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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2019年の日記  (最終更新日 : 2020/05/03)
4月の日記 総集編 「僕らは次のメルトダウンの前夜を生きている。」

4月の日記 総集編 「僕らは次のメルトダウンの前夜を生きている。」 (2019/04/04) 4月1日(月)の記 奇作復元
ブラジルにて


さあ、月曜だ。
久しぶりに一日断食を再開。

我ながらあきれるほど荒れ放題になっていたわがウエブ日記サイトの、ささやかな草むしりを開始。
映像編集作業は、まず…
1992年に制作して、自主制作作品のリストにも収録を控えていた奇作のDVD化を図る。
S-VHS版があったのを見つけて、日本に担いでいって業者にデータ化を依頼してあった。
わが編集システムに取り込むのが、ひと苦労。
見直すのは、20数年ぶりか。
可もあり、不可もあり。

ついで、富山妙子さん関係の映像作業に突入。
これは面白いぞ。


4月2日(火)の記 ブリット
ブラジルにて


昨年、日本で撮影した映像の編集を今日もすすめていく。
面白い。
他の人が見て、どうだろうか。

日曜に買ったブリの残りをどうするか。
切り身は、照り焼き風にしてみよう。
アラも、傷まないうちに…
ブリ大根としよう。

いつのまにか、サンパウロ市内で出回っている大根はしょぼくれたものばかりになっている。
しかも値段は、体積にして数倍はあった頃と同じ。
ああそうか、日本の冬場に売られていた、みずみずしく安い大根と自分のなかでごっちゃになっているのだな。

豚リブと大根の煮物も考えていたが、大根がこの状態では。


4月3日(水)の記 『光州の二人の恩人』
ブラジルにて


現在まとめているビデオのタイトルは『光州の二人の恩人』としておこうと思う。
僕の判断を超えている部分があるため、このあたりでペンディングとして、関係者に試写をしていただき、相談しよう。
すかさず次の映像のまとめにかかるが、これがまた一段と面白い。

前作同様、この面白さが他の方々とも共有できるかどうか。

作業の合間の買い物兼ウオーキングも日課にしないと。
夕方はオルガニック乾物系の店に行き、ドライフルーツ、そして日本の友人のための薬草を買っておく。
道中、新しい店を二つ発見。
町というのは、粘菌の変形体だな。


4月4日(木)の記 遅い夏バテ
ブラジルにて


ただいま編集中の動画は『コラージュを編む』のタイトルとするか。
快調につなぎ、お話の語り口も考える。

午後、リベルダージ駅で友人と待ち合わせ。
メトロに乗ると、なんだか心臓がばくばくする感じ。
血圧の薬は飲んだはずだが。

友人と、店員がオーダーを取りに来ないのが特徴のカフェへ。
友は、僕の顔色がえらく悪いのに驚いたが、いまはだいぶ回復した感じという。
なんだか、やたらにかったるい。
友と駅で別れた時の温度計は、午後5時過ぎで摂氏32度。
秋分を過ぎてからの残暑のぶり返しとサンパウロの人いきれにやられたかな。
先週、こちらに戻ってから、原稿書きと映像編集ばかりに没頭していたし。

さて今日からブラジル国際ドキュメンタリー映画祭のはじまり。
今年は上映本数も上映館も、例年の半分以下ではなかろうか。
がっかりというより、ほっとした感もあり。
自分の映像編集で追い込まれているし。

今宵は『Niede』と題されたブラジルの作品を見ておこう。
僕が1991年放送の『新世界紀行』で紹介した考古学者ニエデ・ギドン先生のドキュメンタリー。
18時半の回に、18時前に受付に到着。
すでに満員札止めだと!
21時の回もあるが、これは20時から入場券を配布とのこと。
ここで2時間待ちはしんどい。

このまま引き返すのもナニである。
別会場の19時開始の上映を目指すが、メトロの駅は大混雑、バスで行くと間に合わず。
そもそもひどい体調、へろへろとわが家に引き返す。


4月5日(金)の記 肉の出自
ブラジルにて


動画編集作業が続く。
今日は午後から、ブラジル国際ドキュメンタリー映画祭の一本を見に行くか。
オンラインでプログラムを見るのがおっくうで、会場に行けば紙版をもらえるだろうし。

昨晩、見逃したノルウエーが舞台の英題『RECONSTRUINDO UTOYA』を見る。
2011年、右翼テロリストによる虐殺から生きのびた学生たちを、その現場に呼んで事件の記憶を再現させるという試み。
それが生存者たちのトラウマのセラピーにもなるとか。
よくぞ、こんな試みが行われて、それが撮影されたものだ。

登場人物たちがカメラを意識しているようなシーンは一切ない。
それでいて、黒澤映画のように何台ものカメラで撮られていて、ドキュメンタリーでありながら他のカメラが写りこんでいない。
クレジットを見ると、3人のカメラマンがいたようだが、これは相当の技である。

夜は、家族のお祝いごとで。
思い切って高級シュラスカリアに行ってみる。
なかなかの金額である。
まあ、何度もあることではないし。
人気部位の肉、ピカーニャ(イチボ)はどこ産の牛か聞いてみる。
なんと、オーストラリア。
その他の牛肉はウルグアイ産の由。

放牧王国のブラジルで、アメリカにもチェーン店を広げる高級シュラスカリアの牛肉が豪州産とは。
日本の高級寿司屋に行って、シャリはカリフォルニア米だと聞かされた時のようなショックかも。


4月6日(土)の記 土曜の安息
ブラジルにて


昨夜の食べ疲れ、その前からの日本以来の疲労とブラジルに戻ってからの編集疲れ。
今日、予定していた家族がらみの外回りを明日にしてもらう。

なんだかごちゃごちゃとモノがたまるばかり。
日本から担いできた資料やミニコミ類に目を通して、不要なものは処分に回す。

スクラップ用に区分けした新聞もばかにならない。
目を通して、少しでも処分。

昼食夕食とも、わが家にありもので、軽めにいただく。


4月7日(日)の記 青の啓発週間
ブラジルにて


今日は盛りだくさんだった。

世界自閉症啓発デーがあり、4月の第一日曜日はわがサンパウロ市でも自閉症関係者の大きなマニフェストが行われるようになった。
今年は昨年に引き続き、パウリスタ地区に集合。
他にもマニフェストがいくつか重なって、とのことで、昨年のようにパウリスタ大通りを練り歩いてUターンするコースではなくなった。

参加者は自閉症のシンボルカラーである青のTシャツ等を着用、が原則。
それにしても、すごい青の群集。
自分らのかかわった自閉症関係のグループは、そのなかのいくつかに過ぎないことを思い知る。
ブラジルだけでアウチスト(自閉症の人)は200万人か。

家族や関係者も含めて、これだけいれば政治的な力になりうるな。

マニフェストすることそのものがうさんくさく、疎まれるようになってしまった祖国を憂うばかり。


4月8日(月)の記 大天使のヒアリング
ブラジルにて


さあ新たな平日のはじまり。
映像素材の家探しを行なう。
うう、見つからない…
気分は ♪『放課後』。

探すべき素材は、複数。
ひとつは『ブラジルのハラボジ』。
いわゆる「白素材」が見当たらず、やや青くなるが…
実現するかどうか未定の、ずっと先のことに気をとられていると、目先の地雷を踏んでしまう。

このたび「ラテンアメリカ探訪」という東京でのイベントから上映とトークのご依頼をいただいた。
して、先方のリクエストは『ブラジルのハラボジ』。
なかなかのヴォルテージである。

さて、この作品。
20数年前にブラジルのコリアン移民のパイオニアの「三田ハラボジ」と呼ばれていた長老に一期一会のインタビューをしたもの。
老ハラボジの言葉は聞き取りにくかった。
仕上げに際して、もっともハラボジの言葉に通じていたお嬢さんのご協力をいただいた。
ハラボジの全発言に日本語字幕をほどこしたが、聞き取れないところは「不明」とした。

して、昨年この作品を日本のホームグラウンド目黒鷹番で上映してみて、驚いた。

今回の上映のフライヤでお世話になったアーチストの佐々木岳久さんがこの上映にいらしてくれた。
そしてメールで、「不明」となっていた部分を自分には聞き取れた、と教えてくれた。
そしてそれは、彼の絵の世界を象徴するような言葉だった。

今回、あらたにこの作品の上映リクエストをいただいたため、字幕改訂版をつくる決意をした次第。
編集システムが恒常的に安定していれば、たいした手間ではないのだが、この作品はオシャカになってしまったシステムでつくっていた。
勝手の違う新システムでやり直すのが、なかなかの手間で、しかもうまくいくかどうかやってみないとわからない。

思えば佐々木さんとのご縁は、拙作『下手に描きたい』。
この作品はしばらく上映を見合わせていたが、このたび関西から上映リクエストをいただいた。
これも撮影は10年前、なぜかDVDのストックが払底してしまった。
あらたな素材起こしが必要であり、この原版も今日、発掘にかかった次第。


4月9日(火)の記 「僕らは次のメルトダウンの前夜を生きている。」
ブラジルにて


「僕らは次のメルトダウンの前夜を生きている。」
アーサー・ビナードさん、第8回江古田映画祭特別講演『闇が湧き出るところ』より。

江古田映画祭の実行委員会の方々へのささやかな返礼として撮影させていただいた、武蔵大学でのアーサー・ビナードさんの特別講演。
滞日中に、ざっと編集してDVDに焼いてギャラリー古藤さんにお送りしてあった。
堂々2時間30分。

こちらで、細かくチェックしてみる。
まず編集上の不具合部分をカット。
さらに、思わぬデジタルな映像と音声の問題個所が何カ所かあり。
撮影素材から差し替えるが、素材そのもののトラブルもあり。

これでオッケーかと思ってプレビュー、新たな問題発見!…
今日だけで、2時間半の講演をノーマルスピードで2度拝聴。
それでも余りある面白さと内容の濃さ、深さ。

いちばんの衝撃の言葉をツイッターに挙げて、今日の日記のタイトルとしよう。


4月10日(水)の記 ルソンの小さな人たち
ブラジルにて


考古学人類学系のニュースで、これだけたまげたのは幾年月ぶりだろう?

カワバタヒロトさんのツイッターから。
フィリピンのルソン島の洞窟から、未知の人類の人骨が発見されたという。
年代は5万年以上前、体長は成人で1メートル未満の小型人類の由。
面白すぎるので、出典を確認。
https://www.nytimes.com/2019/04/10/science/homo-luzonensis-philippines-evolution.html
『ムー』ではなく、『ニューヨークタイムズ』か。

インドネシアのフローレス島から小型人類の人骨が発見されているが、それが特異な例ではないようだ。

ルソン島の洞窟といえば、ハリウッド版『ゴジラ』の相方怪獣ムートーが登場する場所ではないか。
フィリピン考古学の小川英文さんの調査隊とともにルソン島の洞窟に立ち入ったことがあるが、敗走日本兵たちの無念みたいなものが強くこもっているのを感じて僕は長くはいられなかった。
そうした洞窟の、はるか下層からのすごい発見だ。

未確認の人類をもとめていた学兄、故古城泰さんに聞かせたかった。


4月11日(木)の記 衝撃の四姉妹
ブラジルにて


今日中には発送したい郵便物3点の準備に、朝から。
午後、郵便局では1時間ぐらいの待機を覚悟していたが、がらがら。
聞くと、夕方からの混雑のはじまる前のエアポケットのような間合いだったようだ。

さあ、ドキュメンタリー映画だ。
今日は『ショア』で知られ、昨年なくなったクロード・ランズマン監督の遺作の『四姉妹』という4部作のうち『ヒポクラテスの宣誓』が公開。
ブラジル初公開で、ネットで調べても日本語の情報はないに等しい。

凄いドキュメンタリーを見てしまった。
チェコスロバキア生まれのユダヤ人、ルチさんという女性の証言映像。
彼女は身重の体でアウシュビッツ収容所に送られて、生還したのだ。
赤ちゃんは?
そこにナチスのメンゲレ医師が登場する。
筆舌に尽くしがたい語りだ。

ドキュメンタリー映画のあり方とは?
巨匠ランズマンのこの最後の贈り物は大きく、重い。

数年前に日本の劇場の『ショア』一挙公開に駆けつけた。
しかし上映続きの疲労困憊の身で、とても9時間のドキュメンタリーを鑑賞できる体調ではなかった。
最初の、たしか小川をボートが行くシーン、隠し撮りのコントロール車のシーンぐらいしか覚えていない。
思い切ってDVDボックスを買うか。
決して安くないが、『ショアー』全作にほとんど眠るために劇場に払った金額もばかにならなかった覚えあり。

明日からの残りの三姉妹の上映も、万難を排してみておきたい。


4月12日(金)の記 ある移民の物語
ブラジルにて


松井太郎さんの『ある移民の物語』の冒頭がちらついていた。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000182/20090103004858.cfm?j=1

が、まさか、と思っていた。
午前中、レントゲン検査のため、東洋人街に出た。

先週、平日の夕方、営業時間のはずなのに理髪店の大塚さんのところが閉まっていた。
訪日旅行でもしたのかな?
ここのところ、僕は訪日の折に格安散髪に行っているので、しばらく大塚さんに切ってもらっていない。
大塚さんのところは前日に電話で予約して、たいがい先方がその時間に遅れて、ということもあり、気軽ではないのだ。

今週、電話をしてみると、番号は使われていないという。
今日、行ってみると内部を取り壊し中だった。
作業員のブラジル人に経緯を聞いてみるが、わからない。

並びのバール、金太郎さんで聞いてみる。
亡くなったという。
今年の一月。
ショック。

まだ70歳ぐらいではなかろうか。
大塚さんが店をたたむなら、僕は日本に引き揚げますよ。
それぐらいの軽口が出る間柄だった。
散髪中にうかがった諸々の話は、おいそれとこうした場にアップできない話が多い。
まさしくナマの戦後移民史を大塚流の教訓を添えてうかがってきた。

喪失感とともに、とりあえず散髪、どうしよう?


4月13日(土)の記 けむる四姉妹
ブラジルにて


わが家では拙作『下手に描きたい』の新たな原版づくり。
思わぬデジタルノイズがいくつか生じて、その度にやり直し。
アリジゴクのなかで、あがく思い。

夕方からランズマンの遺作『四姉妹』シリーズの残りの2本に挑む。
土曜でもあり、また満席が心配だ。
入場券配布開始の1時間前以前に到着。
200席足らずの会場だが、満席には至らず。

ホロコーストを生き抜いた女性4人の語りは、それぞれ強烈だった。
しかし最初に『ヒポクラテスの宣誓』を見ていなければ、万難を排す覚悟で全作品鑑賞に挑むこともなかったかもしれない。

それぞれの撮影年は作品中では明らかにされていないが、『ショア』取材中の1974年から1985年の間だろう。
聞き手であるランズマンその人が頻繁に映し出されるが、とにかくよくタバコを吸っている。
紫煙が画面に写りこむこともしばしば。

インタビュイーの方でも負けずに喫煙する姉妹がいた。
インタビュアーの喫煙というのは、語り手をリラックスさせるため、ぐらいのエクスキューズないし大義名分でもあるのだろうか。

いずれにしろ、よく『四姉妹』全員を制覇できた。
さあ、自分の仕事。


4月14日(日)の記 ブラジルの初ガツオ
ブラジルにて


キリスト教暦では、聖週間のはじまり。
サンパウロの女子カルメル会修道院での早朝のミサに預かる。

日曜の路上市へ。
カツオをすすめられて、買う。

まずは連れ合いの実家で。
タタキにするとなると、あぶるための網や氷水などの準備が「勝手の」わからないところでは煩瑣である。
生カツオは、寄生虫が…
ま、ニンニク醤油で殺菌、ということで。
刺身でいただく。
とろりとした味わい。

夜はわが家で、昨日のヴィナグレットソースの残りを用いてカルパッチョで。
特に肉眼視できる寄生虫も見当たらなかったが…
ネットで検索すると、カツオの「ふつうの」寄生虫は食用してもヒトには無害な由。

(アップ後にこんな記事に接しました。
https://www.asahi.com/articles/SDI201904051620.html?ref=apimag1904_sp_con_mail_0417_13
タタキでも危ないのか。
大西洋のカツオはどんなものだろう?)


4月15日(月)の記 戦争と原発
ブラジルにて


さあサンパウロでの月曜恒例の一日断食。
さんざん探したけれど見つからず、先日ひょっと出てきた撮影素材をチェック。
ブラジルの身内がらみの映像。
とりあえずパソコンに取り込んでみるが…
あれ、口があっていないぞ。
今度はネットの不具合で原因を検索できず。

富山妙子さんがらみのあらたな動画編集にも着手。
これのタイトルは『戦争と原発』にしようかな。

昨日、2キロで約600円のサービスで買ってしまったサバのハラをサバく。
夜は鉄板で塩焼きにして好評。


4月16日(火)の記 美の温泉夢想
ブラジルにて


午後から次回訪日の件で、パウリスタ地区の旅行エージェントへ。
火曜はサンパウロ近代美術館(MASP)が無料なので、軽く美のシャワーを浴びてから、と気軽に考える。

なんと、MASPは驚異的な人の列。
火曜には時おり覗いているが、この人の出はセクシュアリティ美術展かも。
なにゆえに?
シカゴ美術館の名宝展を開催中だが。
入場までに1時間は優にかかるだろう。
あきらめて、向かいのトリアノン公園での読書で時間調整。
藪蚊にたかられる。

所用を済ませ、なんだか疲れ気味だが、どうしよう。
せっかく、ここまで来たし…
思い切って、これも気かかりだったトミエ・オオタケ文化センターの展示まで、足を延ばしてみる。
四つのテーマ展を開催中だが、いずれも面白かった。

現代アラブ写真展。
アラブ文化圏の写真家の作品展だが、僕には目新しい刺激。
アフリカの現代アート展での写真家たちの作品に触れた時の驚きを想い出す。
写真表現も、写真家の出自と成育環境に大いに影響されているだろうことが面白い。

オスカー・ニーマイヤー『創造の領域』展。
ニーマイヤー肉筆のスケッチ類の展示。
ずばり彼の創作が、全裸の女体や男女の交接のフォルムをもとにしていることがわかる。
日本のニーマイヤー展では、この類は削除されていたように記憶するが。

それこそ僕がMASPのセクシュアリティ美術展に打たれている頃、日本のいわば「教育ママ」から性的なことを喚起する表現を契機にありえない仕打ちをちょうだいしたことを想い出す。

ああ、見に来てよかった。
ここにはレストランがあり、カフェも飲めそうなのだが。
値段以外にもお高くとまっている観たっぷりで、ひとりでは入りにくい。
メトロも混んでくるし、わが家に帰るか。

美のシャワーもいいが、せわしないのは否めない。
美の温泉にゆっくり浸ってみたいな。


4月17日(水)の記 アリジゴクのすり鉢で
ブラジルにて


未明に、ただいま編集中の『シリーズ 富山妙子 素描』それぞれのタイトルを想いつき、書き留めておく。
午前中、現在編集中のものをプレビュー。
とりあえず、これはここまでにしておくか。

さあ次回訪日時の上映素材の作成だ。
『明瑞発掘』。
これの、素材取り込みがうまくいかない。

テスト取り込みはうまくいくのだが、全編を取り込むと、わが編集システムでは対応しないらしい形式になってしまうのだ。
そのことがわかるまでが、ひと苦労。

今月19日は「インディオの日」であり、それにともなうイベントが始まっている。
午後はそれがらみの映画を見に行くつもりだったが、本業がうまくいかないのでドタキャンとする。

思えば、あたらしい編集システムに切り替えてまだ一年足らず。
まさしく、ない知恵を駆使してここまでやってきた。
いやはや。

別の取り込みシステムを使うことにする。
それも問題はあるのだが、とにかく今のアリジゴクを這い上がってみよう。


4月18日(木)の記 はじめにインディオありき
ブラジルにて


4月19日の「インディオの日」というのはブラジル特有のものかと思っていた。
調べてみると、メキシコで開催された世界先住民会議に由来するようだ。
いずれにしろ、この時期には先住民関連のイベントが多い。

今日は夜、当地の先住民がらみの映画2セッションに水筒もって挑戦。
ああ、蓋をきつく締めていなかったようだが、プラスチック袋に入れておいてよかった。

コロンビアからアマゾン流域のブラジル領に難民として入ることをはかる家族を描いた『Los Silencios』(沈黙)という映画を最も見たかった。

これも奇作だったが、もう一つのブラジル映画が圧巻だった。
邦訳すると『死者の村の雨と歌』。
アマゾン流域トカンチンス州の先住民クラホの人たちの話。
先住民保護区で若い妻と乳児と暮らす青年が主人公。
彼には亡父の盛大な法事を行なうという重荷がある。
さらに自分がシャーマンになることを期待されているため、それから逃れるために町に出る。

診療所で「ポルトガル語はわかるのか?」と聞かれる青年。
ブラジルでこう聞かれるのは、我々外国からの移民や観光客だけではないのだ。
映画のほとんどのセリフはクラホ語。
監督は「白人」だが、長回しで映し出される先住民たちは、まるで演技をしているとは思えない。
そしてこの映画の主人公の苦悩は、僕にも、現代を生きる多くの人たちにも通じると思う。

想えば僕自身、『すばらしい世界旅行』の豊臣靖ディレクターによるアマゾンインディオシリーズの好評が契機でブラジルと縁ができたわけだ。
お世話になった先住民たちに、自分はどう向き合っているのか。
この問いから逃れることはできない。


4月19日(金)の記 インパールとインディアン
ブラジルにて


当地は今日からイースターの三連休。
本日はその主役のイエス・キリストが磔刑に処されたことを祈念する日。
あまりへらへらきゃっきゃっとはできない。

自宅の混沌スペースに探りを入れる。
日本から持ち帰ってそのままになっている資料や書籍など。
川越のアンティーク屋で買った奇書発見。
小峰書店発行の小学生文庫。
『コロンブス』、文は佐藤春夫、絵は向井潤吉!
西暦1959年、占領下日本で発行された絵本だ。

ヴィジュアルな資料も限られていた時代に、よくぞ。
僕のいちばんの関心は、向井潤吉が新大陸の風土と人をどのように描いているかだ。

敗戦後、日本全国を行脚して、消えゆく古民家を描き続けた向井潤吉。
『影』と題された彼の戦争画に、息を呑んだ。
当時の中華民国の都市に襲い掛かる日本軍の爆撃機からの視点で描いた「鳥観図」。
向井は、インパール作戦にも従軍していた。

世田谷の向井潤吉アトリエ館だったと記憶する。
戦後の古民家画家時代に、向井は緑がきらいだというような発言をしているのを知った。
インパールのトラウマだろうか?

この『コロンブス』で描かれている新大陸は、あっさりしすぎ。
向井はコロンブスのたどり着いたカリブ海の島と、自ら死線をさまよっただろうインパールの熱帯降雨林の緑と闇を結びつけることに無頓着だったのか。
あるいは確信犯で忌避したのか。

彼の描き続けた古民家の仏間には、どれだけ「大東亜戦争」で亡くなった人たちの遺影が飾られていたことだろうか。
そして、現地で殺された人たち。
考えるほどに、「コロンブス」は重い。

あ、今になって今日は「インディオの日」でもあったと気づく。
磔刑のイエスと、当地の先住民が重なる。


4月20日(土)の記 『マブイの往来』
ブラジルにて


こう頻繁にブラジルと日本を往復して…
しかも日本でもブラジルでもばたばたしていると…

日本から担いできた必読書がどこかに紛れてしまうこと、しばしば。
そしてそのままうっかり読みもらしてしまったり。

当地はイースターの連休でもあり、本命の動画編集はほどほどにして。
ここのところいじっていない空間にちょっと探りを入れた次第。
あ、この本!
『マブイの往来 ニューカレドニア―日本 引き裂かれた家族と戦争の記憶』
津田睦美さんの文と写真。

津田さんとは、京都の細川周平さんの縁で知り合った。
そののちに津田さんが編まれた『ニューカレドニアの日系人』をかつて流浪堂さんで購入していたことに気づいた。
かなり引きめで、周囲の環境も読み込めるポートレート写真群が目を引いた。

津田さんは現在、関西学院大学で教鞭をとられている写真作家である。
『マブイの往来』の文は取材と調査にかけた年月と労力がにじみ出ている。
そして、写真作家をして、
「私は、その視覚的なインパクトにすっかり圧倒され、文字を追うことができなくなった。」
と書かしめる資料の写真が圧巻だ。
文字の、意味を超えた迫力。
手前みそだが、僕がただいま並行して新たな原版づくりをしている拙作『明瑞発掘』の世界にも通じるではないか。

さらにニューカレドニア移民もブラジル移民も、世界史と世界誌のなかで驚くほど根元が一緒なのに気づかされる。
18世紀に世界最大のコーヒー生産国だったフランス。
コーヒー生産はカリブ諸島を経て、南米へ。
かたや南太平洋のフランス植民地へ。
そして、沖縄。
津田さんの視覚を圧倒した資料は、沖縄の屋我地島に保管されていたものだ。
屋我地島!
畏友の日系ブラジル人、高橋さんのペンション「いぺー」のある島だ。

さて、今日はフランスからブラジルにやってきた親類を訪ねて連れ合いの実家に出かける。
想えば彼女の縁で細川周平さんとつながったのだな。

縁の、あやとり。
こんがらがりそうだ。


4月21日(日)の記 『生き物の集まる家』
ブラジルにて


自分の知るキリスト教とは異質のものらしい、とそれだけは確信できた。すると、安心もでき、意外ななつかしさを覚えた。留都は十字架を見る機会が人よりも多かったのだが、その形にはどうしても不満で、こんなものならいいのに、と勝手に思い描いていたのが、ちょうど目の前に現れた感じだった。
津島佑子『生き物の集まる家』


今日は、復活の日。
早朝のミサへ。
はじめてみる神父の司式。
頭髪は薄いが、若そうだ。
聖体拝領の時、微笑んでいたが、思えばこれは意外とないことだと気づく。

イースターの昼食会で、準備もありミサのあとで家族全員で連れ合いの実家へ。
ふだん台所に立っているので、こういう時は運転手役だけでカンベンしてもらう。
今日の友は、津島祐子さんの『生き物の集まる家』。
日本とブラジルを2往復ぐらいした本だが、冒頭だけ読んでそのままになっていた。

この著者の名前を意識したのは、西暦2016年に畏友の星野智幸さんが日本の新聞に追悼文を寄稿した時だと思う。
その後、思わぬ縁で故人となった津島祐子さんが身近になった。
この本を買ったのは沖縄の くじらブックスさんだったかな。

東京で生まれ育った主人公の女性は、実際の記憶にない山里の夢を見るようになる。
東京での人間関係で心身がずたずたになった彼女は、亡き父の故郷を訪ねてみようとするが…

これまで読み進められないでいたが、今日はいっきに読んでしまった。
西暦1973年の刊行だから、四捨五入すると半世紀前の小説だ。
調べてみると旧JRの国鉄が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンをはじめたのはこの小説より古く、1970年からだった。
ちなみに、山口百恵さんの『いい日旅立ち』のリリースは1978年か。

小説で描かれるのは、いわば土俗、伝奇の世界。
横溝正史『八つ墓村』や宇佐美まこと『入らずの森』を想い出した。
それが旧約聖書の『ルツ記』をベースにしていて、今村昌平的な性の世界に通じているのが面白い。

この小説についてネット検索してみると、ほとんどヒットしない。
人文書院で刊行されている津島佑子コレクション第Ⅰ期にも収録されておらず、文庫本にもなっていない。
しかるべき識者の解題が読みたいところ。


4月22日(月)の記 岩波新書赤版から
ブラジルにて


さあ訪日前の、最後の一日断食。
今さらながら、先回訪日時の御礼メール。
上映会のアンケートにメルアドを書いてくれた人、名刺交換をした人たち宛て。
何日かかるかな。

先回、日本の古書店の店頭100円売りで買った気になる本を読み進める。
『福島 原発と人びと』岩波新書赤版。
著者は大スキャンダルの「性状」を暴かれた広河隆一氏。
僕自身は広河氏と面識もなく、これまで間接的にも何という触れ合いもなかった。

この本は西暦2011年8月刊行で、福島事故から5か月にしてよく事態を整理して本質をついていると思う。
僕自身、福島の原発4基のそれぞれ何号機がいつ爆発したかという時系列をおさえておきたかったので、格好だった。

昨年末からの複数回の報道によると、広河氏はフォトジャーナリストを志望する日本人女性たち複数に、東京都内のホテルや海外の取材地で!彼女たちに不本意な性行為を強要し続けたという。
告発された当の広河氏は、文章による自己陶酔のうかがえる弁明をしているだけのようだ。

彼の文章を読むと、社会の弱者の側の人たちと、きちんと人間関係を継続して取材を続ける人権派そのものなのだが…
海外の戦乱の地でも邦人女性にレイプ行為を毎晩のように続けたという氏は、福島ではどうだったのか?
この本でも広河氏はチェルノブイリ原発事故の現地の若い女性たちを継続的にケアしたと書いているが、彼女たち被曝者や、これまでの取材の現地の被写体の人たちにもレンズ以外のものを向けることはあったのだろうか?

僕自身、自分の敬愛する日本人フォトジャーナリストに寄り添って、彼の現場での言動を自作のドキュメンタリー映画としてまとめている。
僕なりに、彼との一蓮托生は覚悟のうえだ。

広河氏を主人公にしたドキュメンタリー映画の製作スタッフたちは、そんな広河氏の「性状」を知らなかったと発表しているが、そんなものだろうか?
検証ドキュメンタリーぐらいつくっていただきたいものだ。
広河映画を封印しないで、検証上映をするのもいいだろう。
広河事件から学ぶべきことははかりしれず、それは報道や記録、そして人とかかわる者の当然の義務だ。


4月23日(火)の記 ブラジルの払いもの
ブラジルにて


昨日は銀行を2軒、ハシゴしていた。
こちらのカトリック日系団体の発行している月刊誌の購読料の支払いのため。
これまでは小切手を郵送していたが、銀行の払い込み用紙が送られてきた。
期限まではどこの銀行でも支払い可能、期限後はI銀行のみで支払い可能、とある。

自分の取引銀行のATMで支払いを試みる。
なぜか受け付けない。
窓口で照会されよとの画面表示。
こうなると、ひと仕事。
整理券を受け取って、順番待ち。
して、窓口ではこの払い込み先は登録されていないので、I銀行に行ってみるようにとのこと。

出直して、I銀行へ。
銀行が変わると、システムも変わるのでややこしい。
新たに番号札をとって、待機。
して窓口では、この払い込み先は登録されていない、とのこと。

なんなんだ。
今日、外出の折にその団体の本部に行ってみる。
顔見知りの事務の日系女性が「あー、みんなそうよー」と軽く応じる。
小切手を切ると、先方は鼻歌交じりで領収書を書いてよこした。
日本円にして2000円にもならない購読料を払うまでの道程。

この雑誌も教条主義的な記事、校正されているとは思えない日本語の記事が多い。
しかし、時おり「フマニタス」の佐々木治夫神父の最新の寄稿などがあるので、やめられないでいる。

ああ、そういえば昨年いっぱいで廃刊となった当地の日本語新聞のよぶんに払っていた購読料。
問い質すと払い戻すとのことで銀行口座を伝えたが、入金の気配なし。
ブラジルの日系社会、エラそうな自画自賛にうんざりだが、実情はこんなものである。


4月24日(水)の記 クレー再訪
ブラジルにて


新たな訪日が迫り、残務雑務たけなわ。
そんななかで…
ブラジル銀行文化センターでのクレー展が間もなく終わる。
もう一生、これだけクレーをまとめて見れる機会はないだろう。
このドタバタ状態で、再び訪れるつもりがなかった。

が、読み終えたばかりの津島祐子さんの『生き物たちの家』でクレーの画集が出てきた。
ほんの一言だが、それが引っ掛かった。

行くか。
午後は混むかもしれない。
他の用事も抱き合わせて、昼前に到着。
うーむ、見直しておいてよかった。
天才だ。

まず幼少時の作品から始まるが、この階の解説だけではクレーの成年や、これらが何歳の時に描いたのかがわからない感じ。
青年時代と思われるが、才気あふれる小品類に惹かれる。
これだけ写実を極めてからの、抽象である。
晩年の線画に改めて打たれる。

もう一度、見に来てよかった。


4月25日(木)の記 ミレニアムに逝く
ブラジルにて


西暦2000年、19年前のいまの時期はこたえた。
「ブラジル学」を唱えた巨大な知性、中隅哲郎さんが64歳にして他界。
日本では無二の学兄、古城泰さんが50歳にして逝った。
世間ではミレニアム便乗の諸々があり、ブラジルは「発見」500周年も重なった。

中隅さんのお連れ合いはサンパウロの我が家から徒歩圏にお住まいだ。
おうかがいしてお線香をあげさせていただく。
共通の知人の話題など、話は尽きない。

僕がすっかり忘れていたことも思い出させてくれる。
中隅さんの葬儀の時、日本から小説家の三枝洋さんがちょうどブラジルに来ていたことなど。
三枝さんからこちらでは香典をどうしたらいいかを聞かれ、通夜会場にご一緒したことなど思い出す。

中隅さんの著作群は、日本の無明舎から刊行されて、今でも購入可能だ。
ネット検索などは考えられない時代に、よくもあれだけの著作群を残したものと、夫人とあらためて感心しあう。


4月26日(金)の記 サービス品の事情
ブラジルにて


ブラジル出国前日。
オンライン作業に訪日土産等の買い物。

夜は家族で徒歩圏のお店で外食ということになる。
わが家の近くに飲食店が増えてきて、ありがたい。
外食時にはアルコールが飲みたくなるが、クルマではそうはいかないので。

民家を改造したハンバーガー屋に目をつけていたのだが…
行ってみると、デリバリーのみだというではないか。

さあ困った。
別の店を提案するが、それなら帰る、という強硬意見が。
ふと見ると、我々の立ち位置の前に、照明は暗いが飲食店らしいものがある。
アマゾンのフルーツ・アサイを店名に掲げる店だ。
オープンスペースと屋内にテーブルと椅子が並んでいる。
入って聞いてみると、パスタ類、ピザ類もあるという。
しかもパスタはお店の手作りとのこと。

ここに決めた。
玉に瑕は…アルコール類が切れているとのこと。
金曜の夜だが、他の客が誰もいない。
時間が早いせいか?

このお店はランチが主で、ビーガン向けのものもある由。
その割に、粉チーズやラスク類までひとつひとつ袋詰めされた工業製品が出てくる。

手作りパスタは悪くない。
女性二人で切り盛りしているが、フレンドリーだ。
「Wi-Fiは会話を30分楽しんでから」などという掲示も。
オーダーがひと通り出されて、家族で料理の皿を取り換えっこなどしていると、チーフの女性が来た。
「ニンジンのチキン入りニョッキを試作しているんですが、よろしければお店からのサービスとしてお出ししますが。」
ウエルカム。

さて、出された一品は。
むむ。
この味は。
冷凍庫に長期間、入れたままにしていたものの味がする。
鶏肉だろう。
味にうるさい家族一名も、日本語でその旨に同感。

邪推になるが、鶏肉の問題から売り物にするのは気が引けて、サービスとして処分したのか。
さすがのわたくしも、チキンがだいぶフリーザーで過ごしたようですね、とはオーナーに言えず。
かといって残すのもナニで、たいらげてしまうわたし。

けっきょく我々が帰るまで、他の客が来ることはなかった。
肝心な店名のアサイ類を摂取しもらしたな。


4月27日(土)の記 別れのピラルクー
ブラジル→


今晩、ブラジルを出国。
最後の、晩餐、とはいかないが、夕食は通常モードで僕がつくる。
ピラルクーの味噌漬けを焼く。

ピラルクーはアマゾン流域の古代&巨大魚。
近年はサンパウロ近郊の養殖モノも出てきたが、これはアマゾン流域の、おそらく養殖モノ。
近所の冷凍食品店で買った。

現地で食べた時には感じた覚えがないのだが、サンパウロで手に入るのは独自のくさみを感じてしまう。
養殖モノであること、そしてエサの関係だろうか。

それをどこまで消せるか、味噌ベースにニンニクとショウガをすり込んだタレに漬けておいた。
ふむ、悪くはないか。
家族にも好評。

ああ、早くブラジルに帰ってきて家族のだんらんを楽しみ、ごろんとして書を読み、海岸山脈の宿の音に浸りたい…


4月28日(日)の記 エチオピアのしりしり
→エチオピア→


エチオピア航空機の機内エンターテインメントサービス、先回と代り映えしない感じ。
先回は、先月だったが。
二本だけの日本映画はまったく同じ。
黄色いフォルクスワーゲンの写真に惹かれてみてみた『バンブルビー』、なんだか面白かった。
異星からやってきたロボットが地球で黄色いビートルに変身するのだ。
このロボットと地球の車メカニックオタクのティーンエージャーとの交流。
(のちに調べて、日本では今年3月に封切られたばかりと知る。)

さあアジスアベバの空港で、エチオピア航空のラウンジが使えるぞ。
どれどれ、料理は…
ふむ、チキンカレーとある。
鶏の胸肉ゴロゴロ。
日本風カレーに慣れていると、色といいカレー風味の弱さといい、カレーとは別物な感じ。
ニンジンの千切りサラダ風がある。
沖縄料理の にんじんしりしり風だ。
ニンジン千切りに塩とヴィネガーの味付け、これに炒めたキャベツの芯の部分が加わる。
僕はニンジンをあまり好まないが、これはさっぱり、悪くない。

アジスアベバからの機内食でも小皿でこれが出たぞ。


4月29日(月)の記 よどんだ弛緩
→大韓民国→日本


アジスアベバからの機中では、エチオピア映画らしいものを鑑賞。
現地文字と現地語のみで、多言語の字幕なし。
故郷を離れようとする若いカップルが、民兵とも山賊ともつかぬ武装グループに襲われる。
荒野のなかをさまよう、Tシャツの上に獣皮をまとった少年。
野外で若者たちが宗教の経典らしいものを一斉に音読。
都市部が出てきて、携帯電話も出てきた。
いつの時代設定ともわからないアフリカの奥地の無告の民の話に、ブラジルの巨匠グラウベル・ローシャの映画を想い出す。

夕方のソウル仁川空港でトランジット。
そして、ファーイーストの祖国の成田へ。
アフリカ経由の道中に感じたのは、わが祖国日本と日本人の凋落と影の薄さ。

さて、夜の成田のこの雰囲気…
空気が弛緩して、澱んでいる感じ。
大連休の期間の故だろうか。

さあさっそくミッション開始。
目黒の実家到着儀、明日の牛久上映の素材のバックアップを作成。
はじめてのシステムに挑むが、試行錯誤のうえ、なんとか軌道に乗ったかな。


4月30日(火)の記 ぼくのこよみ
日本にて


自分の暦は、自分で決める。
昨晩、目黒の実家に到着してから、夜なべで『郷愁は夢のなかで』の上映バックアップ素材づくり。
さあ日本は夜明けが早くなってきた。

午後からの茨城での上映主催者とのやり取りで、重大な不備に気づく。
可能な限りのアドバイスをして、現地で奔走してもらう。

旅装、撮影機材、上映機材、土産類を取り揃えて…
雨か。
まずは徒歩にてカトリック目黒教会へ。
早朝のミサで、司祭が思わぬ「公然の秘密」を語る。

モーニングサービスのあるチェーンのカフェで、いっぷく。
さて、富山妙子さんのお宅にうかがおう。
バスのなかで、思わぬ知人にばったり。
アレイダ・ゲバラさんともつながる人で、富山さんによろしくと伝言をたまわる。

富山さんは、あらたな転換を決意されていた。
わが意を得たり。
ご要望により、ぎりぎりまで滞在。
途中、人身事故のひとつでもあればアウトだな。

小田急線、千代田線、常磐線を無事故で乗り継ぎ、牛久駅ぶじ到着。
何語ともわからない名前の、駅の直結ビルの上映会場へ。
スピーカーの問題は、茨城県内のアミーゴが持参してくれてことなきを得。

今日、茨城牛久で柴田さん野口さんに『郷愁は夢のなかで』を上映していただけることになり、感無量。
おふたりの人脈は厚く、濃い。
手ごたえのある質疑応答が会場撤収ギリまで続く。

懇親会では、熱い写真論も。
概して僕には、ドキュメンタリー映画関係者よりも写真家と話している時の方が面白い。
さあ今日中に学芸大学の流浪堂さんに寄りたい。
いやはや、間に合った。


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