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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2020年の日記  (最終更新日 : 2020/12/01)
5月の日記 総集編 黒澤明のマスク

5月の日記 総集編 黒澤明のマスク (2020/05/02) 5月1日(金)の記 メーデーが命日
ブラジルにて


今日はメーデー。
ブラジルのメーデーは祭日だ。

コロナ禍により、日毎の買い物もはばかる状況下。
今日は家人からのリクエストもあり、堂々と、まではいかないけど外出。

好天の朝だが、団地内の広場の人もまばら。
敷地を出ると、外出制限令下の平日よりさらに人手が乏しい。

少し回り道コースで祭日でも開いている肉屋とスーパーへ。
近所のグラフィティを物色したい狙いもあり。
メトロポリスを描いた壁がある。
外出制限令になってもいつも路上駐車のクルマが何台か壁の前に重なっていたが、今日は車がない。
せっかくなので、周囲を見計らってスマホ撮り。

5月1日といえば。
シネマ屋友の会のミサと飲み会の日だった。
第2次大戦前から戦後しばらくまで、ブラジル奥地の日本人移住地を無声映画のフィルムと映写機を持ってトラックでまわり、映写から弁士までをつとめたシネマ屋さんたち。
その残党の集いだ。

若手の方で僕より40歳近く上だったから、もう皆さん鬼籍に入られたことだろう。
とにかく面白い人たちだった。
ステレオタイプのブラジル日本人移民像におさまらないのが痛快。
映像業界の大先輩でもあり。

奇縁からシネマ屋を描いたオルガ・フテンマさんの、邦訳すると『お茶漬け』というタイトルの短編映画のための調査、小道具作成、助演まで務めることになった。
『すばらしい世界旅行』でも「シネマ屋こそわが人生 活弁ブラジルを行く」のタイトルの番組を実現して、故人となられたばかりの久米明さんの名調子で語ってもらった。
畏友の細川周平さんは『シネマ屋ブラジルを行く』(新潮選書)という労作を上梓している。

細川さんとシネマ屋のミサにあずかり、日系芸能界の長老だった池田信雄さんのお宅での酒盛りに参加させていただいていた時。
池田さんのご家族たちがテレビの周りで騒ぎ始めた。
ブラジル人のF1レーサー、アイルトン・セナがレースの事故で亡くなったのだ。

調べてみると、1994年のこと。
もう26年か。

銀幕の
残り香想う
五月かな


5月2日(土)の記 岡村と風俗
ブラジルにて


いろいろな字があるが、アベ姓を有していて不快な思いをし続ける人の気持ちが少しわかった気がする。

日本の岡村某というお笑いタレントの発言が祖国で問題になっているようだ。
その岡村は、コロナが明けたら、生活苦のためにかわいい女性が風俗業界に来るのが楽しみ、といった発言をラジオ番組でした由。
この岡村氏のことを僕はほとんど知らず、こちらの日系人宅が受信していたNHKの日本の朝番組に出ているのを見た覚えがあるが、そもそもこの番組自体が僕には不快でならなかった。

コロナウイルス問題による外出制限令の続くサンパウロ。
今日も一族の用事で車を運転。
帰路、楽しみというと叩かれそうだが、気になるエリアがある。
近くに学校もある住宅地エリアなのだが、明るい時間帯でもいわゆる「立ちんぼう」の売春夫/婦が出没するのだ。
基本的にトラヴェスチと呼ばれる女装の男性や女性への性転換手術を施したトランスジェンダーの人たちだが、わずかな棲み分けをして女性そのものも立っているようだ。
運転中に垣間見るだけでは、女性としか思えない人が少なくない。

クリスマスイヴやニューイヤーを迎える時間帯にも立っている「彼女」たちを見ると、話を聞きたくなるが、タダで冷やかしというわけにもいかない。
さて今回の外出制限令が出されてからも何度かここを通ったが、たっぷり明るい時間だったせいか、それらしい人を見かけることはなかった。

今日は、いた。
16時をまわったぐらいで、まだじゅうぶん明るい。
マスク無着用で、うつむきながらスマホを繰っていた。
女性にしか見えない。
この時期の性欲の傾向についてどんなものかを問う声をネット上で見かけるが、さて。
彼女の方も決死の覚悟だろう。

たとえば、こんなことを想い出す。
かつてひとり取材で訪れたブラジルの地方で、日中の案内を買って出た日本人会の顔役から深夜、「オマエ(岡村)がおごれ」と言われて、かなりヤバい売春窟に連れていかれたことがある。
そんなところで、ことに及べば何重にも危ないことぐらいはわかっている。
顔役の個室入りの間、僕の横に座ったまさしく少女に話を聞いたが、ずばりブラジルのウラをナマで語ってもらった。

さて貧乏取材の岡村にたかったジャポネースはその後、日本の皇族がらみのことが。
おっと、オンラインでの公表は、不快な方もおられることでしょうからこの辺までで。


5月3日(日)の記 9時間27分
ブラジルにて


未明に覚醒。
さあどうしよう。
見るべきか、またにするか。

映画『ショア』9時間27分。
DVD4枚組の最後の一枚の残り。
とにかく重い話なので気おくれがして、ずるずると。
ナチスによるユダヤ人虐殺に関する生存者の記録。
思い切って起床。
だいぶガタのきたDVDデッキとテレビをつける。

東の空が明るみ、ついに見終える。
最後はゲットーの話か。
ゲットーについて、ごくおおまかにしか知らないでいた。
ゲットーでの伝染病の流行もあったのだな。
死体が路上に放棄されていく様など、今日のコロナ禍とも重なりそうだ。

敬愛する在九州の牧師は、毎年この『ショア』の上映を続けてきたという。
繰り返して見られるべきドキュメンタリーだ。
イスラエルの散髪屋のシーンも強烈だった。

ワイズマンDVDボックスに、あと2作が入っている。
すこし後回しにしよう。
しばらく『ショア』の余韻を反芻しよう。


5月4日(月)の記 復活の日の再生林
ブラジルにて


さあ月曜だ、一日断食をしよう。

午後、一族の用事で車を運転。
そのついでに、無住となっている親類の家の裏庭のライムを拾って来ようということになった。
だいぶ庭に落ちているが、取る人もなくもったいないとのことで。
もったいない、に弱い。

裏庭は、コロナ巣ごもり中の頭髪状態。
生えるにまかせている。
ヒトの気配に、スズメらしい小鳥が飛び立った。

ほとんど黄色くなったライムがぽこぽこと落ちている。
あまり傷んでいないものを、袋に収まるだけ拾う。

家人が、ケールとプチトマトも植わっているという。
ナスもあった。
まさしく無農薬。
よみがえれ、潜在植生。

映画『復活の日』を想い出す。
小松左京原作、深作欣二監督。
映画の英題は、ずばりVIRUS。
まず学生時代に日本で封切り上映の時に観た。

そしてテレビディレクター時代に中米コスタリカで東京からの指示待ち中に観た。
『VIRUS』という映画の看板があり、どうやら日本映画らしい。
するとなんと、堂々ラテンアメリカロケもした『復活の日』だった。

新型ウイルスが世界中に広がり、人類はひととおり死に絶えた。
しかしウイルスが及ばなかった南極観測隊の人たちは生きのびた。
だが、新たな危機が。
アメリカのホワイトハウスにスイッチのある核攻撃システムが、このままでは起動してしまう。
誰かが行って、オフにしてこなければならない。

日本人のヨシズミ隊員が、ワシントンへ向かう。
その時の荒れるに任されて植物の覆うホワイトハウスが、廃墟マニアをうずかせた。

セキュリティシステムがあっても、ブラジルの地べたの家は強盗が怖い。
この家にも有人時代に泥棒が入っている。
前門のコロナ、後門の強盗。
さあ早くおいとましよう。

それにしてもこれだけのライムをどうしよう。


5月5日(火)の記 横道のボブ・マーリー
ブラジルにて


近所のスーパーと青果店に買い物に出る。
ちょいと回り道をして、グラフィティを探してみる。

昨日は車で出たついでに、グラフィティ撮影を試みようとした。
だが、これはというものは車の停車がかなりむずかしいところばかり。
わが家の近くのちょっと危なめの住宅街の横道のものは、付近に目の座った男がスマホを持ってぶらぶらしている。
ドラッグ関係だろうか。

いずれにしろ、リスクを冒すこともないのでやめておく。

うむ、徒歩で渉猟した方が、はかがいきそうだ。
それなりに食指が動くものがいくつかあり。
これといったのをスマホ撮りしてインスタグラムにあげているが、一日一点をとりあえずの原則としている。
今日は、うれしい悲鳴。

スーパーの先の横道。
なにやら壁に控えめな整った字で描かれた文言がある。
https://twitter.com/junbrasil/status/1257855509249564672/photo/1

"O VERMELHO DOS MEUS OLHOS VEM DO VERDE DA NATUREZA"
「わが目の赤は自然の緑に由来する」、といった意味だが、さていわんとすることは?
ブラジルの国旗の色のことかと思うが、赤がわからない。

帰宅後、わが家のポルトガル語ネイティヴに聞いてみるが、わからないという。
検索するか。

似た言葉が、ボブ・マーリーの遺した言葉にあった。
英語版を探すと、
"Why green eyes,if I have them red? And if the red my eyes is the green of natura."
というのがあった。
https://yourworld.forumeiros.com/t264-as-frases-mais-bonitas-do-bob-marley

ボブ・マーリーの名言、格言は日本語のサイトでもいくつかあるが、これに相当するものは見当たらない。
そもそも僕は彼のことは名前ぐらいしか把握していない。
調べてみると…
ジャマイカ人のミュージシャン。
レゲエの先駆者。
汎アフリカ主義者。

ラスタファリ運動、エチオピアニズムというのに関与していた。
ラスタ・カラーというのが、このマーリーの言葉にある色に関連しているようだ。
拡がりと深さに、くらくらする。

サンパウロの住宅地の壁に、黒人運動の格言が書き込まれていたのか。
強引にたとえると、東京の住宅地の壁に尹東柱や金芝河の詩句が書かれているようなものか。

ブラジリアングラフィティ、これは退屈しないぞ。


5月6日(水)の記 ブラジルの絶望と希望
ブラジルにて


ブラジルはCOVID-19による死者数が世界第6位になってしまった。
全国で確認された死者数は8000人を超える。
わがサンパウロやアマゾンのマナウスなど、5都市が特に深刻だ。

熱帯で雨季の最中のマナウスでのコロナウイルスの蔓延。
今年7月に東京オリンピックを強行するつもりだった日本では、新型ウイルスなど6月の梅雨で収まる、と喧伝されていたことを忘れたくない。

払いもののため、銀行へ。
こちらのATMでは指紋認証がなされる。
こちらがカネを預けるのにも何度も指紋のチェックがあり、その意味がわからない。
今日はけっきょく僕の指紋を受け付けず、窓口へ行けとの機械の指示。

ひたすら待機。
念のため読みものも持ってきたが、外出制限令下の公共スペースで書を拡げる気分になれず。
ようやく窓口へ。
「この機会に〇〇はいかが?」などとすすめてくるが、謝絶。
支払い終わって「残高を確認したいのですけど」というと、
「外のATMでどうぞ」。
「指紋を読み取らないのだけど?」
「やってみてください」。
げんなり。

近くのミニスーパーでコーヒーの102番フィルターを探してみるか。
ここは入店時にセキュリティスタッフがこちらのオデコの温度を検温。
スーパーの対応も様々で面白い。
カゴが入り用だとスタッフがアルコールジェルで消毒して渡してくれるところ。
使い捨て手袋を置いてあるところ。
なんにもないところ。

銀行で指紋を読み取らなかったのも家庭での炊事時間が増えていることより、アルコールジェルを多用するためではなかろうか。


5月7日(木)の記 『九月、東京の路上で』
ブラジルにて


チェーンメールやバトンなどは無用で、今こそ伝えるべき、読まれるべき本がある、と痛感。
コロナウイルスによる死者数で世界第6位になった住国ブラジルより、行政による市民切り捨てと「自警団」が横行する祖国日本に絶望的な気持ちとなる日々。

この本は日本で購入してブラジルに持参して、読みかけのまま訪日が続いてそのままになっていた。
まさしく機が熟して読了かなった。

「ある種の行政エリートの脳内にある『治安』という概念が、必ずしも人々の生命と健康を守ることを意味しないということである。それどころか、マイノリティや移民の生命や健康など、最初から員数に入っていないということである。」
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイトの残響』加藤直樹著(発行:ころから)

僕の生まれ育った東京で、今年7月から2度目のオリンピックの開催を予定していた東京で、まだ100年も経たない過去に、なぜ、どのように、どれだけの数の隣人が虐殺されていたのか。

いったい日本のなにが問題なのか。
それは日本に特有のものなのか。

この本はたくさんのことを想い、考える糸口をくれた。

寄居で住民に愛されながらも隣村から乗り込んできた「自警団」に虐殺された朝鮮人の飴売りの若者と按摩師のエピソードに泣かされた。
ルポルタージュの真骨頂に喝采を送りたい。


5月8日(金)の記 ドイツ敗戦記念日
ブラジルにて


サンパウロ巣ごもり中。
ラジオが今日はナチスドイツの降伏により、ヨーロッパで第2次大戦が終結した日と教えてくれる。
そうか。
日本敗戦の8・15の日付は小学生時代から頭に刻み込まれているが、ドイツの方はきちんと覚えていなかった。

日本とブラジルだけ見ていると、たいせつなことを見失ってしまう。
ブラジルは、ヨーロッパに圧倒的に近い。
2月に確認されたCOVID-19もイタリア由来だ。
そもそも公用語はポルトガル語。

ブラジルの日付で大日本帝国の降伏は、8月14日。
日本の戦勝を信じ続けた複数の「勝ち組」の証言によると、ドイツ降伏時にはサンパウロの町で花火が上がるなどのお祝い騒ぎがあったが、日本の時はそれがなかった。
これが本来は日本が負けていないことの証拠という。
そもそもブラジルでは大西洋で民間の船がドイツのUボートの攻撃を受けている。
ブラジル軍は日系人も参戦しているのだが、ヨーロッパ戦線に派遣されて枢軸国軍と戦闘している。
ブラジルは1945年6月には日本に宣戦布告をしているが、実際の戦闘は生じてはいない。
太平洋に面していないブラジルにとって極東の島国の敗戦は、町をあげてのお祝いにも及ばなかったのだろう。

75年目となるドイツの敗戦記念日のドイツの代表の言葉の日本語訳が送られてくる。
心を打たれる。


5月9日(土)の記『茶畑のジャヤ』
ブラジルにて


かたづけているのだか、さらに散らかしているのかわからない状態。
昨夜、読みかけていた本がどこにあるのか見つからない。

何日か前に発掘した『茶屋のジャヤ』という本を代わりに読んでみようか。
児童文学で、スリランカの茶畑の少女の話のようだ。
お紅茶も飲みたくなってくる。

作者のプロフィールのページを開いてびっくり。
著者の中川なをみさんは存じ上げない。
なんと表紙画と挿絵が、門内ユキエさん!

ブラジル国旗を彷彿させる緑と黄のあふれる表紙画だが、恥ずかしながら門内作品とは思わなかった。
表紙の下3分の一近くを帯が覆っているのだが、これを脱がすと門内さんらしい、アフロでトロピカルな茶葉が現れた。
帯がせっかくの表紙絵を台無しにしている好例かも。
近年は帯を意識して、本来の表紙の帯の部分が間の抜けた装幀になっている本も少なくない。
書店で売られている時はともかく、皆さん、ご自宅の書棚も帯を付けたままで?
土足のまま自宅内で暮らすブラジルも含めた西欧人をふと思い出す。

拙著を出版してくれた鎌倉の出版社「港の人」は2011年の東日本大震災と福島原発を契機に出版物への帯廃止宣言をした。
残念ながら、それに続く出版社があったとは聞いていない。

日本のSNSでブックカバーチャレンジとかいうチェーンメールがウイルスやネズミ講のように「感染」を広めようとしていたのの余波は、僕あたりにも伝わってきた。
まずこうしたブックカバーの帯の是非問題を考えたいものだ。

さて『茶屋のジャヤ』、本文中の門内さんの挿絵にも息をのむ。
そして、小説そのものに引き込まれた。

富士山のみえる町に暮らす、運動の苦手な男子小学生がクラスメートから「シカト」のいじめにあう。
彼の祖父はスリランカでの土木事業支援をしている。
孫の窮状を察した祖父は、彼をスリランカに誘う。
少年はスリランカでさっそくタミル人とシンハリ人の対立と差別という現実にぶつかっていく…

児童だけに読ませておくのはもったいない好著だった。
門内さんにはナメクジを題材とした創作でお世話になっていた。
さっそくメッセージを送る。


5月10日(日)の記 ブラジルの母
ブラジルにて


今日は5月の第2日曜日。
ブラジルは、母の日ーおっと、日本もこの日なんだな。

コロナ問題があるのでサンパウロは母の日を数か月、繰り下げるという知らせを日本語で読んだ覚えがある。
その後の続報に接しなかったが、繰り下げは実現には至らなかったようだ。

実家の母の付き添いに行っていた連れ合いは、実家で干しダラ料理をこさえる。
義母は刺身も欲しいとのことで、路上市を物色。
ヒラメを買う。
連れ合いを迎えに行く時間を早めて、向こうの昼食に間に合わせる。
大根と唐辛子も持参して、紅葉おろしも添える。

さあ帰宅後はわが家で、子どもたちの母を祝う夕食をつくらないと。
寿司飯をつくって、ちらし丼に。
マグロのトロ身を醤油とミリンのヅケにして。
持ち帰ったヒラメの残りは薄口醤油と塩レモンのヅケにする。
日本キュウリを塩コウジになじませて。
自家製タクアン、ブラジル製のカニカマと紅ショウガ。
日本から担いできた焼き海苔に、刷り白ゴマ。
このゴマの産地はどこだったろう。

今日は土鍋のご飯も寿司酢の調合もうまくいった。
食後はいただきものの狭山茶。
義母の故郷の愛媛の茶の方がおいしい。
「わきの茶」という山峡のお茶。
生産地を訪ねたのを想い出す。
後継者の若旦那の試作品の紅茶、あれもよかったな。


5月11日(月)の記 グラフィティ求道
ブラジルにて


さあ月曜だ、今日も一日断食をしよう。
これぐらいではウエストがタイトになることもないけれど。

今日からサンパウロの外出制限は一段と厳しくなる。
市内走行可能の自動車の規制強化。
偶数日はナンバープレート末尾が偶数の車、奇数日は末尾奇数の車のみとなった。
土日祝日も同様。
わが車は奇数。
さっそくわが家でも調整が必要となる。

わが家まわりの風潮としては、個人の日常の健康管理のためぐらいの理由での「徘徊」はしずらくなってきた。
今日は薬局に行くという大義名分あり。
ついでに最近、東の方の坂下、大通り沿いにできた青果系スーパーまで行ってみよう。
サンパウロはまだ外出時の用件の書類携帯義務まではない。
物盗り、攻撃性の路上生活者、暴走車に注意して。

今日はマスク着用が息苦しいほど晴天により温度が高い。
(帰宅してスマホでチェックすると24度。)
さあ最近のお楽しみのグラフィティ探し。
めったに通らない道、そしておそらく初めての道を漁る。
うーむ、意外なほどグラフィティがないぞ。

スーパーの方はゆったり目でやや高級感があるが、値段はさほど張らないものも少なくない。
野菜、果物、国民的蒸留酒など購入。

さてここのところ、外出できたときはその日に撮影したグラフィティの写真を原則一点、インスタグラムにアップするようにしている。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja
これがまことに面白い。
いろいろなことがちびちびとわかってくる。

今日まわったあたりは一戸建て住宅やマンションが多いが、外壁に想像以上にツタ類を這わせている。
かつてより増えたんじゃないか。
「落書き」防止のためにツタを這わせているのじゃないかと思えるほど。

思えばかつてサンパウロ市長が市内の幹線道路沿いの壁面に描かれたグラフィティを撲滅させる手段として、コンクリート壁を崩して壁植物を植えさせたことがあった。
ちょっと行き過ぎ観もあったが、世界に誇ってもいいすばらしいグラフィティの大作、力作、快作が多かったのだが。
こうした強硬策に住民も倣ったのかもしれない。

というわけで、収穫は乏しい。
だが、これだけ行脚して写真をあげないわけにもいかない。
がらんとした大通りの有刺鉄線をめぐらせた壁にある古手のものを撮影。
どうもこのあたり、妙だ。
一面を覆うウオールにあった扉から出てきた女性が、近くの扉を開けて入るのに出くわす。
かいまみたウオール内は、ずばりファヴェーラ:スラムではないか。

地理的に考えれば、このあたりはチエテ川に注ぐ小河川が下水化、暗渠化した地区だ。
先ほど遠めだが、マスク無着用どころか、かろうじてパンツだけははいている老人を見かけた。
先日、麻薬取引の番人みたいな男がうろついていたのは、この裏手だ。

こんなところでスマホを出して撮影をしているトトロ帽と柄マスクのジャッパ(日本人の蔑称)、ヤバ過ぎる。


5月12日(火)の記 地方紙に書く男
ブラジルにて


福岡に本社のある西日本新聞社の知人から、先月に亡くなられた俳優の久米明さんの追悼文の寄稿を頼まれた。
僕ごときにこんな依頼をいただけるとは、これにはたまげた。

連絡をくれた西日本新聞社の内門(うちかど)博さんと知り合ったきっかけは、『出ニッポン記』の取材で南米に足跡を残した上野英信だ。

拙著『忘れられない日本人』出版の際には、内門さんに奔走いただき、作家の姜信子さんにお願いして西日本新聞に書評を書いてもらっている。
想えば僕が姜さんを意識したのは、かつて九州を訪ねた時に購入した西日本新聞で連載していた姜さんの連載だ。
西表島の炭鉱労働者について書いた稿に接して、その事実、そしてそのシャーマニスティックな表現に息をのんだ。
姜さんにいただいた書評は、まさしく姜ワールドであり、戦慄を覚えた。

さらに内門さんはブックオカという福岡での書籍の祭典で、僕と小説家の小野正嗣さんの対談というのを仕組んでくれた。
小野さんが芥川賞をゲットする以前のことだ。
小野さんとは異常なほど意気投合してしまった。
その余波で、那覇の古書店ウララの宇田智子さんとの出会いをいただくことになる。

人をつなぐ新聞記者!

今回はまずは長野松本の上映に来てくれた人から拙稿を読んだとのメッセージをいただいた。
え?
ご実家が福岡で、帰省されていた由。

ついで長崎在住の女性がツイッターでメッセージをくれた。
勤務先が福岡の由。

そして上野英信のご子息の上野朱さんから!拙稿を読んだとメールをいただいてしまった。
ひかりは、西日本から。

それにしても、ウチカドという音の響きがいい。
「うちかど」で検索してみると、「うちかどクリニック」というのが筆頭からいくつも出てきた。
所在は福岡市。
福岡に多い苗字なのだろうな。
さらなる検索で、慄然。
このクリニックの医師は「内門久明」さん。
そして、内門記者からの久米明さんの追悼文の依頼!

これが偶然か⁉


5月13日(水)の記 ブラジルのクサい飯
ブラジルにて


ブラジルのコメ事情はなかなかややこしい。
コメという植物、食物がそもそもややこしいのだ。

世界で米を語るにはジャポニカ:短粒種でネバネバ、インディカ:長粒種でパサパサ、と縄文研究の学生時代に覚えて、それでひととおり通用するかと思っていた。
ところがどっこい。

もう何年も前になるが、日本のPARCの知人に頼まれて、こちらのコメ事情を調べて驚いた。
ブラジルの日系社会で売られているブラジル産のモチ米は、長粒のインディカだったのだ。
インディカにもモチ種があるのか!

そもそもコメという植物は、他の亜種とたやすく交雑してしまうという。
さらに複雑なことに、ブラジルで南米産にもかかわらず日本米、あるいはオリエンタル料理用のコメとしてい売られているものには単粒種と長粒種があるのだ。
110有余年におよぶ日本人移民のブラジルでのコメ食の歴史と世代による嗜好の変化がうかがえて、これはこれで面白い。
おおざっぱな仮説をたてると、否応なくブラジルでコメを食べるとなると長粒、インディカ、パサパサ系のものが身近だった世代とその子孫は、本国のような単粒ネバリ系より長粒パサパサ系を好むようになってきているように思う。

さて。
コロナウイルスによる長期の外出制限令下で、わが家の米びつが空になる前に早めにおニューを購入しておいた。
在庫が底をつき、そのブラジル産日本米の5キロ入り未開封を開けることになった。
これを買った近所の日本食材店には長粒種ばかりで、僕の好む単粒種はだいぶ値段の違う2種しか見当たらず、しかたがなく安いほうのを買った。

といっても普通のブラジル米よりは倍以上のお値段である。
研ぐときからヘンだった。
何十年前に日本で出回っていたようなビタなんとか米のように黄色っぽい粒がある。
そもそもだいぶ砕けた感じ。

炊きあがりのニオイに仰天。
カビ臭だ。
ナマ米の臭いもかぐと、同じ不快臭がある。

家人にかがせると、農薬のニオイだという。
さて、農薬のニオイって?
そもそも彼女はどうしてそんなニオイを知っているのか?

サンパウロ州奥地での少女時代に、家族に連れられて行った町の知人の農薬販売店でこのニオイをかんだという。
農業技師だった父に聞くと、BHCという農薬の臭いだと言ったという。

BHC。
benzenhexachloride。
調べてみると、日本では残留毒性が強いため、1971年に使用禁止になっている。
『沈黙の春』、『複合汚染』。
ちなみにこのブラジルの「日本米」は日本の植物の名前を付けて売られているが、ブラジル南部の日系ではない穀物会社の販売だ。

いずれにしろ、これを食べるのはつらい。
とりあえず今日は、在庫のあった日本のふりかけをかけてごまかしごまかし食べる。

他のコメを買ってきて、少しずつ混ぜて使うか。
それもおかしい。
購入店に持っていって、かけあうか。


5月14日(木)の記 サンパウロのコメ騒動
ブラジルにて


昨晩、わが家で問題となった異臭のするコメ。
思い切って朝イチで購入店に掛け合うことにした。

以前、近所のやや高級スーパーで購入したイタリア製の乾パスタを開封したら、コクゾウムシが出てきた。
そのスーパーに持ち込むと「(お宅の)保存がわるい」と取り合われなかった記憶あり。
レシートを見ると、購入して10日程度しか経っていないのだが。

さて今回の日本食材店は、こちらが要求しなければレシートをよこすこともない。
使用額のみの印字されたデビットカードの控えはある。
カウンターにはデカセギ帰りだという鮮やかなクリカラモンモンを入れた日系のあんちゃんか、夫婦なのだろうか非日系の女性が交代でいる。
さして客は多くなく、僕の顔は覚えていることだろう。
もし返品等に応じなかったら「もう二度とお宅じゃ買わないから」と言ってグッドバイするつもりだった。

今朝は女性の方だった。
やっこらさと開封した5キロのコメ袋をカウンターに置いて、異臭について説明。
彼女はコメの臭いをかぐこともなく「この時期のこのマークの米は古くなっているから」とのこと。
差額を払って別のメーカーのと取り換えてもらうことにした。
ホトケの名前を冠したウルグアイ産米で、異臭のするブラジル国産の植物名のより3分の一ぐらいの割高。
リオグランジドスル州の異臭米は、二度と買う米(まい)。
その差額は、売り子の彼女が驚くほど。

問題のコメと同じものは、まだ山積みだ。
値段は割安とはいえ。
多くの消費者はこの米の異臭は気にならないということか。

さてこの店の壁にも気になるグラフィティがある。
ここのところ、外出時の日課にしているインスタグラムでのグラフィティ日誌に取り上げたいところ。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja
商品のクレームに行った店を出るなり、その店の壁の写真を撮る度胸のない気の弱いわたくし。

もう一カ所、気がかりなところがあるのだが、5キロのコメを担いでは控えるか。
というわけで、今日のグラフィティは近所の撮影予定になかったものにする。

お米の方は値段もいいだけあって、さすがにうまい。
こちらの日本人日系人でもっと値段の張るコメを食している人は、ざらだけど。

それにしても、あの異臭が農薬臭だとする説はどうなのか。
古米ならカビ臭説で解釈できるが。


5月15日(金)の記 サンパウロの平城京
ブラジルにて


コロナ外出制限のサンパウロ。
外出は最大、日に一回に自粛中。
午後より、一族の所用で車を出す。

今週からさらに厳しい自動車乗り入れ制限が始まった。
が、かえって通常は見ないクレイジーな運転をかます輩が散見。
今日もまずは向こうが一時停車なのに、ルール無用で突っ切っていくクルマ。
3車線にまたがってのジグザグ追い越し。
こんな時期に事故に巻き込まれたらたいへんだ。

せっかく車を出したので、目星をつけているところで停車して、外出時の日課にしているグラフィティの撮影を…

ターゲットの場所は駐停車禁止で、後続車のリスクを考えて見合わせる。
自ら事故を招いては、シャレにならないどころではない。

目的地の手前で右折をしてみる。
お、「一反木綿」風のグラフィティが。
が、なんだか空気がヤバい。
近くに蟻道のようなスラムがあり、その入口部に見張り風のが数名、控えていた。

帰路はアプリが通常の抜け道を示さない。
一時的な道路封鎖かも。
そっちには先日、撮影を見合わせたグラフィティがあるのだが。
アプリ指示の道に従い、そのまま帰宅。
駐車場にクルマを置いてマスク着用、夕食のお好み焼き用のヤマノイモなどの買い物に。
もう近所はひと通りグラフィティ漁りでまわっているが…

おや。
高層アパート建築現場のブロック塀に、まさしく落書きがあるではないか。
白チョークらしきもので、人面のカリカチュア。
日本の平城京出土の落書を彷彿させる筆致。
https://www.instagram.com/p/CAOJADOA7NX/

オカムラ作品通の方なら拙作『京 サンパウロ』のトミエ・オオタケ文化センターの工事現場に描かれていたものを想い出されるかもしれない。
日本にも近年、見かけるようになってきた工事現場のヴィジュアル美化系のものでも、と思ったら古典的な作品を採集することになったという喜び。


5月16日(土)の記 蔦下のトルソー
ブラジルにて


久しぶりの好天。
食糧買出しの大義のもとに外出。

目的の店とは逆方向、アヴェニーダの西側へ渡る。
付近を知らなければ、そこが道だとはわからないような小径。
ここのツタの絡まる壁に描かれたグラフィティをスマホに収めたかった。
そもそも木陰ビル陰の暗い場所で、好天の機会を待っていたのだ。

通常でもワケアリの若者ぐらいしか、たむろしない場所。
今日は荷台のついたチャリンコの、近寄りがたい雰囲気のアンチャンがいるではないか。
むむ、今日も見合わせるか。

アンチャンはミネラルウオーターの大びんの配達途中でタバコを一服していたようだ。
向こうもこちらをヤバいと思ったのか、周囲に煙を漂わせてふたたびペダルをこいで退散。
さあ植え込みスペースに入ろう。
すでに上部を木ヅタが覆い始めている。
シェル石油のロゴのように黄色の本体を赤でワクどり。
トルソー:人体画のようだ。
https://www.instagram.com/p/CAQFgR_gEKG/

早めに作業を済ませることに気を取られて、ツタそのものの観察が行き届かなかったな。
もう一つの小径も通って今後の撮影候補のグラフィティを物色しつつ、冷凍食品店とパン屋をまわる。


5月17日(日)の記 アジ三題
ブラジルにて


今日は家族からの頼まれものもあり、晴れて外出して買い物。
日曜の路上市へ。
家族用の布マスク、これまで2度ほど買ったおばちゃんが見当たらない。
しかたがない、用品一般の出店で買う。
すでに市内はこうしたマスクは供給過多な感あり。
こちらも柄やつくり、値段を選べるようになった。
マスクは帽子、メガネフレームなどと同様にすでにオシャレや自己主張のアイテムにもなってきた。
これという柄があれば、日本の友人知人用の手軽な土産として買っておくようにしている。

さて、魚屋さん。
サワラをすすめられるが、いまイチ乗れない。
小ぶりのアジを2尾、買うことにした。
もう10年来のなじみのあんちゃんだが、こちらが刺身用の魚を求めていること以上は覚えないようだ。
おろしてもらう際、皮ははいで、アラはもらうといつも言っているのだが、これを覚えてくれない。
いちいち言うのもナニかなと思って控えると、アラをよこさない。
アジはナメロウにするためにも、ぜひ中骨も欲しい。
さばき担当は取り込んでいるため、ゴミにまわされたアラをピックアップしてもらうのにだいぶ待たされる。

夕食用に、アジをどうするか。
まず半分ほど、塩こうじを塗りこんで。
これは焼き魚に。

そのあとで、ナメロウ用にそぎ落とし。
冷凍してあったミョウガがもうないようだ。
その分、年代物のいただきもののシソのお手製ユカリをまぶせて。
シソのふりかけイコールゆかり、としていいのか微妙かな。

あとは自家製塩レモンのカルパッチョで。
これも悪くない。

3種のアジを堪能しました。


5月18日(月)の記 黒澤明のマスク
ブラジルにて


日付はついに5月18日。
記録映像作家と称しながら、なかなか映像をみるのが重い。

が、深夜に覚醒してしまい、活字を追うのもしんどくて、思い切ってDVDに挑むことにする。
わがブラジルとクロサワを結ぶ『生きものの記録』、あらたにDVDコレクションを買って日本から担いできていた。
重いのを重々、承知で姿勢を延ばす。

ざっくりいくと、原水爆の恐怖におびえる町工場の経営者が、一族でのブラジル移住をはかる、といった話だ。
西暦1955年。
最初の『ゴジラ』公開の翌年だ。
そして『生きものの記録』は『ゴジラ』の山根博士役の志村喬がまず登場する。
志村喬は歯科医役なのだが、まずマスクをするではないか!

COVID-19問題が起こるまでは、映画で描かれるマスクなど気にも留めていなかったが。
それにしても、ファーストシーンで。
マスクに注目して黒澤映画を見直さなければならない。
戦国武将の兜は、マスクに含めるかどうか。

さて今回、気づいたが、三船敏郎演じる町工場の親爺と、同郷だというブラジル移民の成功者の語る言葉は広島弁のように聞こえる。
映画のなかで登場人物がやたらに汗をぬぐい、扇子などでパタパタやる。
貼り紙の記載などから8月を想定していることがうかがえる。
あの、原爆の8月へのオマージュか?
以下、ネタバレあり。

最後の火事そのものを、黒澤は動画で描くことはなかった。
『乱』ではそれをやってしまったのだな。

「サンパウロか。冗談じゃねえよ」。
そんな台詞がこたえる。

今日は5月18日。
韓国の光州事件の40周年。
COVID-19問題がなければ訪韓していたはずだ。

今日から思い切って富山妙子さんの映像の編集を再開。
いきなりぶっとんだ話で、編集を中断してなかなか再開できなかったわけを再確認。
今日は乗り越えてみよう。


5月19日(火)の記 自分史点検・海賊編
ブラジルにて


自分があきれるほどものを知らないのに、あらためてあきれる。
コロナ巣ごもり中、すすまないことばかりで慄然とするばかりだが、ささやかな学びの時期と位置付けてみよう。
粘菌でいえば、子実体の時期か、変形体の時期か。

攪乱状態で愕然とするばかりのもののヤマをタヌキ掘り。
ほんらいなら即、処分すべきものが手をくだせない。

『楽しいわが家』という全国信用金庫協会発行の月間の小冊子がある。
わが東京の実家の近くの信用金庫のカウンターに置かれている。
これが欲しいので、訪日時にATMを使わずに開店時間にささやかな現金を窓口へ預けに行くほど。
これがコンパクトながら読みごたえがある。

玉にキズなのは、福島原発事故後も続く原発推進派の人間の毎号のコラム。
これが気持ち悪いので、この連載が続くのなら不快なので信用金庫との取引をやめるとメールを送ったこともある。

この小冊子、ブラジルに持ち帰ると高齢の日本人移民女性たちに喜ばれている。
これの2018年8月号、まあ新しい方なのが出てきた。
ざっと目を通してから、こちらの義母のところに持っていくか。
おや、これは読んだ覚えがあるぞ。

ブラジルに持ち帰って読みかけて、遠征やら編集やら訪日やらでそのままになってごちゃごちゃになるのの繰り返しで今日の混沌が築かれた。
うーむ、この号はスクラップしたい記事が複数あるぞ。

よしだみどりさんの「宝島への道」という連載。
〽死人の箱に這い登ったぜ 十五人
 一杯やろうぜ ヨ―ホーホー

これだったか!
幼少期に覚えて、いまだに忘れていない言葉、音楽などがある。
僕は、こんな歌を覚えていた。
〽死人の上に男が10人
 ラム酒を飲んでヤーヤーヤー

当時、白黒だった実家のテレビで見た、洋物ドラマの吹き替えだったと記憶する。
それ以上は思い出せない。
歌は覚えていたが、それ以上に想いを馳せることは特になかった。

歌の背景はカリブ海あたりのイギリス系の海賊だろう。
ブラジル製のラム酒を買うと、眼帯をしてインコをはべらせる海賊の男がラベルになっていて、これを見る時などに脳内の歌が再生されていた。
なかなかコウモリ印のラムには手が出ない。

ブラジル生まれのわが子は映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ、そして日本の海賊マンガ『ワンピース』を好むが、父は共有できていない。
この歌を覚えているだけで、あとは「海賊版」ぐらいしか縁がなかった。

そうか、わが脳内の歌はどうやら『宝島』が原点のようだ。
恥ずかしながら『宝島』のディテールはなにも覚えていない。
ネットで英語版を探してみた。

Fifteen men on a dead man's chest
Yo ho ho and a bottle of rum
Drink and the devil had done of the rest
Yo ho ho and a bottle of rum

僕の記憶の「10人」はまちがいないと思う。
日本語の調子で、15人から5人削減したのだろう。
考えることもなかったが、僕の見た映像はなんだったのだろう。

調べてみると、実写版の映画『宝島』が1950年に公開されていた。
ディズニー初の実写で、カラー作品とな。
わが家は白黒テレビだったから、白黒で見たわけだ。
これの日本語吹き替え版をテレビで見たのだろう。
海賊ラベルのブラジル産ラムでも買いに行くか。

幼少のテレビ映像の記憶で、僕のその後にも少なからぬ影響を遺したものがある。
第2次大戦中、南方で戦死したはずの父親が現地で生きているかもしれないと知った、たしか娘が主人公のドラマ。
まだ横井さんや小野田さんが実際に発見されたとニュースになる以前のことだ。
この記憶については拙著『忘れられない日本人移民』に書いたのだが、原稿を半分にしないと定価2000円以下にできないとのことで、泣く泣く橋本梧郎先生、佐々木治夫神父の章とともにカットしてしまった。
お蔵入りとなったが、いまより記憶が少しは鮮明な時に書いておいてよかったかも。


5月20日(水)の記 断捨離nor断洒落
ブラジルにて


すでに世界三大コロナ大国に入ってしまったブラジル。
サンパウロ市とサンパウロ州はあの手この手でがんばっている。
隔離率をあげるため、サンパウロ市は6月と11月の祝日を今日と明日に繰り上げることにした。
サンパウロ州は7月の祝日を来週の月曜に繰り上げることに。

大型連休の出現に、海岸地方に移動をはかるクルマと人が新たな問題だが。

一日最大一回の外出、家族の朝昼晩の食事作りで、日々が過ぎていく。
身辺のごちゃごちゃは、いじればいじるほどかえって散らかってしまう印象。
呆然とすること、しばしば。
断捨離とはほど遠く、駄ジャレも出ない。

今日は富山妙子さんの映像編集はやめて、韓国の光州事件40周年式典の映像をみる。
このなかに富山さんの作品が思わぬかたちで登場するのだが。


5月21日(木)の記 ジュゴンの目
ブラジルにて


サイの目というぐらいだから、サイコロに動物のサイの骨や角を用いるなら合点がいくが、ジュゴンの骨とは。

ついにわがブラジルはコロナの死者増加率で世界のトップになった由。
サンパウロでのコロナ禍巣ごもり中、まさしく濫読をしている。
それぞれを読み終えることなく、他に手を出すのだから始末が悪い。

というわけで今回、ブラジルに戻ってから読み終えた本の数はさして多くはない。
そのなかでズバリ沖縄がテーマの本が2冊ある。

ひとつは東畑開人さん著『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』(誠信書房)。
鳥取は倉吉の「倉吉ブックセンター」さんで、拙作上映中に目に留まった一冊。
書籍ソムリエの円谷店長に「お目が高い」と言われて買わざるをえなかった。

読んでみて、この本を発掘して平積みにする円谷さんこそ「お目が高い」と言わざるをえない。
臨床心理士である著者が、沖縄にはユタなどの伝統的ヒーラーとはまた異なる「野の医者」がやたらに多いことに気づき、その人たちに「治療」を受けながら個々の歩みを聞いていく。
スピリチュアル系について、そして沖縄についてあらたに教えてもらうことが多かった。

さて新たに「出土」したのが『沖縄のジュゴン 民族考古学からの視座』。
盛本勲さん著、ずばり沖縄の榕樹書房発行。
この本は沖縄は八重瀬町の「くじらブックス」さんで出会った。
こういう本が読みたかった!

くじらブックスを家族で経営する渡慶次(とけし)さんとは古書店ウララの宇田さんコネクションで知り合ったが、故上野英信も絡んでいたりして奥が深い。
くじらブックスへは那覇市内からバスで往復、お店でのまったり滞在と飲食も含めて半日をかけたが、まことに充実した旅のひと時だった。
小ささがウリのウララさんからすると、くじらと称するだけあって首里城内にでも入ったようなスペース。
選び抜かれた新刊と古書が並び、琉球陶器や喫茶、食事も楽しめる。

僕自身は『すばらしい世界旅行』の『ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群』がデビュー作としている。
実は、名前の上ではその前に『幻の人魚を喰う ジュゴンの海に潜る』という番組でディレクターとして登場しているのだ。
フィリピンの離島の漁師たちが定置網にかかったジュゴンを捕らえて食べる、というお話だ。
もっとも僕はジュゴンそのものを食べることも見ることもなかった。
先輩ディレクターが取材したジュゴン漁のムービーフィルムをもとに、漁師たちの日常などを追加撮影して番組をまとめろという、いわば敗戦処理投手のような役割だった。
日本映像記録センター入社から1か月も経たないうちから、新人のオカムラをフィリピンに派遣して帰ってくるごとにどやしつけて、たかが追加撮影のために合計3回もフィリピンに行かせた、と牛山純一プロデューサーは得意げに語っていたとか。

西暦1982年、そもそも文献資料も乏しい時代である。
日本映像記録センターの図書室にあった、平凡社の百科事典だろうか、それにジュゴンは沖縄ではザンノイオと呼ばれてその骨が遺跡からも見つかっている、といった短い記載があったことを覚えている。

沖縄の海のジュゴンを守れ!というのはもちろんけっこうなことだ。
だがもっとジュゴンのこと、人との関係が知りたい。
この本を読むとジュゴンは先史時代から現在まで、沖縄の人たちに重宝だったことがよくわかる。
肉は美味で薬用効果もうたわれ、骨まで利用され尽くしていた。
本土の中世相当のグスク時代にはジュゴンの骨がサイコロにもされていたという。
ジュゴンの骨でつくった用途不明のナゾの蝶型骨製品というのも気にかかる。

事情もわからない都市浪費者があげつらうのも気が引けるが…
沖縄のジュゴン漁の主な方法は、ジュゴンの尾鰭を叩き折り、ジュゴンが痛み苦しんで暴れまわって消耗させて殺すというのが衝撃。

さて、それにしてもまさしくわが幻のデビュー作「幻の人魚を喰う」、どこかにVHS録画テープがあるはずなのだが見当たらない。
日本の実家からブラジルに持参したように思うのだが。

サイコロ占いで探してみるか。


5月22日(水)の記 聖市路地裏の散歩者
ブラジルにて


午前中の早い時間に外出買い物の大義名分をつくって、市井へ。
もちろん、人のたかるようなところに出向くつもりはない。

少し離れたところのパン屋と、道順にある日本食材店に。
わがいちばんの狙いは、路地裏のグラフィティ撮影。
外出時に一日一点、インスタグラムへのアップが習慣となった。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja

サンパウロ市内でナメクジ、トンボ、ツノゼミ、粘菌等を探すことに比べれば、数ケタ容易である。
それでいて生やさしくはなく、幅が広く奥が深い。

すでに26点をアップしたが、日本の美術で例えれば有名どころの美術館ではなく、地元の同好会のアンデパンダントな展示から食指の動いたものをピックアップした程度である。

学生時代、縄文学徒の時代に岩手県の発掘現場の調査にあたっていた故・林謙作先生の現場の門をたたき、林先生の胸を借りたことがある。
論文も強烈だが、人物も強烈だった。
林先生の持論は、本場で調査研究をしなければダメ、ということだった。
たとえば、縄文時代晩期の亀ヶ岡式文化と呼ばれるものを研究するなら、東京あたりでわずかに出土する亀ヶ岡式土器でなくて、本場青森の亀ヶ岡のものを研究すべきだというわけだ。
たしかにそれが王道、本道かもしれない。

わがドキュメンタリーの師匠、故・牛山純一プロデューサーは、たとえばなにかの競技を取材するなら、その競技の優勝者を優勝した後からでも取材するべきだと僕に主張した。

林先生の言うこと、牛山さんの主張もむべなることだと思う。
林先生も牛山さんもいわばその分野のなかで発言力が強く、そもそも強い人だった。

僕は元来、強者になりえないし、負け惜しみ抜きにあこがれもない。
異分野の異色の第一人者とアグレッシヴなまでに関われたことはかけがえのない自分の財産だ。
それをふまえて、僕はあえて裏を、落ちこぼれを、日の当たらない、そして敗者の側に寄り添いたい。
そこに僕にとっての豊かさがあることを信じているから。

集まってきた近所のグラフィティの豊かな色とかたちが僕を後押ししてくれているのを感じる。


5月23日(土)の記 1955年/ゴジラと黒澤
ブラジルにて


日本では、集団就職が盛ん。
俳優ジェームス・ディーンの事故死。
僕の生まれる前、西暦1955年。

日付が変わってから、覚醒してしまう。
たまりにたまったDVDでも見るか。
日本の友人からもらった『ゴジラの逆襲』がある。
ほう、1955年の映画か。
すでに生涯に2回は見ていて、駄作だったことは覚えている。

これは忘れていたが、前年の初代『ゴジラ』で活躍した志村喬扮する山根博士がこちらにも出てくるではないか。
そして山根博士が小型映画で「ゴジラ」をみせるという劇中映画が登場。
ゴジラの破壊力を見せるために上映するのだが、このフィルムが「劇映画目線」なのが泣けてくる。

もうひとつ泣けてくるのが、主人公の設定。
漁業会社に勤めるフロート付きの単発プロペラ機のパイロット。
クライマックスで「防衛隊」が北の岩戸島に上陸したゴジラをジェット機の爆弾で攻撃する際、志願して参加。
防衛隊のジェット機パイロットが次々とやられていくなか、水上プロぺラ機から急きょジェット機を繰ることになった主人公が爆撃と離れ技の飛行に成功!

日本の怪獣モノとしては、はじめて怪獣同士の闘いが描かれた記念すべき作品。
壊される建物群は「ファサードのみ」といった感の安手のつくりで、前作ゴジラに比べての厳しい製作状況が伝わってくる。
大阪の淀屋橋駅壊滅のシーンは目をひくものあり。

劇中映画の登場というので先日、見直した黒澤明の『生きものの記録』を想い出した。
しかも同じ1955年の公開で、どちらも志村喬が登場する。
そしてどちらも水爆の恐怖を語っている。

黒澤明とプログラムピクチャーの名手だったという『ゴジラの逆襲』の小田基義監督を比べるのも酷かもしれない。
黒澤の描いた小型映画はフィルムからして8ミリとみられるが、ブラジルでアマチュアが撮った感をよく出していた。
しかし『生きものの記録』のなかで、挨拶もなしで家に入り込んできて映写機を設置して、ニコニコと映画の上映を始めてしまうブラジル移民のおじさんというのは、水爆怪獣ゴジラや暴竜アンギラスより不気味である。

『ゴジラの逆襲』のなかの大阪のネオンシーンで、「ヒガシマル醤油」が妙に長くつながれている。
ヒガシマル醤油について調べてみると、兵庫県龍野の醤油会社か。
創業が16世紀、天正年間!というのにはたまげる。


5月24日(日)の記 ナマ魚はカレー味で
ブラジルにて


あまりこまないうちに、日曜の路上市へ。
マスク無着用で、競い合うように大声をはりあげて口上をがなる売り子がいる。
近寄らないようにする。

魚屋で、サワラをすすめられる。
買い。
さあ、どうしようか。

昼に予定していたパエジャは夜に。
パエジャの付け合わせに…
ネットでレシピを繰ると、サワラのカレー味マリネというのがあった。
これは驚き。

カレー粉、おろししょうが、醤油の漬け汁で、ジッパー付きの袋に入れて冷蔵庫で1時間寝かす由。
いまひとつジッパー袋使用が苦手である。
プラスチックの容器に蓋をして代用。

これが珍味、いけた。
タマネギ、パプリカ、パセリを添える。
タマネギは少し水にさらした方がよかった。
アイデア提供に感謝を込めて、ネタ元をリンクします。
https://www.lettuceclub.net/recipe/dish/21181/


5月25日(月)の記 アメリカ遠くなりにけり
ブラジルにて


当地の時刻で昨日、日曜の22時過ぎの発信である。
在サンパウロ総領事館からのメール。
よくがんばっている。

内容は深刻。
アメリカ合衆国が無期限でブラジルからの入国を禁止するとのこと。
ブラジルと日本を結ぶもっともポピュラーな航空路線はアメリカ経由。
アメリカはトランジット客でも入出国の手続きをしなければならない。

ユーラシアやアフリカ経由の便でなかなかのトラブルが続いた。
最近の訪日は臥薪嘗胆、75年前までは日本政府が鬼畜指定していたアメリカ合衆国経由としていたのだが。

昨今、日本の方々への挨拶メッセージに「アジアが遠くなりました」と書いていたが、北隣の大陸が遠くなってしまった。

ほう、日本は緊急事態宣言解除とな。
こちらのテレビで見るアマゾン地方のコロナ禍の惨状は、言葉を失うばかり。
日本のこれからの梅雨、猛暑の時期、危ないと思う。


5月26日(火)の記 今日のグラフィティ巡礼
ブラジルにて


昨日は外出を見合わせた。
今日の天気は快晴。
冷え込んできたが、この陽気ならメガネがマスク着用の呼吸で曇ることもなさそうだ。
食パンや豆腐などの購入という外出の大義もあり。

日本食材店とは反対の、東へ。
ふつうに歩けないほどの急坂をくだって、またのぼる。
日曜の買い物外出の際にこのあたりまで遠征して、ハートマークをクリックしたいようなグラフィティを発見した。
しかし帰宅してスマホ撮りの写真を見ると、他人には言えない恥ずかしいことが。
トリミングは可能だが、そういうのができない不器用な性格。

いらいソワソワしていたが、晴れてまた現場に駆け付けると…
人物画のちょうど顔の部分に影が。
付近の谷底にファヴェーラ:スラムもあり、挙動不審にこのあたりにいつ続けるのもためらわれる。
うーん、時間帯をずらして再訪するしかないか。

あらたにおそらく生涯はじめて歩く道を縫っていく。
おや、先日みつけた壁画ハウスが。
外壁一面に天使や聖人などのカトリックの聖画をほどこした、おそらく民家。
ブラジルでもほかに類例が思い浮かばないが、ヨーロッパにはあるのだろうか?
先日は窓が開いていたので控えたが、今日はスナップ撮り。

肝心な日本食材店に行かねば。
すでに家人に怪しまれるほどの時間が経過している。
おや、アヴェニーダのシャッターに「おそ松くん」を彷彿させるグラフィティが。
https://www.instagram.com/junchan117/?hl=ja

コロナ自粛以降、すなわちグラフィティあさりを始めてからもここは何度か通っているはずなのだが、ノーマークだった。
なぜもらしたのか?
まずはスナップ撮りをこころみると、僕の立ち位置に向かって路上生活者らしいおばさんが荷物を抱えてやってきた。
そうか、ふだんはこのおばさんがいるので視界からはずしていたのだな。
「ひき」の写真は撮れなかったが、おそ松くんそのものは押さえた。

日本食材店は、外で入店の順番待ちの列につく。
さる土曜日は食欲も失せるほどの列だった。
今日は二人待ちだったので、待機。
帰宅後、時間のかかったのはこの入店待ちの列のせいにする。


5月27日(水)の記「住めばブラジル」発掘
ブラジルにて


失せもの、出づ。
もう、あきらめていた。

日本と中南米、特にブラジルを結ぶ大手にして老舗の旅行代理店ウニベルツールが昨年7月、突然に閉社してしまった。
西暦1982年にはじめてブラジルを訪ねて以来、なにかと縁のある旅行社だった。
ブラジルサイドはウニベルトラベルとウニツールの2社に分かれて久しいが、どちらも消息を聞かなくなった。
日本側のウニベルツールの方は親しい人もいた。
とくに不穏な話も聞かず、安泰かと思いきや。

西暦2003年から3年間ほど、ウニベルツールのウエブサイトで月イチのコラムの連載を仰せつかっていた。
原稿料もきちんといただけたので、生活面でもありがたかった。
相手が旅行社なので旅行特典や訪日切符ぐらいも期待していたが、それは甘かった。

「特殊な」書き手のことを知らないで当然の読者相手に、しかも旅行エージェントのウエブサイトだから中南米キケン情報などは控えて旅情をそそるものを書かねばならない。
我ながらよくも3年間、計36回も続いたものだ。
けっこうタイヘンだったな。
メディア等から息長く問い合わせの続いた稿もあった。

さて突然のウニベルツール閉鎖の報を受けて、まずはウエブサイトにアクセスをはかったが、わが連載コーナーにはアクセス不能になっている。
しまった。
バックアップをとっていなかった。
執筆当時からパソコンも数台替わり、もとのデータのありかもわからない。

わが連載を担当していたフリーのライターに久方ぶりに、さっそく連絡した。
彼女もうろたえているようだったが、善処してみるという。
とはいえ、フリーで仕事を請け負った人に10数年前の仕事のデータをなんとかして、というのも酷である。

ウニベルツールの職員だった人になんとかなるか頼んでみようと思うが、会社のドメインのメルアドしかない。
その方の家族と縁があったのを思い出し、その筋から問い合わせてみようかと思っていたところだった。

さて編集担当の方が送ってくれたのは、期間限定の大量データファイル。
この手のものがよくわからない。

星野智幸さんにお世話になっていた『ブラジルの落書き』の方の第3回をそろそろアップ、と思っていたが中断。
急きょ『住めばブラジル』のタイトルで連載していたこちらの方のページを拙ウエブ日記内に開設して移転を試みる。

こちらの方の第一回は、17年前のサンパウロの日本食「最前線」のお話。
もうハナシがだいぶ古いが、歴史的意義はなきにしもあらずかな。
あらたに「あとがき」を書き足してみるが、こっちの方が面白いかも。

http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000259/index2.cfm?j=1


5月28日(木)の記 ガルンガンの涙
ブラジルにて


サッカー並みに世界の強豪となったブラジルのコロナ禍のもとで。
日本を脱出してブラジルに逃げ帰って2か月。

細々と映像編集も再開している。
画家の富山妙子さんの西暦1985年の油絵『ガルンガンの祭り』についてご本人に絵解きをしてもらう映像。

あらたな難関を、思いもしなかった編集ワザで超えてみる。
さらに予想を超えた展開とつながり。
これが映画か、という快と感銘。
涙腺もゆるむ想い。

まあ、これぐらいノレないとなかなか作業はすすまない。


5月29日(金)の記 メトロポリスの闇
ブラジルにて


深夜に覚醒してしまい、活字を追う気になれず、DVDを観ることに。
先日、DVD棚をいじっていて、見そこねていたもの、見たか見てないかわからなくなったものをいくつかピックアップしておいた。

西暦1926年製作、フリッツ・ラング監督『メトロポリス』。
かれこれ百年前、まだスペイン風邪の後遺症も残る頃の製作だろう。
これは必見の古典だった。

労働者たちの地下大工場が「インディ・ジョーンズ」シリーズの魔宮の邪神殿のような形態なのがすごい。
カタコンベのあとらしい、これまた地下でマリアと呼ばれるカリスマ女性が労働者たちを集める空間もそそる。

地上のまさしくパラダイスを再現した空間に住まう支配階級と、地下にうごめく大多数の労働者層。
今日の祖国に重なってしまう。

日中は1時間越えの気になる動画を2本、視聴。
こんなことをしていると、ほとんどほかのことができなくなる。


5月30日(土)の記 今日のUターン
ブラジルにて


午後からこちらの一族の用事で車を繰る。
運転、久しぶり。
土曜の午後だが、かなり交通量は増えている。

なぜか運転用の地図表示アプリがふたつとも機能しない。
勝手知ったるルートではあるが、事故やら突然の交通規制がなければいいのだが。

せっかくだから路傍のグラフィティハントでちょっと道の未知を行ってみるか。
いつもは右折する辻の先にグラフィティのニオイがする。
そろそろと、直進。

前方には多階ビルもあるファヴェーラ:スラム。
その手前に右折して幹線道路に出れる道があるに違いないと思っていた。
さて、そそるグラフィティがあるが、どうも雰囲気がヤバい。

前方からは門外漢を拒む空気。
Uターンしよう。
片側にある壁のグラフィティにはエコロジー系がみられるが、ゴミ処理施設かなにかのようだ。
ぶじエスケープ。

今日のグラフィティ採集は、この先の停車のちょっと面倒な場所で目をつけていたものでお茶を濁す。

帰宅後、わが子の助けを借りてスマホの地図をチェックすると…
いやはや、この地図を見ていたらこの道は避けていただろうな。
あとでグーグルアースででもあたりの景観を見てみるか。 


5月31日(日)の記 手を洗う少年
ブラジルにて


今日は日曜の路上市、そしてベーカリーへの買い物という大義名分がある。
天気もいいぞ。
魚屋ではスズキ、ヒラメをすすめられるが値段の割に「食べ出」がない。
先週に引き続き、サワラとするか。
ヅケにしてみるかな。

三枚におろしてもらう間に、撮影のうまくいっていなかったグラフィティを仕留めに行く。
初等学校の外壁に描かれた、黒人系の少年が石鹸で手を洗っている絵だ。
作画からだいぶ年数が経ったようで、さすがにCOVID-19にちなんだものではない。
スペイン風邪まではさかのぼらないだろうけど。

この少年のポーズが映画『シティ・オブ・ゴッド』の拳銃を持つ少年を彷彿させる。
さて今日は壁面のこの絵に日が差す前の時間に到着。
日が差すと影がややこしくなるので、これでよしとしよう。
https://www.instagram.com/p/CA2xw0Bgl7f/

思えばCOVID-19と注記されたグラフィティを見つけてインスタグラムにあげて、ひと月あまり。
これはこれで面白く、わくわくとあらたにサンパウロの近隣を楽しむことができた。

今日もあたりの人通りは少なく、見かける人は危なそうなのが少なくない。
まあ、ほどほどを心掛けよう。
手を洗う少年にちなんで、足を洗うとか。 


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