないんですよ」というお返事だった。
メイシネマに通う常連に『旧約聖書』の預言者のような風貌の四宮鉄男監督がいる。
教育者・林竹二の授業記録『記録・授業-人間について-』や、北海道の「べてるの家」の記録『ベリー オーディナリー ピープル ~とても普通の人々~』シリーズなど、僕も大いに影響を受けた記録映画を手がけてきた名匠である。
この四宮監督に、かつて森田さんが師事していたという。
その縁で森田さんの監督作品もメイシネマで上映されるようになり、彼女はレギュラーで上映をサポートするようになったということらしい。

今回のパンデミックのはじまりの時期に、森田さんは楽観の許されない病気が判明して、闘病生活に入っていると僕は本人から知らされた。
その後も折に触れて、自身の病状よりもメイシネマのことが心配、といったメッセージをいただいていた。
パンデミックのなか30周年を迎えたメイシネマは延期を繰り返しながら、本来の5月からずれて11月に開催されることになる。
森田さんから病状が悪化してしまい、今回は参加してお手伝いができそうもなくて残念、とメッセージが届いた。

そして榊祐人さんという若い映画監督と知り合い、彼にこれまでの自分の作品の権利を託すこと、そして自分が撮りかけている作品の仕上げを頼むことにした、という便りをいただいた。
森田さんが手がけていたのは、彼女の埼玉の自宅の庭のさまざまな植物を日ごろから撮っているものだという。
タイトルは『小さな庭の大きな宇宙』とすでに森田さんが付けていた。

追って榊さんから挨拶のメッセージをいただくことになった。
メディア業界人には最初から人を食ったようなメッセージを送りつけてくるような輩が少なくない。
いっぽう、この榊さんは文面からしてこちらの気をそらさない好人物とお見受けした。
さすがは森田さん、大病の身にして格好の人を食虫植物のように捕まえたものだ。

まさか僕は森田さんがこんなに早く亡くなられるとは思ってもいなかった。
失礼ながら榊さんの引き受けられたミッションに「敗戦投手」という言葉が浮かんだ。
労多くして、日の目を見ず、成功作にはなりがたい創作活動。
いっぽう手を抜こうと思えば、いくらでもいいかげんにできてしまう。

僕は森田さんから、使ってくれるなら、と愛用のビデオカメラを譲ってもらった間柄でもある。
しかし正直なところ、森田さんからこの作業を頼まれなくてよかった、と思ったほどだ。

榊さんは僕より若い劇映画の監督だ。
東京多摩の地元でプロモーションやブライダルのビデオ制作を手掛けながら、自分の撮りたい映画の製作資金に充てているという。
代表作は西暦2014年製作の『たぬきがいた』というベテランの吉村実子さん、そして監督の地元の小学生たちを起用した作品だ。
森田さんとは、この映画に用いるタヌキの像をお借りしたのが縁の始まりだったという。
この『たぬきがいた』を試写させてもらう機会に恵まれた。
地元と映画に対するこだわりがあふれて、大人も子供も一緒に楽しめる佳作だった。

森田さんの没後、『小さな庭の…』の編集作業に着手した榊さんと折に触れてやり取りをした。
そして完成を待たずに榊さんは山口の萩で劇映画を撮ることになったという。
これは森田作品の方はだいぶ遅れるか、未完のままになるかも、と案じた。
ブラジルの僕の身近なところで、こんなことがあった。
高齢の小金のある人物から、お望みのテーマのドキュメンタリー映画を撮ると言って僕あたりには驚愕の大枚をせしめた日系の業界人がいる。
それらは製作は先延ばしにして、その人物が病に倒れて亡くなったしまうと、しめたとばかりに遺族に挨拶もなく、企画そのものがなかったことにしてしまったようだ。
しかし、榊さんは故人をばかすことも、狸寝入りもしなかった。

僕はささやかながら制作プロセスに関わったこともあり、ブラジルにいながらにしてオンラインで完成作品の試写をする機会をちょうだいした。
あまり広がりのうかがえない森田さんの自宅で撮った木花の映像に、森田さんのブログから引用したという植物の解説のナレーションが続く。
正直、これが108分続くのはしんどいな、と思った。

ところが、この映画の方はどんどん化けていった。
僕がしんどい、と思ったのは僕にさして興味のない植物の地味な映像が延々と続くことへの懸念ばかりではない。
僕は同時進行で、西暦2021年4月22日には森田さんが亡くなられたことを知っている。
そのことに、まさしく真綿で首を絞めるように早送りや飛ばし見のできない映像のリアルタイムでお付き合いすることがつらかったのだ。

しかし映画はまもなく、小さな庭から大きな宇宙へと自在に動き始めた。
森田さん監督の代表作、そして遺作ともなった『小さな町の小さな映画館』『旅する映写機』『まわる映写機 めぐる人生』の映画にまつわる三部作、そして森田さんが撮影やポストプロダクションで参加した四宮監督の『ベリーオーディナリーピープル 』シリーズなどの僕にはなつかしい映像がインサートされていく。

つくり手が死期を悟る、あるいは動けなくなるという状況の類似作品を思い浮かべると…
死期が間近いことを知った記録映画監督が世界各地をまわって現地の人々の日常を延々と撮るという映画。
90代になって体調不良により医師から外出をとめられた写真家が、自室から撮った写真ばかりで成立させた写真展などを想い出した。
しかし、この映画はまさしく違う宇宙に連れて行ってくれた。
試写をした森田さんの師匠でもある四宮鉄男監督が「これは森田さんの作品というより、榊さんの作品だね」と言ったという。
記録映画作家である主人公の森田惠子さんの死に至るプロセスに立ち会ってしまった劇映画監督の榊さんが森田さんの遺した映像と文章から創作した作品なのだ。
大病で人生残りわずかと察した記録映画作家と、若き劇映画監督の邂逅が産んだ奇跡の錬金術と言えるかもしれない。

いわば遠巻きながらの当事者でもあり、同業者でもある僕はただ感無量で、この作品に対していまだ紡ぎ出せる批評の言葉もなく、かといってふたたび見直すという気力も残っていない状態だ。
ただ、森田さんを知らない人がこの作品をどう受け止めるのか教えてもらいたいという思いである。
森田さんの自分の後始末の仕方は、見事というしかない。

僕がテレビシリーズ『すばらしい世界旅行』のディレクター時代に訪れた大アマゾンの先住民ヤノマモの弔いを想い出す。
ヤノマモの人たちは、死者が出ると遺体を火葬にして骨をくだいて粉にして、木の実でつくった容器に蓄えておく。
そしてマンジョーカ芋やバナナの収穫時期に祭りを開いて近隣の村人たちも招き、故人をしのんで泣き叫びながらその粉を芋やバナナのスープとともに残さずいただいてしまうのだ。
森田さんは榊監督を用いて、ご自身と自作を僕たちに呑み込ませてしまった。
その味はと問われても、感極まって味覚が動かず、答えようがない。

そして、僕個人への森田さんのメッセージが聴こえてくる。
岡村さん、私のカメラ、使えてる?
岡村さん、撮ったまままだまとめていないのがいくつもあると言ってたけど、どうするの?
岡村さんのいままでの作品は?
下記の四宮さんの寄稿で知ったのだが、森田さんはヨーガの教師もされていたという。
健康に気づかい、ヨーガの教師をされていても映画の師匠よりずっと早く逝かれてしまうとは。
森田さんの歌声を聴いたことはないが、彼女のうたう『ゴンドラの唄』も聴こえてくるようだ。

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 藤崎和喜さん手書きのメイシネマ祭'23プログラム。
『小さな庭の大きな宇宙』は初日5月3日11時より上映。
追記1:
この映画のレビューを、森田惠子監督の師匠でもある四宮鉄男監督がしたためた。
四宮監督は、僕がメイシネマで出会ったもっとも敬愛するドキュメンタリストでもある。
このレビューは、四宮さんの愛弟子への弔辞ともいうべき拡張の玉稿だ。
榊監督は『小さな庭の大きな宇宙』の全国初公開となる5月3日のメイシネマ祭での上映時に特典プレゼントとして冊子を作成し、それに収録する予定という。
どうぞ実物を手にして、森田さん、四宮さん、榊さんそして藤崎さんらの熱気を感じていただきたい。

追記2:
岡村が手掛けてきた5年間にわたるメイシネマ祭の記録のうち、2019年度の森田惠子監督の遺作となった『まわる映写機 めぐる人生』上映時の森田さんのトークと質疑応答部分を『森田惠子監督のメイシネマ祭 銀幕の再生』と題し、森田さんの一周忌にちなんでYouTubeにて公開している。
https://www.youtube.com/watch?v=ccNbMSAuvVc


この拙文は、森田さんの三周忌にちなんで書き下ろした。

西暦2023年4月22日 ブラジル・サンパウロにて


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