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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2016年の日記  (最終更新日 : 2016/12/01)
9月の日記 総集編 伊豆大島霊異記

9月の日記 総集編 伊豆大島霊異記 (2016/09/04) 9月1日(木)の記 サウダージ@フマニタス
ブラジルにて


フマニタスと佐々木神父のヤマ場。
ビデオカメラを抱えて朝からスタンバイ。

どこでだれが何をするかが読めない現場、久しぶり。

主人公が佐々木神父だということから、ブレないように。

この記録をまとめることができるだろうか。
まとめることを想定して、撮影をしておく。

自分の失敗に、どう辻褄をつけるか。


9月2日(金)の記 南回帰線Uターン
ブラジルにて


ポルトガル語の「地方」という言葉と「摂理」という言葉を同じと勘違いしていた。
情けなし。
午前中、フマニタスの診療所内の図書室でネットにつながらせてもらう。
帰路、サンパウロ州内のサービスエリアでWi-Fiにつなごうと、そのままノートパソコンを充電しておいて…

忘れてしまった。
帰りにパウロ・フレイレの名を冠した農地解放地区の友の娘に頼まれものなどを届けて、走ること1時間。
コルネリオという町を出るあたりで忘れ物に気づく。

うーむ。
ほぼ書きかげた原稿がいくつか入っている。
取りに戻るか。

そのあと、すかさずサンパウロに戻るとして、到着は深夜になる。
夜の街道の運転はつらいが、帰ってすぐに故・木村浩介さんをブラジルで撮影した映像をチェックしたい…

佐々木神父の、今日も泊っていきませんかのお言葉に、たやすく転ぶ。


9月3日(土)の記 蘭 RUN 乱
ブラジルにて


佐々木神父と朝のカフェをともにいただいてから、暇乞い。
サンジェロニモの町のスーパーマーケットをのぞいてみる。
町には中小規模のこうした店が乱立。
サンパウロでは見かけないメーカーのものが並んでいて、面白い。

サンパウロ州に入って間もなく、街道沿いにラン園をウリにしているカフェがあった。
手工芸品なども置いてあり、ここで一服、軽食をとることに。

今回、フマニタスの園芸部門のサチオさんに選りすぐりのランを譲ってもらっていた。
このラン園のものより、ずっときれいで、お値段も安くしていただいた。

暗くなるまでにサンパウロ市にたどり着く。
義母のところにランを届け、話し合い。

疲れ切って帰宅。
まずは、ポルトガル語の表現だと「空の天使になった」木村浩介さんの映像素材を探す。
昨年12月、大西洋海岸森林のエコロジーロッジで撮ったのが約18分。
木村さんがロッジのベランダ、宿のテラスでギターを奏でている映像。

これを編集しよう。


9月4日(日)の記 サンパウロでブエノスアイレス
ブラジルにて


心身ともに疲れたが、未明に覚醒。
気分転換が必要。

日本で買ってきたDVDソフト、ウォン・カーウァイ監督『ブエノスアイレス』を観ることに。
かつて訪日時に、レンタルビデオ屋で借りてみた覚えあり。

強烈だったこと、そしてイグアスーの滝を描いた「回り灯籠」ぐらいしか覚えていない。
見直してよかった。
イグアスーの滝、そしてパタゴニアのウシュアイアがニクい使い方をされている。
ブエノスアイレスの場末の感じがまたよろしい。

うーん、こっちの撮った未発表のイグアスーの滝がらみの映像が惜しい。

日中は路上市の買い物、そして妻の実家へ。
さあ出ブラジルまで、あと1週間。
原稿書き、どうしよう。


9月5日(月)の記 霊障の例証か冷笑か
ブラジルにて


昨年12月、サンパウロ近郊のエコロジーロッジで撮影した故・木村浩介さんの映像を編集して『木村浩介 ブラジルの休日]』と題した。
昨日、編集を始めるにあたって、最近、僕がよくやる字幕トリキリ構成にしようと考えた。
しかし、何度やってもビデオ編集機が異常なフリーズ状態になってしまう。

いやはや。
機械が壊れたら。アウトだ。
機械をだましだましというより、おだててなだめすかさないと。
トリキリ字幕そのものが蛇足と考えましょう。

今度は特にトラブルなく進んだ。
今朝、データの誤りに気づき、修正。

いくつか溜まった原稿を、うろたえながらかためていく。
いちばん長いやつ、われながら面白げな構想を立てていた。
が、現実がそれについて来ない。
さあ、どうしよう。

夜は妻と僕の両方の肉親の物故者を合わせて、カトリック教会でミサ。
日本からは、友人知人が木村さんの葬儀の模様を伝えてくれる。


9月6日(火)の記 原稿不一致
ブラジルにて


訪日前の最後の一日断食をする。
もっとも重い宿題だった原稿を、書きすすめてみる。
当初の構想と、だいぶずれてしまった。

マキシマム4000字とのご要望で、そんなに書けるかえと思っていたが、超えちゃいそうだ。
これでカネになればこたえられないが、金銭には代えられないほどお世話になっている方からのご依頼である。

近くの修理屋でひと月近くじらされて修理不能、メーカーのサービスセンターでも相手にされなかったモニター、情報ツール系の小さな店で修理完了との連絡が昨日、入る。
値段は中古のモニターが買えるほどだが、背に腹は代えられず。

午後、ピックアップ。
持ち帰って接続。
『ブラジルの土に生きて』改訂版の映像を流してみるが、その美しさに息を呑む。
けっこう長い間、色味の調整の効かないモニターで作業をしていたせいか。

昨日、日本に送った原稿の方は、早くも割付して返ってきた。
読み返して、自分でどうしても引っかかる部分を直さないと。


9月7日(水)の記 ブラジル独立
ブラジルにて


今日は、ブラジル独立記念日の祝日。
めずらしく、家族全員が在宅。

先週は不在、昨日は僕が断食で、冷蔵庫には野菜類がいっぱい。
パソコンでの原稿、メール内の作業と台所を往復。

アズキ、大豆を煮ながら、野菜類で漬物系を仕込んだり。

4000字を超えてしまった原稿をさらに推敲、日本へ送る。
そして、もっとも懸念の原稿ふたつを再チェック、晩御飯の後でそれぞれを送信。
いやはや。

家族がテレビで見ているのはオリンピックの開会式の再放送と思いきや、パラリンピックの開会式の生中継だった。
ジグゾーパズルの演出は、日本での知る人ぞ知るヴィック・ムニースによるもので、本人自らも登場。
これは、すごい。


9月8日(木)の記 移民Ⅰ、Ⅱ
ブラジルにて


いくつかの用足しで東洋人街およびセントロ地区へ。
昼食を、友人宅でごちそうになる。
カレーであったが、驚くべきうまさであった。
JALのサクララウンジのカレーよりよろし。

サンパウロ新聞記者である友人、松本浩治さんが新たに刊行した写真集『移民Ⅱ』を拝見。
きっちりと撮られて焼かれた写真を見るのは、気持ちがいいものだ。

松本さんが取材で訪ねたブラジル各地に生きる日本人一世たちのポートレイト集である。
『移民Ⅰ』から、10年。
松本さんは僕に勝るとも劣らない汗っかきだが、この取材に注いだ彼の発汗量、補給したアルコールの量、そして被写体の方々と過ごした時間を思うとくらくらしてしまう。

祝辞とまではいかないが、『移民Ⅰ』を改めて拝見して、僭越ながらその後の成長、進化のほどでも指摘させてもらえばと思う。
して、久しぶりに『移民Ⅰ』を取り出して頁を繰ると…

これが、いいではないか。
すでにこの段階で松本さんのスタイルは完成されていて、Ⅱはそれを踏襲したことに気づく。
ブレないで、クオリティを持続しているすごさ。

昨日、目にしたネットの記事で故・星野道夫さんの編集者だった人が「強引に撮った写真は一枚もないと思う」と評しているのを思い出す。
松本さんの写真にもそれに通じるものがあり、それだから安心して眺めていられるのだ。

『移民Ⅰ』は松本さんの手元にもすでに乏しい由。
Ⅰの方の増刷もお願いしたいものだ。


9月9日(金)の記 生きている不確かさ
ブラジルにて


サンパウロのアートのビエンナーレが7日から始まった。
今年でなんと32回目。
僕が次の訪日から戻ってもまだ開催中だが、日本で今回のことも話したい。
で、朝イチで会場のイビラプエラ公園に市バスで向かう。

なんたって、タダだし。
9時開場、9時台は列もなく入場可。

今年のテーマは、どう訳すか難しいが「生きている不確かさ」、といったところか。
ポルトガル語の解説文は、ますますアタマがこんがらがる。

サンパウロのこのビエンナーレ、近年はセンセーショナル、ショッキングなものが多かった感あり。
今回のは、気楽に面白く見れた。
といっても、時間的制約からほんとの早見だけど。

これが、これでアートなの?の思い。
それは否定的ではなく、肯定的に。

遺跡の発掘現場や事件の現場検証を思わせる作品。
ヤマイモそのままをいくつか重ねて、人や動物に見立てた作品。
作り手がこれはアートだと宣言するか、享受者がこれはアートだと認めれば、人の営み、森羅万象すべてアートたりうるのだな、と新たに思うに至る。
(いまこの日記文を入力しているノートパソコンの置かれた雑然極まるテーブルも、アート、、、かも。)

帰路、訪日土産物の追加購入。
いったん家に戻って荷物を置き、ふたたび買い物。
さあ、明日がまたヤマ場だぞ。


9月10日(土)の記 邦字と法事
ブラジルにて


狙ってたわけではもちろんないが、現実が駄洒落を産んでくれる。

思うところあって、先月逝った義父について、ブラジルの日刊邦字紙2紙の読者欄に、追悼文の範疇に入るか入らないかといった文章を投稿した。

すでに故人となったが、えらそーなゴタクを並べながら、両方の邦字紙に御法度の二重投稿どころか日本のメディアにまで多重投稿をかましてヒンシュクを買ったブラジル日系社会の「名士」もおられる。
僕はその対極を行ったつもり。

そのうち、ニッケイ新聞に投稿した「義父・続木善夫と『アマゾンの読経』」が本日付に写真入りで掲載された。

して、今日は妻の実家で邦字、じゃなくて法事。
義父ではなく、義弟の三回忌。

ブラジル式と日本式の合間を縫って、それなりに奔走させていただいた。

司式をお願いした阿闍梨をお送りする。
帰宅後、まずはイッパイ。
さあ、今度はこっちのサンパウロ出家準備だ。


9月11日(日)の記 出家じゃよ
ブラジル


今晩、サンパウロ出家。
冷蔵庫の残り物が気になり、家人にスーツケースの「ツメ」を任せて、昼食も夕食もこさえる。

スマホのアプリでタクシーを呼んだ方が早いし、安全、との家人の声に任せるが…
いざとなると、機能しない由。
日曜の夜、流しの空車は見つからず。

家族全員で荷物とともにメトロの駅前まで乗り込み、1台だけ待機していたタクシーをゲット。
運ちゃんに聞くと、このネット配車のせいでなかなか厳しい状況とのこと。
昨今のサンパウロのオカマ立ちんぼ地区情報などを教えてもらう。

近場のコンゴニャス空港まで、ここからシャトルバス。
また値段が上がっている。

バスは第2ターミナルまで、それから第3ターミナルまで向かう不便さにも慣れた。
カタール航空のカウンターのオープンを待つ。
場末系の乗客が群がる。
こっちも同じ穴のムジナだが、久しぶりに優先チェックイン、パスポートの出国印の日付はフライト日の前日となり。


9月12日(月)の記 機上の64
ブラジル→ドーハ


サンパウロ空港、久しぶりのラウンジ。
飲み過ぎ食べ過ぎに注意しましょう。

カタール航空、機内エンタメに日本映画が充実しているではないか。
食指が動かないのばかりだが…

『64 前編』、いってみる。
いいではないか。
いろいろな意味で、いたい話だが。
後編が気になって、見たくてたまらない。
これを前編後編に分けるあざとさ、なんだかオカムラ作品みたいで、わが意を得たり。

じらされるもどかしさを、体感。


9月13日(火)の記 機中の袖
ドーハ→日本


ドーハ空港でトランジット。
久しぶりにラウンジが使えるのだが、ラウンジの場所と区別がわかりにくい。
先回、指示されたカタール航空のラウンジはエクセレントな部類だった。
今回のは、ナミ。
先回が間違えられたのかな。

ドーハから成田行き。
ゲートには日本人グル―プが群がり、げんなり。

機中隣席は白人系の若い女性。
イギリス人ぐらいか、と見ていたが、ブラジルのパスポートが目についた。

話しかけてみると、東京でアート系の書籍のフェスティヴァルがあり、それに出品するのだという。
僕はサルガドの最新の写真集を見たばかりだったので、その本の話をするとさすがに彼女も知っていた。
日本人の写真家の友人知人は少なくない、などと告げるが、今ひとつ話に乗ってこない。

彼女がオタク系のシャイなのかもしれないが、ヒチコイおじさんと思われてもナニである。
日本のこと、何でも聞いてね、と言ってお互いの機内モニターに戻る。

岡村上映会に来てくれる若い女性たちに、パーソナルにヒチコく迫るおじさんがいて、女性陣から僕にも控えめながら迷惑報告が入るようになったことがあった。
僕は立場上、イエローカードを2度ほど、このおじさんに出さざるをえなかった。
自分のふりも見直さないとね。

日本本州上空になり、彼女から日本にもウーバーがあると聞いたのだけど、と質問を受ける。
ウーバーとは最近、サンパウロあたりでも使われている、スマホのアプリでハイヤーを呼ぶシステム。
日本でもそれがあるとは知らなかった、と伝え、参考までにシャトルバスや一般のタクシーで東京まで行く方法を伝えておく。

目黒の実家に戻ってから、さっそくブラジルへのとんぼ返りの際の荷物の目安をつける。
けっこうな時間がかかるが、今日中に立ち寄りたい学芸大学の流浪堂さんは0時まで営業しているのがありがたい。

流浪堂さんの二見夫妻と再会、さっそくばか話。
さあ、明日というか日付変わって今日も早いぞ。


9月14日(水)の記 マニがえる
日本にて


けっきょく、ちょっと横になったぐらいで祐天寺出家。
早朝の故郷を目黒駅まで歩く。

時間の制約により、思い切って新幹線で山形へ。
ディスカウント金券屋に立ち寄る時間もなし。
痛い出費。

が、いいこともある。
山形新幹線車中の雑誌『トランヴェール』9月号。
「特集・妖怪、新潟に現る。」
これがとってもよろしい。
編集部に絶賛のメールを送りたいぐらいだが、そうしたのには応じていないようだ。

やや山間部に向かったところにあるお寺の墓地を訪問。
真言宗の寺。
新しく移設したお墓を参る。

お隣のお墓に、石製の回転盤があるではないか。
チベットのマニ車をほうふつさせる。
地元の人に聞くと「ごしょぐるま」というとのこと。

回してみて、驚いた。
黄緑のアマガエルが飛び出してきたのだ。

真言宗、マニ車、カエル。
その意味を考える。

時差ボケ状態のまま、お気に入りの寒河江の温泉に入湯という、幸せ。


9月15日(木)の記 仙山をゆく
日本にて


山形寒河江で所用を済ませて。
帰りは、交通費節約。
左沢線と仙山線を乗り継いで仙台へ、仙台から高速バス新宿行きというセンで。

仙山線が好きだ。
山形発だと、山寺を過ぎたあたりからの深山幽谷感がいい。
道行そのものが、横山大観の大作『生々流転』のようだ。
四人掛けの席で、好きな本をひもときながら、うつらうつら。

仙台からのバスも昼便なのでカーテン開放、快適。
時差ぼけケタイム、たっぷり惰眠。

夜の新宿に到着、もうひとつミッションに挑む。


9月16日(金)の記 金曜の金欠
日本にて


今日は見ておきたかったアート展鑑賞のため、都外遠征を目論んでいた。
が、諸々の金策の必要から、アートはお預け。

金策の当てはことごとく外れて、血の気が引いてゆく。
今後は、訪日もむずかしいかも。

「アリとキリギリス」の、冬を迎えるキリギリスの心境。

♪こんな気持ちのままじゃ、どこへも行けやしない…

明日からの伊豆大島ミッションの備品の買い物で渋谷へ。
現実逃避に待望の『シン・ゴジラ』を見ちゃおう。

……
恥ずかしながら、ついていけない。
時差ボケ最高潮の時間帯で、うつらうつら。

近年、新たな黒澤論、小津論を展開している評論家の指田文夫さんが、最近の若い人が志村喬と笠智衆の区別がつかないというのを知り、驚き嘆いていた。

僕には『シン・ゴジラ』の主役格の政府関係者役の二人の若い男性俳優の区別がつかないのだ。
自分がマイナーなのは重々承知だが、僕の嗜好の怪獣モノとは、路線が仙山線とリニア新幹線ぐらいに違う。

ゴジラに首都圏が徹底的に破壊される話だが、こちらが聞きもらしているのかもしれないが死者数はどれほど、といった情報がないようで、リアルな人の死のイメージもない、クリーンな破壊ばかりだ。

シン・ゴジラにも落ちこぼれ、隘路を突き進んでいたキリギリスは、ひっそりと干からび、凍え消えていくのか。
落ち武者はブラジルに戻って『人情紙風船』に向かい合うか。


9月17日(土)の記 伊豆大島 夢の宴
日本にて


今回の極東ミッション、メインイベントの始まり。
荷物を担いで抱えて引きずって、竹芝港へ。
伊豆大島・観音清掃隊長の桑島さん一家と合流。
ジェット船で岡田港着まで、映画一本分ぐらいの時間があるが、話は尽きない。

桑島さんの手配したレンタカーに乗せてもらって、切通し部が新たに拡げられた参道を登って観音堂へ。
ニコニコ顔の伊藤修さんと再会。

僕の最初のお役目は、大広間での上映用機材の設定と調整。
伊藤さん関係の人たち、荷物を取りに来たという佐々木美智子さんたち、ブラジル日本交流協会関係の中部・関西組など、にぎやかな出入りがうれしい。

桑島隊のお掃除など、少し撮影。

夕方、伊藤組と混浴温泉・浜の湯へ。
水着着用だが、入湯料300yenで水着は無料で貸してくれる。

海辺の露天温泉という快楽。

昼も夜も伊藤さんに料理人をしていただいてしまう。
団らんの話題は尽きないが、心地よい疲れと酔いでうつらうつら。

子どもの遠足的興奮状態の伊藤さんと、深夜に諸々お話。
こっちはほとんど聴き手、いつしか眠りに落ちる。


9月18日(日)の記 伊豆大島霊異記
日本にて


今日は新たに藤川師の姪御さんが山口から、さらに岡村シンパのカップル、伊藤組黒幕等々が来島。
伊藤さんは送迎でたいへんだ。

僕はテキトーに動き回る。
午後に離島する記者さん相手の上映とか。

「おいしいでしょ?」の止まらない伊藤さん入魂のシュラスコ焼肉を昼、いただく。

そうとう気合いを要する5時間16分の映画『アマゾンの読経』を見る雰囲気でもないが…
誰かが、そろそろ見ましょうか、と言い出すまでスタンバイ。

夜。
外の虫どもの鳴き声に包まれての上映というのは、アマゾンのトメアスー移住地、台湾山峡の霧社など以来かも。
これが、いいんです。

上映終了は、19日未明。
あな、かしこ。


9月19日(月)の記 観音日和
日本にて


未明に『アマゾンの読経』『焼肉と観音』奉納上映完了。
興奮冷めやらぬ伊藤さんと境内に出て、白い観音を拝む。

早朝に入境者あり。
お掃除隊の桑島さんが掃除備品を置きにやってくる。

今日も伊藤さんは送迎三昧。
僕は参拝者とお話。

それぞれが不思議な話を抱えているのに驚くばかり。

午後、有志で「浜の湯」へ。
そのまま僕は元町に残り、Wi-Fiスポットで久しぶりにオンライン。
台風が気になるが、明日はかろうじて船が出そうな見込み。

雨。
伊藤さんがピックアップ時刻になっても現れない。
携帯電話にも出ない。
最悪の事態を想定。

観音堂近くまでバスで行って、それから歩いて観音堂に行き、伊藤さんの失踪を確認してから警察に連絡するか…
17時40分初の最終バスは、始発点の停留場に止まらず、待機中の客を見捨てて行ってしまった。

うう、雨のなか、ビーチサンダルで観音堂まで歩くのか…
覚悟を決めたところでイトさん登場。
ケータイは観音堂に忘れてきたという。
落着。

夜はさすがに疲れ切り、寝倒れ。


9月20日(火)の記 観音慈雨
日本にて


今回は時差ボケのまま、いったんブラジルに戻るかも。
深夜に覚醒。
今回、来島してくれた心境出版社の倉田さんが持参された川端純四郎著 『戦争と教会』をひもとくが、実にいい本だ。
インターネット無用の富士見観音堂での読書は、ただありがたい時間。

台風16号の影響の雨。
午前中は伊藤修さんと諸々の話。
『戦争と教会』は伊藤さんがもらったものと判明。
僕がもう鉛筆で線引きしてしまい、横浜で再会するまでお借りすることにさせていただく。
バッハについての記載がとてもいいのだ。
日本のキリスト教にどのようにふるまったかは、よく肝に銘じておこう。

1996年以来、数えきれないほど訪ねていた伊豆大島富士見観音堂での、今回はつの収穫。
シュラスコ焼肉準備中、台座としたコンクリブロックのなかにナメクジを発見。
在来種のフタスジナメクジだった。

観音堂参道付近の森で、粘菌の子実体2種を発見。
ナメクジも粘菌もずっと探していたのだが、今回初めての確認だ。
粘菌の変形体かと思っていたのは、どうやら別物のようだ。

僕は21日離島のつもりだったが、来島歴の長い桑島清掃隊長から、22日に大事なイベントがあるならリスクが大きいと丁寧なアドバイスをいただいた。
台風の今後と影響は予断を許さず、本日午後のジェット船に変更。
出航前に伊藤さんが役小角行者窟をお参りしようと近くまで車で出向くが、悪天候と時間の制約で断念。

伊藤さんに、あとをお願いしてゴジラの進撃ルートで帝都に向かう。
さあ『フマニタス』ムードに切換えだ。
日本で佐々木神父のフマニタスの支援をしてくださっている方にぜひお会いしておきたく、本夕、都合をつけていただく。

竹芝港から浜松駅に向かう間、傘もなく傘も持てない大荷物でずぶぬれになる。
目黒駅付近で面会。
金欠の身でタクシーは控え、豪雨強風のなか、10分近く遅れた東急バスを発機中に、完全びしょ濡れに。

風邪をひいたらアウトだぞ。
伊豆大島からかけがえのない預かりものも担いできたので、それも心配。


9月21日(水)の記 四國五郎 塩谷定好
日本にて


台風を懸念して伊豆大島籠りを早めた今日の一日を、有効に使わさせていただかないと。

まずは、お金の振込みや、備品の購入。
24日までの埼玉・東松山の丸木美術館『四國五郎展』へ。

これまで丸木美術館へは森林公園駅まで電車、駅前でレンタル自転車を借りて乗り込んでいた。
今回もレンタサイクル情報のある丸木美術館ウエブサイトの地図をプリントアウトしてきたのだが…
駅前のレンタサイクルが、無くなっているではないか。

…歩くか。
片道50分程度とみた。
昨日も今日もタクシー無用の自分へのご褒美、訪日中の贅沢かつ料理研究として道中のラーメン屋に立ち寄り。

四國五郎は広島生まれ、特に美術教育は受けずに徴兵され、満州で敗戦、シベリア送りとなる。
シベリア抑留時代、広島の被爆問題などを様々な手法で表現してきた画家だ。
見ておいて、よかった。
彼の作品はテーマが重いなか、暖かさ、優しさ、美しさがあると思う。

「こわいものなど描きたくはないのだが、こわいものを地上から無くするためには描かねばならない」
1979年の四國五郎の言葉を書き取る。

帰路は、つきのわ駅を目指してみる。
武蔵野の周縁の地霊あふれるこの土地を歩ける喜び。

関東平野を大きく回って、三鷹へ。
三鷹市美術ギャラリー『芸術写真の時代 塩谷定好展』鑑賞。
20時までの開館がうれしい。
「ゼラチンシルバープリント」とあり、作品のソフトでなんとなくゼラチン質な感じはそのせいかと思うが、調べてみると旧来の白黒のプリントをこう呼ぶらしい。
今度、写真に詳しい人に聞いてみよう。

絵画と写真の親和性、写真の記録性とアート性など、刺激的な写真展。
この写真家のお孫さんが僕の上映会の常連で、いろいろお世話になっている人でもあり。
今度、グレートグランドファザーの思い出を聞いてみよう。


9月22日(木)の記 四谷快談
日本にて


さあ今日は久々の大型イベント。
仕切りが僕の理解を超えているので、緊張。

外は雨、いやはや洗濯物、どうしよう。

会場は、四ツ谷駅前の雙葉学園に隣接したニコラバレ修道院内の本部。
主催は「海外宣教者を支援する会」。
僕にとっては大きめのホールだが、映写装置・スクリーンどころか音響装置もないとのことで、実行部隊がそれぞれ持ち寄り、不安が残る。

まずは会場設定。
とにかく音が出て映像が投影できるので、まずは安心。
実行部隊長が、雨でもあり集客を心配し、これまでの最低人数はどれぐらいだったかを教えてくれる。
僕の方は、目標二桁で、すでに今四人いますし、いよいよとなったら僕が修道院前で客引きでもしますから、となぐさめておく。

椅子の並べも控えめにしておいたが、来るわ来るわで、三ケタにおよぶ。

いずれにしろ、僕は日本的に「正しい」クリスチャンでもないし、海外宣教者でもない。
フマニタス支援という義に賭けて、ふるまうことにする。

ブラジルで30年ほど奉仕されたシスター日高のお話、約30分。
引き続いて『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』上映67分。
そのあと、岡村の質疑応答ワク、約15分。
おそらく大半の方が知りたいだろう、ベースとなる情報を共有してもらうため、通常でも3倍速モードの岡村トークを、映画『シン・ゴジラ』なみにさらに2倍半の速度で。

宗教関係者には狂信的にこちらの表現の揚げ足取りを狙っているのが時折いるので、ヴォルテージは控えめにする。

今日はオカムラ系の方々も少なからず集ってくれて、いわばアウエーの僕としては心強い限り。

終了後に、演壇の僕に寄ってきてくれる人が少なくない。
その応対にかかる。
フマニタス創設をめぐるキーパーソンで、お会いしたかった方が、先方から声をかけてくださる。
お会いしたい方だった。
これだけでも僕にとっては大きなお恵み。

岡村のライブ上映の醍醐味は、
・上映
・ライブトークと質疑応答
・懇親会
の「三位一体」にあり、とシンパの方に指摘していただいている。
今日は「三位一体」を教義としている方々の集いだが、宗教の冒涜ととられてはたまらないので、現場では黙っておく。
オカムラ系のシンパの方々は、何時もとの空気の違いからおそらく気をつかって早々に退場、主催者も三三五五に消えていく。

おかちゃんライブとしては、1.5位ぐらいに終わったが、数々の小さな種子が拡散したのを感ず。

四ツ谷からは、メトロで目黒まで行って、あとは実家まで歩くというのがいちばん安い方法と知る。
こちらの方はライブ上映の余熱から、誰かと少し語り合いたいところだが、ま、自分と向き合うか。

明日はいったん成田からブラジルへ向かうので、その準備もしなきゃ。
と、上映会場で声をかけてくれた年配の女性を目黒駅で見かける。
こちらから声をかけて、お互いの行き先から言葉を紡いでいくと、この人は僕の高校で教員をされていた方だった。

近くの喫茶店にお誘いして、『シン・ゴジラ』以上の長い時間のおしゃべり。
店員からなおも居座るには追加オーダーを、と言われて腰を上げる。
この先生は僕の卒業と入れ替わりに高校に勤めたようだが、不思議なこともあるものだ。


9月23日(金)の記 成田と日本会議
日本→アメリカ合衆国→


成田空港の出発ロビーなら、書籍も消費税抜きで買える。
ガリ版通信『あめつうしん』の田上編集長より最近、日本で日本会議に関する本が田上さんが関知するだけでも4冊出されたとうかがっていた。
僕の方は節約優先で、成田で消費税抜きで1、2冊ぐらい買ってみるつもりだった。

今回の第2ターミナルでは本館に改造社書店、サテライトに三省堂書店がある。
名前からそそる改造社書店をのぞいてみるが…
日本会議本はみあたらない。
その真逆の、日本ここがすごい系の自画自賛大日本病系ばかりではないか。
安倍内閣の顔色をうかがったような本ぞろえ。

サテライトの三省堂まで足を延ばす。
こっちは平積みで青木理著、平凡社新書の『日本会議の正体』があり、購入。
この差は、なんだ。

今回のアメリカン航空では優先登場ができたのだが、保安検査官に足止めされた。
「先客」のアフリカ系アメリカ人らしい男とカタカナ名の女性保安検査官が、ぎゃはぎゃはだらだら身体検査をしてるのを、延々と待たされる。

ようやく無罪放免となって機内に入ると、僕の座席付近の頭上の棚はすべて満杯。
アメリカン航空の客室乗務員は、見事に何もしてくれない。

隣りのアジア系男性が、自分の荷物の置き場探しのついでに、僕の荷物収納にも、ひと肌脱いでくれた。
こうして目の届かないところに機内持ち込み荷物を置かざるを得ない事態と盗難に備えて、錠前を用意しておかないとな。

あー、アメリカ系の飛行機は乗りたくなや。


9月23日(土)の記 ブラジルとんぼがえり
→ブラジル


ダラスでトランジット、手荷物はスルーだと複数の人間に確認するが、だいじょうぶかな。
機内映画のよろこび。
『バベル』に『インサイド・マン』。
菊地凜子、ジョディ・フォスター 、かっこいいなあ。

今の皇太子、かつてジョディ・フォスターにあこがれていると発言していたと記憶する。
もっと突っ込んでいてくれれば、日本もより開かれていたかも。

サンパウロでは、なかなか荷物が出てこない。
プライオリティのタグが付いてて、いちばん最後とは。
いちいちドラマチックにせんといて。

義父の法事用の品、伊藤修さん渾身の漆札を日本から担いできている。
懸念の税関のお咎めも逃れて、ぶじ拙宅に到着。
ありがたや。

さあ、明日がヤマ場です。


9月25日(日)の記 聖市法要三昧
ブラジルにて


さあ、義父の四十九日仏式法要。
わが家近くの鳥取県人会のホールをお借りして。

僕は裏方に徹するつもりだったが、喪主から最後の日本語の挨拶を頼まれた。
それを昨晩、妻から言われ、それからそれなりに考え続けた。
日本語の挨拶を自らポルトガル語に訳して、ポルトガル語の方では笑いもいただく。

それにしても、義父の広大な人脈が僕のささやかな脈といくつか重なっていることが今日になって判明。

午後は、この法要に司式をお願いした石井義明阿闍梨を拙宅にご案内して…

今回のブラジルとんぼがえりミッション、つつがなく終了。


9月26日(月)の記 サンパウロを這い出るべるく
ブラジル→


時差ボケで深夜に覚醒、ネットいじり。
夜が明けると、さすがに疲れ。

ちょうど風邪などで寝込みそうになるときの感じ。
家人のすすめで、床に就く。

2時間も横になっていると、いくらか楽になった。
新たな土産物をいくつか買いに行かないと。

今日のフライトの時間は早い。
夕方のラッシュが始まる前に出家。

また20時間以上のフライトか。
全身エコノミー症候群。


9月27日(火)の記 ダラスの暑い日
→アメリカ合衆国→


行きのダラス→サンパウロ間、最後にちょっと見たインドネシアの大虐殺を掘り下げていくドキュメンタリー映画『ルック・オブ・サイレンス』を、サンパウロからの機中ではじめから観賞。
こういうドキュメンタリー映画を機内で流してくれることがうれしい。
スタッフクレジットにANONYMOUS:匿名が少なくないが、本当に危ないのだろう。
いたずらに猟奇性からヤバさを演出している感のある昨今のNHKあたりのスペシャル番組が恥ずかしい。

ダラスでトランジット、でれでれ。
外気は摂氏33度とか。

成田行きのアメリカン機、僕の座席のエンターテインメントサービスは、地図とディズニーチャンネルしか映らない。
何度か客室乗務員にリセットしてもらうが、だめ。
日本人客室乗務員は近くにおらず、バタバタしているガイジン客室乗務員は、それしきのことでガタガタ言うなといった雰囲気。

しょうがない、10数時間を軽い読書と睡眠、瞑想にあてるか。


9月28日(水)の記 即身横浜
→日本


日本を実感するのは、成田空港のウオッシュレットかも。
先週の金曜に成田を発ったのだが、なんだ、この暑さは?
9月も末だというのに。

まずはいったん目黒の実家で旅装を解く。
今日中に横浜黄金町大道の伊藤修さんに大切なものを届けたい。
帰りに弘明寺にある温泉にでも寄るか。
今回の訪日期間に、他に温泉のチャンスはないかも。

僕が伊豆大島に置いてきてしまったスピーカーのアダプターも、今度の日曜の上映で使用するため。ピックアップしたい。
伊藤さんに再会、まずはサンパウロで開眼してもらったお札を渡す。
やれやれ。

が、伊藤さんは僕の頼んだアダプターが何たるかを理解されていなかった。
伊藤さんの子安の新居にあるかもとのことで、うかがうが…

ない。
うー、出費は痛いが忘れてきた僕が悪い。

明日にでも新たに格安の音響システムを買っておかないと。
弘明寺の三崎湯どころではなくなった。
伊藤さんのお宅の近くにも温泉の銭湯があるということだったが、実際にお宅にうかがうと、けっこう遠いという。

温泉おあずけ。
ああ、身から出たサビを落としたい。


9月29日(木)の記 ありがとう木村さん
日本にて


失敗の要因としては、疲れ切ってふらふらしていたため、とさせていただくか。
今度の訪日で、記すのも恥ずかしいポカをやってしまったようだ。
出銭だけでは済まされず、自己嫌悪。

日曜からの上映のためのスピーカーも準備しないと。
明日は朝イチで新潟まで遠征のため、今日中に手配しなきゃ。

渋谷のカメラ屋で諸々、手配することに。
大荷物を持って、西荻窪APARECIDAへ。

8月31日に亡くなった木村浩介さんの追悼上映会。
三浦左千夫先生の尽力で、木村さんのご家族がいらしてくれた!
お連れ合いと、お子さん三人。

木村さんの訃報に接してからまとめた『木村浩介 ブラジルの休日』。
木村さんの音色は、ブラジルの森羅万象と相性がいいことに気づく。

ご家族それぞれとお話。
お子さんたちが、ま正直なご両親の愛をたっぷりともらって育ってきたことがよくうかがえる。

木村さんの音楽と人柄、そして拙作『ばら ばら の ゆめ』も少なからぬ方々に支持されていた。

木村さん、ありがとう。


9月30日(金)の記 武蔵野市民
日本にて


今宵は、埼玉上映。
映画『テレビに挑戦した男 牛山純一』に挑戦した畠山容平監督の計らい。
畠山さん以外の人は、誰も知らない。

武蔵野市民学校の兼岡代表は、ポーランド映画好きが高じて自主上映を始めるようになったという。
僕が中短編の作品をいくつかお持ちして、どれを上映するかを来場の皆さんに選んでいただくお楽しみライブ上映会。

まずは『アマゾンの密林が沈む!』。
質疑応答が絶えない。
曙間も押したので、もう一本は『ブラジル移民のひとり芝居』。
これまた好評、質疑が絶えず。

近くのコリアン料理店『南大門』で懇親会。
これが、激しい盛り上がり。
芹明香談義まで飛び出して。

はじめての方々との、この盛り上がりが楽し。

日付が変わってしまった。
土曜の朝は早いんだが。


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