旅はたこ焼き、世は情け (2003/06/16)
~ 必殺、プロジェクト・X風タコヤキ! ~
ブラジルで「タコヤキ」をやることになったのは、数年前に大阪・ナンバにある道具屋筋で一台の家庭用タコヤキ器を買ったことから始まった。 大阪人なら家庭に必ずこの機器が1台はあり、幼少年時代には嬉しがってクルクルとタコヤキを回したものだ。 茨城県出身の家内が「今、あなたが働いている邦字新聞社が潰れた時にタコヤキ屋でもやったらいいよ」と言われて持って来たのがきっかけだ。
はじめは「そんなもん持って来て、どうすんねん」と思っていた私(松本)だったが、試しに友人たちにタコヤキを振舞うと「ヤンヤやんや」の喝采を浴びた。調子に乗った私は、その数年後、日本へ一時帰国した際、「どうせやったら、もっと多く焼ける方が良い」と更に2台を追加購入。1台で24個作れるため、計72個のタコヤキ作りが可能となった。
その年の2001年7月、サンパウロの日系人団体の1つである県人会連合会(県連)主催の郷土祭りで兵庫県人会の方々にお世話になり出店したところ、休む暇もないほどの行列ができた。味をしめた我々は「これはイケるで!」とばかりに地方でタコヤキをすることになったが、その裏には深いドラマがあった・・・。 というのも、中心メンバーの1人、櫻田さんが乗り気になったわけは「タコヤキ屋をやりながら地方の人々の取材を松本がやり、人との出会いを5年後に迫っている移民100周年に向け、インターネットで流す」というのが、そもそものはじまりだった。その熱い思いに絆(ほだ)されて、松本と新聞社の同僚だった篠崎くんが同意した。単なるテキヤ(業者)でなく、その背景には壮大な計画が隠されていたのだ。
そう、その計画とは「プロジェクト・X(エックス)風タコヤキ!」。当然、バック・ミュージックは、中島みゆきの「地上の星(NHK番組、プロジェクト・Xのテーマ曲)」でなければならない。我々の新たな挑戦が今、始まったのだ。ジャジャーン。
たこ焼きマンの正体? * たこ焼きマン1号:マツモトコージ(某新聞社勤務) * たこ焼きマン2号:ザッキー(某旅行代理店勤務) * たこ焼きマン3号:さくらださん(ただのオジさん)
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