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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2026年の日記  (最終更新日 : 2026/10/11)
6月の日記・総集編 AIMÉ-ADRIAN TAUNAY

6月の日記・総集編 AIMÉ-ADRIAN TAUNAY (2026/06/06) 6月1日(月)の記 一本の映画があれば
ブラジルにて


きょうは一日断食。
して、今日は環境映画祭通いも休むつもりだった。

が、きのうは見逃したので。
なにか今日、一本見ておこうと思う。

・・・これかな。
アメリカ合衆国制作で原題は『Maintenance Artist』。
Miele Laderman Ukelesという女性のアーチストにして活動家が主人公。

寡聞にしてこの人のことは知らなかった。
巨大ビルの日常を裏方で支える労働者たち、市の清掃労働者たちとの共働のアート活動でこうした人たちの尊厳を訴えてきた。

なんと日本のシーンが出てきて驚いた。
新潟・十日市での「除雪車のバレー」。
冬場には必須の活動をするが、夏場には存在も忘れられがちな除雪作業者たちによる除雪車を用いてのパフォーマンス。
その発想自体が驚きだが、これが美しいのだ。

帰宅後に検索してみると、さすがに日本語でもいくつかヒットした。
彼女の名前の日本語表記はまちまちだけど。

日本でも「ごみアート」として紹介されたブラジルのヴィック・ムニーズのことを想い出す。

このMieleの存在と活動を知れたことは大きな収穫だった。
お、なんと最近の日経新聞で彼女を紹介する記事があった。

ユニークかつ心打つ作品を手掛けてくれた日本のふたりの女性のアーチストを想い出した。
ふたりともいまや子育ての最中で創作活動から遠ざかっているようだ。
それぞれにMieleのことをメッセージで伝えておこう。


6月2日(火)の記 銀幕ブラジル紀行
ブラジルにて


家族の夕食を昼のうちに準備して。
今日は午後から環境映画祭の3セッション、2か所をハシゴすることにする。

うち2セッションはブラジルの短編映画集。
今日はなかなかの収穫だった。

『A Pele do Ouro』、「金の肌」といったところか。
ヴェネズエラ生まれの少女がアマゾンの先住民ヤノマモの保護区内にはびこる金採掘者の町で売春を行ない、命からがら脱出するー
アマゾンの金採掘の問題は、水銀汚染だけにとどまらないことを再認識。

『Nioladi:Como Resiste a língua Kadiwéo?』、訳すと「カデュヴェオ語はいかにのこるか?」といったところ。
南マットグロッソ州の先住民カデュヴェオはレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』にも登場する。
この人たちは今、自分たちの言語をいかにのこそうとしているかを描く。

ブラジル日系人と日本語の問題がオーバーラップする。
しかしこちらの日本語問題では、仮にも本国としての日本という国と日本語使用圏が存在している。
それがない、としたらどういうことになるか。

先住民たちの言語をめぐる格闘をかいまみると、祖国の援助頼りのニホン語教育というのは、なんとも…


6月3日(水)の記 メガロポリスに生きる
ブラジルにて


今日も午後から環境映画祭、2セッションを鑑賞。
ブラジルの短編4本立てと、中編1本。

中編は『O Jardim de Maria』、「マリアの庭」。
南半球最大のメガロポリス・サンパウロにあるブラジル最小の先住民保護区に生きる先住民グアラニーの女性リーダーMaria dos Santos Ara Potyさんの闘いを描く。

同じ町に住みながら、いったいオレは何をしているんだという思い。

会場に監督のJade RainhoさんとMariaさんが来場、トークあり。
Mariaさんいわく、そもそも自分は街に出るのを好まず、夜のこの時間はほんらいは「祈りの家」にいるべきだ、と語る。

映画祭に作品が選ばれたこと、招かれて参加できることの喜びと御礼をまず語るというのが定石だが、マリアさんの言葉に感じ入る。


6月4日(木)の記 チエテ抄
ブラジルにて


今日はカトリックの「聖体の祝日」、移動祝祭日であり国民の祝日だ。

午後から環境映画祭でぜひ見ておきたい一本に挑む。
『Tietê:Águas Verdadeiras』、「 真実の河 チエテ」といったところか。

チエテ河はサンパウロ州を貫く最大の河川で、パラナ河に合流するまで長さ約1100キロメートル。
海岸山脈にあるその源流は僕も何度か訪ねている。

「チエテ」は先住民の言葉で「ほんものの」といった意味。
この川のかつてと現状、激しい汚染と環境保全の取り組みを紹介する。

リポーター役は水源地域に暮らす沖縄系の日系人Vitor Kinjoさん。
児童向けの環境教育の演劇に取り組んでいる。
彼が冒頭、先住民の創世神話を語り、「日本のアマンチュ」を引き合いに出す。
アマンチュと言って、日本全国区でどれだけ通じるかな?

この川の水源地域では少なからぬ日系人が蔬菜づくりを行ない、メガロポリス・サンパウロの食卓を支えている。
ところがこの映画ではチエテ河流域の農業者は農薬を川に流し、農機具を川の水で洗ってオイル類で汚染する悪の存在として紹介される。
だが、その姿も声も登場しない。

いっぽうチエテ河をテーマとした児童向け演劇はいくつも延々と紹介される。

上映後のイベントでは、次の上映開始まで1時間5分ぐらいの時間のなかで18人が登場、さらに関係者が呼ばれる。
児童演劇関係者が多く、誰もが映画そのものと児童演劇を称賛する。
質疑応答は、なし。

別ヴァージョンの「チエテ抄」も見てみたいものだ。
農業者の声も実際に聞いてみたい。
トンボも見たいし、ナメクジも粘菌も。

次のセッションはフランスのノーベル文学賞作家アニー・エルノーによる授業を紹介するものらしい。
後学のために見ておくつもりだったが、満員札止め。

仕方がない、帰りましょう。


6月5日(金)の記 ルアッサンブラージュ
ブラジルにて


ブラジルの環境映画祭のヴォルテージと志の高さには舌を巻くばかり。

なだけに、今年は紙のプログラムがなく、目録も一般人は入手する術がないのが残念。

百本近くありそうな作品の概要を、いちいちクリックを繰り返してチェックする気にはなかなかなれない。

今日は見逃せない作品が複数あり。

まずはポルトガル語題『Remontagem』、なんとトリン・T・ミンハの監督作品ではないか!
彼女の名前に触れるのは今世紀になってからと思う。
が、名前や短い引用に接する程度で彼女の映像作品、しかも民族誌ジャンルのものに接する機会はなかった。

彼女がセネガルに滞在していた時の現地の女性たちの記録。
西暦1983年製作、40分。
これは日本語題があって『ルアッサンブラージュ』。

この語で検索するとAIはこう答えてくれた。
監督が3年間滞在したアフリカ・セネガルの女性たちの日常を題材にしながら、既存の民族誌映画(ドキュメンタリー)の手法を解体し、固定化された「他者」の表象を根源的に問い直す名作として知られています。

ちなみに「アッサンブラージュ」とは、
アッサンブラージュとは、ブレンドを意味するフランス語で、日本語にすると混ぜ合わせるといった意味があります。 ワイン業界で言うアッサンブラージュは、ワインの原酒を混ぜ合わせるという伝統的なワイン造りの技法のことです。

映画そのものは、僕にはなんだかよくわからない。
彼女の英語のナレーションにポルトガル語の字幕がのるのだが、両方を追いかけてこちらのキャパの少ないアタマはパンク。

1983年といえば、民族誌映画を語るうえで欠くことのできない牛山純一の日本映像記録センター(映像記録)で、僕が「ナメクジ」の取材をして放送した年だ。
当時、僕がこのミンハのまねごとをしたら、牛山に撲殺されていたことだろう。

もう一本みておきたかったのはポルトガル語題『Querido Amanhã』、直訳すると「愛しの明日」。
デンマーク、スエーデン、日本の合作でオール日本ロケ。
日本語のタイトルは『拝啓 アシタ』。
日本で孤独に悩む40代の男女それぞれに密着取材。

上映後のシンポジウムもあったが、僕とはまるで観点が異なる話し合いになるだろうし、いたたまれないものもあって上映後に帰宅。

そういえば近年「ヤラセ」という言葉に接しなくなったな。


6月6日(土)の記 フラハティ一家と牛山純一一門
ブラジルにて


環境映画祭、今日の二本は大いに刺激的だった。

一本目は英題『Cast of Shadows』、Sami van Ingen監督。
西暦2025年製作、製作国はフィンランド。
監督は「ドキュメンタリー映画の父」とされるロバート・フラハティの曾孫。

フラハティの仕事にいかに妻のフランシスや娘たちが貢献したかを伝える。
サミ監督が来場していて、上映のあとの「マスタークラス」と称した講演にも参加。

検索してみるが、この映画についての日本語の情報は見当たらない!
こちとら『映像人類学』の編著者の牛山純一の不肖の門下として末席を汚しているだけに…

ロバート・フラハティは家族を連れてサモアに滞在して、1926年に無声映画『モアナ』を発表。
娘のモニカはそれから50年近くを経て現地を再訪して録音を重ね、1980年に『モアナ』のサウンド版を完成している。

別の娘はプエルトリコの岩絵(ペトログリフ)の研究を手掛けていた由。

いま「本業」の方の編集中の作業で、情景ショットの音声に入り込んでいる雑音が気になっていた。
僕以外にはどうでもいい問題かもしれないが…

そのため、同じ場所で別の時に撮った素材とその音声をチェックしているところである。
かなり手間取っているが、自分として当然の作業、と再認識。

もう一本、世界的に知られるブラジル人の教育学者パウロ・フレイレについてのドキュメンタリーに臨むつもりが…
すでに満員札止め。
こういうドキュメンタリー映画に若めの人たちが殺到するのはうれしいことだけど。


6月7日(日)の記 スナメリじゃなくて
ブラジルにて


スリナムと聞いて、在日日本人の人たちはどんなイメージがあるのか、そもそもスリナムを知っているのかどうか…
パラグアイとバイアグラをコンドーするような人たちが少なくないだけに。

今日は環境映画祭でポルトガル語タイトル『Suriname, a Lei do Rio e a Dinheiro』、私訳で「スリナム、川とカネの掟」を鑑賞。
原題は『Monikondee』。

スリナムはブラジル北部と国境を接し、アマゾンの熱帯林が国土を覆っている。
迷路のように入り組む河川をモーターボートで遡行して物品を運搬・販売する、アフリカから連行された人々の子孫の男性が主人公。
いやはや、なにが出てくるかわからなくて、これはおもしろかった。

世界の場末、辺境を好んで舞台とした故・船戸与一さんの作品を想い出す。
そして『地獄の黙示録』とか。

小さな商売を営む中国人、先住民系、ブラジルではキロンボ―ラと呼ばれる黒人系、そしてそれらのハイブリッド・・・

衝撃だったのは、ブラジルからやってきたガリンペイロ:金掘りたちがスリナムの国土と大地を蚕食していること。
そして熱帯林を破壊して富だけ搾取して、水銀、汚泥、重油、ドラッグ等々でスリナムを汚していく。

テレ=ヴィジョン、遠い知らないところのヴィジョンを伝えてくれるドキュメンタリー映画の醍醐味に酔わせてもらった。

次いで、昨日みのがしたブラジルの偉大な教育学者、パウロ・フレイレの残り香を追うドキュメンタリー映画『Lendo o Mundo』、「世界をよむ」を鑑賞。
涙腺がゆるむ。

いずれもタダ。
贅沢な思いをさせてもらった。


6月8日(月)の記 銀幕のまなび
ブラジルにて


泣いても笑っても明後日までだ。
思えば去年のこの時期は訪日していたし。

というわけで、今日も午後から環境映画祭の2セッションへ。

まずはガザを描いたドキュメンタリー映画。
英題『Gaza's Twins, Come Back to Me』。
イスラエルからの攻撃の続くガザで未熟児として生まれた双子。
ひとりは母親に、もうひとりはその姉妹の家族に離れ離れで育てられる。
ミルクに始まり、何もかも不足し、死と隣り合わせの日々が続くなかでの長期取材。
よくぞ、こうした取材に取り組んだものだ。

その取材スタッフも含めて、登場人物たちがどのように生きぬいているのかという素朴な疑問が湧く。
食糧はどこからどうして、どう調理するのか、その熱源は。
炊事・食器洗いにはじまり、洗顔や歯磨きはどうしているのか、上水下水はどうなっているのか。
洗濯は、トイレは。
停電も察せられるが、盛んに用いられるスマホの充電等はどうしているのか。
画面からは薄汚れた感じはなく、みなさんそれぞれ身だしなみはきちんとしている。

数か月後の祖国日本に、これが可能だろうか?

もう一本『Apprendre/Elementary』というのを見る。
フランス・パリの初等学校の授業風景を記録。
白人系、黒人系、東洋系の子らが特に分け隔てもなく、フランス語にも特に不自由している観もなくともに学んでいる。
複数の女性教師の腕にタトゥー。
授業の形態からすると、モンテソーリ教育だろうか?

ストーリー性がなく、ここのシーンの並列という感で、ある意味つかれを覚える。
まるで効果音楽が使われていないのには、ほっとするけど。


6月9日(火)の記 希望の経済
ブラジルにて


どうもWin-Winという語に抵抗がある。
「勝つ」というのは「負け」があるのを前提としているかもしれない。
Win-Winの当事者が除外・排他・無視している「敗者」がいるのではないか。

類義語を検索。
うーむ、「三方良し」か。
ふむ、「共存共栄」。
「共存共栄」はブラジル日本人移民の地ととされる水野龍が掲げていたという。

今宵の環境映画祭。
ブラジル国産でソウルから始まる『A Economia da Esperança』、「希望の経済」を鑑賞。
サンパウロでのお披露目上映となっているようで、関係者でごった返す。
かぶりつきで鑑賞。

環境保全、持続性、地域や労働者に配慮した経済活動の可能性をブラジル各地に探る。
(後日となった執筆時で覚えているのは…)
・カーチンガと呼ばれる半砂漠地帯で栽培するサボテンを用いた合成皮革
・バイア州のマカウバと呼ばれるヤシの実を原料とする航空燃料の生産
等々。

広大なブラジルでの様々な試みが紹介されるが…
登場した日系人は、名前の苗字からうかがえる、企業内の女性のみ。

上映後にトークやミニカクテルパーティもあるとのことだが、関係者ばかりで盛り上がっているし、冬の夜更けである。
おうちに帰りましょう。


6月10日(水)の記 アニー・エルノーから遠く離れて
ブラジルにて


パウリスタ地区で邦人女性二人とカフェー。
ひとりは僕より年配、もうひとりは僕よりやや若い。
ふたりとも日本で有名大学を出ていて、日系社会のいわば名士。

年配の方が、僕が日本の首相を批判する理由がわからないと言う。
ふたりとも、彼女は歯切れがよくていい、と言う。
年配の方は石破元首相など何言ってるのかわからなかった、とのこと。
ソンタク編集のNHKニュースしか見ていないと、こうなるのか。

...環境映画祭最終日、さいごの一本を見に行く。
英題『Writing Life-Annie Ernaux Through the Eyes of High School Students』。
Annie Ernaux:アニー・エルノーはフランスの文学者で、西暦2022年にノーベル文学賞を受賞した。

僕もそれぐらいしか知らず、彼女はフランスの中学や高校で教鞭をとっていたとウイキにあり、ポルトガル語のタイトルを見て、てっきり彼女による授業風景が紹介されるのかと思っていた。
これは、勘違い。

フランスの高校生、とくに女子たちが彼女の作品について授業で語り合うさまの記録だった。
中心となるのは2016年に発表された『Mémoire de fille』、「娘の記憶」という作品だが、これは日本語訳が出ていないようだ。
彼女が60年前の18歳の時の性の初体験を再現したものらしい。

フランスの女子高生らは、これは強姦にあたるか等々を話し合う。
日本の高校生らが授業で耳にすることも口にすることもないだろう言葉が、まじめに語られる。
とはいえ、わが高校時代からも50年近く経年してしまってもくいるが。

この作品も効果音楽などいっさいなく、僕には心地よい。

アリ―・エルノーを読んでみたくなったが、さすがにポルトガル語ではちょっと…
帰宅後、少し開いただけだったハン・ガンの『すべての、白いものたちの』をはじめから読み直してみる。
彼女はアリー・エルノーの2年後にノーベル文学賞を受賞。
日本での取り上げられ方は、ケタが違ったように想う。

ハンガンびいきとは言いますが…


6月11日(木)の記 こりずに今日も
ブラジルにて


2週間にわたった今年の環境映画祭も終わったし。
ちょっと行き詰っている動画編集をすすめねば。

とかいいながら、午後から気になっていたのを一本みにいく。
『Aqui Não Entra Luz』、直訳すると「ここは明かりが入らない」。
ブラジルでfaxineiraと呼ばれる、家庭の掃除など雑役を受け持つ女性たちにフォーカスしたドキュメンタリー。
ブラジルでは中クラスの集合住宅でも、各戸にこのファシネイラのための作業・居住空間、専用のトイレがあるのが普通かと。
ここには光が入らない、というわけだ。

それを建築学的に、大邸宅と奴隷時代から言及するという触れ込みを読んだ覚えがあるが、これはわずかだった。
監督の女性は自分の母親もファシネイラであり、母親と自分のドラマに持っていくというつくり。

ブラジル各地のファシネイラの語りが紹介されるが、なかなかコトバが聞き取れなくて。

帰りはふたたび歴史建築高層ビルのカフェへ。
Mサイズのラテとスナックで、ナミの昼飯代ぐらいのお勘定。

コーヒーの、あれはなんというのだろう…
「ラテアート」とな。
今日のラテアートも手間暇かかっている感じだし、ま、いいか。

ラテアートもインスタの「今日のアート」で紹介してみるかな。
「あわ」よくば。


6月12日(金)の記 サンパウロの奇跡巡礼
ブラジルにて


うすら寒いし、空はどんよりと重い。
うだつがあがらない。

思い切って、サンパウロ市内の奇跡スポットがあるらしい教会に行ってみることにする。
さいきんSNSで流れてきて知ったのだが、短いものを読んだだけではよくわからない。

歩くのははじめての地区。
東京でいえば、下町の感じ。

くだんのものは、秘匿されているわけでも拝観料をとられることもなく、見ることができた。
昼の礼拝にもあずかるが、特にこれに注意や敬意を払っている人も見当たらない。

カトリックでいえば、ルルドやファッチマのような世界的に知られる奇跡もあれば、このように地元や一部にしか知られていない奇跡も少なくない。
後者に惹かれてしまう。

せっかくなので、教会の向かいの大衆食堂で遅めの昼食をいただく。
路上系らしいおじさんがこちらに向かってきて、なにやら話しかけてくる。
まるで聞き取れないので「耳が不自由なんだよ」と告げると、
今度はこちらをののしり始めた。
店員たちが追い出す。

精神に問題があるとのこと。
…こういう人に、イエスを見るぐらいじゃなきゃいかんのかもしれないけれど。

食後にもう一度、教会に向かう。


6月13日(土)の記 聖州巡礼
ブラジルにて


今日は聖アントニオの祝日。
午後からカトリック聖美術館に行く。

『ASSIM NA TERRA COMO NO CÉU』という本の出版記念会があるということで。
このタイトルはキリスト教の祈りの基本である「主の祈り」の一節。
その部分だけを訳すと「天に 地にも」となる。
サンパウロ州での巡礼についての本。

サイン会の前に著者のToninho Macedoさんによる館内の解説があるという。

折しも聖美術館のあるルース修道院は「六月まつり」のイベントの最中でにぎわう。
出版記念会の方は、関係者ばかりのようだ。

高齢のトニーニョさんの声はかぼそく、イベント等の喧騒のなかでは聴き取りづらい。
それでもスペシャリストの迫力が伝わってくる。

外は、冬の雨。


6月14日(日)の記 南蛮黄飯
ブラジルにて


パエリャのことを書こうと思う。

ウイキなどで少し検索。
ふむ、パエリャとはスペインのバレンシア語でフライパンを指す言葉からきたとな。
アラブ人が西暦6世紀にイベリア半島に稲作をもたらしたことにはじまる由。

え?
日本の大分に黄飯というのがあり、これはパエリャ起源という説もあるという。
掘ってみると、キリシタン大名の大友宗麟の時代に導入されたとか。

冷凍庫にエビが残っていた。
エビチリでもつくろうかと提案すると、パエリャ、というリクエストがあって。
ブラジル米はあったかな…
ない。
イタリア産のアルボリオ米はあるが、これはリゾット向きであり、もったいない。

路上市に行った際にスーパーでブラジルの長粒米を買ってくるか。

パエリャのレシピでは、コメを洗わないこと、というのが原則のようだ。
しかし僕はブラジルのコメに偏見があって、一回ぐらいはさっと洗いたい。
これまでのパエリャづくりでもそうしてきた。
そのあと、長めに水切りしておくということで。

ところが今日は。
コメがべちょべちょになってしまった。
さほど水を多くしたつもりもないのだが。

うーむ、むずかしい。


6月15日(月)の記 佐々木治夫神父の回廊
ブラジルにて


さて、ビデオ編集の再開。
タイトルも思い切って変えてみようと思う。

しばしポルトガル語の音声部分の翻訳と字幕付け作業が続きそうだ。
機械的におこなうわけではなく、それなりに一枚一枚こっていくので、そこそこの時間がかかります。

今日は一日断食、台所に立つ時間もわずかだったので、それなりに作業もはかどりました。


6月16日(火)の記 扉の有無
ブラジルにて


昼過ぎに、ちょいと距離のある火曜の路上市まで歩くことにする。

閉店前の見切り品の野菜や果物が目当てだが、これは同じような時間に行っても波がある。
今日は「大潮」で、エコバッグの、あの部分はなんと呼ぶのだろう…
「吊り部」か。
あそこがちぎれるかと思って抱え込みがちにひーこらの帰路。

荷物の仕切り直しも兼ねて、どこかで一服するか。
さて。
大通りにできたマクドナルドにする。
この時間なら空いている。

マクドナルドでもエコノミーセットなどなら20レアイス未満(邦貨にして600円強)でオッケー。
カフェテリアなどよりは安く済む。

うるさく言えばきりがないが、なによりも小市民にとって手軽な安心感がある。
最近、バール系の店でくつろいでいて、路上系の人に外からたかりに来られたり、ののしられることが続いた。
カネを払ってくつろぎにきて、ののしられたのではたまったものではない。

考えるに、バール系は基本的に、カフェテリアも少なからぬ店は扉がない。
そのため、路上系の人たちのターゲットになりやすいわけだ。

おとなしそうなニホンジンの高齢者は格好なのだろう。

というわけで、午後のマクドで路上市での戦利品を詰め直す。
トレイマット(トレイに敷かれた紙を日本語ではこう呼ぶそうだ)にはサッカーワールドカップのマメ知識が描かれていて、これだけでお得感あり。

以前にも書いたが、ブラジルのマクドナルドは小児がんのために相当な金銭的貢献を続けている。


6月17日(水)の記 沖縄だより
ブラジルにて


日本からのSNSで衝撃。

ソースは16日付『琉球新報』の一面記事。
「辺野古沖転覆の死亡船長が性暴力 被害女性が証言」。
もとの記事の一面の部分は無料で読めた。

署名記事であり、Yahoo!ニュースでも本日付で配信されている。

ショックである。
死亡した金井創牧師についてはお会いした時のこと、著書の一節などを僕は紹介してきている。
共に亡くなった女子高生は救命具が船に絡まったための溺死、と報道されている。
しかしベテランの船長の金井さんがなぜ溺死したのかは、いまだ発表が見当たらない。

金井さんとも接点のある沖縄と東京の友人知人らに連絡をする。
「キリスト業界」の闇を感じざるを得ない。

鶴田浩二の『傷だらけの人生』の歌詞が浮かぶ。
「右も左も、真っ暗闇じゃございませんか」。
この歌の発売は…
西暦1970年12月25日か。

当時の世相の右も左も真っ暗闇だったとすれば、なんだか少し気が休まるが。


6月18日(木)の記 今日という日に
ブラジルにて


今日という日は…
沖縄のひめゆり部隊に解散命令が下された日。
あえてそれを最初にあげる。

昨日から医療機関通いが始まる。
今日は午前6時前のメトロに乗車。
冬場なので、日の出前だ。

わが家最寄りの駅は近郊からのバスターミナルにもなっている。
近郊からやってくる人たちでごった返している。

メトロも混み合う。
東京なら、平日でも徹夜飲みした若者たちを電車で散見する時間。
こちらは勤務に向かう労働者たち、そしてビル警備や病院などの夜勤・当直を終えて帰宅する人たちばかり。

昨今は「ブラジル人はなまけもの」といった日本人によるガサツなステレオタイプにあまり接しなくなってきたけど。

医療機関で担当となった看護師は二人とも日系だった。
「今日は何の日か知ってる?」
ひめゆり部隊の話を聞いているわけではない。
日本人移民の日。
二人とも知らなかった。

今日は家人から特命を受けている。
さっとカフェを飲んで帰宅。


6月19日(金)の記 リバ通い
ブラジルにて


今日も早朝から医療機関へ。

帰りにまた朝のカフェでも。

今週火曜のこの日記で「扉の有無」について書いた。
カフェ飲みの店を選ぶとき、安全性を考慮して扉のある店に傾きがち、といった内容。

もうひとつ扉ありの店を選ぶ季節の事情があった。
ブラジルは暦では今月21日に冬至を迎えるが、すでに冬日和だ。
この時期に吹きさらしのところでは、一服にならない。

昨日のカフェは悪くはなかったが、入り口部が奥行きに比べて広いので、そこそこに寒かった。
その手前の店は、奥行きもある。
手前にしよう。

昨日の家庭の特命は、今日に持ち越された。
この数日、これが懸念だった。
が、案ずるより産むがやすい。
おかげさまでぶじ終了しました。

ちなみに「リバ」はこちらの若者用語でリベルダージ:東洋人街のこと。
日本人一世がこれを口にするのは、いまだお耳にかかっていないけど。


6月20日(土)の記 食べ放題の店で客に食べ過ぎられないための必殺技をみた
ブラジルにて


日延べになっていた家族のお祝い事で。
歩きで少し距離のあるジャパニーズレストランの食べ放題・プレミアムコースをフンパツ。
プレミアムは、生ガキやデザートなどもあり。

まずどれとどれがいるのか店員に聞かれたのにこたえるのだが、数がやたらに多い。
量はいずれもひと口ふた口程度なのだが。
カキも、アサリのサイズだった。

して、リピートをオーダーすると…
遅い、どころかオーダーを落としていることしばしば。
客がうんざりするのを待つ作戦か。

トイレに立つ。
トイレの近くで店員がおしゃべりに興じて、こちらを見向きもしない。
男女共用で、個室がひとつあるのみ。
なかが強烈だった。

ブラジルではトイレットペーパーは流さずに屑籠に入れるのだふつうだが…
使用後のペーパータオルも含めてカゴからあふれて床に散らばり、しかも床は水浸し。
便座が閉まっているので、あげてギョーテン。
流れていないのだ。
フラッシュボタンを押してもほんの細流が流れているかいないか。
「内容物」はビクともしない。

手洗いの水道も同様。

息を止めて小用を足す。

出て、いまだおしゃべりを続ける女子店員に、
「流れないよ」
というと、
「ずっとですよ」
でオシマイ。

して、食欲が絶えた、どころか吐き気まで催す。

席に戻って家人に言うと、自分は上の階のを使った、という。
階上があってトイレがあるとは知らなかった。

こういう店で出しているナマものは、やばいかも。


6月21日(日)の記 主日のDVD
ブラジルにて


ブラジルの今日は冬至。
冷え込みは容易ではないが、明日からは日が長くなる一方だと思うとなんだかうれしい。

ポルトガル語で日曜は、domingo。
ブラジル生活で、ごく最初に覚えるポルトガル語のひとつだろう。

なぜドミンゴというのだろう?
ウルトラ怪獣にドドンゴというのがいたが、関係はあるのだろうか?

検索してみて、ラテン語の「主の日」からきていると知り、納得。

午後、わが家でひとりとなり、久しぶりにDVDを見ることにする。
『二つの国策差別に翻弄された父母への想い 奥間政則』、「『隣る人』工房」制作。
主人公の奥間政則さんの言動を通して、ハンセン病差別、南西諸島の軍事化拡大を告発する。
わがドキュメンタリーもなかなかに地味だが、それに勝るとも劣らない地味なつくりに、なんだかホッとする。

ハンセン病の問題と南西諸島の軍事化問題が奥間さんを通して違和感なくつながっていく。
在沖縄の奥間さんは自分と両親の過去を探るため、奄美を訪ねる。
奥間さんの幼少時代のお世話をしたカトリック修道会の老シスターが登場するのだが、ぞくぞくするものを感じるシーンだった。
テレビドキュメンタリーなら、宗教だからとカットされかねないシーン。

日本の社会の弱者たちが、いかにカトリックの修道者に生かされ、育まれたかはもっと知られてよさそうだ。
真逆の例外も含めて。

このDVDは訪日時に友人にいただいた。
値段は3000円とある。
DVDのパッケージとしては高い金額ではないが、日本の庶民にとっては決して安い価格ではない。
それをオカムラのためになるだろうと考えて、身銭を切って贈ってくれた友の厚情が冬至の冷え込みの主日にあたたかい。


6月22日(月)の記 ふたたび朝のリベルダージ
ブラジルにて


今朝は8時前からノートパソコンで作業。
と、電話。
ここのところ通っている日系の医療機関から。

土曜の朝にわが身に装着した測定機器を至急、返却せよとのこと。
これは24時間の測定だが、日曜は先方が休みなので、月曜の営業時間に返却するように言われていた、と記憶する。

そのため、午後イチで返却してその後の予定までたてていたのだが。

先方は次の使用者が控えているので、至急返却を、と言う。

家人は返却が遅れると、罰金を請求されるかもしれないという。
この医療機関で少なからぬ書類へのサインを要求されて、いちいちチェックもしていなかった。

押っ取り刀で、東洋人街の医療機関に向かう。
僕に機器の返却時間を告げた日系四世だという看護師に、返却のルールについて確認しようと思ったが、彼女は不在。

いずれにしても「罰金」は取られずに済んだ。

今日は一日断食。
朝から混み合うリベルダージ広場に面したカフェで、ハーブティーをいただく。


6月23日(火)の記 『トマス・アクィナス』の読みどころ
ブラジルにて


岩波新書『トマス・アクィナス 理性と神秘』、山本芳久さん著。
佐々木治夫神父についてアウトプットするうえで、これぐらいは読んでおきたい。
生前の神父さんからトマス・アクィナスのことを聞いた覚えはないものの。

奥付を見ると西暦2017年末の発行。
パンデミック前の訪日で買ってブラジルに持参したのだろう。
何度かチャレンジしては冒頭の数ページで挫折していた。

「トマスの著作群は、西洋の偉大な哲学者のなかでも群を抜いて膨大であり、専門の研究者であっても、そのごく一部しか読んだことがないというのが実情だ。」(前提書より)
これはおもしろい。
黒澤明監督の遺した監督作品は少なくないが、これを全部見ていない黒澤研究者というのはお話にならないと思う。

とはいえ、入門書であるこの本でもわが理解がなかなか追い付かず…
楽しみとしてではなく、大げさかもしれないが、苦行としての読書。
…新書一冊だ、がんばろう。

ようやく余すところわずかとなった。
午後のマクドナルドで読み終えるか。
店はがらがらだったが、六月まつりの音楽を大音響でかけ流している。
…どうにも集中できない。

拙宅に戻って読み終えるか。
トマスからの、さすがにマックで読み終えるなよ、というメッセージか。


6月24日(水)の記 AIMÉ-ADRIAN TAUNAY
ブラジルにて


サンパウロ大学で開催中のラングスドルフ探検200周年記念展が明後日で終わる。
今日は関連映画も上映とのことで、メトロとバスを乗り継いで行ってみる。

ラングスドルフはドイツ生まれで、ロシア帝国に仕えた博物学者。
西暦1804年にレザノフの通詞として長崎にも来航している。

西暦1826年から三年がかりのブラジル探検と今日の状況を複眼でとらえた展示。

自分のテレビ屋時代のいんちき探検ものが情けなくなってくる。
改めて反省。
あの状況で、どうしようもなくて、などというエクスキューズは自分でも聞きたくないのだけれども。

探検隊に絵画記録係として同行したパリ生まれのAIMÉ-ADRIAN TAUNAYの作品が目を引く。
彼は15歳にして世界周航の同行スタッフに抜擢される。

そしてラングスドルフ探検にも参加、25歳の若さにしてマットグロッソ州のアマゾン上流のグァポレ川で溺死していた!

25歳までで今日に伝わるこれだけの仕事を遺している。
惜しい。
さぞかし無念だったろう。

今晩、ワールドカップのブラジル戦があるせいだろう、帰路はかなり混み合う。
学園都市内のバスは満員で乗車できず、次を待つ。
彼を身近に感じながら、帰宅の途につく。


6月25日(木)の記 IN-EDIT BRASIL
ブラジルにて


熱かった環境映画祭が終わってヤレヤレというところに...
IN-EDIT が始まってしまった。

世界中の音楽がらみのドキュメンタリー映画を一挙に公開。
よくも毎年これだけ集めるものだ。
しかも、タダ!

ワタクチはオンチの方だが、これが意外な掘り出し物がある。
出遅れているうちに、28日まででもう終盤となってしまった。

緊張感のともなうダウンタウンの古い映画館での一本をチョイス。
『Dona Onete-Meu Coração Neste Pedacinho Aqui』、ブラジル国産作品。
大アマゾン河口部のパラー州で活躍するミュージシャン、ドナ・オデッチの歩みといまを紹介。
ドナ・オデッチや教員や組合活動家を経て世界的に知られるミュージシャンとなった。

色気というのとは別の、陽気な人柄と気迫が画面から伝わってくる。
そしてパラー州ならではの文化と景観。
僕のようなオンチでもじゅうぶん楽しめた。
この日本の夏に祖国で公開されるというブラジル映画より、百倍はおもしろかった。

さあ帰りにお気に入り認定したダウンタウンの老舗のカフェテリアで一服。
IN-EDITは紙版の冊子のプログラムも用意してくれていた。
ラテアートを楽しみながら、この冊子をめくっていく。

世界中の音楽ドキュメンタリー…
今年は日本はおろか、アジアのものは見当たらないようだ。
さて、もう一本ぐらいみておこうかな。


6月26日(金)の記 北海道のタケノコ
ブラジルにて


わが家の近くで。
邦人の友人知人三人と、まずはコーヒー。

ひとりは僕より年配の女性で、北海道の離島の出身。
島への郷愁を語る。
その島にはどんな産業があったのか、聞いてみる。

「…タケノコの缶詰工場とか...」
「え、タケノコ?どこからか運んでくるんですか?」
「島で取れるタケノコですよ」

その島は北海道でもかなりの北である。
故・佐々木神父の竹プロジェクトもあり、僕なりに日本のタケにも関心を持ってきた。
タケノコの活用できる竹の生育は東北でもむずかしいはずだ。

もうひとりが、北海道のクマザサのタケノコの食用について聞いたことがあるという。
あのクマザサのタケノコが食用になるというのは知らなかった。
長野でクマザサの薬用加工をしている施設は訪ねたことがあるのだが。

離島のタケノコも、「僕ら」が想像するタケノコよりはだいぶ細くて小ぶりのもののようだ。
彼女は「内地」のタケノコを見て、こんなのはタケノコではないと思ったという。

帰宅後、検索。
その島のタケノコはチシマザサ、ネマガリタケとも呼ばれているものと判明。
地元では姫竹とも呼ばれている由。
ネマガリタケは、秋田で煮ものをごちそうになったことがある。

クマザサは…
北海道ではこのチシマザサがクマザサと呼ばれることもある由。
薬用のクマザサとまぎらわしい。
して僕の知るクマザサの方は、葉に白い隈取りがあるからクマザサと呼ぶとな。
プーサンとは「他人」の空似だった。

植物学的にいうと、チシマザサもクマザサも同じSasa属。
チシマザサはSasa Kurilensis、クマザサはSasa veithiiとな。

さすがに今や北海道の離島のタケノコ缶詰は製造していないようだ。

島出身の女性にそのお味のほどはブラジルのpalmito:ヤシの芽に似ていないかと聞いてみる。
遠からず、の由。
ますますいただいてみたくなる。


6月27日(土)の記 アフリート
ブラジルにて


さあちょっと思いきるか。
東洋人街:リベルダージの袋小路にあるCapela dos Aflitos(苦悩のチャペル)の改装記念の「インカルチュアルな」ミサが午前10時からあるという。

これは参加する責任のようなものがあるかもしれない。

このチャペルはNossa Senhora dos Aflitos、「苦悩の聖母」を祭っている。
創設は西暦1779年。

当時このあたりは先住民、逃亡黒人奴隷、近くの処刑上で処刑された遺体の埋葬地だった。
ミサの神父の言葉を借りれば「尊厳なく」埋葬された人たちの墓地である。

20世紀前半に契約した農園を抜け出した日本人移民らがこの一帯に住み着くようになり、東洋人街と呼ばれるようになり、先住の人たち、先に埋葬されていた人たちのことを「上書き」してしまった。

袋小路はサンバチーム、アフロ系宗教の人たち等々が密集。
「今日は黒人を優先します」のアナウンス。

10分単位のスケジュールがSNSにあげられていたが、なかなかの混沌。
ミサの開始は、2時間遅れ。
「インカルチャルなミサ」ではエウカリスチアや聖体拝領などのミサの核心部分は省略された。
それでも1時間以上。

座席数20のチャペルのなかではなく、屋外の袋小路で行なわれた。
炎天下、3時間あまり立ちっぱなし。
尊厳なくこの地に打ち捨てられた人たちを想え。

そうした過去とは無縁に「日本移民スゴイ」の自己PRに酔う日本人移民の姿は…
唯一、当地の邦字紙の記者をつとめる友人がいた。
彼はこれまでもここのことを書いている。

とりあえず、ひとりではなかった。

「ミサ」は11時過ぎには終わるだろうと思って組んでいた今日の予定は、がたがたとなる。
カラダもがたがたの手前となった。


6月28日(日)の記 グレゴリオ
ブラジルにて


ちょっと思いきって。
午前10時からのベネディクト修道会本部大聖堂でのミサに行ってみるか。
日曜のこの時間はグレゴリオ聖歌が修道士たちによって歌われる。

日曜のメトロは一本のがすと、間がある。
中心街の大聖堂着は10分前となった。
うわ、すでに人でごった返している。
空席どころではない。

立錐の余地もないとまではいかないが、昨日も三時間以上の立ちんぼだったし。
この人ごみのなかでこれから一時間以上、立ったままとは、いやはや。

修道士が撮影禁止と告げているのに、ミサ中にスマホで撮影を始めてガードマンに制止させられる人が複数。
イエスの癒しを切望して禁じ手を使う人を想い出したり。

これまでナマのグレゴリオ聖歌に接したのは未明の聖堂だったせいか、日中のごった返す時空の故か、いまひとつ琴線にまでは響かず。

スマホ撮りはともかく、集った人々は立ち居振る舞いからミーハー観光客というよりカトリック信者ではあるようだ。

ミサ後に近くの老舗のカフェで、遅い朝のコーヒーをともくろんでいたが…

日曜はひとり80レアイス、約2500yenのブランチと聞いて見合わせる。

セー大聖堂まで歩いて、より大衆系の店でオレンジジュースとハンバーガーをオーダー。


6月29日(月)の記 『秋刀魚の味』から
ブラジルにて


(この日の日記を書くのに、映画のセリフを探して…
ようやく見つけました、やはり『秋刀魚の味』だった。
内田樹さんのウエブサイトからセリフ部分をコピー。)

「負けてよかったじゃないか」
「そうかもしれねえな。バカな野郎がいばらなくなっただけでもね」
小津安二郎監督『秋刀魚の味』から。

こっち時間の午後2時から、ワールドカップのブラジルⅹ日本戦。
やれやれ。

多くの店はその前に閉まる。
夕方、街を歩くと新たに開けている店もちらほら。

今日は聖ペドロと聖パウロの祭日である。
それに合わせたわけではないのだが、ここ数週間とりくんでいた『佐々木治夫神父の回廊』をようやく完成させる。
まずはクリチーバのブラジル純心聖母会のシスターにお目通しをお願いする。

こんな日だが、さっそく視聴していただき、特に間違いもなく、喜んでいただけたようだ。

この日のうちにYouTubeで公開設定にしよう。


6月30日(火)の記 ロンドニアのロブスタ
ブラジルにて


水牛のミルク製のムッツァレーラチーズを買出しに行って…
帰りに意外な店を見つけた。

ピンクに塗った壁に、黒い羊が描かれている。
ヒツジの手にはコーヒーカップ。
この店、ひょっとして?

ここのところ、コーヒーについてにわか勉強をしているので、ナルホドと思う。
コーヒー豆の販売店で、カフェテリアにもなっている。
ブラジル産のおもしろいコーヒーを何種も置いている。
うーむ、これはメニューを見ても迷う。

まずは伝統的なブラジルのミルクコーヒー・ピンガードをオーダー。
これも調べると、なかなか定義は多様。
この店は濃いめに抽出したコーヒーにだっぷりと熱々ミルクをガラスの「アメリカンコップ」と呼ばれるのに注ぐ。
これが実にうまい。

店で豆売りされているのを見ると…
アマゾンロブスタというのがあるではないか。

コーヒーにはアラビカ種とロブスタ種がある。
近年ではブラジルでも質的に劣るとされていたロブスタ種の栽培が増えている、という報道に接していた。
ここで売られているのは西アマゾンのロンドニア州産だ。

これをストレート、ドリップで追加オーダー。
ロブスタ種のコーヒーをそれと知って飲むのは初めて。
お味のほどは…
正直、よくわからない。
特に美味しくもまずくもない、といったところか。
アラビカ種のものと、同時に飲み比べてみないと。

まあ、今日はこの辺にしておきましょう。

ブラジルでのコーヒー栽培の歴史…
アマゾン地方に分類される仏領ギアナに導入されたコーヒー栽培は、禁制をくぐってブラジルに持ち込まれる。
まずアマゾン河口部のパラー州で栽培されるが、ほどなく栽培地は南下して、アマゾンで根付くことはなかった。

ロブスタ種について調べてみると、アラビカ種の苦手な高温多湿にも耐える、とある。
そもそもロブスタ種の栽培は20世紀のはじめの由。

あらためて検索。
人類のコーヒー利用の起源として知られるエチオピアの「牧者」カルディは、羊飼いではなくヤギ飼いだったのか。
そもそもヒツジとヤギはどう違うのか?

この店の名はOVELHA NEGRA、「黒いヒツジ」なのだが…
9世紀の人とされるカルディについて調べてみると、ヤギ飼いないしヒツジ飼いとのこと。
ヤギとヒツジは交尾もして、まれに子供も生まれるという。
ヤギもヒツジも、アラビカとロブスタも交配する。

ややこしくなってきたのでこの辺にするが、門外漢なりにブラジルのコーヒーの博物誌がより見えてきた感じ。







 


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