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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2018年の日記  (最終更新日 : 2018/12/08)
3月の日記 総集編 干瀬をみた

3月の日記 総集編 干瀬をみた (2018/03/09) 3月1日(木)の記 干瀬をみた
日本にて


まさしく、罰ゲームとしての沖縄行き。
人を信じるという美徳が、ときに不徳と化すこともある。
その門出にふさわしい未明の豪雨。
今日は午前4時台の祐天寺出家だ。
傘をさしても荷物はびしょ濡れだな。

と、奇跡のタクシーが。
腐敗を発酵に転換する兆しとしよう。

目黒駅から山手線と京急で羽田へ。
鎌田での愚かしい野外長距離接続歩きを避けることができた。
豪雨と雷光の羽田空港。
強風のための欠航の表示が少なくないが、わが那覇行きはとりあえず飛ぶようだ。

今回はマイレージ使用のJAL便のため、LCCとは比べ物にならない快適さ。
JALとANAの国内便が競争で機上フリーwi-fi化をはかっているようで、ヘタな地上よりずっとつながりがいいのに驚いた。

いよいよ沖縄本島が見えてきた。
関東の豪雨がウソのようなサブトロピカルカラー。

あ、これは平安座島だな。
石油コンビナート群、空から見るとすごい。

!!
その南西方向に巨大なリーフが看取できるではないか。
かつて『季刊民族学』で読んだ「やえびし:八重干瀬」の語を想い出す。
「干瀬:ヒシ、ビシ」は琉球方言で浅瀬のサンゴ礁をいう。
大潮の時は、海上に現れることもある。
そうだ、3月と9月は地球の干満の差がもっとも大きくなるのだ。
僕はアマゾンの大逆流ポロロッカを三度、取材しているのでそのあたりに少し通じている。
今は、干潮タイムなのだな。
すごいものを見てしまった。

まずは予約した牧志のドミトリーに荷物を置きたい。
たどり着くと、宿のスタッフは誰もいない。
さあ、どうしよう。
至近距離にあり、僕の沖縄の窓口である市場の古本屋ウララさんに行く。
店主の宇田智子さんと再会。
積もる話は後にして、まずは荷物を置かせていただく。

個人出版「沖縄探見社」の高橋哲郎さんと昼食。
高橋さんとはブラジル以来の付き合いだ。
近くの定食屋で、あえてハンバーグ定食でいってみようと思う。
が、高橋さんのイカスミ定食のオーダーに惹かれて僕もイカスミで。
高橋さんは、安倍政権とバトルを繰り広げる大手新聞社を経てブラジルの邦字新聞社に勤務、さらに世界各地を回って沖縄に定着して10余年。
ユニークかつ、いい仕事を続けている。
ぜひ「沖縄探見社」のウエブサイトをご覧のうえ、その刊行物を手に取っていただきたい。
http://www.okinawatanken.ecnet.jp/index.html

沖縄は、手ごろな宿がむずかしい。
今回は赤字覚悟なので、個室一泊2000円強のドミトリーに挑戦。
これを部屋と呼べるのか、といった建物の隙間だ。

午後は宇田さんに道順を調べてもらって、開店したばかりの八重瀬市にある くじらブックスさんへ。
くだりの開南のバス停がわからなかったり、下車後、90度まがった方向に行ってしまうなどあったが、それもまた一興。

古書新刊、カフェと食事、陶器販売ともりだくさんなお店。
ああ、こんなに広いのか。
店主の渡慶次さんは宇田さんのかつての同僚で、ご尊父は上野英信ゆかりの人だ。
気さくにキッチンに立つご母堂は陶芸に通じていた。
志ある店主によくたがやされた書棚はなんとも気持ちがよい。
荷物と懐具合を考えるとできるだけ買い控えたいのだが、4冊買ってしまう。
よもやま話が尽きず、予定よりだいぶ長居をしてしまった。
沖縄訪問の際は、半日ぐらい、くじらブックス訪問時間を設けてもよさそうだ。

夕方は、記録映画監督で沖縄居留中の松林要樹さんに会う予定。
サンパウロの次は、那覇で再会というのがよろしい。
安里で松林さんイチオシのお店をハシゴ。

人のつながりは、宝だな。
断ち切られた人脈を、補ってあまりある友人知人が沖縄には満ちている。

さてドミトリー、相当数の収容人員で、なんと男子トイレ兼洗面所が一カ所のみ!
よほど外した時間でないと、用足しも歯磨きもむずかしい。
わが分際をわきまえて反省するには適当かも。


3月2日(金)の記 マングローブ異聞
日本にて


那覇のドミトリーは屋上に男女合わせて3つのシャワールームがあるが、朝晩は順番待ちの若集がたむろして、とても僕あたりが割りこめる余地がない。
かといって3月の那覇は初夏の陽気で、汗ぐらい流さないと。

以前、行ったことのある近くの「りっかりっか湯」という天然温泉を標榜する銭湯をフンパツ。
朝6時から営業というのがありがたい。
ドミトリーで割引価格の入湯券が買える。
朝のうちは入湯客も少なく、ほぼ快適。

午前中に市内の漫湖と呼ばれる干潟に行ってみる。
ここのマングローブ林を踏査したかった。
これまで沖縄本島では、名護から屋我地島に向かう海岸にあった小さなマングローブ林を観察したことがある。
この漫湖周辺にもマングローブ林があることは、近くを通るモノレールの車中からもうかがえた。
昨日、会食した沖縄探見社の高橋さんには『沖縄エコツアーガイドブック』の著書もある。
高橋さんに漫湖について聞いてみると、水鳥観察用の木道がマングローブ林に築かれているという。

牧志の宿からグーグルマップを片手に歩くこと約40分。
ビジターズセンターもあり、マングローブと水鳥についての様々な情報にも触れられる。
ちょうど干潮の時間帯で、シオマネキなどのカニ類、トビハゼなどを観察できる。

マングローブでじっと過ごしていたかった。
わがブラジルでは、治安の問題がネック。
台湾でも地下鉄でアクセスできるマングローブ観察センターを訪ねたが、まるで時間がなかった。

ああ、昼食の待ち合わせ時間に遅れないようにしないと。
ブラジル以来の友、打楽器演奏をはじめマルチな活動を展開する翁長巳酉さんとランチ。
地元の人の案内してくれるところは、また格別に面白い。

午後、明日の上映会場である首里のアルテ崎山さんを訪問。
グーグルマップのデータが消えてしまい、しかも圏外となりうろたえるが、無事到着。
オーナーの霜鳥さんとは初対面で、今回は上映を企画して主宰をされるはずの人が病気を理由に音信を断つという、極めてイレギュラーな事態となっている。
霜鳥さんと力を合わせてこの困難を乗り切りましょうと話し合う。

沖縄では4年前、そして2年前にウララの宇田さんらが中心になって拙作上映会を実施してくれていた。
チーム名はチームOJ。
オキナワとジャパン(ジャポン)、それにオカムラジュン等をかけてみた。
今回も当初はチームOJでの上映を企画していたが、初回以来の主力メンバーの都合がつかず、次回に見送る予定だった。
ところが別の在沖縄の知人が自分が上映を企画したいと申し出てくれた次第。

チームOJには新たなメンバーも加わることになった。
次回上映計画に備えて、今宵は関係者限定で未公開の『リオ フクシマ 2』の試写会を行なう。
この作品のなかでも沖縄について触れられているが、福島原発事故の問題を沖縄から見ると、いろいろなことがオーバーラップしてくる。

上映後、日付が変わってからも話は尽きない。
今夕、ウララさんの店頭で奇跡的なレベルの再会があった。
彼女との縁は僕が大アマゾンの逆流ポロロッカを担当した『新世界紀行』「満月のミステリー」にはじまる。
のちに水俣学の原田正純先生が共通の知人とわかり、これには驚いた。
『リオ フクシマ』シリーズは、僕にとって恩師の原田先生の弔い合戦のつもりでもある。
この符号に、言葉も出ない。


3月3日(土)の記 センベロ ルミノソ@NAHA
日本にて


今日の沖縄は「十六日」、ジュルクニチと呼ばれる行事の日。
この日は、死者が彼岸からやってくるとされ、いわゆる新盆のように特に新しい故人をお迎えするという。

那覇は朝からなかなかの雨。
昨晩のチームOJメンバーでの上映からの戻りが午前様となり、今日は昼には上映会場に入る予定。
オーム真理教の麻原彰晃が潜んでいたぐらいの狭さのドミトリーで体力温存、しばし安静に。

主催者不在でブラジルからのゲストと、かつての主催者に頼まれた会場主が切り盛りすることになった今日の上映。
蓋を開けてみると、まるで『七人の侍』のようにすばらしいメンバーが集まってくれた。
間際になって屋我地島から駆けつけてくれたわがアミーゴの他は、はじめてお会いする方ばかり。
しかし一同、ノリがえらくよろしい。

上映後の懇親会でいろいろと話していてわかってきた。
今日の上映作品『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』の主人公、佐々木治夫神父はまだご存命だ。
沖縄の「十六日」行事とはいましばらく縁遠いことであろう。
が、在東京のイトコらも連れて参加してくれた人が、佐々木神父の姿が亡祖父に重なったという。
その人は占領下の沖縄で孤児たちの救済に奔走したそうだ。
孫たちも生前に会うことがなかったというその人を、僕まで感じる。

雨は上がっていた。
今からなら、まにあう。
那覇市内の小禄という地区にあるカトリック教会では土曜午後7時から英語のミサがあることをネットで調べておいた。
思い切って行ってみよう。
いままでポルトガル語と日本語のミサ以外には預かった覚えがない。

参加者はフィリピン人とみられる女性が多い。
神父さんは、なに人だろう。

道中にあった居酒屋に目をつけておいた。
ここにも「センベロ」がありとの張り紙。
一昨日の安里のマチグァーと呼ばれる飲み屋街で「チベロあります」と読める貼り紙があった。
なんのことか松林さんに聞いてみると、センベロ、千円でべろべろまで飲めるセットだという。
数年前からセンベロという言葉は知っていたが、那覇ではこれをウリにする飲み屋が目につく。

観光客も見当たらない小禄の居酒屋でセンベロしてみよう。
地元の若い人たちと紫煙のなかで、泡盛をあおる。
♪さがしものは なんですか
陽水の『夢のなかで』が流れる。

千円の飲み物三杯とお通し一つでは物足りない。
これが落とし穴のようで、たとえば、やたらに貼り紙のあるハムカツ300円也を頼んでみると…
キャベツもパセリも辛子もなく、花札サイズぐらいのハムカツがふた切れのみ。

さあ、あと一日だ。
沖縄の先人たちは、海中からリーフの現われるこの満月の大潮の時期に、死者たちも戻ってくると思いをはせたのかもしれない。


3月4日(日)の記 龍宮のいぶき
日本にて


那覇のドミトリーの丑三つ時。
さすがにシャワー室に空きがある。
シャワー室空間はひろびろ、本物の緑も配置されて快適。

沖縄最終日、まずは朝イチで少し歩くスーパーまで海ぶどうなどの土産物の買い出し。
モーニングサービスに和定食というのがある喫茶店に入ってみる。
タバコの煙、テーブルはマージャンゲーム機。
ゴハンは洋食屋のような型に盛ったのが出てくる。
さらに和定食にスパムというのが面白い。

誰もいない受付に鍵を置いてチェックアウト、大荷物とともに桜坂劇場へ。
東京の知人からすすめられていた『米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~』をようやく鑑賞。
基本的なことを知らなかったので、副読本を読むような教養としての面白さ。

先に場所を確認しておいた、移転した屋台喫茶「ひばり屋」さんへ。
僕のお気に入りのカフェ中、屈指のお店。
それにしても、以前と同じような空き地をよく見つけたものだ。
居合わせた福岡から来たという女子小学生が、アナゴの分類について教えてくれる。
ひばり屋さんとは、いくらでも話が弾んでしまう。

夕方のフライトまで、ふたたび漫湖のマングローブに浸っているつもりだった。
あら、けっこう時間が押してきた。
モノレールの奥武山公園駅のロッカーに荷物を置いて。
はじめてのルートで漫湖公園を目指す。
「龍宮」というレストランあり。
地元の野菜を使っているようで、入ってみる。
カウンターに『うらしま太郎』の絵本が飾ってある。
許可をいただいて、手に取ってみる。

小路和伸という人の画だが、息を呑む。
拙作『郷愁は夢のなかで』の西佐市さんに想いを馳せる。
すると『時をかける少女』が流れるではないか!
昨晩に続き、衝撃にシンクロニシティのBGM。
有線かどうかお店の女性に聞くと、自分の好きな原田知世のカバーだという。
お店を営むご夫妻は、町田からの移住組とのこと。
自分の名前、そして琉球にちなんでお店を「龍宮」として、この絵本はインターネットで出会ったという。
落ち着いたら、僕もネット買いしよう。
お店では沖縄の薬草茶なども飲めて、安心、信頼の食材をいただいている感がうれしい。

漫湖公園のビジターズセンターの観察木道、通行人の邪魔にならなそうなところで運動靴を脱ぎ、へたり込みながらシオマネキやトビハゼを見やる。
ここの難点は、マングローブの地表まで距離があって触ることもできず、地表には立ち入り禁止とされていること。
質問したいことも多々あったが、対応してくれそうなスタッフもいない。

掲示板にある別の観察ルートはどこだかよくわからない。
もっとマングローブの近くに寄りたい。
暗渠にされていない、コンクリートに覆われた下水の河口を泥が覆っているあたりを歩き、腰を下ろす。
ヤドカリが2匹、目につく。
こういうのは観察木道からではまず見つけられない。
干潮時のマングローブに干潟には無数の生物が穴をあけて、気泡のはじける音が周囲を覆っている。
そこに身を置くよろこび。

わが龍宮は、マングローブにあり。

那覇空港のJALのラウンジには泡盛がある。
シークワサージュース、ウコン茶もあり、それぞれで割っていただく。

充実の龍宮の島となかまたち、ありがとう!


3月5日(月)の記 淡路町の迷宮
日本にて


沖縄の旅の心地よい疲れを引きずりながら…
明後日が離日、そして今宵は大切な上映があるため、のんびりはできない。
山積みの残務雑務、身辺整理の開始。
冷蔵庫を空にして食材も使ってしまわないと。

雨か。
今日の上映会場はこの20年、何回となく通った神田淡路町のPARC。
ここへは、その時によってアクセスする方向と駅が違う。
さらに淡路町の交差点というのが今ひとつ包囲感覚が取りにくい。
そのため、恥ずかしながらいまだによく場所が把握できていない。
ここしばらくはブランクがあったので、地上の店類も変わっていることだろうし。

東京の公共wi-fi頼りでは僕のスマホは機能しない可能性、大。
PARCの住所を書き出して、グーグルマップの地図画像で確かめておく。
ふむ、かつては料理屋でその後、カフェになったはずの表通りにある店の横丁を通っていくのは覚えているが…
スターバックスだったか。
夜の雨のなか、スタバの横を抜けてみるが、どうにも見当たらない。
スマホの地図機能は機能せず、あたりには住所表示も見当たらない。
PARCにS.O.S電話を入れると、タリーズカフェの横だという。
あれはチュリーズではなかったのかと、雨に濡れながら感心。
いやはや。

まあ時間は十分間に合った。
今日の上映講座は3月に公募開始、9月に実施予定の愚生担当のブラジル日本人移民110周年記念5回連続講座の客寄せが主目的。
大アマゾンの先住民と日本人移民/ヒトの移動を考える、といったいかにもオカムラっぽい斬り口でいってみることにした。
旧知の人、なつかしい人、思わぬ人、初対面の人…
いやはやいっぱい集まってくださった。
ここを知らない人は場所に気おくれしているのか、そしてほんらいマジメ系の人が多いのか、ぎゅーぎゅーに人が集まっても会話も聞こえず、とにかく空気が固い。
それぞれがなにを期待しているのか、最大公約数も読めない…
ま、とにかくいってみるか。
話し出しとともに、少しずつ、ウケ、笑いを取っていく。

そして僕の自主制作作品紹介映像、さらに奥アマゾンの顔面画踏査、そしてブラジル領アマゾンのトメアスー移住地の日本人家族の記録を上映。
われながら、よくこんな取材をしてこのようにまとめたものだ。
質疑応答は尽きず、予定していた懇親会が遅れて時間も迫る。

最後に今回の立役者の二人とのひと時をもつことができて、まさしく腐敗した悪玉菌を封じ込めた思い。
ありがとう。

追記
一週間後。
ブラジルに戻ってから、グーグルマップまで確認してなぜ間違えたのかを探ってみました。
なるほど。
地図をどのくらいのサイズに見るかによって、目印のタリーズコーヒーのカフェマークのところに、通りの向かいにあるスターバックスコーヒーの名前がかかるためと判明しました。
オンライン、スマホ頼りだとこうした落とし穴に踏み込んでしまうことを再認識しました。


3月6日(火)の記 『我は神なり』こぼれ話
日本にて


朝から東京の実家の使用空間の片づけ、郵便での送りもの等々にいそしむ。
下高井戸シネマさんに4月の上映の件でうかがうべき用件あり。
会員特権の観賞券も使い切っていないので、ついでに一本見ておきたい。
厳選したのがナイトショーで上映の『我は神なり』。
https://warekami-movie.com/

韓国のアニメ映画。
韓国の寒村がダム建設で水没することになり、そこにキリスト教団が乗り込んでくる…
興味津々の話だ。
のっけから主人公格の人物が痰(たん)をきって吐くシーン。
劇映画でもアニメでも、こんなシーンは描かれることはまれではないだろうか。
どこまで実際の事件とリンクするのかあたりが興味深い。
が、600円はたいて買ったプロフラムでもそのあたりは不明。

終映後、旧知の映画館のスタッフが、顔見知りの大学教員と話し込んでいた。
話の輪に加えてもらう。
映画館にはそもそもこうした団らんとコミュニケーションの場があるといいのだが。

今日はミスが多かった。
外出時にスイカを忘れてしまった。
下高井戸シネマには有効期限昨年までの観賞券を持ってきてしまった。
会員証も持参しなかったので一般料金を払うところだったが、顔見知りのスタッフが会員料金にしてくれた。

過労のせいか、加齢のせいか、ミスが続いている。
ブラジルのわが家にたどり着いて、畳の部屋で横になるのが望み。
実家に戻ってから、夜なべ作業。


3月7日(水)の記 成田のカルボナーラ
日本→メキシコ→


今朝、目黒の実家の使用空間の掃除の仕上げ。
シャワーで禊もして、時間は間に合いそうだ。
恵比寿のホテルまでタクシー、次いでシャトルバスで成田へ。

今回は道中、ラウンジが使えない。
成田で1200円の有料ラウンジをフンパツ、長旅に備える。
昼食時だが、出国後の食事はどこも高い。
ラウンジで提供する税別900円のスパゲティ・カルボナーラを食べてみることにする。
外食時は、自分が食べたいもの、そして今後、自分が料理をする時の参考になるものを選んでいる。

カルボナーラは生クリームに卵黄、粉チーズにベーコン。
それに名前の由来である炭に見立てた黒コショウ、かと。
出てきたカルボナーラは、ベーコンが見当たらない。
ベーコンはオプションだったのかなと思いきや…
伸びた足の爪を切ったくらいの細片を一点、検出。
日本国の玄関口のラウンジ、しかもこの値段で、これ。

アエロメヒコのエコノミー席。
隣席には、座席の設計の想定を超える巨漢の若者が。
彼の足がはみ出し、こちらのテーブルが開けられないほど。
本人は、さぞつらいことだろう。

機内映画は新作映画たっぷり。
南米由来のお話だという『シェイプ・オブ・ウオーター』から観賞。


3月8日(木)の記 三国超しの読書
→ブラジル


 死というものは、生のひとつの形なのだ。
 この宇宙には死はひとつもない。
 『にぎやかな天地』宮本輝著 中公文庫


とらえどころのない気候のサンパウロに到着。
那覇の古書店ウララさんで教えてもらった宮本輝さんの『にぎやかな天地』上下巻をともに。
那覇-東京-メキシコシティ-サンパウロと経由しながら読了。
冒頭の、引用した部分からぐんぐん引き込まれていった。
若きフリーランスの書籍編集者が、日本の発酵食品についての取材を受け持つことになる。
そして彼と取り巻く人々の、死と生をめぐる因縁…

『にぎやかな天地』というのは発酵をつかさどる微生物の存在のメタファーだろう。
沖縄の漫湖のマングローブの干潟で聴きいっていた、あのにぎやかさに通じるものあり。

ウララの宇田智子さんには、メールで沖縄の発酵文化について問い合わせていたこともあり、他にも格好な資料を用意していただいていた。
ほんらいのソムリエとはあまり縁がないが、古書のソムリエには僕は恵まれている。

学芸大学の流浪堂の二見ご夫妻、京都のカライモブックスの奥田さん等々。
僕との会話のなかから、その先にある、僕の知らなかった本がすっと差し出されるのだ。
なんというお恵み。


3月9日(金)の記 はじめに沖縄豆腐かいき
ブラジルにて


今日はネット系の作業を少し、あとはでれでれだらだらさせていただく。
未明に空腹を覚え、お茶漬け系にサンパウロ自家製の漬物で。
キャベツの芯を味噌と粕ミックスで漬けておいたのが、やたらにうまい。
体が、大腸が、腸内フローラが求めている感。

夕食は、息子と二人になりそうだ。
冷凍してあった肉料理があるというが、僕、というか腸とその住人があまり乗らない…

近くの日本食材店「円満」に沖縄豆腐を買いに行く。
この店だけで2種類の沖縄豆腐が売られている。
ふたつとも「赤塚系」のシーサーの絵で、まぎらわしい。

大きいシーサーのを訪日前に買ったが、その日の日付なのに酸っぱい味だった。
小さいシーサーの絵の方を買ってみる。
これも今日付けだが、いまひとつ…
かつての、口に含んだとたんに感じるフレッシュ感、おいしさがないのだ。
製造者名が確認しにくいパッケージなのだが、大小シーサーとも同じところだったりして。

そういえば、沖縄滞在中に豆腐、食べたっけな?
「豆腐よう」も食べそこねた。


3月10日(土)の記 怒りの海ぶどう
ブラジルにて


今日の夕食は、家族四人が揃う。
日本からブラジルに戻ると、夕がた時分がいちばん眠くなる時間。

へろへろながら、夕餉の支度。
冷凍庫に中途半端な量の各種肉類がある。
それをいくつか解凍して、鉄板焼きとするか。

沖縄で海ぶどうを買ってブラジルまで担いできた。
牧志の古書店ウララさんのある通りあたりでは、3パック1000円ぐらいで売られている。
どうも観光客相手で割高な感じがある。
沖縄を発つさる日曜の朝、ドミトリーからちょっと歩くスーパー:マックスバリューまで買出しに行った。
ここには化粧箱に入った海ぶどうが売られている。
東京のいくつかのところへのお土産もこれにした。

ハードケース入りのVHSテープぐらいの大きさで、重さはもっとある。
成田空港のチェックイン時にエクセス料金がかかると脅されながら、なんとか荷物を分担してひと箱担いできた。

僕以外のこちらの家族は海ぶどうの存在を知らず、期待が高まる。
開けてびっくり、玉手箱。
箱の中身は、たっぷりとした水の中に金魚鉢の水草のようにつつましやかな海ぶどうが。
パックを確認すると、正味60グラムとあった。
量としては、居酒屋の一品ぐらいか。

かついできた液体をなめてみると、塩水。
沖縄から塩水を担いできたのか。
牧志の土産物屋で売られているプラスチックパック入りのものでも常温で一週間は持つという。
量はあちらの方がだんぜん多い。

今後の課題にしましょう。


3月11日(日)の記 サンパウロ/今日の旬
ブラジルにて


さあブラジルに戻って初めての日曜路上市。
どんな食材があるかな。

鮮魚店では、アジをすすめられる。
一匹1キロ弱なので、二匹購入。
イワシも冷凍ではないとのことで、開いてあるのを購入。

無農薬農園からの配給が途絶えたので、オルガニック野菜も買わないと。
大きめのキャベツ、ニンジン、オクラを買う。

鮮魚は昼、連れ合いの実家に持っていった。
先方には解凍したマグロがある。
不肖の婿がまず大根をツマ用に削り、ついでマグロ、アジ、イワシをおろす。
戻したワカメがあったので、いろどりに飾る。

おいしい。
そういえば、この度の訪日中に刺身、食べたっけかな?


3月12日(月)の記 村の鎮守
ブラジルにて


あの場所は、一歩踏みこめば異次元になる結界です。
映画は、結界に潜む神様への奉納物です。
(中略)
この神様は、捧げられた映画を喜ぶというよりも、映画を観て人間が喜ぶのをなによりも楽しんでおられる、村の鎮守の神様と一緒です。
『キネマの神様』原田マハ著(文春文庫)より


さあ、今日は一日断食だ。
プチ断食と発酵食品で生き抜こう。

仕事に出る家人から牛乳を買っておくように頼まれる。
冷凍してあるヨーグルトの種菌を解凍して、ヨーグルトもこさえるか。

成田第一ターミナルの改造社書店で買ってきた原田マハさん『キネマの神様』(文春文庫)を読む。
おもしろくてやめられない。
原田さんの作品には、これまでも「成田買い」で親しんできた。
豊かな教養をもとに、人情のツボ、ストーリー展開のツボを押さえておられ、見事である。

この作品では映画好きの老人の投稿文から、アメリカの映画評論の第一人者の文章の「訳文」までが繰り広げられるのだが、それらをその人物に成り代わって「ゴーストライト」する手腕だけでも、すごい。

夕方までに読み終え。
さあ、夕食の支度だ。
時差ボケをまだひきずりつつ、支度を終えて横になる。


3月13日(火)の記 美術の空白
ブラジルにて


今週後半から、マットグロッソに遠征することにした。
長距離バスで、片道24時間。

そのバスチケットを長距離バスターミナルまで買いに行く。
あ、身分証明証を忘れるところだった。
州外へのバスチケットはこれがないと買えなかったな。

地下鉄代と時間をはたいての買い出しだ。
ついでに、なんでもいいから美術展を見るか。
残念ながら、ターミナル近くにあるラテンアメリカメモリアルでは、人気子供番組展が続いているようだ。

セントロにあるカイシャ文化センターの新展示は、明日から。
だが、セーの駅でおりれば、何かしらあるだろう。
あら、ブラジル銀行文化センターも展示期間中のもの、なし。
オープンの日であるはずのサンパウロ市映像館も閉館している。

こんなことは、はじめて。
サンパウロ最古のチャペルに入って、簡単な祈りと瞑想。

東洋人街まで歩いて、中国人経営の店で中国製乾麺とブラジル製塩麹を購入。


3月14日(水)の記 CAQUIの季節
ブラジルにて


明日の慶事に備えて、車を洗いに出す。
その待ち時間をどうするか。
買い物と、カフェかな。

路上でカキを売っているのが目に留まる。
あの、日本の柿だ。
ブラジルでは Caqui と表記される。

いったん通り過ぎるが、反転。
カフェをがまんして、カキを買おうか。
かなり熟れ熟れ。
やや小ぶりだが、7個で5レアイス、邦貨にして180円ぐらいか。

祖国の秋を想う。
帰宅後、冷蔵庫で冷やしていただく。
まさしく、とろけかけている。

大根もあるし、柿なますをこさえるか。
レシピには砂糖もあるが、いらないかも。
酢は米酢にしようか、リンゴ酢か。
リンゴにしよう。
アクセントにチアシードをまぶす。
うむ、いくらでもいただける味だ。

今宵のメインは、子供のリクエストで、コロッケ。
ジャガイモをゆだるのから始めて、けっこうな手間である。
夕食後には、ぐったり。

ビデオ作業の方では思わぬトラブルが重なる。
明日、再挑戦しよう。


3月15日(木)の記 珍訳聖書
ブラジルにて


家族の行事で出向いた先に、聖書博物館というのがあるのを知った。
サンパウロ市近郊のバウエリ市にあり、入場無料だ。
http://museudabiblia.org.br/

書物そのものの歴史や、ミッションのあゆみをかいまみる意味でも面白い。
特筆したいユニークなものもある。
B3ぐらいのサイズの紙一枚に旧約新訳がすべて印刷されたもの。
水中でも読めるプラスチック紙に印刷されたもの。

ブラジルのさまざまな先住民の言葉に翻訳された聖書も圧巻だ。
仏教でも仏典を求めて命がけの旅をした三蔵法師、そして日本の河口慧海などがいたことを想い出す。

人が一命をかけて求め、伝えようとする本があるというのがすごい。

公文書をいとも簡単に改ざんするわが祖国は、人類史上のお笑いものだ。
言葉も文字もおろそかにした政治家と政府の罪と国の損失は、はかりしれないことだろう。


3月16日(金)の記 出がけの700
ブラジルにて


さあいよいよ今晩から片道24時間のバス旅でマットグロッソに向かう。
ああ、マットグロッソの響き。
『すばらしい世界旅行』の大アマゾンシリーズでは「緑の魔境」と形容していたな。
以前、紹介した平島征也さんの著書名は、ずばり『魔境マットグロッソ』。
今回訪ねるロンドノポリスの町は、すでに魔境からだいぶ遠くなってしまっているけれども。

バスの出発は20時だが、荷物もあり、夕がたの地下鉄のラッシュが心配。
家族のアドバイスを受けて、無難に17時半に出家。
楽勝の混み具合でメトロを乗り継ぎ、バハフンダのターミナルへ。

さあどこで時間を潰そうか。
荷物を引きずりながら、あたりをまわる。
大ぶりの透明のプラスチックコップで生ビールを供する店をターミナル内で発見。
これでいこう。
700mlで15レアイス、邦貨にして500円ぐらい。
ちなみに日本の瓶ビール大瓶は633ml。
夕食代わりとするか。

ちびちびすすりながら、日本から担いできて読めていない小冊子や機関紙類に目を通す。
1時間半も粘ってしまい、モトは取れたかも。

バスは後部座席がサービス価格で、ついそれを選んでしまった。
トイレ奉行のような席。
しかも読書灯が壊れている。
隣りが空席なのが救い。

700ml効果もあり、夜明けまで休ませてもらうか。


3月17日(土)の記 ブラジル走り読み
ブラジルにて


わが長距離バスはサンパウロ州からミナスジェライス州、ゴイアス州を経てマットグロッソ州へと向かう。
目的地のアリプアナを地図で調べてみると、大アマゾン緑の魔境に通っている道路のどん詰まりだ。
1970年代の緑の魔境はアマゾン開発最前線、そして環境破壊の最前線と変化(へんげ)していった。
ブラジルのドキュメンタリー映画の巨匠コルチーニョ式に、特にテーマや狙いを定めずにこの最前線に行って、いきあたりばったり式のドキュメンタリーというのも面白いかな、と夢想。

さあ車内は明るくなったので、本が読める。
まずは丸山健一著『田舎暮らしに殺されない法』朝日文庫。
この本、益子町の添谷書店で買った。
地域に密着したいい本屋さんだった。
濱田庄司関係を求めて、この本も買った。
定年時に読む本としても、好著だ。

ついで畏友・鈴木隆祐さんの最新著『名門高校青春グルメ』(辰巳出版)。
これは事前に鈴木さんからネタ出しを乞われていた。
しかしわが母校は名門がどうかは疑問だし、近年になって校名を当時の都知事石原にソンタクしてグロテスクに変えたとみられる恥知らずぶり。
そもそも僕は高校時代、学校近くで外食するというような経済的余裕はまるでなく、すべてを映画観賞に注いでいた。
鈴木さんの手前、高校時代の友人や元教員に尋ねてみたが、これといった返信がなかったり、返信そのものがなかったり。

そもそも高校時代に筆禍事件を起こし、最高責任者は安倍総理なみに僕にすべて責任を投げて僕はひとり悪役となり、「自主謹慎」という嗤うべき妥協をしてしまった身である。
高校時代は「青春グルメ」どころか「青春ゲロメ」であったから、この企画自体がまるでどうでもよかったのだ。
さてこの本ができあがり、共通の知人が僕にわが「墓校」の部分をスキャンして送ってきてくれて驚いた。
僕の実名で、母校の校名批判から僕自身が映画にのめり込んでグルメどころではなかったことまで綴られているではないか。
「受領(ずりょう)は倒るるところに土をつかめ」とは高校時代の古文で覚えた言葉だが、鈴木ライターはまさしくそれをいっている。
これからは鈴木受領と呼ぼう。

さて刊行からしばらく経って、東京の実家に出版社からこの本が送られてきた。
鈴木さんからコメントを求められたが、自分の母校の部分でも食指が動かなかったのが本音。
かといってわが実名発言が掲載されている書籍を送ってもらって読んでもいないというのも、あずましくなさそうだ。
といった経緯で旅の友に加えた次第。

鈴木さんは僕より8年あとの生まれなのだが、話していると年代の話題が僕と同世代か、やや上に思えるほどだ。
やはりマスコミ関係だったご尊父の影響が強いとのこと。
書かれているものは名門高校はどうでもいいとして、B級グルメ本、現代日本の風俗本として面白い。
ブラジル移民となって久しい僕には意味不明のカタカナ語や略語も出てくるが、それもまた勉強になるというものだ。
「無化調」「〆ラー」「朝ラー」など、まあ文脈から想像がつくが、祖国と無縁になった移民には意味不明かもしれないけど。
行ってみたら定休日だった、といった失敗談、けっしてヨイショに終わらないコメントも好感が持てる。
牛山純一門下としては、取材すべき定休を確認していないことでどやされ、ふたたびオープン日に行っていないことで叩かれたうえでネタとして没にされるというものだ。
しかし、そのあたりのユルさも鈴木ちゃんだと許されちゃう感があるのも面白い。
ジャン・コクトーの訪日、高野悦子『二十歳の原点』といった教養もちりばめられるのも楽しい。
それにしても「小坂明子『あなた』状態」「夏目雅子の映画での濡れ場のように抑制が効いていた」といった記載に若い読者は付いていけるのだろうか?
ひょっとして編集者、あるいは鈴木ファンへのウケ狙いだろうか。
いずれにしろ、現在日本の最前線で自分の名前で活躍するライターの仕事ぶりをうかがう意味でも格好かもしれない。

サンパウロと1時間の時差のあるマットグロッソ州に入ると、すでに漆黒。
拙作『郷愁は夢のなかで』の西佐市さんの庵のあたりは、この闇では見当もつかない。
ロンドノポリスの町のバスターミナルには、リハビリ中の溝部富雄さんがお嬢さんの車に同乗して迎えに来てくれた。
再会かなった…


3月18日(日)の記 サーカス一家と再会
ブラジルにて


西暦1986年、僕の日本映像記録センターの職員ディレクター時代最後の取材は『すばらしい世界旅行』「アマゾンをさすらう 牧童の旅・曲芸の旅」と題して放送された。

アマゾン地域の巡回芸能集団を探しに探して、尋ね当てたのがサーカス一家。
当時のアマゾン開発の最前線、ボリビアとの国境に位置するロンドニア州を巡業中だった。
「ハレーサーカス」と名付けられた一座は両親とその子供4人、そして長男の嫁、さらに猿とライオンという、まさしく家族での巡業でアマゾンの新開地を回っていた。
当時、日本から通って取材にあたっていた僕は、通訳を介さなければ彼らとは会話らしい会話もできなかったのだが…

そのころ20歳だった長男のパウロさんは新妻がいて、身ごもっていた。
パウロさんは子供にJUNと名付けると言っていた。
インターネットなど、想像もできない時代のことである。
まさしく住所不定の一家とは音信が途絶えてしまった…

フェイスブックの時代の脅威である。
30有余年を経て、パウロさんからメッセージが届いたのである。
すでに30代に突入した長男が、自分のJUNという名前の由来を知りたがっている…
さらに驚いたのが、一家はサーカスをたたんで僕とはなじみの深いマットグロッソのロンドノポリスの町に定住していることだった。

僕を一家そろって歓待したいという。
朝からワクワクドキドキしながら、溝部さんの御宅でパウロの迎えを待つ。
再会。

彼は定住地の敷地内にサーカス時代のトレーラー、動物の柵、テントの支柱類まで保存していた。
その後の一家には、気の遠くなるほどいろいろなことがあった。
改めて聞いてみると、パウロさんの一家は祖父の代からサーカスを営んでいて、曽祖父はヨーロッパのジプシーだったという。
第一次大戦の難を逃れて、オーストリアからブラジル南部のリオグランデドスル州に移住したそうだ。
現在のパウロさんは、アマゾン地帯で収穫された大豆をトラックでいそうする仕事をしている。
はじめて会う好漢JUN君はブラジル陸軍をリタイヤして、いまはやはりトラックのドライバーだ。
南米最大の穀物移送基地、大型トラック1000台収納可能といったスペースが連なる一帯を案内してもらう。

365日、24時間、行き交い続ける大型トラックから落ちこぼれる大豆を掃き集めて業とする人々もいると知る。
我が身とオーバーラップ。

物心ついた時からサーカスの舞台に立っていたパウロさんは、学歴がないのを恥じる。
しかし僕の想像を超える数々の現場で培ってきた知識とモラルは、まさしく傾聴に値する。
ありがとう、ブラジルのアミーゴたち。


3月19日(月)の記 セラードの落日
ブラジルにて


今日は昼前においとまするまで、溝部さんと共に過ごす。
静養中の溝部さんは日中、主にテレビを見て過ごす。
NHK国際放送、ナショジ、ディスカバリー。
ブラジルの一般放送はまず見ることがない。
アラスカの金鉱ものがお気に入りだ。

NHKニュースの偏向ぶりについては聞き及んでいたが、昨日もたまげた。
定時の全国トップニュースは、四国で犬が人をかんだ事件。
かまれた人は重体というほどでもないらしい。
ブラジルでこんなニュースを流していたら、24時間、犬にかまれた話ばかりになるだろう。
未曽有の安倍政権のでたらめぶり、公文書の改ざん騒動、市民の抗議行動等々の大問題についてはまるで触れられずに天気予報となった。
在外邦人もナメられたものである。
見ない、契約しないに限るな。

溝部さんと、再会を期して。
帰りのバスは、隣席に学生風の若者がいるが、他に2席並びの空きがあるので、タイミングを見て移る。

さあ、読書。
益子市のうれしい書店・添谷書店で買った城山三郎著『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』角川文庫。
これが中央公論に掲載されたのは1961年、田中正造の名も公害という言葉も一般には知られていなかった頃だという。
明治がノスタルジーだなんて、とんでもない。
福島事故、安倍政権の暴虐の根っこを探るうえでも興味深い。
ネタバレになるが、小説の半ばで大主人公が死んでしまう、そのあとのいわば地味な経緯を書くという作家の心意気がすごい。

ついで養老孟司、奥本大三郎、池田清彦三氏の鼎談『三人寄れば虫の知恵』洋泉社。
古本屋が乏しいとされる静岡は浜松で見つけた1934年開業の老舗典昭堂で買った。
1996年の本だが、いまだにこの分野ではこの人たちが一人者ではないかな。
20余年の歳月をさほど感じずに面白く読む。

ああ、車窓右後方、セラードの大平原の落日。
黒澤監督の『影武者』のテーマ曲が浮かんでくる。
行きの落日もダイナミックだった。


3月20日(火)の記 旅帰りのカレーづくり
ブラジルにて


長距離バスで夜明けを迎える。
色といい、地形といい、なじみのあるサンパウロ州の大地。
京都のカライモブックスさんで新刊本として買った『大義と破壊 西南戦争民衆の記』(長野浩典著/弦書房)を読みながら、サンパウロ市に向かう。

捕虜虐殺、人肉食など、いわゆる大東亜戦争で「皇軍」がやらかしたことは、すでに西南戦争で行なわれていたことを知る。

昼過ぎにバハフンダのバスターミナル着。
まずは、帰宅。

夜にカレーでもつくるか。
わが子のリクエストで、カレーはルーを使うようになって久しい。
材料の買い出し。
日本から担いできて半分残っていたルート、ブラジルの日系メーカーのルーを使う。
いろいろ味を足してみるが、イマイチ。

溝部さんのところでいただいてきた手づくり紅ショウガをさっそく使わせていただく。
これがまことにおいしい。
帰路、ゴイアス州で買った唐辛子をまぶしたチーズもさっそく食べてみる。
まあ、これは珍味といったところ。


3月21日(水)の記 竹のささやき
ブラジルにて


ブラジルの長距離バス、本が読めるのが魅力である。
本読みの旅をまた…と願いつつ。

かなり動作の危なくなってきたビデオ編集機での、はらはら作業。
日本の人に約束した作業だけは済ませたい。

午後、フマニタスの佐々木神父から電話をいただく。
今週末、竹を粉末にする機械がフマニタスに到着の予定とのこと。
自動車で来るのはたいへんだから、バスで来ないかとお気遣いもいただく。

そうか、先方の招きならバスも悪くない。
かなり離れたバス停の町までお出迎えいただくのが恐縮なので。

まずは週末に引き受けていた家族の用事を調整しないと。


3月22日(木)の記 胴体破損
ブラジルにて


フマニタスへの旅は、明晩の夜行バスを使うことにした。
ネットでバスのチケットを購入しようとするが、日本発行のクレジットカードのせいか、あれこれデータを取られて最終的な決算不能。
バスターミナルまで買いに行くしかないか。

そのおかげで、ネット販売のバスチケットはネット業者が手数料を取る仕組みと知る。
往復の地下鉄代以上の手数料だ。
ネット買いの飛行機チケットでもえらい目にあわされている。

地下鉄代の元を取るため、いくつかの用事を抱き合せる。
セー広場の鞄屋で買ったウエストバッグの取り換えを頼んでみようか。
マットグロッソの旅の直前に買った。

ものの一週間でメインの部分のファスナーが壊れてしまった。
ファスナーの部位の名称を調べてみると…
いわゆるスライダーの部分の、胴体と呼ばれる部品の底がたやすく割れてしまった。
別の部分のスライダーを移植しようとすると、その胴体の底部も割れてしまったのだ。

中国製、邦貨にすると1000円足らず。
売り子のおばさんは革製だと言ったが、ちゃんと人工皮革とポルトガル語で表記したラベルが付いている。
領収証をもらったかどうか記憶にない。
出がけにばたばた探してみると、あったあった、レシートが。

購入時はこれが最後の在庫とのことだったが、クレームをしてレシートを見せるとあっさりと別のと買えてくれた。
「この手は、すぐにファスナーが壊れるの?」
とダメを押すと、
「めったにない」
との言質。

友人と待ち合わせていたカフェでさっそく使ってみる。
ファスナーはおそるおそる。
同じもののはずだが、なんだか取り替えたやつより使い勝手がよさそうだ。

禍福はあざなえる縄のごとし。
近所の日本食材店で透明なラップにくるんだ大根を買った。
夕餉の支度にラップを開けてみると、とろけて腐敗臭を発している部分あり。
切ってみると、なかの半分はとろけていた。
大根の腐敗臭、なかなか強烈である。
透明ラップにくるんだ大根には気をつけよう。


3月23日(金)の記 富山妙子さんに聴く
ブラジルにて


奇縁の連鎖である。
なにか超常的な意志でも想定した方が、わかりやすいかもしれない。

ふしぎな縁が重なり、5年前に画家の富山妙子さんの世田谷の御宅に招かれることになった。
僕にお話ししたいことがあるとのことで、一期一会の思いでビデオカメラを担いでいった。
目の覚めるような痛快な話で、かつ重く、なによりもわが意を得た話だった。

この時は『後・出ニッポン記』と仮題をつけていた『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』のダイジェスト版をまとめあげたところだった。
それをこれもすごいことなのだが、東大駒場の伊東乾さんのワーグナーのオペラについてのゼミ枠で、富山さんにご覧いただいていた。
それが富山さんとの出会いだった。

さてこの記録は、記録文学作家の上野英信が1973年に日本の炭鉱離職者を南米大陸に訪ねた旅の、残り香を探すこころみだ。
恥ずかしながら富山さんにお会いするまで、上野英信は富山さんが1961年から行なった南米の炭鉱離職者を探す旅で得た知見と人脈をフルに利用して自らの旅をかなえたことを見逃していた。

当の上野英信が自作のなかでそうした手の内を明かしているところを、僕は見つけていない。
さて富山さんにご了解をいただいて撮影させていただいたものをまとめておきたいと思いつつ、思わぬ問題が生じていた。

しかし先回の訪日で、これまた思わぬ知人が富山さんの中南米での足跡とその成果を研究していると知り、ひと肌脱ぐことにした。
作品とは言えないまでも、他人に見せられる段階までまとめるのに、編集機のトラブルが続き、手間取ってしまった。

今晩からの旅に出る前に、全体を通しでチェック。
すでに何度も見ているのだが、飽きることがない。
すごい人から、すごい話を聞いてしまった。
それを死蔵することなく活用できそうで、感無量。

さあふたたび長距離バスの旅だ。


3月24日(土)の記 メンマのめまい
ブラジルにて


ロンドリーナまでの夜行バスは2社あったが、カタリネンセ社のものを選んでみた。
2階バスで、階下は寝台。
わが2階席もひとつの座席にUSBのコンセントが二つもついている。
フマニタスのシスターたちに早々と車でお迎えをいただき、恐縮。
ま、今回は佐々木神父の要請だから、甘えましょう。

佐々木神父と再会。
だいぶ足が弱ったというが、とりあえずお元気そうで安心。
竹粉砕機の到着は明日の夕方になった由。
それでは今日は、ゆっくりさせていただきましょう。

おかげさまで日本の二人の竹に賭ける友人知人から、様々なタケ情報をいただいている。
日本ではメンマ製造に取り込もうとしているところが増えている由。
メンマについて調べてみて、驚いた。
マチク(麻竹)と呼ばれるタケの竹の子の発酵食品だという。
メンマの語源については、絶句。
ラーメンに乗せるマチクだから…

シナチクという言葉への抗議があっての苦肉の造語のようだ。
シナが蔑称だからというのではなく、台湾産なのにシナとはけしからん、というクレームだったとか。
もうシナチク:メンマ、奥が深すぎ。

さて、サンパウロでも軒並みラーメン屋が増えている。
佐々木神父は零細農家の支援に竹を用いた総合的なプロジェクトを計画中だ。
食用の一環として、メンマを想定してみるのも面白いかもしれない。
ところが…佐々木神父はメンマ:シナチクをご存じなかった。

サンパウロに帰ったら入手してお送りするか。


3月25日(日)の記 フマニタスとナメクジ
ブラジルにて


フマニタスの日曜日。
枝の主日のミサ、近くの施設訪問などの合間に付近を歩いてみる。

いままで気づかなかった泥道を行ってみる。
靴が汚れるか…
ここのところ、雨がちである。
へりに横たわる細めの朽木をいくつか返してみる。

小蛇など潜んでいないことを願いつつ…
二つ目にして、いた!

すでに初訪問から約四半世紀。
これまで敷地内のラン栽培場でチャコウラナメクジに似たヨーロッパからの在来種とみられるナメクジを確認したのみだった。
手元のスマホで一枚撮影、デジカメを取りに走る。
おそらく在来種だろうが、それにしても僕が出会ったブラジルのナメクジは意外なまでに地味である。

この土地は40数年前は荒れた牧野だったが、フマニタス創設の際にアメリカ松やユーカリなど外来種の樹木が植林されていた。
ユーカリは弊害が知られて伐採、そもそも敷地内は庭師による手入れが行き届いているが、こうした周縁には潜在植生が復活し始めている。

さらにその先に僕好み、虫好みの廻廊林の踏み分け道を発見。
小川まで出ると、在来種のタケがあるではないか。
素手で折る/もぐのは容易ではないが、佐々木神父にお見せするため捻じりもぐ。

午後から激しい雨。
待望の竹粉砕機を乗せた小型トラックは日没時に到着。
ちょうど雨が上がり、パラナの天空を二重の虹が飾った。


3月26日(月)の記 竹粉ことはじめ
ブラジルにて


フマニタスにて。
朝イチで軽トラックに積んだままの竹粉砕機を、ラン栽培の温室跡に据え付ける予定。

トラブル続出。
カギの保管者が来ない。
昨日の雨で泥道がぬかるみ、軽トラックが動けない。
四輪駆動のトラックの到着を待ち、200キロ近い機械を移し替えて…

いろいろあったが、機械は順調に稼働。
やれやれ。
すったもんだがあって、農学校にももう一台の機械を運ぶと、担当は午後にしか来ないという…

思えば、いつもこんな調子だったな。
フマニタスは常にドラマチック。

昼食後においとま。
帰路のヴィアソン・ガルシア社のバスも2階建て。
各座席にひとつのUSB差し入れ口がある。

このバスの問題は、サービスのつもりらしい、天井部に何台か取り付けられたモニターで流される映画。
音がうるさく、見る気のない人には迷惑この上ない。
そのうえ、かけ流しのDVDのせいか、あるいは電波を拾っているのか、画面の乱れが何十秒も続くことがしばしば。
その間の雑音もひどい。
飛行機でもらった耳栓を持ってくればよかった。
こんなサービス、やめてくれ。
午後のバスだが、カーテンを閉めて眠っている人が多い。

外はなかなかの豪雨で、どこからか雨が少し車内に注ぎ込んでくる。
佐々木神父にいただいた資料、日本から担いできた資料などに目を通す。


3月27日(火)の記 MASP詣で
ブラジルにて


今度のフマニタス行きは自分で運転ではなく、行きも帰りもバス旅だったのにどうも疲れが抜けない。
訪日まであと2週間、残務は山積みで崩れそう。

旅行保険の件で、エージェントに。
火曜はサンパウロ近代美術館:MASPが無料なので、それも抱き合せ。

アートを鑑賞する身心のゆとりがない感じだが。
ブラジルの誇る彫刻家アレイジャジンニョの特別展が開催中だ。
アレイジャジンニョは18-19世紀にミナスジェライス州で活躍した。
父はポルトガル人の建築家、母は黒人奴隷だったといわれる。
ハンセン病を患い、手の指を失いながらもノミを腕にしばりつけて彫刻を続けたとされる。

これまで何点か、彼の作品を見てきたが、鬼気迫るものばかりだった。
とくに聖金曜日のイエス像には、息を呑んだ。
人間の体のいたみを、これほどリアルに表現した彫刻。

さて、MASPには30点ほどの彼の作品が一堂に会しているのだが…
これ、ほんとに彼の作品?といった思い。
見る僕自身のブレかもしれない。
これなら、運慶の方がずっとすごいぞという思い。

せっかくなので上の常設展、地下の特別展も足だけ運んでおく。
地下ではマリア・アウシリアドーラというブラジルの女性の作家の展示。
いわゆるプリミティヴ系だ。
ほんの流し見だが、いい感じ。
かつてのブラジルの田舎の暮らしが画材だが、描くことのよろこびがあふれている感じだ。
ざっと彼女のバイオグラフィーを見ると、黒人系でブラジル北東部に生き、若くして大病を患い、亡くなったようだ。

羽毛をまとって森のなかで自画像を描く絵が、とってもよかった。


3月28日(水)の記 リセットの季節
ブラジルにて


10年来、使ってきたビデオ編集機がいよいよ危機的になってきた。
DVDを焼くDVDライターも不具合。
今度の訪日までにまとめたいものだけでも、なんとかすべく…
僕なりの知恵と手間は尽くしてみる。

案ずるより産むがやすし、全とっかえをすべき時期かと。
なにかと、節目な名感じ。
出費等々を考えると、伏し目な感じ。


3月29日(木)の記 ラー油の拷問
ブラジルにて


近々訪日する在ブラジルの日本人の友人と、東洋人街でカフェ。
日本で会いましょうかと盛り上がる。

さあ東洋人街で探し物。
竹プロジェクトに目を輝かせるフマニタスの佐々木神父に、メンマ:シナチクをお送りしたい。
中国人経営の店で中国産の2種類を見つける。
うち一つを、わが家の試食用とふたつ購入。

日本の桃屋の瓶入りメンマは東洋人街の大手日本食材店を回っても見つからず、わが家の近くの日本食材店「円満」で購入。

中国産のものは桃屋の3倍ぐらいの容量で、ラー油がたっぷり。
帰宅後、ちょいとなめてみる。
!!!!
想定をはるかに超える激辛!
拷問クラスである。
もだえながら冷やゴハンを飲みこんで、しばらくしてようやく収まる。

梱包して郵便局で発送。
佐々木神父宛てメールにて中国製の方にはくれぐれもお気をつけて、とまずは一報入れておく。


3月30日(金)の記 聖金曜日のひとりごち
ブラジルにて


イエス受難/処刑の休日である。
昼は連れ合いの実家に集まっての、獣肉抜きの食事。
夜は聖金曜日のミサに預かる。

天空は、満月近し。
復活祭の日は毎年異なるが、その計算の仕方をようやく覚えた。
春分の日(南半球では秋分)のあとの最初の満月の日のあとの最初の日曜日。
今年は4月1日が満月で日曜と重なる。
すでに日本では本来の意義を問わないカーニバルの本来の時期は、この復活祭から逆算される。

日本というフィルターには除外されるブラジルの文化こそが、僕あたりには面白い。
今年のアメリカのオスカーをさらったギリェルメ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウオーター』にはサンバの歌姫と呼ばれるカルメン・ミランダの歌と映像がそこそこ用いられていて驚いた。
あまりこのことに日本人のブラジル音楽好きの方々は言及していないようだ。
アマゾンの半魚人とサンバの歌姫のオーバーラップというのがすごい。
寿司に天ぷらを握るみたいで。


3月31日(土)の記 聖土曜日の燭光
ブラジルにて


寝違いだろうか、首が痛む。
パソコンの前に坐っているのも、ややしんどい。

夜は近くのチャペルへ。
カトリックでは今日は聖土曜日。
「復活の聖なる徹夜祭」が行なわれる。
ロウソク持参のことの由。
手ぶらでいくと、お箸のように細いロウソクをくれた。

堂内は消灯。
聖像類は撤去されているか紫の布で覆われている。
処刑されて洞窟に葬られたイエスをいたむ。

司祭らの持参する灯をリレーして、それぞれのロウソクをともす。
穴居時代のアーカイックな記憶がうずく。

自分が救世主とあがめ、信じ、従ってきた人が、公然とあなどられて処刑されてしまう。
その絶望を想う。
今の祖国日本の政界の闇をも想う。

そして、想いもよらないひかりの復活。
キリスト教信仰の真髄がここにありそうだ。

創世記の朗読がこころに沁みる。
手にかかる溶けたロウソクすらここちよい。

かつてはまさしく深夜に行なわれたそうだが、ブラジルの都市部の治安はあまりに悪い。
夜10時過ぎにはお開きとなり、夜道を無事に帰り着いた安堵感はひとしお。


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