8月の日記 総集編 なんてったってアマゾンそして鶴岡 (2024/08/03)
8月1日(木)の記 恩を仇で返されて ブラジルにて
わが記録映像作家としての受難は西暦2021年末の東大東文研によるものをしのぐものは、そうあるものではない。 とはいえ、あれよりは小規模なのが今年もあったけど。
プライベートでは、まさしく「恩を仇で」返されている。 「恩を仇で返す」というのは、例えで使われることが多いようだ。 実際に恩のある相手に、悪意を持った確信犯としてさらなる被害を与えようとする日本の輩にかかわってしまった。
常識と良識、そして理詰めが通じず、最初は「岡村先生様」などとこちらを呼んでご高説をうけたまりに全国どこへでもおうかがいする、などと言っていたのが、うって変わってこちらを精神異常の泥棒扱いして(自分が思い精神病をわずらっていたので「それ」がわかるそうだ)カネを返せと言ってきた。
わがブラジルの連れ合いの実家に出入りしたことのある老日本人移民が、ブラジルで金銭的な不始末等々を抱えたまま身寄りもなく亡くなってしまった。 故人の在日本の弟が、故人の入院・葬儀関係の経費や賃金等が未払いだった故人に雇用されていた家族のための金銭を、折しも訪日中だった僕に、すべて信頼してお任せするので託したいと懇願されてしまった。
僕は故人に文盲あつかいされてながら雇用されていたブラジル人一家の窮状がわかるだけに、これを引き受けた。 日本の弟はこちらに無理難題を無償で頼んでおきながら、ブラジルに戻った僕になんと、いわゆるマウント取りを図ろうとして、当初のお願いごとへのこちらの了承事項を反故にして、あれこれと命じてくるようになったので僕はキレた。 とはいえ、この男に日本で預かった以上の金額を何度かに分けてそのブラジル人一家に振込んでいる。 僕に金を託した故人の在日本の弟は翻訳機能を使って兄の雇用していたブラジル人一家にメールを送るのだが、メールでのあまりの侮辱ぶりに雇用人の家族も激怒して、僕からの金銭受領通知を日本の男に送るのを怠るようになってしまった。
日本の弟はそのため、カネを岡村が着服したと吹聴し始めたのだ。 僕が彼にあずかった以上のカネを先方に振り切んでいるのにもかかわらず、岡村は精神障害でカネを着服していると、先方のために奔走して金銭の件でも仲介しているわが連れ合いにも伝えてくる始末だ。 こちらからブラジル人一家に連絡して、僕が泥棒扱いされて困っているので僕が預かってきた以上のカネをすでに振り切んでいることを日本の弟にメールで伝えるように頼み、実行してもらった。
さすがにこれで日本の弟も黙るか謝るかと思いきや! 自分の「了承」も得ずに自分が預けたカネを勝手にオカムラがブラジルで振り込んだのだからその金を返せ、というメールが送られてきた!
そもそも僕がカネを預かったこと、それがどのような条件かの証拠は何もない。 ヒマと小金と尋常ではない悪意をもてあましているこの男は、僕ら夫妻を挑発するのを楽しんでいるようだ。 まったくの善意から、謝金を受け取るどころか持ち出しで人の嫌がるリスクの多いことを引き受けて、この仕打ちとは。 これ以上は取り合わない、という方法もあるが、こうした輩はすでにカスハラなどで同様の問題を起こしていて、今後も味を占めて市民の善意に付け込んで脅かしてくる恐れがあるだろう。
以上は実際の事態、被害を簡略かつ控えめに記しています。 どうしてくれましょうか。 かなり異常なケースですが、皆さんのアドバイスをお願いできれば幸いです。
8月2日(金)の記 アマゾンの羽飾り ブラジルにて
さあ訪日前の最後の平日だ。 毎度ながら、なにかやりもらしていることがなにきやとキンチョー。
泊り先を午前中に出て帰宅。 まずはパウリスタの旅行代理店。 これもお互いの都合でギリとなった。
時間調整でカフェに入り、持参した資料をチェック。 昨日からブラジル環境映画祭が始まった。 明日は朝から日本のヴィジターの案内を仰せつかっているし、明後日は出国。
ほんらい映画どこではないのだが・・・、 山形鶴岡でのアマゾンミッションの参考になりそうなのを思い切って一本見ることにした。 会場まで歩く。 17時から、サンパウロカルチャーセンターにて。 おや、簡単な紙のプログラムもないのか。 こういう一日に複数の開場で複数の上映があるのをオンラインで確認するのは僕にはなかなかしんどい。 ま、今回はこれしか見れそうにもないし、いいか。
おや、英語の字幕か。 アマゾン地域のブラジルとペルーにまたがって暮らす先住民の話。 この映画では huni kuin という呼称だが、これまで Kaxinawá などと呼ばれていたグループが主人公。
搭乗する老若男女すべての先住民がポルトガル語でカメラに向かって語るのだが、自分が恥ずかしくなるほどうまい。 男性は性器を露出させず、女性も胸部を衣服で覆っている。 男性は子供に至るまで羽飾りを頭部に付けて登場するのだが、これが美しい。
これまで映像そして実物のアマゾン先住民の羽飾りをたらふくみてきたつもりだが… 美しいと思ったことが今まであっただろうか。
僕自身にアマゾンモードが入っていることを割り引いても…・ そもそもこの部族、女性はもちろん男性がかなりオシャレとみた。
8月3日(土)の記 1910 ブラジルにて
ブラジルでお世話になってきた邦人女性の頼みで。 彼女を訪ねてブラジルにやってきた日本人女性二人のサンパウロ見学の案内をすることになった。 一行は昨日ブラジルに到着。 僕は明日ブラジルを発つ予定。 一期一会だ。
先方三人と地下鉄パライーゾ駅で待ち合わせ。 駅構内に無料配布の避妊具が置かれているのが目についた。 この人たちにはこういうことも参考になるかも、と解説。
うわ、お三人とも無帽だ。 帽子をかぶっていると観光客っぽく見えるからやめるように言った、と知人が言う。 ・・・今日も冬場とはいえ好天で外は日差しがきついのだが。 まずはリベルダージ駅で下車、地上へ。 スマホの撮影等、自己責任でお願いしますと伝えておいたもの、外でさっそくそれぞれスマホ撮りが始まった。
カトリック教会を中心にいくつかハシゴして、公営中央市場でオレンジジュース。 話してみると、4人全員が東京出身だった。 ご地域版のマイナーな地名で盛り上がる。
昼食は土曜だし、ブラジルのナショナルプレートのフェイジョアーダを、というリクエスト。 大衆系、観光客系はじめいろいろあるが…
中心街にあるサンパウロ市最古級の店に行ってみるか。 僕も入ったことはなかった。 僕が先に入って、店員によるナヴィゲートを待つが、シカトされてるのか…
まあ他を探すとなるとまた歩かなければならないし。 なんとかウエイターを捕まえる。
出だしはムム、だったが、スペースは広く安心感もある(こちらネイテイヴの家人が先日、レストラン内で盗難に遭っている)。
店の創設は西暦1910年。 第一回日本人移民船・笠戸丸の到着2年後だ。 奥地のコーヒー農場からエスケープした日本人移民が花のサンパウロに出てきて、開店早々のこのレストランを外から眺めていたかもしれない。
8月4日(日)の記 今日の出ブラジル ブラジル→
昨年、日本の血族が亡くなり、そのあとの諸々がメインで訪日を繰り返している。 今回は、新盆だ。
これだけ訪日を繰り返しても、その時が近づくと慣れない、というかワサワサしてしまう。 死を迎えるときもかくや、その予行演習かという思いもする。 「小さな死」。 以前もこんなことを書いたように思う。
今回はわが集合住宅の別棟に住むプロドライバーに空港まで頼んでみる。 これまで頼んでいたタクシー運転手は、運転中に政治問題を持ち出し、僕の好まぬ前大統領を持ち上げるのであまりいい気はしなかった。
今度の彼氏はおとなしく、慎重な運転に集中してくれる。 日曜夜の市内交通の快適なこと。
さあ、第三ターミナルに着いてしまった。
Shall we dance!! とキルゴアは叫んだ。
8月5日(月)の記 今日もダラスで →アメリカ合衆国→
昨晩、サンパウロ国際空港にて。 アメリカン航空、60歳以上は優先登場させてくれた。 そのため手荷物も上の収納棚に楽勝で置くことができた。 日本航空は、こうしたサービスはなかった。
それにしても、満席。 劇場で見たコング+ゴジラ2を再生するが、うとうとばっかし。
ダラスでトランジット。 今回は時間に余裕あり。 うーむ、洗面用具と手拭いが見当たらない。
日本航空機に乗り継ぎ。 うわー、こんなこともあるんだ。 エコノミー席の客は7割弱といったところ。 3人掛け席で、隣が空いてすっきり。
日本映画… なんだか小品ばかり。 最も大作はサイタマものの続編、といったところ。
8月6日(火)の記 流浪に再会 →日本
さあ、できれば避けたかった猛暑時期の日本帰還。 手荷物ピックアップ、通関もスムースに。 羽田空港内でジャパンレイルパスの発券と火急の指定券のおさえ。
建物の外に出ると… 暖房効き過ぎ感のある午後。 目黒の実家に戻り、急ぎの用事に着手。 ひと汗流して。
さて。 先月、新天地でリニューアルオープンした古本遊戯・流浪堂さんを訪ねよう。 わくわく。 おおー、こんな感じか。 だいぶスペースがゆったりになったとは伝え聞いていたが、いかにも。
経営される二見さん夫妻とは、よもやま話が尽きない。
帰路、学芸大学駅近くにオープンした寿司居酒屋というのに入ってみる。 握りのセットを頼んで。 ほう、シャリは黒酢使用か。
手でつまんで… シャリが崩れる。 箸を使って… やはりシャリは崩れる。
シャリの崩れない寿司が食いたい…
8月7日(水)の記 熱都難民 日本にて
熱帯東京の夏、最初の朝を迎える。 時差ボケ、しんど。
日中、金融関係や荷物送りで外出。 ・・・これが恐れられていて、僕も恐れていた今の日本の夏か。
早く冬のサンパウロに戻りたいという思いと。 意外となんとか耐えられるのではないか、というナメも。
この、外の熱気。 なにか、外をでっかいドームで覆って、そのなかを冷気にするとか。 かつての東宝特撮映画の世界みたいに。
・・・こういう発想に原発利権屋などがつけ込んできそうだ。 ま、いずれ涼しくなり、寒くなる。
夕方からガリ版通信『あめつうしん』の田上正子さんとお会いする。 先方もなにかとお取込みだし、こっちもなにだから「かるく」のつもりで… 話題は尽きず。
その間にたいへんな雷雨があって、お店を出るころにはあがっていた。
8月8日(木)の記 あざなえるなわ 日本にて
お世話になっていた日本のミニシアター界の人が勇退すると知って。 ぜひ一献を、と映画監督の榊祐人さんが経営されるシネ居酒屋「たぬき」にお招きした。 京王永山駅で待ち合わせ。
駅到着直前に、8月1日付拙日記「恩を仇で返されて」で紹介した男からのメールが届いた。 盗人猛々しい、とはよくいったものだ。
他人様に無理難題を無償でお願いしておいて。 その時の約束を反故にしたうえで今度はこちらを精神異常の泥棒だと吹聴し始めて… それがこの男のよこしまな妄想であることが証明され、さすがに詫びて来るか沈黙するかと思いきや。 あらたに唯我独尊の捏造妄想からこちらに激しい攻撃と請求を仕掛けてきたのだ。 悪質極まりない。
この男は自分が重い精神障害で悩んできたから、こちらが精神異常で泥棒であることがわかる、と僕の家族やブラジル人たちに喧伝していたのだが。 精神障害が悪化しているとしか思えない。 いわば僕が今日お招きした恩ある人を罵倒して泥棒扱いして、彼の家族や職場の人に誹謗中傷を吹聴して、彼にカネまで要求するようなものだ。
とても穏やかではいられない。 忍耐の限度を測定不能なまでに超えている。 約束より早めの時間に着いたので、さっそくスマホでこの男に返信。
日没前に「たぬき」さんに。 そこそこの人の入り。 テレビがなにか災害を伝え、客たちの話題になっている。 九州で、震度6弱の地震が生じたところだった。
8月9日(金)の記 夏の巡礼 日本にて
まずは山形県内の二か所、計五泊のミッション。 なにせ荷物が多い。 講演のために参照してブツとしてもお見せしようと思う資料類。 ブラジルから担いできたものが大半。 そしてノートパソコンに撮影機材。 さらに液体類も含めた土産類!
朝の山手線の混雑がしんどい。 そのため、早めに東京駅に着いてカフェをすすりながら待機できる店を探す。 今回もなかなかの綱渡りで、三か月弱のインターバルで山形鶴岡再訪。
そこそこたいへんな思いをして予約の取れたホテルまで、駅から徒歩でとぼとぼ15分ぐらいか。 暑い。 とはいえ、東京よりかは3-4度ほど控えめで、風が涼しい。
まずは致道博物館の「探検!アマゾンワールド」会場を視察。 スタッフに尋ねても、明後日の僕の講演会場は「ここだと思います」とのこと。 ここだったら椅子やプロジェクターなどはどうするのだろう?
夕方、関西組のチーフと合流。 予約しておいてもらったお店で会食。
店内に入るなり、発言に気を付けるような雰囲気があったが… マスターとも他のカウンター客たちともすっかり打ち解けて。 まさしく一期一会の味わい。
それにしても小ナスの漬け物がおいしかった。 ナスはイマイチ苦手だったのだが。
明日の件もややこしくなっていたのだが、チーフがうまく仕切り直してくれた。 さあそれに備えよう。
8月10日(土)の記 山形鶴岡のアマゾン先生・山口吉彦さんに聴く 日本にて
早朝、日本唯一とされる黒い聖母像のあるカトリック鶴岡教会のミサにあずかる。 午前中、阿部久書店という古書と新書を扱うお店へ。 店頭でさっそくびっくり、あの江川正幸さんのブナ林の写真集が! このお店の古書は値段の記載がないのだが、確認のうえ購入。 期待を裏切らない濃いお店。
午後2時半ホテル集合、関係者で「アマゾン先生」山口吉彦さんのお宅兼資料館を訪ねる。 僕が聴き手・かつ撮影で、先生にインタビュー。 一期一会。
今まで山口吉彦さんから聞いたり読んだりしたことのない話を中心に。 これで、僕を山口先生につないでくれた人への僕なりの義理はギリギリ返したという思い。
山口さん父子、そして一同で会食。 南禅寺豆腐というのには、ちょっとびっくり。
8月11日(日)の記 なんてったってアマゾンそして鶴岡 日本にて
さあ僕にとっての今回の訪日メインイベント当日となった。
今日は日曜なので、昨日に引き続き黒い聖母子像のカトリック鶴岡教会のミサへ。 さすがに日曜は人が多い。
コンビニで山形新聞と昼用の軽食を買って。 あとは時間ギリまで午後のトークの素材チェックと構成検討。 これだけがんばるのは久しぶり。
主催者から講演中にぜひ上映をということで、その準備もした。 会場は上映設備オッケーとのことだったが… 設置したプロジェクターのスピーカーでは、まるで音声が聞こえない。
園外(県外)遠方からも参加したいという複数の声が届いていたが、見当たらない。 お盆休みでAPAホテルぐらいしか空きがない、加えて台風東北上陸の恐れが近づき、見合わせた人もいることだろう。
今日の参加者の大半は山口吉彦ワールドのファン・シンパとみた。 当然ながら山口先生のアマゾン像と僕のアマゾン像ではズレ・ギャップがある。 今回は山口アマゾンへのリスペクトをもとに、さらにそれを味わい深くしてもらおうというのを基本にした、つもり。
いずれにしても僕は自分のアマゾン像の再点検とリニューアルをしたいと願っていただけに、格好の機会となった。
終了後、今日は懇親会等もなく、自由時間となった。 泣いても笑っても大任は終えた。
・・・街に出るか。 ネットでフィギュア系を置いているというカフェを調べておいたが、道が違ったようだ。 コフィアという喫茶店があり、ここに入ってみる。
オーソドックスかつクラシックな店構え。 正装のマスターがひとりでこなしている。
アイスコーヒーを頼んだが、器からして違う。 さらにホットコーヒーもお願いした。 マスターの所作に、感動。
…今日の講演の演台の上に並べた資料書籍類(大半はブラジルから担いできた)だけでも、我ながら尋常ではなかった。 訪日前から、だいぶ勉強を続けていた。
それが報われたか? 報いを求めてはいけない。
このマスターは、飲み手が見ていようが(見ている人は例外的存在だろう)見ていまいが、これだけ手間をかけて、美しい所作でコーヒーを淹れていく。 ご自身のつきない求道、まさに道なのだろう。
たいせつなのは、自分で、自分が納得がいっているかどうかだ。
一杯のコーヒーに、これだけ尽くしてもらった。 こころを揺さぶるおいしいコーヒー、そして生き方を教えていただいた。
8月12日(月)の記 山形大移動 日本にて
当初は今朝早く鶴岡を発ち、次の目的地・山形寒河江に行く前に大回りして福島・三春町の貝原浩展に寄ることを考えていた。 大荷物を担いでお盆の電車混雑時期に、というただでさえ無謀なところ…
台風5号が今日、東北直撃となった。 むむ。 まずは三春行きはあきらめよう。 同じ県内の肝心な寒河江までの移動もおぼつかなくなってきた。 想定していた山形駅行きのバスは運休か!
先回、あえて遠回りしてみた余目(あまるめ)からの代替バスでの新庄までの移動を再トレースすることになる。 そもそもこの大荷物では傘もさせない。 そのため昨晩、コンビニでカッパを買っておいた。
ところが県内大移動中、雨らしい雨にも降られることもなしで済んだ。
やれやれの寒河江着。 まずはなじみの宿で、なごみの温泉入湯だ。
8月13日(火)の記 寒河江の迎え盆 日本にて
昨年亡くなった叔母の迎え盆行事。 勝手がわからないが、礼服でなくていいとのことでありがたい。
午前中にお寺の墓地にお参りしてお供えをして、ご住職に挨拶。 午後から雨の予報で、お参りの人たちでにぎわう。 先に亡くなった叔父の親類のお宅でごちそうになる。
午後、所用を済ませて。 寒河江駅近くの繊維工場を再活用した大谷石づくりのオシャレなカフェで、涼みながら少し読書。
カフェを出て、おしゃれ文具売り場を見ていて… 女性から声をかけられる。 ナント沖縄コザでの個展にうかがったことのあるアーチストの齋 悠記さんだった! https://www.facebook.com/photo/?fbid=10230915951377286&set=a.3410845544903
立ち話で、沖縄平安座島のカミンチュと山形のこの地方の女性シャーマン・オナカマのことまで!
これだけの偶然の出会いは、そうはない。 おばちゃんはこういう話を喜んだかも。
8月14日(水)の記 帰京の洗濯 日本にて
山形寒河江の朝。 先に見逃しているオナカマ資料の展示を、タクシーを駆使しても、とも考えていたが… 荷物は多いし、後半戦に備えての心身の温存もはかりたい。 そもそも、洗濯をセネバ。
ということで、寄り道せずに帰京しよう。 日の高いうちに目黒に戻る。 清水の洗濯場へ。
ここを教えてくれた「めんどくさいカフェ」のシバヤスさんとラウンドリーのカフェスペースで談笑。
新生流浪堂さんにふたたび出頭。 留守だった男主が僕に向けて並べておいたとしか思えないトラップ本あり。 ほぼ迷わず、買い。 これは旅の伴にも格好だ。
8月15日(木)の記 新水俣行 ブラジルにて
始発の東急東横線、そして新横浜始発のひかり号。 乗り継ぎ乗り継ぎで新水俣駅へ。
ナント明日は台風7号の到来のため終日、東京-名古屋間の新幹線は運休とな。 まさしく間一髪。 新水俣駅に待機中のタクシーあり、よかった! つなぎ美術館に、これを見に来た。 https://www.tsunagi-art.jp/event/967/
森田具海さんとは、5月のカライモブックスさんでの上映会で出会った。 その後メッセージをかわしてタダ者ではないとわかり、彼の写真を見てみたいと思っていた。 そんな折に、今回の展示。 少し無理をして行ってみることにした次第。
こじんまりとした展示なので、何巡もできる。 森田さん本人の解説もいただき、ナルホドと理解が深まる。 森田さんの在廊が14時ぐらいまでと聞き、思い切って新水俣駅からのタクシーもフンパツした次第。
今日は水俣の市街に宿をとった。 水俣の町、面白いではないか。 やはり5月の上映で出会った前田さんに教えてもらった居酒屋がまたすばらしい。
8月16日(金)の記 水俣から広島へ 日本にて
水俣の町なかのビジネスホテル、なかなか快適。 チェックアウト時間まで、町なかを歩くことにする。
チッソ水俣工場。 百間排水口。 竹林公園。 日本と世界各地の竹を集めたというのは面白いが、それぞれの解説プレートがまるで読めなくなっているものばかり。 エコをうたって、作りっ放しで振り向かず、か。
さあ広島へ向かおう。 まだ日は高いが、今日もあえて広島駅から荷物を引きずりながら土橋の宿まで歩こう。
うわ、途中に信号では渡れず地下に潜らなければならない交差点がある。 原爆ドームに到着。 一周する。
土橋に近づき、オーソドックスな古書店が目につく。 入ってみる。 店主らしき人以外の人影はない。
水俣の本屋でも思わぬ本を見つけて買ってしまった。 ここでも思わぬ本が。 けっきょく三冊、買ってしまう。
今回、明日からの上映の仕掛人の堀江さんに予約してもらった「ビジネス旅館はらだ」に到着。 家族経営のようで、いい感じだ。 部屋にバス付きなのが特にこの時期はありがたい。
古書店で買ったばかりの『フローリアの「告白」』をながめる。 南米の古本屋から始まるという話に、引き込まれざるを得ない。
明日からの上映に備えた原爆関係の資料も並べる。 さあ水俣モードから広島モードへ。
8月17日(土)の記 広島戦第一夜 日本にて
広島の夏の夜が明ける。 まずは幟町教会の早朝のミサへ。 ここで奉仕する長崎純心聖母会のシスターを見つけ、お声がけ。 かつて純心聖母会に所属していたシスター笹川が15日に帰天されたこともお伝えする。
帰路、爆心地近くの本川小学校の原爆展示を見ることに。 9時から。 それより早く着いた。 まだ、リニューアルした広島平和記念資料館を見る覚悟ができないでいる。
本川小学校の展示はほぼ無休かつ、無料。 ここだけでもなかなかの見ごたえだ。
昼は複数の友人知人にすすめられていたカフェ「ハチドリ舎」さんへ。 わがイベント会場のkitokoiさんの至近ではないか。 これは共存共栄を望みたい。 ハチドリ舎オーナーの安彦さんも、12日に亡くなられたブラジルの森田隆さんと交際があったことを知り、びっくり。
さあkitokoiさんでの二日連続・ブラジルからつむいだ被爆と被曝。 森田さんの訃報を受けて、上映順を『リオ フクシマ』を先にしてそのあとで『ブラジルに渡った被爆者たち』とするつもりだった。 ところが来場者の複数の方々が、当初の順番で森田さんが主人公の作品のみご覧になりたいとのことで、来場者全員の了承を得て、そのようにする。
森田隆さんを慕う人が広島にたくさんいることに、感無量。
8月18日(日)の記 広島でがんす 日本にて
今日も幟町教会の早朝のミサ。 その足で昨夜、教えてもらった広島中央図書館での企画展「ヒロシマと映画」へ。 これは見ておいてよかった。
午前中、思い切って広島平和記念資料館へ。 チケット購入のための観光客の列でもうウンザリ。 日本最大級のダークツーリズムの殿堂、といったところか。
意外とスムースに(券売機そのものは「松屋」なみに初回利用者には扱いづらかった)入場できたが、あとはヒトばかり。 人の詰まった長―いエスカレーターに、延々とじっとしている感じ。 とても人に埋もれた展示物をひとつひとつ見る気になれない。
ざざざー、と見る。 最後に「反核兵器」か。 「反核」からは明らかにそれている。
昼飯はコンビニで軽いものを買って、ホテルでひたすら本日二日目の上映のトークネタなどの準備と確認。 二日とも来てくれる人が複数いて、ありがたい。
さあ懇親会。 宴たけなわで、メニューの「がんす」というのに気づく。 今日は広島名物のホルモン系が中心だ。 聞くと、魚のすり身を揚げたものという。
オーダー。 ほう、いいではないか。 サンドイッチにしたい思い。 概して、地元の人にはあたりまえに浸透しすぎてかえりみられることもないようなものがとてもよい。
8月19日(月)の記 広島から飛騨へ 日本にて
宿で休む。 移動中に休む。 このおかげでとりあえず今まで持ったかも。
土橋の宿から横川駅まで歩いて。 新幹線を新大阪で乗り換え、名古屋でまた乗り換え。 飛騨高山は、40年以上ぶりかな。
北欧系だろうか、列車には僕には聞きとれない言語を話す白人観光客が多い。 高山駅下車。 ややゆるめの観光地といった観で、いい感じ。 まずはチェックイン、入湯。 いちおう、温泉とな。
わが目的は観光ではなく、旧友との旧交を温めること。 40ウン年ぶりか。 高校時代の想い出から、日本とブラジルの森林の諸々について。
料理は、飛騨に来て刺身かよ、と思うが、意外なほど日本海は近い由。 発酵ものを、とリクエストして友人を悩ませたようだ。
友が「漬物ステーキ」をオーダーしてくれた。 古漬け気味の白菜を、熱して卵で閉じる。 カツオ節をたっぷり。
うむ、これは珍味。 ステーキとは呼ばないまでも、飛騨では家庭でもこれをこさえるとか。 こういうのがいい。 ブラジルに帰ったら、やってみよう。
8月20日(火)の記 めぐろのめぐりあい 日本にて
飛騨高山の朝。 朝食の前に、あさイチで朝市に行ってみる。
川べりで心地よく、ゆるさがよい。
外国人観光者ばかりの電車車両に乗って、さあいったん帰京だ。
例の変質者対策など、いろいろある。 まったく、もう…
その帰りに、近くにあるかつて拙作上映もしてもらったカフェに寄ろう。 え、今日は15時までと掲示あり。 いやはや昼も食べていないし、オプションは…
グーグルマップで検索。 小さな老舗の店に入ってみる。 ホットサンドをいただこう。
・・・今朝、高山でわがインスタ「今日のアート」用に撮った写真をチェックするが、イマイチ。 このお店に飾られた絵が、なんだかおもしろい。 許可をいただいて、撮らせてもらう。 https://www.instagram.com/p/C-5JDD4vR9l/?hl=ja
作者名を聞いてびっくり。 あの鬼才・こうのまきほさんの友人の、中村まふねさんだった。
悪質な変質者のおかげで、ブラジルと日本の家族親類も巻き込んでしまいたいへんな迷惑を被っているが。 こういうこともある。
悪にくじけないで、という応援を感じる。 感じよう。
8月21日(水)の記 東北ミッション 日本にて
盛岡のカトリック四ツ家教会では水曜10時にミサがあるとウエブサイトにある。 それに間に合うように早朝、目黒駅まで歩き、始発の東北新幹線で。
ありゃ。 たどり着いた教会には木曜10時とあった。 お昼ごろということで待ち合わせをした堀江神父と再会するまで、どうしようか。 教会の入り口のベンチでタバコをふかしていた老人に話しかけてみる。 なんと、この人は僕にもゆかりのある町の神父だった。
ケニア人の神父のつくったカレーを、メキシコ人の神父らとともに談笑しながらいただく。 堀江節郎神父に会いに来て、よかった。
動画で見る堀江神父は、こちら↓ https://www.youtube.com/watch?v=gb4M1TD-Oco
次いでさらに北上。 八戸下車。 宿で旅装を解いて、久々の本八戸へ。 蕎麦処「おきな」さんで冷酒と天ざるを頼み。 約束したYAMさん、こっちのメッセージを開封していないようだ。
相棒のTAKさんが山伏のような風体で登場。 「オカムラさん、前もって連絡くれれば…」 YAMさんから連絡が行っていなかったか。 なんとYAMさんは昨日、入院した由。 大事はないというが…
今晩は貸切が入っているというTAKさんと、しばし談笑。 しばらくのご無沙汰のうちに、理想的な活動を展開しているようだ。
お店を出て、虫の音と涼気に秋来ぬと感ず。
8月22日(月)の記 帰京と変質者対策 日本にて
ジャパンレールパス利用期間の最終日。 外は濃霧。 朝、八戸駅を発つ。
帰京後その足で、友人のはからいで専門家に相談に行く。 恩を仇で返す方針を強行する変質者は、僕のブラジルの家族に迷惑行為を繰り返し、さらに僕の日本の親類への嫌がらせをほのめかし始めてきた。
専門家のアドバイスはありがたい限り。 悪にくじけることなく、生きていこう。 僕を支えてくれた善意・好意に感謝しつつ、それを循環させてこうした悪に毅然と対峙していこう。
8月23日(金)の記 高円寺アパレシーダ 日本にて
畏友の伊豆大島富士見観音堂守・伊藤修さんから今日は現場仕事が早く終わりそうで、どこかで会えないかと連絡あり。 わがシマの祐天寺駅まで来ていただく。
伊藤さんは甘党。 70年以上の老舗・団子屋の越路さんで談笑。 いつもは伊藤さんの話の聞き役に徹するが、今日はブラジルがらみの変質者の話をお伝えする。 思わぬ共通の知人が「恩を仇で返す」系だったと教えてもらう。
西荻窪から高円寺に移転、プレオープン中の新生アパレシーダさんへ。 これは駅から近い。 エコノミークラスからビジネスにアップグレードしたような感じ。
今日は、ゆったりまったりモードでいかせていただこう。 わが実家で発掘、データ変換したばかりの40年以上前の番組を披露。 想像以上に好意的に受け止めていただいた。
こちらの常識・良識の通じない変質者が嫌がらせをするために登場してくることも懸念した。 とりあえず杞憂に終わったようだ。
8月24日(土)の記 東京の夏2024 日本にて
地元のカフェcarawayさん経由で、まずは新宿で頼まれものを買いに。 次の目的地・代々木公園まではスマホを繰ると徒歩2・5キロ。
歩く。 運動にもなり、グラフィティ相を見るにも面白い。 緑地もあるし。
東京の夏の夕べを、旅の終わりに体感。 ブラジルがらみの面白い出会い・懐かしい再会・思わぬ再会が錯綜。 友よ、誘ってくれてありがとう。
8月25日(日)の記 日曜の三毛作 日本にて
今日は少し無理をしよう。
まずは世田谷のカトリック教会へ。 ブラジルで出会った知人が所属している。 ミサ開始後、自己紹介をするように司祭に言われてしまった。 われながら簡潔かつゼツミョーな自己紹介をこなす。 その知人とカフェのつもりがアルコール込みで早ランチ。
さあそれから東村山の国立ハンセン病資料館へ。 秋津駅から歩く。 企画展「絵ごころでつながるー多磨全生園絵画の100年」、間に合った。 これは僕には必見だった。 表現とは、なにか。
さてさて学芸大学駅へ。 喫茶「平均律」さんに滑り込んでご挨拶。 ついで数十年ぶりの旧友と再会。
僕は彼の影響もあって映画、洋画さらに日本映画にのめり込んでいったと思ってきた。 彼は僕の影響で洋画から邦画にハマっていったというではないか。
俺たちにアトはない。 今日の三件、「また今度」「見合わせ」にしなくてよかった。
8月26日(月)の記 ミタケ・オアシン 日本にて
今日の件名の語はハワイの先住民の言葉と思い込んでいた。 あらたに検索すると… 「アメリカインディアン・スー族(ラコタ族)の言葉」 「すべては関わり合っている」「すべては繋がっている」ということから 「(私に)関わるすべてに祝福を!」という意味を持つネイティブ・アメリカンの祈りの言葉」 等々。
出ニッポン前日となった。 東京の実家の使用空間をひたすらお片付け。 大物も含めた洗濯物を清水のコインランドリーに搬入。 熱都東京の炎天のもと、昼ご飯を食べたくなってきた。 最後だし、食の見聞も広げたい。
ところが目黒の住宅街、そもそも「食堂」がむずかしい。 そうだ、あそこがあった。 祐天寺裏の五差路にある「ミタケ・オアシン」。 以前、知人にすすめられて行ってみて、なにか地元がらみの不思議な展開があった覚えがあるが、詳細が思い出せない、
もはや午後2時を過ぎ、ダメモトで行ってみる。 うわ、店内はほぼ満席。 ここは女性一人で切り盛りしている。
時間がかかってもよければ、と受け入れてもらえる。 この女性はひとりで聖徳太子ばりのはたらきをしながら、笑顔を絶やさない。 しかも、しらじらしい笑顔ではない。
ベトナムのビールをいただきながら、海老のタイカレーセットのできあがりを待つ。 おお、このサラダ。 これだけで何品の食材を補給できることだろう。 しかも美しく、おいしい。 食はアート、食こそアートと体感。
ひとりの人がなせる技に接して、ひたすら感激感動。 ひとりで、ここまでできる。
ありがとう、ミタケ・オアシン。
8月27日(火)の記 アマゾンに果つ 日本→アメリカ合衆国→
出ニッポン当日。 今回の訪日中、三発目の台風10号が接近中。 午前中、買い物に出るが、まさしく台風の接近を感じる異常な天気。
昨日、在アマゾンの友人から届いた知らせが重い。 家族ぐるみでお付き合いのあったアマゾンのトメアスー移住地に暮らす友人がお嬢さんを乗せて夜の街道を運転、放置してあった材木積載のトラックに衝突。 彼は重傷、お嬢さんは亡くなったという。
僕はお嬢さんのサンパウロ寄宿中に会ったことがある。
僕の今回の訪日のメインは、日本の肉親の新盆、そして山形鶴岡のアマゾンワールド展へのゲスト参加だった。 この機会に20代以来の自分の大アマゾンのおさらいをしていたのだが…
現実の、重い、いたいアマゾンを思い知る。 いたい。
羽田からのわがフライトは台風の影響をかわして太平洋上へ。
8月28日(水)の記 Botta Curi国際空港 →ブラジル
今回の帰路はJALのコードシェア便で、アメリカン航空の運航。 機内映画で日本映画を期待するのはムリというもの。
日本語吹き替えの『ハリー・ポッター』シリーズを見るが… 制作順に並んでいないので、どれがどれだか。 アイコン写真の3人組の「ふけ具合」から判断して、若い順から3作目まで鑑賞。 もうどれがどれだか。
やれやれでサンパウロ国際空港に到着。 ・・・手荷物、ぶじ到着。 ・・・税関、おとがめなしでフリーパス。
次のシャトルバスまで40分以上ある。 構内で待機しよう。 カフェがあるぞ。 値段表なし。
カフェコンレーチェ(ミルクコーヒー)とコシーニャ(鶏肉が具のスナック)で、なんと32レアイス、邦貨にして約900yen! 市内の庶民店の倍化、それ以上だな。 つきもののチリソースも見当たらず、味も並程度。
Botta Curi国際空港と命名しよう。
8月28日(木)の記 ストリートアートひでり ブラジルにて
今日は一日、うたたねをしたり、好きな本を読んだりして過ごすつもり。 ウオーキング、日毎のインスタ写真探しに外には出る。 自然発酵パンを買いにいこう。
昨夕も日毎のストリートアート探しに近所を歩いた。 4週間弱不在のサンパウロだが、近所には特に新作が見られない。 ・・・選挙用のステッカーが看取されるが、これといって目を引くものもない。
昨日のは、迷いネコ探しのポスターで。 われながら思わぬダジャレが浮かび、キャプションに加えてお茶を濁した。 今日は隣の駅前まで足を延ばすが、不作・・・
苦し紛れで、これにする。 https://www.instagram.com/junokamura2310/ 銀行の駐車場入り口の標識。 ミノムシ類の、ミノを想い出して。
8月30日(金)の記 ひものみち ブラジルにて
伊豆大島富士見観音堂堂守にして横浜黄金町の大道焼肉師の伊藤修さんは、魚の干物づくりの指導者でもある。 イトさんの干物づくり指導はブラジルではイマイチだったようだが、いまやアフリカに及ぼうとしている。
この度、日本で伊藤さんに会って干物の話も出て、むしょうに干物が食べたくなった。 日本で自炊をしていた頃は、オカズのメインだったが。 外食となると、刺身は金さえ出せばあちこちで食べられるが、干物はなかなか難しいことに改めて気づく。
庶民的、日常的すぎて、まさしく日の当たらない存在といえよう。 うー、ますます食べたい。 そんな家庭料理を出す定食屋もむずかしい。
ブラジルに戻ってから、自分でこさえよう。 というわけで、今日は朝のうちから金曜に立つ市場へ。 ・・・うーむ、干物にできそうなサカナはイワシぐらいかな。 開いてもらったのを1キロほど購入。
塩を振り(あとで調べると干物づくりには「振り塩」と「立て塩」があり、これは前者)、さっそくアパートの窓に午前中さす日に干してみる。
数時間後に一尾、試食。 いやはや、この味だ! サカナはアジではなくて、イワシだけれども。
イワシていただければ。
8月31日(土)の記 Xの悲劇 ブラジルにて
日本でもブラジルでも、永遠の時差ボケ状態。 深夜にスマホを繰る。
あれ。 X(ツイッター)が更新されない。
夜が明けてもこの状態が続く。 wi-fiの問題かとも思うが、他は機能している。
こういう時は世界的にXに障害が生じている可能性あり。 日本語で検索してみるが…、 特に問題はないようだ。
ブラジルのこんなニュースに接する。 ブラジルの最高裁判所とX(ツイッター)がXのフェイクニュース拡散問題で争い、この土曜からXが機能しなくなる可能性がある、と。
どうやらこの問題のようだ。 数週間、ブラジルのニュースから遠ざかっていたら、こんなことに。
週明けぐらいに復帰すればいいのだが。 X(ツイッター)のメッセージ機能でやり取りしている日本の友人知人がいるだけに、さあどうしよう。
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