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9月17日(水)の記 聖書と人糞 (2025/09/22)
聖書と人糞 ブラジルにて
未明に覚醒してしまい、読みかけの本を開く。 『キリストは何を食べていたのか?』 ビジネス社、ドン・コルバート著。 原著は西暦2002年発行で、日本語版は2007年。
先回の訪日の際、訪ねた東京のカトリック教会の売店で古書として破格の値段で売られていて、購入。
「アダムからノアにかけて、この草食時代に生きた人々は、だれもが長寿でした。」といった原理主義的な記載にはついていけない。
が、意外な記載もあり。 「神はまた、乾かした人糞を燃料に使って焼いた大麦のパン菓子もエゼキエルに食べさせました(エゼキエル書4-12)。」 こんな箇所が旧約聖書にあったかな、とあたってみると、たしかにある。 これについては、検索すれば日本語でもいろいろな解釈が説かれている。
人糞を燃料にするというのは意外である。 かつて『すばらしい世界旅行』のスタッフ時代のチベット取材。 チベット高原の遊牧民が、ヤクと呼ばれるウシの仲間の家畜の糞を採集して燃料とするのを撮影した体験を想い出した。
ヤクは草食であるので糞そのものも植物繊維質で、乾燥させたものを焼くと香ばしかったのを記憶する。
ブラジルでも、マットグロッソ州のセラード地帯で先史岩絵遺跡を調査していた際。 野営の際に現地のエキスパートが付近の牧場から牛糞を探してきて炊いてくれたのを想い出す。 これは蚊などを追い払うためだが、これも香ばしかった。
ところが雑食であるヒトの糞の場合は… 発酵させて肥料にするにはともかく、燃料には不適ではなかろうか。
カレー味のウンコと、ウンコ味のカレーの、どちらを食べるか、という命題も想い出した。
…とりあえずこの話題は、このあたりでフン切りをつけましょう。
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