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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2015年の日記  (最終更新日 : 2015/12/02)
12月の日記 総集編 ナメクジリマス

12月の日記 総集編 ナメクジリマス (2015/12/02) 12月1日(火)の記 フリーダ
ブラジルにて


仮題『鎌倉に叫ぶ』の方は日本側でのデータ確認が手間取っているようで、作業中断。
『五月の狂詩曲』の方の作業に切り替える。
それにしても、日本で撮った映像ばっかしの編集が続くな。

ネタバレになるが、藤崎和喜さんにタイトルとスタッフクレジットなどを、あのメイシネマ祭のチラシのように手書きでこさえていただいた。
それを撮り込む作業。
まことに久しぶりに三脚を据える。
さらに久しぶりに照明も設置。

が、自然光でのあがりの方がよさそうだ。
編集機のモニターでフレーム等の確認を繰り返し、何度か撮り直す。

ほどほどに切り上げ、いざ、トミエ・オオタケ文化センターへ。
待望のフリーダ・カーロ展に挑む。
このセンターでの草間彌生展、ダリ展ともに1時間以上は並んだ。

待機中の読み物も準備して覚悟していたが…
なんと、そのまま入れた。

「フリーダ・カーロとメキシコの女性シュールリアリストたちのつながり」というのがタイトル。
今の僕には、フリーダの絵しか目に入らない。

日本で『フリーダ・カーロの遺品』というドキュメンタリー映画を観てきたが、これがなかなかよろしかった。
アートを、作者の人生を踏まえて観るというのには、僕はあまり乗れない方だ。
が、フリーダは例外かもしれない。

フリーダがクモザルのみならず、緑の葉に擬態したクツワムシや、巨大なキンバエを描いているのがますます気に入った。

会場には彼女を撮った写真も展示され、バイオグラフィーのドキュメンタリーも上映されている。
写真や動画のなかの彼女の方が、彼女の自画像よりずっと蠱惑的だというのも面白い。
フリーダの肉声も聴きたくなるではないか。


12月2日(水)の記 十二月の五月
ブラジルにて


「鎌倉」の方は僕が納得のいかない部分があるので、中断。
昨日、タイトルの撮影を行なった『五月の狂詩曲』の方の仕上げ作業にかかる。

10月に藤崎和喜プロデューサーに試写していただくバージョンを完成していた。
あの頃は引越し騒動で、なにかとささくれ立っていたので、もう一度細かくチェック。

藤崎さんをして「奇跡だ」と言わしめた作品になってしまった。
見どころ満載だが、『無辜の海』で知られる香取直孝さんのトークが重い。


12月3日(木)の記 嗚呼ブラジルのガラパゴス
ブラジルにて


ブラジルに戻っていくつも短いものをまとめているうちに、在庫切れになってしまった。
それぞれのDVD焼きのマザーとしているminiDVテープ。

そんなものをまだ使っているのか、とシロートの方にも数年前からあきれられている。
が、僕にはこれで足りている。

日本で買っておけばよかったが、そもそも今回は荷物の量も厳しかった。
ブラジルでも買えるのだが…
日本の量販カメラ屋の3倍近い値段になる。
いたし。

ひと駅離れた、ごちゃごちゃ大衆ショッピングスタンド街へ。
1軒のおじさんのところの在庫すべて、PANASONIC製5本、SONY製1本をコーヒー代ぐらいディスカウントさせて買う。
明日また入庫の由。
パナソニックは日本産、ソニーはメキシコ産とある。

『五月の狂詩曲』のマザーテープ作成に入りたいのだが、まだまだ細かい直しが続く。
明日ぐらいには目鼻がつくかな。


12月4日(金)の記 はてしなき五月
ブラジルにて


『五月の狂詩曲』は全174分、三巻に分けている。
マザーテープを作成して、ドロップアウトなどがないかを確認すればOK、という段階に来たのだが。
この期に及んで、たとえば字幕の用語の齟齬などに気づいて、やり直し。

これが何回も続く。
今日は友人と昼食でも、ついでにダウンタウンでアートの観賞でもとも思っていたが、それどころではなくなった。

日曜日にお会いする予定の木村浩介さんにお渡しするDVDも焼かないと。
並行して、来年早々の訪日の段取りを日本の各方面とすすめる。


12月5日(土)の記 ゴマの来た道
ブラジルにて


日本政府が今度はブラジルと組んで、アフリカ大陸の小規模農家を苦しめようとしている。
http://www.huffingtonpost.jp/maiko-morishita/ticad-v_b_3373974.html?utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=false&fb_ref=Default

日本側はモザンビークのサバンナ地帯に日本向けの大豆やゴマを栽培させる意向、という。
日本は、それほどゴマが必要なのか。

ゴマはアフリカのサバンナ地帯が原産とみられ、縄文時代にはすでに日本に持ち込まれていたようだ。

さて転居したわが家、台所回りも旧宅のごちゃごちゃをだいぶ持ち込んでしまった。
関西のシンパにいただいた、パック入りのすり白胡麻を使い切ってしまおう。
賞味期限は過ぎている。
製造元は、京都市内とある。
が、なんと、胡麻原産国はグァテマラ、エチオピア、トルコとある。

もし個人でこれだけの地域をまわってゴマを集めたら、どれだけのカネがかかることか。
近年、瀬戸内海の直島と北茨城で小規模だが収穫したゴマを干しているのを見かけた。
日本で細々ながらも栽培されているものを中米、アフリカ、中東から京都の製油製造者が輸入しているとは。
それをもらい物とはいえ、ブラジルに持ち帰る僕も含めて問題があるのではないか。

そもそもブラジルでは日本食材店で生ゴマを買ってきて、自分のところで炒っている。
する必要があれば、小ぶりのすり鉢ですっている。

ちなみに統計の年はばらつくが、日本国内のゴマ生産量は約100トン。
われらがブラジルは1万6千トン。
いっぽう日本のゴマ輸入量は年16万トン!

ゴマの粒から見えてくるものに、気が遠くなりそうだ。
日本の皆さん、ブラジルのわが家ではゴマは足りていますので!


12月6日(日)の記 カエルの交響曲
ブラジルにて


今日は、昨晩、サンパウロに戻ってきた木村浩介さんを近郊のエコロジーロッジにご案内する予定。

ギターケース、組み立て式の椅子、年代物のグアラナのロゴの入ったバッグを抱えた木村さんをメトロの駅で待ち受ける。
道中、雨に。
ラポーゾ・タヴァレス街道を慎重に運転。

まずはサンロッキのワイン街道へ。
トイレ「急」憩での立ち寄りだが、なんと屋外でMPBのライブ演奏中。
木村さんが所用に向かっている間、女性シンガーは「Devolva-me」を歌い始めるではないか。
この曲を聴くと僕はフリーズ状態となり、自動的に涙腺が緩んできてしまう。

夕方、演奏が終わるまで堪能、ぜひ直接話したいという木村さんとともに3人と歓談、共通の友人も出てくる。
この地区の名物、アーチチョークのパスタを食べてから、山中の宿に向かう。

ブラジルはすでに休暇のシーズンが始まっているが、日曜夜でもあり、がらんとしている。
この宿は初めてだが、木村さんにぜひブラジル海岸山脈のカエルの合唱を聞いて欲しかった。

いやはや合唱どころではない、オーケストラの果てしなき交響曲だ。
これがカエルかと、日本人にはにわかに信じがたい「打楽器」も数種類あり。
森の沼地には、ヒカリコメツキが交響曲に光を添えている。
金鳥蚊取りを焚いて、しばし聞き惚れる。
木村さんはデジカメで録音。
打楽器をたしなむ日本の友人にぜひ聴いてもらいたいものだ。

宿には細々ながらWi-Fiがあり、木村さんは旅の経過をフェイスブックにあげていくのに忙しい。
ベランダのハンモックに横たわっていると、僕の懐にセミが飛び込んできた。
抹茶色のストライプの美しいセミ。
片手で押さえてわがデジカメで接写してから解放。


12月7日(月)の記 ツチグリとイラガ
ブラジルにて


海岸山脈の朝。
夜半までフェイスブックで旅の写真のアップを続けていた木村さんは、爆睡。
早朝の鳥どもの合唱も聴いてもらいたいところだが。

ある程度、泊り客がいる時は敷地内の森歩きのミニツアーがあることがわかった。
僕たち二人だけでもスタッフが案内してくれるという。
木村さんは脚の腫れと痛みをおして、できる範囲で行ってみるという。

木村さんが旅行してきたばかりのバイーア出身の案内人に、ゆっくりの短めのコースで山歩きをお願いする。
冷夏とはいえ夏、雨も続いていて、キノコ粘菌ナメクジ狙いの僕にはベストシーズンだ。

上りではへろへろだった木村さんも、森になるとキライではないとみた。
種実状のキノコを見て「ツチグリ」という和名が木村さんの口から出てきたのには驚いた。
けっこう図鑑マニアだという。

僕がキノコに目をつけているのを知った案内人のエジソンさんが、林床のナミのキノコを指し示してくれる。
むげにもできず、近くをいじくって、落ちた枯れ枝に粘菌の子実体を発見!

ロッジのベランダにイガイガのおそらく毒毛虫がやってきたので、木村さんに海岸山脈の殺人毛虫の話も伝えると「イラガ」などと通なことをおっしゃる。
勤務先の保育園で、イラガ退治をさせっれることもあるので、とのこと。

昼食前後、木村さんはギターの練習。

夕方、師走で混み合うサンパウロに戻る。
木村さんは発熱があり、まずは今晩の約束をキャンセル、わが家でダウン。
サンパウロの知人たちが車で迎えに来てくれて、ようやく起き上がった。
旅の重さ、か。
(のちに調べてみると、この日、見つけたのはツチグリというよりツチガキに近いようだ)


12月8日(火)の記 師走の忍耐
ブラジルにて


明日の早朝から、お隣りの州の奥地のフマニタスまで車で向かうことにした。
今週は、断食中止。

銀行の払いものや、買い物。
旅からの帰りは、いつになるか行ってみないとわからない。
日本での手焼きDVDの書留便送りを今日中に済ませることに。

午後、いつもスカスカの小さな郵便局に行ってみる。
前代未聞の混雑だ。
番号札は約20人待ち。
かたや、自称老人が次々に優先されていくので、これはたいへんなことになった。
読み始めていた「あめつうしん」をくまなく読み終えて、まだ時間が余った。
待つこと1時間余り。

師走のブラジルの郵便局、通常の10倍ぐらいの混みようだ。
クリスマス:イエスの誕生という福音を待つのに、イライラは禁物ですな。

さらにスーパーでの買い物があり、より安くいつも混雑しているスーパーを避けて、高めのスーパーに行くが、ここもカオス状態。
うーん、忍耐忍耐。


12月9日(水)の記 最近パラナ往来事情
ブラジルにて


午前6時台にサンパウロのわが家を出家。
すでに朝の渋滞が始まっている。

自動車でパラナ州に向かうのは、1年以上のブランク。
様変わりもある。

北パラナへの入り口は、だいぶ長期間、工事をしていた。
できあがりらしい入り口の表示は、まことにわかりづらく、通り過ごしてしまう。

パラナ州に入って間もなく、道路沿いに小ざっぱりしたレストランが現われた。
Wi-Fiの表示があるので、ノートパソコンを持ち出してみた。
次回訪日時の上映スケジュールの連絡等の調整があるのだ。

が、それらしい波がない。
ウエイターに聞くと「Queimou」、焼けた、とのこと。
落雷などで装置が焼けたということらしい。

アモレイラの保育園に立ち寄る。
日本からのシスターたちは、今年いっぱいで撤収してしまう。
生々流転。

道中、目に入る道路わきの新しい花束と祭壇が鮮やか。
その場で、交通事故死があったことを伝えている。

フマニタス到着。
佐々木治夫神父は、思っていた以上にお元気そうだ。
日本やブラジルの政治問題等を矢継ぎ早に聞かれるが、こちらがうかがいたい。

フマニタスにもWi-Fiの波が来ていることがわかるが、接続はできても諸々のアプリケーションは機能しないこともわかる。
奥地に入ったら、オフラインになることは覚悟しておかないと。

ブラジルに戻って、おそらく初めてNHKのナマ放送を目にするが、美酒と運転疲れで間もなくうとうと。


12月10日(木)の記 佐々木神父と牛山プロデューサー
ブラジルにて


かつて日本のドキュメンタリー映画専門のメルマガ「neo」に寄稿した時に書いた覚えがある。
僕のなかで、フマニタスの佐々木治夫神父と、僕の壮大なトラウマ・牛山純一プロデューサーは時にオーバーラップする。
ふたりとも1930年生まれ。
体型も似ている。
自らの思いのままの「帝国」をつくったことも。

違いは、どのあたりか。
すぐに浮かぶのは…
牛山さんは、言葉も現実の暴力も日常的に配下に加えたが、佐々木神父にはさすがにそれはないようだ。

今日の僕のミッションに、佐々木神父も同行してくれることになり、そんなことを道中、思う。

僕の臆病な運転は、佐々木神父には悶絶死するほど苦痛だろう。
フマニタスのスタッフに運転してもらった。

彼が神父さんの言うとおりに運転していたら、今日が僕らの命日になっていた可能性、大。

今日の成果は、いずれ作品にして。
さあ、気合い入れないと。


12月11日(金)の記 師走の帰聖
ブラジルにて


どうなるかわからなかったミッションの仕込みは、昨日で済んでしまった。
朝、佐々木神父が厚生施設に案内してくれる。

サンパウロに向かって、ひたすら走る。
半分以上の行程を走ってから、ようやくサービスエリアに停車。
入り口にWi-Fiの記載はないが、あってもよさそうなクオリティ。

ノートパソコンを開いてみる(ブラジルでもいまやスマホ、タブレットばかり)。
電波は来ているが、受付でバウチャーを受取り、暗証番号を入力のこと、とある。
従業員に聞いてみると、そのままつながる、という。
ごちゃごちゃした記載を無視して接続を試みると、たしかにつながった。

あと数時間で、わが家というところ。
が、いくつかのメッセージを読んでおけば、道中、その返信の文面を練れるというもの。

15時台、快調にサンパウロ市の入口に。
が、それから大渋滞。
わが家まで2時間以上、スムース時の3倍近い時間がかかった。

ちなみに「帰聖」とは、ブラジル移民の書き言葉で「サンパウロに戻る」こと。


12月12日(土)の記 死者たちの出版記念
ブラジルにて


昨日にてパラナのデセンバー・ステップス第一段完了。
走行1200キロ。

今日の手配により、第二段は、四捨五入すると2000キロいきそうなことになる。

「いざ鎌倉」プロジェクトは、先方からお約束の返しがないので、そのままにしておく。
さて次の映像編集は。
オミッチャンこと佐々木美智子さんの『新宿発アマゾン行き』出版記念会の映像。
撮影は、なんと1994年3月12日。
この17年後に福島の原発は爆発を始めた。

オリジナル撮影素材を探しきれなかったのだが、先の引越しのどさくさにようやく見つけた。
さて、これがHi-8。
そもそも再生できるかどうか。

もう8-9年前に仙台でいただいたHi-8再生機を発掘するが、なんとか無事機能。
テープそのものもほとんど劣化が見られないという幸運。

まずはこれをチェックしながら編集用にminiDVにコピー。
映画監督の長谷川和彦さんが司会、作家の沢木耕太郎さんが出版経過報告。
撮影監督の姫田真佐久さんが乾杯の音頭、さらに黒木和彦監督が挨拶。
俳優の山谷初男さんと原田芳雄さんがライブ音楽を披露という豪華さ。

うち、姫田さん、黒木さん、原田さんは鬼籍に入っている。
さらに参加者のうち、作家の船戸与一さんや田中小実昌さんもすでに他界された。
僕の映像記録時代の先輩も写っていて、この方も亡くなられたと聞いた覚えがあるが、ネット上では確認できないのでお名前をあげるのは控えておこう。

なんといっても主人公の佐々木美智子さんがご存命なのがうれしい限り。
佐々木さんは現在、古巣の新宿はゴールデン街で「ひしょう」というブックバーを仕切っておられる。

この出版記念会の映像は2004年に初版をまとめた拙作『アマゾンの読経』で一部を紹介しているため、僕が見るのは11年ぶりだ。
よく目立つが誰だかわからない人、思い出せない人もいるの。
まずはシェイプアップ版を、佐々木さんに日本で一緒に試写をしてもらうか。
死者を試写で供養とか。


12月13日(日)の記 朝酒昼酒の理由
ブラジルにて


サンパウロにふつうにいられる日曜の日課。
路上市での買い物と、実家の介護に通う家族の送迎。

これから無事帰ってくると、イッパイやりたくなってくる。

大著『蓼科日記抄』読了。
小津安二郎監督の名作の脚本を担当した野田高梧さんの蓼科の別荘「雲呼荘」の日記で、訪問者は必ず何かを書くように、という決まりがあった。
大半が野田さん自身の日常の記録だが、小津監督のユーモアと自虐あふれる記載が光る。

大変な数の来客の連続で、グルメの限りを尽くし、相当量のアルコールを消費しながら、あの世界のOZUの名作群の脚本が編まれていったのだから、すごい。

少し酒を控えようと思うこともあるこの頃。
しかし、これを読んで昼酒のエクスキューズをいただいた気分に。
今日は小津君とともに不調で、朝酒は二人で二合にとどめる、とか。
さすがに僕は、朝酒は元旦ぐらい…

それにしても、起承転結もストーリーもあるわけでもないこの日記抄は、どうしてこんなに面白かったのだろう。


12月14日(月)の記 過去のSF
ブラジルにて


訳あって、スペイン語のタイトルをつけた短編を作成した。
まずそれを日本にお送りした。
気に入ってもらえたようで、ぜひスペインにも送って欲しいという連絡をいただいた。
新たにDVDを焼く作業に取り掛かったのだが…

視力検査の世界だが、スペイン語字幕の c をo と間違えているではないか。
原版、マザーテープも作り直さないと…
いやはや。

長蛇の列を覚悟して、書籍持参で郵便局に挑む。
が、拍子抜けするほど、ふつうに混んでいるだけだった。

さあ午後から「新宿発アマゾン行き」出版記念会の映像編集。
会場は、マイクを使った挨拶が聞き取れないほどのガヤガヤ。

これだけの人が集まってのイベントだが、妙な違和感と親和感がある。
なにか特殊な設定のSF映画を観るような。
撮影は1994年。
あ、そうか。
位牌のようなケータイをかまえたり、スマホの画面を叩いたりというのが誰もいないことだ。

出会いと談笑の場で、もっぱら談笑しているということがなんとも自然で心地よいことか。
撮影などという無粋なことは、僕のような「賎業主夫」に任せておけばいいのです。


12月15日(火)の記 横長170パーセント
ブラジルにて


われながら、生きている化石。
今さらながら、転居先用のテレビをショッピングモールの家電屋に家族と物色に。
そもそも、横長テレビ以降についていけていない。
これでも、仮にもテレビマンだった時代があるのだが、

いまやブラジルでもハイビジョンどころか、4Kテレビを売出し中。
僕のテレビマン仕事は、まさしく3K、6Kだったけど。
これはK違いのようで、4Kとはフルハイビジョンの4倍の画素数とか。

これを機会に画面の縦横比をまた考える。
黒澤明監督の『天国と地獄』、あれはやたらに横長だったが…
調べてみると、意外とそれぞれの映画の画面の縦横比の記載がないものが多い。
で、『天国と地獄』は東宝スコープと呼ばれる、シネスコと同じ横2.35対縦1とわかった。
スタンダード画面の「なんと横幅170パーセント以上!」というのがウリだったようだ。

『天国と地獄』はブラジルで「いちおう」正規で売られている(日系社会で売られているような海賊版ではない)DVDを購入していたのだが、スタンダードのテレビで見ると、いわゆるレターボックス画面にはなるのだが、左右の端が切れてしまい、黒澤監督が超ワイド画面を意識しただろう、端の方での役者の芝居が切れてしまっていたのだ。

こころがおちついたら、ワイド画面テレビできちんと見てみよう。


12月16日(水)の記 デモとトミエ
ブラジルにて


12月15日付で、日本国在サンパウロ総領事館から「サンパウロ安全対策情報」というメールが送られてきた。
いわく、
「12月16日(水)午後5時頃から,パウリスタ大通りにおいて,ルセーフ大統領弾劾反対者によるデモが行われるという情報があります。現在のところ,デモの規模については不明ですが,常に最新の情報を収集するとともに,デモに巻き込まれることのないよう十分に気をつけて下さい。」

「安全対策情報」であり「デモに巻き込まれることのないよう十分に気をつけてください」ということは『デモは危険である』というのを大前提としているわけだ。
デモに参加したい人は、どうしたらいいのだろう?

さて、このデモは現大統領を擁護するためのデモであり、僕は参加するつもりは毛頭ない。
然るべき用事があって、現場に行ったのだが…

最近のブラジル大統領弾劾や、日本の安倍政権反対のような自発的な市民たち中心のマニフェストではなく、赤旗と赤シャツだらけの、労働組合等による、まさしく動員型のデモ。
赤いかたまりはあっても、個々人のノリや意志が感じられない。

僕の方の用事は、デモ地域での映画館でずばり『トミエ オータケ』と題したブラジル人が製作したらしいドキュメンタリー映画を上映していることを、たまたま知ったからだ。
水曜なら割引料金かと思っていたら、ここは月曜のみが割引き、今日は24レアイス、約800円という、ブラジルでは高額の封切り料金。
して、映画はどうやらクルトゥーラTVがテレビ番組としてトミエ先生の没後に製作したらしい、50分程度のシロモノ。

12月10日に封切られたばかりだが、上映開始時には僕の他の観客は、7人。
僕のライブ上映より少ないかも。

オリエンタルを意識したつもりだろうBGMが延々とかしましく、肝心のトミエ先生の作品も機械的なエフェクトをかけて、あわただしくつなぐ、よくあるブラジル人の文法でのつくり。
それでも僕の知らなかった写真や作品、トミエ先生の夫だった人のことにも触れられていて僕には面白かった。
最後にブラジル人の女性アーチストの語る、チベットに伝わる老女の絵描きの話が印象深く。

帰宅後、ネットにて日本語とポルトガル語で該当の話を探してみるが、見当たらず。


12月17日(木)の記 野火 のびた
ブラジルにて


のびのびになっていた。
早朝、大岡昇平『野火』の残りをいっきに読了。

引越し前に再読をはじめて、行方がわからなくなっていた。
日本で新しく買おうと学芸大学の新刊本屋に行くと、『野火』はなく、その姉妹編というべき『靴の話』があり、これは読み終えていた。

今回、転居先で発掘。
それにしても地理、地質学的描写のほどは、他に類例が浮かばないほど。
日本語で描かれた熱帯雨林ものとしても白眉かと。
それはさておき、日本文学の、人類の知的遺産とすべき傑作だとあらためて思う。

塚本晋也監督の映画『野火』は驚くほど細部までこの原作に忠実だ。
しかし原作で大きなウエイトを占めるキリスト教、そして精神病院の2要素は映画版では見事に削ぎ落とされている。

僕は世界最大のカトリック人口を抱えるブラジルに移住してから、だいぶ新旧のキリスト教に親しんだ。
だけに、大岡昇平が突き付けてくる問題が、よけい重い。

小説『野火』はキリスト教の問題も扱っているだけに、海外でも知られ、親しまれているという。
しかし驚いたことに、大岡昇平は一冊もポルトガル語に訳されていないのだ。

昨今のブラジルの日本語新聞は、ブラジル日本会議とがっちり組んで「太平洋戦争の真実をポルトガル語で」とうたった書物の宣伝を連日、掲げ、それがらみの記事も多い。
『野火』の世界に僕は吐き気を催すことはなかったが、『野火』すら共有されずにメディアが流布する「真実」には…
わざわざポルトガル語で読む気も起きないので、ここで筆を止めておく。


12月18日(金)の記 螺旋の世に
ブラジルにて


子供の頃は、世の中はどんどん便利で快適になると、素朴単純に思っていた。
どうやらそれは、時間が進むと万物、特に文化文明も進化すると思い込む信仰にすぎないとわかってきた。

新たに、かつ未曾有の大壊滅に向けて舵をとった祖国を見るにつけ、胸は痛むばかり。

ブラジルでも、かえって不便、不快、危険になる事態は日常的だ。
日本の渋谷駅をほうふつさせる、サンパウロ国際空港の新ターミナルとか。

それでもブラジルに暮らしていると、改善を感じることもある。
サンパウロ市内の幹線道路は制限速度が60キロから50キロになり、罰金と減点の取り締まりが厳しくなったことで、事故も減り、運転していてかえってスムースになったことを体感している。

わが家の近くの安売りスーパーマーケットチェーン。
安いのはありがたいが、閉まっているレジが多く、「ラッシュ時」は数十分待ちの長蛇の列につくことを余儀なくされていた。

その店が、営業しながらも改修を始めた。
ろくにカバーもしていないから売りものは埃をかぶり、ペンキの飛び散った商品まである。
安かろう、悪かろう…

が、あっと驚き。
テレポーテーションされたかと思うほど広々とこざっぱりして、レジは4か所が同時に機能、これまでのような「殺気」がなくなっている。

今宵はカルボナーラのパスタを作ることになり、ひととおり食材はそろっているが、念のため粉チーズ等を買い足し。
それぞれの売り場が変わっているのが玉に疵だが、迷って楽し、新スーパー。


12月19日(土)の記 プレゼピオ
ブラジルにて


今日は日本から留学に来ている友人と、仕事に来ている友人を抱き合わせてボンレチーロでコリアン会食。
ぜひここで、と場所を指定してきた学生の方が堂々30分以上の遅刻。
若者のブラジル化は早い。

サンパウロのコリアンタウンは、なんというか、しゃんとしている印象。
経年劣化の著しい日系のような、へたれ感と対照的。

待ち合わせたチラデンテス駅近くの広場で、ふたりにそれぞれ大通りの向かい側にカトリックの聖遺物ミュージアムがあること、その付属のプレゼピオミュージアムは無料で鑑賞できることなどは伝えてあった。

プレゼピオは、日本のクリスチャンの間でもきちんとした言葉になっていないが、クリスマスにちなんだイエス降誕の模様を再現する、いわばジオラマである。
ポルトガル語でもイタリア語同様、「プレゼピオ」といい、もとは「飼い葉おけ」を意味したという。

さて、帰路、3人でチラデンテス駅に潜り、驚いた。
地下鉄の駅の構内に聖遺物ミュージアムの分館がオープンしているではないか。
しかも、世界のプレゼピオ展、僕が彼らに話していた展示がそっくり移転されているのだ!

これには、ぶったまげ。
ブラジルをはじめとする中南米諸国、ヨーロッパ、アフリカ、アジア(日本)それぞれの、数百年前にさかのぼるプレゼピオのマスターピースが、いい意味で今様の展示をされている。

マデイラ島のプレゼピオでは、ヘロデ王による幼児虐殺の情景まで再現されていて、新たに息を呑む。
アフリカの諸文化でのイエス降誕の表現も興味深い。

ラテン化一直線の邦人学生をして「信仰に導かれそうです」。
僕も、模型屋を夢見たことを思い出す。


12月20日(日)の記 「さよう」なら
ブラジルにて


家族の関係の集いに、思い切って参加することにする。
国際的に知られる団体の一支部なのだが、それにしても段取りが悪い。
段取り、悪すぎ。

他人の段取り、仕切りの悪さにもハラハラする性格。
つくづく、ブラジル人たちと一緒に仕事をしてこなくてよかったと思う。

アルコール抜きの懇親となる。
僕がいかにも「日本人」然としているせいか、メンバーが別の日系人を紹介してくれた。
老性格俳優、といった感じ。

日系三世とのことだが、日本語を使ってみたいようだ。
周囲が雑然としているので、僕の大声はいつものこと、ゆっくりとした日本語で質問をしてみる。
答えは、
「さよう」
とくるではないか。
イエス、の意味だ。

このセニョールは、特に奇をてらっているわけでもなさそうだ。
父方の祖父母は1912年にブラジルにやってきたという。
自分は日本に一度行ったことがある、行ったのは「平成元年」と元号で語るレアさ加減。

セニョールは「日の丸はなぜ、あの色なのか知っていますか」と僕に尋ねてくる。
うろたえながら、「赤は太陽の象徴で…」と応じると、
「いな」とは出なかったが却下されてしまった。
「赤は平家の象徴で、平家が天皇家と近しかったから。自分の先祖は平家の末裔で…」と、あんまり辻褄が合わないような話になってくる。
議論すべき知識も気力もなければ、場所でもないので「御意」と受け止めておく。

それにしても、50ウン年生きてきて、会話で「さよう」と応じられたのは今日が初めて。
しかもブラジルで。


12月21日(月)の記 松岡伸矢くんをご存知ですか
ブラジルにて


「いざ鎌倉」プロジェクト、ようやく依頼者から連絡あり。
こちらもこれがプレッシャーだった。
進行中だった別の編集プロジェクトを来年に回すことにする。

機械的な作業ではなく、創造的、宗教的ですらある作業である。
順番を切り替えて、それに没入するよう、自分を持っていくのがたいへん。
しかも収入どころか、カネは出ていくばかり。

その気にしていくまで、しばしパソコンの前に。
最近、検索した言葉に「松岡伸矢」とあるが、これはいったい誰だろう?
何秒かして、思い出す。

1989年に高知県で謎の失踪を遂げた、茨城出身の当時4歳だった少年の名前だ。
https://www.youtube.com/watch?v=bnWtA7jTnLY

引越しの余波で15年ほど前の日本の雑誌が出てきて、先週、読んでみた。
その雑誌に、すでに過去の事件として取り上げられていたのだ。
ネットで調べていけばいくほど、迷宮にますます踏み込んでいくようで、実に不気味である。

ネット上のいろいろな書き込みも見てみるが、基本的な情報も踏まえないで被害者家族を揶揄したり、中傷したりする記載が目立つ。
10年前のNHKによるパクリ事件と時に、被害者である僕にぶつけられてきた誹謗中傷を思い出す。

伸矢くんの一家は茨城県牛久で暮らしていた。
NHKの『第二の祖国に生きて』でロケをした場所だ。
徳島県小松島に暮らす彼の祖母が亡くなり、一家で葬儀に列席した後、徳島県貞光の親戚のところに泊りに行った。
そこで親子で朝の散歩に出て、父親が20秒ほど目を離したすきに行方不明になったという。
小松島は拙著でも取り上げた「ひとり芝居」の小泉照男さんの出身地であり、小泉さんも貞光に親戚がいると言っていた。

付近は山地であり、大がかりな山狩り(といっていいのか)をしても手掛かりは、なし。
後のナカハラマリコの母と名乗る女性の怪電話など、ますます不気味である。
ナカヒラマリコの母という人は、よくブラジルに来ているようだが。

伸矢くん失踪事件には事情を知る一族が関係しているように思えるのだが、北朝鮮による拉致の疑いもあるという。

この事件について僕の拾えた一番新しいニュースは、今年11月、水戸で開かれた北朝鮮拉致問題の集会で、伸矢くんの父親が発言していることだ。
失踪から26年、4歳だった伸矢くんもご存命なら30歳である。

思えば、先月の新潟での上映会場は、横田めぐみさん失踪の現場至近だった。
北朝鮮を抜きにした失踪者の数は、わがブラジルの方が圧倒的に多いのだろうけれど。


12月22日(火)の記 年末のブラジルを縫う
ブラジルにて


さあ、諸々の用事を効率よく組み合わせてみる。
乗合いでの長旅に備えて、車を洗いに出そう。
その間に「いざ鎌倉」DVDの郵便局での送り、ガラパゴスの必需品miniDVテープの購入、「待ち」の間の読み物のチョイス…

「すばやく洗車」屋は、けっこうな列。
が、おばさんは所用1時間と毎度のことを言う。

この近くの「かくれた」郵便局のささやかな列につく。
今月になって他の2局では送れた、DVDサイズにこさえた封筒を「書留シール」も切手も小さすぎで貼れないから、大きな封筒に入れ直すように、と受付けを拒否された。
問答無用。
別の局に行くことにする。
思えば、この局は文房具屋とのタイアップ経営。

洗いに出している車のピックアップに遅れて、駐車場料金を取られてもいけない。
優先老人等をのぞいて番号札で20人待ちの郵便局に並び、ぶじ発送。
車の方は1時間を軽く過ぎても、まだまだ水をかけている状態。
昼時で混み合うカフェで時間を潰し、1時間40分後にふたたびピックアップに戻るが、こりゃまだかかる。

夕食の食材等の買い出しをして家に置いて出直して、すでに2時間半。
ようやく洗車も終わっていた。

クリスマス明けと同時の長旅に備えて、道順にある、ほとんど使ったことのないガソリンスタンドで満タンにする。
知らないスタンドでは、こちらの無知に付け込んだ商法もあり、油を入れながらも油断ができない。
ひとつのオイルが異常に汚れているからと交換をすすめられる。

結局どろどろ黒々のオイルを替えることになるのだが、ハンドル用のオイルだ。
あとで調べてみると、日本語で言うと、いわゆるパワステ用のオイルだった。
ネットで調べると、これはまったく替える必要がないというのと、替えた方がいいというのがあり、これも迷宮感あり。
メカニックまかせのわがクルマは一度も替えてなかったようだし、たしかにハンドルが軽くなった感はあり、その他の振舞いからも、このスタンドのスタッフは気に入った。

日本の室賀モーターズさんみたいな人が、こちらにも近くにいてくれるといいのだけれど。

そもそも今の車も10年以上の使用。
そろそろ買い替え、とも思うが、先立つものがない。
祖国では、原子力発電所のようなシロモノもいい加減な点検で40年は使用、さらに20年はオッケーとしようとしている。
自動車を10年ぐらいで替えてしまっては、もったいなさすぎるかも。


12月23日(水)の記 小津と黒澤
ブラジルにて


午前中は友情撮影のため、ダウンタウンへ。
事前に打ち合わせをして、いい感じで撮影を行なったが、思わぬ横やり:ポルトガル語でいうfogo amigoが繰り返され、NG。

帰ってから、黒澤の『天国と地獄』を思い切って見直すことにする。
ブラジル版のDVDソフトの画面比を今回計ってみると、7:2とグロテスクに長い。
登場人物の顔が横ぶくれで、せっかくの緻密な黒澤の構図設定も台無しだ。
ブラジル版に「よくある」まちがいのひとつだろう。
ああ、2.31:1の正規画面比で見直したい。

あらためて、思うこと感ずること多々あり。
ひとつに地理的な小津安二郎ワールドとの重なり。

『天国と地獄』の公開は…1963年3月1日。
小津監督は…1963年12月12日に亡くなっている。
小津は、この作品を見ていただろうか?
すでに、命取りになる病を意識し始めている時期だ。
手元にある『蓼科日記抄』では公開前後に小津は蓼科におらず、不明。

『天国と地獄』は、自らの作品を豆腐にたとえた小津に、黒澤が横浜若葉町の「根岸屋」をモデルにしたというあの多国籍無国籍スポットの日本語・英語・ハングル文字の料理メニューで対抗した、という仮説を立ててみる。

勢いに乗り、著者の指田文夫さんご自身から譲ってもらった『小津安二郎の悔恨』(えにし書房)を読了。
指田さんは時折り拙作上映会にいらして、驚くべきうんちくの数々を披露してくれている。

この本は構想時にお話をうかがい、小津の『非常線の女』と『東京暮色』が要注意作と教えてもらっていた。
いずれも僕はノーマークの作品で、あの指田さんが勧めるなら、と日本のAmazonで決して安くないこの2作品を購入した。

「紀子さん」シリーズからは想像もできない小津ワールドの深さに驚くばかりの2作品だった。
すでに『黒澤明の十字架』で、黒澤のフィルモグラフィの不可解な部分にまさしくメスをふるった指田さんのが「大衆文化評論家」と名乗るだけの豊富なうんちくで解く小津論には、意外な事実がそこかしこに散りばめられている。

小津安二郎と黒澤明が、ふたりとも東京の荏原郡(えばらごおり)で若き日を送ったという指摘には個人的にびっくり。
不肖オカムラは旧称荏原郡目黒村の出身なのだ。

指田文夫さんは、長らく横浜を本拠地とされてきた。
次回はぜひ『天国と地獄』に踏み込んでいただきたい。


12月24日(木)の記 ラテンアメリカ 男の旅
ブラジルにて


いやはや、僕にとっては実にうれしいクリスマスプレゼント。
久しく消息のわからなかった松井太郎さんのご子息と連絡が取れた。
お年ゆえのいろいろはあるものの、松井さんはお元気とのこと!

松井太郎さん、ブラジル移民の小説家、現在満98歳。
http://100nen.com.br/ja/okajun/000182/index2.cfm
電話でのお話が不自由になり、長らく文通をしていたが、松井さんに視力の問題が生じて先方からのお便りも止まっていた。
お宅の電話にどなたも応じなくなり、お宅まで出向いてみたものの、無人状態で、さてどうしたものかと途方に暮れていたのだ。

ブラジル日系社会のオピニオンリーダーとされ、「人文科学」を標榜する御仁から「オカムラクンに撮影されると早死にするから気を付けた方がいいよ」と吹聴されていたことを思い出す。
彼の組織にはさんざんご奉仕を強要されて、孤立無援で日本人移民の記録を細々と続けてきた僕に対して、支援どころか、こうして誹謗中傷をいただいてきた。

僕が最近、記録を発表した方としては、トミエ・オオタケ先生が今年、満101歳で亡くなられた。
映像での対談記録をまとめた松井太郎さんは、98歳。
拙著で取り上げた方々も90代、80代で今も現役活躍中。

午後、流浪堂さんで求めた『ラテンアメリカ 光と影の詩』、フェルナンド・E・ソラナス監督作品をDVDで鑑賞。
恥ずかしながら、1992年のこの作品を、はじめて観賞。

想いはあふれ、書きたいことはいくらでもある。
その、ほんの端っこだけ書いておく。
原題は『El Viaje』、スペイン語で、ずばり『旅』。
あ、スペイン語だと「旅」は男性名詞なのか。
ポルトガル語だと、女性名詞なのだが。

「世界の果て」!、パタゴニアはウシュアイアの主人公の高校生の家庭。
コブ付き再婚の母親の役者が、ドミニク・サンダに似ている。
まさか、地の果て、アルゼンチンの映画に。
いやはや、ホントにドミニク・サンダではないか!

この映画のブラジルパートでは、僕の生活圏のサンパウロのメトロまで出てきて、音楽はエグベルト・ジスモンチ、ああ、どうしよう。


12月25日(金)の記 ナメクジリスマス
ブラジルにて


昨日、日本のナメコロジー研究会の足立主宰あて、ブラジルでの新たなナメクジ報告の写真添付リポートをメールで送信しておいた。
今月上旬にパラナ州のフマニタスを訪問した際、ラン園のスタッフに見つけてもらったもの。

体長1センチ足らずで、ランの「害虫」のナメクジはどれもこの大きさ、この種類という。
体色、形態は日本に進駐・拡散したチャコウラナメクジをほうふつさせる。
さっそく足立主催より返信をいただき、クリスマスカード以上にうれしいナメクジリマスプレゼントだった由。
足立さんは、こっちを乗せるのがうまい。
拙写真からの推察で、ノハラナメクジでしょう、とのこと。
日本でノハラナメクジと呼ばれる種類は、チャコウラナメクジ同様、ヨーロッパ原産の外来種。
ネットで調べてみると、体長は25-40㎜ないしそれ以上とのこと。
サイズが合わない。
さらにノハラナメクジと呼ばれるナメクジの属を英語で調べていくと、170以上の種に分かれることを知る。
日本のノハラナメクジと同じ種は、ブラジル以外の南米数か国で確認例があった。
ヨーロッパ原産のナメクジの分布と、新旧キリスト教徒の信者数、アメリカ軍の駐屯基地の分布を比較してみると面白いかも。
今日はイエス・キリストの誕生祝いだが、釈迦涅槃の図には、ナメクジのカップルの弔問が描かれたものがあったな。


12月26日(土)の記 新南回帰行
ブラジルにて


本日の走行、計840キロメートル。
運転開始から終了まで、約13時間。
一日800キロ越えの運転は、何年ぶりだろうか。

いちばんの難関は、未明にサンパウロのど真ん中に暮らす友人をピックアップすること。
本来なら頼まれても車で行く気にはなれない場所と時間帯。
が、義のためにやむをえず。
今回は、いくつも義が重なり過ぎ。
さて、目的地のあたりは入り組んだ立体交差や坂道が錯綜していて、しかも一方通行だらけ。
グーグルマップでも紙の地図でも要領をえない。
肝心の友人は、自動車での道順に、見事に疎い。
いっぽう彼はこのあたりの治安の悪さをウエブ日記で再三、訴えて、特に深夜と未明の恐怖のほどを説き続けている。
こちらも前日まで取り込み、また今日全体の行程、そして明日の本番の撮影を考えるとこればかりに勢力をそげない。
事前に車で行ってみるなどは省略した。
いちかばちか。
…危機一髪の場面もいくつかあったが、皆さんのお祈りのおかげで、無事でした。
サマータイムの日没前に、フマニタスに到着できた。
さあ、明日は佐々木治夫神父の神父叙階60周年記念ミサの撮影だ。


12月27日(日)の記 雨とダイヤモンド
ブラジルにて


未明から、激しい雨。
黒澤映画級の雨だ。
フマニタス近くの宿舎に、僕を含めて3人が宿泊。
僕が車でフマニタスからここまでの送迎を担当。
朝の出発時刻になっても、同宿の老聖職者が部屋から現れず、これには往生した。

今日は佐々木治夫神父の叙階(神父に就任すること)60周年、ダイヤモンド祝の記念ミサ。
その撮影にサンパウロから駆けつけて、ついでに運転やら送迎やらもすることになった次第。

1時間の予定だった記念ミサは、1時間半に。
80分テープで挑んだが、テープチェンジを余儀なくされる。
基本的にノーカット、ノー三脚。

ミサ終了後は、記念昼食会。
誰が出席していたかが、ひととおりヴィジュアルにわかるよう、それぞれのテーブルをまわって撮影。
それにしても参加者、日系人が多いのだが、テーブルの同席者同士の会話もなく黙々と食事。
撮影されているのに気づくと、見ているのがつらいほどの表情をされる。
絵にならない、なんてレベルじゃない。

このあたりのブラジル日系人の特質も言及されてもいいかもしれない。
今どきの在日日本人なら、カメラにおどけて見せたり、もう少しラテンな振る舞いができるというもの。
しかも、今日は神父さんのお祝いではないか。
そもそも食事ぐらい、楽しく、じゃなけりゃ感謝の念ぐらい現わしませんか。

ああ、これらの表情をまた再生するとなると、編集するのもつらい。
カネ儲けどころか持ち出しで参加し、撮影と編集をすることはよろこびなんだけど。
賎業記録映像作家、ってとこか。

スチール写真担当の楮佐古(かじさこ)さんは、食事のそれぞれのテーブルは撮りません、と宣言していたが、賢明なり。

まあ、機材トラブルも防げて、式も撮影もこれといった事故もなく終了。
神父さん、飲ませてもらいますよ。
さあ明日のミッションに向けて心を切り替えよう。


12月28日(月)の記 霧の向こうに
ブラジルにて


サンジェロニモダセーラは、今日も雨。
町に霧が立ち込め、濃霧が大気と大地を覆う。

こんななかを、運転するとは。
待つべきか、行くべきか。
行く。

途中で道を間違える。
そのおかげで、路傍で意外なタケを発見したけど。

土地なし農民運動の最前線に生きた日本人移民、故・石丸春治さんの家族を訪ねる旅。
先回、さんざん迷っているので、今回は楽に訪ねられるかと思っていたが、予想外の問題続出。

こちらも天候が悪すぎて、撮影どころではなさそうだ。
近くの町で、 一泊するか?

予断を許さないなか、思わぬことの連続。
霧の迷宮渓谷で、鬼退治に向かう桃太郎に遭遇。


12月29日(火)の記 「K-消えた娘を追って」
ブラジルにて


サンジェロニモダセーラは、朝から雨。
一日中、雨。
昨日、遠征先で泊まらないで、よかった感じ。
あっちも雨だろう。

今日は、佐々木治夫神父に節目としてインタビューを撮影させてもらおうと考えていた。
屋外のどこかで、と想定していたが、雨音が激しい。
いっぽう佐々木神父は昨日、客人の案内をしていて足を痛めてしまい、今日は両足とも痛いという。
またにするか。

雨天のフマニタスの敷地の緑地を探索してみる。
ナメクジ、粘菌、キノコ狙いだが…
雨のしずくを抱えたミニキノコが、エクストラ・テレストリアルな美しさ。
Gパンをどろどろにしながら、接写。

サンパウロから担いできた本を読む。
その前に日本から担いできた。

『K-消えた娘を追って』、ブラジルのジャーナリスト、ベルナルド・クシンスキー著で小高利根子さんの訳、花伝社発行。
事実をもとにしたフィクション。
1974年、軍政時代のサンパウロ。
大学で化学を教える女性の教員が失踪した。
イディッシュ文学を研究する父親が、懸命に娘の消息を探す。
軍政時代のブラジルでは、社会運動にかかわる数多くの若者たちが当局に拉致され、抹殺していた。
国外にも及ぶ父親の探求に、様々な情報が寄せられるが、謎が深まるなか、最悪の事態が浮かび上がってくる…

恐怖と暗黒の政治が、異を唱えるものを抹殺していく様は、70年前の祖国日本、そしてナチスの手口をまねる安倍政権によるグロテスクな近未来と重なり、息苦しいばかりだ。

小高利根子さんの解説より。
「日本とブラジルの交流は、今後さまざまな分野でますます深まっていくことと思います。そのブラジルにも暗い歴史がありました。その中でその流れに翻弄されながらも連帯して生き残り、その時代を決して忘れまい、二度と繰り返すまいと心に誓う人々が数多くいます、けっして忘れてはいけない事実を記録した書、二度と起こしてはいけないという警告の書、それが本書『K-消えた娘を追って』ではないでしょうか。」

この衝撃の書が、翻訳を感じさせない日本語で読むことができるのはありがたい。
日本でブラジルを語る人には、ぜひ読んで知ってほしい。

この本について、畏友の星野智幸さんが朝日新聞に寄せた書評がオンラインで読むことができる。
http://www.paradiseresort.com.br/br/home/


12月30日(水)の記 ブラザーサン シスタームーン
ブラジルにて


フマニタスからの帰路は、年末年始の休暇に入るシスターテレーザもお連れすることになった。
シスターテレーザはフマニタスの「公認運転手」。
パラナ州部門は彼女が運転してくれることになり、かなりの時間短縮となる。

思えばシスターテレーザは拙作『赤い大地の仲間たち』をはじめ、『あもーる あもれいら』3部作にも登場され、味わい深いシーンがいくつかある。
さらに奇遇なことに、彼女は幼少の時に長崎から家族で移住しているのだが、僕が「ビデオレター」シリーズで取り組んだ1962年の「あるぜんちな丸」の同船者なのだ。

道中、諸々の会話をするが、まだ聞き足りなかった。
カステロ・ブランコ街道に入り、僕に運転交代。
いやはや、サンパウロ州も雨。

シスターテレーザをモジ・ダス・クレーゼスのご兄弟のところまでお連れして、さらにタウバテまでシスターマルタをお連れする。

日付が今日のうちに、わが家に無事戻れた。
今回のミッションの全走行2000キロ、濃霧に豪雨、よくぞわが車、走り抜いてくれた。
愛車という言葉が身近になる。


12月31日(木)の記 大晦日のミッション
ブラジルにて


僕にとっての大仕事を終えたせいか、疲れは溜まっているが未明に覚醒。
日本で買って担いできた映画『ミッション』のDVDを鑑賞。

1986年にカンヌでグランプリに輝いた作品。
翌年、ブラジルの劇場で見た覚えがある。
イグアスーの滝の上流のグアラニー族の話なのに、どう見てもアマゾンの熱帯低地の先住民の格好をしている人たちが出てきて、大いに興ざめしてしまった。
その距離、環境、文化の違いを例えれば、北海道のアイヌの話なのに台湾の先住民の格好をしている人たちが登場するようなものである。

まあ、どうでもいい人にはどうでもいいのだろうが。
30年近く経っての再観賞。
いろいろな突っ込みどころはさておき、この時代と場所を設定した映画があることだけでもうれしい。

僕が「すばらしい世界旅行」でイグアスーの滝の取材に取り組んだのは、1985年。
現地に10日近く滞在したかと。
まだイグアスーの滝が日本ではほとんど知られていない頃だ。
カメラマンは、アマゾン先住民の長期取材に何度も取り組んでいたベテランだった。
思い出したくないことが、いくつもある。
このカメラマンに、現地でこの壮大な滝がアマゾンとは違う川であること(「水系」といって通じる気配がなかったので)がすごい、と話したことがある。
すると彼は、これがアマゾンでないはずがない!と不機嫌になった。
僕がおずおずと差し出す南米の地図などは見ようともせず、ますます問答無用で若造ディレクターはいじめられることになった。

教養や矜持とは無縁のカメラマンは少なくなかった。
亡くなられた大津幸四郎さんと、好対照だ。
僕の最新作『五月の狂詩曲』は僕からの大津さんへのオマージュでもある。

さて、『ミッション』観賞後にネットでこの作品について調べてみる。
DVD版の特典映像にローランド・ジョフィ監督のインタビューがあり、そのなかで 原題の実際のグアラニー族がどうしようもなく、やむを得ず苦し紛れにコロンビアのアマゾン地域の先住民を使った、と語っているようだ。
僕の買ってきたDVDにはこの特典がない。
そもそも文字クレジットがにじんだ画像だったので、VHSをそのままDVDにしたものかも。
新たにミッションが増えるではないか。

以下、西暦2016年1月1日の日記に続きます。
http://100nen.com.br/ja/okajun/000243/20160104011536.cfm


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