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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2026年の日記  (最終更新日 : 2026/10/11)
7月の日記・総集編 39年目のビデオレター

7月の日記・総集編 39年目のビデオレター (2026/07/06) 7月1日(水)の記 東洋人街のパンパン
ブラジルにて


所用で、東洋人街へ。
以前にも目についたが、カタカナで「パンパン」と書かれた店ができた。
「PanPan」とも書かれていて、ポルトガル語のパンはPãoだが、軽食やコーヒーを出す店らしい。

インスタの「今日のアート」シリーズ候補にと写真を撮っておく。
お店で撮り逃げはやめましょう、というメッセージを拙作『リオフクシマ2』にも盛り込んでいる。

ガラス戸越しに見ると客らしい人影は見えない。
が、思い切って入ってみる。

飲み物、スナック類の他にランチもあるという。
トンカツのランチ、値段を聞くと東洋人街にしては低価格だ。
頼んでみる。

席に着くが、どうも店内にあまり好ましくない臭いがある。
「嗅ぎ覚え」のあるニオイだが、それが思い出せない・・・

そうだ、揚げ物を繰り返して換気の不十分な店の臭いだ。
東洋人街のあのカラオケ屋、あの食堂…
慣れるとわからなくなるのだろうか。

しばらくして出てきたランチは…
ドンブリに日本式のご飯を盛って、線キャベツ、黒ゴマ、トンカツソース、切ったトンカツが乗せられている。
それと小皿にトンカツソース。

うーむ、味噌汁・小鉢は無理でもなにか漬物類が欲しいところ。

給仕してくれた非日系のアニキが経営者だという。
日本に行ったことはないが、日本語を勉強した由。
店名の由来を聞いてみる。
深く考えたわけではないが、なにか意味があるのでしょうかと逆に聞かれてしまう。
黙っていようかと思っていたが、ふつうにニホンゴを学習していては縁のなさそうなコトバなだけに、背景も含めて解説しておく。

店内にポストイットのメッセージ欄があり、ポルトガル語の他に中国語、ハングル、そして一枚だけニホンゴのを見つける。
このあたりは大学がいくつもあるので、この「パンパン」も学生がターゲットのようだ。

大学は7月は休みに入り、冬場で扉も閉めているので、よけい油の臭いがこもったのだろう。

以前にも調べているのだが、あらためて「パンパン」の語源を検索。
諸説あるが、どうもよくわからない。

老日本人移民や老日本人観光客が、勘違いして入店することがないといいけど。


7月2日(木)の記 塩のあまみ
ブラジルにて


医療診察や検査が重なる。
今日はどんな判決が、と落ち着かなかったが、いましばらく経過をみることになった。
いやはや。

して、明晩からは病院泊りでの検査。
それに備えた食餌制限のはじまり。

昼は、薬味類なしの素麺。
夜は、白ご飯にわずかに塩をかけて。
わが家にはけっこう世界各地の塩がある。

まずは、沖縄の「粟國の塩」で。
なんだか甘みを感じたり。

検索してみると、土佐の高知では、あまみをウリにする塩を生産販売していた。

粗食というか、素食はグルメに通じるなと思う。


7月3日(金)の記 点滴の天敵
ブラジルにて


明朝からの検査に備えて、今晩から病院で一泊となった。
久しぶりの外泊であり、病気やケガでの入院でもないので、ちとルンルンしていたのだが...

ナメてはいけなかった。
検査のためのいろいろな準備があるとはこころえていたが、点滴までされるとは思わなかった。
しかも深夜に点滴をしたまま、運動のため病院の廊下での歩行を要求される。
狭い廊下を、他にも二人が点滴スタンド(このコトバを検索して探し当てる)を転がしながら歩いているのに混ざって。

そこそこの運転技術を要す。

せっかくだがらケータイを持って歩行数をはかるか。

なにを読もうかと厳選した本を持参したが、横になれる間もとても本を開く気にはなれず。
テレビをつける。

日本では石油危機とナフサ等の不足から使い捨て注射器や点滴等の医療機器も不足するといわれて数か月になるが、ここのところSNSでの続報が乏しいな…


7月4日(土)の記 麻酔で、すいません
ブラジルにて


ろくに眠れないまま、病院で朝を迎える。
寝台に乗せられたまま、検査室へ。

麻酔の注射。
ひょっとすると、このまま…
と考えている暇もなく。

気付くと、もう検査は終わったという。
大きな問題はなかったようだ。

「なにもかも化石になってしまった。」
井上靖原作、小林正樹監督の『化石』を想う。

なにが起こるかわからないので、昨晩から家人が付き添い。
病院で、朝食をいただいて。

すでに開いていた近くの書店で、思わぬ本を見つけて購入。

月に二度の東洋人街の「青葉まつり」の朝市に行ってみるが、時すでに遅し。

さあおうちでゆっくいしよう。


7月5日(日)の記 冬の鰆
ブラジルにて


昨日、麻酔を受けたので、三日程度は運転等を見合わせるようにとのことだったが…
特に影響を引きずっていないようだ。

今日は日曜でもあり、さしせまった必要もあって軽く運転。

ぶじに帰宅後、路上市へ。

魚屋さんで、サワラをすすめられる。
買い。

夜にいただこう。
まずは、サシミ。
アラはショウガと醤油で煮て。

先日、家族で行ったブラジリアン二ホンレストランで、ハヤトウリがサシミのツマにされていた。

これがわるくない。
わが家の冷蔵庫に相当の期間、使いそびれていたハヤトウリがある。
今日これを二度目のツマにしてみるが、まだまだいける。

ブラジルの内陸部では、よくキャベツがサシミのツマにされていたっけ。

夕方よりワールドカップ、ブラジルXノルウエー戦。
ブラジル敗退。

やれやれ。
四年後はどうしているかなあ。


7月6日(月)の記
39年目のビデオテープ

ブラジルにて


しなくてもいいことを、また増やしていく。
先週はこれのブツ探しでだいぶ時間を費やした。

39年前にこちらで撮影したVHSとVideo8のビデオテープ。
オリジナルはあるが、すでにわが家では再生機がない。

これを、他のものも含めてパンデミックはなやかしき頃にこちらの業者でDVDへのコピーを頼んだ。
数があったので、ネットで調べて低価格優先で、こちらから持ち込みのできる場所にある所で…

メトロの駅から数分歩くところのビルの一室のところ。
数日おいてできあがったとの連絡があるが、そのオフィスでは完成版のDVDを確認する方法もない。
帰宅してから、まず入り用のものを再生すると、音声がない。
こんな調子で何度も通うことになった。
オリジナルに傷をつけられたりなくされるのが心配で、途中であきらめていた。

そのオフィスから、どこかいいかげんな仕事をするシロートに作業を任せているのだろう。
この度、必要となったものを発掘して再生してみると、画角がでたらめで、画質も悪すぎる感じ。

ということで、新たに業者を検索…、
2軒ほどに電話で確認。
そこそこ悩むが、値段は割高だが、すぐに作業が可能、というところにかけてみることにした。

これが当たり。
ありがたや。
自宅のスペースで、この仕事を40年続けているというジョゼさん。
こちらの立会いの下、きちんとテープを確認しながら作業をしてくれた。

これより後に撮ったビデオテープで完全にいかれたもの、10数年前のものでもオシャカになったオリジナルテープは少なくない。

これは僕には奇跡の部類だ。
さあこれをさらに編集せねば、とうれしい悲鳴。


7月7日(火)の記 魔法使いの日記
ブラジルにて


所用で、東洋人街に出る。
想えば、ほんらいは今日が七夕だな。

しかしここでは七夕はさる週末で消費しつくしてしまった観。
先週は、安くはない値段で「公式短冊」まで売られていたけど。

はからずも邦題『星の巡礼』の文庫版を持参している。
どこかでカフェと共に少し読み進めようと思っていたが、ちょうど昼どきになってしまった。

いったん戻るか。

パウロ・コエーリョの処女作『 O Diario de um Mago』、直訳すると「魔法使いの日記」だが、これが大胆にも『星の巡礼』と訳された。
「魔法使いの日記」で検索してみると、日本のアニメの主題歌がヒットしてしまう。
こころみに聞いてみるが、ニホンゴなれどもほとんど僕には聞きとれない。

コエーリョの作品はポルトガル語で書かれたが、日本での翻訳は英語版からなされた由。
そのせいか、ブラジルのことが書かれた冒頭から訳語に違和感あり。

今度、本屋でポルトガル語版を探してみよう。


7月8日(水)の記 重い本
ブラジルにて


午後、訪日から戻られた方とカフェテリアでお会いする。

お貸しいただけるという本を3冊も持参され、うち2冊はかなりの重量だ。
スウェデンボルグとスンダル・シングの評伝。

もう1冊は薄いがハードカバーで、教皇レオ十四世の『使徒的勧告 私はあなたを愛している 貧しい人々への愛について』。

読み込むべき本がたまっているところだが、厚い方の2冊は急ぎませんとのこと。

現教皇のこの本は佐々木治夫神父について考えるうえでもタイムリーだ。
まずこれを優先して読みましょう。


7月9日(木)の記 マルゲリータ
ブラジルにて


今日はサンパウロ州の祝日。
今日から日曜まで連休とした市民も少なくない。

ワタクチは毎日が日曜みたいなものだが、それでも家族が仕事休みの祝日は格別。

さる月曜に古いビデオテープのデータ作業をお願いしたジョゼさんは、両親ともイタリア人。
彼は週に三回はピザを食べるという。
うち二回をデリバリーで頼んでいるというピザ屋を紹介してもらった。

検索してみると、昼の営業はなく、今日の祝日も夜は営業しているようだ。
家族を言い含めて、行ってみる。

ちょっと最寄りの駅から歩くけど。

これがいい店だった。
値段もばか高くはなく、スタッフも気持ちがいい。

まずはジョゼさんおすすめのマルゲリータから。

カシューアップルのカイピリーニャを頼むと、冷凍モノではないナマの果実を刻んで入れていた。

しめて三種のピザをいただくが、いずれもメリハリがあって、生地もよろしい。
スーパーの冷凍モノとは、別次元の食べものだった。

開店早々から行ってみたが、家族連れ、車椅子の老人等々、客層を見ていても市民に愛されている店だというのがよく伝わってきた。


7月10日(金)の記 MAGOにも衣装
ブラジルにて


ふたたび『星の巡礼』のこと。
サッカーの試合経過のような経緯で、パウロ・コエーリョを読むことになって。

パンデミック華やかしき頃に買ったポルトガル語の『A ESPIÃ』、マタ・ハリを主人公としたのを発掘したものの・・・

ポ語のものだと、恥ずかしながらいまだに語学のテキストとなってスラスラとはいかない。

日本から担いできた文庫版の『星の巡礼』も発掘。
西暦1998年の再版のものだが、どうも読んだ覚えがない。

冒頭からブラジルの記載ではじまるのだが、ブラジルの地名表記にびっくり。
これのオリジナルはポルトガル語だが、この日本語版は英語版から訳した由。

原題は『O DIÁRIO DE UM MAGO』だというのもびっくり。
直訳すると「魔法使いの日記」。
七夕の日に書いたが、いま、このコトバを検索するとアニメの主題歌が出てくる。

「魔法使い」と訳されるMAGOというのが日本語に訳し込みにくい。
これは調べたわけではないが、「マジック」と語源が一緒だろう。

クリスマス、イエスの誕生の時に貢物を持った三人が東方から訪ねてくる、という記載が『マタイによる福音書』にある。
この三人はポルトガル語でMAGOなのだ。

日本語では「東方の三博士」「東方の三賢人」と訳されて、決して「魔法使い」ではない。

日本語に訳し込めないところにこそ、エッセンス、醍醐味が堆積しているなあ。


7月11日(土)の記 ブラジルの田舎カレー
ブラジルにて


昼は家族で、どこか近くで外食、という話になった。
土曜恒例のフェイジョアーダでも、と願うが…

大通りの向こうにある日系人の経営する食堂、という声に押し切られる。
ここは土曜は定食がある。

ここの時は僕はこれまでトンカツ定食を頼んできた。
今日はカツカレーというのがあり、これにするか。

ほう、だいぶ紅ショウガを乗せてきたな。
カツはいいのだが…
カレーがちょっと…

いわゆる田舎カレーの味。
カレー粉とうどん粉を溶いて、ニンジンとジャガイモ、肉片を煮たやつ。
さまざまなスパイスや隠し味、長時間いためたタマネギの味わいを楽しむというのとは、かなりの距離がある。
ブラジルでもルー登場までは、日系人はこういうカレーを食してきたのだろう。

いまやブラジル製のカレールーもあるのだが。

うまいカレーが食べたくなった。
わが家の近くに僕より若いだろう日本人のはじめたカレー専門店がある。
開店したのはパンデミック直前で、継続を危ぶんだものだ。
いまや非日系人たちが集って平日でも行列ができるようになった。

行列につくぐらいなら、自分でつくる方がいい。


7月12日(日)の記 セラ・ド・マールの法要
ブラジルにて


ふたたびブラジルのパウロ・コエーリョのデビュー作、邦題『星の巡礼』、山川紘矢+山川亜希子訳、角川文庫ソフィア版から。

冒頭のプロローグの最初のページに「セラ・ド・マール」とそのままカタカナ表記された地名がある。
大半の日本語読者にはなんのイメージも感銘もないことだろう。

もったいない。
このポルトガル語をそのまま訳せば「海の山脈」。
ブラジルの文脈では「海岸山脈」と訳される。

植生や環境区分を考慮するとMata Atlântica の語が用いられるが、これは直訳すると大西洋の森林、訳し込むと「大西洋海岸森林」とされる。

ブラジルの大西洋岸にアマゾン河の南からラ・プラタ河の北までを走る山脈とそれを覆う植生である。
その多様性、希少性と危機は、アマゾンの熱帯降雨林に勝るとも劣らないとされている。

その概論、ヒトそして日本人移民との関連、取材体験はサワリだけでも日記の範疇には収まらないので、またの機会に。

して今日はサンパウロ市近郊にある仏教寺院で身内の法要がある。
先回はあたりまえの幹線道路ではなく、この海岸山脈を体感するコースをとった。
カーナビなしではお手上げのルート、しかも雨がちとなり、途中の山道では問う僕もあって危うく時間に遅れるところだった。
リスクがいっぱいだが、山を覆うスラム街から野生動物の横断に注意を要する山道まで、実に面白かった。

さあどうしよう。
無難なコースをとるつもりが、今日は時間のサバも読んで、先回と同じ「山ゆかば」とする。

いずれにしろ、日曜の朝の交通量なので助かりました。

「わが巡礼の旅は終わらじ」。
伊豆大島富士見観音開祖・藤川真弘師の遺歌より。


7月13日(月)の記 サンタ・ルチアのお堂はどこ
ブラジルにて


ルーシー、ルシア、ルジア、ルチア。
日本語では歌で知られるイタリア語のサンタ・ルチアがよりなじまれているかな。

イタリアの聖人で、ポルトガル語読みはルジアとなる。
信仰と純潔を守り、西暦304年にシラクサ島で殉教したとされている。

彼女は拷問で両眼をくりぬかれたという伝承がある。
聖ルチアを描いた絵には彼女自身が金の盆に置かれた自分の両眼を持っているものもあり、これはなかなか強烈。
して、ルチアの語の意はラテン語の「ひかり」、ずばりポルトガル語のLUZ:ひかり である。

毎月13日が彼女の祝日で、サンパウロの中心街にある聖ルチアのチャペルの記念ミサの案内がSNSで流れてきた。

感ずるものあり、行ってみることにする。
朝8時半のミサ。
チャペルは西暦1901年落成で、ネオゴチック様式。
125年の時と祈りがかもす空間。
参加者は30人足らずか。

清めの塩と油、十字架が無料でいただける。
今日は記念日なのでコーヒーとサンドイッチの提供もあったが、週一の断食の日でもあり、これは失礼する。

ダウンタウンにあるカトリック系出版社の書店、老舗の靴屋等をまわって帰宅。


7月14日(火)の記 虫たちの恐山
ブラジルにて


午後、少し距離のある路上市まで出て。
野菜や果物、魚に鶏肉まで買ってしまう。
エコバッグの紐が切れないかと心配になる重量となった。

なんだか足も重い。
帰宅後、横になることにした。
かといって眠り込むわけではなく、とはいえ課題書籍はこれも重い。

「積ん読」の棚を開けて...
『大好き、食虫植物』星野映里さん著を引き出す。
学芸大学の流浪堂さんで求めたような気がするが、倉敷の蟲文庫さんのしおりが挟んであった。

著者が偉そうでないのがいい。
斬新な言葉にも惹かれる。
「虫たちの恐山」とか。
虫供養というのは聞いたことがあるが。

「虫たちの恐山」とされたのは食虫植物のサラセニアだ。
てっきり、サラセン:中世ヨーロッパでイスラム教徒やアラブ人を指した呼称
からきた名前だと思い込んでいた。
在カナダの医師・サラザン博士にちなむという。

サラセニアは北アメリカに分布、というのも意外。
拙作『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』で南米のギアナ高地を訪ねた橋本先生が「サラセニアが見えないな」と語っている。

植物学に通じる人から「サラセニアは古い分類名」と聞いて、これまたそう思い込んでいた。

検索してみると、属としてのサラセニアは北米分布の8種だが、科としてはサラセニア科最大のヘリアンフォラ属がギアナ高地のみに自生する食虫植物として知られていた。

西暦2008年発行のこの本では東南アジアのフィールドについては言及されているが、さすがに南米・ギアナ高地には及んでいない。

もう20年以上前だろう、こちらでハエトリソウの鉢植えを買ってきて、枯らしてしまった。
「植物は枯れるからこそ、尊いのでしょう。」というこの本の言葉に線引きをした。
また探してみようかな。


7月15日(水)の記 サンパウロXIXI空港
ブラジルにて


はじめに探し物ありき。

特殊仕様の靴を求めて。
アウトレットというのだろうか、国内線の空港近くの街道にある店に行ってみようと思う。
徒歩で約1時間か。
歩いてみる。

残念ながら望みのものは、なし。
…ショッピングモールの店を見てみるか。

いったん空港まで歩いて、それから公共交通機関を利用するか。

検索してみると、わが家から国内線のコンゴニャス空港まで、4.5キロ。
徒歩約1時間の距離だが、これまで歩いて行ってみたことはなかった。

そもそも日本でも、空港というのはあまり歩いていくところではないだろう。
この空港も町なかながら、なかなかに殺風景なところにある。
うわ、空港の敷地に隣接する歩道まで来ると、激しいアンモニア臭が。
今は見当たらないが、夜間には路上系の人がやってきて用を足すせいだろう。

この空港は西暦1985年にグアルーリョス国際空港がオープンするまでは国際空港としてサンパウロの玄関口だったのだが。
今日の利用者でも、このニオイを嗅ぐ人はきわめてまれだろう。

日本の富山空港が、今月から愛称を富山高山すし空港とするというニュースに接した。
こっちは、サンパウロXIXI空港でどうだ。

ちなみにxixiとは、音はシシ、ポルトガル語では珍しい擬音語ということになるかと思う。
調べてみると、やはりオノマトペ。

オシッコのこと。

して今日は19000歩以上、歩いてしまった。
3月にこちらに戻って以来、最高。


7月16日(木)の記 今日のディテール
ブラジルにて


午後からいくつか所用を組んで外出。
アクリマソン地区へ。

日系カトリック団体の事務所に機関誌の購読料を払う、というのが最初。
木曜のこの時間は知人が在所ということで、この人に伝えたいこともあって。
ところが呼び鈴に応答がなく、電話にも応じない。

...次の行程へ。
先日、ビデオのデータ化を頼んだ業者のところに上着を忘れてしまい、そのピックアップ。
土産物も持って、直接に話したいこともあって事前に連絡を入れてあったが担当は散歩に出ているとのこと。

さて、せっかくここまで来たし。
靴探しで、ネットで探したアウトレットの店までバスで行ってみることに。
その近くの教会で、先日お参りした西暦1936年にあらわれたイエスの「聖顔」も拝めるし。
少し道に迷い、教会に先に寄ってからアウトレットへ。
アウトレットには僕の希望のものはないが、近日中に取り寄せるという。

帰路の交差点で、女児二人を連れた母親が、キャンディーを買ってくれと言う。
3箱で10レアイス、300円強。
ポケットには5レアイスの札しかないし、こうした出費もそれぐらいにとどめたい。

ひと箱なら4レアイスだが、5レアイスでおつりはいらないでしょ、と言われる。
先方からこう言われるのは苦手である。
それなら買わないよ、と言うと、女児がじゃあ5レアイスちょうだいよ、と当然のように言う。
物売りが高飛車の物乞いに変貌。

こういうのも苦手だ。
後味はよくないが、振り切って去ることにした。

リターン型のクラファンならとお金を出す気になったものの、先方のオファーするリターン品がないから寄付としてカネを出されたし、と言われたようなものか。


7月17日(金)の記 クルシーノ大通りのおばちゃん食堂
ブラジルにて


お気に入りの靴はインターネット通販にはあるのだが、どの店も実店舗がサンパウロ市内にないところばかり。

靴のネット買いのグーグルでのクチコミは、非常によかったと非常に悪かったに極端に分かれる。
大きさなどばっちりなら御の字だろうが、返品や交換となると、その手間だけでもかなり煩瑣なことになろう。
どうもここ一番の靴までネット買いというのは躊躇中…

して今日は、地図検索で見つけたもうひとつの紳士靴のアウトレット店に行ってみることにする。
クチコミの評判も、まずまず。
地下鉄を乗り換えて…
「紳士靴」の検索で上部に表示されたのだが、行ってみると「婦人靴のみ」。
いやはや。

あまり知らないところを歩くのは、嫌いではない。
ここから2キロ圏内ぐらいの「紳士靴」の店を検索して、行ってみることにする。
...ひと通りNG。
近くのショッピングモールをのぞいて戻ることにする。
このあたりで昼食をいただくか。

夕方にビールやカイピリーニャをあおるにはよさそうな店はいくつかあったが、食堂は意外なほどなかった。
スマホで検索しても、これといったのがない。

通りの向かいに大衆食堂風の店が見えるが、グーグルマップには記載なし。
せっかくだから行ってみる。

間口は狭く、奥に長い店。
金曜の魚定食があり、魚種はメルルーサだという。
値段は大衆価格としても安い方。
今日もだいぶ歩いたし、瓶ビールを一本つけよう。

メニューはミナスとバイアの味、とある。
いずれもブラジル中部の州で、どちらの郷土料理もよろしい。
オーナーらしいおばちゃんがてきぱきと仕切る。

近くではたらくブルーカラー系の人、老人が主な客層かな。
と、サンダルの鼻緒がとれてしまった母親と年頃の娘が駆け込んでくる。
おばちゃんはクリップを使って修繕にかかる。

今度はきちんとした身なりの家族がやってきた。
おばちゃんや店のスタッフと顔見知りのようで、盛り上がる。

こっちの頼んだ料理もよろしい。

このお店が、地域にも、僕も含めたたまたまのパッセンジャーにも愛されていることをひしひしと感じる。

もうちょっと近かったら、ワタクチは常連だな。


7月18日(土)の記 靴辱の日々
ブラジルにて


週末にはこちらの希望のものを仕入れて連絡する、といった靴のアウトレット店からも連絡はない。

インターネットではいくつも見当たる靴が、実店舗では見当たらないというのも面妖だ。
今日はメトロから二駅ほどのところにある靴屋に行ってみることにする。
写真で見ると雑然としていて、ひょっとして、という希望あり。

オーナーらしいおばちゃんがひとり。
こちらの希望を伝えるが、それはない、これにしなさい、履いてみなさい、と気乗りのしないものを執拗にすすめてくる。

そもそも靴というもの、アカの他人が試し履きしたというだけでも気色がわるい。
試し履きは固辞して、「ありがとう」と御礼を言って店を出たのに、不機嫌になったおばちゃんにはガン無視される。
二度と来ないよ。

ちなみに、ブラジルの紳士靴の大半はサンパウロ州北東のフランカという町で製造されている。
南米各国などに輸出もしている由。
靴のインターネット販売も、この町のメーカーが地元以外に実店舗を持たずに運営しているものが多い。

この町まで行くことも考える。
クルマで片道5時間程度か。
高速料金だけでも数百レアイスかかる。

バスだと…片道150レアイス(4500円強)以上の料金。
しかも直行便は接続がわるく、現地一泊となると安い宿で200レアイス近く。
こういうばかな旅は嫌いではないが、ちょっと他のあれこれもあってむずかしいかな。


7月19日(日)の記 今日の持ち寄り、そしてヴィムヴェン
ブラジルにて


こちらの身内の家で、昼にシュラスコ:バーベキューをすることになった。

なにを持ち寄るか…
自家製漬物数種に、魚のカルパッチョということで。

路上市に魚と野菜類の買出しに。
サシミにいい魚はアジをすすめられる。

下ごしらえをして、出発。

サンパウロ市のはずれだが、塀に囲まれた空には雲ひとつ見えない。
赤系の壁の色と紺碧の空。
ヴィム・ヴェンダースの写真集を想い出す。

帰ったら発掘してみよう。
あった。
『WRITTEN IN THE WEST』、学芸大学の流浪堂さんで求めた英語版。
かつて付箋を貼り、線引きしたところを反芻。

そうか、この写真集は映画『パリ、テキサス』のロケハンの時の所産なのだったな。


7月20日(月)の記 ピニェイロス川のほとりで
ブラジルにて


靴探し…
ブラジル最大の紳士靴製造の町フランカから直送の靴を売る店がイタインビビ地区にある由。
メトロとバスを乗り継いで、行ってみる。
このあたりには他にも靴屋あり。
が、本命の店を含め、こちらの希望するモデルがない…

徒歩圏にある大型ショッピングモールまで歩いてみる…
ここもNG。

電車とメトロを乗り継いで帰ることにする。
ピニェイロス川畔のヴィラオリンピア駅には巨匠Kobraのグラフィティがあった。
ピニェイロス川でボートをこぐ人たちを描いた横長の作品。
解説に、1826年頃まではピニェイロス川で泳ぐことができたとある。
遊泳に適さなくなって100年か。

車窓からピニェイロス川を眺めながら、サンタマーロ駅へ。
この駅はガラス張りで、眼下にピニェイロス川を拝めるではないか。
しかも、どうやら駅舎が川をまたいでいるようだ。

川べりのサイクリングコースは歩行禁止のようで愉快ではないが、このあたりは歩行できるスペースもあるようだ。

あとで地図で確認すると、このあたりでピニェイロス川はグァラピランガ川とジュルバトゥバ川に分かれていた。

こころの余裕ができたら、散策に訪れよう。
どの靴で行くかな。


7月21日(火)の記 靴を探して八万歩
ブラジルにて


先週の水曜から本腰を入れた靴探し。
週末に入荷予定と言っていたアウトレットにメッセージで確認すると、月末になるとの返信。

ダメモトで町の中心街を探してみる。
許容範囲のものを見つけるが、本革なみの値段で人工皮革だという。

近くの歴史建築のショッピングモールものぞいて。
靴はなかったが、よさそうなカフェを見つけた。

もうこの辺にしておくか。
先週の水曜に見たパウリスタ地区のショッピングモールのもの。
値段にショバ代が乗せられているのでは、と買い控えていたが、用途を考えるとリーズナブルかもしれない。

この一週間、日に一万歩以上あるいたのが五日。
一週間で計8.8万歩あるいた。
サンパウロ滞在中としてはかなりレアな記録かも。

「ただ歩く」というのができない性分で。
靴探しはよき課題となった。
少しは市内の見聞も広めたし。
靴探しのために、どれだけ使用中の靴底を減らしたかな。


7月22日(水)の記 マグダラのマリアの街で
ブラジルにて


SNSはいろいろなことを教えてくれる。
今日はマグダラのマリアの祝日だという。

マグダラのマリアは、イエスの母マリアとは別人。
いっぽう聖書では聖母マリアよりマグダラのマリアの方が登場回数が多いのだ。
マグダラのマリアは復活したイエスに最初に出会ったイエスの弟子でもある。

して、サンパウロ市のヴィラ・マダレーナ区にあるマグダラの聖マリア教会で今日は数回、記念ミサが行われるとのこと。
よし、午前10時のミサにあずかろうと思う。

ヴィラ・マダレーナはもう20年以上前からサンパウロのおしゃれな若者たちの夜のスポットとされてきた。
このヴィラ・マダレーナという地名そのものがマグダラの(マリアの)ヴィレッジ、という意味だ。
そしてその由来はこのマグダラの聖マリア教会があることによる。

マグダラのマリアについてはいろいろな伝説や解釈がある。
いっぽう復活したイエスに最初に出会い、その復活を他の弟子たちに伝えるキーパーソンでありながら、二千年にわたって男社会のなかで疎外されておとしめられてきた観は否めない。

はからずもこの五月に故・佐々木治夫神父をかつて撮影したあまたの動画を発掘して、この掌編をまとめていた。
『佐々木治夫神父の福音 「イエス、マグダラのマリアに現れる」』
https://www.100nen.com.br/ja/okajun/000262/20260703018703.cfm?j=1

この撮影をしたのは西暦2018年7月22日、ずばりマグダラのマリアの祝日だったのだ。


7月23日(木)の記 39年目のビデオレター
ブラジルにて


明日から、かつてお世話になった人のお見舞い、および巡礼で、一泊旅行を計画。
むむ、目星をつけていた宿は空室なしとな。

今日中にビデオの編集作業を終わらせよう。
究極のプライヴェートビデオ。
39年前の今月、こちらで行なったわが結婚式のビデオ。

これより後に撮ったビデオテープがいくつもオシャカになっているのに、奇跡的にデータ化に成功。
撮影後に何度か見ているが、かなりのブランクがあり、忘れていることが多い。

当時、こちらの義父がサンパウロ市近郊に所有していた有機農場にあったチャペルでの挙行。
出席者の大半は新婦側の友人知人たちだ。

この時、ちょうど日本映像記録センター時代の上司であり先輩であった杉山忠夫ディレクターが大アマゾンシリーズの取材のためにブラジルを訪れていた。
杉山さんはわが結婚式に参加してくださり、絶妙な挨拶を披露してくれた。

わが結婚式は二台のカメラで撮影したのだが、いま編集中の方は杉山さんの挨拶を7分以上フォローしている。
あらためて聞き直すと、杉山さんらしい事実の脚色は見事、の部類。
大師匠の牛山純一プロデューサー譲りか。
そして、落とし込みも。

もうひとりの大先輩・市岡康子ディレクターは大著『アジア太平洋の民族を撮る』からもうかがえるように周到な予習、そして現地での詳細な調査とメモをもとに脚色を排除して物語を構成していく。

見事なコントラストをなすふたりの大先達に恵まれるとは、まさしくありがたし。

さて、この39年前のわが結婚式だが...


7月24日(金)の記 聖州巡礼
ブラジルにて


日の出の時刻に出家。
片道約200キロ程度の車での巡礼の旅。
南回帰線に沿って東に向かう。

まずは、お世話になった人のお見舞い。
すでに、こちらが誰だかわからなくなって久しい。

昼前に失礼して、さらに東へ。
ロゼイラという町の街道沿いのボックス型ホテルにチェックイン。
町なかの宿を考えていたが、満室とのことで。

値段が安いのはありがたいが、受付に常住スタッフはおらず、さっそくバスタオル等の不備が。
クレームは本社にSNSで、いやはや。

目的は「聖顔」。
近くにあるカトリック修道会のサンクチュアリ。
ややこしいのだが、西暦1959年の「聖週間」の恒例の劇のため、信徒に頼まれて町の神父が絵心もないもののありあわせの絵の具で布に「パッション」のイエスの顔を描いた。
するとその裏にトリノの聖骸布のイエスの顔にそっくりな精緻な画像があらわれたという。

その実物を拝みに来た。
折しも巡礼団が来ていて、いっしょにミサにあずかる。

奇遇なことに、町の教会では守護聖人の聖アナへのノヴェナが行なわれていた。
9日間連続の祈りで、今日はその第八夜。
聖アナは聖母マリアの母親で、イエスの祖母にあたる。

小さな田舎町の聖堂はぎっしりと埋まり、若い人も多い。
音響設備の関係か、サンパウロの町なかの教会の説教は僕には聞きとれないことが多いが、今日の神父の説教は聞き取りやすかった。


7月25日(土)の記 巡礼の奇跡
ブラジルにて


ちょうどこっちがこのロゼリアの町に滞在した時に、年に一度の聖アナのノヴェナが行なわれていたことだけでも、なかなかの奇遇だと思う。

それどころではないことが!

ボックスホテルでひと晩を過ごして。
枕がふにゃふにゃなのが気持ち悪い。

未明に、騒音。
なにか、マイクのテストのような。
カラオケボックスでもあるのか。

7時過ぎ、家人がミサの歌が聞こえるという。
どこかの部屋のテレビか。

いちおう外に出てみて、たまげた。
広大な駐車場に天幕が張られ、数百人ぐらいの人たちが集まってミサが行われていたのだ!
しかも、ラテン語。

我々も遠巻きに参加する。

フランスで生まれた「善き牧者会」というカトリックのグループの巡礼団だった。
このグループはトリエント・ミサと呼ばれるラテン語のミサをおこなう「正殿主義派」。

ブラジル最大の巡礼地アパレシーダに向かう直前のミサ。
アパレシーダでも付近の町の教会でもこのグループによるミサは忌避されて、こうして野外で行なうのだという。

女性たちはほとんどヴェールをかぶり、男女とも身なりはきちんとしている。
2時間ほどのミサだったが司祭の説教はポルトガル語で、平易かつ聴き取りやすかった。

もし当初の狙い通り町なかのホテルがとれていたら、このミサのこともこのグループのことも知ることはなかっただろう。

このあとで、ふたたび「聖顔」の聖堂を訪問。
ゴイアス州からバスでやってきた巡礼団に修道士が解説するのに便乗。
いい話を聴けた。

実り多き巡礼をさせてもらった。


7月26日(日)の記 ナスすべ
ブラジルにて


SNSで、高血圧にはナスがよいというのを読む。
最近、かんたんなキュウリの漬物はよくこさえている。

…思い切って、ナスもやってみっか。
幼少以来、ナスはきらい、で通してきた。
想えば学校給食でナスはお目にかかったことはないような。

どうしても食えないということはないが、自分からは避けてきた。
ナスの料理もほとんど手掛けていない。
なぜナスが苦手だったのか。
にゅるんとした感じがいやだったのか。

ナスをおいしいと感じたのは、山形鶴岡で在来野菜のミニなすの漬物をいただいた時。
なんといったか…
そう、民田ナス!
からし漬けなど、いくらでもいただきたいところだった。

そもそもわが南米大陸は、ナス科植物の本場。
ナス、トマト、ピーマン、ジャガイモ、タバコ!

いっぽうこちらで多く出回っているのは日本のナスを水ぶくれさせたような洋ナス。
日曜の路上市で、日本ナスを探す…
さほど高くないのを買えた。

さっそく漬物に…
うーむ、かなりの水分だな。
これを絞って「うまみ」をしみ込ませれば、漬物としてうまいはずだ。

粉からしを溶いて、からし漬けにしてみる。
...溶いたからしに辛みがない。
粉からしそのものの劣化か、水が多すぎたか。

まあいろいろやってみよう。


7月27日(日)の記 舞台裏披露
ブラジルにて


わがファミリーのイベントを控えて、そしてさらに新しい仕事に取り組みにあたってあれこれ整理をすすめなければ。

ノートパソコンからクラウドまでかなりの容量を占めているスマホ撮り写真の整理を再開。
西暦2022年、四年前の写真群…

おそらく未発表の面白い写真があると、シンパの皆さんへのサービスも兼ねてフェイスブックあたりにあげたくなる。

たとえば、こんな写真。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=10240088153036595&set=a.3410845544903
掌編『分子の遊び』の撮影風景だ。
https://www.youtube.com/watch?v=xkB-aNhIufo

この作品は撮影の背景をある程度わかった方が味わい深いだろう。
作品成立に必須の音楽を提供してくれた作曲家の伊東乾さんと奏者の中村淳さんに、あらためて御礼の連絡。

さらにフェイスブックに書いた制作の舞台裏を、こちらにもコピペしておきます。

この作品を十二分に味わっていただくための情報を、ストイックに削り過ぎたかと反省しています。
岡村が撮影したのは、在ブラジルの日本人の陶芸家・鈴木章子先生が満93歳の時に描いたものです。
この数年前から縁あって岡村は章子先生の活動の撮影を思い立ちますが、章子先生は半身不随になっていて、肝心の陶芸活動がむずかしくなっていました。
その後、章子先生は老人ホームに入居しますが創造意欲は衰えることはなく、陶芸はかなわないものの、ホームで描き連ねた画像を岡村に託したのです。
章子先生が陶芸のモチーフで得意としていた竹管を用いた円の連なりを、ボールペンでひたすら描いたものでした。
『分子の遊び』は章子先生自身による命名です。
岡村はこの画像を動画として撮影して掌編としてまとめることを思い立ちます。
音を、どうするか。
もだえ苦しんでいる時に、日本の畏友・伊東乾さんが作曲して中村淳さんが演奏をした『無窮花」に出会ったのです。
一期一会のアナログ感がたまらない曲です。
お二人の快諾をちょうだいして用いさせていただきました。
さらにロウソクの灯のみを照明として、ビデオカメラを三脚に固定しない、という撮影方法を思いついて実行してみた次第です。



7月28日(火)の記 絶望的な状況の守護聖人
ブラジルにて


28日はカトリックの守護聖人、聖ユダ・タダイの祭日である。
この人はイエスの十二使徒のひとりだが、イエスを売ったユダと混同されて「忘れられた聖人」とされてきた。

聖書そのものにこの人のことはほとんど書かれていないが、各地でいろいろな伝説が生まれた。
いまや「絶脳的な状況の守護聖人」ともされている。

ウイキをみると、この聖人への新人はヨーロッパから南アメリカに拡がり、20世紀にさらにアメリカ合衆国に広まった由。
余裕のある時に、もう少し掘り下げてみたいものだ。

隣駅近くのチャペルの記念ミサにあずかることにした。
祈りの時間は、自分のお願いごと・すべきことの優先順位などを整理するのにも格好。

自分が絶望的な状況にいるわけではないことが、ありがたい。
そうした人たちを、心にとめて。


7月29日(水)の記 慈雨到着
ブラジルにて


朝、所用で集合住宅の外へ。
戻ると、門番がこちらからは見えない郵便箱をチェックしてくれる。
いくつもの郵便に混じって、ついに『あめつうしん』が到着した!

日本の田上正子さんが発行するガリ版刷りのミニコミ誌。
最新号は第358号、今号から季刊となった。

その巻頭を飾らしていただいたのがわが「ブラジル移民のつむいだ『水俣ナゾの山岳遺跡を探る』」。

このテーマで寄稿の依頼をいただいたのは昨年末、まだ作品が完成する前だった。
4月末まで、というゆるい締切りをいただき、文字数も特別に増やしていただいた。
が、これほど何度も書き直したのは自分でも珍しい。
書く「べき」ネタがあり過ぎるのだ。

まずは僕のブラジル移住後のふたりの恩師、先史美術研究者の木村重信先生、そして水俣学を提唱した原田正純先生への謝辞から始めた。
が、けっきょくこれも外すことに。

最終稿の段階でなにを書いて、なにを書かなかったのか、もう自分でもよくわからなくなってしまった。
5月31日発行、6月はじめにこれまで通り航空便で送っていただいたが…

通常は2-3週間で届くものの、7月になっても届かない。
田上さんに恐縮していただく事態でもないのだが、7月はじめにふたたび郵送していただいた。
それも届かず、あらたに今度は書留便で送っていただいたばかりだった。

今日、落手したのは、どうやら最初に送っていただいたもの。
投函から50日余り、船便でも到着しうる日時がかかった。

なにゆえに?
到着を待ちわびているうちに、日本時間の昨日28日午後4時27分に震度7の熊本地震が発生!

拙作にも拙稿にも、10年前の熊本地震について言及していたのだ。
数ある日本のドキュメンタリー映像作家でも、熊本地震に言及している人はどれほどいるだろうか?


7月30日(木)の記 自筆嫌悪
ブラジルにて


拙作『ブラジルの土に生きて』で紹介したエピソード。
1930年代にブラジルから一時帰国した青年・石井延兼さんと結婚して20歳そこそこでブラジルに移住した石井敏子さんは…

日本から郵便が届くと、開封する前に泣いていたという。
そして開封して読んで、また涙。

昨日、日本から拙稿が掲載されたミニコミ誌『あめつうしん』がようやく届いて、少しは敏子さんの心情を共有した想い。

さて昨日、開封して絶妙な割り付けをしていただいた拙稿に目を通す。
なんだか読みにくい文章。
これはわかりにくい、修正すべきではないかという箇所も。

拙稿のあとの記事をいくつか読むが、つかえることなくスムースに読める。
がっくり。
自己嫌悪。

これから久しぶりにまとまったものを書く態勢に入ろうとしていたのだが…

一夜明けて、今日ふたたび拙稿を読み直す。
うーむ、読めないことはないか。

『あめつうしん』は封筒に描かれたガリ版画も、貼り巡らせてくれる記念切手も楽しみ。
「比婆道後帝釈国定公園」の記念切手が二枚。
「比婆」はヒバゴンの比婆で、広島だろう。
「道後」は道後温泉の道後だとすると、愛媛。
広島から愛媛にまたがる国定公園か?
検索してみると、広島にも「道後」があることがわかった。

さらに「阪神・淡路大震災寄附金付」という額面80+20の切手があった。
こんな切手も存在したとは。

震度7の熊本の地震が発生して余震が続いている時期だけに…


7月31日(金)の記 アメリカの友人
ブラジルにて


今日のお題は、ヴィムヴェンの映画の邦題から。

行きそびれていたサンパウロのピナコテッカに思いきることにする。

在米の日本人アーチスト、荒川ナッシュ医(えい)さんの展示があるとご本人に教えてもらっていた。
彼とは面識がなかったが、今年になって思わぬご縁をいただいた。

特に下調べもせずに、何年ぶりかでピナコテッカを訪ねる。
本館のなかに入るが、かなり広大かつ数階にわたっていて、どこに医さんの展示があるのかわからない。

スタッフに訪ねると、新設の別館の方だという。
別館の大展示場では子供のための展示が行なわれている。
折しも学校は休みのシーズンで、平日ながら親子連れや遠足の児童たちでにぎわってみる。

最初に目を引いたのが、広大な壁と床が子供たちの「落書き」で埋め尽くされている空間。
これが荒川ナッシュ医さんのインスタレーションだった。
英題は『MEGA PLEASE DRAW FREELY』。
すでに開催から日時が経ち、特に床は隙間なく何重にも「落書き」が施されている。
https://www.instagram.com/p/DbnlhzCPzsD/

「地」は日本の松林の写真らしい壁にはまだ少しの余白があり、何組かの親子連れが描き込んでいる。
なんともダイナミックな観客参加型のインスタレーションだ。
もっと早い時期に来てみたかったなあ。

今日の僕のアート需要のキャパは、これでほぼ満杯。
久しぶりにミュージアムのアートで充足感を覚える。

徒歩圏にあるコリアン街でなにか食べて帰ろう。

ちなみに荒川ナッシュ医さんは現在、ヴェネチア・ビエンナーレの日本館にて「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」のテーマで大きな展示を開催中。
このなかに拙作を盛り込みたいとのことで連絡をいただいたのが、ご縁のはじまりでした。
https://venezia-biennale-japan.jpf.go.jp/j/art/2026





 


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