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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2021年の日記  (最終更新日 : 2022/01/02)
5月の日記 総集編 カピヴァラ宣言

5月の日記 総集編 カピヴァラ宣言 (2021/05/01) 5月1日(土)の記 極南のスシ
ブラジルにて


サンパウロでは営業時間短縮、人員キャパ25パーセントまででレストラン等も営業可となった。
ずっとホームワークの続いているわが子と、徒歩圏にある住宅地にできたシュラスカリア:ブラジリアンバーベキューレストランに行ってみることにする。

よりリスクを避けて、昼前に向かう。
このあたりにしては広い店内で、客は25パー以下どころか、客とも関係者ともわからないひと組のみ。
道路べり、窓を開け放ったテーブルに着く。

町なかだと窓際は排気ガスやひったくりのリスクもあるが…
ここは路上にとまるプロパンガス売りのトラックのおじさんが見えるぐらい。

サラダバーがいまいち…
SNSの写真にはエビ系もあったのでは。
お、スシがある。
タクアンか?
いや、マンゴーだな。
マンゴーらしきもののマキズシと、サーモンらしきニギリ。
ふたつずつとってみる。

こ、これは…
「おそるべき」部類のものだった。
シャリはぐちゃぐちゃで、しかも芯がある。
味付けはどうしたらこんなことになるかというレベル。
シャリが粥状態なので、付着した超安物の海苔も溶解してしまっている。

肉の方はまあまあ、といったところ。

日本市民の血税を使っての日本文化発信機関がサンパウロにもあるが…
「高等遊民」の日本文化シンパばかりと閉じてつながるのではなく、まさしく草の根の活動をしていただきたいものだ。

日本食と縁のないブラジル人がこの店で「スシ」を口にしたら…

こちらは南半球なので、極北ならぬ極南とした。

席はいくらでも開いているのにわれらのすぐ隣のテーブルに着くカップル。
ひたすらおしゃべりされる。
どうでもいい言葉と飛沫をまき散らされては…

せっかくのスシがまずくなるではないか。


5月2日(日)の記 カピヴァラ宣言
ブラジルにて


今日は路上市での買い出しのあと、家族の用事で車で30キロ余り走る。
日毎のグラフィティの採集をどうしようか。

せっかくクルマを出すので、その道中で拾うか。
アウト・デ・ピニェイロスと呼ばれる金持ち居住地区で車を停める。
ここの私立学校の外壁には生徒たちが絵を描いたタイルを外壁に貼り出している。
これあたりでお茶を濁そうと思ったが…
これといって惹かれるものがない。

少し歩くか。
天気もよく、若い女性一人、カップル、家族連れの軽装のジョギング、ウオーキングの人が少なくない。
ほとんどヤバさを感じさせない地区がサンパウロにあるのだな、と改めて体感。
こういう地域にはグラフィティも少ないのだが…

少し歩き込むと、遠めの壁にそれらしきものが!
目をひくグラフィティがいくつもある。
さあどれにするか。
…やはり最初にひかれたこれかな。
https://www.instagram.com/p/COYUJdoHEtw/

型紙使用でスプレーを吹き付けたものだが、付近に同じものは見当たらない。
シカのような親子とみられる動物2体のギャロップ。
「SOMOS TODOS CAPIVARA」とある。
「(われらは)すべてカピヴァラ」という意味だ。
描かれた動物はカピヴァラには見えないし、意味不明?

この画像はブラジルの考古学やアートに通じている人には、すぐにピンとくるアイコンだ。
ブラジル北東部ピアウイ州の内陸にある、世界遺産にも指定されているセラ・ダ・カピヴァラ国立公園の岩壁に数千年前に描かれた岩絵のひとつである。

われわれグラフィティはどれも世界遺産の岩絵と同じ価値を持つ、という「カピヴァラ宣言」だ。
あらためてブラジルのグラフィティ作家たちの教養のレベル、批判精神、表現力に舌を巻く次第。

ちなみにこの遺跡、なかなかアクセスがよろしくないのだが、思い返せば1980年代以来、3回は通ったなあ。


5月3日(月)の記 例年ならば
ブラジルにて


自分では失念していて、お恥ずかしいことしばしば。
在日本の知人のフェイスブックの投稿にびっくり。

僕と、さる4月22日に亡くなられた森田惠子監督の2ショットがアップされているではないか。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10223642544386657&set=a.3410845544903
しかも、ずっと想っていた蕎麦居酒屋の写真。
このお店で森田さん、そして森田さんの師匠でもある四宮鉄男監督らと蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを呑み交わしたときを、ひたすら懐かしく想っていた。

「5年前の思い出」という記載で、5年前に青原さとし監督が写真とともに記載したもののシェアだ。
メイシネマ祭は毎年5月3日・4日・5日の三日間にわたって開催されてきた。
5年前、西暦2016年5月2日は特別にメイシネマ祭の前夜祭が開催されて、僕が前年に撮影したメイシネマ祭20周年記念の3時間余りにまとめた記録のお披露目上映が行われたのだ。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20160505011879.cfm?j=1

懸念の作品の公開上映をつつがなく終えて、僕の方はゴキゲン感があふれている。
森田さんはずっとメイシネマ祭のボランティアスタッフを務められていた。
2015年以来、行きがかり上、僕は毎年メイシネマ祭そのものの撮影を行なうようになってしまった。
僕の作品が上映された後の僕のトークは森田さんに撮影していただく、というのも恒例になっていた。

昨年はすでに森田さんは闘病生活に入られ、メイシネマ祭は25周年の節目の年だったがコロナ禍によって延期されることになった。

メイシネマ祭の代表の藤崎和喜さんはパソコンやスマホをたしなまないため、例年の映画祭のSNSの告知はもっぱら森田さんが担当されていた。

僕のメイシネマ祭の記録は2019年が最後になった。
この年は森田さんの最新作にして遺作になった『まわる映写機 めぐる人生』の上映もあり、作品関係者、森田さんシンパたちが多数訪れた。
上映スタッフとして、上映作品の監督として映る森田さんはエレガントそのもので、病や死のかげはまるでうかがえない。

森田さん、四宮さん、青原さんらと親しくお付き合いさせていただけるのもメイシネマ祭のおかげだ。

2019年の記録のなかで、『禅と骨』の中村高寛監督のゲストトークの際、藤崎さんが「(中村監督は)横浜から遠いところを…」と紹介している。
ブラジルから、メイシネマ祭に訪日していたワタクチはなんだったのだろう、と考えると楽しくなる。

森田さんとは、冥シネマで。
こころみに「冥」の意味を調べると「光がない。くらい。くらがり。やみ。」とある。
まさしく映画を上映すべき環境ではないか。

藤崎さんが毎回、上映会場内を照らす消灯不可の「非常口」の電光掲示に黒紙を脚立に上って貼り付けていたのを想い出す。


5月4日(火)の記 頭かろやかに
ブラジルにて


午前中。
木工所に追加発注しに行くため、坂の多い住宅地を歩く。
お、小さな床屋がシャッターを開け、お兄さんが店内の清掃をしている。
ここで刈ってみようか。

今年1月の広島大学とのオンライン上映+トークに備えて散髪して以来、ノビノビになっている。
そろそろ、と思った頃にコロナ状況悪化で散髪店もふたたび閉店対象となってしまっていた。
規制の緩和でオープンし始めたが、再開直後は混み合うと考えてもう少しとガマンをしていたところ。

今すぐ散髪に行くと、終わってから木工所に行って大将が不在のリスクもある。
まずは主眼の木工所へ…
帰路、理髪店に立ち寄るとなんともうシャッターが閉まっていた。
予約の電話番号が書かれているので、電話をしてみる。
…この番号は使われていません…
番号を確認するが、間違いはない。
ナゾ。

さあどうしよう。
タトゥー系のあんちゃんの床屋にチャレンジするか?
スーパーで買い物を済ませて思案しながら自宅の方に向かう。

あ。
すぐ近所の、ちょっと見だとかなり殺風景な床屋がある。
オヤジ系の客がときおり座っているのを見かけていたが、自分が刈ってもらおうという気にはなれなかった。
今日は手前の椅子に理髪師とみられる日系のおじさんが座ってスマホをいじっていた。
目があったが、マスク越しのほほえみが素敵な人だった。

…とりあえずむき出しのトイレットペーパーの束なども抱えているし。
いったん帰宅して身軽にして。

おじさんに刈ってもらうことにした。
パラナ州出身の日系二世のアキラさん。
日本へ出稼ぎに計10年ほど行っていた。
日本政府のブラジル人追い出し政策によってブラジルに戻った。
理髪業はそれからとのこと。
役者だと言っても通りそうなダンディーでソフトな紳士。

店の外見は看板もガラス戸もなく、奥地の開拓村の床屋、といった感じで殺伐とした印象だったが…
中はこざっぱりしているではないか。

昨年、入った散髪店は何度も強盗に襲われているとのことだった。
僕は散髪中に襲われるのを懸念していた。
締め切った空調の店もコロナの空気感染が心配。
ここのように開放の店は強盗が心配だ。

アキラさんに、強盗に襲われたことは?
と聞いてみる。
「こんなところに入ったって、盗るものがないよ。」
たしかに、と相槌を打つのも失礼だろう。
「…でもジャポネ―スは持ってそうにみえるんじゃあ?」
外目の殺風景さは強盗除けかもしれない。

頭を洗いましょう、と言われる。
え、それだと最初に確認したカットのみの料金より上がりそう…
が、思い切って洗ってもらった。

日本人のSNSで最近、美容院での女性の洗髪は顔を上げる仰向きだが、理髪店での男性の洗髪は顔を下にしてのうつ伏せなのはなぜ?
というのがあった。
アキラさんのところは仰向きタイプだった。
僕もこの年にして仰向き洗髪初体験。

いろいろ聞いてみたいが、時局柄ひかえることにする。
日本の理髪店で、客も理髪師もマスク着用で理髪師が客からコロナに感染したという報告があった。

おお、料金は洗髪込みで最初の値段だった!
邦貨にして1000円にもならない。

いやはやさっぱり、頭もこころも軽くなった。
ポルトガル語と日本語でお礼を言う。


5月5日(水)の記 カップヘッドの正体
ブラジルにて


この日が祖国の「こどもの日」であることもあはれなり。

僕が連日のグラフィティ探しとスナップ撮り、インスタ上げを始めたのは昨年の4月21日。
こちらのチラデンテスの祝日に出会ったグラフィティがきっかけだ。
その作者のカベッサ・デ・シーカラ:カップヘッドさんの紙の絵を買わせてもらうことになった。
ナマの本人に会うのは初めてである。

わくわくどきどき。
支払いは現金がありがたい、とのことで午前中、銀行へ。
3台のATMのある支店に行く。
僕が使ったATMは、カードを入れたり何度も指紋認証をさせられたりしたあげく…
取引控えのプリンターが壊れていて発行できませんが取引きを続けますか?
と画面に表示された。
あちこちに罠がある…

しかたがないので、また列に並び直して他の機械の空きを待つ。
こんなことでだいぶ時間がかかった。
テレワークの家族の昼食の支度もある。

彼氏とは14時に彼の最寄りの駅での待ち合わせをしていたが、わが家至近のカフェまで来てもらうことをギリになって頼んでみる。
できれば彼のシマを少しでも知りたかった。
しかし現金持ち歩き、帰りの作品持ち帰りを考えると、わが家至近の方がありがたい。
処分を考えていたアート関係の重い本も何冊か手渡したい。
強盗もいれば、雨が降るかもしれないし。

待つことしばし。
赤い小さなチャリンコをひきながら彼氏が登場。
思ったより老けた感じの人で驚く。
ようやく会ってみたかった彼氏と対面。
念願の作品も手に入れた。
https://www.instagram.com/p/COgANRnHGNk/

カフェをすすりながら、談話。
聞いてみると、意外なことばかり。
その名はカップヘッドというカナダ起源らしいキャラの影響かと思いきや。
彼:名前の頭文字でJ(ジョタ)と呼ばれることが多いという:はバリスタを10年ほどやっていたという。
頭が開けたコーヒーカップ、そして人々に至福感をもたらすコーヒーにちなんでカップヘッドを名乗るようになったそうだ。
「ブラジル人はコーヒーの飲み方を知らない」と熱く語る。

お連れ合いの具合がよろしくないようで、午後は他の用事もあるようだ。
COVID問題もあるので、話は尽きないが、腰を上げる。

彼が添えてくれた手書きステッカーのなかに手紙も入っていた。
こちらこそありがとう、カベッサ・デ・シーカラ、同じジョタ!


5月6日(木)の記 VACINAR BRASILEIRA
ブラジルにて


今日からサンパウロ州で満60歳~62歳のコロナウイルスワクチンの接種が開始される予定だった。
変更もあるので油断できない。

ネットで事前登録をしておいた方が当日スムース、とのことで済ませておいた。
登録後まもなくスマホに接種日を追って連絡する、とメッセージが来たが…

新たにメッセージが来たのは日付が今日になる数分前だった。
わが家のまさしく徒歩圏にある薬局の野外駐車場でこれまで接種が行われていた。
サンパウロ州のウエブサイトのワクチン関連ページで接種場所を確認すると…

この薬局が見当たらない。
同じ薬局チェーンの別の場所は記載されている。
こちらの入力する住所から最寄りの場所を探す機能もあるが、これでも出てこない
あそこは中止になったのかな?

朝、ジャポニカ米を買い出しに行く途中に、いちおう現場に寄ってみることにする。
おや、駐車場に接種用のスタンドが設置されて人だかりが。

番号札を配っていて、まずはもらっておく。
75番。
ほんらいは午前8時開始とのことだが、スタッフとワクチンの到着が遅れている由。
いまはもう9時前だ。

サンパウロ州では数種類のワクチンの接種が行われているが、ここではアストラゼネカのみとのこと。
医療関係の身内から、コロナバックがあればそちらの方がいいかも、と言われていた。
そもそもブラジルでは看護師が注射をうつふりをしてごまかすという問題が生じていた。
そうしてヘソクったワクチンを自分の身内に回すなどしているそうだ。
僕の摂取の時にはテレワーク中のわが子から立ち会おうと言われていた。
そのため、今日の昼にひと駅先のカトリック教会のサロンでの接種に行ってみようかという話になっていた。

どうなるかわからない。
・アストラゼネカのみだが、摂取してもいいか
・このまま順番待ちをするが、無理に立ち会わなくてもいいよ
いくつかのメッセージを発信。
10時前に学校送迎用のバンがやってきた。
スタッフと発泡スチロールの箱を降ろす。

州のウエブサイトに記載されていない場所での接種というのがブラジルらしい。
こちらも集まった人らの口コミが情報源。
…保健所では通りの角の向こうまでの列で、番号札も1000番台だったからこっちに飛んできた…
…接種が始まれば、ぱっぱかぱっぱか早いもんよ…
なるほど。

3人のスタッフが来たが、ワクチンをうつのはひとりのみ。
ひとりひとりにもとの瓶と注射後の注射器を見せている。
ワクチンいんちき問題がそうとう騒がれているのだろう。
ほぼ全員、自分の摂取をスマホで誰かに撮ってもらうか、セルフで撮っている。
わが子が職場に話をつけて駆けつけてくれたが、これは時間がかかる。

昼前にゆったりと日系のお姉さんがやってくる。
まさかと思う服装だったが、上に白衣をまとうではないか。
彼女が来たので注射も二人体制となり、まさしくぱっぱか進んでいった。

まくりあげた腕にタトゥーがある人も散見。
それどころか、看護師のお姉さんたちの白衣の下からクリカラモンモンが見えるではないか。
見方によってはカッコイイかも。

とりあえず、昼前にひと刺しいただきました。


5月7日(金)の記 なめてもまずいよ
ブラジルにて


僕のような分際は日本でもブラジルでもなめられっぱなしである。
今日の出来事でこんなことは書きたくもなかったが、この件で今日も振り回された。

日本のさる機関からオンラインでの仕事の謝礼が振り込まれることになり…
僕は日本にある僕の銀行口座への振り込みを希望した。
しかし先方はブラジルの銀行に送るから、ブラジルの口座を知られたしとのこと。

もう何か月も前の話。
日本側はいつ、どのように送ったというデータの連絡してこない。
こちらはひどいコロナ禍で銀行の長蛇の列に就くのもはばかれ、そもそも銀行が閉まってしまった。
オンラインで問い合わせても返信はなし。

先月、ようやく開いた銀行の支店で列に就き、スタッフと話すと、ブラジルへの入金はまったくない、日本側の問題、とのこと。
ふたたび日本側に問い合わせて…

これが何回か続き、また僕がこちらの銀行に行かなければならなくなった。
午前中、思い切って銀行へ。
ようやく入金が確認されて、これでオッケー、とのことだったが…

夕方、銀行からショートメッセージがスマホに入り、また銀行に出頭して手続きをやり直せ、ときた。
こちらはアタマにくる。
銀行側のデタラメでこちらをナメきった対応がくやしい。

送金額も銀行からすれば些少だし、これまでの僕の銀行取引額の些少だから完全にナメてかかっているのだろう。
だいぶはしょったが、こんな感じ。

思春期にブッチとサンダンスやボニーとクライドに想いを寄せたことへの銀行側の復讐か。

ブラジルで、なめられる側にいることを誇りに思う、というように発想の転換をしようか。


5月8日(土)の記 Humanity and Paper Balloons
ブラジルにて


しばらくわが家で映画を見ていない。
他所ではもちろんのこと。

深夜、眠れなくなるが本を読む気にもならない。
思い切ってDVDを見てみよう。
そもそもデッキの具合が悪く、あきらめかけたところで読み込んでくれた。

『人情紙風船』。
西暦1937年、山中貞夫監督27歳の時の作品。
最初に見たのはいつだろう。
あまりの衝撃と重さに、改めて見る勇気がなかなかわかなかった。
自分のどうしようもないところを見せつけられる思いで。

僕のなかでは浪人の海野又十郎のことばかりが残り、髪結いの新三が見事に欠け落ちていた。
観た映画が自分のなかでどのように「編集」されるかも面白い。
映画史上、屈指の作品であることを再確認。

いろいろ検索してみる。
ええ、英題「Humanity and Paper Balloons」!?
まるでグーグル翻訳だ。
人情についてもHumanityについても門外漢だが、違和感だけは残るな。

山中監督にはこの映画の封切り翌日に赤紙が届く。
そして1年足らずで、日中戦争最前線の野戦病院で赤痢により戦病死。
従軍中のメモに「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではチトさびしい」とあった。

昨年3月。
京都のお気にいりの古書店カライモブックスの奥田店長に教えていただき、最寄りの寺にある山中監督の墓参をすることができた。


5月9日(日)の記 こりこりのぶり
ブラジルにて


今日は、母の日。
料理人は目まぐるしい。

朝イチで路上市に買い出し。
刺身用の適当な魚があるかどうかで昼と夜の献立が決まる。

ブリをすすめられた。
買い。
追加でマグロのトロ、日常用の小ぶりのサバなどを購入。

その他もろもろを買っていると、カードも併用しているが現金もほぼなくなっていく。

昼は連れ合いの実家で僕が昼食をつくることになった。
鮭とワカメの混ぜご飯に、ブリの刺身で。
自分の使っている土鍋でないと調子が出ないので、土鍋持参。
米はわが家で砥いで、水に漬けて持参する。

実家の刀自は刺身には厳しい。
今日のブリは「新鮮ね」と好評。
ブリだからプリプリだと語呂はいいのだが、コリコリ。

夕方、わが家に戻るとさっそく海鮮チラシ丼の準備。
スシサシミを好まない家人もいるので、別メニューも。
ご飯も二種炊いて。

鉢植えで買ってきたミントをさっそく使ってミント。
まずはラムに添えてキッチンドリンク。
ツイッターで教わったニラとミントいため。
フレッシュミントはお茶にしてもよろし。

母の日の主夫はあわただしい。


5月10日(月)の記 The Million Ryo Pot
ブラジルにて


先週の銀行の件の続き。
電話で散々もてあそばれて、進展なし。
イヤハヤ。

原稿書きを再開。
上限2万字。
今月中には目鼻を付けたいと思っていたが…

今日は一日断食で、食事当番は免除。
それもあって原稿がいっきに進む。
執筆開始が1月で、ブランクも長く何回もあった。
ちと読み返すのがコワい。
まあ締め切りはだいぶ先なので、ぼちぼちいきませう。

夜。
未見の山中貞雄作品を視聴。
『丹下左膳余話 百万両の壺』。
西暦1935年作品。
うわ、これまたすごい。

意表を突くストーリー展開。
丹下左膳のキャラクター設定に息を呑む。
射的屋の女将とのコンビは絶妙。

定型におさまらぬことおびただしく、それが心地よい。
これに似た思いは…
中里介山の『大菩薩峠』を読んだ時を想い出す。

自分の物語づくりに、ひかりをもらう思い。

今日はアルコールも抜きで、夜は読書の稼ぎ時。
なれど、この映画の余韻と反芻に浸ることにする。

この映画は、もう事件だな。
ちなみに今日のタイトルは、この映画の英題。
ブラジル人だと面白い発音をしそうだ。


5月11日(火)の記 そんなカネは受け取れねえ
ブラジルにて


買いものの最後に、わが家に至近の自然食材店に寄ろう。
玄米を切らしていた。

老舗の店だが、昔からどうも陰気臭い。
パンデミックでますます閑散として閉店中のことも多かった。
先日、ハチミツを求めるとオヤジがイヤに饒舌だった。
特別に旧価格にしよう、そもそも最近のハチミツは…とウンチクを披露したり。
消費額はわずかだが、少しでも貢献を、と思って。

10レアイス足らず、邦貨にして200円にならない会計。
50レアイス札だとスーパーでも「もっと細かい札はありませんか?」と聞かれる世相である。
かといってこの金額でカード支払いの手続きをさせるのも気が引ける。

ズボンのポケットに細かい札を突っ込んでいたのを思い出す。
細かい札やコインは小売店ではありがたがられることがしばしば。

2レアイスの札4枚と1レアルのコインを渡す。
オヤジは札をチェックする。
「こんな札は受け取れないよ。いったいどこで手に入れたんだ?」
とクレームを受ける。

あ、たしかに太めの透明テープで貼った札がある。
この札は日曜の市場のお釣りでもらったものだろう。
いろいろな店で買い物をしたので、どこだか覚えていない。

オヤジの言い分だと、切って貼り合わせたものということのようだ。
そういえば日本だったか、高額紙幣を切って貼り合わせて「水増し」する犯罪があったかと記憶する。
それにしても2レアイス札、邦貨にして40円足らずで、それだけの手間をかけるのはとても割に合わないという気がするが。

数年前、ブラジルに日本から赴任した宗教関係者に日本での買い物を頼まれたことがある。
この人から受け取った50レアイス札はニセ札だった。
そんなことを考えもしなかったが、それを支払った肉屋のレジのおねえさんに指摘された。
確かに印刷が不鮮明だ。
当時の50レアイス札なら、大量生産なら元がとれたことだろう。

帰宅後、どうも腑に落ちない。
「無傷」の2レアイス札と比べてみる。
この札はそもそも小型で寸詰まり感がある。
おや、「オリジナル」と同じ大きさだ。

テープ札をよく見てみるが…
完全には破れずに、破れ目を太めの透明テープで貼ったようだ。
自然食材屋のオヤジにこちらのいんちき、落ち度のように声を荒げられる事態ではないようだ。

やっぱいもうあの店は控えよう。
この札は、記念に取っておくか…
物乞いに恵むのは失礼、ということもないように思う。

カード使用の犯罪もこりごりだが。
これからはババ抜きのつもりで少額でも受け取る札をチェックするようにしよう。


5月12日(水)の記 本棚をたがやす
ブラジルにて


近所の木工所に発注してあった本棚パーツを受け取りに。
ミネラルウオーターの採水と抱き合わせて、クルマで。

わが家の本のなかで割合の最も多い日本の文庫本および新書サイズの収納に悩んだあげくの作戦。
午後、設置してみる。
まずはこれまで奥の収納棚のなかに雑然と突っ込んでおいた文庫と新書をほぼ順不同で突っ込んでいく。

とりあえずどれぐらい収まるか。
追ってちびちびと同じ著者、近いジャンルの本ごとに大まかな分類をしていく。
おう。
なんだかくすんでいた古本が息をし始めたような感じ。

沖縄に移住した学芸大学のSUNNY BOY BOOKSの高橋さんから「(本)棚をたがやす」という言葉をかつて聞いた。
とても新鮮だった。
この語は、高橋さんの古書業界の先輩である流浪堂の二見さん夫妻が使っていた言葉だと後に知った。

たしかに流浪堂さんの棚は、土でいえば黒々とやわらかくさらさらとしている。
よくよくたがやされている所産だろう。

わが家の鉢植えも水やりだけで長期間、土替えをしないと根詰まりをして表面は固まってしまう。
今日、収納した文庫と新書のほとんどは久しく手に取るどころか背表紙を見ることもなく窒息状態だった。

うむ、まだまだ…
これまで棚に二重どころか三重まで本を詰め込んできたスペースの善処を考えないと。
二重に本を重ね置きすると、奥にどんな本があるかもほぼわからなくなってしまう。
三重に至っては、言語道断。

パンデミックの怪我の功名。
関連作業で、所在もわからずあきらめていた本の発掘もあり。
さっそくいま作業中の書きものに反映できそうだ。


5月13日(木)の記 恐怖の折りたたみコーヒードリッパ
ブラジルにて


すぐに思い出す、最近だまされた/失敗した買い物は…

昨年末にひとつあったな。
家族がオレンジが食べたいという。
買ったことのない路上市の果物売りのスタンドで、透明なラップでくるんだパックを買い…
帰宅後に開けてみたら、中は傷んでいた。
売り手の悪意を感ぜざるを得ない。

日本のなじみのカフェにて。
物販コーナーに折りたたみのコーヒードリッパーがあった。
金属製、外国製でオシャレ。
だいぶ食指が動いたが、1000yen以上。
店主からブラジルのフィルターに合うかしら?
とアドバイスをいただき、買い控えておいた。

先日、日本から進出してきた大手100yenショップチェーンの店をのぞいてみた。
開店当時は日本で100円のものが3倍ぐらいの値段だったが…
ブラジルの不景気、そして為替の問題か、もう少し割安になっている。

おや、折りたたみコーヒードリッパーがあるぞ。
針金製で、ちえの輪のように折り込まれている。
値段は邦貨にして200円程度。

買ってみる。
わが家のプラスチック製はまだ現役だが、コーヒー色が染みついてしまっている。
これを昨日午後、使ってみた。
ぎゃ!
そもそもフィルターがうまくフィットしない。
コーヒー粉を入れて少量の熱湯で蒸らして…
さらにお湯を注ぐと、湿ったコーヒー粒とお湯がこぼれ出てしまった。
それが一か所にとどまらず。

試してみた家人からも苦情が。
今朝、もう一度トライしてみる。
フィルターからこぼれないように手で支えて…
これじゃなんのためのドリッパーだ。
それでもこぼれあふれてしまった。

下のポットにも濡れた粉が入ってしまい…
インドネシア式だ、とごまかすか。

さて飲んでみると。
味以前に、異常にぬるい。
そうか、紙フィルターそのままと言っていい状態なので、ドリップしているうちに冷めてしまうわけだ。

「是の打ちどころのない」部類の商品ではないか。
そもそも日本でこんなのを使えている人がいるのだろうか。

きちんと使えている人がいないとなると。
そうしたものを輸出するというこの有名メーカーからも、日本の劣化と衰退がうかがえる。
日本の信用は、このコーヒーのように汚れて台無しになり、冷めてしまう。

「安物買いの銭うしない」ともちょっと違うけれども。
「珍しもの買いの銭うしない」か。

これ、なにか他の使い道はあるだろうか。


5月14日(金)の記 恐怖の鼻マスク
ブラジルにて


午前中、買い物に出て。
歩道をだらだらと歩く前方の男を追い越しにかかる。

横目で見ると、日系人らしき初老の男だ。
おや、この御仁、鼻のところだけに黒っぽいマスクを着けているようだ。

僕の脳内で、なにごとなのか処理できない。
口の部分は透明のマウスシールドなのか?

ある程度、距離を稼いでから思い切って振り返ってみる。
ぎょぎょぎょ。
この男、タバコを吸いながら歩いていたのだ。

口にタバコをくわえている。
そしてマスクをずらして、顎マスクならぬ鼻マスクにしていたのだ。
喜劇というより、狂気の沙汰だ。

公道での歩きタバコは厳罰にしてもらいたいところ。
そもそも常識や気配りのない連中だから、歩きながら平気で火のついたタバコを振りかざす。
子供や背の低い人たちには、よけい恐怖だ。

ふと、豊臣秀吉がキリシタンに鼻削ぎの刑を命じた故事を思い出す。


5月15日(土)の記 坂道のまち
ブラジルにて


午前中、いくつかの用事を抱き合わせて出家。
イピランガ川の削った段丘を下っていく。

昨日、不在だった木工所の若旦那に追加発注。
そこから遠くないはずの額縁屋も訪ねてみる。
グラフィテイロから教えてもらった店。
住宅街のなかに、ぽこっと額縁屋があるのが面白い。

帰路、以前から気づいていたスーパーに入ってみる。
これも住宅街のなかにぽこっとある。
いかにも田舎にありそうなスーパーの外見。

おお、店内は異常なまでに奥が深い。
生鮮食料品も充実。
アルコール類も決して高くない。
土曜の昼前のせいか、買い物客も少なくない。

特売の、飲んだことのない銘柄の缶ビール、それにアボカド、レタスを買う。
ネーミングの気になるブラジル産日本酒もあるが…
これはやめておこう。

グラフィティもどちらをインスタグラムにあげるか迷うほど、そこそこの写真が2種、撮れた。
日の当たる土曜の昼前、適当に人出もあって強盗のリスクはほとんど感じることなし。

町にリフレッシュさせてもらった。


5月16日(日)の記 日曜の原稿
ブラジルにて


長編原稿の本文の見通しがある程度ついたところで、やや急ぎの原稿の依頼が日本から届いた。
長編の方の締切りは、まだ数か月先。

新たな原稿の方は稿料もいただける由。
こちらにいて少しでも稼げるのはありがたし。
ブラジル映画を何本か選んで紹介する、という内容。
4本ほど再視聴をして、3本に絞り込んだ。

締切りは日本時間18日の火曜。
ちょっとヤバい最後の1本についてもざっと書き上げた。

昨日の未明に停電があったっけ。
そうだ、長編原稿の方もバックアップを取っておかないと。


5月17日(月)の記 この道
ブラジルにて


午前中。
原稿を改めてチェックしてから日本に送信。
いやはや。

買いもの、グラフィティ採集に出る。
付近最大のファヴェーラ:スラム街の近くまで来た。

これまで気になり続けてきたが、ヤバさあふれて未踏の一角がある。
少し前は外部からの立ち入りを拒んでいるのがバリケード状の設置物などからもうかがえた。

今年になってからも当局の大がかりなオペレーションがあったようだ。
今日は日向ぼっこ日和、午前中で穏やかな感じもある。
思い切って突っ切ってみることにする。

通りには三々五々、主に若者、中年ぐらいの男たちがたむろしている。
目をひくグラフィティもそこかしこ。

手づくりを積み重ねたとみられる、なんと5階まで達した建築物もいくつか。
地震がまずない土地柄だが。
強風豪雨、火事のリスクがあるだろうな。

コロナがなければ、周辺のバール:簡易飲食店ぐらいから立ち寄ってみたいところだけど。

長年の気がかりをようやく果たすけど。
グラフィティを抜きにしても、どうしてこういうところに惹かれるのだろう?


5月18日(火)の記 ハヤトウリの故郷
ブラジルにて


ブラジルでは chuchu と呼ぶ。
アフロな響きの言葉だと思っていたが、熱帯アメリカが原産の由。
アステカで大いに栽培されていたという。
日本では、ハヤトウリ。

これを切ると他にはないようなネバッぽさが指にこびりつく。
それが苦手で、しばらく手にしていなかった。

火曜が特売のスーパーで、久しぶりに買ってみた。
どこで食べたか忘れたが、これの甘酢漬けがあったな。
検索すると、日本語のレシピもあり。
ふむ、ジッパー付き袋で冷蔵庫に1時間、か。

夕食時にこさえてみる。
調味料の分量は、テキトー。
少し置いてから味見してみるが、味の漬かりが足りない感。

赤カブの塩こうじ漬けを入れていたジッパー付き袋を再利用。
揉んでみると…
ありゃ、この袋、角あたりが漏れるようだ。
そもそもジッパー部の開閉具合もよろしくない。
別の薄ポリ袋で二重にする。

さてハヤトウリの効能は…
ほとんど水分、ダイエットによいとか。
アステカ人はダイエット志向だったのか?

さらに検索していくと…
葉酸が多く含まれているので「胎児の先天異常を予防する効能」があるという記載があった。

そこそこ時間を置くとよろしいお味となった。
おいしいがいちばんのウリでよろし。


5月19日(水)の記 やめてけれ ストスト
ブラジルにて


6時台に、わが家の地区でいちばんおいしいというパン屋まで歩いてみることにする。
徒歩10数分。
おお、まだ日の出前だ。
路上生活者はまだほとんどが熟睡中。
だが通勤、ウオーキングの人たちがそこかしこで危険な感じはない。

早起きは三文の徳とはよく言ったもの。
なんだか気分も爽快。
グラフィティ撮りをどうするかな。
日が照れば面白そうなものがあり、あたりを行ったり来たりする。
決して安全な地帯ではなく、ジャポネ―スのこういうのは目につくようだ。

警備員だろうか、女性に声をかけられる。
「鳥を探してるの?」
「ええ、まあ・・・」
「なんの鳥?」
「いえ、日の出の景色を見ようと思って」
ウサンくさいには変わりない。

すぐにスナップ撮りできるように準備していたスマホを見る。
わが団地の回覧SNSに着信あり。
メトロがストに入り、管理スタッフが出勤できない、とある。
え、メトロのスト?

帰路、メトロの駅近くまで行ってみる。
明らかに異常だ。
メトロに乗りはぐれた人たちがバス待ちでアヴェニーダの歩道をふさいでいる。

このパンデミックでまだ活動制限の続くなかでのストとは。
働かざるを得ないものの足を奪われた庶民たちが密状態になり、また新たな感染を生むではないか。

これで感染して命でも落としたら…
祖国の連休明けの電車減便要請なみだ。

午前中には運行を再開したようだけども。
わが家にもいろいろ差し障りあり。


5月20日(木)の記 COVIDで?
ブラジルにて


そもそもブラジルでは香典という習慣がない。
相手が日本人日系人の場合は別で、日系人間でもさまざまである。
日本製の香典袋を用意している人もあれば、こちらの通常郵便の封筒などを使用する場合も多い。
さすがにむき出しというのは目にしたことがないけど。

近くの日系食材店で不祝儀袋も扱っていたはずだ。
あるにはあったが10レアイス(邦貨にして約200円)とのこと。
まあ仕方がない、と買おうとするとこれは10枚入りパックの値段で小売りをしてくれた。

顔見知りの店の女性が「どなたか亡くなったんですか?COVIDですか?」と尋ねてくる。
コロナではないようだけどね、と返すが、実にこちらをいたんだ表情を見せてくれる。

日本のヒャッキンやコンビニで香典袋を買ってもよほどの知り合いでなければこんな会話はないだろうな、などと想う。

小売りの不祝儀袋、こちら製にしてはよくできているな。
日本製かもしれない。


5月21日(金)の記 リベルダージの容量
ブラジルにて


メモ用紙に書いて持っていかないと、用件を落としてしまうかも。
複数の用事、買い物で東洋人街リベルダージに午後より出向く。

まずは華系、ついで韓系商店で買い物。
続いて邦字新聞社に購読料の支払い。
非常時でもあり取り込み中だろうから、階上の編集部に立ち寄るのは控えておく。
すると「岡村さんじゃないですか」と編集長に声をかけられる。
顔を合わせば話は尽きない。
困難な状況のなか、日刊で日本語新聞の発行を続けてもらい、ありがたい限り。
さらに古参の方も加わって話題は盛り上がる。

次の約束の時間まで久しぶりのカフェを訪ねて時間をつぶそうと思っていたが、時間をオーバーしてしまった。
まだ買い物もある。

次に訪ねる友人は、東洋人街のなかでvila:villageと呼ばれる面白い一角に住んでいる。
用もないのに立ち入るのは控える一角だが、今日は大義がある。
案の定、掘り出しもののグラフィティがいくつもある。

時局柄、渡しものだけして玄関での立ち話程度で失礼するべきだったかもしれないが…
ついつい、夜の治安が心配な時間まで話し込んでしまう。

邦字新聞社以来、あまりに一気にいろんな話を聞いてしまった。
外部メモリーにデータを移していて、容量を超えてしまったのか全部データが消えてしまった体験を思い出す。

まことに静かな金曜の夜更け、無事の帰宅なる。


5月22日(土)の記 オランダガラシ
ブラジルにて


朝、わが家から半径1キロ圏の線上にあるベーカリーまで徒歩にて買い出しに。
急いで行けば、家族のオンラインの所用までぎりぎりまにあいそうだ。
お、途中で雨。

パン屋で列につく。
僕の番になると、次の焼き上がりまで10分待ちと告げられる。
アウト。

熱々のパンを抱えて。
どうせ間に合わない。
途中の路上市をのぞいていく。
一軒のスタンドのクレソンの束が目についた。

やり過ごすが、気になる。
反転して購入。
相当量の束で日本円にして100円もしない。

しばらくクレソンは買っていなかった。
ネットでレシピを調べて。
昼はクレソンとベーコンのパスタ。

夜は味噌汁に。
クレソンそのものを調べると。
そうか、和名はオランダガラシだったか。

日本の開国後に持ち込まれて、明治期の外国人宣教師らの地方伝道とともに各地に広まっていったようだ。
僕は近くに湿地があるわけでもない東京の町なかで育ったせいか、まるでなじみがなかったけれど。

昼に夜に食べて、まだまだあるぞ。


5月23日(日)の記 描く人 消す人
ブラジルにて


午前中の買い物。
まずはトリュフチョコおじさんのスタンドに行ってみる。
おや、今日も出ていないようだ。
ちょっと心配。

途中に新装開店したばかりの薬局がある。
まだまだペンキ塗りたて感のある、そこの駐車場の壁にさっそくピシャソン(落書き)が施された。
それを店のスタッフ二人がペンキを塗って消しているところだった。

思い切って、写真を撮ってもいいか聞いてみた。
「どうぞ」とのことで数枚スナップ。
「たいへんですね」と声をかけても特に乗ってこない。
https://www.instagram.com/p/CPOFSa5DEm_/

大型チェーンの薬局で、この人たちは言われた仕事をしているといったところなのだろう。
自前の商売の汚された景観を繕うためにペンキも自前で、となったらまた違ってくるのかも。

すでに日毎のグラフィティスナップ撮りを始めて13か月を過ぎた。
うち、これを消す作業の写真は今日が二度目。

そこそこ、いろんなものを網羅したかも。


5月24日(月)の記 月曜の仕込み
ブラジルにて


さて月曜、今日も一日断食。
午前中にふたたび木工所、額縁屋などを回る。

断食の日は家族のための炊事免除としているので、時間に余裕がある。
それと、断食後の食のモチヴェーションを高めるため、いくつか食材の仕込みを行なう。

昨日、巨大なダイコンを買った。
久しぶりにタクアン風つけものを仕込もう。
家族はこれをタクアンと呼ぶが…
タクアンの定義はヴァリエーションがある。
ダイコンを日干しにして、塩と米ぬかに漬ける、が基本のようだ。
僕のは義母のつくっていたのを参考にしている。
干すのは半日程度、米ぬかも使わない。
いわばダイコンの甘酢漬けである。
ウコンが多量にあるので、色付けに用いるけれども。

さらに茶殻の佃煮もこさえよう。
昨晩のも入れて3回分の茶殻がたまっていた。
冷蔵庫への放置日数が長引くと、カビを繁殖させてしまう。

フリカケのつもりでつくり始めたが、醤油や酒などを加えるのでしっかりと水分は飛ばず、ツクダニと呼んだ方がよさそう。
最初は日本から担いできた鰹節も投入していたが、在庫が乏しくなり、こちらではエライ値段だ。
これも安いものではないが、ブラジル産のイリコを加えることにする。
それに白ゴマ。

サワークリーム、水切りヨーグルトづくりは明日以降にキープしておこう。


5月25日(火)の記 額縁小劇場
ブラジルにて


日常の、小さな奇跡。
日本から担いできたアトリエ・アルカンジェロさんの作品を、額装に出した。
https://atelier0arcangelo.exblog.jp/

昨日、ピックアップしたのだが…
家に持ち帰って手に取ってよく見ると、額の角の部分の塗りが剥げて、とても新たに額装したとは思えない出来。

まあ普通に見て目につくこともないだろうが。
気になる。

店でその場でよく確認しなかったこちらの手落ちだろうか。
この手のことで後日のクレームをして、先方になじられた記憶がよみがえる。

額装屋と縁切り覚悟で、今日、クレームしてみることにする。
ウエブサイトで確認すると、午前9時開店。
ここはわが家の半径1キロ圏を超えるが、歩いていく。

ぎょ、シャッターが下りている。
時刻は午前10時半。
やり取りしていた電話にその場でかけてみると、これまでアテンドしてくれた女性らしい人が出て、今日は12時ぐらいに開けるという。
さすがに1時間半は待てない。

だらだらと、2軒のスーパーをのぞいて買い物をして隣駅前のプラサまでたどり着くと…
先ほど電話に出た額縁屋の女性が幼児を抱えてくるのにばったり。

こんなところでナンだけど、とプチプチにくるんであったアルカンジェロ作品を取り出して角の部分を見せる。
「やりなおさせましょう」とのこと。
彼女は幼児を抱えて手一杯なので、じゃあ午後にまた届けに行きますよ、ということに。

坂の多い一帯で、そこそこ疲れたが、午後また繰り出す。
そんなこんなで久しぶりに一日1万歩を超えた。

午後の帰路は街路樹でドクチョウ:Heliconiusが交尾をしているのに出会った。
https://www.facebook.com/photo?fbid=10223791831518742&set=a.3410845544903 ¬if_id=1621980997340205¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif


5月26日(水)の記 過去の凄惨
ブラジルにて


長年ほったらかしていたウエブ上のデータいじりをはじめている。
このペースでは、なかなか追いつかんぞ。

「てにをは」の入力ミス、明らかな誤字誤変換などは直しておく。
自分でも忘れていること、なんのことを書いているのか不明なことも少なくない。
当時の「プライベートの」日記を発掘してみないと本人にももうわからないかも。

それにしても当時から、特に訪日中はよくもこれだけ目まぐるしく活動したものだ。
パンデミックがなければこれらのデータも手つかずのままか、なにかの問題で消えてしまうかもしれない。
だからいじってどうなるわけでもなさそうだけど。

故・橋本梧郎先生が晩年も体の動く限り植物標本などの整理をしていたのを思い出す。
傍目(はため)には正直なところ徒労にも見えたのだけれども。


5月27日(木)の記 釈迦とイエス/ファヴェーラへの道行き
ブラジルにて


おシャカになった愛機を十字架の道行きのイエスのように担いでいく。

約10年、愛用して3年ほど前に機能不全となったノンリニアのビデオ編集機。
追加のメモリーも含めて場所も重量もそこそこある。
陋アパートのワタクチ関連スペースの改善にあたって、処分を決意。
日本だったら自治体に有料で回収してもらうのかな。

わが家の徒歩圏にあるファヴェーラ地区のリサイクル業者はどうだろう。
昨日、訪ねてみた。
「タダでいいなら引き取るよ。車で取りにいってもいいよ」とのこと。

家人はいろいろ言うが、断行するか。
あえて徒歩で担いでいくことにする。
10キロぐらいはあるかな。
距離ではない、重さ。
そもそも日本からよくぞ担いできたものだ。

ありゃ。
グラフィティの描かれた鉄の扉が閉まり、錠前がかけられている。
さすがにまた持ち帰る気になれない。
アヴェニーダの向かいに同業者らしきところがある。
昨日は近寄りがたいおじさんが座り込んでいて、見合わせた。

今日はそこの人と話す。
オッケーとのことで、引き取ってもらう。

さっぱりしたというより、自分の臓器をなくしてしまったような喪失感あり。
機会にきちんと御礼を言っていなかった。
ありがとう。


5月28日(金)の記 今日は水汲み
ブラジルにて


自動車でサンパウロ市内の鉱泉まで水を汲みにいく。
以前は家人を伴ったが、ここのところ一人で行っている。

ひとりだと水汲み後、車を駐車場に置いたまま付近を歩いてグラフィティ探しができる。
水の方は、しめて50リットルちょっと。

なんだか、ちょっと疲れた。
今日は他には炊事とパソコンいじりぐらいで、たいしたことはしてない。

モータリゼーション以前の人たち、伝統生活の人たちなら、水汲みだけでたいへんな労働だろう。
いまの都市生活ならミネラルウオーターを買って配達させてもいいし、水道水のフィルター漉しを使ってもいいのだろうけど。

この鉱泉のpH9.1!の水と、車での汲み出しという行為に慣れてしまった。
億劫にならない限り、続けるかな。
ここの水は枯渇するほどのすごい人気には今のところなっていないようだし。


5月29日(土)の記 歩いても 歩いても
ブラジルにて


明日は未明から久しぶりに長距離運転の予定。

今日はなるべく案制して体力温存を図りたいところ。
が、なんだかんだで4回、外出してマスクを三回変えた。
駐車場まで車のトランクに置いたままのミネラルウオーター運びなども一回に数えて。

けっきょく四捨五入で15000歩というしばらくぶりのレコードを出してしまう。

さらにこちら時間23時から在日本の知人のオンライン講座を視聴。

少しでも身心を休めないと。
アルコールの力を借りるという口実ができるではないか。


5月30日(日)の記 ブラジリアン ドライブインシアター
ブラジルにて


午前5時に予鈴。
5時台に発車なる。
西へ500キロ以上の運転だ。
パンデミック以来、サンパウロ州外に出るのは初めて。
わが子との二人旅。
いつものひとり旅より眠気は防げそうだ。

午後。
パラナ州ポンタグロッサに到着。
かつて「土地なき農民」運動がらみで撮影に訪れたことがある。
その映像はお蔵入り、未公開。

夜7時開映の市内のドライブインシアターへ。
愚生、中学生時代から映画狂となったが…
ドライブインシアターというのは初体験。
これがどういうものか、ろくに考えてもみなかった。
想い出すのは映画『アメリカングラフィティ』に登場することぐらい。

調べてみると、なんとアメリカ合衆国で1933年に興行開始。
すでに第二次大戦前にそこそこのブームだったらしい。
今日ではかなりの辺地にわずかに残り「昔を懐かしむため」の利用とか。

ところがCOVID-19の流行により、思わぬ再ブレーク。
日本も同様のようだ。
そしてわがブラジルも。

そうか、基本的にオープンスペースでの夜間の上映なのか。
どうりで辺鄙な場所だ。
町はずれとはいえ、そこそこに街灯などのあかりはある。
映画鑑賞条件としては、飛行機の機内映画よりだいぶ劣る。

自分の自主上映の時は上映環境にそれなりにこだわってきたが…
ドライブインシアターでの鑑賞でもオッケー、という人たちにはやりすぎだったかもしれない。

洞窟内に描かれた岩絵と、岩陰に描かれた岩絵の相違などに想いを馳せる。

天気予報は雨だったが、ワイパーを動かすようなこともなく、ありがたや。
鑑賞したのは日本では公開延期となった『ゴジラvsコング』。


5月31日(月)の記 ブラジルの穴
ブラジルにて


大アマゾンの熱帯林に連なるヴェネズエラの密林に、ナゾの巨大な穴がある。
さらにナゾの生物の生息するその穴の奥底に、テレビカメラが史上初の挑戦!
それを本にしたのをテレビ屋時代に読んだ記憶がある。
いかにもテレビ、ナゾだの史上初などが散りばめてあったかと。

さて。
ポンタグロッサの町にほど近いパラナ州立ヴィラ・ヴェーリャ公園に行ってみる。
これまでパラナ訪問の際に「ヴィラ・ヴェーリャは行きましたか?」とよく尋ねられたものだ。
恥ずかしながら、初めてです…

いまの日本でいえば、ずばりジオパーク。
3億年前の砂岩の層が風化を経て屹立する奇岩地帯として知られる。

ブラジルでは目をむく額の入園料!
まあ、ここまで来たんだから…
訪問客もまばらな受付で「それでもブラジル人は半額ですよ」とのこと。
パンデミックのこの時期にコロナ大国のブラジルに観光に来る外国人、ありや?

それだけのお足を取るだけあって、よく整備されているし、主要ポイントへの「無料」周遊バスもある。
メインの奇岩だけ見て帰ろうと思っていたが、まもなくFURNASに行くバスが出るとのことで、それにまず乗ってみる。

洞窟のようなものを指す単語だが…
「垂直の洞窟」との解説。
日本語の地質学用語でシンクホール、ドリーネとよばれるものだ。
以下は『ゴジラvsコング』のネタバレになるが…

地中で諸事情により空洞が生じて、それが陥没したもの。
なにかがぶつかってきてできたクレーターとは生成の過程がまるで異なるわけだ。
日本ではかつての採炭、最近の地中工事にともなう災害としての陥没孔が主にシンクホールと呼ばれるのが泣かせる。

わがパラナ州のこれは4億年前の所産の由。
この一帯には約50の巨大フルナがあるという。
例のヴェネズエラの「ナゾの穴」も写真にあった垂直の崖面からして同様のものだろう。
あの近くで地下道路の工事がされていたとも思えないし。

これは圧巻壮観。
垂直の崖面を覆う植生がまた面白い。

故・橋本梧郎先生はパラナが長く、一緒にパラナを旅したこともあるが、フルナとその植生についての言及は記憶にない…
かえってヴェネズエラの穴についての話をした覚えはあるのだが。

地質学的時間軸での瞑想の機会。
こういうのが好きな友が来た時に案内したいものだ。







 


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岡村淳 :  
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