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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2016年の日記  (最終更新日 : 2016/12/01)
4月の日記 総集編 ひかりの奥へ

4月の日記 総集編 ひかりの奥へ (2016/04/02) 4月1日(金)の記 聖市アート納め
ブラジルにて


各方面へのメール送りの合間に、思い切って外回りへ。
カネまわりのことを済ませてから、気になるアート展のハシゴ。

次回訪日から帰ってきたら、終わってしまうものを。
まずはカイシャ銀行文化センターのアボリジンアート展。

みておきたかったのだが、みておいてよかった。
オーストラリアのアボリジンの伝統的な工芸と、世界的に活躍する現代作家の作品までを紹介。
ブラジルの先史岩絵をほうふつさせるのもあって、ますます面白い。

アボリジンの現代アーチストの作画風景の映像も面白かった。
点描が多いが、こんなふうにするのか。
寝っころがって作画しているおじさんも面白し。

ひと駅先のバスターミナルまで歩いて、連結バスでジャルジンス地区へ。
こちらの新聞の文化欄で紹介されていた、日本でも学んだというブラジル人女性アーチストの、ギャラリーでの個展。
撮影チームが入り、すでに次回の展示の準備も始まっているみたいで、工事現場でじゃまにならないように「みさせていただいている」感。

さほど特筆するものがなく、妙に安心。

パウリスタ大通りでは、見るからに参加者のモチベーションの弱そうなデモ行進。
先頭の横断幕持ちは、いずれもタバコを加えている。
こうした参加者の「日当」に、公金が使われているときく。

先日の現政権への抗議マニフェストでは、ふつうの市民たちが、とにかくいたたまれなくなって集ってきた感があふれていた。

僕には、祖国の方がはるかに心配だけど。


4月2日(土)の記 GUIOZAマスター
ブラジルにて


本日土曜の日中の予定がキャンセルになったので…
昨晩は『禁じられた遊び』、今日未明は『第三の男』と、日本の廉価版DVDを鑑賞。
いずれも、ウン10年ぶり。
『第三の男』のサスペンス、そして光と影の映像作りは息を呑む。
しかし2本とも、いくら廉価版とはいえ、字幕のズレがそのままな箇所があるの。
著作権フリーでカネ儲けさせてもらっている名作に失礼というものだろう。
このシリーズに名前を出している故人となった著名な映画評論家は、恥ずかしくなかったのかな。

夜はふたたびギョウザをつくろう。
ブラジルでの表記はGUIOZA。
サンパウロでは、こちらのチャイニーズのつくったものが買える。
が、いずれ自分で挑戦せねばと思っていた。

さすがに皮までこさえる気力はなく、わがサンパウロでは皮だけ買うことのできるのだ。
一昨日作成、はじめてでこの境地までいけるとは、自分でも驚いた。

具が残っていたので、さらに野菜類を足す。
先回はすべて焼き餃子にしたので、今晩は蒸しギョウザからいってみる。
蒸し器にへばりつかないよう、キャベツやレタスを敷いたのだが、これで蟲具合にムラができてしまった。

次回は油を薄く塗ってみるか。

今回、ネットで調べていて、日本式焼きギョウザの、あの「バリ」の部分を「ギョウザの羽」ということを初めて知った。
それにしても祖国では、ギョウザまで中国でつくらせたものを輸入しているというのだから、なんだかあきれてしまう。


4月3日(日)の記 松井太郎さんAGORA
ブラジルにて


フマニタス遠征、そして訪日を直前にして思い切る。
孤高の移民小説家、松井太郎さんを訪問しよう。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000182/index2.cfm

かつて松井さんのところに連れて行った在サンパウロの日本人の友人が、その時に撮った松井さんの写真を発表する許可をいただきたい、と律儀なことを言い出し、ふたたび連れて行くことにした。

松井さんの息子さんとは昨年末に電話で話していたのだが、なにせ今年は数えで100歳になられるご高齢だ。
すでに電話で話すのは難しく、手紙も途絶えて久しい。

一昨日、電話をして訪問の許可をご家族にいただくが、不安は尽きない。
日曜日のため、運転は楽であるが…

お会いするのは初めての息子さんが迎えてくれる。
居間で、待つことしばし。

2階から、ゆっくりと壁を伝いながらだが、松井さんがご自身でおりてくるではないか!
僕のことを、覚えてくれていた。

こういう時は、僕の大声がものを言う。
耳はさらに遠くなられ、発語はより聞き取りにくくなっているが、僕はこんな作品もまとめている松井語録のいわばエキスパート。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20150527010990.cfm

松井さんの打ち明けてくれる悩みに、後進として僕なりの励ましをさせていただく。
松井さんとのご縁に感謝。

「オカムラクンに撮影されると早死にするよ」。
そんなでたらめを得意になって吹聴していたブラジル日系社会を代表する知性とやらを、殴り倒してやりたい。


4月4日(月)の記 四月の断食おさめ
ブラジルにて


昨日は、うれしさ余ってちと飲み過ぎと体が警告。
今日は、思い切って一日断食。

ネット系の作業に、ひと区切りつける。
京都市在住の北田穣さん宛てのメールがNGとなった。
拙著を読んで関心を持ってくださり、舞鶴まで拙作をご覧になるためにいらしてくれた方。
もしこのウエブサイトをご覧いただいていたら、ご一報いただければ幸甚です。
5月7日、8日と京都市内での上映が実現する見込みですので。

明後日からフマニタスへ車で遠征、サンパウロに戻ってすぐに訪日なので、落ち着かない。
日本で上映予定の作品のDVD焼きを少しでも進めておく。

訪日土産の買い出しも開始。


4月5日(火)の記 旅が続くよ
ブラジルにて


明朝から、フマニタスまで車で遠征。
そして今日から1週間後にはブラジル出家だ。

DVD焼き、各地へのメール連絡の合間にあちこちに土産物の買い物。

佐々木神父がどうされているか、リニューアル落成式のあるササキ農学校がどうなっているか、細かいことは行ってみないとわからない。

日本のあちこちと訪日後の上映イベントの詳細を詰める必要もある。
現地のオンライン事情は厳しいが、さて。
とりあえず懸念していたふたつほどは、今日のうちにいいセンまで進めることができた

長時間運転に備えて、早く身心を休めたいが、なかなか。


4月6日(水)の記 ひかりの奥へ
ブラジルにて


ずるずると出発が遅れる。
6時過ぎには出たかったが、エンジンをかけたのは7時前。
すでにサンパウロ市内の車の渋滞は相当なもの。
朝の一刻は、値千金か。

片道550キロ、ひたすらパラナ州奥地のフマニタスを目指す。
出がけに、大原治雄さん関係の情報がネットで入ってきた。

大原さんは、ずばりフマニタスの佐々木神父の活躍される北パラナで写真を撮り続けた人だった。

僕がはじめて大原さんの写真に触れたのは、サンパウロのモレイラ・サーレス財団のカルチャーセンター。
モノクロームに鮮やかに刻まれたブラジル日系人たちの世界の存在に、眼がくらんだ。

そして、奇しくも福島がらみだ。
福島原発事故より以前の、福島での拙作上映会に来てくれた人より連絡をいただいた。
その人の友人がアートのプロジェクトでブラジルに渡り、大原さんの写真を知った。
なんとか祖国日本でもその業績を伝えたいと奔走したが、かんばしくない。
そのことへの協力を願うお手紙をいただいた。

同じ思いを持って努力される人の存在はうれしかったが、無名無冠、微力の僕に何ができるかどうか。

大原さんの写真は祖国でもブラジル日系社会でも知られていない、と言ってよかった。
が、ブラジルを代表する写真アーカイヴを誇るモレイラ・サーレス財団がそのネガを保管・整理をすることになった。
大原さんの作品は、日本を通り越して人類の遺産となったと言っていい。

そして、昨年。
日本ブラジル修好120周年の記念番組を担当することになったNHKの若いディレクターから、協力を請われた。

僕は公表している通り、NHKからは表現者として許されない破廉恥な仕打ちを被っている。
しかしそれを告発できたのもNHK内部のシンパの情報提供のおかげであり、僕自身、NHKで番組を発表している。
日本国内でのNHK効果というものは実感しているつもりだ。

東京で会うことになったNHKのディレクターは、写真に強い関心を持っていて、大原さんの話に飛びついた。
その結実が、あの2本のNHKの番組だ。

そして大原さんの出身地、高知の県立美術館での写真展の実施が決まった。
さらにその目録を、畏友・淺野卓夫さんのサウダージ・ブックスが担当するという展開に。

こんないきさつを知る気もないだろう地元の植物関係者から、僕に非常識失礼極まりない要望が入るという下品な笑い話も。

思えば、これまでどれほどポストカードになった大原さんの写真を買って日本などに送り続けてきたことだろう。

さらに今日思うに、僕が見てきた大原さんのブラジルでの写真には、非日系人が写っていただろうか。

僕は大原さんの写真に打たれたメディアの末席に連なるものとして、するべきことをした。

さあ、僕は自分の仕事へまた向かおう。


4月7日(木)の記 パラナの応用問題
ブラジルにて


昨晩は佐々木神父に熱い話を聞かせていただいた。
就寝して、あっという間に朝になってしまった。

なんだか疲れが出ている感じ。
明日の撮影、明後日の長時間運転を考えると、今日の午前中ぐらい安静にさせてもらおうか、という誘惑。

朝のカフェ後、小休止をして、思い切ってひとり出陣。
明日、新校舎の落成式の行なわれるササキ農学校へ。
キライではない神父さんが、ご一緒しましょうかと言ってくれる。
が、神父さんはどうぞ明日の挨拶の準備に専念されてください、とお願いする。
フマニタスのあるサンジェロニモダセーラの隣町、サポペマにあり、40キロほどの距離がある。

その間はSERRA DAS NUVENS:雲海山地と呼ばれる難所かつ景勝地だ。

新農学校の人事斬新について神父さんに昨晩聞いていたのだが、現場で聞くと、まるで違っているではないか。
いったい…

アグロエコロジー担当の教員から竹のプロジェクトや、コーヒーの森林栽培プロジェクトについて聞かせてもらい、これはそれぞれ面白い。
森のなかで栽培されているコーヒーの樹の、なんと生き生きとしていること。

とりあえず、明日の落成式での佐々木神父の挨拶に期待するか。
まあそれにしても、どんでん返しが続いたこと。

なにか、新しい作品を紡ぐきっかけぐらいはあるだろうか。
押すか退くか、引っ越すか。


4月8日(金)の記 新ササキ農学校の午後
ブラジルにて


今回の旅の主目的は、フマニタスの隣り町にあるササキ農学校の今日、行なわれることになった落成式に参加して撮影することだ。
拙作に登場する農学校は、2013年のはじめに火事で全焼してしまった。

つらつら考えているが、この農学校について、さらなる取材をするかどうか迷っている。
拙作時との大きな違いは、かつては日本の中学レベルだったのが、高校レベルになったことだ。

そしてかつては零細農家の子供たちばかりだったが、昨今は一週間ごとに休みのある(本当は実家の農業を手伝うためなのだが)ラクな学校、として非農業系の学生が増えているという。

そもそも佐々木神父のおっしゃることと現状のズレは昨日、思い知らされた。

今日も15時式典開始ということで佐々木神父やフマニタスのスタッフらと駆けつけたが…
大音響のムジカ・セルタネージャの録音がうるさいばかりで、来客を炎天下の野外設営テントに待たせたまま、30分経ってもなんのアナウンスもなし。

短気な佐々木神父がキレかけてきて農学校のスタッフにどうなっているのか質すので、彼らは隠れてしまう始末。

ようやく式典が始まると、司会者は収容不可能なぐらい政治関係者を檀上にあげた。
そしてそれらの挨拶ときたら…

肝心な農学校の生徒たちは、自分たちの出し物が終わると、三々五々、新校舎や木陰に消えてしまい、お祝いに駆け付けた来賓たちが灼熱のテントの下で、いつ終わるともしれない挨拶大会にお付き合い。

もてなしも、教育も欠如している。
ササキの名前に、僕はとても恥ずかしい。

今日、撮影した映像は、はっきり言って「使えない」部類。
しかし、2箇所ほど、シュートした手応えがあって。
うちひとつは、神がおりたかと思うほど。

さあ、どうしよう。


4月9日(土)の記 パウロ・フレイレ農場ふたたび
ブラジルにて


午前中に佐々木神父に暇乞い、フマニタスを発つ。
帰路も、パウロ・フレイレ入植地に寄ることにする。

行きにも立ち寄っているが、この入植地で奮闘するわが友ミゲールに会うことができなかった。
ミゲールは拙作『農地をわが手に ブラジル・土地なし農民たちの戦い」で故・石丸春治さんとともに主役を張っている。

いやはや、多少の無理をしても友を訪ねるべきだ。
サンパウロから担いできた、捨てるべきか、どこかの施設に持っていくかと悩んでいたようなものを彼の留守中に置いていったのだが、何度もお礼を言われてしまう。

余韻に浸りながら、ひたすら運転。

サンパウロで家族の参加しているお祝いごとに、運転手としてまさしく駆けつける。
僕が新たに垣間見てきた奥地との段差に、めまいがしそうだ。


4月10日(日)の記 太陽の目撃者
ブラジルにて


家族を連れてサンパウロのわが家にたどり着いたのは、日付が今日になってから。
走行1200キロを超えた。

朝になっても運転疲れ、虫刺されのかゆみがひかない。
日本相手の急ぎのやりとりを一段落つけてから、路上市へ。
刺身用にサワラを買う。
日本で刺身用の魚を買うことは、まずないな。

身心ともに、すぐにこちらでの作業に切り替えられない。
DVDで『太陽がいっぱい』を観よう。
この映画のポルトガル語題がすごい。
ざっくり訳すと、『太陽の証言者』。

25歳のアラン・ドロンの色気がすごい。
当時18歳だった主演女優マリー・ラフォレをしのぐのでは。

ずばりドキュメンタリータッチのカメラワーク、編集も斬新。
魚市場でのエイの顔のアップ2カット、床に放置された魚の頭など。

そして、軍艦島のような、あの島。
映画のなかでは「モンジベロ」とされているが、イスキア島という島でロケされたようだ。

監督のルネ・クレマンは僕の映画青少年時代のお気に入り。
当時は『狼は天使の匂い』『危険なめぐり逢い』など。
『狼は天使の匂い』、この邦題もすごすぎ。
英題は『AND HOPE TO DIE』と記憶する。
あの頃は、いろいろ覚えたもんだ。


4月11日(月)の記 伯国ドキュメンタリーおさめ
ブラジルにて


ブラジル出家、明日に迫る。
この期におよんで…

先週、サンパウロを出た翌日7日からブラジル国際ドキュメンタリー映画祭が始まっている。
昨日は旅の疲れで、当日のプログラムを確認する気力も起きなかった。

今日は、ちょっと無理をしてでも…

午前中に土産の買い出しに出て、13時と15時の回を見て、帰りにまた買出しをするか。

13時からはブラジルのドキュメンタリー映画。
軍政時代に官憲を殺害して死刑を宣告されて、投獄中に拷問を受けるも脱走した政治犯が、息子とかつての関連場所を訪ねる、というもの。
僕には正直のところ、なんだかよくわからなかった。

次いで、チリとヨーロッパ各国の合作映画。
故アジェンデ大統領の孫娘が、祖母であるアジェンデ未亡人やその娘たちから、軍事クーデターに伴う悲劇のいたみを聞き出していく。
他にオプションがないので見たのだが、これは映画的にも、ドキュメンタリーのあり方を考えるうえでもよかった。
アジェンダ夫人のたくましさがすごい。

映画祭のカタログを求めて繰ってみる。
うーん、みたかったのが、何本か。
ま、こっちは自分の作品づくりの避けがたい旅だったから仕方がないというもの。

取込み極まりないが、帰宅後、海老カレーを作成。
好評なり。
自分も食べたかった。


4月12日(火)の記 閑古バスでいこう
ブラジル→


ブラジル出家当日。
パソコン作業、作業場整理、訪日土産買い足し、荷造り。

サンパウロ出家は、夕方のラッシュ時に入る。
タクシーで近くの国内線の空港まで。
それからシャトルバスで国際線の空港に、といういつものルート。

うーむ、18時のバスを逃してしまった。
次は、18時30分。
シャトルバスのチケットカウンターに、ひと気がない。
「すぐ戻ります」の表示が。
こんなのは、はじめてではないか。

あまり流暢にしていると、飛行機に乗り遅れるぞ。
待つこと5分ぐらいで、おねーさんが戻ってくる。
「ようやく」とイヤミを言うが、スルーされる。

そもそも運賃45・5レアイス、また値上げをしている。
邦貨にして1400円ほどだったが、ちょっと前までは30レアイス台だった。
しかも、値上げのお詫びどころか「たったの」45・5レアイスと、にくにくしい形容が。
サカナデしてくれる。

5分前にバス乗り場へ。
とまっているバスは無人、無燈。
付近にひと気はない。
バス乗り場が変わってしまったかと疑う。

ようやく運転手が。
乗客数は、しめて…
僕ひとり。

貸切り状態。
観光バスならぬ、閑古鳥の閑古バスだ。

市内のラッシュにかかり、到着まで1時間半。
運転手に聞くと、客数はここのところこんなものとか。
ちょっと値上げが過ぎたんでねえの?

それにしてもサンパウロのグアルーリョス国際空港、国内線のコンゴニャス空港の両方とも、鉄道でのアクセスがいまだない、というのがすごい。

空港内は変な咳をしている人が多い。
サンパウロ州は豚インフルエンザ流行の気配、今年になって二ケタの死者が出ている。
健康体で祖国にたどり着きたい。


4月13日(水)の記 シカゴの覚悟
→アメリカ合衆国→


いやはや、サンパウロからのユナイテッド航空の機材は、ヴィンテージもの。
そもそも不具合が生じて離陸直前でストップ、2時間の遅れ。

機内エンターテインメントサービスの個別モニターの大きさは、ビデオカメラの液晶ファインダーぐらいのミニサイズ。
しかも、2世代ぐらい前の古いタイプ。
個別にスタートや停止のできない、「かけ流し」タイプ。

ぜんぶで50チャンネルほど、同じ映画で言語別にチャンネルがわかれているのだが、日本語チャンネルは皆無!
こういう便がANAとの共同運航便というのだから、サービスも何もあったものではない。

シカゴでANA便乗継ぎに4時間以上あるので、空港で朝飯でも、と考えていた。
ところが、それどころではなくなった。
乗継ぎアウトの場合の対策も考えねば。

機を降りたところで、ユナイテッドの女性スタッフが緊急乗換え用の赤いカードを配っている。
しかし、これもこっちがそれに気づいて請求しなければアウトだ。

アメリカ入国、および再出国時の荷物検査で優先ラインにつけるのだが、まあこっちをじらすように、まったり。
ブラジルの日本企業に研修に来ていて一時帰国という若い邦人と、ともに困難を走り抜ける。

間に合った…
ANAの機内に入れば、もう別世界。
個別モニターは面積比にしてユナイテッドの2倍はある。

おう、映画に『スポットライト』があるではないか。
アメリカのカトリック教会のスキャンダルを新聞記者たちが暴いていく作品、みたかった。
うー、新聞記者って、あこがれちゃう。

オスマン・トルコの暴虐にさらされるアルメニア人を主人公にしたという映画が、日本語字幕で見られるではないか。
『消えた声が、その名を呼ぶ』という、見終わってから吟味するとトンデモな邦題。
史上に名ものこらない一個人の、ドギモを抜くスケールの旅を描く映画だった。
アジアから新大陸に渡った先史人、『復活の日』のヨシズミの徒歩行を想い出す。

それにしてもユナイテッドもANAも控えめな食事、間食サービスもなくおなかがすく。
ユナイテッドに至っては、朝食はクロワッサン一個にヨーグルトという質素なダイエット型のサービスだった。

それにしても4月半ばのシカゴは、新緑どころか落葉樹はまだ芽生えにも遠い冬枯れぶりだったな。


4月14日(木)の記 新緑の祖国に
→日本


午後の成田に、ぶじ到着。

さあ今回は到着早々、せわしないぞ。
目黒の実家にたどり着いて荷物を置く。

着の身着のまま、学芸大学へ。
流浪堂さんで手配していただいた、明日から下高井戸シネマで配るチラシのカラーコピー約300枚を受け取る。
SUNNY BOY BOOKSさんで明日のイベントの打ち合わせ。

下高井戸シネマのドキュメンタリー特集のキュレーター、飯田光代さんに電話。
チラシを明日午後2時着に指定してコンビニから送るように、とのこと。
そのまま送るわけにもいかず、明日、無理してでも自分で届けるつもり。

近くのスーパーで、豆苗や納豆などを購入。
さっそく実家で自炊。
質素倹約。

21時前、ずん、と揺れる。
ラジオをつけてみるが、NHKでは巨人戦ではない野球中継が中断されることもない。

しばらくしてふたたびオンにすると、緊急地震速報。
九州で震度7というではないか!

先ほどの揺れは東京直下が震源、目黒は震度2と知る。
ラジオは以降、終夜、九州の地震情報を流し続ける。


4月15日(金)の記 走る移民
日本にて


NHKラジオは、地震情報専門となった。

さあ、今日はせわしないぞ。
午前中の課題は、写真紙芝居用に新たに35種の写真をコンビニで紙焼きすること。
コピー機の調子が望ましくない時もあるし、そもそも相当の時間がかかり、他にコピー機利用希望者がいた時のやりとりが、なかなか。

深夜にやればということになるが、深夜だと、大量になる素材を置くイートインスペースが使用できないのだ。

今日はコピー作業を中断して、工事現場から来たらしいアニキに2度譲る。
2度目は延々とファックスを送られて、往生。
A4光沢紙に刷り上がってくる写真を見る瞬間は、ある種の快楽。
時には、落胆もあるけど。

実家に戻って、これまでの素材と構成。
さあ、一気にふたたび外回り。

まずは下高井戸シネマで「優ドキュ」の飯田光代さんとあわただしく再会。
今晩、明日と配ってもらう学芸大学ライブ上映講座のチラシの納品。

そのまま学芸大学駅へ。
平均律にて、写真紙芝居の素材をもう一度、推敲。
お店のえりささんは、人気テレビ番組に取り上げられてたいへんなことになったようで、過労が全身に出ている。
そのおかげでお店が禁煙になったのはうれしい。

さあSUNNY BOY BOOKSさんでサニー版写真紙芝居。
濃ゆい面々に集っていただけた。

なにせ19時開始の下高井戸シネマドキュメンタリー特集前夜祭に間に合わなければならないので、せわしない。
鋭い質問も出てくるが、時計を気にしながら応じる。

皆さんへの挨拶もそこそこに、学芸大学駅まで走る。
ああ間に合った…
人身事故のひとつもあれば、アウト。

シモタカの前夜祭、僕とは因縁の原村政樹さんの『無音の叫び声』。
この因縁については拙著『忘れられない日本人移民』に書いてあり。

補助椅子もいっぱいの超満員の会場。
上映中は、横から後ろから、3D効果でイビキが聞こえてきて往生。

あ、今日は2度も往生したな。
往生要集。
O嬢の物語。


4月16日(土)の記 その後の橋本先生と私
日本にて


ただいま時差ぼけ真っ最中で、深夜は眠れない。
NHKラジオは、九州の地震放送に特化。
次々の地震情報。
まさしくネムケは吹っ飛ぶ。
かつての米軍の空襲警報がオーバーラップする。

今朝は、訪日最初のヤマ場。
下高井戸シネマでの『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』上映。
お客さんの入場前、映画館で上映チェックをしてもらう。

西暦2005年に完成させた、いわば旧作である。
来客はオカムラ系ではない、このドキュメンタリー特集、および映画館についているお客さんが大半。
入り口でご挨拶しても、無視無反応の人の方が多い。

かつてここのお客さんに、僕の居住国までバカにする誹謗中傷を受けたことがあり、慎重を心がける。
九州の地震のこともあり、トーク内容はかなりの自粛。

そもそもこの作品がチョイスされたのは、あまり公にできない経緯があった。
しかし、さすがはジプシーチャンチャンコの飯田光代キュレーター。
予想していなかったマジックが展開。

おかむら常連系が少なく、また僕なりの謹慎の意もこめて、今日は懇親会を設定せず。
これだけでも、だいぶ楽だ。
後ろ髪を引かれるけど、ストイックに。

いったん祐天寺の実家に戻る。
夜はシモタカで、あの『テレビに挑戦した男 牛山純一』監督の畠山容平さんの『未来をなぞる 写真家畠山直哉』を鑑賞。
あー、これはよかった。
畠山さん、おめでとう!

なんだ、両畠山は親戚関係ではなかったのか。
それなら、さらに感心だ。
写真家を描いたドキュメンタリーとして洋モノの『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』などが日本で公開されたが、われらが『未来をなぞる』は勝るとも劣らないぞ。


4月17日(日)の記 隠された十字架
日本にて


さあ金曜まで自分の上映会はない。
それまで、しばし映画消費者としてその日暮らしをしていくことになる。

下高井戸シネマのモーニングショーへ。
『さとにきたらええやん』。
入場が危ぶまれるほどの人の入り。
補助席に座ることができた。

大阪・釜ヶ崎にある「こどもの里」という施設の話。
主に笑い狙いの予告編にはげんなりしたが…

これは、なかなかのドキュメンタリーではないか。
類似の日本のマージナルな子供たちの施設のドキュメンタリーに気持ち悪い思いをしたことがあるが、これは別物だ。
こういうのは、つくづく作り手・撮り手と被写体の関係がにじみ出てしまう。

6月の劇場公開を前に、今日がはじめての公開だという。
そこそこ以上にマスコミも好意的に取り上げて、興行成績もばっちりだろう。
映画館は一般観客の笑いと涙、そして感動にたっぷり包まれるだろう。

ここで、ふと考える。
この施設は経済的にどのように成り立ち、まさしく大黒柱である館長のデメキンという女性の精神と施設のバックグラウンドは、なんなのだろう?
映画はそれを語らず、それを削ぎ落している感もある。

が、作品に写り込んでいるものがある。
施設の入り口付近に「四旬節」と書かれたポスターが何度か看取できた。
一般の日本人にはなじみがない言葉だろう。
キリスト教の行事である。

作品の大きなウエイトを占める少女のいる部屋の壁に、十字架が写り込んでいるのが1カットあった。

このあたりから、見えてくる。
ネットで調べると、デメキンこと荘保共子さんはカトリック教会のボランティアとして釜ヶ崎にやってきて、「こどもの里」はカトリック団体の学童保育が前身だったことがわかる。

荘保さんと「こどもの里」の根底にはキリスト教でいう「愛」が貫かれていることがわかると、よく納得できる。
クリスチャンとは、イエス・キリストに従い、イエスにならう人をいう。
荘保さんは、自らの信仰を貫いて、イエスの歩みを、言葉を実践しようとしているのに違いない。

この映画は、そのことを削ぎ落しているようだ。
隠れキリシタンの世界だ。

かたや、2月に書いたように、山田洋次監督の『母と暮らせば』はカトリックをウリにしている。
しかしそれは結婚式はキリスト教式で、長崎の観光はエキゾチックな教会を、という皮相的なミーハー受けを狙っているにすぎないと思う。
長崎のカトリック家庭を舞台とした生死の話でありながら、映画ではイエスにもマリアにも天のお父さまにも言及されることはない。

信仰を貫き、時の権力者たちに虐殺された殉教者たちに、少しは想いを向けたいものだ。

人のふり見て、わがふり直せ。

いったん実家に戻ろうと、渋谷駅へ。
東横線は強風のため、運転を見合わせ中。
車内で待機すること、2時間を超える。
その間、一度も英語のアナウンスはない。
事態のわかっていなさそうなガイジンさんたちに、つたない英語で説明。

なんだか、どっと疲れが出る。
明日のこともあるので、人と会う件、および夜のシモタカ観賞は思い切って辞退させてもらおう。


4月18日(月)の記 ドック・ホリディ
日本にて


今日は実家から徒歩圏にある病院で、人間ドック。

いちフリーランスの移民にとっては、なかなかの出費である。
数年前にブラジルでの料金を調べると、ブラジルから日本への渡航費一回分に近い驚きの金額だった覚えがある。
今回のは、ドル立てでだいぶ格安になっている渡航費の半額ぐらいである。
クルマの車検と同じ思いで、ウン年に一度ぐらいはしょうがないか。

こっちは伝統的な庶民感覚として、医者には何か怒られたりたしなめられたりするのではないかという恐れがある。
そして不摂生による重大病巣の発見の危惧…
さらに、受診にあたってのいくつもの掟。

前日夜8時以降は絶食すること。
こんなのは、慣れっこ。
それ以降は水分を控え、特に当日は水も飲まないこと。
ごく少量ならいい、とあるが。
検便は、2日分を用意すべし。
これだけでも相当なプレッシャーだ。
そもそも12時間の時差ボケで、体調ははちゃめちゃだし。

して、まあ案ずるより産むがやすし。
人間扱い、どころかお客さんとして丁寧に扱っていただいた。

他の受信者が中国人ばっかりだったり、検査機器のリニューアルなど、みどころたくさん。
そもそもめったに病院に行かないので、病を身近とするよい機会だ。
複数の若い女性に体に触れていただくのも、めったにあることではない。

帰りに、ちょっと病院内散策。
申し訳程度に絵画あり。
悪くはないカフェスペースもある。
食堂は旧態然としていて、そもそも値段が高いな。

夜は下高井戸シネマのドキュメンタリー観賞に挑む。
胃カメラの麻酔の余韻か、うつらうつらしちゃって、もったいない。


4月19日(火)の記 シネフィルのぼやきと博物マニアのよろこび
日本にて


時差ぼけを引きずったまま、地震情報も気になって。
日本の深夜時間にラジオをつけて起きているので、日中が眠くなる。

日中にあれもこれもしようと思いながら、各方面とメールやらフェイスブックやツイッターのメッセージでやり取りするのに手間取り、どんどん「野望」を断念していく。

それでも下高井戸シネマでエミール・クリストリッツァの『ジプシーのとき』とナイトショーのドキュメンタリーを見た。
見た、といっても両方ともうつらうつらしてしまい、電車賃と入館料払ってイビキの心配をして。
かえって徒労感がたまり、われながらばかではなかろうか。

この2本の合間に下北沢のダーウィンルームへ。
館野鴻さんの『つちはんみょう』原画展。
館野さんは熊田千佳墓さんに師事した画家だ。
3年前に『ぎふちょう』の原画展を拝見、うれしかった。

今度のは、さらにすごい。
アートとして、ナチュラリストの仕事として、とんでもないレベルだ。

今回、ブラジルを発つ前に、サンパウロで展示されている19世紀のヨーロッパ人の画家、博物学者らがブラジルの博物を描いた絵画に接していた。
これらに浸りきった前世があった気がするほど、心惹かれるのだ。

写真、映画、ビデオにデジが隆盛して、これらの系譜は絶たれたと思い、閉塞感を感じていた。

しかし館野さんが、息を呑む風穴を開けてくれた。
博物好きでよかった!

館野さんと直接お話ができて、これまたいたく盛り上がる。
恐竜、妖怪、怪獣等々の図鑑を読み耽っていた前世のような幼少の記憶がよみがえるではないか。


4月20日(水)の記 シモタカのワシ
日本にて


下高井戸シネマ、ドキュメンタリー映画祭のモーニングショーに。
ブラジルで知り合い、拙作に登場する人が映画に写っていてびっくり。
会場に来ていた監督は、頼まれごとをされる仲なので、そのことを話題にするが、興味を示されず。
帰宅後、フェイスブックで本人に確認。

今年は見合わせたが、シモタカでは懇親会会場探しという課題が刷り込まれてしまった。
劇場にカードのあったカフェ、エスニックレストランをロケハン。
フンパツして後者でランチ。

その帰路、強烈な店を見つけてしまった。
黒澤明『天国と地獄』の、あの黄金町の店のような――
さあ、この店を目指してがんばろう。

学芸大学駅へ。
まずは来たる土曜から始まる学大ライブ上映講座の、スミカヤさんにつくっていただいたフライヤの追加カラーコピーどりに。
カラーコピーが実にむずかしい作品であることがわかった。
流浪堂さんに出頭。

いったん実家に戻ってから、また外回り、映画鑑賞のつもりだった。
が、どっと疲れが出て横になる。

金曜の講演の準備もあるし。
映画館に交通費使って大枚はたいて仮眠しにいくこともないか。
その前に会う約束していた人には、後日にさせていただく連絡をする。


4月21日(木)の記 銀幕と黒湯
日本にて


男の特権だ。
木曜日は、横浜シネマジャック&ベティのメンズデイ。
1本1000円で見れる。
2本、みよう。
階下の横浜パラダイス会館での来週の上映の打ち合わせもできるし。

午前中は目黒でブラジルコネクションの知人と打ち合わせ。
品川より京急で。
車内広告で弘明寺駅近くに「みうら湯」というのがリニューアルしたと知る。
映画2本の間に思い切って行ってみた。

弘明寺は因縁の駅だ。
学生時代、横浜での遺跡発掘調査の宿舎の旅館があったのだ。
そのあたりは建売風の住宅地になっていて、面影もない。

みうら湯は京浜急行の高架下だった。
大人600yen也。
東京の大田区あたりと同じ黒湯だ。
露天スペースがそこそこ広く、天然温泉の銭湯よりはるかに快適。
今回の訪日中はあまり温泉とは縁がないと見ていただけに、これは福音だ。

弘明寺駅前に、串カツ屋があった。
発掘調査団のお気に入りスポットだった。
串カツをつけるソース壺があって。
このソースを一気飲みするというのが調査団の先輩たちにウケた。

店のおばちゃんには呆れられながらも禁止されることはなかった。
総量はどれほど摂取したことだろう。
高血圧の遠因は、このあたりか。

1本目のドキュメンタリーはしかとみたが、2本目は温泉効果もあってかうつらうつら。

ジャック&ベティでの映画鑑賞の合い間、ついでに「みうら湯」というのは、よろしいぞ。
黒湯のぬるぬるで床が滑りやすいのに、注意。
僕の入湯中も激しく転倒した人がいた。


4月22日(金)の記 峠を越えて、新田裏へ
日本にて


さあ今回訪日のヤマ場。
観光情報協会の「観光立国セミナー」での上映と講演だ。
これまでの講師たちも、協会のメンバーも、錚々たるお歴々ばかり。
協会の機関誌「JAPAN NOW」の記事も、幅広い専門性に富んでいる。
これは、うかつな話はできない。

慎重に、準備をしていた。
高校生相手、以来か。

参加者は、すでに還暦をだいぶ過ぎただろう方々が大半。
して、実にノリがいではないか。
準備していた構成を置いて、ウケに合わせてぶっつけ本番トークとす。
大成功、とみた。

茶話会では、さらに突っ込んだお話。

頼まれもののお届け、そして上映の打ち合わせのため、新宿ゴールデン街の佐々木美智子さんのお店「ひしょう」を訪ねる。
佐々木さんの新しいお店は、先日のゴールデン街の火事を免れていた。

17時前、まだ鍵がかかっている。
近くを散策。
日本映像記録センター本社のあった新宿6丁目:新田裏を訪ねてみる。

日本テレビゴルフセンターがなくなってしまい、その隣にあった映像記録ビルの場所の同定もむずかしい。
近くにあった三朝庵、小松庵などの蕎麦屋は跡形もない。
牛山さんの霊が戻ってきても、迷うかも。

表に出て、明治通り沿いの「すき屋」で時間と小腹の調整。
「えび塩キャベツ牛丼」500yen也を食べてみたかった。
給仕の女性は東南アジア系か、名札の名前はカタカナ。

ベトナム人か、タイ人か。
会計の時にその名前で呼んで、ベトナム人ですかと聞いてみる。
彼女は自分の名前を呼ばれたことをびっくりしながら胸の名札を見て、にっこりして「はい」と答えてくれた。
「ありがとう」と御礼を言って店を出て。

涙がこみ上げてくる。
「ベトナム海兵大隊戦記」を代表作とする牛山純一の城は、跡方もなくなった。
その前に建った牛丼屋で、いまやベトナム人の若き女性が働いている。
牛山イズムに殉じてブラジルでひとりドキュメンタリーづくりを続ける、それがし。

わが身が、黒澤の『生きる』ラストシーンの日守新一扮する木村:糸こんにゃくのシルエットに重なった。


4月23日(土)の記 タカバンのワシ
日本にて


祐天寺裏の実家にて、昨日の疲れを癒しつつ、諸々のパソコン作業。
さあ通常モードのライブ上映巡礼の始まりだ。

昨年以来、6期目を迎える学芸大学ライブ上映の初日。
ブランクを経ての上映再開。
機材設定はすべて自分で行なうだけに、いつも緊張。

それにしても、今日は常に増して面白い面々が集ってくれた。
収容人員ぎりぎりで収まる。

平面プロレス系で来てくれた人が、カマキン問題でいたく感応されたり、このあたりがまことに面白い。

毎回、思案のしどころが懇親会場だ。
オカジュン上映指定懇親会場となった浅野屋さんは、土日が休みになってしまった。
初回いらい、執拗にチェーン店をはずして地場の店にこだわってきた。
これにこだわると、手間暇がかかりリスクもある。
なによりも懇親会の意義が損なわれることもあることを自覚。

そもそも土曜の夜、いきなり10人以上おさまり、値段もリーズナブルな飲み屋など、そうあるものではない。
駅前のチェーン店とする。

畳部屋の個室にありつけたが、けっこうぎゅーぎゅー。
反省点としては、僕が室内を動けまわれなかったこと。


4月24日(日)の記 いばらき オキーフの発見
日本にて


さあ思い切って早出をしよう。
17時から水戸のにのまえさんでの上映。

その前に、さらに北方の日立にあるカフェ「オキーフ」に行ってみよう。
首都圏から特に身寄りもない茨城県日立市に移り住み、海を臨む古い料亭の建物を借りて、こだわりの手づくりスイーツとカフェ、書籍を提供。
そもそも店の名前が女性画家ジョージア・オキーフにちなんで、とは期待が嫌でも高まってしまう。

若い店主の井上さんとは、学芸大学のSUNNY BOY BOOKSさんで知り合った。
先回の水戸訪問時に訪ねるつもりが、井上さんの東京出張と重なってしまった。
もしこの時、オキーフ詣でをしていたら、『国防プロレス大作戦』の撮影はなかったわけだ。

流浪堂さんの店頭でみつけた工藤美代子さんの『もしノンフィクション作家がお化けに出会ったら』を供に、鈍行列車を乗り継いで、日立へ。

駅から少し歩くようで、ガラケーしか持たない身として住所は控えてきたが…
迷って楽し、茨城の旅。

海岸に降りる崖の岩間にある湧水ほとばしる洞、いったいなんだろう。
防波堤に描かれた、プリミティブ、素朴な日立観光かるた。
その前に、デジカメで撮らではいられない、現役らしい近代古建築があったが、なんとオキーフはそこから入ったところだった。

おう、畳の大広間がほぼいっぱいではないか。
井上さんによると、平日は閑散とのことだが。
大ぶりのカップのこーほーと、甘味に興味のない僕でもおすすめできるスイーツ。
ただ、いるだけで心地のよい空間だ。
http://okeeffe-sweets.com/

サンパウロに戻ったら、さっそく市内の美術館で特別展示中のオキーフの作品を見にいこう。

にのまえさんでは、最新短編3本上映。
世界初公開となる『焼肉と観音』をメインに。
『鎌倉の近代美術館の灯を消さないで』『国防プロレス大作戦』、いずれも来場者との話し合いは尽きず。
『国防プロレス大作戦』は関係者抜きでの初上映だが、かなりの盛り上がりであった。
映像のありかを再確認。

さあ、明日は…!
ネットで見つけた駅前の格安ビジネスホテル泊。


4月25日(月)の記 赤土に打つ
日本にて


水戸のビジネスホテルにて。
パンなどの簡単な朝食ですが、とチェックインの時に言われていたが、どうしてどうして。
パンは3種類、さらに目玉焼き、スープ、杏仁豆腐のデザートもある。
そして山盛りのナポリタンスパゲティ!

そもそも水戸人はなかなかのスパゲティ好きの由。

サンパウロ→シカゴのユナイテッド航空の朝食は、クロワッサン一個とヨーグルトのみという粗食だったことに比べれば…

この宿の朝食込み3000yen台はありがたい限り。

眞家夫妻と、北茨城金砂郷へ。
赤土という集落で、にのまえさんのために蕎麦をつくってくれている篤農家を訪ねる。
80代の老夫婦は山に芝刈りに行っていた。
お宅では牛も飼っていて、牛の餌にするのだ。

想定外の成り行きで、眞家さんがこのお宅で蕎麦打ちをすることになった。
撮影できる準備をしていたので、撮っておくことに。

それにしても、どう撮っても画になる環境だ。
具はすべて自分のところの生産品のけんちん汁で、打ちたての蕎麦をいただく。

午後は、菜の花畑に案内していただく。

心地よい疲れ。


4月26日(火)の記 目黒川のうつろ舟
日本にて


午後イチで六本木にて打ち合わせ。
出がけにPCがフリーズ状態となり、場所の詳細を再確認できず。

六本木チャペルセンターの隣、ということだったな。
英語でミサを立てているところらしい。
六本木駅かいわいの地図にはここの記載がなく、道も迷路状で往生。
遅れてごめんなさい。

さあ夕方からの五反田上映まで、どうしよう。
中目黒で下車し、目黒川沿いに歩くことにする。

中目黒公園というのが気になり、寄ってみる。
そうか、元は防衛庁の研究所だったのか。
ビオトープなどを打ち出すナイスな公園だ。
2年前は、ここの蚊からもデング熱が発病したと報道されたが。

昨日、水戸の書店で買った『タックスヘブン』という文庫本が面白くて、ベンチに座って続きを読むことにする。
あ、蚊に刺された。
目のあったガイジンさんが、話しかけてくる。

日本語ほぼペラペラのアメリカ人の電気系エンジニア。
日本の原発推進とアベのクレイジーさについて意気投合、一時間以上話す。

さあいい時間になってしまった。
さらに目黒川を下り、今宵の上映会場を探す。

築60年ぐらいだという絶妙な民家。
原発は築60年までオッケー、というのの怖さを体感。

ミュージシャンである現住人がきれいにしてくれていて、気持ちがよい。
おかげさまで、一期一会のよい集いができた。
上映と質疑応答後、懇親会はそれそれが近くのコンビニで買ってくるというシステム。
これ、いいね。

時間は0時を過ぎた。
ここから、寝床まで歩いて帰るというのはさすがに僕だけだった。

父、兄、母を焼いた桐ケ谷火葬場の近くを右に曲がる。
あの時の目黒の四人家族は、僕だけになってしまった。

夜は固く門を閉ざした目黒不動の前を通って。
ここの縄文遺跡を掘ったこと、幼子をなくした縄文の母のことなどに想いを馳せて。

貴重な内省の川筋歩きだ。


4月27日(水)の記 渋谷巡礼
日本にて


午前中、『コロンブス』という雑誌で観光立国について連載している人の取材を受く。
先日の観光立国セミナーで知り合った方。
大新聞の経済記者をされていた方だが、ぎょっとするほどの嗅覚の鋭さをその日も、そして今日もお見せいただいた。

都心に出たついでに寄った展示は、水曜休館であった。
いったん実家に戻って仕切り直し。

夜はB級グルメのエキスパートのライター、鈴木さんと渋谷で待ち合わせ。
美人編集者に会わせてくれるという。
ビジンで釣る方も、釣られる方もいかがなものか。

指定いただいた大衆食堂「かいどう」でまず感激。
沖縄にでも旅行した気分だ。

恥ずかしながら東横線沿線に生まれ育ち、ブラジル移民に成り果てたとはいえ、この食堂も、次なる鈴木ライターいわく「聖地」の立ち飲み屋の存在も知らなかった。

BI人編集者合流、彼女の行きつけのブラジリアンバーに河岸を変えることに。
そのお店では7クラスのトンデモな出会いが炸裂。

いやはや、生きていると面白いことがあるものだ。

東急がはちゃめちゃにしてくれてから、渋谷は避けるようにしていたが、渋谷そのものの谷は渋く深いぞ。


4月28日(木)の記 うみねこと焼肉と観音
日本にて


日中、パソコン作業でけっこう時間が経ってしまう。
夕方の上映前にまた「みうら湯」でミソギとも目論んでいたが、断念。

主人公の伊藤修さんは今夕の『焼肉と観音』の公開を前に、物狂おしくなられている由。
僕の方はもう作品はできているし、水戸で一回、他人様にご覧いただいているので、まあ安心している。

前座の「写真紙芝居」の方が、まさしく一期一会のライブ芸なだけに気がかりだ。
ストックから今回、使おうと思うものをピックアップ、ジャンル分け。
お話の構成を立てつつ、組み上げていく。

主催者のアートキュレーター・蔭山ヅルさんのこころも来場者の方々の関心もとらえて、メインイベントの『焼肉と観音』の上映にからめていくというワザが要求される。

最後の練り込みは、どこかカフェででも。

祐天寺で気になっていたKISSA BOSSA UMINEKOさんへ。
(キッサ、ボッサと韻を踏んでいたと今、気づく。)
半地下で知らないとちょっと入りにくい感があるが、潜ってみる価値じゅうぶんにあり。
お店の雰囲気も若いマスターも落ち着いていて、快適。

カウンター席は喫煙OKらしいが、とりあえずテーブル席に煙臭はなく助かる。
『男と女』のフランス語のポスターが残像に。

あまり時間がなくなり、ざざっと。
クリヤファイルに入れた写真群と語り口をチェック。
数枚、はずす。

写真紙芝居と上映、そして質疑応答を成功裏に終えて。
へたりこみながら、伊藤さんの焼いてくれたお肉類をいただく。
おいしい。
ブラジリアンバー「アブラカダブラ」に行こうと待ってくれている人たちがいる。

おかげさまで、いい寄り合いだった。


4月29日(金)の記 観世音@パラダイス
日本にて


昨日に引き続いて、横浜パラダイス会館。
今日は堂々5時間16分の『アマゾンの読経』一挙上映。

横浜駅で崎陽軒のシウマイを夜食用に買おうかな、と思う。
が、節約をこころがけ、ささやかな応援として神奈川新聞を購入。
そもそも横浜のコンビニには神奈川新聞を置いていないけしからなさ。

長丁場の作品のため、少しでも快適な環境でご覧いただきたい。
そんな無理な希望を蔭山ヅル館主がかなえてくれた。

さて、どうしたことか映像がフリーズしがちになってしまった。
クリーニングをほどこしてもDVDの皿を変えても、NG。
急きょ僕の持参したポータブルデッキを「出し」として、事なきを得る。

上映後に、ご自身のことと重なって、涙で言葉の出ない女性がいた。
僕自身は、伊藤修さんのフェイスブックの言をパクらせていただければ、この作品をつくった男と、いまも対峙しなければならない。


4月30日(土)の記 「ふらめんこ y ちゃんちゃんこ」
日本にて


おー、土曜の夕方で「平均律」で席が取れてたか。
今回の学大上映のフライヤを作成してくれたスミカヤご夫妻と、上映準備前に喫茶。
ふたりともアルケ(歩け)オロジストで、中目黒-祐天寺-油面の目黒ゴールデントライアングル渓谷地帯を称賛していただいた。

さあ今晩のワールドプレミア上映は、また一つのヤマ場だ。
収容人員20名の会場に収まるか、過忙の主演者飯田光代さんにぶじお越しいただけるか、来場者にこの作品を受け入れていただけるか…

多種多様、ほどよい人の入りとなり、飯田さんの到着を待ってスタート。
僕のフィルモグラフィーのなかでも、極北に位置する奇作。
これは、これでいいと思って公開に踏み切った。

今日の作品は、つまらない人にはつまらないだろう。
他の方々への迷惑行為から上映会参加を見合わせていただいた方が「来るつもりじゃなかった」と言いながら来場、「つまらない」と質疑応答で発言して帰られた。
質疑応答の場ですかさず「面白かったですよ」と斬り返してくれる人がいるのが、ありがたい。

クサヤについて突っ込んだ話をしようという場に、「くさい」としか言えない人、クサヤがまったくだめな人は、来ない方がよろしい。
別の言い方をすると、奇跡的に発見されて復元された縄文土器の観賞をしようという場で、かつて捨てられていたもの、割れていたものはだめとあげつらうのは、お門違いというようなことかも。

それにしても、今日は不思議な縁のつながりが炸裂した。
魔女飯田光代のピカぢからだろう。


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岡村淳 :  
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