1月15日(水)の記 水俣曼荼羅 (2025/01/23)
水俣曼荼羅 ブラジルにて
話が大きくなってきた水俣ダブルミッションに備えて。 原一男さんの『水俣曼荼羅』が有料だがオンラインで鑑賞できるのを知り、この月曜から対峙している。 全三部六時間あまりの大作だ。
本日、ようやく鑑賞終了。 すごいドキュメンタリー映画だ。 これは僕にとって必見だった。
第一部の浴野医師、第二部の患者さんの生駒さんなど、ドキュメンタリーははじめに被写体の魅力ありき、という僕なりの原則も再確認した。
似たようなことを僕の師匠の牛山純一も口にしていたが、彼はがらがら変わる。 そして僕がこれを痛感したのがこれも原一男さんの『ゆきゆきて、神軍』の 奥崎健三さんだ。
拙著に書いたが、牛山さんがパリ国際ドキュメンタリー映画祭に出席する際に僕はブラジルからフランスに呼ばれて諸々の打ち合わせをした。 この時、原さんは『ゆきゆきて、神軍』をひっさげて参加、僕も会話をしたが先方は覚えていないことだろう。
『ゆきゆきて、神軍』に牛山は嫉妬を感じたと僕は見た。 ズバリ牛山好みの話だが、さすがの牛山もテレビではこれはできなかったろう。 夜の酒席で牛山は「オレは(この作品が)キライだ」と言った。 僕はすでにフリーとなり、大牛山にもい一ことを言う・言える・言うべき立場になった。 赤ワインをだいぶいただいてから僕は言った。 「でも牛山さん、ドキュメンタリーは被写体(が最重要)だ」とおっしゃってますよね?」 牛山は不服げに肯定した。 「この奥崎さんは被写体として、絶妙に面白いですよね?」
僕は牛山をキレさせてしまった。 牛山がどなった。 「オレはこれがキライなんだ!」
原さんの『ゆきゆきて、神軍』はこの映画祭のドキュメンタリーに輝いた。 僕にキレた後の牛山さんが、映画祭のカクテルパーティーで原さんに出会った時の言動は、師匠の名誉のためにここでは控えておきましょう。
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