10月27日(日)の記 真宗大谷派? (2024/11/10)
真宗大谷派? 日本にて
今日は山形県村山地方の寺院で肉親の法事。 真言宗智山派のお寺。
真言宗はすべて高野山が総本山かと思い込んでいた。 検索してみると、智山派は京都の智積院が総本山とな。
平安時代に僧侶の堕落問題があり、高野山を去ったグループが真義真言宗というのを打ち立てて、智山派はさらにそのなかの一派、ということのようだ。 キリスト教に勝るとも劣らず、ややこしい。
参列者一同は本堂に並べられた折りたたみ椅子にじっと座って、住職の登場を待つ。 ここの住職は東京にも拠点があり、法事の日取りも住職のスケジュール優先。
ようやく現れた住職は「大谷の試合を見ていて遅れました」と言って、そこそこウケている。 住職は試合の経過の説明をはじめる。
仏教とは、真言宗とは、智山派とは、法事とは、死と生とはといったことへの言及は特にない。 この機会に故人を想い出して、ぐらいの話が読経の後にあったぐらい。
寺の裏の墓地に住職抜きに一同でお参り。
そのあと、料亭での会席。 これには住職も来るようで、ナント僕が住職の隣に指定されていた。 反対の隣には住職と顔見知りの遺族が座り、遅れてやってきた住職と共通の知人の話を続けている。
他の人たちは大谷が脱臼したとか、大リーグの話題で盛り上がっているようだ。 せっかくなので、住職がお隣との話題が途切れた時に聞いてみた。
僕の知る限り真言宗の寺では大日如来を本尊として飾っているが、この寺は不動明王だった。 Q・これいかに? A・この地方では不動明王を祭る寺が少なくない。東北地方は自然が厳しいので、パワフルなイメージのある不動明王を祭ったのではないか。
この地方ではかつて、遺骨の下顎骨を別にして「シコツ」と呼び、仏教の宗派を問わず四十九日法要の後で(芭蕉の訪問で知られる)「山寺」に収める風習があったと聞く。 Q・その意味は? A・どの宗派でも分骨して本山に収めようという志向がある。それと同様ではないか。
それではなぜ下顎骨なのか、なぜ宗派を問わず山寺なのかは説明できない。 僕は仏教以前の、縄文的な文化を感じるのだが、別隣りさんがこの話題に加わった。 彼の家の仏壇を整理していたら、誰のものかわからないシコツが出てきたという。 話題はそちらに向かっていく。
山形でも地方ごとに名称も異なり、さかんだった女性シャーマンについても話題にしてみるが、ご住職はまるで乗らず。
誰かとヤマガタのこんな話がしたい。
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