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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2018年の日記  (最終更新日 : 2018/12/08)
6月の日記 総集編 アンチモンタージュ宣言

6月の日記 総集編 アンチモンタージュ宣言 (2018/06/03) 6月1日(金)の記 リオのピエタ
ブラジルにて


ブラジルも月が替わった。
拙ウエブサイトの滞りを順番に手入れ。

拙作『リオ フクシマ 2』にちょうだいした会心のイメージ画をアップする。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20180601013692.cfm

この作品は、日本にお住まいのアトリエ・アルカンジェロさんに手掛けていただいた。
アトリエ・アルカンジェロさんには去年、メールをちょうだいして知己をえた。
まさしく奇縁だった。
ウエブサイトを拝見して、この女性たちに魅せられてしまった。
https://atelier0arcangelo.exblog.jp/

思い切って拙作のイメージ画をお願いしてご快諾のうえ、ご尽力いただくことになった。
岡村の無知かつ無体なリクエストにも、よく辛抱してもらった。

そして仕上げていただいたのが、今年の聖霊降臨の祝日であった。
画像をながめていて映画『リオの若大将』と訃報が伝わったばかりの女優の星由里子さんのことを想いだした。

調べてみると星由里子さんは『リオの若大将』のマドンナ役を務めてリオに来ているではないか。

いつまでも眺め、感じ、考え、語り合える作品に感謝です。


6月2日(土)の記 アンチモンタージュ宣言
ブラジルにて


未明からDVDで『戦艦ポチョムキン』を見直す。
新たな編集システムに突入し、久しぶりに尺の制限のある映像編集の仕上げの前に見ておこうと思った。

いやはや、これほどわが記憶はいい加減なものか。
着色の赤旗のシーンなど、まるで覚えていなかった。

映画のモンタージュ論のお手本として語られるバイブル的映画だ。
モンタージュというものを、恥ずかしながら理論的にはさして考えてこなかった。
かみ砕いてみると…複数の視点による映像を重ねあげることによる視覚的心理的効果、といったところかな。

今さらながら、気づく。
僕の作品は、僕自身がシュートした映像の使用にこだわり続けている。
僕自身の視点は動いても、撮り手が僕であることは変わることがない。
拙作にたいして「リアル」と評していただくことがしばしばあるが、複数の視点、撮り手というものを排除した故のリアルなのかもしれない。

それにしても、オデッサの乳母車。
フィクションとはいえ、けっきょく乳児は助かることはなかったのだろうな。


6月3日(日)の記 ストはストップしたけれど
ブラジルにて


ニュースでは、ブラジル全国でのトラック運転手ストの影響から流通も回復しつつある、というけれど…
オンライン上で、また明日月曜からスト再開という情報も流れているようだ。

路上市を歩いてみると、出店や品数はほぼ通常と変わらないようだが、値段は高めな感じ。
「テレビでいってることなんか信じないでねー」と売り子が叫んでいる。

さあ、今日はわが車の起動の要あり、燃料を入れないと。
よく使うスタンドで聞くと、おそらく日本でハイオクガソリンにあたるだろう割高のものしかなく、アルコール燃料はないという。

少し迷うが、ちょっと先にあったはずのスタンドまで行ってみることにする。
そこもアルコールはないが、ふつうのガソリンならあるという。
値段が強烈なので、控えめに給油。
アルコールなら通常リッターあたり2レアイス台の値段だが、ここのガソリンは四捨五入するとリッター5レアイスである。

あとで案の定、家人から明日からまたストになったらどうするの、と。
まあ今週はまだ車の遠出の予定もないし。

このあたりの判断、むずかしいです。


6月4日(月)の記 『太陽が落ちた日』
ブラジルにて


作業中の最新短編映像の方は、ナレーションの録音を手配する段階に。
いつものスタジオに連絡、明日の午前中を予約。

さあ今日からECOFALANTE:サンパウロ環境映画祭に行こう。

午後。
ペットボトルの小瓶に薬草茶を入れて。
余裕の時間でメトロに乗り、おなじみの会場に行ってみるが…
その気配がない。
あ。
会場を間違えてしまった。

本来の会場に行くとなると、最初の方を見逃しそうだ…
この映画祭は、複数の会場で同時に行なわれている。
後日に回そうと思っていた、いちばん観たかった作品の上映会場までタクシーでいけば、間に合うかも。
勝負!

タクシーの運転手は故人となった僕より年上の義弟に似ていて、しかも故人の追悼ミサをあげてもらった教会の前を通る…

間に合った。
見たかった作品には邦題があった。
『太陽が落ちた日』、スイスと日本とフィンランドの合作。
監督のドメーニグ綾さんは、日系スイス人で、祖父母が広島で被爆している。
彼女自身が、存命の広島の祖母を訪ねて祖父母の被爆体験を聞き、さらに福島原発事故をみつめていくといった話だ。
彼女の祖母同様、90代の被爆者で、なおも被爆:被曝問題の最前線に立つ肥田舜太郎医師、そして内田千寿子さんという女性が紹介される。
被爆当時は看護婦を務め、この取材時には有機農業に取り組む内田さんのお姿がすばらしく、神々しい。
2015年の作品だが、日本では自主上映などで上映されたのみで劇場公開はされていないようだ。
こうした、祖国日本でこそみられるべき作品を異国で見る、複雑な思い。

今日はこの会場での上映作品を見続けることにする。

デンマークのフェロー島の住民が海獣や海鳥由来の水銀に脅かされる話。
グアテマラでのダム建設に伴う先住民の虐殺。
ニカラグアで中国系資本により、巨大な淡水湖を破壊しながら太平洋と大西洋をつなぐ運河をつくる計画。
そしてコンゴの内戦。
広島と長崎に投下された原爆は、コンゴで採掘されたウラン鉱石を原料とした。

たいせつな学びの機会を今日だけでいくつもちょうだいした。
しかもこの映画祭、入場はすべて無料である。
途中で識者によるディスカッションがあり、「サンパウロでこの映画祭があることを誇りに思う」という発言があったが、まことに同感。

日本で末期症状を更新し続ける安倍晋三内閣に絶望ばかりはしていられないぞ!


6月5日(火)の記 下からみたCHONGGING
ブラジルにて


(すでに四日も経ってから本稿を書くにあたって、中国のその都市名を探り当てて慄然としている。
重慶。
かつて日本軍がナチスのゲルニカ爆撃にまさるとも劣らぬ都市無差別爆撃を行なった都市である。)

午前中になじみのスタジオで最新短編のナレーション録音。
こればかりは、短編といえども何度やっても新たに緊張する。
訳あってビデオカメラも持参、最寄りの地下鉄の駅にある模型を帰路に撮影。

今回は録音データをネットで送ってもらうことになった。
なぜか帰宅しても届いていない。
先方に直接の連絡が取れず、メッセージを置いて午後から外出。

今日はダウンタウンのちょっとヤバい地区の会場で環境映画祭を3セッション観るつもり。
すぐ近くに、先の訪日のときに世界中に伝わった不法占拠者居住ビルの火災事故の現場がある。
すでに虚空となった現場はフェンスで覆われて、延焼した隣のカトリック教会は、まるで怪獣の襲撃にあったごとく、断面図のような内部をさらけ出していた。

さて、環境映画祭。
今日の白眉はフランス人の監督による英題『Last Days in Shibati』という作品。
中国で開発のすすむ Chongging という都市が舞台。
中国の地名は漢字表記なら有名どころの見当はつくが、アルファベット表記だとむずかしい。

その都市の取り壊しの決まった細民居住地区に、中国語もほとんど解さないフランス人が乗り込んで撮影をはじめる。
いきなりカメラで撮影するガイジンに対する住民の反応が翻訳字幕と共に伝わり、同業者として緊張せざるをえない。
これをブラジルのファヴェーラ:スラムで行なったら銃弾を浴びせられる可能性が高そうで、考えるだけでも恐ろしい。

しかし、中国の都市の底辺に生きる人たちの寛容さなのか、あるいは撮り手のキャラクターなのか、編集のマジックによるものか、被写体の人たちからのあからさまな拒否はさほど伝わってこない。
それどころか、何人かのパーソナリティに焦点を絞って繰り返して通う撮影者に、主人公ともなる廃品回収の老女は「この人は自分に敬意を表して記録してくれている。ほんとうにありがとう。」と告げるのだ。
ドキュメンタリーの、至高の刹那だ。
数年に一度ぐらいの、ドキュメンタリー映画観賞での感動を味わう。

何年もかけて通う撮影者は、最後まで片言の中国語と英語の通訳を伴っての被写体の人たちとの会話なのだが。
かつてわが師匠の牛山純一は、言葉は通訳を使えばいいと言い、僕はそれに疑問を持ったものだ。
これも、この機会に再考してみよう。


6月6日(水)の記 絶望と希望の映画祭
ブラジルにて


ただいま制作中の短編『未来のアミーゴたち』のナレーション録音データは昨晩遅くなんとかダウンロードできた。
午前中、ミックスダウン作業を少し進める。
新システムのため、そこそこに手こずる。
午前中は知人の訪問のお相手もあり、ほとんど仕事にならず。
午後は午後とて…

さあ今日は環境映画祭エコファランテでぜひ観ておきたいのが、3セッション。
その会場近くで日系アート展というのをやっているので、のぞいてみる。
受付の応対といい、展示方法といい、悲劇的。
口直しに、閉展せまるベルギー近代絵画展を再訪。
先回、ノーマークだった面白い作品がある。
スタッフに展示替えがあったか聞いてみると、ないとのこと。
こっちの観賞眼もいいかげんなものだ。

さて、環境映画祭。
最初の作品は英題『The Chocolate Case』オランダの2016年の作品。
チョコレート産業には特にアフリカでの児童の奴隷労働が伴なっていることを告発する。
100パーセント奴隷労働フリーを売り物にする原料も、その根拠や原産地があいまいそのもので、ジャーナリストが突っ込んでいくと「フリーだからフリー」ぐらいのいいかげんさである。
かろうじてカカオ農場の奴隷労働から逃れた証人は、逃亡や告発をはかる少年たちがいかに抹殺されていったかを語る。
日本の皆さん、バレンタインだ義理チョコだとチョコレートは甘いばかりではないようです。

次の作品は英題『Death by Design』。
ポルトガル語のタイトルの直訳の方が内容のイメージが伝わりやすそうだ:『デジタルな悪習の代償』、アメリカの2016年の作品。
かつてはIBMがアメリカで、いまやアップルが中国でいかに環境汚染を繰り広げているか等、大衆化するパソコン産業の弊害を告発する。
学校教育あたりで教師にも生徒にも見せたい作品だ。

もう一本がこれまた必見だった。
英題『Wasted! The Story of Food Waste』、アメリカの2017年作品。
アメリカ合衆国に始まり、世界中での食糧の浪費、そしてそのオルタネイティヴを探る。
アメリカでは生産される全食糧の4分の1が廃棄されているという。
食糧廃棄物の9割はゴミ処理場に埋め立てられる。
驚きのデータだが、埋め立て地に遺棄されたレタスが分解するまでに25年がかかるという。
食の浪費問題解決の好事例として、わが祖国日本の事例が紹介された。
「ほおるもん」が語源ともされるホルモン料理だ。
アメリカを代表するらしいシェフが日本のホルモン料理に舌鼓をうって絶賛。
しかも供される豚は、残飯類を再利用した飼料で育てられていた。
ホルモン料理、僕はあまり馴染みがないけど。

今日も、現在の地球と人類の、絶望と希望を見せてもらった。


6月7日(木)の記 録音ルームの奇声
ブラジルにて


ナレーションの音声をはめ込み、音量レベルを調整する作業。
慣れない新システムで。
パソコン画面での作業スペースを最大にしても小さく、マウスの微細な動きで、隠している隣のフィールドにカーソルが飛んでしまう。
その度にもとのフィールドに戻さなければならない。

そもそも僕は左利きである。
パソコン使用のビデオ編集歴も10年を超えるが、これまでは右手でのマウス使用でことたりていた。
今回は微妙すぎて、右手が疲れ切ってしまった。
左手に持ち替えても微妙極まる作業がやりにくいことには変わらない。

イライラの極限で、家人もいないのでつい大声で叫んでしまう。
こんなことは、今まであっただろうか。
これの繰り返しだが、アパートの隣人たちから不審に思われかねないな。

日本映像記録センターでの番組ディレクター時代を想い出す。
音響効果の担当は、木村哲人さん。
伝説の人物だ。
さすがに僕あたりの若僧ディレクターでも、録音ルームに同室している時はだいぶ控えていたようだ。
特に深夜、ひとりでの作業中は相当な音量で奇声をあげていたのを、たまたまながら何度か耳にしている。

おそらく今の僕のような事態が生じていたのだろうな。
木村さんについては、亡くなったようだが詳細を知らないか、とブラジルの僕あたりのところまで映像記録の幹部から問い合わせがあったこともある。
ネットで検索すると、いくつもの著書と映画『ラヂオの時間』が引っ掛かるが、それ以上がわからない。
ああ、そうだ、茨城の出身だったな。
ただいま僕が苦戦中の短編も、茨城が舞台という奇遇。

もう他人の映画どころではない、今日午後の映画観賞は中止。
悶絶の作業を繰り返す。
いかんせん短篇なので、おかげさまで今日中に目鼻をつけられた。

ああ、木村さんみたいな人にまたお会いしていろいろ話を聞きたいなあ。


6月8日(金)の記 ファヴェーラ・オリンピカ
ブラジルにて


今日は新たな映像編集用の素材取込みをしようと思う。
さっそく、不具合。
パソコン編集というのは、こういう事態に慣れることが肝要なのかも。

諸々重なって入り組んできているので、映画観賞等はそこそこにそておきたいところだが。
次回訪日時に他人様の映像を見ての講評も担当することになったので、その引出し、間口を広げておくためにも見ておかないと。

1セッションだけ見にいきましょう。
『Favela Olimpica』、邦訳すればオリンピックのファヴェーラ:スラム街。
スイスの製作で2017年の作品。
リオのオリンピックスタジアムに隣接するため、すでに当局から合法的居住が認められていたのに立ち退きを迫られることになったヴィラ・アウトドロモ地区の人たちに寄り添った記録だ。
「ここのファヴェーラは犯罪とも無縁だし、住民の人情がとってもいいんだ。ずっとここに住み続けたいね」。
そんな住民たちを、当局はあの手この手で崩しにかかるのだ。

オリンピックの開催まで抵抗を続けた住民がスタジアムの大騒ぎの外で語る。
「2020年には地球の反対側でこんな問題が起こるんだな。
 トーキョーの人たち、よく覚悟しておきなよ。」

リオでかき消されようとした声に、耳を澄ませようとする東京人はいるのだろうか?


6月9日(土)の記 ETHIOPIQUES
ブラジルにて


今日は家族の用事が重なることになった。
うう、それでも夕刻にぜひ観ておきたい映画がある。
これは環境映画祭ではなく『IN-EDIT~BRASIL』という国際的な音楽ドキュメンタリー映画祭のブラジル版である。
僕ははっきり言って音楽にはうといのだが、それでもこの映画祭のプログラムを見るとそそる作品がいくつかある。
ちなみに今年のプログラムをざっと見たところ、日本がらみのものは皆無のようだ。

さてぜひ観てみたいのが『ETHIOPIQUES-REVOLT OF THE SOUL』という作品。
すでに何度かエチオピア航空を用いてブラジルと日本を往復している。
次回もエチオピアンの予定だ。
エチオピア航空機で着陸後、降機までのあいだに機内で流される音楽が気になっていた。
なんだか、心ないわが身の魂にまで響いてくるというか。

夕方のギリの時間までトンカツを揚げて、粉まみれ油まみれのまま上映会場へ。
うわ、環境映画祭以上の人だかりと熱気。

観ておいてよかった。
2017年のポーランドの製作だが、エチオピアの現代音楽のあゆみと魅力を伝える佳作だった。
音楽に立ちはだかる国家や政治というものもかいまみせてもらった。
国家からかえりみられることのなかった音楽を、欧米で耳にした音楽愛好家がぜひ共有して広めたいと、まさしく奔走する姿が紹介される。
それにしても、観客たちのリアクションがハンパじゃない。
音楽全般に対する相当な知識量がうかがえる。
ブラジルで、ブラジル音楽しか知らないと、けっこうバカにされそうだ。

そのブラジル音楽もよく知らないわたくし。


6月10日(日)の記 セントロとキロンボ
ブラジルにて


夕方まで、こちらの一族へのサービス。
さて。
サンパウロ環境映像祭も13日まで。
今日は夕方からセントロ(ダウンタウン)の会場で見てみたい作品がある。

ずばりブラジル銀行文化センターが会場。
その地区は古くからの銀行街だが、日曜は日中から通行人はまばらになる。
いっぽう夜は路上生活者たちがどっと押し寄せてくるのだ。

思い切って行くか。
メトロのセー駅で降りて地上に出ると、まさしくやばい空気。
そもそも今の時期は17時半前には日没で、セントロは意外なほどに照明が暗い。
帰路はどうしよう。
まさしく命がけだな。

今日の一本は『Quilombo Rio dos Macacos』というブラジルの長編ドキュメンタリー。
Quilombo:キロンボとは、ブラジル各地にある黒人系のコミュニティで、農場などから逃亡した黒人奴隷たちの隠れ里を起源とするとされる。
拙作『リオ フクシマ 2』でさっと紹介しているが、日本にほとんど伝わっていないブラジルの大切な問題のひとつである。

この作品の舞台は、バイーア州サルヴァドール近くの海岸に近い山中のキロンボだ。
数百年にわたって暮らしていたキロンボの土地を、ブラジル海軍が接収すると宣言して実力行使に出た。
それをめぐる闘いの記録である。

終了後に監督のトークあり。
自分たちだけではとても闘い続けてこれなかった。
さまざまなグループたちとのつながりのおかげだと語る。
そのなかではフェイスブックをはじめとするSNS、スマホの動画撮影機能などが大いに役立ったことだろう。
ツールは、使いようが肝要だ。

会場を出て、小走りでセー駅まで向かう。
路上生活者の占拠のなか、女性を中心とする清掃労働者や、軍警などの姿も見える。
さすがに日系人風、観光客風の通行人は見ないな。

地下鉄のカードのトラブルなどがあるが、ぶじ生還。


6月11日(月)の記 ファヴェーラの水糸
ブラジルにて


次回訪日時の各地でのライブ上映の件でのやり取りが立て込む。
諸々のネット作業で、気がついたらもう正午を過ぎている。

ああ、買い物も、ビデオ編集も手つかず…
されど午後から環境映像祭を3セッションこなしに、昨日に引き続きセントロへ。
今日はブラジルの作品ばかりを見ることにした。

ファヴェーラ:スラムを舞台とした作品が2作品。
ひとつはベロオリゾンテ近郊の山に囲まれた地域、ひとつはサントス付近のマングローブ地帯。
両方の作品で、水糸を使った素朴な家づくりのシーンがあった。

僕は、家づくりといえばジオラマに凝っていた頃に模型でたしなんだぐらいだ。
埋蔵文化財発掘の考古学徒時代に水糸という言葉を覚えた。
二点の水平をとるために糸を張り、我々の場合は水平器で調整した。
これもなつかしい言葉だが、平板測量の時の定番作業だ。

そうか、水平を取るのは建築の基本なのだな。
最初の映画では、レンガを重ねる際に主人公の若い女性が水糸を張っていた。
後者では、齢17歳のいわゆるLGBTの若者がマングローブ地帯に柱を並べて水糸を張っていた。

建築はオトコの作業という、僕のステレオタイプが揺さぶられる。

最初の作品はナマの住民が薬物使用なども明かしていくが、三脚をきっちり据えての撮影だ。
登場人物のこれからの動きを計算したポジションからして、事前にかなりの打ち合わせと演出があったことだろう。
後者は登場人物と一緒に走るような撮影だが、クレジットからすると登場人物は現地の人のようだが役者として演じてもらっているようだ。

ファヴェーラいろいろ、映画もいろいろ。
水糸は普遍。


6月12日(火)の記 『カンボジアの春』
ブラジルにて


今日もサンパウロ環境映画祭ですごいのを見てしまった。
英題『A Cambodian Spring』、Christopher Kelly 監督、製作国はイギリスで2006年の作品。
この作品も日本語になっている情報は検索しても見当たらないようだ。

冒頭から引き付けられる。
カンボジアのシェムリアップで土地紛争を住民側に立って告発する、仏僧のビデオアクティヴィスト。
こういうキャラクターの存在自体が面白い。
さらにプノンペンで立ち退きを迫られる住民の女性二人にもフォーカスが当てられていく。
取材期間は6年。
激しい闘争と困難ののなかで、この3人が徐々に強くなり、美しくなり、輝いていくのがわかる。
「外人」がともない、撮影し続けていることがこの人たちをそうさせるのかと思うほどだ。
しかしこの映画は、僕も含めて日本のドキュメンタリーなら「作品上」都合よくエンドロールで「巻ける」ところで終わらないのだ。

活動家の仏僧が国家権力と結びつくカンボジア仏教界から放逐されるのは想像がつきそうな事態だ。
いっぽう国際的にも注目されることになってきた住民女性の活動家が深刻な対立におちいってしまう。
希望と絶望の錯綜。

僕の予想や期待と異なる歩みをすることになる住民女性の言葉をメモしておこう。
「本当に眠っている人を起こすことはできる。
 しかし寝たふりをしている人を起こすことはできない。」

現実はメディアやドキュメンタリー屋の都合でおさまるほど甘くも浅くも軽くもない、と思い知らされる。
僕はいったいなにをしてきて、なにをしているのか。


6月13日(水)の記 死んだロバ
ブラジルにて


いよいよサンパウロ環境映画祭の最終日。
今日はぜひ見ておきたいのが2本。

プログラム通りの時間だと2本とも最初から最後まで見ることは不可能だが、そのあたりはブラジル的「のりしろ」があると見た。
こちらの思い通りで、2本とも見れたぞ。

1本目は『Habaneros』、トランプ政権誕生以降までにおよぶキューバの現代史を紹介する。
僕はおよそキューバのことをきちんと見通したり考えたりしたことはなかったな、と教えられる。

ぜひ見ておきたかったのが2本目。
英題『Dead Donkeys Fear No Hyenas』(ざっと訳すと「死んだロバはハイエナを恐れない」…)。
製作国はスウェーデン、ドイツ、フィンランドだが、エチオピアの現状を告発している。
監督の Joakim Demmer はエチオピアのアジス・アベバの空港で諸外国からエチオピアの飢饉救済のための食糧が届いている一方で、エチオピアから諸外国へエチオピア産の食糧が輸出されているという矛盾を見てしまう。
いったいこの国で何が起きているのかを探ってみるのだが…
奥地では、国立公園指定地までも先住民は追い立てられて外国企業の開発に任されているという現実があった。
それを告発する人物は「テロリスト」として投獄されていく。
この映画のタイトルとなる言葉をカメラに語った元国立公園管理人は、10年以上の懲役刑に服しているという。

エチオピア航空にふたたび乗るうえでの重い予習。


6月14日(木)の記 日伯まずさ比べ
ブラジルにて


今日は日本から来た知人の案内で、午前5時過ぎに家を出る。
いまの時期、日の出は7時少し前なので、外は暗くヤバい。

ブラジルが初めての人でもあり、その人の希望通りにしているとトンデモナイことになりそうなので、軌道修正させていただく。
昼過ぎまでマキシマムにその希望に沿って奔走。
彼のグループの一行とランチ、という予定だったが、メシ抜きでさようなら、ということになった。

さあ訪日まで日にちがあまりない。
その足でいくつか課題を済ませよう。

これまた日本から来ている若い人に、彼の訴える病を懸念してブラジルの薬草を届けましょうと約束していた。
東洋人街の日本食レストランに届けることになっている。
外にあるメニューの値段を見て、身がすくむ。

だが飲食店に来てモノだけ置いて来るのも無粋というものだろう。
覚悟を決めて、さあなにをいただくか。
カツ、ドンブリ系は自分で作った方が…

いちばん安価な部類で、ざるそば:25レアイス、邦貨にして約800円というのにしてみよう。
日本の立ち食いそば屋の倍の値段だな。
なかなかに待たされて、出てきたシロモノにびっくり。

蕎麦が異様に黒い。
韓国製か中国製の乾麺なのだろう。
どろりとした食感。
して、冷や麦か何かのようにザルの上に氷片がいくつか乗せられている。

昨日のメトロの車中にて。
ブラジル人のおばちゃんが「あのレストランの料理、あんなのイヌも食べないわよ」と大声でしゃべっているのを耳にした。
どこの飯屋かは知る由もないが、食べ物にそうまずいなんて言うべきではないのでは、などと思ったものだ。

それをひるがえそう。
まずい、高い。
この店の経営者は日本人の事業家と聞いている。
高い値段を取って、日本製の蕎麦もふつうに出回っているのに、なぜこんな蕎麦を出すのだろう?

先の訪日の体験を想い出す。
さるお店で、ブラジルのナショナルプレート、フェイジョアーダをいただいた。
この料理は手間暇はかかるが、僕自身けっこう自分でお気に入りのものをつくっている。
ところが、これは…
黒豆と臓物を煮た食い物、の域を出ない。
はっきり言って、まずい。
ちょっとの工夫と手間暇で、もっとおいしく食べやすくなるのに。

ブラジルのフェイジョアーダはこんなもんかと思われてしまうと、国辱である。
しかし周囲の日本人に聞くと「おいしい」というではないか。
オレの味覚に問題があるのだろうか?

人生も後半に入り、あと何回、食事をすることができるだろう?
できるだけマズい食べ物は避けたいものだ。

日本でまずいブラジル料理を、ブラジルでまずい日本料理をわざわざ食うこともないというもの。

さあ自分でおいしいフェイジョアーダを作ろう。
お蕎麦は、水戸のにのまえさんで。


6月15日(金)の記 ハードの谷間
ブラジルにて


昨日は、そこそこに疲れた。
明日は午前3時起き、4時には家族を乗せて長距離運転開始である。
来週月曜まで、そうとうな運転を強いられることになる。

今日は少しでもゆっくりしないと。
迫る訪日前に片づけるべき課題は遅々として進まず…
訪日土産の買い出しも始めておく。

安いウオッカを買ってブラディメリーの晩酌といきたかった。
お目当ての店で、安いのがない。
キューバしのぎとするか。
ラムに切り替える。

別の安売り店で、聞いたことのない地方のメーカーのコーラを買う。
キューバリブレでいこう。
一昨日見た映画で、キューバ革命以前からキューバリブレ:キューバの自由 と名付けられたカクテルがあったことを知った。

このコーラを「ストレートで」飲んだ家族からは不評。
有名銘柄の半額以下だもんな。


6月16日(日)の記 闇を走り 移民史の奥へ
ブラジルにて


寝付けぬうちに、午前3時。
つらいが、起床。
家族4人で、午前4時過ぎには発車オーライ。

以前に深夜の運転で狂気の若者たちに襲われたことがある。
より大通りを選んで、街道を目指す。

夜明けが待ち遠しい。
が、進めども進めども闇が続く。
運転後2時間経過しても、まだ真っ暗だ。

サンパウロ州内陸に暮らす、こちらの一族で最年少の姪の誕生パーティがある。
わが家から北に520キロ。
1928年に日本人入植の始まったバストス移住地だ。

いやはや、運転していて眠くなるのにまいった。
途中の店で、在庫で一番強いガムとアメを購入。
12時にフェスタが始まるというから、途中でしばし仮眠というわけにもいかず。

時間が押して義弟の家に寄らず、フェスタの会場に直行。
まだ知っている人は誰も来ていない。
まずは片道、無事で何より。
ああ、眠い。
アルコールの一切ないフェスタだが、あったらかえってヤバかったかも。
参加者は日系人が多いが、ここから移民史を看取するのはなかなかむずかしい。

町の中心のカトリック教会は、聖フランシスコ・ザビエル教会というと知った。
外に大きなザビエル像が。
教会のウエブサイトを見ると、1933年に日本人の中村町八神父がバストスではじめて教会を開いたとある。
なぜフランシスコ・ザビエル教会と称するかには触れられていない。

赤い鳥居とザビエル像がライトアップされる夜。
土曜だが、ひと気は少ない。
アルコールを仕入れる店も見当たらず。

明日に備えて眠りましょう。


6月17日(日)の記 ラヂオの時間
ブラジルにて


♪せめてラジオ聞かせたい
 『かあさんの歌』窪田聡作詞より 

午前8時台にバストスを出発。
午後3時からのワールドカップのブラジル初戦に間に合うよう、義兄弟たちはぶっ飛ばして帰って行った。
うちは、とろとろいきましょう。

ブラジル移住ウン10年、4台目になる今度のクルマにはじめてカーラジオがついている。
ふだん、つけっぱなしのサンパウロ市のFM放送は、もちろん入らない。
地方紙も面白いが、ラジオの地方局も面白い。
街道を行くと、その町のFM放送の周波数を掲げた看板が目につく。
それにチューニングする面白さ。

サンパウロ市を離れると、多くの局でムジカ・セルタネージャ:いわばブラジルのカントリーミュージックが流れている。
日本で聞かれるブラジル音楽の種類との乖離が面白い。
バウルーという町のラジオ局のブラジル映画音楽の時間は面白かった。
今日は『シッカ・ダ・シルヴァ』。

さあ道中でブラジル戦が始まってしまった。
そのおかげで、交通量は通常の半分以下かも。
引き分け決定の瞬間は、わが家のテレビで見る。

昨日と今日で走行1100キロ。
もうハンドルはしばらく握りたくない。

だが明日がいやましてたいへんなのだ。
何時にサンパウロに到着するともしれない日本からの知人を、車で遠方まで案内しなければならない。
帰りをどうするか、先方が誘っているメンバーとどこでどうするかなど、よくわからないまま。
いや、はや。


6月18日(月)の記 ホマリア110
ブラジルにて


急に午前中に繰り上げてきた先方の指定時間に間に合うよう、指定場所にクルマで参上。
ホテルの前でエンジンをかけたまま30分以上、車内で待機するが客人らは現れる気配がない。
ホテルのスタッフに「ここは5分までだ」と怒られる。
ごもっともで。
付近の駐車場を探して駐車。
ホテルのフロントで、さらに待機。

客人は今晩、ブラジルを出国するはず。
僕への依頼は、これから200キロほど離れた巡礼地まで先方を案内すること。
サンパウロ市内の渋滞、夕方のラッシュは想定されていない。
そもそも先鋒の希望の設定は無理があり、破綻している。
現実的にどう対処するかが現地人の運転手である私に求められている。
とにかく、無事故を心がけないと。

帰路は闇夜となり、大型トラックの闊歩する街道を100キロ以上で飛ばさなければならず。
最後に市内の迷宮に、同行された方をお連れするというおまけもつく。
夜半にへろへろになって生還。
この三日間の走行距離は1500キロ。
ざっと換算してみると…
東京から青森まで往復する距離か。

「わが巡礼の旅は終わらじ」
とは、伊豆大島冨士見観音堂を建立した故・藤川真弘師のうた。


6月19日(火)の記 潜在ブラジル音楽
ブラジルにて


さあブラジル出発まで一週間を切った。
三日間、自分の残務に手がつかず、疲労はなかなか。
さらに昨日の訪問先から、いち運転手に思わぬ問い合わせがあり、うろたえる。

今晩はブラジル訪問中の Willie Whopper さんの講演がある。
市内の行ったことのない場所で、夜間でもありスマホでもよくわからない。
思わぬ日本人の知人が僕を見つけて声をかけてくれて、助かった。

「日本のブラジル音楽」というテーマのお話。
僕のPARC自由学校での9月の連続講義で、Willieさんにも出馬をお願いしている。
それに備えての勉強でもある。

いやはや、面白かった。
僕もなじみのある意外な日本の曲が、ずばりブラジル音楽の影響の産物だと教えてもらう。
自分も中三ぐらいまでは、けっこう日本の歌謡曲を聞いていたことに気づかされる。

それにしても、ブラジル人らしい通訳さん…
ブラジル音楽オンチのオカムラでも知っているような巨匠たちの尊名をご存じなく、詰めかけたブラジル人たちの失笑とヒンシュクを買っていた。

今日は一日断食をしていて、カフェも受け付けない体。
会場から最寄りのメトロ駅までの送迎車もまもなく出るとのことで、終演後、Willieさんらにご挨拶もしないで失礼させていただく。


6月20日(水)の記 ヤキモキ水曜
ブラジルにて


来週の月曜にブラジル出国の予定である。
今週の金曜はワールドカップのブラジル戦が午前9時からあるため、諸機関は休業状態、そのまま3連休を決め込むところも多そうだ。
さらにこの週末、よく知らない人が訪ねてくる…

そうなると、今日明日で外回り系はひと通り済ませておかないとまずい。
こんな時に限って、払いもの系のトラブル、エージェントの約束すっぽかし。

今日は覚悟を決めて、買い物系のほかはパソコン作業に専念するか。
いやはや。


6月21日(木)の記 サンパウロのマンボ
ブラジルにて


午前中の早い時間から、近くのスーパー等で訪日土産、日常品などの買い出し。
けっこうな量になるので、3回ほど出入りを繰り返す。

この度お世話になった日本の方への贈り物として、家人から無謀といわれるグッズを思い切って購入。
意外と破損等を免れて担いでいけそうだ。

昨日、約束してあったエージェント訪問の件、先方の都合でまた時間が遅れる。
それに抱き合わせて気になるアート展制覇をもくろむが…
先方のオフィスにうかがうと、よもやま話が続いて、断念。

今日は、だいぶ歩いた。
スマホの万歩計で、2万歩ぐらいいったかな。


6月22日(金)の記 サンパウロじまん
ブラジルにて


午前9時から、ワールドカップのブラジルxコスタリカ戦。
わが子の一人は、職場が休みとなる。
わが団地では、朝のゴミの収集時間まで2時間早くなる。

業務がおしているので、パソコン作業をしながらの「ながら」テレビ観戦。
近くの学校から歓声が聞こえてくるものの…
なんだか、だらだらした、しまらない試合。
だらしない、コスタリカ相手に引き分けかよ。
国土、人口を比べてみても、情けない。

僕のブラジル初訪問は、映像記録時代にコスタリカからだったのを想い出す。
コスタリカの撮影素材は、ボツにされてしまったけど。
それは、想い出したくない。

延長タイムで、まさかのブラジルの2得点。
おもわず快哉の声を上げる。
日本で周縁におかれているブラジル系の子供たちを思った。

午後から、よく知らない訪問者の案内。
かつて日本での僕の上映会に来てくれたとのことだが、僕は覚えていない。
パートナーがこちらでの学会に参加するので同行してブラジルを訪ねるとのこと。

家庭の事情もあり、お会いしてそこそこに失礼しようと思っていた。
ところが会ってみると、共通の知人もあって面白い。
留守家族に電話をして、予定延長タイム。

先日、ブラジル通のつもりらしい日本人の知人を案内した際は…
せめてこれだけは説明しておかなければ、というポイントも聞き流されることしばしば。
むなしさを感じたものだ。
今日の二人は僕が面白いと思うものを面白がり、僕にとって当たり前になっているものも面白がってくれる。

訪日直前で残務山積み、さらにご案内できないのが残念。


6月23日(土)の記 わたくしのフェイジョアーダ
ブラジルにて


木曜の夜から準備を始めた。
きのう金曜の朝から調理開始。
パソコン作業とワールドカップ観戦と並行して進める。
久しぶりのブラジルのナショナルプレート、フェイジョアーダづくり。

今晩に間に合わせるためだが、まず一人で昼にいただく。
煮込み段階から何度も味見をしているが、なかなかによろしい。

もともとは黒豆と牛豚などの臓物の煮込みであり、黒人奴隷に食べさせていたもの、とされている。
いまでも豚の耳や尻尾、足や毛付きの皮などの入ったものも供されるが、僕は苦手だ。
自分なりに工夫して、自分では最もおいしいと思えるフェイジョアーダを作れるようになった。
ただし、それなりの手間もかかる。

先日のウエブ日記で書いたが、先の訪日でいただいたフェイジョアーダは…
そもそも奴隷に食わせるメシだったのが納得のいく、豆と臓物を煮たシロモノだった。

自画自賛をするような柄でもないが、自分にとっておいしく、見た目の美しさもこころがけたつもり。
まあ、あの日本のは、先方の懐具合や心身の不調もあったのだろう。

おっと、日本の知人からわがフェイジョアーダのリクエストが。
最低限の材料を買いだしておくか。


6月24日(日)の記 ムケッカの結果
ブラジルにて


いやはや、ムケッカという言葉だけでこれだけ楽しめそうとは思わなんだ。
サカナの土鍋煮料理のブラジル先住民語起源の言葉ぐらいに思っていた。

さすがにヨーロッパ語源説は見当たらないが、キンブンドゥと呼ばれるアフリカのアンゴラあたりの言葉が起源とする説、ブラジルの海岸部に広範囲に居住していた先住民のトゥピー語起源説があるようだ。

さて、ブラジル風に炊いたゴハンが余り、冷凍庫にタラの切り身が残っている。
料理は、僕にとっては算術でもある。
いかに新しく食材の収支をゼロに近づけ続けるか。

路上市では連れ合いの実家用で刺身に供するためにサワラを、そしてわが家のムケッカ用に、小さいエビのまあまあ大きいのを半キロほど購入。

よく知られるバイーア風ムケッカはデンデ椰子のオイル、そしてココナッツミルクを用いる。
僕のはカピシャヴァ風で、これらは使わず、パセリを多く使う。


しばらく作っていなかったが…
以前に見たレシピで、水は加えずサカナと野菜から出る水分、そしてライムをたっぷりというのでやったのを想い出す。
そうしてみるが…
東南アジアな味わい、わるくない。

いやはや、もう明日、ブラジル出国か。
あと、なにとなにとなにをすればいいんだ?


6月25日(月)の記 ブラジルを出るまで
ブラジル→


昨日、家人から古新聞が溜まって…と口頭でツイートを受ける。
わかってはいるのだ。
今日は20時に家を出るつもり。
買い物は、ほぼ終えている。

午前中数時間、この期におよんで古新聞チェック。
この期におよばないと、なかなかできない。
すでに区分けしていたFOLHA紙のサルガドの新たなアマゾン特集は、日本に持参するか。

今回は家人から無謀といわれたものも持参することにした。
それでもスーツケース二つから土産物を削るまでに至らず。
さあ、夕食も日本食系で僕がつくるか。

遅いはずの子供が早めに帰れて、久しぶりに家族4人の夕餉。
団地下のタクシー乗り場には一台もない。
そうこうしているうちに大型の空車が流れてきてゲット。

国内線空港まで行って、シャトルバスで国際線の空港へ。
たとえば日本で成田の第1ターミナルと第3ターミナルの数字が入れ替わることはちょっと考えにくいかと。
そういうことが実現するのがブラジルだ。

エチオピア航空は、第2ターミナル。
ここは、もとの第1ターミナルだな。
フライトの3時間半前に着いて、カウンターの列に1時間。
例によって、いつにも増してブラジルを去る実感がないまま押し出される。


6月26日(火)の記 Their Inner World
→エチオピア→


大枚紛失事件から、ご無沙汰していたエチオピア航空。
同航空機ですでにこうした事件現場に遭遇しているのに、そんな現ナマを預かってきた自分の落ち度と受け止めている。
先方にこうしたリスクの警告をして、身心への負担の多い担ぎ屋を無償で引き受けて、しかも機内持ち込み荷物のなかに入れて鍵をかけておいたのだから、僕自身はこの件から楽になりたい。
いまはとにかく航空運賃が上がる時期であり、この便の安さという背に腹は代えられない。
サービスは決して悪くなく、いろいろな意味での多様性と場末感が僕には面白いのだ。

というわけで、1年ちょっとぶりのエチオピア航空。
少しはエチオピアがらみの映画を観たり、アフリカのアートなどにも触れておいた。
機内映画で日本語対応しているものがほとんどないのが玉に瑕。
ふむ、ブラジル映画は2本ある。
うち1本はドキュメンタリー映画か。

タイトルは英題で『Their Innner World』、小さい活字の英語の解説では何の映画だか意味が取りにくい。
少し経ってから、驚いた。
ブラジルで劇場公開中に見逃してしまった『Em um Mundo Interior』、ずばり自閉症の映画ではないか!
ブラジルでもひっそりと上映されたドキュメンタリー映画を、エチオピア航空のエンターティンメントサービスで見ることができる!

ブラジル各地に生きる自閉症の青少年たち、そしてそれぞれにかかわる保護者とセラピストを紹介する。
作品は、自閉症と診断された人それぞれの症状、そして人格の多様性を強調する。
まことに。
それぞれのアウチストの、ホームビデオで撮られた幼少時の映像なども紹介されている。

日付が変わってからの深夜のフライトであり、まずはうとうとしてしまう。
最新システムの機内映画なので、何度となく巻き戻したり、一時停止してしばし仮眠したり。
自閉症についての概論として、よくできたドキュメンタリー映画だ。

保護者はともかく、果てしない時間と手間をかける関与者のことに、わがケースのことも思い出して胸を熱くする。

アウチストの教育や訓練には、保護者に経済的バックグラウンドがないとむずかしいことが語られる。
まずは周囲の愛と尽力が大切だが、それはともかく、ないし当然として、経済問題も見逃してはならない。
この映画で対象とされたアウチストの家庭も中流以上の経済的社会的クラスであることは十分うかがえる。

現在では、100人に一人ぐらいの人が自閉症であろう、と語られる。
この映画の取材対象となりえなかった無数のアウチストとその家庭を想い、くらくらする。


6月27日(水)の記 日本映画最前線
→大韓民国→日本


エチオピア航空の機内映画には二本の日本映画があった。
『ポンチョに夜明けの風はらませて』
『覆面系ノイズ』
いずれも僕あたりは存在も知らなかった映画。
タダだし、いやならやめちゃえばいいから見てみるが…

あまたある日本映画群のなかから、誰が、なにゆえにこの二本をチョイスしたのだろう?
たかが映画、ですませていいのかな?
最初の作品は、タイトルにもなっているポンチョに関してが、なんだか間の抜けている話。
卒業を間近に控える高校生の3人組のお話で、そのうちのひとりが自分の本当の父親はペルー人のフォルクローレ演奏者だと思い込み、父親に会うべく行動をするのだが。
なんともばかばかしい設定。

もう一本は、いかにも少女マンガが原作っぽい。
これまた高校生の話で、音楽をめぐっての三角関係。
登場人物の生きている基盤に、僕あたりにはまるでリアリティが感じられないのだ。

アジア映画では英題『Fist & Faith』という中国映画の奇作に触れておきたい。
舞台は満州国時代の中国東北部の男子高校。
関東軍と結びついた日本人学生グループと、民族愛に燃える漢人学生グループとの激しい対立が劇画を交えて、コミカルに描かれる。
作品のなかの「日本文化」がタランチーノの『キル・ビル』あたりをほうふつさせてエキゾチックだ。

アジスアベバに引き続き、インチョンでも飛行機を降りて。
夜遅い成田空港に到着。


6月28日(木)の記 CELTIC SUMMER
日本にて


日付が今日になってから、目黒の実家に到着。
さっそく有線LANから wi-fi を飛ばす段取りを進める。
しかしスマホからは登録してあるはずのパスワードが新たに要求される。
それを記載してあるはずのカードが見当たらない…
そうこうしているうちに、夜が明けてしまうではない。

午前4時半。
今の時期のサンパウロより2時間、日の出が早い。
身心は疲れ切っているが、浅い眠りしかできない。
今週末までの気になるアート展、どうしようか。

日中、思い切って出かける。
強烈な日差しと猛暑。
目指すは、多摩美術大学。
『はじまりの線刻画 アイルランド・スカンジナビアから奄美群島へ』。
http://www2.tamabi.ac.jp/iaa/stone-rockcarvings_as_beginnings/
 
タマビは東京都八王子市にあるのだが、時間的、料金的に東京から神奈川に渡ってまた東京に入るのがよいようだ。
東急東横線、JR横浜線、神奈川中央交通バスを乗り継いで。
『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台そのものの、開発された山のなかだ。
最後のバス代ぐらい節約を図ってこの炎天下の山道を歩いていたら、日本到着後一日を経ずして果てていたことだろう。
キャンパス正門から会場のアートテークまでの登り道で、もうバテる。

巨大な拓本をメインに、いくつか映像がかけ流しされている。
これは見に来てよかった。
芸術という立ち位置がベースで、かといって常識的な歴史と文化の認識を逸脱していない解説がよろしい。

基本的なことを尋ねたくなる。
年配の女性の監視員は丁寧に話してくれた。
代わってやってきた若めの女性の監視員は、自分たちの側に閉じていて、けんもほろろ。

もうひとつ、地元での用足しを済ませられる時間まで、廊を繰り返し見る。
あー、ためになった。


6月29日(金)の記 城北城東巡礼
日本にて


さあ今日は特に消化しておきたい予定が多い。
どこまでかなえられるか、割愛するか。
まずは、南池袋の KAKALULU というお店で明日まで開催中の門内ユキエさんの絵画展。
門内さんには、ナメクジの絵でお世話になった。

メトロの雑司が谷駅下車、灼熱の帝都をスマホ片手に北上。
超高層ビル街の強風に、帽子どころかメガネまで飛ばされそうになる。

ようやくみつけたKAKALULU さんは、ブラジリアン料理も供するようだ。
さすがは門内さん、面白い場所のチョイス。
門内さんの版画ではない、絵の具による絵画をまとめてみるのは初めてだ。
沖縄、ラテンアメリカ、アフリカ…そうした地名もとろけていくトロピカルな世界。
人と、動物、植物の近い世界。
門内ワールドの「門内」にゆっくりと浸っていたい。

予定が押していてそうもできず、せっかくだからお店の料理も食べてみたい。
ランチで最初に挙げられているのがなんとムケッカ、ブラジリアン魚料理。
僕がさる日曜の拙日記で書いたばかりだ。
見た目、お味、食材、器ともによろしい。
ますますブラジルをウリにする手抜き料理が許せなくなるではないか。

下校時の女子高校生の大波に呑まれながら、池袋駅まで歩く。
桜台、江古田で所用をこなす。
「あがり」はギャラリー古藤さん。
奇縁で知己を得たオーナーご夫妻と、祖国の山海の珍味をいただく。
共通の知人らの思わぬエピソードをうかがいながら。
岩手県産の夏牡蠣の大きさ、そしてお味は圧巻。

さあ、明日が、明日からがまた大変。
これからが、たいへんのはじまりだ。


6月30日(土)の記江古田にて
日本にて


まだまだ時差ボケ絶好調、身心は疲れていても連続して2時間と眠れない。
今日の予定も、特盛クラス。

午前中から、昨日に引き続き、江古田へ。
アトリエ・アルカンジェロさんと待ち合わせ。
彼には『リオ フクシマ 2』のイメージ画を創作していただいた。
その原画をちょうだいして、代わりにブラジルから担いできた聖像などをお渡しする。

その場所を昨晩、ギャラリー古藤のマダムに相談して「ぶな」という喫茶店を紹介していただいた。
このお店、驚くほどすばらしい喫茶店。
ひろびろと、清潔感と文化の香り。
こういうお店でもタバコを吸おうと思えるような他の客もおらず、ありがたし。
聖画と聖像の交換にはもってこいの場所でした。

午後からギャラリー古藤さんで『種子-みんなのもの?それとも企業の所有物?』の上映会参加。
上映の方は少しうとうと。
上映後に、秩父で雑穀栽培をいとなむという農業ジャーナリスト、大野和興さんの講演あり。
この方のお話が面白かった。
おっとり刀で自分の上映の準備に走らなければならないが、大野さんの話を聴けてよかった。

さあ学芸大学。
『リオ フクシマ』の上映は緊張がともなう。
今回はチラシをつくらなかったこと、それに酷暑とワールドカップ観戦疲れのせいか、参加者数は控えめ。
その分、より濃厚かつアットホームな空気となり、懇親会ともどもリラックスさせてもらった。
さあさあ明日明後日が茨城で最初のヤマ場。


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岡村淳 :  
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