7月3日(水)の記 よき黙想の街 (2024/07/05)
よき黙想の街 ブラジルにて
いつ予約が取れるかわからなかった病院の検査のひとつが急きょ今日の午前中のキャンセル枠が取れた。 どれぐらいの待ち時間とも知れず、他の予定はアバウトにしておく。
さほどの遅れもなく、午前中に余裕で終了。 さて、どうしよう。
腹案あり。 ダウンタウンのボンレチーロ地区にある「ユダヤ人移民とホロコーストの記念館」に行っておこう。 西暦1912年創設のサンパウロ州最初のシナゴーグを活用したもの。 長らく改装中だったが、ウエブで調べると2017年にホロコーストの展示がオープンしたとある。 以前、行ってみた時は売店のみが開いていた。
想いを新たにする。 このあたりの地区の歴史がわかったようでわかっていなかったが、解説を読んで理解を深めることができた。 この地区はBom Retiroと呼ばれることがしばしば。 Retiroはカトリックの黙想会のこと。 「よい黙想会」という意味だが、なんでこんな名前なのか?
もとはこのあたりにこの名前の農園があったからということまではわかったが、その農園がなぜこの名前だったかまではわからない。 いずれにしても鉄道のLuz駅が築かれ、鉄道がサントス港と結び、ヨーロッパからさまざまな移民たちがLuz駅に近いこの地区に住まい、活動するようになった。 かつてはユダヤ人街として知られ、第二次大戦後には韓国移民が寄り合うようになった。 韓国移民が営む紡績業にボリビア人、パラグアイ人などが労働者として集まって。 解説ではさまざまな出自の人たちが調和して生活する稀有な街、とあった。 なるほど。
日本人街ともいわれたLiberdade:東洋人街と比較してみると面白そうだ。 ジャポネ―スたちは知ったことではないといった感だが、この地区は元は黒人奴隷などの処刑場や墓場だった。 ほんらいのアフロの歴史の復権が唱えられるようになってきているが、これも日系人は無関心か不快に思うかといったところか。 日系人同士の抗争、日系とコリアン系の対立、チャイニーズマフィアの闘争。
それらを意識しなくても、僕にはリベルダージよりボンへチーロの方がはるかにここちがよい。
今日の午後は入りにくかったちょっと外れにある韓国家庭料理屋にチャレンジ。 いい店だった。 次回はお店の人ともっと話をしてみよう。
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